倫理学風研究 / 平成11年度の学振(DC1)の応募書類

平成14年度の学振(PD)の応募書類


研究題目

ベンタムの功利主義的民主主義モデルの研究とその現代的意義の検討


2. 現在までの研究とその成果 (700字程度)

これまで、 英国の哲学者ジェレミー・ベンタムの功利主義と法実証主義を中心に研究してきた。

1. 修士論文では、ベンタムの思想の土台である功利原理について、いわゆる「心 理的利己主義」と呼ばれる彼の人間本性論と功利原理との整合性について詳し く考察した。その結果、彼の思想の根幹にあるのは、個人の利益と社会の利益 の自然的調和という楽観的な世界観ではなく、法や道徳という社会的強制力を 用いた人為的調和という社会改革の思想であることを確認した。

2. 博士課程一年次においては、ひきつづきベンタムの道徳思想、とくに徳と幸福 に関する彼の見解の考察を行なう一方で、彼の法・政治思想、とりわけその中 心にある自然権批判について検討した。そして、この自然権批判が彼独自の法 哲学(法実証主義)を形成する起因となっているだけでなく、彼の倫理学(功利 主義)のあり方にも大きな影響を与えているという知見を得た。

3. 博士課程二年次においては、現在ベンタム新全集を刊行中である英国UCL(ユニ ヴァーシティ・コレッジ・ロンドン)に行き、ベンタムの倫理学・法哲学思想 の研究・資料収集、およびロールズ、ハート、ドゥオーキンに代表される今日 の政治哲学・法哲学思想についての研究を行なった。その結果、ベンタムの思 想の全体像を把握しその意義を理解するためには、「私益と公益の人為的一致」 という問題に生涯取り組み続けたベンタムの最終的な回答である彼の功利主義 的民主主義モデルを、今日の議論と照らし合わせながら批判的に検討する必要 性があることを確認するに至った。

4. 博士課程三年次の現在は、これまでの研究に基づき、ベンタムの代議制民主主 義理論の功利主義的基礎づけに関する博士論文を執筆中である。


コメント: 生命倫理とかの(数少ない)業績も強調したかったが、 簡潔かつ一貫した研究姿勢を示すために割愛した。吉とでるか邪とでるか。


3. 研究計画 (具体的に2000字程度)

(1) 研究目的 (研究の背景および国内外の研究状況なども含む)

ベンタムがその晩年(19世紀前半)に展開した民主主義および憲法思想は、「自 由民主主義理論の嚆矢」と言われながらも、信頼できるテキストの不在が主な 原因で、近年まで研究が怠られてきた。しかし1980年代以降、ベンタム新全集 を編集している英国UCL(ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン)から『憲法 典』『悪政防御論』などのベンタム後期の著作が相次いで発刊されるにしたが い、現代の福祉国家の機構を先取りする官僚組織、およびその腐敗を防ぐため の普通選挙・情報公開・世論の役割に力点を置いた彼独自の民主主義思想の全 貌がようやく明らかになりつつある。またこの作業により、これまでの通説で あった「ベンタムの民主主義思想はジェームズ・ミルによって代弁され、ジョ ン・ステュワート・ミルによって乗り越えられた」という認識が誤りであるこ とが明白になってきた。このようにベンタム研究の事情は改善されつつあるも のの、依然ベンタムの民主主義論に関しては、数本の論文と、『憲法典』のみ を紹介したローゼンの著作を除けば、日本国内はおろか英語圏でさえ、その全体 像を晩年の数々の著作をもとに詳細に検討した研究や、いわゆる古典功利主義 における民主主義思想の展開、とくにベンタムとミル父子の関係の見直しを企 図した研究はまだ現われていない。ベンタムの民主主義論の現代的意義を問う 研究にいたってはなおさらである。

以上の背景をもとに、本研究は、 (1)功利主義に基礎づけられたベンタムの民主主義モデルを明確に描きだし、 そして(2)このモデルに立脚して、 現代の民主主義の理論と実践に対する明確な提言を行なうことを目的とする。


コメント: ここもなるべく簡潔に。税金を使った研究なので、 実用性を重んじた書き方をした。 ミル父子とベンタムの民主主義論の違いについてもう少しコメントしたかったが、 これも割愛。


(2) 研究内容

本研究では、 ベンタムの功利主義的民主主義思想を徹底して研究することにより、 現実問題に対応しうる明確かつ実践的な民主主義モデルを提示する。

第一に、ベンタムの民主主義モデルの明確化を図る。 とくに、ベンタム後期の著作に広くあたり、 (1)その功利主義的基礎づけ、 (2)政府の腐敗を防ぐ手段としての世論と情報公開の役割、 この二点に重心を置いて研究を行なう。

