スクラー: 各段落ごとのまとめ
Lawrence Sklar, Space, Time, and Spacetime,
University of California Press, 1974.
文学部科学哲学科学史教授の内井先生のウェブサイトを参照のこと。
第一章 導入
- 時間と空間の性質については、哲学が始まって以来関心が持たれている。
しかし、17世紀の科学革命以降の科学の数学的・物理学的進歩によって、
時間と空間の性質はもはや自明のものとは見なされなくなり、
大きな論争の的となった。
- 空間と時間の哲学は、
ときに現代の数学と物理学の知見を抜きに「哲学的に」
語られることもあるが、
本書ではあくまで科学と結びつけて考察する。
- 実際、本書の主な目的は、
科学と哲学が相互依存していることを示すことにある。
- 本書では、大きく分けて4つの問題を扱う。
- 第2章では、幾何学の認識論の問題、
すなわち、
「この世界にあてはまるのはどの幾何学か、
われわれはいかにして知ることができるのか」
という問題を扱う。
- 第3章では、時間と空間は実在物なのか、
それとも実在物と実在物の間に成立する関係なのか、
を検討する。
- 第4章では、時間と因果関係のつながりについて検討する。
- 第5章では、時間の方向の問題を扱う。
- 本書は、
専門家にも科学や哲学を専攻する学部生にも
興味深く読めるように作ったつもりである。
- 本書は、科学的記述の部分と哲学的分析の部分に分かれる。
科学的記述のところは、
科学を詳しく知らない哲学者たちにも理解できるように、
なるべく概説的な説明でとどめてある。
- 哲学的分析の部分も、
深入りしすぎて混乱しないように、
やはり簡潔にまとめてある。
- 本書では、ある理論を検討するさい、
特定の論者によるその理論の一ヴァージョンを検討するのではなく、
類型化され一般化された形で検討している。
その方がめんどくさくないからである。
- 各章末には、注釈つきの短かい文献一覧がある。
- アスタリスクが付いていない文献はこの本と同程度の知識で読めるものである。
アスタリスクが一つ付いているのは、
より高度な数学と物理学の知識が要求されるものである。
アスタリスクが二つ付いているのは、
かなり専門的な知識がないと読めないものである。
第二章 幾何学の認識論
セクションA 序文
- ある理論が世界の正しい記述であることは、
どのようにして保証されるだろうか。
その理論を裏づけるような何か証拠が必要なのだろうか。
あるいは、その理論は「自己正当化的」なものなのだろうか。
こうした問いが、理論に関する認識論的な問いである。
- 認識論的な問いは、「当の理論が対象としているものは何なのか」
といった形而上学的(存在論的)な問いや、
「当の理論に用いられている言葉の用語の意味は何か」
といった意味論的な問いと分かちがたく結びついているが、
導入としては、認識論的問いから入るのが都合がよい。
- 理論一般の認識論的な根拠を研究する上で、
幾何学の認識論的な根拠に関する思想の歴史的な推移を研究することは、
非常に有益である。
- 認識論的な観点から幾何学を検討するに当たり、
次のように順序立てて議論する。
まず、数学および物理学理論としての幾何学の歴史的発展を概略する。
次に、幾何学に関する信念の正当化に関して、
いくつかの伝統的な見解を論じる。
三番目に、時間と空間の性質についての考え方の基本的な変化を述べる。
これは、一般相対性理論を論じるための枠組として必要である。
第四に、一般相対性理論の基本的特徴を、
本章と関わりがある範囲内で論じる。
- 最後に、ここまでの道具立てを用いて、
幾何学の認識論的地位に関する最近の議論を検討する。
この議論はポアンカレの規約説に端を発するものであるから、
彼の規約説とその批判を検討する。
- そして、規約説の批判者が、
重要な認識論的な問題を把握しそこねていることを示す。
- 次に、規約説に関するわたしなりの理解を提示し、
幾何学の規約性についての議論が物理学の理論一般の認識論的な地位
を考察するさいの最適な例になると論じる。
そして、理論にまつわる哲学的な問題を解決しようとするこれまでの試みが、
どれも長所と短所を持っていることを示す。
- 最後に二つ弁解と言い訳をする。
一つは、本章で議論される内容はどれも表層的だ、ということである。
数学も物理学も科学史も哲学的分析も、すべての表層的である。
- しかし、本章で問題にしたい議論は、上で述べた分野のすべてに関して、
広く浅い知識が前提として必要だからしかたがないのである。
- もう一つは、結論があいまいだということである。
本章の終わりでは、
幾何学の認識論的な地位についてのわたし独自の見解は述べられずに、
この問題に関する研究者たちの回答はいずれも不十分であることが
述べられるだけである。
- しかし、わたしがこの章で述べたかったのは、
幾何学の認識論的な地位の研究が、より一般的な、
形而上学や認識論における哲学的問題と関連するということなのだから、
上の問題に関して最終的な答が出ていないからといって怒らないでほしい。
セクションB 幾何学の歴史の概略
1. ユークリッド幾何学の発展
- 幾何学の始まりはよくわからんが、たぶんエジプトで発祥したのであろう。
ギリシア哲学の黄金期には、すでに体系立った幾何学的知識があった。
ギリシア人数学者たちによって、
平面図形の合同、図形の面積、正多面体の理論、
角を等しい部分に分ける方法など、
いろいろな問題が扱われたが、
その中でも、特に体系立った知識が揃っていたのは、
直線によって区切られた平面図形の研究であった。
たとえば、三角形の内角の和は二直角に等しいとか、
直角三角形の斜辺の長さの二乗は、
他の二辺の長さの二乗の和に等しいとか。
もちろん、ユークリッド幾何学の大半も、
この平面幾何学に関するものである。
- われわれの持つ幾何学の仮定に対する信念は
どうやって正当化されるのかという問題は、
ギリシア人たちは暗黙のうちに、あるいははっきりと、意識していた。
そこでなされている想定は、
「幾何学的命題の真理は、
その命題が、
より直接的に真であると考えられる命題から、
演繹されうる場合にだけ、
合理的に信じることができる」というものである。
- 平面幾何学についてのユークリッドの体系の構造は、
よく知られている通り、まずその基礎に定義、公理axioms、
公準postulatesがある。
定義について言えば、「直線とは、長さがあるが幅のない要素である」
などという情報はその後の論証に役立つわけではない。
- 公理と公準は、命題の形で述べられており、
端的に真であるものとして主張されている。
そして、これらの公理と公準から、他の幾何学的真理が、
純粋に論理的な推論のみを用いて導出される。
これらの公理と公準から演繹しうるということが、
それら以外の幾何学的真理を合理的に信じる根拠となる。
- 公理と公準がどのような基準によって区別されるのかは、
あまり明確ではないが、
公理は「幾何学だけに限定されず、
他の(数学的)分野にもあてはまる真理」であり、
公準は「特に幾何学的な事柄に関する真理」
であるということができる。
以下に公理と公準を記す。
公理
- 同じものに相等しいものは、
また、互いに相等しい。
- 相等しいものに相等しいものを加えると、
結果もまた相等しい。
- 相等しいものから相等しいものを引けば、
結果もまた相等しい。
- 互いに重なり合うものは、相等しい。
- 全体は部分より大きい。
公準
- 任意の点と、これと異なる他の任意の点とを結ぶ直線は、
一つ、そしてただ一つひくことができる。
- 任意の線分は、これを両方へ望むだけ延長することができる。
- 任意の点を中心として、
任意の半径で円をかくことができる。
- 直角はすべて相等しい。
- 一直線が二直線に交わるとき、
もしその同じ側にある内角を加えたものが二直角より小さかったならば、
二直線はこの方向へ延長してゆけば、かならず交わる。
(以上、矢野健太郎、『数学の考え方』、
講談社現代新書、1964年、126-7頁を参照した)
- 公準5は特に重要なので、
「平行線の公理」として知られる、
公準5と論理的に同値な命題を記しておく。
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本、そしてただ一本ひける」
(同書、128頁を参照した)
- たったこれだけの基礎から、
ギリシア人数学者たちの偉大な発見、
たとえば三角形の内角の和や、ピタゴラスの定理が、
論理だけを用いて演繹することができるのである。
- しかし、ほんとはそうではない。
公理と公準は十分ではなく、
ユークリッドはさまざまな定理を導出するさいに、
暗黙の前提をおいている。
たとえば、彼は、
「円の中心を通る直線は円とちょうど二度交わる」
ということを前提しているが、
これは上の公理と公準からは導き出せないのである。
しかし、公理の完全性については、
ヒルベルトの議論を説明するところ(II, B, 3)で話す。
- しかし、ユークリッドの公理化が完全で、
彼が示している定理がすべて公理と公準から導出可能だったとしても、
彼の体系は、すべての幾何学的知識を包括するものではない。
たとえば、微積分に基づく幾何学的真理や、
曲面に描かれた図形についての真理は、
ユークリッド幾何学の範疇の外にある。
- ま、それにしても、やはりユークリッドの理論は驚くべきものである。
いくつか問題があるにせよ、
ほんの少しの基礎からいかに多くのさまざまな定理が演繹されるかを考えると、
それは驚くべきことであるし、
また、公理と公準の簡潔さと明白さはさらに驚くべきことである。
とはいえ、その明白さには程度の違いがあり、
特に第五公準(平行線の公理)の複雑さこそが、
幾何学の発展に影響をもたらしたと言える。
- 「定理が信じるに値いするかどうかは、
それが基礎的な命題から導出されうるかどうかによる」。
しかし、こう言われると、
頭の良い人なら直ちに次の二つの問いを発するであろう。
- なんで基礎的な命題が真であると信じんとあかんの?
- 基礎的な命題から定理が導出されるとき、
なんで真理が「保たれる」って信じんとあかんの?
