ベンタムの死刑論

倫理学 D2 児玉 聡

はじめに

本発表の目的

本発表では、ベンタム(1748-1832)の死刑論を取り扱う。 彼は功利主義理論に立脚し、死刑廃止を主張している。 功利主義理論の一適用例である死刑論を詳しく検討することによって、 死刑廃止を支持する彼の議論を吟味するだけでなく、 この適用例を通して彼の功利主義理論の批判的評価を行なう。

使用テキスト

テキストについて

死刑論が含まれている第二部は、リチャード・スミスにより、 デュモン編訳『刑罰および報酬の理論』(1811)の一部とベンサムの 草稿とから編集され、初版は1830年、ロンドン。 デュモンの「序」と、付録としてベンサムの「死刑について」 とJeremy Bentham to his fellow citizens of France, on death punishment, London 1831. (1830年12月から1831年3月にかけて書かれた)とがある。 (永井 1982, 370を参考にした)

「死刑について」は1775年頃に書かれたもの、 「付録: 死刑について ジェレミー・ベンタムからフランス市民へ」 は1830-1年に書かれたもの。(Bedau 1983, 987)

オンラインでも一部読める。 Jeremy Bentham's Labyrinth: http://www.la.utexas.edu/labyrinth/index.html


本論

背景

以上、Mill (1988)と団藤(2000)とアンベール(1997)を主に参考にした。

ベンタムの死刑論

ベンタムの死刑論は、彼の功利主義的刑罰論に基づく。

ベンタムの刑罰論

刑罰はそれ自体は悪いもの(苦痛をもたらすから)。 刑罰を行なった結果、 より大きな害悪を妨げることができる場合にのみ正当化される。

All punishment being in itself evil, upon the principle of utility, if it ought at all to be admitted, it ought only to be admitted in as far as it promises to exclude some greater evil. (Bentham 1843, 397)

刑罰の主たる目的は、一般予防(市民が将来犯罪を行なうことを防止する)にある。 刑罰は復讐としてではなく、社会の安全のための不可欠の犠牲として考えた ときにのみ有益なものになる。

General prevention ought to be the chief end of punishment...

That punishment which, considered in itself, appeared base and repugnant to all generous sentiments, is elevated to the first rank of benefits, when it is regarded not as an act of wrath or of vengeance against a guilty or unfortunate individual who has given way to mischievous inclinations, but as an indispensable sacrifice to the common safety. (id., 396)

(→では、刑罰は重ければ重いほどいいのか、 無実の人を罰するのも許されるのかという問題)

犯罪者も社会の一員だから社会の他の成員と同様に、 彼らの利益も考慮に入れるべき。 (→犯罪を予防するために必要最小限の刑罰が望ましい。 犯罪と刑罰のつりあい)

It ought not to be forgotten, although it has been too frequently forgotten, that the delinquent is a member of the community, as well as any other individual -- as well as the party injured himself; and that there is just as much reason for consulting his interest as that of any other. His welfare is proportionably the welfare of the community -- his suffering the suffering of the community. (id., 398)

特殊予防(犯罪者の再犯の防止)に関しては、 (刑務所に入れるなどして)犯罪を行なうのを不可能にするか、 刑罰によって矯正(reform or intimidate)する必要がある。(id., 396)

特殊予防よりも一般予防の方が重要であるのは、 功利主義的に見ると、 一人を罰することによって多数に抑止効果を与えることが望ましいから。 各人が痛い目に遭わないと犯罪を予防できないようでは効率が悪い。

If delinquents were constantly punished for their offences, and nobody else knew of it, it is evident that, excepting the inconsiderable benefit which might result in the way of disablement, or reformation, there would be a great deal of mischief done, and not the least particle of good. (...) It would serve as an example of no one. (id., 399)

犯罪の予防に比べると、被害者の補償は二次的な目的。(id., 396-7) (cf. Bentham 1789, 159n 復讐心を満たすためだけに刑罰を課すのは不適当。 加えられる苦痛よりも大きな満足は得られないから)

This purpose, as far as it can be answered gratis, is a beneficial one. But no punishment ought to be allotted merely to this purpose, because (setting aside its effects in the way of control) no such pleasure is ever produced by punishment as can be equivalent to the pain. The punishment, however, which is allotted to the other purpose, ought, as far as it can be done without expense, to be accommodated to this.

