児玉聡
先日、 中学生に配布する性教育の冊子をめぐってちょっとした騒ぎが起こった。 問題になったのは厚生労働省所管の財団法人母子衛生研究会が作成した 『思春期のためのラブ&ボディBOOK』という小冊子で、 都道府県教育委員会などを通じて今年4月下旬から中学三年生に 無料で配布された(1)。 国会でこの本の内容がとりあげられた他、 配布を差し止めたり、扱いに注意を促す教育委員会も出た(2)。 全国紙ではとくに産経新聞が手厳しく非難していた (3)。
抗議の内容は大きく分けると二つあり、 一つはこの冊子のピルに関する記述が不適当だという批判である。 この冊子では「避妊について」という見出しでコンドームとピルが紹介され、 「コンドーム…失敗率12%、ピル…失敗率1%」「(ピルを)きちんと飲めば 効果抜群」(21頁) 「妊娠をふせぐためにピルなど、そして性感染症をふせぐために コンドーム、つまり2重のガードが必要」(22頁)のように説明されているが、 こうしたピルの避妊成功率の高さや 「月経で困っている女の子は治療のために使うこともできる」(21頁) といったピルの利点だけしか述べられておらず、 女性の身体への副作用や環境に対する影響といった問題の指摘が欠けている というのだ。 さらに、この冊子を発行した母子衛生研究会は、 発行にあたり、 低容量ピル関連の製薬会社8社が共同運営する広報機関から約150万円の支援金を 受け取っていたため、 この事実がピルについての内容の偏向を裏付ける証拠だと指摘されている (4)。
もう一つの批判は、 この冊子に含まれている情報は中学生に教えるには行き過ぎだというものである。 この批判によると、 中学生にピルの服用を奨励するような記述をしたり、 リプロダクティヴ・ライツ(性と生殖の権利)、 すなわち産むか産まないか、避妊するかしないかといった 性の自己決定権がまだ一人前でない中学生にもあるかのように書かれたり しているのは時期尚早であり、 また、性器のサイズなどに関する興味本位的な記述などは教育的配慮に欠け、 いたずらに性行為への興味をあおるだけである(5)。 (なお、今回の問題については、省庁の意見の対立もある。 遠山敦子文部科学相はこの冊子について、 中学生に教えるには行き過ぎであるとか、 避妊方法の選択についての説明が不十分といった批判的なコメントをしているが、 発行元の母子衛生研究会およびそれを所管する厚生労働省は、 内容に問題はないとしている(6))。
以下では、 二つ目の批判に含まれている問題点を中心に検討するが、 先に一つ目の批判について簡単にコメントしておく。 問題の冊子はハガキ大のサイズで32頁と小さなものだが、 内容はまず二次性徴や男女の性器の記述からはじまり(2-9頁)、 次に、恋愛と性行為についての心構え(10-17頁)、性犯罪への対応の仕方(18-19頁)、 避妊や性病予防について(20-23頁)、 喫煙や飲酒や薬物使用の危険性について(24-5頁)述べられ、 そして最後に「性器の色やかたちが気になる」 「ペニスがちっちゃい」「マスターベーションに夢中」 「早く初体験をすませたい」「同性が好きになっちゃった」 といった思春期の男女が持つと考えられる悩みに対するアドバイスが なされている(26-32頁)。 その中で、ピルについて述べられているのは21頁と22頁の2頁のみである。 たしかにピルについての情報が不十分の向きがあるかもしれないし、 製薬会社からの支援は受けるべきではなかったかもしれないが、 ピルについて32頁中2頁しか記述しかなされていないのに、 この冊子を「ピル冊子」と呼んだり、 「ピル奨励の無料配布教材」 と呼んだりして非難するのは一種異様な感じを受けるが、 その背後にはピルに関する根強い反感があると思われる(7)。 今回この冊子が非難されたのも、 このピルに対する反感が大きな一因になっていると思われるが、 本稿ではピルの是非を議論するのではなく、 性教育一般についての問題点を明らかにすることを試みる。
一般に性教育には二つの目的がある。 一つは、性交渉の重要さを教えることにより、 軽率な(後悔するような)性交渉の数を減らすことである。 もう一つは、実際に性交渉を行なった場合に、 望まない妊娠や性感染症(性病)の数を減らすことである (いわゆるセーフセックスの実践)。 性教育が難しいのは、性教育をいつやるか、どのようにやるかによって、 このいずれの目的にとっても逆効果になりかねない危うさを持つと 考えられているからである。以下でこの点を詳しく説明する。