第二の問いは、演繹的論理の法則の認識論的な地位の問題であるが、
これは論じない。第一の問いは、もうすぐ(II, E)論じるが、
とりあえず幾何学の歴史的概略の話を続ける。
- ここで論点を整理しておこう。
- ユークリッドによる幾何学の体系化は、
膨大な幾何学的真理の理論的体系化になっている。
- ユークリッド幾何学は、
ギリシア人やそれ以降の学者たちに、
完全さと「完璧な」真理を主張できる科学の
唯一の例を与えている。
- ユークリッド幾何学は、
極度に単純で「明白な」真理を有するいくつかの命題と、
それらの基礎的な真理から論理のみを用いて導出されうる
真理によって構成されている。
- というわけで、幾何学は、哲学者たちに、
哲学的分析の典型的な問題と、
科学的理論がどうあるべきかについての典型的な例を
与えてくれているのである。
2. 非ユークリッド幾何学の出現
お
- ユークリッドの『原論』と非ユークリッド幾何学の展開までの間に、
幾何学にはなんらの進歩もなかったのかというと、
そういうわけではない。
特に、デカルトの解析幾何学や、
ニュートンやライプニッツによる微積分の研究は、
ユークリッドの体系に収まりきらない方法や問題を提出した。
しかし、これらの成果は、ユークリッド幾何学の延長とみなされ、
ユークリッド幾何学の地位を脅かすものとは考えられなかった。
初めてユークリッド幾何学の認識論的基盤の再考を迫ったのは、
やはり、非ユークリッド幾何学である。
- 非ユークリッドへの動きを推進したのは、
第5公準の特異さであり、第5公準は、他の公理や公準に比べて、
「自明性」を欠いているように思われた。
しかし、幾何学の命題が真理であるかどうかは、
公理や公準の自明性に大きく依存しているので、
これでは困ったことになる。
そこで、この問題を解決するために、
人々は、第5公準が実は基礎ではなく、
それ以外の公理や公準から導きだせる定理であることを示そうとした。
- こうした試みの中で最も興味深いのは、
ジローラモ・サッケーリが『ユークリッドのすべての汚点を除去す』
において行なっているものである。
上で述べたように、第5公準は、
平行線の公理「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本、そしてただ一本ひける」と同値であるから、
第5公準が他の公理や公準から演繹できることを示すためには、
背理法を用いて、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」という仮定と、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」という仮定が、
他の公理や公準と整合的に主張しえないことを示せばいいのである。
- サッケーリは、(実際にはこの平行線の公理を用いたわけではないが)
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」というのが、自己矛盾に陥いることを示した。
その際、彼は、
第2公準が
(1)「任意の直線は無限に延長しうる」
ということを主張していると解釈したが、
実は第2公準に関しては、
(2)「そうした延長には端点(終点)がない」という解釈も可能であり、
この解釈の違いがどういう含意を持つのかはあとで論じる。
とにかく、第2公準の(1)の解釈を用いるならば、
第5公準の内容の一部である「かくかくしかじかの平行線は一本以上ある」
という主張(残りの主張は「そして一本しかない」)は、
残りの公理と公準から示すことができる。
- しかし、サッケーリは、残りの半分の論証、
すなわち「かくかくしかじかの平行線は二本以上はない(一本しかない)」
ということを示せなかった。
これは言い換えると、
第5公準の代わりに、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」という公準を用いたとしても、
他の公理や公準とは論理的な矛盾は生み出されないということである。
また、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」という仮定についても、
もし第2公準に関してさきほど(2)「直線には端点(終点)がない」
の解釈をとるのであれば、これまた論理的な矛盾は生じないのである。
- そこで、「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」
という公準を多-平行線公理Many-Parallel Postulate
と呼ぶことにする。
これと第5公準を除いた他の公理公準から生じる無矛盾な幾何学は、
ガウスやシュヴァイカルトやボーヤイやロバチェフスキーらがそれぞれ
独立に(しかもほぼ同時期に)展開したのだが、
これをロバチェフスキー幾何学と呼ぼう。
他方、無-平行線公理
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」と、
第5公準を除いた他の公理公準--その際、第2公準については、
(2)「直線には端点(終点)がない」の解釈を採用する--
から生じる無矛盾な幾何学は、
ゲオルグ・リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann)
によって展開されたので、リーマン幾何学と呼ぶことにする。
- これらの二つの幾何学の定理に関して、ここでは深入りするつもりはないが、
重要な結果だけは知っておくべきであろう。
- ロバチェフスキー幾何学においては、
- 一点Pを通って、
この点を通らない直線aに平行な直線は、無限に引ける。
- 三角形の内角の和は二直角より小さい。
- 円周は2πより大きい。
- 異なる面積の相似図形は存在しない。
- 直線は、ユークリッド幾何学におけるのと同様、
無限に延長可能である。
- 他方、リーマン幾何学においては、
- 一点Pを通って、
この点を通らない直線aに平行な直線は、一本も引けない。
- 三角形の内角の和は二直角より大きい。
- 円周は2πより小さい。
- 異なる面積の相似図形は存在しない。
- 直線はすべて、十分に延長されたとき、
同じ有限の長さになる。
- ところで、上で、無矛盾なロバチェフスキー幾何学とか、
無矛盾なリーマン幾何学とか述べたが、
いったいこれらの幾何学が無矛盾であることは
どのようにして知ることができるのだろうか。
ただ「これまでに矛盾を見出せなかった」
だけでは無矛盾である保証にはならない。
- ある理論の無矛盾性を示すにはいくつか方法がある。
その一つは「力わざ」を用いる方法で、
これは理論そのものを研究対象にして、
その論理的形式を「メタ言語」の視点から検討し、
その理論の基礎命題の論理的形式が論理矛盾を引き起こすものではないことを
直接的に論証してしまう、というやり方である。
(→証明論的な方法と呼ばれるらしい。
幾何学に関しては、リーマンがこれをやっているそうだ)
- 別の方法は、相対的な無矛盾性証明を与えることである。
これは、ある理論の無矛盾性を示すために、
当の理論とは別個のある理論の無矛盾性を前提するものであるので、
その証明の確実性に関しては、
その別個の理論に対する信頼以上のものは得ることはできない。
以下では、この略式の証明法によって、
ユークリッド幾何学が無矛盾である(想定されている)ことを用いて、
ロバチェフスキー幾何学とリーマン幾何学の無矛盾性を証明する。
- ただし、ここでは(1)三次元ではなく、
二次元の非ユークリッド幾何学を取り扱い、
また、(2)これらの幾何学が「真」であるかどうかではなく、
「無矛盾consistency」であるかどうか、を考える。
ある理論が無矛盾かどうかは、その理論の論理的形式のみに関わり、
実質的な内容とは関係しない。
ある理論が無矛盾であるとは、
当の理論から論理によって矛盾する事柄が演繹できないことである。
- ある非ユークリッド幾何学の、
ユークリッド幾何学に相対的な無矛盾性の証明は、
以下の手続きで行なう。
この証明法を、非ユークリッドの基礎前提に対して
ユークリッドのモデルを見つける方法、と呼ぶ。
- 無矛盾性を証明したい非ユークリッド幾何学に関して、
その基礎命題群の論理的形式を抽象する。
- その基礎命題群と同一の論理的形式を持つ
一群の定理を、
ユークリッド幾何学において見つけだす。
(内容は同一である必要はない点に注意せよ)
- 二次元リーマン幾何学に関しては、
非常に美しいユークリッドのモデルがある。
すなわち、三次元ユークリッド幾何学における球面を、
リーマン幾何学における平面に「見立てる」のである。
- 球面に描かれる大円(=球心を通る面で切った円)
→リーマン幾何学における直線
- 球面上の点→リーマン平面上の点
- 球面状の点と点の距離→リーマン平面上の距離
- こうすると、リーマン二次元幾何学の基礎命題群は、
ユークリッド球面幾何学の真の命題に置き換えることができる。
これについての証明はしないが、たとえば、
次のような事実が示される。
- すべての大円は一組の対蹠点(球において正反対の地点)で二度交わるので、
無-平行線公理が成り立つ。
- すべての大円は限りがないが、同一の有限の長さであり、
これはリーマン平面における直線の定義(上述の5.)に適っている。
- また、上述の2., 3., 4.も同様に示すことができる。
- 興味深いことに、このモデルにおいては、
ユークリッドの第一公準
(「任意の点と、これと異なる他の任意の点とを結ぶ直線は、
一つ、そしてただ一つひくことができる」)は、
対蹠点においては成り立たず、
一組の対蹠点においては二点を結ぶ直線は無限に引けてしまう。
- また、このモデルは「等測isometric」なモデルである。
すなわち、リーマン平面における二点間の距離は、
ユークリッド球面のそれに対応する二点の間の距離に写像される。
このモデルは直観的にも明快だし、数学的に正確でもある。
しかし、ロバチェフスキー幾何学に関しては、
これほどうまいユークリッドモデルを見つけることはできない。
実際のところ、
三次元ユークリッド空間におけるロバチェフスキー二次元幾何学の
等測モデルでしかも特異点を持たないようなものは存在しないことが示されうる。
しかし、等測でないモデルならば、すばらしいやつがある。
- それは、ユークリッド平面上の有限な円形の領域を、
ロバチェフスキー平面に見立てたものである。
このモデルによってロバチェフスキー二次元幾何学の
ユークリッド幾何学に相対的な無矛盾性が示されうる。
- 境界を持った円の内部の点
→ロバチェフスキー平面の点
- 円の弧→ロバチェフスキー平面の直線
- 二点間の距離および角は、特別な数式を用いて測定する
- ここでも、無矛盾性の証明はせずにいくつかの帰結だけを述べるにとどめる。
- ある弧の外にある点を通り、その弧に交わらない弧は、
無限に引きうるので、多-平行線公理が成り立つ。
- すべての直線は無限の長さを持つ
- というわけで、ロバチェフスキーおよびリーマン二次元幾何学は、
ユークリッド幾何学と同程度に無矛盾である。
三次元に関する相対的な無矛盾性も、
ほとんど同様の仕方で示すことができる。
3. 公理幾何学に関するヒルベルトの研究
- 1898-9年に、ヒルベルト(David Hilbert, 1862-1943)が
幾何学の公理的方法に関する優れた扱い方を提示した。
- ヒルベルトは、ユークリッド幾何学の公理で、
(1)定理を導出する際に「隠れた」前提を必要としないという意味で完全であり、
(2)しかもそれぞれの公理が互いに独立であるようなもの、
を探し求めた。
言い替えると、彼が求めたのは、
ユークリッド幾何学のすべての定理が
基礎命題群から論理的に演繹され、
しかも基礎命題群のうちの一つを削除してしまうと、
残りの命題群からは当の命題を導出することができない、
というものであった。
- ヒルベルトの公理は5つの組に分かれる。
それぞれの組のいくつかの例を挙げると----
- 連結の公理 (公理七つ)
- 異なる二点AとBは、
ある直線aを常に完全に決定する。
これをAB=aと書くことにする。
- 任意の異なる二点は、
その二点を通る直線を決定する。
すなわち、もしAB=aかつBC=aならば、
AC=aである。
- 順序の公理 (公理五つ)
- もしA, B, Cが直線上の点で、
しかもBがAとCのあいだにあるならば、
BはCとAとのあいだにある。
- もしAとCが直線上の二点であるならば、
AとCとの間には少なくとも一点Bが直線上に存在し、
かつ、CがAとDの間になるような点Dが少なくとも一点、
直線上に存在する。
- 平行線の公理 (公理一つ)
- ある平面において、
一点を通って、この点を通らない直線に平行な直線は、
一本、そしてただ一本ひける
- 合同の公理 (公理六つ)
- もしAとBがある直線上の点であり、
A'が任意の直線a'上の点であるならば、
a'上のA'の任意の側に、
線分A'B'が線分ABと合同となるような点B'が一つだけ存在する。
- 連続性の公理、ないしアルキメデスの公理 (公理一つ)
- A1をAとBという指定された点のあいだにある、
直線上の任意の一点とする。
A1がAとA2のあいだにあり、A2がA1とA3のあいだにあり、…、
というように点A2, A3, A4を直線上にとる。
AA1,A1A2、…、を合同とする。
その場合、BがAとAnのあいだになるような、Anが存在する。
- これらの公理のうち、
いくつかはユークリッドの述べた公理を洗練させたものであり、
たとえば公理5.のように、いくつかは、
体系の完全さのために必要なので追加されたものである。
「定義」が存在していない点に注目せよ。
基礎的な語句(点、線、平面、〜のあいだ、〜と合同、など)は、
理論における原初的な要素なので、定義されるものではないのである。
- この新たな公理体系によって、ヒルベルトは、
ある定理を証明するためにどの公理が必要であるかを明確に示すことができた。
また、一つの公理を外し、他の公理はそのままにし、
さらにその外した公理の否定を残りの公理に加えて、
新たな公理系にモデルを見つけることで、
彼はそれぞれの公理の独立性を順に示した。
- また、ヒルベルトの定式化は、
非ユークリッド幾何学を特定するさいに、
平行線の公理の変化がどの程度影響を持つのかをより明らかにした。
たしかに、もし他の公理をそのままにしておくならば、
平行線の公理がユークリッド幾何学を、
無-平行線の公理がリーマン幾何学を、
多-平行線の公理がロバチェフスキー幾何学を、
それぞれ一義的に特徴づける。
しかし彼はまた、次のことも示した。
- アルキメデスの公理を外したとしても、
ユークリッドの平行線の公理により、
三角形の内角の和は二直角になる。
- アルキメデスの公理を外したとしても、
無-平行線の公理により、
三角形の内角の和は二直角より大きくなるという
リーマン幾何学の通常の結果が生じる
- しかし、アルキメデスの公理を外した場合、
多-平行線の公理と両立する幾何学がいくつか生じる。
- 三角形の内角の和が二直角より小さいもの
(ロバチェフスキー幾何学)
- 三角形の内角の和が二直角より大きいもの
(ルジャンドル幾何学)
- 三角形の内角の和が二直角に等しいもの
(準ユークリッド幾何学)
こうしたことが示しているのは、標準的な重要な定理を証明するさいの
さまざまな公理の相互依存性は、思っていたより精妙であるということである。
それゆえ、さまざまな幾何学が生じるのは、
平行線の公理をいじくることだけに依存すると考えるのは浅はかである。
ガウスの曲面論
- デカルトの「解析」幾何学とライプニッツやニュートンらの微積分法を
利用することにより、
K・F・ガウス(1777-1855)
は幾何学の一般曲面論を作り上げた。
これはユークリッド、非ユークリッド二次元公理幾何学を
はるかに超えるすぐれた理論であった。
以下では、読者に初等的な微積分学とデカルト幾何学の知識があると
前提して話をすすめるが、まず解析幾何学の基本的概念の説明から
始めよう。
- 一般的にいうと、解析幾何学の方法論とは次のようなものである。
- 空間を基本的存在物である点のあつまりと考える。
- 点の集合は「構造」を持ち、ある幾何学を形成している
- この点の集合と、別の存在物の集合
--たとえば順序のあるn個の要素からなる実数の集合--
を関連づける。そしてこの「写像」によって、
その幾何学によって記述される空間の構造的特徴を、
別の存在物の集合において成り立つ関係
--たとえば実数同士の関数的関係--から生まれる
構造的特徴と関連づける。
- すると、この新しく関連づけられた体系の構造を研究することによって、
幾何学を勉強することができるようになる。
- 今の話を具体的にするために、ユークリッド平面について考えてみる。
平面上の各点を一対の実数と関連づけるために、
デカルト流の方法だと次のような手続きを踏む。
- 平面に二つの直交する直線を引く。
- ある点と、この二直線のそれぞれとのあいだの距離を測定する。
- 各点と、測定によって得られる(順序付けられた)一対の実数を関連づける。
- そこで、ユークリッド平面上の直線について考える場合、
われわれは点の集合である直線を直接に考察するのではなく、
順序のある一対の実数によってなる集合を考察すればよい。
この一対の実数のそれぞれは、
二つ目の数字(y)が一つ目の数字(x)の一次関数になっているという特徴を
持つ。
平面上の直線はすべて、写像により、
ある一次方程式に一義的に関連づけられるので、
幾何学の研究に、方程式の理論をすべて持ち込むことができることになる。
同様に、幾何学の問題を解くために、
実解析real analysisの知識を用いることができるようになる。
- 座標を用いるデカルトの方法は、ユークリッド平面に関しては
すばらしい方法となるが、
この解析幾何学の方法を曲面に関して用いることはできるだろうか?
