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ムーア曰くっ、

G. E. Moore, Principia Ethica, Preface, p. vii-viii.


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 おれ思うんだけどさあ、倫理学でさ、いろんなむつかしい問題とか意見の違いってあるじゃない。あ、それってもちろん倫理学に限らず哲学の他の分野でもあることだけどさ。それでさ、倫理学の歴史ってのはそういうむつかしい問題とか意見の相違に満ちあふれてるでしょ。けど、なんでそんなむつかしいことになるのかって言うとさ、「これから解き明かそうとする問いがどういう問いなのか」をちゃんと考えもせずにさ、答えを出そうとするからなんだよね、たいていの場合。学校のテストで問題をよく読まずに解答するバカいるでしょ、あれとおんなじなわけ。「ああ、むつかしかった」とか言って額の汗ぬぐってさ。問題読まなきゃ解けるわけないっつーのっ。このばがっ。

けどさ、もし哲学者たちがさ、ある問いに答えようとする前に「その問いがどんな問いなのか」を明らかにしようと努力してもさ、どれだけこの種の誤りの原因が取り除けるかは、おれ知らないよ。だって分析とか区別っていう作業はすごくむつかしいことが多いじゃない。必らず発見しなきゃいけないことをいっくらがんばっても見つけられないことって多いでしょ?けどまあおれって楽天家だからさ、そういう「見つけてやるぞっ」ってな意気込みがあればさ、たいていはうまくいくと思うんだよね。つまりさ、「まず問いについてよく考えようとする姿勢」があればさ、哲学の超むつかしい問題や意見の相違なんかはきっと解決すると思うんだよね。

なんにしろさ、哲学者たちってのは、こういう姿勢を持ってないやつが多くって困るわけ。だからさ、いやこの「問いについてよく考えること」を省略してるのが必ずしも誤り原因じゃないかも知れないんだけどさ、とにかくそういう抜けた哲学者たちは「正しい」と言っても「正しくない」って言っても不正解になるような問いに対してさ、必死に答えを出そうとするわけなんだよね。なんでどっちの答えも正しくないのかって言うとさ、こういう抜けた哲学者の頭の中にある問いは、分析してみると実は一つの問いではなくって、たくさんの問いに分けれるわけ。それでその分けられた問いのうちのいくつかは「正しくない」って答えるのが正解でさ、他のやつは「正しい」って答えるのが正解なの。あれえ、おれ、なんかデカルトとおんなじこと言ってない?


 ま、それでさ、おれはこの本ではさ、道徳哲学者たちがいつも答えます答えますって選挙公約みたいに言ってる問いをさ、はっきりと二つに分けてるの。けどさ、おれがこの本の中で言ってるようにさ、やっぱりたいていの道徳哲学者はこの二つの問いをまぜこぜに考えたり、別の問いとごっちゃにしたりしてきたわけなんだよね。その二つの問いってのはこういう風な形の問いなの。


問1「それ自身のために存在すべきものとはどのようなものか?」

問2「われわれが行なうべき行動とはどのようなものか?」


え、問2は何となくわかるけど、問1は何のことか全然わからん?これはあれです、たとえばさ、「汚い服をきれいにするためにあったらいいものってなーんだ?」っていうなぞなぞを出すと、幼稚園児でも「せんたくきっ」って答えるよね。それとかさ、「エイズにかからないためにあったらいいものってなーんだ?」っていうなぞなぞ出したら、近ごろの小学生ならちゃんと「こんどぉむっ」って答えるよね。けど問1は、そういう、「ある目的のための手段として存在すべきものは何か」という問いではなく、「何の手段でもないようなもので、それ自身のためだけに存在すべきものは何か」というなぞなぞなんです。つまり、「何のため」っていうことが、「それ自身のため」としか答えられないようなもので「存在すべきだ」っていうものは何なのか、っていうなぞなぞなんです。でもさ、具体的に理解しにくいのは当たり前で、この問いに対する答えがすぐに出ればだれも苦労はしないよ。

要するにおれはさ、あるものについて、「それがそれ自身のために存在すべきであるかどうか」、あるいは「それがそれ自身として善いものであるかどうか」、はたまた「それが内在的価値を持つかどうか」っていう問いをするときにさ、あ、これみんな問1の言い換えね、その問いが一体どういう問いなのかをこの本で明らかにしようとしてるの。またさ、ある行動に関してさ、「われわれはその行動をなすべきかどうか」、あるいは「それは正しい行動であるかどうか」はたまた「その行動は義務であるかどうか」っていう問いをするときにさ、あ、これもみんな問2の言い換えです、その問いが一体どういう問いなのかもさ、この本で明らかにしようとしてるの。


ムーアって誰だ?

 ジョージ・エドワード・ムーアってのは1873年に生まれて1958年に死んだ人でさ、イギリス人の哲学者。ケンブリッジ大学で学生のバートランド・ラッセルと友達になって哲学勉強するようになったんだってさ。38才から28年間ケンブリッジで先生やってたの。ムーアは哲学の研究でさ、概念分析とか言語の問題を強調してたから、よく現代哲学の創始者の一人としてみなされるの。

 ムーアの代表的著作は『倫理学原理Principia Ethica』(1903)って本。邦訳もあります。ムーアの有名な「自然主義的誤謬naturalistic fallacy」って言葉もこの本に出てきます。この語についてはまた今度説明します。ちなみにこの本ではベンタムもミルもカントもけちょんけちょんに言われてます。シジウィックとかブレンターノは一応ほめられてます。なんでやっ。


Satoshi Kodama
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Last modified on 01/27/97
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