対話

(たいわ dialogue)

すべての教えを教師と本から得ている人は、 たとえ詰めこみ勉強に甘んじるという、陥りやすい誘惑を免れるとしても、 ある説の両面をきかなければならぬという立場にはいない。 したがって、両面を知るということは、 思想家たちのあいだでさえ、 ごくまれにしか達成されることではない。

---J・S・ミル、『自由論

We normally assume that an ideally conducted discussion among many persons is more likely to arrive at the correct conclusion (by a vote if necessary) that the deliberations of any one of them by himself. Why should this be so? In everyday life the exchange of opinion with others checks our partiality and widens our perspective; we are made to see things from their standpoint and the limits of our vision are brought home to us. [...] The benefits from discussion lie in the fact that even representative legislators are limited in knowledge and the ability to reason. No one of them knows everything the others know, or can make all the same inferences that they can draw in concert. Discussion is a way of combining information and enlarging the range of arguments. At least in the course of time, the effects of common deliberation seem bound to improve matters.

---John Rawls, A Theory of Justice

魂の内において魂が自分を相手に声を出さずに行なう対話(ディアロゴス) --まさにこれがわれわれによって思考(ディアノイア)と呼ばれるようになったのだ。

---プラトン、『ソピステス』

ところで、どうでしょうか、ゴルギアス。いまわたしたちが話し合っているよ うな風に、一方は質問し、他方は答えるというやり方を、これから先もつづけ てもらえるでしょうか。そして、ポロスもやりかけていたような、あのひとり で長い話をすることのほうは、また次の機会まで延ばしていただく、というこ とも……。いや、それはもう約束ずみのことだといってよいですから、その約 束にそむかないで、質問には短く答えることにきめてください。

---ソクラテス


親子のあいだで欠けているものの一つ。 日本の哲学研究においても顕著に欠けている。

プラトンの対話篇の長所の一つは、 読者がテキストを読むさいに、 「そうだそうだ、ソクラテスは正しい」とか 「いや、この議論はどうもカリクレスに分があるんじゃないか」 と批判的に読むことが容易なこと。 しかし、アリストテレス以降、 哲学のテキストは現在のモノローグ(独り言)形式になってしまい、 とくに初学者にとっては、批判的に読むのが困難になった。 読者は、ソクラテスになったつもりで いちいちケチをつけながら読まなければならない。

この説明もケチをつけながら読むべし。

批判、 『自由論』の項も参照せよ。

15/May/2001更新


ソクラテスの方法論として、 対話(問答法)は重要な役割を果たしている。 ソクラテスは自分は何にも知らないと言い、本を書くことはせず、 他の人との議論を通じて哲学を行なった。その際にも、 自分の信念を表明するために演説をぶつのではなく、 相手に質問を行なうことによって彼らの信念に矛盾があることを明らかにし、 彼らが自ら真理に近付くように仕向けた。

02/Oct/2002


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Apr 15 23:42:59 JST 2009