今回の冊子をめぐる議論では、冊子の擁護派は 日本の高校生の四割が性交渉の経験を持っているという統計的事実を根拠にして、 中学3年生に冊子を配布する必要性を説いているが、 逆に批判派は冊子に書かれている情報は行き過ぎ(「[中学生に]ピルの効用や コンドームの装着法まで教える必要がどこにあるか」8)であり、 このような情報を与えることによってかえって好奇心をあおることになる (「性行為を安易に助長しかねない」9)と論じている。 ここで生じている意見の対立は、 性教育をいつやるかという問いをめぐるものである。 性交渉を経験する前に、 妊娠や避妊や性病についての正しい情報を得ておくことが重要であることは 誰も否定しないだろう。 しかし、 性教育が初潮(初経)についての教育と異なっている特徴的な点は、 初潮は初潮の知識を教えられようと教えられまいと ある時機になれば自然にやってくるが、 性交渉は、性の知識を教えられるか教えられないかで時機もあり方も異なりうる ということである。 言い換えると、性教育によって性交渉についての情報を与えることにより、 その情報が呼び水となって性交渉の開始時機を早めたり、 そのあり方にも影響を与えるということである (以下、これを「情報の呼び水効果」と呼ぶことにする)。 しばしば性教育が「寝た子を起こすような真似をする」 と批判されるのはこういう理由からである。 他方、性教育は薬物使用についての教育とも異なり、 いつまでもやらないで済ませられるものでもない。 というのは、薬物は死ぬまで経験しないこともありうるから 必ずしも学校でその知識について教える必要はないが (もちろん薬物が蔓延している社会においては教えておくに越したことはないが)、 性交渉はほとんどの人が経験することだからである。 そこで性教育に関しては「いつか教えなければならないが、 早すぎても困るし、遅すぎても困る」 という特有の困難が生じることになる。
もちろん、 いつごろ人々が性交渉を始めるかは社会的・文化的な状況によって 異なるので、いつ性教育を行なうかを一般的に決めることはできない。 また、今回の冊子を擁護した人々のように統計データを用いるにしても、 何割の人がやるようになったら性教育を行なうかを決めるさいには先の 「情報の呼び水効果」を考慮に入れなければならないので、 簡単に決めることはできない。批判者は早くから性教育をするから 性交渉の開始が早まるのだ、と主張することもできるからである。 ただし、この情報の呼び水効果が実際にどれくらいあるのかを疑うことも できる。これについては後で議論することにして、先に進むことにする。
次に、性教育をどのようにやるかについて論じる。 先に性教育の目的として(1)性交渉の重要さを教えて軽率な性交渉の数を減らす、 (2)実際に性交渉を行なった場合に、望まない妊娠や性感染症の数を減らすという二つを 挙げたが、以下では(1)の目的、 すなわち性交渉そのものの数を減らそうとすることに力点を置く教育を純潔教育、 (2)の目的、すなわち性交渉そのものではなく、望まない妊娠や性感染症の数 を減らすことに力点を置く教育を性科学教育と呼ぶことに する(9)。 純潔教育の基本的考え方は、 そもそも性交渉の数が減れば望まれない妊娠も性感染症も生じないのだから、 教育によって性交渉の数を減らす努力をしようというものである。 それに対して、性科学教育の基本的考え方は、 現実的に見て性交渉の数が減ることはまずないのだから、 性交渉の数は所与のものとみなし、望まれない妊娠や性感染症の数を減らそうという ものである。 したがって一般的傾向では、 純潔教育は性交渉の精神的な側面に重点を置き、 なるべく性についての詳しい情報を与えないのに対し、 性科学教育は性交渉と精神的な側面とのつながりよりも、 避妊法や性感染症などについての詳しい情報を提供しようとする。
純潔教育と言うと、何を古くさい話をと言われそうだが、 最近の米国ではこのラインでの考え方が優勢になりつつある。 純潔運動(abstinence movement)はもともと保守派のキリスト教グループの 運動として長くあるものだが、 ジョージ・W・ブッシュが大統領になってから、 「セックスしないのが一番のセーフ・セックス(no sex is safe sex)」 という標語のもと、この考え方が米国の福祉政策の基礎になる可能性が出てきた。 