16. 本を読まない技術は非常に重要である。 肝心なのは、ある時に大衆の注目の的になっているものに 手を出さないことである。 (中略) 良い本を読むための必要条件は悪い本を読まないことである。 なにしろ人生は短かいのだから。
17. 本を買うことは良いことである、 部屋にこもって読書する時間をも買えたとしたら。 だが一般に、 本を買うことはその内容を所有することだと誤って考えられている。
---Schopenhauer, Essays and Aphorisms, Penguin Books, 1970, p. 210.
アンスコムは、倫理的見地から、 ヒロシマとナガサキに係わったトルーマン大統領に オクスフォード大学が名誉博士号を授与するのに反対した。 彼女はまた避妊と人工妊娠中絶にも頑固に反対していた。 しかし、この保守性とは対照的に、 彼女は相当とっぴな女性でもあった。 まだ女性がズボンを履くのはめずらしい時代に彼女はズボンを履いており、 あるとき「ズボンを履いている女性はレストランに入れません」と言われ、 彼女はあっさりズボンを脱いでしまった。 彼女はまた口汚ないことでも有名で、パイプを吸っていた。
The Philosophers' Magazine, vol. 14 (Spring 2001), p. 8.
[新聞: 2時間(あああ。今日は新聞を買わないこと) 専門の勉強: 2時間]
文化相対主義的な夢で目が覚め、朝食にまにあう時間に起きたが、 めんどうなので部屋にあったリンゴで済ませた。 相対主義についてすこし考えたあと図書館へ。
「こうこうすべきだ」と人に言われて、「そんなのあたしの勝手でしょ」 という反応が出るのは、 やはりもはや道徳には法のように強いサンクションがないせいだろうか。 「スピード違反をしたら罰金を払わされます」とか、 「手を挙げないとピストルで撃つぞ」(これは法とはかぎらないが)と言われて、 「そんなのあたしの勝手でしょ」という人はあまりいないだろう。
言いかえると、法の場合は共通のルールがあって、 それがいやおうでも押しつけられていることをみなが知っているから、 「そんなのあたしの勝手でしょ」と言う人はまずいない。 (もっとも国際法に関してはそのかぎりではないが) しかし、道徳に関しては、芸術や趣味と同様に、 共通のルールがあるという認識が希薄になっているから、 「あなたはあなたのルールに従って生き、あたしはあたしのルールに 従って生きてるの。あなたのルールを押しつけないでちょうだい」 という意味で「そんなのあたしの勝手でしょ」と答える人が出てくる。
こういう人に対抗するためには、 つい「いや、宇宙には自然法とか永遠不変の法というものがあってね…」 と言いたくなるが、実定道徳と批判道徳を区別して、実定道徳の多様性を認めつつ、 批判道徳の普遍性を…、あれ、これだと自然法の考え方とほとんど一緒か。
う〜ん、もうすこしよく考えよう。
法哲学の勉強しないといけないのだが、 ウェブを回覧していると時間がどんどん飛んでいく。
この日経の社説 (「まっとうな日本外交を見せてほしい」)はまともなことを書いているように 思える。同じ内容でも読売の社説 (「これ以上の停滞は許されない」)は質が劣っているように見える。なぜなの かを考えてみると、日経はきちんと背景事情を説明したり、ミサイル防衛に対 する日本人の思考の矛盾を突いたりしているのに比べ、読売は話が飛び飛びだ し、説明のない独断的な発言が多い(ように見える)からだろう。 なぜ日経の社説の方が優れて見えるのかもうすこし分析すべき気がするが、 時間がないのでやめておく。
加藤先生を「難解な哲学を一般市民にもわかる言葉で説明できる、 日本では非常に貴重な存在」と誉めてしまったので、 ちょっとこの日記 (楽しく読ませてもらっています) の「難しいことは難しいまんま理解しようとしなきゃいけないかと。 難しいことを簡単に述べるのも重要だけど、 それは対初心者・入門者・門外漢レベルに話す場合であって、 基本的に難しいことを単純化して考えるのは正当な理解とは言えない」 という意見についてコメントを。