これがガウスが取り組んだ問題である。
- ユークリッドの三次元空間の中にある任意の曲面について考えることにしよう。
この曲面を特徴づけるには、三つのデカルト座標軸を取り、
曲面上の各点を三つ一組の数と関連づけ、
各組において成り立つ関数的関係を考察すればよいと言える。
しかし、曲面というものも二次元の面なのだから、
デカルトの座標軸を曲面上に乗せることによって
二つの数字で各点の座標を特定することはできないだろうか?
- ガウスによれば、次のような手続きを踏めばよい。
- 曲面上の各点がそれぞれの曲面族のただ一つの曲線にしか属さないような、
曲面を「覆う」二つの曲線族(曲線の集合のこと)を選びだす。
- 実数を用いて曲線に番号を付ける。
その際、番号づけは「単調なmonotonic」なものにする。
すなわち、曲線Aが曲線Bと曲線Cの間にあるのなら、
曲線Aに付けられる番号は、
曲線Bと曲線Cのおのおのに付けられる番号の間にあるようにする。
- 二つの曲線族のそれぞれに付けられた番号を用いて、
曲面上の各点に、順序のある一対の数を割り当てる。
- この対応づけによって、
曲面上の図形は一対の実数からなる集合に関連づけられることになるが、
そもそもの対応づけが非常に恣意的なものなので、
デカルトの解析幾何学における曲線と方程式との関連づけのようには
うまく行かない。どうすればいいのだろうか。
- そこで、三次元空間内の曲面を特徴づけるという問題はいったん置いておいて、
より簡単な二つの問題を考察することにする。
- 平面上の一般的な曲線を特徴づける
- 三次元空間内の一般的な曲線を特徴づける
- 問題1.について。デカルト座標系を用いれば、
平面上の曲線は容易に特徴づけることができる。
- しかし、それとは別の以下のような手法があって、
これだと特定の座標系に依存しない特徴づけができる。
- まず、曲線上の任意の一点を選ぶ。
- 次に、その点を(s, k)という順序を持った一対の数によって特徴づける。
この場合、sは曲線のある端点からその点までの距離(=弧長)
であり、kはその点における曲線の曲率
である。曲率は以下のようにして決める。
曲線の任意の点において、
その点における曲線に最も近似するような円が一義的に決まる;
この円は特定の長さの半径rを有する;
その場合、kは半径rの逆数(1/r)である。
ただし、(1)曲線は各点において「滑らか」であるという想定を置く。
また、(2)kの幾何学的定義は、
同様に適切な「解析的」定義と置きかえることができる。
そこで、こうして得られた一対の数の集合は、
デカルト座標系の場合と同様に、曲線の写像となる。
- こうして得られた一対の数(s, k)の集合は、
曲線を一義的に特定する(一対一対応になる)。
ただし、曲線の形を変えることなく縦横に移動させたり、
回転させたりしたような図形も、すべてそこに含まれる。
さらに、この特徴づけは曲線と長さの単位にだけ依存し、
特定の座標軸に依存しないので、
これを不変の特徴づけと呼ぶことにする。
- 問題2.について。三次元空間における任意の曲線に関して、
不変の特徴づけを行なうためには、
弧長s、曲率kに加えて、ねじれtorsiontを加えればよい。
(torsionの説明については、数学事典を参照するか、
内井先生
のウェブサイトを参照のこと)
- 三次元空間内の任意の曲面を特徴づけるというやっかいな問題を考えるまえに、
上で(1) 平面上の一般的な曲線を特徴づけるという問題と
(2) 三次元空間内の一般的な曲線を特徴づけるという問題を考察したわけだが、
元に戻って曲面の特徴付けの問題に取り組む。
ガウスは次のような手順でこの問題をあざやかに解く。
- 曲面上に任意の座標をとったのちに、
座標上の各点にその座標の関数であるような数字を
割りあてる関数式をいくつか見つけることができる。
こうした関数式は、選ばれた座標づけに相対的であるが、
曲面の重要な幾何学的特徴をすべて述べている。
[わかりにくい説明だが、以下に例が出てくる]
- これらの関数から不変的なスカラー量を
得ることができる。
「不変的なスカラー量」とは、
曲面上の各点に与えられる数字で、
曲面の重要な幾何学的特徴を述べており、
しかも特定の座標づけに依存しないようなものである。
- このスカラー量を研究することによって
曲面の曲がり方を調べることができる。
- 関数が曲面上の各点に与える値は、座標の取り方に依存するので、
まず、そのような座標づけが行なわれたと想定する。
ここでもまた、曲面が「なめらか」であることを想定することにする。
すなわち、「なめらかさ」を幾何学的に説明すれば、
曲面上の任意の点において、その点に対する接平面が存在する、
ということである。
- ガウスの問いはこうである。
「今、曲面S上に二点PとQがあり、
そして曲面に沿ってPとQを結ぶ曲線Cがある。
すると、曲面に「内的で」しかも任意の座標づけ(u1, u2)を用いて、
曲線C上のPからQまでの距離を特徴づけるにはどのようにすればよいか」。
この問題は次のようにすれば容易に解ける。
まず、問題の曲面を含むような三次元空間に任意のデカルト座標をとる。
そして曲面上の曲線の各点をこのデカルト座標を用いて数値化し、
微積計算を行なうことにより曲線の長さを割出す。
ところで、曲線上の各点はデカルト座標によって一義的に数値化されている
と同時に、内的な座標(u1, u2)によっても一義的に数値化されているので、
この二つの数値を対応づけ、デカルト座標によって与えられる数値を
内的な座標の関数とみなすことができる。
微積計算を用いてこのような関数を見つけることができれば、
内的な座標づけによって曲線の長さを特徴づけたことになる。
- ガウスが偉かったのは、特定の内的座標づけに対して、
曲面S上の任意の有限な曲線の長さを計算するのを可能にするような
単一の関数(g-関数)を見つけたことである。
曲面上の曲線の距離を割出すことができるこのg-関数は、
Sに対する第一基本形と呼ばれる
[計算式は複雑なので割愛]。
- 曲面S上の内的座標によって、各点Pに3つの数値が与えられるが、
第一基本形は各点の3つの数値の関数になっている。
そこで、任意の内的な座標づけに対応するg-関数の値と、
曲面S上の点Pと点Qを結ぶ曲線Cの各点の内的な座標の数値がわかっているなら、
曲線C上のPとQの間の距離を割出すことができる。
- 第二基本形は、
曲面S上の各点の内的な座標の数値を用いるもう一つの関数であり、
次のように定義される。
- 曲面S上の曲線Cを、曲線上の点Pから眺める
- 一般に点Pには曲線Cの曲率ベクトルkが存在し、
- 一般に曲率ベクトルkは曲面Sには含まれず、
三次元空間の方向を向いており、
- 曲率ベクトルkの長さは点Pにおける曲線Cの曲率に等しく、
- 曲率ベクトルkは、
点Pにおいて曲線Cにもっとも近似する円の中心の方向を指す
- 点Pにおいて曲面Sにもっとも近似する平面が存在し、
点Pにおける曲面Sの接平面と呼ばれる
- 点Pにおける接平面に垂直な直線が存在し、
点Pにおける曲面Sに対する法線(垂線 normal)
と呼ばれる
曲面Sに対する法線にそったベクトルkの成分を、
点Pにおける曲線Cの法線曲率 (相対曲率normal curvature)
と呼ぶ。法線曲率の大きさは曲率ベクトルの大きさに依存し、
曲率ベクトルの大きさは曲面S上の曲線Cのあり方に依存する。
- 曲率ベクトルkが曲面Sに対する法線方向と接平面方向にどのように
「分解」されるかは、
曲面Sそのものの特徴であり、
曲面Sの第二基本形(L-関数)によって記述される。
(しかし、まもなくL-関数が他にも重要な役割をはたすことが述べられる)
- 内的座標を用いた三つめの(そして最後の)重要な関数は、
次のようなものである。
曲面S内にある曲線C上の点Pと、その曲率ベクトルkについてもう一度考える。
上で曲率ベクトルkを法線方向と接平面方向に分解したが、
後者の接平面方向のベクトルを、
点Pにおける曲面S上の曲線u1(一定)とu2(一定)
[ずっと前にはuとvと述べられていた座標軸のこと]
のそれぞれに対する接線方向にさらに分解する。
この分解の仕方もやはり点Pにおける曲面Sの性質によって決定され、
この分解は接続関数ないしアフィン関数(近接関数 affinity function)
と呼ばれる(γ-関数)。
g-関数やL-関数と同様、γ-関数も曲面Sの不変的な特徴付けを
与えるわけではないが、以下で見るように曲面Sの重要な特徴を述べる。
- ある空間に不変のスカラー量の特徴づけが存在することは、
以下のようにして容易に示される。
- 曲面S上に点Pをとる
- 曲面Sは、点Pにおいて曲面Sに接するいくつかの円によって
最も近似される
- 点Pにおいて曲面Sに接するある円の半径をrとする
- 点Pにおいて曲面Sに接するいくつかの円の中で、
最も大きい半径rを持つものと、最も小さい半径rを持つものがある。
これらをrmaxとrminと呼ぶ
- rmaxとrminの逆数をそれぞれk1とk2とし、
これらを点Pにおける曲面Sの主曲率と呼ぶ。
これらの主曲率k1とk2はデカルト座標にも依存していないし、
内的なu-座標にも依存していないので、
点Pにおける曲面Sの不変的特徴付けになっている。
- k1とk2の積をkとし、曲面Sに接する最大の円と最小の円の中心が
曲面に対して同じ側にあるときはプラスの符号、
曲面に対して反対側にあるときはマイナスの符号をつけることにする。
このkを点Pにおける曲面Sのガウス曲率と呼ぶ。
ガウス曲率はあきらかに不変量である。
- 次に曲面Sの内的特徴と外的特徴を
区別する。直観的に言うと、曲面Sの内的特徴とは、
曲面Sの内部に閉じこめられ、
三次元の世界から曲面を眺めることのできない測量者が知ることができる特徴
であり、他方、曲面Sの外的特徴とは、
曲面Sがどのように三次元空間内に存在するのかを特徴づけるものである。
曲面Sに閉じこめられた測量者は、g-関数を用いて、
曲面内の曲線Cの任意の二点間の距離を測ることができる。
そこで、曲面S上の点に対するg-関数の値の関数として定義できる
空間の特徴はすべて内的特徴である。
- ある点における主曲率は内的な特徴ではないが、
ガウス曲率は内的な性質である。
次に曲面上の二点間を結ぶすべての曲線を考える。
この中で、他の曲線に比べて「局所的に最も短い曲線」があるが、
それを測地線geodesicsと呼ぶことにする。
どの曲線が測地線であるかは内的な特徴である。
- 測地線は単に最短距離の曲線であるばかりではない。
通常の平面上にあるベクトルは、
その長さと向きを変えることなく他の点に移動させることが可能であるが、
曲面上ではこのような平行移動を行なうことはできない。
しかし、次のような「最も平行な」
移動を行なうことができる。
- 点Pにおいて、点Pにおける曲面Sの接平面を考え、
その接平面内にあるベクトルを考える
- 曲面S内において、点Pと点Qを結ぶ曲線を考える
