リンリー教授:第2章

「企業は良心を持てるか」などというたわけどもっ


 ビジネスエシックス研究会を途中で抜け出し、バンドの練習に行く。夕御飯を食べていると、またしてもリンリー教授と出会う。な、なぜだっ。リンリー教授とは帰りの電車でしか会わない設定だったのではっ。とか考えても仕方ありませんっ。そーいう設定は忘れなさいっ。

 ぼくはチャンコ鍋(600円)を食べながら、キムチ鍋(600円)を食べているリンリー教授に、今日のビジネスエシックスの内容を語ったところ、リンリー教授は例の大声で・しかもつばやキムチや米粒を飛ばしながら・延々と意見を語ってくれた。かなり長いこと喋られたので、細かいところまではあまり覚えてないが、ぼくが興味深く聞いたのは次のような内容である。


 しかし「企業が良心を持てるか」なんてばかばかしい。あほやっ。あほにきまっとるっ。けっ。けっ。

 だいたい「企業が道徳主体たりえるか」とか「企業は良心を持つかどうか」なんて考えてもしょうがないやろが。あらへんっ。そんなん「コンピュータに道徳責任があるかどうか」というのとおんなじぐらい馬鹿げてるがな。けっ。

 そんなこと言うぐらいだったら、企業人の道徳を磨いた方がよっぽどマシじゃ。けど、あいつらの徳性を磨くなんつーのは無理な相談やろ。会社の人間はみんな根性くさっとる。おれが就職活動したとき、あいつらはなぁ、あいつらはなぁ......(突然だまって箸で鍋の豆腐をぐちゃりぐちゃりとつぶしだす)

 お、わるいわるいっ。何の話しとったっけ?ちょっと今いやな思い出思いだしとってん。おお、そうやそうや、企業人の徳性や。あかんあかん。あいつらにあんまり期待してもあかん。とにかく最低限のことだけは法によって守らせるようにせんと。それ以上求めても無駄や。たとえかりに企業が道徳主体であることを認めても、法で最低限のルールを守るようきちんとしとかんとあかんわ。おんなじこっちゃがな。

 しかし、企業を法人ならぬ道徳人なんかに認めたところで、どないなると思ってんのやろね、あのたわけどもは。その道徳人であるおれら人間がひどいことやっとんのに、企業が道徳人になったとこで、急に道徳的になるわけないやろがっ。あほとちゃうか。けっ。けっ。お、どした児玉君、恐い顔して。え、つばが飛んでる?気にすな気にすな。え、米粒も飛んでる?お、そうかそうか。わるいわるいっ。がは、がはははっ。え、また飛んでる?

 とにかく、おれら人間も会社も、みんな自分の得することしかせえへんわ。会社なんて特にそうや。損になることせえへんし、それでええんや。環境破壊なんかのどうしてもしてもらったら困ることは、法によってそれしたら損になるようにするしかないんや。そうせんとあいつらアホやから手遅れになるまで気づかへんがな。政府が先手先手打っていかなあかん。それにどっちにしろどうせあとで責められんのは政府や。個人とか企業の献身的な奉仕なんかに期待しとったらあかん。みんなにそんな気高さがあったら世の中もっとマシなはずやがな。

 「人間は自己の快楽を追求し、苦痛を回避しようとする。企業は自己の利益を追求し、損害を回避しようとする」これやがな、これっ。これですっ。この考えを否定するやつはあほや。あほに決まっとるるるっ。あ、皆さんごめんなさい、ちょっと興奮してしまいました、気にせず食事を続けてください。......しかし児玉君なんやな、この鍋は体あったまるなぁ。ん、なんやまた恐い顔して。あ、ちょちょっとお茶入れてきてくれへんか...... 


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Satoshi Kodama
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Last modified on 11/15/96
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