こだまの(新)世界 / 文学のお話

ロバート・A・ハインライン『宇宙の孤児』


原題は Robert A. Heinlein, Orphans of the Sky (1963) で、早川の初版は1973年(矢野徹訳)。ただし、この作品がアメリカのSF誌、 アスタウンディング・サイエンス・フィクション誌に発表されたのは1941年である。


内容

ものすごく巨大な恒星間宇宙船に乗って地球を出発する。 宇宙船はすべての乗員が生きていくために必要なものを備えており、 いわゆる「閉じた生態系」を形成しているため、 外部からエネルギーや物資を補給する必要がない。 そして、宇宙船の乗員は何世代かかけてある惑星を目指す。

しかし、航行途中に船内で反乱が起こり、 乗組員の90%が死んでしまい、 残った人々は宇宙船を操縦する知識を完全に失なってしまう。 さらに、時が経つにつれて、彼らは自分たちが宇宙船に乗って 宇宙旅行をしているという事実すら忘れてしまい、 宇宙船の船内が彼らの世界のすべてである、と信じるに至る。 また、放射線のせいで奇形化して生まれてきた人々(ミューティ)は、 正常な人々からは遠ざかり、 宇宙船の中でも重力の小さい区域に棲息するようになる。 彼らは人肉を食べるために正常な人々からは忌み嫌われている。 こうして、宇宙船は暗黒時代たる中世を迎えたのだ。

ヒュウ・ホイランドはそんな時代に「船」に生まれた一人であるが、 彼は、当世の「科学者」の一人として、 近代的・合理的な思考を身につけた人間である。 ヒュウは、船内を偵察中に、頭の二つあるインテリなミューティ、 ジョウ=ジムに捕えられてしまう。 ジョウ=ジムに宇宙船の外に世界が存在することを教えられたヒュウは、 まもなく、この宇宙船の当初の目的である宇宙航行を完遂すべく 奮闘する決心を固める。

けれども、「宇宙船の外にも世界があり、宇宙船は動いている」 というヒュウのコペルニクス的信念は、 頭の堅い「科学者」たちには容易には理解してもらえず、 そのためヒュウは何度も危険に陥いる。 しかし、ジョウ=ジムや小人ボボや機関士ビル・エルツ、 農民でありヒュウの幼なじみであるアラン・マホーニイたちの助けによって、 宇宙旅行の目的地へ辿りつくという彼の目的は達成されるかのように思えたが…


感想

宇宙船の中で、古代-中世-近代という人類の歴史が繰り返されるという設定が おもしろい。 神がいて信仰があり、異端の人々がいて、中世的な思考しかできない人々がいて、 そして「それでも宇宙船は動くのだ」と信じる人々がいる。 読んでいる途中で人類の歴史をなぞっていることに気づくが、 人類の歴史と船内の歴史との対応関係が面白いし、 展開もスリルのあるものなので、 最後まで飽きずに一気に読ませる。

ただ、主人公のヒュウにあまり存在感がなかったのが残念。 むしろジョウ=ジムやボボといった脇役の方が活躍していた感がある。


名セリフ

ヒュウ: いったい何のためなんでしょう、証人さま? なぜわたしたちの上に何階もあるんですか? (19頁)

ネルスン中尉: 実際、なぜなんだろうね? ほかの動く物のすべてにたいして背景となるもの、 それがどうして動けるのだろう? もちろん、その解答も簡単なことだ。 おまえはここでも、日常生活で使うふつうの言葉と、 寓話的な言葉とを混同してしまっているんだ。 もちろん、物理的な意味においては、〈船〉は固体で動き得ない。 どうして、全宇宙が動くなどということがあり得るのかね? だが、精神的な意味においては、船は動くのだ。 すべての正しい行動とともに、われわれは〈ジョーダンの計画〉 の神聖な目的地に近づいてゆくんだよ。 (32頁)

エルツ: はっきり憶えておけよ、小憎……これは、実際的な男がやる実際的な仕事なんだ。 そんな夢みたいな無意味なことは、ぜんぶ忘れるんだ。 〈ジョーダンの計画〉だと! そんな代物は、百姓どもをおとなしくさせておくにはぴったりだ。 だがな、おまえ自身がそんなものにひっかかっちゃだめだよ。 〈計画〉などというものはないんだ……われわれ自身がつくる計画以外にはな。 (35頁)

「おまえたち若い者の困ったことはだな、一つのことをすぐに理解できないと、 それが真実であるはずはないと考えることだ。 おまえたちの年寄りの厄介なことはといえば、 理解できないことは何でも、ほかの意味に解釈しなおして、 それがわかったような気になることだよ。 おまえたちのどちらも、本に書かれているとおりを信じ、 それをもとにして理解しようとしないってことだな。 おまえたちは、あまり賢すぎるんだな……その場で理解できないと、 そんなことはあり得ない……何か、 ほかのことを意味しているに違いないと言うんだ」 (47-48頁)

ヒュウ: あなたがたは、すべての答を知っているということに、 あまりにも確信がありすぎるんだ。 だから、 あなたがた自身の眼で見てくれという当然な願いをも聞いてくれようとしない。 それでも……それでも……〈船〉は動いているんだ! (88頁)

ヒュウ: たぶんそうでしょう。でも……ええ、くそっ! ぼくにはどうしても、真実はだれにたいしても-- いつでも開放されるべきだと思えるんです! (195頁)

ナービイ: きみにそれがわからなかったとは、驚いたね、 はっきりしている事実が、論理と常識に反対しているときは、 その事実を正確に解釈することに失敗しているのだということは明白だ。 自然界においてもっとも明白な事実は、〈船〉自体の現実さだよ、 固く、不変な、完全であるものだ。 それに反するように見えるいわゆる事実なるものは、どんなものであっても、 幻影にきまっているんだ。それがわかっているからこそ、 わたしはあの幻影の背後にある仕掛けを求め、 それを見つけたんだ。 (222頁)

ジョウ=ジム: いいボボ! 強いボボ! (229頁)

04/04/98-04/05/98

B+


Satoshi Kodama
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Last modified: Sun Aug 23 08:32:19 JST 1998