- 曲線上の各点において、その点における曲面Sの接平面を見つける
- 曲線上を移動するにつれ、それぞれの接平面において、
元の接平面内のベクトルと「最も平行な」ベクトルを見つける
- 上でみたように、測地線は曲面上の最短距離の曲線であると同時に、
「最も平行な」ベクトル移動が行なえる曲線でもあるのだが、
さらに測地線は「最大限に真っ直な線」とも言える。
すなわち、測地線上のある一点に接平面を付け、
その接平面上に測地線に接するベクトルを取り、
測地線上を移動するにつれベクトルを平行移動させると、
出来たベクトルはすべて測地線の接線となるようなベクトルになる。
これは測地線にのみ当てはまる特徴である。
- 平行移動はγ関数によって定義される。
平行移動と測地線との関係、
そして測地線の内的性質を考慮すれば、
γは曲面Sの内的特徴であることは驚くべきことではない。
実はγ関数はg関数の関数として定義することができる
(クリストッフェル・シンボル)。
- ここまでの議論と先の公理的非ユークリッド幾何学の話とは
どのように関係するのか。
リーマンとロバチェフスキーの二次元幾何学においては、
「〜は平面である」を「〜は面Sである」、
「〜は平面における直線である」を「〜はS上の測地線である」
と読み変える。
すると、リーマン幾何学におけるすべての基礎命題は、
曲面Sのガウス曲率が一定かつ正であれば真となる。
また、リーマン幾何学におけるすべての基礎命題は、
曲面Sのガウス曲率が一定かつ負であれば真となる。
すなわち、リーマンとロバチェフスキーの幾何学は、
ガウス曲面上の測地線図形の幾何学であり、
それぞれガウス曲率が一定かつ正、あるいは一定かつ負なのである。
ユークリッド幾何学はガウス曲率が一定かつゼロであるようなガウス曲面の
幾何学なのである。
[要するに以上の幾何学はすべてガウス曲面に包含される]
- 最後に内的特徴と外的特徴についてもう少し述べ、
面の局所的特徴と全体的特徴についても少し述べる。
- 仮に内的特徴がすべての点において同一であるような二つの面があるとする。
すなわち、二つの平面に対して、
g関数がまったく同一となるような内的座標付けが行なえるとする。
しかし、それらの面が三次元空間にどのように「埋め込まれて」
いるかは異なりうるので、L関数はまったく異なっているかもしれない。
- たとえば、球面は平面と内的に異なっている。
すなわち、平面をデカルト座標で座標付けした場合、
g関数は平面上のすべての点においてg11=g22=1、g12=g21=0になるが、
これと同一のg関数になるような球面の内的な座標づけは存在しない。
しかし、円筒に関してはそのようなg関数になる座標づけが存在するので、
円筒は平面と内的に似ていることになる。
しかし、両者は外的には異なり、別々のL関数を持っている。
- 円筒と平面の例は「全体-局所」の区別をはっきりさせるのにも役立つ。
円筒あるいは平面の内部に閉じこめられた人間
(=内的特徴しか知ることができない人)が、
その面上ごく狭い部分しか行ったり来たりすることが
できなければ、
その人は自分が平面上にいるのか円筒上にいるのか判断できない。
- しかし、もしそのような人が面上の全体を行き来することができれば、
その人は円筒においては測地線を辿っていけば元の場所に戻ってくる
ことを知り、円筒と平面の違いがわかるであろう。
これはすなわち、円筒と平面の内的な同一性は局所的なものであり、
両者は連結性という全体的な特徴において異なる
ということである。
この特徴はあとで面の位相的構造と
呼ぶことになる特徴である。
5. 曲がった空間に関するリーマンの一般理論
- ガウスの解析的手法や内的-外的特徴および不変的特徴に関する考え方を用いて、
リーマンはあらゆる次元における曲がった空間の一般解析幾何学を作りあげた。
これは伝統的にリーマン幾何学あるいは
微分幾何学と呼ばれている。
- その方法論は以下のようなものである。
まず、n次元の曲がった空間を想定し、その空間の各点において、
ユークリッドn次元空間によって近似を得ることができるとする。
もちろんn次元の「曲がった」空間に、
「平らな接空間」をくっつけるなどということは想像できない話だが、
「曲面に接平面をくっつける」という先の話との類推で考えてもらいたい。
- n次元の曲がった空間を埋め込むようなn+1次元の空間というのは想定しない
ので、このn次元の曲がった空間の外的な特徴というのは無視する。
また、それゆえ、L関数もここには出てこない。
ただし、このような空間が全体的な連結性を持っていることはありうる。
- 一般曲面幾何学に関するガウスの研究を空間幾何学に適用するために、
二次元曲面の内的幾何学に関するガウスの議論を思い出しておこう。
- 曲面を二つの曲線族によって区分し、
それぞれの曲線に実数を対応させていった。
そのさい、
- a. 曲面上の各点がそれぞれ曲線族のただ一つの曲線上にある
ようにする (ということは同じ曲線族の曲線は交わらない)
- b. もし曲線Aが曲線Bと曲線Cの間にあるのなら、
曲線Aに付けられる番号は、
曲線Bと曲線Cのおのおのに付けられる番号の間にあるようにする。
- 各点の4(2の二乗)つの数字を割り当てるようなg関数を見つけ、
上の座標づけとg関数の値によって曲面上の任意の二点間の距離が
計算できるようにした。
- さらに曲面上で「ベクトルの平行移動に最も近い」
と定義されうるものを記述するγ関数を見つけ、
さらにこの関数がg関数と座標づけによって定義されうることを知った。
- 座標づけとは独立で、
曲面上の各点における内的な特徴を述べる数字(ガウス曲率)
の存在を知った。
- リーマンは、
任意の「曲がった」n次元空間に関しても
これとまったく同じように進めばよいと言う。
- 当空間をn個の座標曲線族によって座標づける。
- その空間に対するg関数を見つける。
ただし今回は各点にnの二乗の数字が割り当られることになる。
- γ関数を見つける。
これは空間における最も平行な移動の特徴を述べ、
またそれゆえ、最も真っ直な線ないし測地線の性質を述べるものである。
先と同様にγ関数はg関数と座標づけによって定義することができ、
また最も真っ直な線は最短の線であることもわかる。
- 先のガウス曲率のように、空間の内的構造の特徴を述べ、
しかも不変であるような数字の集合を見つける。
- n次元空間におけるスカラー不変量の問題(上の4.)は容易ではない。
二次元曲面でのスカラー不変量であるガウス曲率は数字一個だったが、
数字一つでは空間の内的な特徴を十分に特徴づけることはできない。
この問題の解決には、
リーマン曲率テンソルというR関数を用いる。
R関数はnの4乗の要素を持つが、これらの要素は特定の座標づけに依存するので、
不変的ではない。
しかし、R関数は空間の内的構造に関する多くの情報を持っている。
たとえば、
曲がった二次元空間における閉じた曲線上でベクトルをある点から
平行移動させると、元の点に戻ったとき、
ベクトルの向きは元のベクトルの向きとは異なるかもしれない。
- [これと同様のことを考える]
一般曲空間内に一点をとり、その点におけるベクトルを定義する。
対辺が「平行」であるような閉じた四面回路のまわりにそって、
そのベクトルを平行移動させると、
元に戻ったときのベクトルの方向は異なるだろう。
その四辺形の面積をゼロ近づけると、
その点におけるリーマンテンソルは、
元のベクトルと移動したあとのベクトルの関係を述べることになる。
- 「平らな」n次元空間においては、リーマンテンソルの形は単純である。
すなわち、どのような座標をとろうと、
リーマンテンソルの各要素の値はすべての点で
ゼロになる。また、リーマンテンソルが各点でゼロになることは、
空間がn次元ユークリッド空間であることの十分条件でもある。
- スカラー不変量に関して言えば、
縮約という計算方法を用いてリーマンテンソルを
Rという一つの数にすることができる。
Rはある点におけるリーマン空間のスカラー曲率と呼ばれる。
Rは不変(=特定の座標づけに依存しない)であり、
空間の内的特徴を述べるが、内的特徴を一義的に決定することができない。
すなわち、内的に異なる曲空間は同一のRの値を持つことができる。
- 結局、リーマン曲空間を十分に特徴づけるためには、
ある座標づけを選び、g関数を見つけなくてはならない。
そして二つのリーマン空間が内的に同一であれば、
同一のg関数とR関数を見つけることができるはずであるし、
内的に同一でなければ、
同一のg関数とR関数を見つけることはできない。
- 一言加えておくと、実は、
リーマン空間の内的構造を特徴づけるために特定の座標づけを用いたり、
その座標に相対的なg関数を特定したりする必要はなく、
同じことは座標を用いない方法でも行なうことができる。
特に現代の微分幾何学では空間に特定の座標づけを行なうことなく
その内的な構造を特徴づけようという試みが活発である。
- 現実の世界が「曲がった」構造を持っているかとか、
それをどのようにして知ることができるのか、
というのはこれから論じられることである。
ここまで見てきたのは、
(1) ガウスの解析的手法を用いることによって
二次元曲面の精妙かつ整合的な特徴付けができること、
(2) そのような理論においては内的な特徴と外的な特徴の区別が重要になること、
(3) 空間の内的特徴を扱うためのガウスの方法論は、
二次元の議論からn次元の議論に矛盾なく拡張できること、
である。
6. リーマン空間の変種、一般(化されたもの)、抽象(化されたもの)
- (省略)
セクションC 空間と時間 対 時空--予備的考察
- 第二章の最終目標は、
非ユークリッド幾何学が物理世界に当てはまるかどうかを問う
物理学理論を認識論的側面から批判することである。
しかし、物理世界に当てはまる可能性が高い「曲がった空間」の理論といえば、
やはり一般相対性理論であるが、
一般相対性理論は「曲がった空間」を仮定するのではなく、
「曲がった時空spacetime」を仮定している。
それゆえ、われわれは「時間と空間」と対比される
「時空」についてここである程度理解しておく必要がある。
- 時空についての詳しい検討は第四章において行なう。
第二章の残りと第三章の一部では時空についての知識が要求されるので、
以下で少し時空の構造についての簡単な説明を行なう。
1. ミンコフスキー時空Minkowski Spacetime
- 特殊相対論にふさわしい時空であるミンコフスキー時空を構築し、
それを相対論以前の考え方と比較するにあたり、
(抽象的な意味での)「空間」を構成する基本的個体(要素)
に関する話から始めるのがよいだろう。
- 先に、空間は「点」の集合だと言った。
すなわち、「点」が空間を構成する基本的個体である。
それでは、現実の物理的空間において「点」となるものはなんであろうか。
- 以下では相対論の手法を使って相対論以前の考え方を説明する。
まず、世界における理想化された事象event
というものを想像する。