第二に、ベンタムの民主主義モデルの独自性を浮き彫りにするために、ミル父 子の著作(『統治論』、『代議政治論』)をはじめ近現代の主な民主主義理論と 比較検討し、ベンタムの理論の特徴を明確にする。

第三に、このような形でベンタムの民主主義モデルの再構成を行なうのと並行して、 情報倫理の構築プロジェクト(FINe)に参加し、 現代の民主主義における世論と情報公開およびメディアの役割に関して ベンタムの民主主義モデルに立脚した問題提起を行なう。

そして最終年度に、以上の研究に基づき、ベンタムの功利主義的民主主義モデルを明確に提示し、かつ、日本を含めた今日の民主主義国家のあり方を問う論文を作成する。

なお、以上の研究の経緯についてはワールド・ワイド・ウェブ(WWW)上の個人ホーム ページにて情報提供を行なう。また、この研究を進めるにあたっては、 新全集の編集が進められている英国UCLのベンタム・プロジェクト (ベンタム研究所)で一定期間研究に従事し、 まだ草稿として眠っている資料の調査と意見交換を行なう必要がある。


コメント: 「国際交流」とか「学際的研究」とかいろいろな言葉が思い浮んだが、 結局「思想史的かつ現代的意義を問う研究」というラインを強調するだけに留めた。

あと、 「また、19世紀前半に出版されたバウリング版全集の電子テキスト化に着手し、 インターネット上でも検索が行なえるようにし、 今後の国内外のベンタム研究の容易化を図る」 という文章を書いたが、泣く泣く削った。 ベンタム研究にとっては重要だと思うんだけど、 書くと余計なようにも見えるので。

「最終年度に、以上の研究に基づき、ベンタムの功利主義的民主主義モデルを 明確に提示し、かつ、日本を含めた今日の民主主義国家のあり方を問う論文を 作成する」を付け足し。ちょっと大風呂敷を広げてみました。いや、通った暁 にはかならずやります。


(3) 年次計画

(1年目)

民主主義と功利主義の関係について研究。 功利主義によって民主政体を正当化しようとするベンタムの議論を 批判的に検討すると同時に、 ミル父子の議論(とくにジェイムズ・ミルとマコーレーの 政治哲学の方法論に関する論争)も考察し、三者の立場の異同を明らかにする。

(2年目)

前半は、現代の民主主義理論の検討(participatory democracy, deliberative democracyを中心に)、および世論・メディア・情報公開に関する国内外の議論 の研究。

後半は、英国UCLに行き、 主に世論の役割に関するベンタムとJ・S・ミルの議論についての研究を行なう。

(3年目)

以上の研究をもとに、ベンタムの功利主義的民主主義モデルとその現代的意義 を総括的に示す論文を作成。また、情報倫理のプロジェクト(FINe)などへの参 加を通して、このモデルに立脚した現代の民主主義の理論と実践に対する提言 を行なう。


コメント: う〜ん、もうちょっと具体的にビシバシ書いた方が良い気がするけど、 まあこんなもんかなあ。


(4)研究の特色・独創的な点

本研究の特色は、ミル父子を通じてそれ以降の民主主義理論の発展に決定的な 影響を与えながらもこれまで思想史の陰に埋もれていたベンタムの民主主義モ デルを「発掘」し徹底的に研究することにより、彼の構想した民主主義理論が 単に思想史的価値を持つばかりでなく、現代の民主主義の議論に貢献しうる明 確かつ実践的なモデルになりうることを示すことにある。

19世紀初頭といえば、米国の民主主義がようやく軌道に乗り、古典派経済学の 理論がほぼ出揃った時代であるが、そのころベンタムはすでに功利主義の立場 から代議制民主主義を正当化し、ミル父子と共に普通選挙と議会改革を唱える にとどまらず、洗練された官僚制を備えかつ悪政に対する情報公開と世論の役 割を重視した民主主義憲法を、おそるべきほどの詳細にわたって構想していた。 このベンタムの民主主義理論を「発掘」し、功利主義に基礎づけられた明快な 民主主義モデルとして再生させることは、大きな思想史的価値があるばかりで なく、官僚制改革と腐敗が問題になり、情報公開の必要性がこれまで以上に強 調され、メディアの急激な発展に伴い世論の役割の再検討が緊急に必要とされ ている今日においては、かならず重要な実践的貢献に結びつくはずである。


コメント: ここは重要なので、気合いを入れ、 ちょっとくどい気もするが実用面を十分に強調して書いた。


3. 研究業績

(1) 学術雑誌等(紀要等は除く)に発表した論文 (掲載を決定されたものを含む。)