まず「単純化する」というのには良い意味と悪い意味の二つの意味があると思う。 一つは混乱しているもの、雑然としているものを整理するという良い意味で の単純化で、xの3乗+3(xの2乗)+3x+1を(x+1)の3乗にするようなやつだ。 この意味で単純化することにけちを付ける人はあまりいないだろう。
もう一つは、意味を歪曲したり、 一般化できないことをむりやり一般化したりしてまで単純化しようとする 「悪しき」単純化で、 たとえば相対性理論を、 「あれは世の中みんな相対的だってことです」と説明したり、 「女性が複雑だって? 女性はみんな同じで、 けっきょくのところ結婚して子供を生むことだけを考えてるわけで」 なんて説明したりするようなのがそれにあたる。
上の日記で批判されているのは明らかに後者の「悪しき単純化」で、 たしかに哲学入門書においてもこの手の「悪しき単純化」、 xの3乗+3(xの2乗)+3x+1を(x+1)の3乗にするにとどまらず、 ええい面倒だもってけ泥棒と言ってxの3乗にしてしまうような 説明が多いのは否定できない。
しかし、だからといってxの3乗+3(xの2乗)+3x+1はxの3乗+3xの2乗+3x+1として理解し、 (x+1)の3乗として理解してはいけないとは言えないし、 単純化する努力を妨げるべきでもない 簡単なことを暗号化して一般人に理解不能なものにする風潮がある哲学の世界では、 しばしば(x+1)の3乗と言えばいいところをわざとxの3乗+3(xの2乗)+3x+1と書く輩がいる ので(ヘーゲル)、それを(x+1)の3乗に整理する人間(加藤尚武)が必要になってくる。
もちろん加藤先生がヘーゲルの深遠な真理、それ以上は単純化しえない真理を 無理矢理単純化している可能性もある。しかし、その可能性を恐れて 「単純化はいけない。難しいものは難しいまま理解しないといけない」 と言ってしまうと、整理整頓できるものまで混乱した状態のままに放っておかれる という別の弊害が生じかねない。下手な単純化をする輩に対しては 「それは間違えている」と指摘すればいいだけで、「単純化は危険だから、 ヘーゲルの難解な文章は難解なものとして理解しなければならない」 と主張すると、「良き単純化」への努力を妨げてしまうことになるだろう。
あ〜。話が長くなってきたが、言いたかったのは、 「ヘーゲルが難しい」と言ったとき、 「ヘーゲルがこれ以上単純化できない真理を述べていて、それでも難しい」のか 「ヘーゲルが簡単なことをわざと難しく言っているので難しい」のかは容易には わからないので、それを確かめるためには「難しいものは難しいものとして理解する」 という態度よりも、 「何言ってるのかわからん。もっと簡単に説明してよ」 という態度の方が一般には有益だということだ。 真理が常に単純とはかぎらないけれど、 何が基本的に難解で、何が嫌がらせ的に難解なのかを容易に 区別できない哲学のような分野においては、 初心者に説明する場合にかぎらず、常に単純化の方向で努力すべきだろう。
という風にまとめてしまうと、 ちょっとおれの意見を単純化しすぎることになるわけだが…。
まだ新聞を読んでいる。信じられん。 インターネットを3時間45分も使ってしまった。
出産有給休暇についての国際比較の記事(英語)。 米国では休暇中にお金はもらえず、しかも12週間しか休めないらしい (オーストラリアは12ヶ月だが、やはり無給)。日本は?
[新聞: 4時間(けっきょく買ってしまった。今日の新聞も読んだ) 専門の勉強: 4時間]
昨日は、夕方にUCLの中央図書館に行きコピーをしたり本を借りたりしたあと、 寮に戻って勉強。ハート。なかなかはかどらず。やばいなあ。 今日からとにかく書きだそう。
また、昨日の夕方に、某中国人にチェリーをもらった。感謝。
日記の整理。 6月上旬は1万9000字程度書いたようだ。
夜遅くまで勉強をしてから、昨日の新聞を読む。
朝電話で起こされる。シャワーを浴び、夏の寮費を払ってから図書館へ。
国語調査: 「情けは人のためならず」半数が誤って理解という毎日の記事。 しかし、もしこのまま誤って理解する人が増えて、人口の9割が 「人に情けをかけると当人のためにならない」と理解するようになっても、 まだ誤用ということになるのだろうか。 このときの正誤の基準はなんなんだろう?