たとえば、まったく延長を持たない二つの質点point massの衝突とか、
まったく幅をもたない平行でない二つの光線の交差とか。
そしてこのような理想化された事象(現実に生じる事象だけでなく
生じる可能性がある事象をも含む)が時空における一定の場所を
「しるしづけmarking」を行なうと考えよう。
すると、時空の点とは、
そのような理想化された事象の場所すべて、
ということになる。
伝統的には、こうした「事象の場所」のことを「事象」と呼んできたので、
多少誤解を招きやすい言い方だが以下ではそのように呼ぶ。
すると、時空は、全事象の集合ということになる。
ただし、正確には、事象そのものが空間を構成する個体なのではなく、
事象の場所こそが空間を構成する個体なのである。
- 相対論以前の考え方によれば、
事象は基礎的な個体ではない。
事象の場所は、さらに「空間的場所」と「時間的位置」の二つの独立の要素に
分けることができる。
式にすればe=<p, t>である
(e=事象の場所、p=空間的場所、t=時間的場所)。
- ニュートンの理論に従うと、
空間的場所の集合Pの構造は単純で、
Eの3乗(ユークリッド三次元空間)である。
時間的位置の集合Tの構造はもっと単純で、
Eの1乗(一次元実数直線の構造)である。
時空の個体である事象は、場所と時間の順序対であるから、
結局、時空の構造はEの3乗(空間)とEの1乗(時間)のデカルト積である。
- また、
「同時性」を定義することによって時空構造から空間的構造を抽出したり、
「同所性」を定義することによって時間的構造を抽出したりすることもできる。
- 相対論以前の考え方においては、
事象e1と事象e2について、
次のような問いを立てることは有意味である。
- A. それらが同時に起こったのかどうか、
また、同時でない場合は、
それらの事象のあいだの時間的間隔はどれぐらいか。
- B. それらが同じ場所で起こったのかどうか、
また、同じ場所で起こったのでない場合は、
両者が空間的にどれほど離れていたのか。
また、この考え方では、
e1とe2が同時に起こったのではなくても、
e1とe2が空間的にどのくらい隔たっているのかを尋ねることは
有意味であるが、
第三章で扱われることになるこの問いは、
相対論以前から現在まで議論されている難問である。
なお、
時空に関するこの考え方を以下で「ニュートン時空」と呼ぶ。
- ミンコフスキー時空をニュートン時空と対比させながら構築しよう。
この時空においても時空は事象の集合であるが、
ミンコフスキー時空は、
- Eの3乗とEの1乗のデカルト積という構造を持たない
- 二つの事象の時間的隔たりを尋ねたり、
それらが同時に生じたかどうかを尋ねたりすることは無意味である
- 二つの事象の空間的隔たりを尋ねたり、
それらが同じ場所で生じたかどうかを尋ねたりすることは
無意味である
- では、ミンコフスキー時空の構造はいかなるもので、
どのような問いは有意味になるのか。
- ミンコフスキー時空は、
- 四次元である
- 微分可能な多様体differential manifoldであり、
アフィン空間である
- 位相的構造はEの4乗、すなわちユークリッド四次元空間のそれである
- しかし、計量構造はEの4乗とはまったく異なる
ミンコフスキー時空においては、
事象と事象の距離distanceと言わず、間隔intervalと言う。
事象と事象の間隔は、次の(1)、(2)式によって計測される。
[式省略 (1)式は微分の式、(2)式は線素の式]
- 以下で(2)式について詳しく説明する。
- ミンコフスキー時空は事象の集合であり、四次元である。
時空に存在するどの二つの事象のあいだにも間隔がある。
この間隔は数で表わされ、時空の不変的性質である。
この時空においては、ある二つの事象を結ぶすべての曲線の中で、
他の曲線と相対的に極値extreme valueをとる
曲線が存在し、これがミンコフスキー時空における測地線になる。
この場合の極値をとる曲線とは、
- 二つの事象PとQを結ぶ他のどの曲線と比べても、
PとQの間の隔たりが大きいか (すなわち間隔最大)
- 二つの事象PとQを結ぶ他のどの曲線と比べても、
PとQの間の隔たりが小さいか (すなわち間隔最小)
- 二つの事象PとQを結ぶ他のどの曲線の隔たりも正か負の値をとるが、
その曲線におけるPQの間隔の値はゼロになる
ような曲線である。
- 二つの事象の間の間隔を距離と呼ばないのは、
この間隔を二乗した値が正にも負にもゼロにもなるからである。
ところで、PQの間隔を二乗した値が正であるときは、
PとQは空間的に分離していると言い、
PQの間隔を二乗した値が負であるときは、
PとQは時間的に分離していると言い、
PQの間隔を二乗した値がゼロであるときは、
PとQは光的に分離していると言う。
ある事象eから光的に分離している事象の集合のことを、
eのライトコーン(光円錐)と呼ぶ。
事象eから空間的に分離している事象の集合はすべて
eの空間的な超曲面spacelike hypersurfaceと呼ばれる。
- 事象間のこれらの関係に対して物理的な意味を与えるとどうなるか。
PとQが光的に分離している場合、
一方の事象から発せられた光は他方に達するか、
あるいはPとQは同一の事象かである。
PとQが時間的に分離している場合、
伝達速度が光より遅い因果信号causal signalが一方の事象から他方の事象に
達することができる。
PとQが空間的に分離している場合、
伝達速度が光より速い因果信号でないかぎり、
因果信号は一方の事象から他方の事象に
達することはできない。
しかし、相対論では光より速い信号は存在しないというのが
基本的想定なので、空間的に分離している事象間には
両者を結ぶ因果信号はありえないことになる。
- 事象間の極値的間隔は一定であるが、
事象間の空間的分離と時間的分離は一定ではない。
ただし、ある座標系を用いることで、
空間的分離と時間的分離の考えを理解することができる。
座標化に関してミンコフスキー時空で重要になる特徴は次の二つである。
- この時空は4次元なので、
各点(すなわち各事象)に4つの数字を割り振ることによって
内的な座標づけを行なうことができる
- この時空にはある「特別な」座標づけが可能であり、
それは、
n本の互いに垂直な直線によってn次元ユークリッド空間に与えることが
できるデカルト座標と非常に類似したものである。
このことはミンコフスキー時空が「平ら」であることを示している。
- 詳しくは第四章で見ることになるが、
相対論的時空において特徴的なのは、
時空を時間と空間に分けるさい、
その分け方は「観察者」の運動状態に依存するということである。
すなわち、相対的な運動状態にある二人の観察者は、
二つの事象の間隔については意見が一致するが、
それらが空間的および時間的にどのように分離しているかについては、
必ずしも意見が一致しないのである。
また、特殊相対性理論においては、
等速一様運動すなわち慣性運動をしている観察者は特別な地位にある。
慣性運動をしている観察者は、
時空に対して自分の「好きな」座標づけを行なうことができる。
慣性系の観察者にとっては、
時空はEの3乗とEの1乗のデカルト積(すなわち時間と空間)
に分解することができる。
ただし、時空が時間と空間にどのように分解されるかは観察者ごとに異なる。
- ミンコフスキー時空はユークリッド四次元空間とよく似ているので、
擬似ユークリッド空間と呼ぶことができる。
この時空か「ユークリッド的」であるのは、
特定の慣性系を選択すれば、デカルト座標を設定することができるからであり、
「擬似的」にユークリッド的だというのは、
ユークリッドn次元空間と異なり事象を結びつける量(間隔)が負であったり
ゼロであったりするからである。
2. リーマン相対時空
- 前節では特殊相対論におけるミンコフスキー時空と
ニュートン理論における通時的空間space-through-timeの違いを
簡単に説明してきたが、
次に特殊相対論の平らな時空から一般相対論の曲がった時空への推移を
簡単に検討する。(詳しくはII, D, 2-3参照)
- (平らな)ミンコフスキー時空から(曲がった)リーマン時空への移行を理解する
のは簡単で、平らな空間から曲がった空間への移行に関する議論(II, B, 4-5)
を思い出せばよい。
一般相対論の時空は、アフィニティ(測地線の構造)を持ち、
計量ができる、四次元で、微分可能な多様体である。
ただし、計量はミンコフスキー時空同様、距離ではなく間隔によって測られる。
- リーマン空間における基本的な想定は、
「n次元空間はそれ自身、非-ユークリッド的であったとしても、
十分に小さな領域においては、
n-次元ユークリッド空間(一点で接する接空間)によって近似することができる」
というものであった。
曲がった時空(リーマン時空)の基本的な想定も同様であり、
「4次元空間はそれ自身、非-ユークリッド的(非-擬似ユークリッド時空)
であったとしても、
十分に小さな領域においては、
4次元擬似ユークリッド時空(=ミンコフスキー時空)
によって近似することができる」。
- この基本的想定に基づいて、相対的リーマン時空の構造を述べる。
そのような時空には、
時空の点である事象に対する任意の内的座標づけは無限に存在する。
そのような座標づけを一つ選ぶと、その座標づけに相対的に、
(a) 曲線に沿った二点間の間隔を測定するためのg-関数と、
(b) ベクトルの「最も平行な移動」と、
「最もまっすぐな直線」すなわち測地線を特定するγ関数と、
(c) 空間の内的幾何学の重要な特徴を特定するR関数
が存在する。
- 時空が平らなのは、
R関数の全要素がすべての点でゼロになるような座標づけが存在するとき
であり、その場合にかぎる。
この場合、どのような座標づけを行なっても、
R関数のすべての要素は常にゼロとなる。
また、R関数から時空の不変の特徴(とくにスカラー曲率R)
を知ることができる。
- というわけで相対的リーマン時空における計量体系は明らかになった。
この時空の物理的意味についてはII, D, 2-3において述べる。
- 付け加えておくと、ミンコフスキー時空と四次元ユークリッド空間は
計量体系がまったく異なる(一方は間隔で虚数あり、他方は距離で常に実数)
が、両者とも位相的にはそっくりである。
しかし、曲がった時空はこれとはまったく異なる位相を持つ
可能性がある。この点に関してはIV, Dにおいて論じる。
- また、曲がった時空の特徴づけにおいては、
それより高次の平らな空間あるいは時空というものは登場しなかった点にも
注意。一般相対論において問題になっているのは
曲がった時空の内的曲率のみである。
セクションD 非-ユークリッド世界の物理的可能性
1. 相対論以前の思想
- ガウスの曲面理論の拡張としてリーマンの曲がった三次元幾何学が
構築されると、実際の物理的世界も非-ユークリッド的なのではないか、
という疑問が生じた。