  1. 京都大学大学院、児玉聡、 「ベンタムにおける徳と幸福」、『実践哲学研究』(第22号)、実践哲学研究会、 1999年、33-52頁。
  2. 京都大学大学院、児玉聡、 「なぜ死刑制度は廃止されるべきなのか? --応報論を論拠とする死刑廃止論の検討」、 『生命・環境・科学技術倫理研究 III』、千葉大学、1998年、185-191頁。
  3. 京都大学大学院、児玉聡、 「有効なすべり坂論法とは何か?」、 『生命・環境・科学技術倫理研究 V』、 千葉大学、2000年、83-92頁。
  4. 京都大学大学院、児玉聡、 「判断能力に関する最近の研究動向 --リスク相関的な判断能力基準をめぐる Bioethics誌上の論争について--」、 『倫理学サーベイ論文集I』、京都大学文学研究科倫理学研究室、 2000年、20-43頁。

(2) 学会において口頭発表もしくはポスター発表した論文、 紀要等に発表した論文

口頭発表

  1. 京都大学大学院、児玉聡、 「ベンタムにおける徳と幸福について」、日本公益(功利)主義学会、 於関東学院葉山セミナーハウス、1999年9月16日。
  2. 京都大学大学院、児玉聡、 「ベンタムの自然権論批判」、関西倫理学会、於大阪市立大学、 1999年11月13日。

翻訳(英語)

  1. フィリップ・スコフィールド、 「法実証主義と初期功利主義思想における契約説の否定」、 『実践哲学研究』(第21号)、実践哲学研究会、1998年、49-80頁。
  2. ジェームズ・ムーア、「コンピュータ倫理学とは何か」、 『情報倫理学研究資料集II』、「情報倫理の構築」プロジェクト、2000年、 1-12頁。
  3. ジャスティン・オークリ、「徳倫理の諸相と情報社会におけるその意義」 (岸田功平・徳田尚之と共訳)、『情報倫理学研究資料集II』、 「情報倫理の構築」プロジェクト、2000年、13-36頁。
  4. ヘンリー・シジウィック著、 加藤尚武・長岡成夫監訳、 『倫理学の諸方法(仮題)』 (H. Sidgwick, The Methods of Ethics, 7. ed., 1981)、 理想社、近刊予定、申請者は第一巻第六部を担当。
  5. T・ビーチャム & N・ボウイ編、 加藤尚武・梅津光弘監訳、 『ビジネス・エシックス第一分冊(仮題)』 (T. Beauchamp & N.Bowie ed., Ethical Theory and Business, 5. ed., 1997)、 晃洋書房、近刊予定、申請者は第一章第一部の前半、 および第二章の一部を担当。

応用倫理に関する文献紹介

  1. D・ディクソン、 「遺伝情報に関する顧問委員会が英国で設置される予定」、 『ヒトゲノム解析研究と社会との接点研究報告集 第2集』、 京都大学文学部倫理学研究室、1996年、285-286頁。
  2. エドワード・カヴァンザス、 「成人向けのマテリアル: 合法と違法の境界線を引く」、 『情報倫理学研究資料集I』、「情報倫理の構築」プロジェクト、1999年、 142-9頁。
  3. ジェームズ・ムーア、「情報時代におけるプライバシー理論の構築に向けて」、 『情報倫理学研究資料集II』、 「情報倫理の構築」プロジェクト、2000年、185-90頁。

コメント: 千葉大の資料集に書いたものなどを(1)に入れるか(2)に入れるか 迷ったが、けっきょく(1)に入れた。 (2)のページに入り切らなかったという理由もある。

それにしてもベンタム関係の論文がすくない。 これからちゃんと口頭発表、論文投稿すべし。


最も主要な研究論文の要旨

博士論文の要旨 (作成中)

論文題名 ベンタムの代議制民主主義理論の功利主義的基礎づけ (仮題)

ベンタムの功利主義が持つ大きな問題のうちに、利己的な人間がなぜ自分の利 益だけでなく他人の利益をも尊重せよと要求する功利原理に従うのかという動 機の問題と、社会の幸福の最大化を要求する功利主義は少数者の利益の切り捨 てにつながるという「多数者の専制」の問題がある。ベンタムはこれらの問題 について『道徳と立法の原理序説』や『デオントロジー』といった倫理学的な 著作においてはほとんど取り組んでおらず、そのため一見したところ、彼は 「共同体はそれを構成する成員の総体である」という命題から「共同体の利益 は個人の利益の総体である」という命題を導き出し、そして楽観的に各人の利 益の自然的調和を想定して上のような問題は心配する必要がないと考えていた かのように見受けられさえする。しかし、人々の頭数を数える場合とは違い、 人々の利益についてはそのような単純な足し算はできないのは明らかである。