たぶん「ためならず」という日本語が理解しにくいんだろうから、 「情けは人のためじゃあない」とかに変更したらどうだろうか。
「一姫二太郎」を「子供は女一人、男二人が理想的」と理解する誤りというのは はじめて聞いた。
産経の社説(再発防止に「治療処分」を)。 あれ、保安処分を治療処分という名前に変更したのか。 名前を変えてイメージを変えるのは重要だと思う。 「労働党(Labour)」は「新労働党(New Labour)」に変えて支持を増やしたようだし、 近代英国哲学の「観念」は20世紀初頭に「概念」になってイメージを一新した。 「保安」というのはいかにも太平洋戦争ころの暗いイメージがあるので、 「治療」に変更するのは賢明だと思う。「処分」というのも聞こえが悪いので、 いっそのこと「治療措置」とかに変えてしまえば、 ほとんど抵抗なく刑法を改正することができるだろう。
朝日の社説 (児童殺傷事件――再発防止へ冷静な議論を)。 たしかに、精神科にかかった人を全員監禁してしまうような法ができたら しゃれにならない。一方で、一度深刻な犯罪を犯している精神障害者を ほっておくわけにもいかない。 人権、治療、治安、どれも優先するわけにはいかず、バランスを取る必要がある。
…なんてどっかの社説みたいな七色なことを書いてどうする。 こういう議論をするには、ベンタムのように具体的な案を提示しなければならない。
[新聞: 2時間半(ネット上の新聞こみ。2時間を目指せ) 専門の勉強: 3時間半]
昨日は元倫理学研究室にいた某英国人とひさしぶりに会い、 中華料理屋でお昼を一緒した。こちらで修士をやるとのこと。 日本人の女性をはべらせていた。こ、この不良外人め。
夜は洗濯をした以外まじめに勉強したつもりだが、 ハートを読んだだけでまだ書きだせず。 夜を徹して勉強しようと思ったが、 目がちらちらしてまともに字が読めない。 風邪の前兆かもしれないのでもう寝よう。
起きたらがんばるべし。
寝すぎる。ちょっと体調が心配。
学生生協で新聞と昼食(ベジタリアン・ブリトー)を買ってから図書館へ。
産経の社説(「日本になじむ新制度を」)。 裁判員制というのはすごいな。 「改革の柱のひとつが、殺人など重大犯罪の刑事裁判への「裁判員制」の導入 である。ともすれば国民の常識とかけ離れていると批判のあった裁判に、社会 常識の風穴を開けようというものだ。選挙人名簿から無作為で選ばれた裁判員 は裁判官とともに審理を進め、有罪・無罪の決定を下す。ひとつの事件の終了 まで担当し、健康上の理由などやむを得ない事情がない限り、出頭義務を負う とされる。」
これが法制化したら英米の陪審員制よりもずっと大変な義務が国民に課される わけだが、普通のおばちゃんやおじさんが仕事を休んでまでやりたがるだろうか。 国民の国政参加が目的なら、陪審員制あたりからはじめた方が穏当だと思うけど。
他の新聞の社説も司法改革について論じているが、 内容のないものが多い。 たとえば日経の社説 (司法改革へ内閣挙げた取り組みを)は具体的な批判なども行なっており、 ましな方だが、冒頭はまるで読書感想文である。 「21世紀の日本社会で司法が果たすべき役割を検討してきた政府の司法制度改 革審議会が、最終意見を内閣に提出した。日本が自由で平和で豊かな国であり 続けるには、司法制度の改革は不可欠である。意見は、改革の骨太な設計図を 示した。内閣や法曹三者(裁判所・弁護士会・検察庁)は、改革を実現する責 務がある。私たち国民も、利用しやすく頼りになる司法制度を実現するため、 監視と参加を強めよう。」
う。まだ新聞読んでる。 英国自民党の前指導者だったパディ・アシュダウンのコメント。 自民党は今回の選挙では大躍進したが、 このまま労働党が以前占めていた左翼の地位を保持していると、 いずれ保守党が再生してきたときには大敗することになる、という警告の文章。