また、空間の内的特徴と外的特徴の区別がなされていたため、
内的特徴(たとえば内的曲率)を調べることによりわれわれは実際に
この世界がユークリッド的か非-ユークリッド的かを調べることができる
のであった。
- ガウスは実際に三つの山の頂点を結んだ三角形の内角の和が二直角になるか
どうかを調べてみたが、その答えは「現実の空間はユークリッド的である」
であった。
- 1870年に、イギリスの数学者兼哲学者のウィリアムクリフォードが
曲がった空間についての考えを著した書物を公刊した。
そこで彼は、世界は全体的にはユークリッド的だが局所的には
非-ユークリッド的かもしれないと示唆した。
このような理論についてはIII, Eで少し言及する。
- 相対論以前においては、通時的なニュートン空間の代替物として
考えられていたのは通時的な曲がった空間であった。
アインシュタインの一般相対論が出てきてようやく、
「世界は相対的リーマン曲がった時空なんじゃないの」
という可能性が検討されるようになった。
2. 一般相対論のいくつかの基本的特徴
- 一般相対論は、アインシュタインが相対論的な重力理論を探求している
ときに生まれた。(II, C, 1)で特殊相対論は
(a) 因果信号の速度には限界値があることと、
(b) 事象同士の関係においては不変的な同時性の概念は適用できない
ことを主張すると論じたが、
ニュートンの重力理論は、
(a) 重力による相互作用には瞬間的な遠隔作用が存在することと、
(b) 不変の同時性の関係を持ったニュートン時空の存在すること
を前提しているので、相対論的には受けいれらないのは明らかである。
- アインシュタインの一般相対論はこれらの欠点を持たない新しい重力
理論を提供し、最初に曲がった時空という概念を用いたものである。
しかし、アインシュタインの理論以外にも、
相対論的に許容可能の重力理論が存在する。
たとえばノルドシュトレームのものやディックのスカラーテンソル
重力理論などがそうである。
また、特殊相対論が経験によってかなり確証された理論であるのに対し、
一般相対論はまだまだ決して圧倒的な証拠に裏づけされているとはいえない。
とはいえ、彼の理論は非-ユークリッド時空を持つ世界が可能であることを
十分な説得力を持って論じているので、
「世界がユークリッド的か非-ユークリッド的か、
われわれは経験によってどの程度決めることができるのか」
という問いはやはり検討に値するものである。
- 一般相対論の研究はそれだけで一仕事であるから、
ここでは、この理論の背景にある重要な動機付けと、
物理的世界の観察可能な特徴に関する最重要な特徴のいくつか
を概説するに留める。
- 以下では、まずこの理論の背後にある基本的直観を簡単に述べ、
それからこの理論の形態と理論の重要な特徴を概説し、
最後に(II, D, 3)において、
ある領域の時空の実際の構造を経験的に決定するという問題を論じる。
- さて、これから重力の法則を研究するわけだが、
重力の影響は次の3点を研究することで十分に特定できると仮定しよう。
- 時空構造に対する重力の影響
- 質点(particles)の運動に対する重力の影響
- 光の伝播に関する法則に対する重力の影響
ニュートンの理論はこのうちの2しか考慮に入れていない。
- では、アインシュタインの有名な「思考実験」から話を始めよう。
われわれは質点(point mass)や時計や光線発生器などの器具を持って、
ある閉じた箱のなかに入っている。
われわれはこれらを用いて、
箱の外にある重力をもたらす物体の性質を決定しようとする。
- われわれが質点から手を離すと、
それは箱に相対的なある方向に加速していくとする。
この加速は(1)質点の質料には依存せず、
(2) 質点の構造(電荷があるとか)には依存しないとしよう。
するとわれわれは「箱の外には重力を及ぼす質料の大きな物体がある」
と結論するかもしれない。
しかし、別の説明も可能であり、
「ジェットエンジンによって、
質点が移動していくのとは逆の方向に箱が加速しているのである」
とも言える。どちらの説明によっても事態は等しく適切に説明されうる。
- もっとも、この質点の加速を生み出す「重力場」と「加速する座標わく」
(ジェットエンジンの方)は完全に等価である(等しい)わけではない。
その理由は二つある。
- 「加速する座標わく」においては、
箱の加速は一様におこなわれ、質点の加速度も一様だが、
「重力場」においては、
質点が重力を生み出している物体に近づくにつれ、
質点の加速度はほんの少しづつ大きくなることになる。
- 一つではなく二つの質点を横に並べて手放したとき、
「加速する座標わく」においては、
二つの質点はその間の距離を変えることなく平行に移動する。
しかし、「重力場」においては、
二つの質点は重力を生み出す物体の中心に引かれるため、
両者の間の距離は少し縮まることになる。
そこでアインシュタインは重力場と座標わくの加速の等価を
「局所的」なものだと述べている。
- この等価は慣性質量と「受動的」重力質量との比率に依存している
ことに注意せよ。[う。なんのことだかわからん。調べねば]
- アインシュタインが賢かったのは、
「重力は光の伝播にどのように影響するか」を問うた点である。
アインシュタインは質点だけでなく光の伝播にも
重力と座標わくの加速との局所的な等価がなりたつと考え、
座標わくを加速させることが光の伝播にどのように影響するかを
調べることにより、光の伝播に対する重力の影響がわかるとした。
- 重力は時空の特徴にも影響すると先に述べたが、
これも思考実験によって理解することができる。
箱の床と天井に一つずつ時計が置いてあるとしよう。
二つの時計は最初に一緒に置いてあったときに同期してある。
そして、床の時計は秒を刻むたびに天井の時計に信号を送る。
さて、この箱を床から天井の方向に加速させてみる。
すると、天井の時計は、床の時計が信号を発したときよりも加速されるので、
天井では信号がドップラー赤方偏移によって赤みがかってみえる
ことになる。そして天井では床からの信号が遅れるので、
信号の発信に合わさっている床の時計も「遅れる」ことになる。
ところで、この「箱を加速する」というのは、
加速していない箱に重力場を設定するのと等価である。
それゆえ、重力場の「深い」地点においてある時計は、
それより上方にある時計によって測定すると、
「遅く」なっているように見える。
これが一般相対論によって予想された有名な重力赤方偏移である。
ただし、この重力赤方偏移は他の重力理論によっても予想されていたので、
これを一般相対論が正しいことを確証する証拠と考えてはいけない。
アインシュタインの等価原理については、
内井先生のウェブサイトを参照のこと。
スクラーの復習。
- 重力は、事象間の時間間隔に影響をもたらすだけでなく、
アインシュタインの思考実験によれば、
世界の空間的測量にも影響する。
しかしこの点は後に議論することにして、
先に時空と重力に関するもう一つの関係を考察する。
- 重力場の理論は伝統的に二つの側面を持つとされる。
すなわち(1)世界における質量の分布が、いかにして重力場を生み出すか、
という側面と、(2)そうして生み出された重力場によって、
試験物体test objectsの振舞いにどのような影響がもたらされるか、
という側面である。
まず、二つ目の側面について考察する。
アインシュタインは、時空構造そのものを重力場とみなすが、
そのような説明が可能になるのは、重力が次のような特徴を持つからである。
すなわち、重力場における質点の進行方向は、
(a)重力場の構造と
(b)質点の初期位置および速度によって決定される、
という特徴である。
このさい、質点の運動は質点の質量や内部の構造には左右されない。
アインシュタインはこの事実に基づいて、次の主張を行なう。
「重力場が存在しなければ、力によって作用されない質点は、
直線移動する、すなわちミンコフスキー時空の時間的測地線を移動する。」
- そこで、重力場が存在している場合でも、
質点は時間的測地線
(ただし、非-ユークリッド、リーマンの曲がった時空における測地線)
を移動すると考える。
もし、質量あるいは内部構造が異なる質点が、
初期位置と初速が同一であるにも拘らず、
異なる軌跡を移動するとすると、
この考えは成り立たない。
また、時空ではなく空間における測地線を考えた場合も、
初速が違えば質点は空間的な測地線とは異なる軌跡を移動するであろうから、
やはりこの考えは成り立たない。
しかし、時空の測地線であれば、うまくいくはずである。
時空の方向space-time directionは、
空間的方向と初速の概念を定義上含んでいる。
ちょうど、初期位置と初速を特定することによって
重力場における質点の軌跡が十分に決定されるのと同様に、
時空において一点と時空方向を特定することにより、
時空における測地線が一義的に特徴づけられる。
そこで、時空測地線を、
重力場における自由粒子の軌道とみなせばいいのではないだろうか。
- 光線の軌道に関して言うと、
すでに見たように、特殊相対論においては、
光線によって結ぶことができる二点は、
それらを結ぶ測地線において、その間隔がゼロになるのであった。
一般相対論でもこの想定は維持され、
単に測地線をミンコフスキー時空のそれではなく、
リーマン空間の測地線に置き換えるだけである。
すなわち、重力場において、光は、
時空のゼロ測地線を移動するものとされる。
そこで、重力場は時空計量構造であることになる。
ある時空領域における重力場を十分に特定するためには、
(a) 点(事象)を座標化し、
(b) その座標と相対的にその領域の内部幾何学を記述するような
g関数を見つけなければならない。
これにより、その重力場--その時空の内部幾何学--が特定され、
また質点や光線の運動が重力場によってどのように影響されるかがわかる。
しかし、これではまだ、ある特定の種類の重力場と重力場の「源泉」
である質量の特定の分布との関係がどのようなものであるのかが
わからない [上の(1)の問題]。
- (1)の問題に移る前に、
「重力場においては質点は時間的測地線を移動する」という仮定について
一言述べておく。
[省略]
- さて、「特定の重力場が存在する場合、
その場の領域に存在する物体に対してどのような影響がもたらされるか」
という(2)の問いに対しては、答が与えられた。
その答は、一つに、
「物体が時空の間隔を測量するための道具であるならば、
重力場の存在する領域においてその道具で計った測量は、
ミンコフスキー時空というよりも、
擬似リーマン時空であることを示すものであるだろう」
というものであり、
もう一つは、
「重力場は運動する質点や光線を偏向させる影響を持つ。
というのは、重力以外にそれらに作用する力がないとき、
質点は時間的測地線を辿り、後者はゼロ測地線を辿るのであって、
そして、重力場というのはこれらの測地線の、
ミンコフスキー直線からの歪みだからである」というものである。
