こだまの(新)世界 / 文学のお話

ORSON SCOTT CARD, LOST BOYS


書誌学的情報: Orson Scott Card, Lost Boys, Harper Fiction, 1992.

原語で読んだので、翻訳があるかどうかしらない。また調べておこう。

ところで、この小説は、 SF的なガジェットもなければ、 未来や宇宙を舞台にした物語であるわけでもないので、 あまりSF的とはいえない。 推理小説的なところもあるが、 犯人当ての要素が薄いので、 純粋な推理小説とも言えない気がする。 スプラッタではないが、謎が多く、恐怖も伴なうので、 サイコホラーとか、サスペンスホラーとかいうジャンル (があればそれ)に入るんじゃないかと思う。


内容

ベストセラー作家のオーソン・スコット・カードから、 小さな町での恐怖についての、 読み出したらやめられない物語が生み出された。 ステップ・フレッチャーと、彼の妊娠中の妻ドゥアン、 そして彼らの三人の子どもたちは、 大きな希望を抱いてノースキャロライナ州のステューベンに引越してきた。 しかし、 ソフトウェア会社でのステップの新しい仕事は、 とんでもないものであることがわかり、 また、8才のスティーヴィーの学校はさらに悪いものであった。 スティーヴィーが自分の中に引き籠るようになり、 そして不思議なコンピュータゲームと、 次第に増えてくる想像上の友人に熱を上げるようになるにつれて、 フレッチャー家の心配は恐怖に変わる。 スティーヴィーの存在しないはずの友人の一覧表に一致する名前を持つ 幼い少年たちが、不思議なことにステューベンから消えさっていたのだ。 そして、不幸は最も安心に思っている曲り角から現われるもので、 突然明らかになったのは: 次はスティーヴィーが一覧表に載る番だ。
(裏表紙の宣伝文句を訳出)


感想

この物語は、前半で、 スティーヴィーが想像上の友人を持つようになった経緯と、 フレッチャー家--とくに父のステップ--になんらかの恨みを持つ人々を描写する。 スティーヴィーの両親のステップとドゥアンは、 彼が学校でいじめられたせいで頭が少しおかしくなったと考え、 最終的に精神科医にまで連れていくことになるが、 実は彼だけが真理を見ていたのだ。

そして後半では、 スティーヴィーと同じ年頃の少年ばかりを狙う連続殺人魔が町中のうわさになり、 スティーヴィーの行動に心配し連続殺人魔の影に怯えるフレッチャー家の姿を描く。 後半の怖さは絶品。そして最後は泣ける。

オーソンスコットカード自身がモルモン教徒であるせいか、 フレッチャー家もモルモン教徒という設定である。 物語にも随所にモルモン教の教会の様子やその教えが出てくるが、 どうもこの宗派に特徴的なのは、 ちょうどバトラーの言う「良心」のように、 神が霊感の形で信徒一人一人に正しき行為を示す、 という教義にあるようだ。

そして、まさにこの教義のせいで、 「自分は神に一番近くにいる」とか、 「自分はこうするように神の啓示を受けたのです」 とか頻繁に言う気違いのような信徒が、 フレッチャー家のまわりに数名登場することになる。

また、家族生活、出産、仕事、学校の様子なども詳しく描かれていて興味深い。 特に、 夫婦間での葛藤や子育ての問題や、 会社での倫理問題が意識的に取り上げられているようで、 いろいろ考えさせられる。 この作家は倫理問題が好きなのだろう (特にこの作品では「忠誠loyalty」の問題がよく出てくる)。

書評で述べられているように 「スティーヴン・キングファンと、 彼のサスペンスと超自然的なものが混ざったものが好きな人」におすすめ。


名セリフ

ステップ「彼らは知っておくべきだね、 おれは第一には父親であって、 コンピュータのマニュアル作りの仕事は第八番目なのさ」(p. 23)

ドゥアン「スティーヴィー、おまえの心のなかにある、 なすべき正しいことを知っている部分を信じなさい。 それを信じ、それがおまえに命じることをやるのよ」
スティーヴィー「たとえそれがぼくに、 ママとパパの言うことを聞かないようにって命じたとしてもなの?」 (p. 165)

ステップ「結局のところ、 人間はみな、自分が選んだことに対して責任があるんだ。 スティーヴィーがぼくたちの後ろに隠れて、 『だけどぼくはお父さんとお母さんが言ったことをしたんだ!』 って言うことはできないのさ。 彼は神の審判の法廷に立って、 『これがぼくのしたことです。 そしてこれがそれをした理由です』って言わなきゃならないんだ」 (p. 170)

ジェニー「どうして神さまはわたしたちをこの地球に住まわせてるのかしら?」 「どうして神さまは地球に降りてきて、 わたしたちのなすこと一つ一つを監視し、 わたしたちが決して、絶対に、 一度も不正なことをしないようになさらないのかしら? それはね、もしだれかがそんなことをしたら、 わたしたちは成長することができないからよ。 わたしたちは何にもなれやしないわ。 それじゃ操り人形だわ」(p. 230)


03/12/99-03/28/99

B+


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Apr 11 21:52:27 JST 1999