インディペンデントはウェブサイト を一新したようだ。見やすくなった。
しかし、まだ目がすこし痛い。休み休み勉強しよう。
うう。まだ法哲学のエッセイが書き出せていない。 しかし、だいたい必要な情報が頭に入ってきたので、 今夜から書き出すこと。それにしても7000語はつらいなあ。
夕食後、すこし寝る。調子は今ひとつ。体調に気をつけながら、勉強しよう。
Amazon.co.ukに注文していた本が届く。
[新聞: 3時間10分(ネット上の新聞こみ。あああ) 専門の勉強: 5時間]
「う〜ん、勉強がはかどりません。どうなってるんでしょう」
「とにかく書けってば」
わりと早くに起き、リンゴを食べつつ図書館へ。勉強勉強。
Amazon.co.ukからまた本が届いていた。
朝日の アカゲザル安楽死の記事。この話、ニホンザルを日本人、 アカゲザルを外国人に読みかえて読むと恐いよなあ。 なんでサルだと安楽死するのが許されるんだろう? せめて国外追放すればいいのに。あ、帰るところがないのか。
いや、やっぱり安楽死はおかしい気がする。デモすべきか?
日経の 社説(「議定書発効カギ握る日本」)。 「ブッシュ大統領は、温暖化ガスの排出が急増している中国やインドに何ら義 務を課していない議定書は欠陥があると非難している。」 米国は世界の総人口のわずか5%の人口で、 世界の排気ガス全排出量の25%を排出していると言われている。 (see BBC News)
これは、人口100人の町の町内会でゴミの排出量を減らそうという議論を しているときに、町のゴミの4分の1を排出している5人家族が、 「2丁目と3丁目の、あまりゴミを出さないけどうちよりもずっと大きい家族は 協力しないって言ってるじゃないですか。フリーライドでしょうそれは。 あなたがたがあの人たちを説得しないかぎり、うちも協力するつもりはありませんよ」 というようなものだ。 また、日本はその米国を説得するまでは調定しないと 言っているからさらにタチが悪い。 隗から始めなくてどうする。
「いや、隗よりはじめよっていうのは、ホッブズは納得しないと思うんだよな。 道徳にしたがうのが合理的なのは、参加者の大部分が協力するときにかぎるわけでさ。 軍拡競争と同じようなものでさ、先にやった方が大損するかもしれないじゃん。 中国やインドが一緒にやるなら協力するっていう立場は、 そういう意味では合理的なんじゃないの」
例によってまだ新聞を読んでいる。
MSNにある 夕刊フジの記事(「小泉首相、刑法改正にも"聖域"なし?」)。 保安処分の賛否両論について。以下は反対論。
一方、刑法改正草案における保安処分の危険性を早くから訴えている青木薫久 医師(精神科)は保安処分導入には反対の立場だ。
「もちろん錯乱状態にあるなど緊急避難的な場合はやむをえないが」と前置き した上で、「健常者は『また犯罪を起こしそう』という予測で刑務所に入れら れることはないのに、精神障害者だけを施設に入れるのは法の下の平等に反す る」と話す。
それでは、次善の策はあるだろうか。
「現在のひずみの原因は行刑制度にある。刑務所を懲罰的な施設という考え方 から、犯罪の予防のために存在し、そこでは治療も職業訓練もするという考え に改めるべき。そうすれば精神障害者も刑事責任能力を問える。罪に見合うだ け刑務所に入れることができ、精神障害者と健常者の量刑が同一になる。もち ろん死刑は廃止されるべきだ」(青木医師)
しかし、この次善の策というのも相当危ないと思うのだが。 刑務所を犯罪者の再犯を防ぐための施設と位置付けてしまうと、 刑の重さを決める基準がなくなり、「危ないことをやりそうにない」 と看守や刑務所長が判断するまで出所できなくなってしまう。 それに、「罪に見合うだけの量刑」と述べているが、 罪に見合うというのは懲罰的(あるいは応報的)な考え方だから、 言っていることが一貫していないように見える。