- すると、重力場そのものはどのようにして決定されるのだろうか [(1)の問い]。
伝統的な重力理論同様、一般相対論においても、
ある領域一帯の重力場の性質とその領域一帯の質量の分布とを結びつける
方程式がある。
ニュートン重力理論の場合、これはポアソン方程式であった。
アインシュタインはこれに代わる相対論的な方程式を探しもとめた。
- 方程式を見つけるにあたり、
アインシュタインは事前に特定化されたいくつかの
「妥当性基準criteria of adequacy」を満たす方程式を見つけようとした。
第一に、当の方程式は、
時空に対してどのような任意の内部座標化を選択しても、
適切な形で重力場と質量の分布を表現することのできるものであること。
(すなわち、テンソル方程式であること)
第二に、方程式は重力場と質量の分布の関係を述べるものであるから、
方程式の一方の辺は重力場を記述する基礎的な数によって構成されており、
他方の辺は、質量の分布を表現する形であること。
ただし、重力場は時空の内部幾何学であるから、
方程式の一方の辺は、内部幾何学を記述するg関数によって構成される
形でなければならない。
また、相対論においては、相対論以前の通常の「質量密度」
関数を持たないので、ストレス-エネルギーテンソルを用いる必要がある。
第三に、一般相対論における方程式は、
質量と速度が小さいときには、以前の非相対論の方程式に近似すること。
最後に、アインシュタインは、方程式の構造を見つけだすにあたり、
「擬似保存則」というものを提示している。
あかん、しんどい。もうやめ。また明日。
こないだ放棄した復習の続き。
- 上で述べたいくつかの条件を利用して、
アインシュタインは以下のような重力場の方程式を見つけだした。
Rik-1/2gikR+λgik=Tik
- この重力場の方程式は、
重力場の構造(時空の内的幾何学)と時空一帯の質量エネルギーの分布との
間に成りたつ法的関係lawlike connectionを表わしており、
(1)の問い[重力場そのものはどのようにして決定されるのだろうか]
に対する答えとなっている。
- 先に進む前に、この重力場の方程式について二点述べておく。
- 第一に、時空の内的な幾何学的構造が、
質量エネルギーの分布によって生み出されている、
と考えるべきだろうか。
質量エネルギーがどのように時空一帯に分布するかは、
その時空の内的幾何学に依存するので、
このような考えは誤解を招くものである。
- むしろ、時空のある特定の内的幾何学の記述と、
その時空一帯の質料エネルギーの分布についての記述とが共に
重力場の方程式に従う場合にのみ、
それらの記述は一般相対論的に可能な世界の記述であると言えるのである。
- 第二に、質量エネルギーの分布と時空の特定の構造とは
一対一対応なのかというと、そうではない。
重力場の方程式は微分方程式であり、
一般的に、微分方程式を解くためには境界条件を特定する必要がある。
- 一般相対性理論においてもこのことはあてはまり、
境界条件が異なれば、同一の質量分布であっても、
時空構造はまったく別となりうる。
3. 時空の場を写像する
- 一般相対論が世界の正しい記述であると仮定したとき、
時空のある領域の幾何学的構造を経験的に決定する方法は
いかなるものだろうか。
- ある一点における時空の内的な構造を決定するために、
いくつの数字を計算しなければならないかというと:
任意の座標化をすると、時空は各点のg関数の全要素の値によって
十分に記述される。そのような要素は16個であるが、
そのいくつかは同じ値であるので、
実際には10個の要素の値を決定すればよい。
- われわれが用いる実験道具は、「理想的な」物理的物体である。
温度変化によって伸び縮みしない理想的剛体、
浮遊電場によって影響を受けない理想的時計、
重力の影響を除けば自由に運動する理想的質点、
縦横完全に幅がなく、完全な真空中を移動する理想的光線など。
アインシュタインの重力場の方程式については、
内井先生のウェブサイトを参照のこと。
- (「一般相対論が世界の正しい記述であると仮定したとき、
時空のある領域の幾何学的構造を経験的に決定する方法は
いかなるものだろうか」という)問題は、
空間の類推を用いれば容易に理解される。
今、われわれが曲面に住む二次元の生物であるとしよう。
この場合、
曲面を取り囲むユークリッド空間へ言及することなしに
曲面の内的幾何学を決定することがいかにして可能だろうか。
答は簡単で、曲面上のたくさんの地点を選び、
点と点との間の極値的距離を測定すればいいのである。
たとえば都市間の航空距離を測定すれば、
地球が平面でないことはただちに知られるであろう。
- 時空の場合、距離ではなく間隔が問題になるのであるが、
間隔は、特定の観察者に相対的な距離と時間の測定から知ることができる。
直観的に考えて明らかだと思うが、
理想的な剛体と理想的な時計を具えた観察者は、
彼のいる領域内での出来事と出来事の間隔測定を多く行ない、
彼のまわりの時空の内的幾何学を写像することによって、
特定の座標づけに相対的なその領域のg関数を決定することができる。
- 剛体と時計は、時空を写像するための十分な手段を与えてくれるが、
他にも手段がある。われわれの理論が正しければ、
重力以外の力によって作用を受けていない質点は、
時空の時間的測地線にそって移動し、
また光線はゼロ測地線にそって移動する。
これらの事実を使えば、別の手段を用いて時空を写像することができる。
たとえば、光線と時計、あるいは光線と自由粒子freely-moving point masses
を用いて計量体系を決定することができる。
セクションE: 幾何学についての古い認識論的見解
- 前のセクションで、第二章で必要な数学的および物理学的知識の説明を終えた。
そこでいよいよ哲学的な話に入る。
以下のセクションでは、
(1) 幾何学の認識論についての「伝統的」見解のいくつか
を簡単に説明し、(2) アンリ・ポアンカレの規約説
--どの幾何学がこの世界において当てはまるかは、
規約conventionの問題であるとする説--を考察する。
- セクションGでは、《幾何学が規約である》ということの意味に関して
これまでに述べられてきた諸見解を吟味する。
最後に、セクションHでは、
ポアンカレと彼の批判者の間での規約説に関する論争に目を向ける。
このセクションで、
幾何学に関する規約説の問題がいかに哲学的に複雑な問題であるかを示したい。
終わりのところで、この問題を解決するために提示されてきた見解を
概観するが、どれも不満が残ることを示す。
わたし自身の答を出すつもりはないのでそのつもりで。
1. 伝統的アプリオリズム
- ギリシアの哲学者以前は、幾何学も体系的でなかったせいもあり、
幾何学についての認識論的見解があったかどうか定かではない。
- ギリシア人たちが信念の正当化について考え始めたとき、
すでにユークリッド幾何学に近いものができており、
この幾何学によって合理的認識論と後に呼ばれる理論が生み出された。
幾何学の命題(たとえばピタゴラスの定理のような、
ユークリッド幾何学の定理)は他の命題に見られない
正確さと確実性を持っているように思われた。
- この確実性certaintyはどこに由来するのか。
プラトンやアリストテレスは、幾何学の命題が持つ確実性は、
日常の経験からの帰納によっては得ることができないと考えた。
彼らによれば、幾何学の知識は、
公理的幾何学体系の基礎にある基本的命題からの
演繹的推論によってのみ導くことができる。
- こうした合理的認識論者たちの見解の詳細を論じる必要はないが、
イデア論をとったプラトンは、
幾何学的命題は想起によって獲得されると考えた。
- アリストテレスの見解によれば、
幾何学体系は階層構造を持っており、
より基本的な命題からそれ以外の命題が導き出され、
その際に前提の真理値は(推論が妥当であれば)帰結において保たれる。
しかし、そうすると、最も基本的な命題の真理を保証するものは何か。
彼は、いくつかの基礎命題は自明で自己正当化的であると考えた。
彼はそうした基礎命題として、
矛盾律と排中律が挙げられると考えていたようである。
彼以降の多くの哲学者は、
ユークリッドの公理と要請を自明の真理と考えた
(平行線の公理の自明性は問われつづけたけれども)。
- このような合理的認識論者の見解について二点だけ述べておく。
(1) 長い間、幾何学は他の学問にはない確実性を持つと考えられ、
学問のあるべき姿として哲学者を魅了しつづけてきた。
- (2) 幾何学的信念は、
それ以上の証明を必要としない一組の基礎的命題から
演繹的な推論を用いて証明されることによって基礎づけられる。
経験的な感覚による証拠はだめで、
あくまで証明が真の認識論的な根拠を与える、と見なされた。
2. カントの幾何学理論
- カントの合理論的な幾何学理論は、それ自体としても興味深いものであるが、
先行する経験論の批判としても重要である。
彼の議論は『純粋理性批判』の超越論的美学の節と、
『あらゆる未来の形而上学へのプロレゴメナ』において展開されている。
- カントは形而上学者であったが、
形而上学はすでにヒュームによって破壊されかけていた。
ヒュームの経験論的立場は次のように要約される。
- すべての命題はアプリオリかアポステリオリである。
アプリオリな命題とは経験によって否定されたり
改訂されたりすることはないものである。
アポステリオリな命題とは
経験からの一般化に基づいており、
感覚経験によって試験されうるものである。
- すべてのアプリオリ命題は分析判断である。
分析判断とは、「すべての独身者は未婚者である」のように、
言葉の意味に含まれているものをただ明らかにするだけのものである。
- しかし、形而上学の命題は伝統的にアプリオリで非分析的 [総合的]
だとされてきた。すなわち、経験によっては否定されえないが、
言葉の意味にとどまらない情報を含むものとされてきた。
- そこで、形而上学は幻想であり、
真の認識的価値を持たないがゆえに放棄されるべきである。
- カントはヒュームの言うように形而上学的命題が
アプリオリで非分析的 [総合的] であることを認めるが、
(2) すべてのアプリオリ命題は分析判断である、という主張に挑戦する。
彼は、(a) 形而上学は可能か、
(b) 形而上学はいかにして可能か、
(c) 形而上学と言葉遊びを区別する基準はどこにあるか、
(d) 形而上学の基本的な命題はどういうものか、
を検討する。ただし、本書の関心は最初の二つに限られる。
- カントによれば、ヒュームの学説は幾何学や算術の存在と矛盾する。
幾何学の命題は明らかにアプリオリで総合的だと万人が認めるからである。
- 幾何学がアプリオリで総合的な命題からなっていることを認めるとすれば、
形而上学を直ちに否定してしまうことはできない。
それゆえ、(a)の答えとして、形而上学は可能である。
- 次に、(b)について考える。
特に、幾何学はいかにしてアプリオリで総合的なものとして可能なのだろうか?
