児玉聡(東京大学)
(21世紀日本の重要諸課題の総合的把握を目指す社会哲学的研究会、 於京都女子学園、2003年6月14日発表。この要旨自体は2004年1月9日に書いた)
A・ライアンは「政治とデモクラシーの二つの概念」(注1)という論文で、ジェー ムズ・ミルの『政府論』とその息子のJ・S・ミルの『代議政治論』を取り上 げ、今日でも問題になる二つの政治観--政治や、政治に参加する人間について の理解の仕方--を、対比的に描き出している。二人のミルの政治観をJ・エル スター(注2)の言葉を使っておおざっぱに言い表すならば、父親のミルは「市 場」としての政治、息子のミルは「広場」としての政治を志向していた。すな わち、父親のミルにおいては、政治に参加する人々は、政治家も市民も含め、 みな自己利益を促進するために集まってきたものとみなされ、政治の主たる役 割は利害の衝突を調整し、できるだけ多くの人々の欲求を満足させることであ る。これに対し、息子のミルにおいては、政治参加の教育的機能が強調され、 人々は政治参加を通じて、他人や社会への関心を抱くようになり、人間的に成 長するとされる。たとえば、地方自治や裁判の陪審制度への参加などは、「公 共精神の学校」としての役割を持つがゆえに望ましいとされる。
ライアンやその他の論者たちが提起しているこの二つの政治観をめぐる問題は、 「自己利益を合理的に追求する人間」という従来の社会科学(とくに経済学)に おける人間像の再考を迫る今日的な動きの一つと理解することができる。ライ アン自身はこの競合する二つの政治観をどう調停すべきかについて論じていな いが、発表ではC・B・マクファーソンやI・ヤングなどの見解も簡単に考察し、 J・S・ミルの「公共精神の学校」という考えを批判的に受け入れることにより、 二つの政治観を調停する可能性を示唆した。
(注1)Alan Ryan `Two Concepts of Politics & Democracy: James & John Stuart Mill' in M. Fleisher (ed.), Machiavelli & the Nature of Political Thought, London: Croom Helm, 1972, pp. 76-113.
(注2)Jon Elster, `The Market and The Forum: Three Varieties of Political Theory', in Jon Elster and Aanund Hylland (eds.), Foundations of Social Choice Theory, Cambridge University Press, 1986, pp. 103-132.