午前中に新聞を読んでしまうと、勉強した気になってしまっていけない。 ちょっと休憩したらぜったいに書き出そう。
まだ書きだせない。
知らぬが仏、 言わぬが花、だと思う。 しかし、「知らぬが仏」は「知ったら鬼と化す」ということだろうが、 「言わぬが花」は言ったら枯れちゃうんだろうか。
「またえらそうに。今きみブックシェルフで検索してから書いただろう」
「いや、一応確認のためにですね…」
「なにをこの。なにをこの。 いつだったか、 仲の良い某先輩夫婦のことを『おしどり夫婦ですね』と言うつもりで 『むくどり夫婦ですね』と言ったくせに」
「あ。 また昔ばなしをぶり返す。しかしそれ、 自分の言った間違いの中でも一番笑えるやつなんですよね」
う。600語。あと6400語。明日までには書けてる…といいなあ。
[新聞: 2時間 専門の勉強: 7時間?]
あああ。昨日は夕方に下宿に戻って夕食を食べたあと、 すこし寝てから勉強をはじめたのだが、例によって脱線して、 ずっと菜食主義と 動物解放論について考えていた。 実践的にも理論的にもおもしろい問題であることにようやく気がついたので、 これからしっかり勉強しよう。
しかし、動物の虐待をやめさせるために、まず動物に道徳的権利があるかどうか というところから始めるのはどうしようもなく不毛だと思う。 もちろん、「虐待すべきでない」という主張には理由が必要だが、 ベンタムも言うように、理性があるとか、会話ができるとかが問題に ならないのと同様、権利が持てるかとか人格かどうかとかは問題ではない。 痛がっている(あるいはいやがっている)からやめさせるべきなのだ。
あ、英国には治安判事(magistrate: 軽罪の裁判官)を素人にやらせる 伝統があるそうだ。といっても、3年間ほど訓練を積むようだが。
寝る前に動物権利論者のトム・リーガンが天敵であることを確認。
お昼前に起きて、さらに動物権利論の勉強。 ベンタムの自然権批判がまだ有効であることを確認。 もう少し勉強すればおもしろい論文が書けそうだ。
自己例外化の誤謬について別の人からも問合せが来たが、 よくわからない。知っている人は教えてほしい。
ちなみにこないだ引用したカントの文章の大意は、 おれらが悪いことするのは(たとえば、返せないとわかっていて借金をするのは)、 自分の格律が普遍化できる(=自分の行動指針をみなが採用できる) と考えているからじゃなくて、 自分の格律が普遍化できないことを知りつつ、今回だけは、 自分だけは例外だと言い訳して欲求に負けてしまうからだという話。
格律について詳しくは格律の項 を参照。
[インターネット: 3時間(おそろしい) 新聞30分 専門の勉強: 3時間半]
1400語ぐらい書いた。なかなか進まない。
エッセイを書こうと思って論文をたくさん読むと、 「誰がどこで何を言ったか」というのをどんどん忘れていってしまうので大変だ。 やっぱり京大カードとかを作って机の上でいろいろ並べかえたりしないと いけないのかな。
昨夜はさっさと寝て、早起きする。
図書館に来るときに雨に降られる。 今日はあまり図書館に長居せず、 自分の部屋で勉強するつもり。
MSNのあなたにとって 歴史に残るマンガとはというアンケート。 質問の意味がわかりにくいが、 これはやはり、「あなたはどのマンガが歴史に残ると思いますか」 という問いではなく、「あなたの人生を変えたマンガはなんですか」 という問いなんだろうな。
アンケートの項にあれが入ってない、 これが入ってないと文句をつけたいところだが、 誰でも文句はあるだろうから、やめておく。 しかし、『あしたのジョー』や『ドカベン』を読んで人生が変わったというのは 共感できるが、『グラップラー刃牙』を読んで人生が変わったというのは…。 いや、善の構想は人それぞれだから、そういう人もきっといるとは思うんだけど、 いったいどういう風に変わるんだろうか。