- 幾何学がわれわれのすべての経験に当てはまり、
しかも経験によって反証されることがないのはなぜだろうか。
カントの答えは、「経験」が感覚的存在の経験である、というものである。
われわれが世界を経験するさい、二つの要素が持ちこまれる。
- 感覚経験は内容は、一つには外部から与えられるものであり、
もう一つには、われわれの知覚の構成装置によって組織化されるものである。
- 特に、われわれは空間を物自体に備わっているものと考えがちだが、
カントによれば、空間はわれわれが知覚するさいに
感覚データを体系化するのに用いる構成装置である。
- ところで幾何学的真理は空間についての真理であるから、
アプリオリで総合的であるのは当然である。
すなわち、知覚的世界を構成するのは
純粋に論理的な事柄や言葉の意味の問題ではないので、
総合的であり、空間は精神の変わることのない構成装置によって
もたらされるのであるから経験によって反証されることはありえず、
アプリオリである。それゆえ、
幾何学の法則がこの構成装置の働きを正しく記述しているかぎり、
経験の空間的特徴が幾何学の法則に一致することは確実である。
- その後、
カントの立場と非ユークリッド幾何学の存在を調停しようとした人に、
バートランド・ラッセルがいる。しかし、ここでは検討しない。
3. 伝統的経験論
- ヒュームの経験論もカントの合理論も
非ユークリッド幾何学が発見される前のものだった。
非ユークリッド幾何学の発見は、
ユークリッド幾何学のアプリオリ性に依存していた合理論の立場に
大きな打撃を与えた。
- 第二章の残りでは、
理論一般と幾何学に対する信念の経験論的な正当化の特徴を検討するが、
その前に経験論の「ドグマ」をおさらいしておく。
- 経験論の最も重要な学説は、
すべての命題を分析的アプリオリと総合的アポステリオリに分割することと、
意味論である。この節では前者を検討し、後者は第二章のFとHで考察する。
- すべての命題は2種類に分かれる。
一つには感覚経験によって反証されえないアプリオリ命題である。
アプリオリな命題が経験によって反証されえないのは、
それが分析的なもの、
すなわちただ言葉の使い方を説明するだけで
世界について何も述べていないものだからである。
スクラーの復習。
- (経験論者によると、命題には二種類あるが、
その一つはアプリオリな分析判断であり、)
アポステリオリな総合判断もある。
真に経験的な内容を持つ命題はすべてアポステリオリである。
そのような命題の正しさは、経験から推論されるものである。
そうした命題は、
(1)「基本的観察の報告」、
--すなわち帰納的推論によって得られた経験の一般化--
であるか、
(2)理論的仮説、
--これは、高次の仮説に対するわれわれの信念を、
その仮説が観察および実験データを説明する能力に基づいて
確かめることを可能にする、
なんらかの合理的推論の原理によって観察から「推論abduce」
されるものである--
のいずれかである。
いずれにせよ、
それらの命題は、
(a)それらを信じることを合理化するためには、
観察や実験の結果に言及しなければならず、
(b)それらの正しさをどれだけ確信していようとも、
究極的には経験的試験にさらされており、
なんらかの観察データに基づいて偽とされうるようなものであり続ける、
という意味で究極的には感覚的経験に基づいている。
(あ、難しいのでほぼ全訳してしまった)
- 幾何学が世界について真に経験的内容のあることを述べているのであれば、
すなわち幾何学が総合的であるのならば、それはアプリオリではない。
- [意味論]
通常、この認識論的正当化の学説は、意味についての学説を伴なう。
この学説においては、ある語が有意味であるのは、
その語がなんらかの感覚的経験と「結びつき」うる場合に限る、
という基本的想定がなされる。
この想定の変形や、この想定に伴なう困難な問題は、
現代の経験論の一大論点であるが、ここでは深入りしない。
- しかし、読者は次のような基本的な問いをつねに念頭に置いておくべきである。
「経験論者は、
科学で用いられる語や命題の意味について何を言うべきか。
意味の学説は、語と文の慣用と/感覚と経験の特徴と/の結びつきに
どのように基づくべきなのか」。
われわれは、幾何学の認識論的地位の問題と、
幾何学の語と命題の意味に関する問題が不可分であることに気付くであろう。
そしてこの結びつきを深く検討すると、
経験論の究極的な困難に行きつくのである。
セクションF: 規約説のテーゼと最初の批判者たち
このセクションでは、
アンリ・ポアンカレによる幾何学の認識論的批判を説明する。
彼の立場は通常、幾何学的規約説と呼ばれるが、
規約説の主張を正しく理解することは容易ではない。
第一部ではポアンカレの立場が概説され、
第二部ではエディントンとライヘンバッハによる反論が述べられる
(これら3人の立場の比較はIIのHで行なわれる)。
第三部では規約説が時空の測量的特徴だけでなく、
その位相的特徴に関しても拡張適用される場合の規約説の意味について、
予備的な考察がなされる。
ただし、詳しい議論は(IV, D, 3)で行なわれる。
1. ポアンカレの規約説のテーゼ
- ポアンカレによる幾何学の認識論的批判が最もよく表明されているのは、
『科学と仮説』に収録されている三つの論文である。
彼の議論をまとめると、次のようになる。
- 非ユークリッド幾何学は内的に矛盾しているがゆえに
却下されると考えられるかもしれない。
- しかし、この考えは、相対的無矛盾性証明によって、
非ユークリッド幾何学がユークリッド幾何学と少なくとも
同程度の無矛盾性を有していることを指摘すれば、
容易に反論できる。
- すると次に、たとえ非ユークリッド幾何学が無矛盾だとしても、
われわれの感覚経験はユークリッドの法則に従っているのだから、
現実の世界には適用できないと論じられるかもしれない。
- しかし、この議論は経験の直接的データと
現実世界に当てはまると仮定された幾何学理論との関係を誤解している。
非ユークリッド的な物理世界と両立しうる感覚データは
完全にありうるものであり、しかも容易に記述されうる。
- 上の二つの議論からすると、
幾何学の(アプリオリな認識論よりも)経験的認識論の方が
好ましいように思われる。
すなわち、どの幾何学が現実の世界にふさわしいのかという問題は、
実験によって決定されるものと思われる。
- しかし、どのような経験的観察を集めたとしても、
すべての幾何学がその結果と両立しうることが示されるであろう。
- 事実によって仮説が「決定されない」という事態は、
規約説の立場を示唆する。
すなわち、世界を記述するためには、
幾何学を規約によって選択しなければならない。
- ユークリッド幾何学は非ユークリッド幾何学よりも
「単純」なので、実際のところ、
われわれは現実世界を記述する幾何学として
ユークリッド幾何学を選ぶだろう。
以下では、これらの論点をもう少し詳しく見る。
しかし、時間がないのでここは省略してしまおう。
基本的には、『科学と仮説』の第二篇の三つの論文にある例などが用いられて、
ポアンカレの立場が説明されている。
今日の授業ではもう少し先まで進んだが、時間がないのでまた次週。
2. ポアンカレに対する経験論者の応答
3. 時空の非計量的な特徴の規約性
セクションG 規約説に関するいくつかの異なる見解
- 第二章の残りでは次の三つの問いを扱う。
- 世界の実際の幾何学についてのわれわれの知識が
規約の問題にすぎないというのはどういう意味か。
- 幾何学と幾何学についてのわれわれの知識のどのような特徴が、
人にそのような主張をさせるのか。
- 「規約性」の主張は正しいのか。
また、幾何学がある意味で規約的だという事実によって、
幾何学は物理世界の本性についての他の理論と大きく区別されるのか。
- このセクションでは規約説のテーゼについてなされた二つの主張を検討する。
一つ目は、「純粋」幾何学と「応用」幾何学の区別を立てたならば、
「応用」幾何学の認識論的地位はまったく不思議なものではなくなる
という主張であり、これは第一部で論じられる。
この単純な区別によって、
単純な経験論が幾何学の十全な説明であることがわかる、と主張される。
二つ目は、幾何学の「規約性」は時空のある重要な位相的特徴を表わしている
と理解されるべきであるというものであり、これは第二部で論じられる。
1. 純粋幾何学、対、応用幾何学
- 「純粋」幾何学と「応用」幾何学の区別が重要だと考える者は、
次のように主張する。
ごっちゃにされているけど、実は「幾何学」と呼ばれるものには
二つの理論がある。純粋幾何学はアプリオリだが、
現実世界の構造については何も語らない。
応用幾何学は世界についての情報を持つが、
観察データからの帰納と仮定によって経験的にのみ確立される。
- この二つの幾何学とは何か。
とりあえず、ここでは公理化可能な幾何学のみを考察しよう。
- 公理化可能な理論について考えると、
すなわちすべての真なる命題が有限個の基礎命題から
初等的な論理学のみによって導出できるような理論について考えると、
純粋幾何学と呼ばれうる二つの事柄にぶつかる。
- 仮説的幾何学。
「Aならば、T」という形の命題をすべて考察することによって
得られる理論(Aは元の幾何学理論の公理の連言、
Tは元の理論の任意の定理)。
- 命題の集合ではなく、
元の理論の各定理における非論理的な語を"disinterpreting"
(有意味な述語あるいは関係記号を無意味な記号に置き変えること)
によって得る命題の論理的形式の集合。
この二つの純粋幾何学を順に見て、その認識論的地位を考えてみて、
これらの幾何学について考えることが元の幾何学理論の
認識論的地位を明らかにするかどうか見てみよう。
- 仮説的幾何学。
この場合、「Aならば、T」という条件文はすべて単なる
論理的な真理であるから、
仮説的幾何学の認識論的地位は、
論理的真理一般の認識論的地位と少なくとも同様に明らかである。
- 仮説的幾何学に訴えることにより、
世界を記述するとされる非仮説的幾何学の
認識論的地位を明らかになるだろうか。
有限な公理を持つ種類の幾何学であれば、
幾何学に対する信念の問いは、
公理に対する信念の問いに還元できよう。
- しかし、公理に対する信念を正当化するものはなにか。
ポアンカレの規約説と経験論が異なるのはこの点である。
仮説的幾何学に訴えることはこの問いに答えることには役立たない。
- "interpretされていない"幾何学としての純粋幾何学。
純粋幾何学の別の解釈も、やはり基本的な問いに答えるのには役立たない。
- 幾何学理論を「単なる論理的な形式」
へと抽象してしまうことによって得られる論理的形式の集合は、
幾何学のもつ純粋に論理的な特徴を検討するさいには役に立つ。
- ユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学の相対的無矛盾性
などはこの方法によって研究できる。
- 無矛盾性ではなく、
真理についてはどうか。
"interpretされていない"幾何学の論理的形式は命題ではないので、
真でも偽でもない。
"完全にinterpret"された幾何学理論だけが真理値を有する。
また、"interpretされていない"幾何学の各項は、
「規約的」にすら真でも偽でもない。
- 普通にinterpretされた幾何学の真理の問題に戻ろう。
「世界に関する幾何学」の認識論的地位の問題は、
幾何学をdisinterpretしてその論理的形式を見ることによっては解決しない。
抽象することにより命題をなくし真偽を問うことすらできなくなれば、
信念の合理性を問うことはもはやできない。
- しかし、このように論理形式を抽象することは少しは役立つ。
セクションHの根本的な問いは、
ポアンカレとエディントン・ライヘンバッハ組の違いによって
全面に押し出されるようなものである。
二つの全体的理論があり、一見して両者は互いに両立せず、
けれどもいかなる観察結果の集合とも等しく両立することが示せる場合、
われわれは、ポアンカレのように、
いずれかを規約的に選択せねばならない二つの理論があると言うべきか、
あるいは、エディントンとライヘンバッハのように、
適切に言えば、二つの形式で異なるように書かれた一つの理論しかない、
と言うべきなのか。
- これは理論内の語の意味についての問題である。
したがって論理的形式だけ抽象してきて考えても無駄である。
しかし、規約性の問題が、interpretされた理論内の語がいかにして意味を
得るのか、そしてこの意味はいったい何であるのか
という問いに緊密に結びついているという意味では、
ある理論の論理的形式をinterpretして完全な理論を生み出すこと
に関する考察は、われわれが直面せねばならない決定的な問題へと
誘うであろう。
2. 時空の計量と位相の規約性
KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Jan 29 19:52:11 JST 2000