だが、ベンタムがそのような楽観的な立場を採っていなかったことは、『憲法 典』や『悪政防御論』といった後期の一連の憲法理論、とくに代議制民主主義 の議論を検討することによって明らかになる。これらの著作で彼は、為政者お よび役人を、大きな権力を持つがゆえに利己心が増大された存在とみなし、社 会全体の幸福を犠牲にしてでも自己の幸福を追求する人々の典型と考える。 それゆえ、彼は功利原理と利己的な人間本性を橋渡しする第三の原理「利益の 結合規定原理」を提起し、為政者および市民の利益の一致のためには、代議制 民主主義がもっとも効果的であることを説く。この文脈でベンタムが選挙人に ついて述べている次の文は、利己的な人間がなぜ功利原理に従うのかという動 機の問題に対して重要な示唆を与える。「自分の利益のために全員の利益を犠 牲にするような人――つまり、自分に固有の利益のために他人の利益を犠牲に するような人は、けっしてたいした数の助けを得ることはできない。自分の利 益のうちでも、自分だけでなく他人にも利益になるような利益を促進しようと する人は、すべての人の助けを得ることができるだろう。(中略) ある有権者 が得ることが期待できる利益は、彼が他人と共通に持っている利益だけであ る」。つまり、他人との協力を必要とするかぎり、人は他人の利益を無視した 行為ではなく、他人の利益を考慮した行為を行なう必要がある。このとき、各 人が平等に自己の利益を主張できる理想的な状態においては、各人の利益が平 等に尊重されることになる。ベンタムが普通選挙、秘密投票、情報公開などを 基調とした代議制民主主義を唱えた背景には、このような功利主義にとって理 想的な状態を現実化するという意図があったと思われる。

また、ベンタムは世論の力を悪政に対する最大の防御として評価していたが、 世論がその内部において利益の衝突しあう「貴族的部分」と「民衆的部分」に 分裂しうることを認めており、少数者の存在を意識していたように思われる。 もっとも、多くの場合ベンタムが問題にするのは、少数の権力者によって多数 の市民の利益が損なわれるという事態であり、J・S・ミルが問題にしていたよ うな多数の市民による少数の市民の抑圧という問題ではない。しかし、この 「多数者の専制」の問題に関してスタインバーガーやローゼンといった研究者 が、試験による議員の知的能力の向上、および有権者の教育レベルの向上といっ たベンタムの計画を指摘することによって解決を示唆しているのは、 ベンタムの思想の限界を明らかにするうえで検討に値する。

このように、ベンタムの民主主義論を検討することは、より現実的な場面にお いてベンタムがどのように功利原理を適用しようとしていたかを考察すること につながり、それゆえ彼の思想の最終的な成果を検討するというばかりでなく、 功利主義の性格づけとその限界を鮮明にするために不可欠な作業だと言える。 そこで本論文では、ベンタムが功利主義の立場から代議制民主主義を採用した 理由を検討し、また民主制における立法府、行政府、官僚制、世論と情報公開 等の役割についての彼の議論をくわしく検討することにより、彼の功利主義の 評価を行なう。

暫定的な結論としては、官僚の腐敗を防ぐために綿密な対策がなされ、最低限 の福祉を保証された市民が他人の重大な利益を侵害しない限りで自己の利益を 追求することのできる社会というベンタムの自由民主主義構想は、世論や新聞 (メディア)に対する過度の期待があるものの、現在そして未来の民主主義のあ り方を示すものとして評価できると論じる。また、功利主義の理論的問題に関 しては、「利害関係者の全員参加による意思決定」という考えが情報公開と世 論による役人の腐敗対策とほぼ無制限の普通選挙の支持に示されていることに 着目し、功利主義が持つ少数者問題や動機づけの問題に対する一定の解決策が 見出されうると論じる。


コメント: 『実哲研』の論文の要旨を書くべきか、関倫の口頭発表の要旨を 書くべきか迷ったけれど、けっきょく某先輩の勧めにしたがって博論の要旨を 書いた。しかし、博論にはまったく手を付けてないため、 読めばわかるとおり、まだアイディアを述べる状態に留まっている。

[付記。まだ刊行していない博論をここに書くのはまずい、という意見もある]

最後になりますが、 この応募書類を書くにあたって貴重なコメントをくれた方々に感謝します。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat May 18 12:42:58 2002