それはともかく。 日本の漫画は文化現象としてほんとにすごいと思う。 小説家や哲学者に比べて、 なぜ日本では漫画においてこんなに才能がある人々が続々輩出されるのだろうか。 (→参加する人数が違うからだろう)
アジアでは日本の漫画がかなり浸透しているようだが、 媒体としての漫画が定着していない英国やその他の国の若者は 気の毒だと思う。たとえば英国でもっと漫画が浸透していれば、 シェークスピアなどはさっさと全部漫画化されているだろう。 大学受験生などは大助かりである。 政治漫画もたくさん名作が現われたことだろう。 70年代終わりには、きっとパンク漫画が流行ったはずだ。
それに、漫画がなければ本を読むかというと、 どうもそうではなく、テレビを見るかコンピュータゲームをするか、 週刊誌を読むか、 けっきょく日本の若者と(漫画を読まないという点以外は)ほとんど 変わらない様子だ。 いや、ちゃんと文化比較をすると、いろいろ違いが出てくるのかもしれないが。
とにかく、日本はもっと漫画文化を誇りにし、 (一部ではもうやってるんだろうけど)市立図書館にちゃんと名作を 一通り揃えておくなど、漫画文化の保護育成に努めるべきだ。 日本の漫画を翻訳し、 大々的に海外に輸出すれば不況が回復することは間違いない。 手塚治虫にノーベル賞を与えるよう運動をしよう。 そしてなによりも、 漫画図書館で大学教師が胸をはって漫画を読める時代が 一刻も早く来ることを期待したい :-)
日経の社説(「中国主導の上海協力機構」)。 中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギスの軍事・経済共同体について。 こんなのもあるのか。これにモンゴルやインドも参加したら、 EUなみの大規模な共同体になるのかもしれない。
う。早くエッセイを書かねば。
どうも英国では死刑廃止の決定的論拠の一つとして、 「死刑は殺人者と同様の道徳的に卑しい行為を行なうことだからやめるべきだ」 というのがあるようだ。 根底にある道徳原理は「なぐられたからといってなぐり返してはいけない」だろうか。 こないだの『パールハーバー』から察するかぎり、 大半の米国人はこの道徳原理を共有していないように思われる。
しかし、「なぐられたからといってなぐり返してはいけない」なら、 殺人者を死ぬまで牢屋にいれるのもいけないのではないのか。 というのは、殺人者は被害者の生命だけでなく、自由を奪ったから卑しいのであり、 犯罪者を牢屋に閉じこめるのは、犯罪者の自由を奪う行為だからである。 これに対しては、「いや、なぐり返してはいけないが、 殺人者を牢屋に入れることによって、 殺人者がさらに悪事を重ねるのを予防したり、 殺人者の矯正を図るすることは許される」と答えるだろう。
また、なぐり返してはいけないとすると、 自衛戦争も自己防衛も許されないのだろうか。 「いや、自己を守るための最小限のことはすべきである。 しかし、戦闘機が襲ってきたときには、できれば殺さないで捕虜にするのが 望ましいのと同様に、殺人者も、つかまえたら死刑にするのではなく、 監禁する方が望ましいのだ」。
というふうに、「なぐられたからといってなぐり返してはいけない(が、 最小限の自衛は許される)」 という原則に同意すると、かなり説得的な議論ができるように思われる。
しかし、問題は、なぜこの原則に同意しなければならないのか、 とくに道徳的に卑しい殺人者(すべての殺人者が被害者よりも道徳的に卑しいとは かぎらないかもしれないが)を死刑にすると、 なぜ自分も道徳的に卑しくなってしまうのか、という点である。 謀殺と死刑は同じ行為であるという前提があると思うが、 ここをよく吟味してみる必要がある。
が、今は時間がないのでいつかまた。
[専門の勉強: 6時間?]
