2000年度科学哲学演習レポートその3

June 9, 2000 (Chapter III)

テキストは昨年度に引き続き、 (Lawrence Sklar, Space, Time, and Spacetime, University of California Press, 1974/1977.)

今回のレポートの課題は、 「時空の実体説対関係説の論争は、スクラーによれば、相対論までの物理学 的成果とスクラー自身の分析をふまえてどのように分析され、どのような ところに落ち着くのか。簡潔に説明せよ。2000字以内。」

(評価)


まず、(1)電磁気論、(2)絶対運動に関するマッハの見解、 (3)新ニュートン主義の時空論、(4)特殊相対論、(5)一般相対論のそれぞれが、 時空の実体説対関係説の論争に及ぼした影響を順に説明し、 最後に、(6)スクラー自身によるこの論争の分析を見ることにする。

(1)電磁気論は、真空中の光の速度に、 光の進む向きとは独立な特定の値があることを予言した。 そこで、 光を伝播させるエーテルに対して静止状態にある基準系を見つけることができれば、 実体空間における物体の絶対位置と絶対速度が決まると考えられた。 実際にはこの試みは失敗したが、たとえ成功していたとしても、 エーテルに対する静止系が存在することから 物体の絶対位置と絶対速度の存在を推論するには、 経験的に実証できないいくつかの前提を置く必要がある。

(2)マッハは、 ニュートンが観察可能な事実から観察不可能な事実を不当に導き出していると考え、 ニュートンの思考実験のうちで経験的に実証できないものを無意味だとして退けた。 他方、恒星が慣性系であるという観察事実を用いて、 物体に慣性力が働くのは物体が--実体空間にではなく--恒星に対して 加速度運動しているからだと主張し、空間の関係説を支持した。 だが、このような慣性力の説明では、 重力とも電磁気力とも違う仕方で作用する独特な力が要請されるという難点がある。

(3)新ニュートン理論においては、 同時の事象の位置の総体が実体空間を構成する。 物体が時間を通じて実体空間中の同じ位置にあるかどうかは問えないので、 絶対速度は定義できないが、 物体に作用する慣性力を用いて慣性運動を定義することにより、 経験的に測定可能な絶対加速度を定義できる。 ニュートンの理論に比べると、 実証できない要素がかなり排除されているという意味で洗練された実体説であるが、 各時点における事象の絶対位置を想定している点でなお問題が残る。

(4)特殊相対論が用いるミンコフスキー時空では、 事象の絶対的な空間的隔たりだけでなく、 絶対的な時間的隔たりも定義できない。 そこで(光と光速で動く物体を除いて)物体の絶対速度は定義できない。 慣性系の概念を用いて絶対加速度の概念を定義できるが、 新ニュートン時空とは異なり、 加速度の大きさは(加速度ゼロを除くと)基準系に相対的にしか定義できない。 特殊相対論でも実体的な時空が想定されているため、 時空における事象の絶対位置の概念に対する実証主義的な批判がなされうる。

(5)一般相対論で用いられる時空は四次元擬似リーマン多様体である。 この時空は実体的であるが、 時空内の物体の分布や運動と相互的な影響関係を持つ点で 他の実体的時空と異なる。 重力と慣性力の間に局地的な等価性が成立すると考えたアインシュタインは、 テスト系に生じる慣性力を重力の作用の結果と考えることにより、 マッハの関係説が抱えていた難点(上記)を解決しようとした。 しかし、 「質料エネルギーおよび力の分布と時空構造の関係は 場の方程式によって与えられるが、 時空構造を一義的に決めるには境界条件を定める必要がある」 という制約が主な原因で、一般相対論はいくつかの点でマッハの理論と食い違う。 特に、 質料エネルギーの分布のみでは物体に作用する慣性力が 一義的に決まらないこと、および境界条件をミンコフスキー時空にした場合、 特殊相対論と同様、 慣性力を絶対加速度を用いて説明できてしまうことが問題である。

(6)以上の分析をふまえて、スクラーは時空の実体説対関係説の論争から、 二つの結論を引き出している。

一つは、物体に作用する慣性力と物体の運動の関係を説明するには、 観察事実だけでなく「妥当な科学的推論や説明とは何か」 に関する哲学的考察も必要とされるという結論である。 たとえばニュートンは、絶対運動の理論を確立するに当たり、 現実世界における局地的な観察事実から帰納的一般化を行なうだけでなく、 仮想世界で成立するであろう事柄まで推論している。 こうした「推論の飛躍」が妥当かどうかは、 科学によっては結着できず、 哲学的考察を必要とする。

もう一つは、絶対運動の存在を認める場合でも、 その事実から時空の実体説を支持または拒絶する推論を行なうさいには、 またもや形而上学的原理が必要になるという結論である。 スクラーによれば、 仮にニュートンの言うとおり絶対運動が存在するとしても、 必ずしも実体空間の存在を認める必要はない。 なぜなら、 「〜は加速している」という表現は二項述語ではないと考え、 絶対加速度運動とは、 ある物体が他のいかなる物体(実体空間も含む) とも独立に運動していることと理解するならば、 実体空間を仮定する必要がないからである。 ニュートンもマッハも 「慣性力は、その力を受けている物体の(なんらかの物体に相対的な) 加速度運動によって説明されなければならない」 という実証不可能な原理を等しく受けいれているが、 この原理の妥当性は、 科学的ではなく哲学的議論によって決まる性質のものである。


先生の評価

重要な概念、区別の理解がずれているため、 全体がガタついているとのことです。75点。 修行が足りません。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jun 16 15:09:25 2000