彼らは、婚前交渉をしないことは、道徳的な根拠だけではなく、 医学的な根拠からも正当化されると主張しており、 それはつまり、ブッシュ大統領が述べたように、 「禁欲こそが望まない妊娠や性病を防ぐ一番確実で効果的な方法」なのである (10 純潔教育に対する性科学教育の立場からのよくある批判は、 「性交渉の数を減らせると考えるのは現実的ではない」というものであるが (11)、 今回の米国の議論で興味深いのは、 「(婚前交渉をしないという)純潔の誓い(virgin pledge)」によって実際に 平均18ヶ月性交渉を遅らせることができたという研究が コロンビア大学の社会学者の研究によって出されたことである。 純潔教育の立場から言わせれば、 性科学教育の 「セックスの数は減らせないのだからセーフセックスを教えるべきだ」 というリベラルな立場こそ根拠がなく、 セックスの数を教育によって減らせばいいのだから、 そもそもセーフセックスを教える必要はないということになる。 純潔教育にしても念のためにセーフセックスの仕方ぐらい 教えればよさそうなものだと言いたくなるが、 純潔教育を支持する人々は、 純潔教育と性科学教育が両立しないと考える人が多い(12)。 これには、学校での性科学教育に対する不信も一因となっているが、 なにより、性についての情報を教えることによって「情報の呼び水効果」 によってかえってセックスが増えてしまう可能性があるため、 純潔教育はむしろ情報を与えないことによって未成年の安全を守ろうとする からである。こうした純潔教育が成功するとすれば、 性教育は初夜の前夜にすべきものとなる。
このような純潔教育の方針が成功するかどうかは、 教育のあり方や文化・社会的なものに左右されるし、 そもそも婚前交渉が存在しない社会は本当に望ましいのかという問題もある。 また、「情報の呼び水効果」がどの程度もっともらしいのかも議論の余地があ る。純潔教育の視点から見れば、セーフセックスの勧めはセックスの勧めであ るが、実際に性教育によって性交渉の数が増えるかどうかは、 実証的な研究を行なう必要があるだろう(13)。 しかし、もし情報の呼び水効果が 実証されて、性教育と性交渉の数に相関関係があることが示されたとしても、 同時にセーフセックスの実践も増加して望まれない妊娠や性感染症の数が減るならば、 性教育を行なうことは全体的には望ましいこととみなすこともできる。 さらに、純潔教育の方針にしたがって性教育が行なわれた場合で、 (先進国の中でティーンエイジャーの妊娠率が最も高い米国のように) 実際には相当数の人々が性(科学)教育を受けずに婚前交渉をしてしまう場合、 誤情報の問題が出てくる。 教育によって正しい情報を得ない場合でも、 人々は何の情報も得ないわけではない。 むしろ、 友人や雑誌やテレビその他からの「耳学問」 によって情報を得ることは十分に考えられ、 しかもそれが誤ったものである可能性も高い。 適切な性科学教育は正しい情報を提供することによってこのような誤情報を駆逐する 効果がある。
以上をまとめると、性教育には(1)軽率な性交渉を減らすという目的と (2)望まれない妊娠や性感染症を減らすという目的があり、 これらの目的を達成するためには性教育を「いつやるか」、「どのようにやるか」 が重要な問題になるが、性教育が持つとされる「情報の呼び水効果」のために、 この問題を解決することは一筋縄では行かず、(1)と(2)を達成するためには むしろ学校では何も教えない方がいいという立場もありうると論じた。 しかし、最後に述べたように、 この情報の呼び水効果は議論の余地があるものであり、 また、学校で性教育をしない場合は他の情報源から 誤った情報が入ってくる可能性が高い。
本論文では、性教育の詳細については論じず、性教育の立場の対立を分析する ことに努めた。以上の考察からすると、今回の冊子をめぐる論争でなされた 「中学生には行き過ぎだ」とか「高校生の4割が性交渉をしている」という主 張だけでは論争相手を説得するのに十分でないことがわかる。 前者は情報の呼び水効果を重要視し、後者は無視してしまっているが、 その対立が明示的に論じられていないので、水かけ論になってしまっている。 また、前者は誤情報の問題を等閑視してしまっていると考えられる。 したがって、 このような「早すぎる」「遅すぎる」という議論が水かけ論で終わらないため には、 議論の対立の背景にある前提の違いを明らかにし、 さらに、海外の実施例も含めてさまざまな実証的研究をもとに議論を行なう必要があ るだろう。
URLは2002年7月10日に確認した。
本論文を作成するにあたり、 京都大学文学研究科の水谷雅彦助教授、奥田太郎氏、 相澤伸依氏に草稿を読んでいただき、 有益なコメントをいただいた。 ここ謝意を表す次第である。 ただし、本論中に誤りがあるとすれば、 それはすべて筆者の責任である。