ふう、やっと3100語くらい。なんとか今日中に第一稿を書きあげて、 月曜日からは現代政治哲学のエッセイを書きはじめるつもり (まだ全然準備してないが)。 無理でもがんばれ。
[インターネット: 3時間30分(あああ) 新聞: 1時間 専門の勉強: 3時間]
昨日したこと。勉強。友人宅でイタリア旅行の打ち合わせ。夜にスクワッシュ。
今日はお昼まで起きられず。法哲学のエッセイはまだ4000語ぐらいなので、 とにかく今日中に書きあげるべし。
哲学・倫理学用語集のフォームに、「レポートの〆切が」「試験が」 と書いてくる学生があいかわらずいる。
どこぞの掲示板でも、この手の質問をする人は「甘えるな」 「人に訊く前に自分でちゃんと調べろ」「死ね、うんこ」 などとけちょんけちょんに非難されるわけだが、 この手のメイルをもらうと自分も同じような感情を抱かざるをえない。 しかし、なぜネット上だとこんなに不寛容になってしまうんだろうか。
郵便で丁寧な質問の手紙をもらったら、「レポートの〆切が…」という内容でも、 さすがに「死ね、うんこ」という返事はしないだろう。 なぜメイルや掲示板だとこうなるのかを内省的に考えてみると---
なんだか頭がもうろうとしてよくまとまらないが、こういった複雑な感情だろうか。 手元に辞書があるのに人に意味を聞いてくる人とか、 手元に辞書はないけれど5分に一度人に意味を聞いてくる人とかに対しては、 ふだん親切な人でも「人にたよるな」とつい言いたくなるものである。 とくに、ネット上のフレームと同様に、ネット上では悪態をいくらでもつけるので、 相手が困っていることなどはまったく気にせずに、「レポート」という文字を見た とたんに「死ね、うんこ」とタイプしてしまう。
老化が急速に進行しているので何が言いたかったのか忘れてしまったが、 まあ質問をする人はもうすこし相手に敬意を表わす必要があるし、 他方で答える人ももうすこし親切に対応する必要があるんじゃないかと思う。 あれ、なんでこんな穏当な意見になってしまうんだろう。 ああ、自戒のつもりで書いたんだった。
産経の社説 (「実力の出せる環境整備を」)。 「女性の社会進出を促進すべきだ」と言ってることはもっともなんだが、 もうちょっと具体的な主張ができないものだろうか。 「日本再生の資源のひとつとしたいものである」とか弱々しいことを書かずに、 ちゃんと主張してくれ。 毎日の外国人の人権についての社説も同様。 「結局、相互理解を深めることから、議論が始まるということだろうか」 というような結論で落ち着くな。
日経のこの社説 (「小泉改革の断行で経済活性化を」)のような「〜すべきだ」という主張が望ましい。
[インターネット: 1時間 新聞: 0時間 専門の勉強: 5時間]
夜中まで勉強し、とりあえず一応完成したことにして就寝。 朝起きる。
午前中に手直しして、午後から現代政治哲学のエッセイに着手すること。
一応手直しもほぼ完成。しかし、6000語にすら達していない。どうしよう。
[インターネット: 2時間 新聞: 30分 専門の勉強: 2時間]
ひっ。もう水曜日。
昨日はけっきょく法哲学のエッセイの見直しをしたら一日が終わってしまった。 ちょうど6000語ぐらい。7000語と聞いていた気がするが、 もうそこまで増やす時間がないかもしれない。 今日から絶対にドゥウォーキンを勉強すること。
昨日の昼下がりに、近くの映画館でひさしぶりに映画を観た。
Claude Chabrol監督、Isabelle Huppert主演のMerci Pour Le Chocolatというスイス・フランス映画。 サスペンス映画なのだが、テンポが緩やかなので眠くなる。 あまり見る価値はないと思うが、 Isabelle Huppertの感情のない顔は印象的。C。
とくにおもしろいニュースはなし。勉強勉強。
大学のそばの本屋で買物。