(功利主義的見地からして)刑罰を課すべきではない四つの場合。(id., 397)

  1. 罰する根拠がない場合 (同意がある場合など)
  2. 罰しても効果がない場合 (遡及法の場合、幼児、狂人の場合など)
  3. 刑罰が不経済の場合
  4. 刑罰が不要の場合 (教育などによって抑止できる場合)

刑罰が持つべき性質 (id., 402-6)

  1. 可変性 variability (刑罰の強さや長さを調節できるかどうか)
  2. 均等さ equability (同一の刑罰がさまざまな人々に同一の効果を持つかどうか。 たとえば国外追放は不均等)
  3. 比較可能性 commensurability (他の刑罰と強さや長さの点で比較できるかどうか。 窃盗、殺人、放火によってお金を盗むことができる場合、 それぞれに比較可能な異なる刑罰を課すことにより、 犯罪者がより害悪の少ない犯罪を選ぶようにさせる)
  4. 特異性 (類似性) characteristicalness (犯罪とそれに課される刑罰との類推が容易か どうか。この点では「目には目を」というタリオの法がもっとも優れている)
  5. 懲戒力 exemplarity (一般予防の効果が優れているかどうか)
  6. 倹約さ frugality (不要な苦痛を生みださないかどうか)
  7. 矯正効果 subserviency to reformation (犯罪者を矯正する効果があるかどうか)
  8. 不能効果 efficacy with respect to disablement (犯罪者が再犯を行なうことを防ぐ効果があるかどうか。 たとえば死刑はこの効果が高い)
  9. 補償効果 subserviency to compensation (刑罰が同時に補償効果を持つか。たとえば罰金刑; 被害者の満足も含まれる Bentham 1789, 182)
  10. 民衆の支持 popularity (刑罰が市民に不人気でないかどうか)
  11. 記述の単純さ simplicity of description (刑罰の内容が誰にでもわかるかどうか。 たとえば刑罰の名前が理解不能でないか)
  12. 軽減可能性 remissibility (冤罪であった場合などに、刑罰を免除したり、 刑期を短かくできるかどうか)

死刑も以上の観点から(特に終身刑と比較した場合の)長所と短所が検討される。 そして、他の種類の刑罰と比べてどちらがより功利主義的に好ましいかが考察される。 「この点に関しては、刑罰の問題においても、税金の問題と同じ規則が守られ るべきである。ある特定の税金についてそれを不公平だと不平を言うことは、 不満の種をまくだけであり、それ以上ではない。これ自体は有害な発見なのだ から、真に有用であるためには、不平を言うだけでなく、等しく生産的でより 都合のよいことが証明されるような別の税金を提示すべきである。」 (id., 444)

死刑の長所 (id., 444-5)

  1. 殺人の場合に犯罪と刑罰が類似している
  2. 殺人の場合には民衆の支持がある
  3. 不能効果が最も高い (再犯が不可能)
  4. 懲戒力(一般予防効果)が高い; 特に乱発されない場合はそうである。

ただし、ベンタムはあとでこれらの長所と言われている点を批判する。 とくに問題になるのは4.の一般予防効果についてである。 とりわけ凶悪な犯罪者に関しては、 死刑よりも懲役刑の方が懲戒力があるとベンタムは考えている(短所の3を参照)。 「とはいえ、極悪な犯罪者に関しては、労働の刑の方が --その程度はほどほどのものと考えたとしても-- 考えうるかぎりのいかなる残酷な死よりも強い印象を与えると ベッカリーア氏が考えたのは理由のないことではない。 しかし、 名誉や愛情や享楽や希望によって生につながれている一般の人々について言えば、 死刑は他のいかなる刑罰よりもみせしめの力を持つと思われる。」 (id., 444)

死刑の短所 (id., 445-9)

  1. 補償効果がない
  2. 倹約さに欠ける (国家の成員の損失→懲役刑の方が経済的)
  3. 均等さにも欠ける (人によって死刑を恐れる程度が異なる) / 可変性もない (凶悪な犯罪者もそうでない犯罪者も刑罰が同じになる)
  4. 軽減不可能である (誤判の問題 `for death there is no remedy.' id., 447、カラス事件 / 犯罪の証人を殺すことになる / 内乱のときなどに濫用される可能性が高い)
  5. 殺人犯の場合をのぞけば民衆から不人気→法に対する不信を促す (むしろ犯罪が増える可能性すらある。id., 450)

(死刑は凶悪な犯罪者にとって、兵士が銃に打たれたり、 船乗りが座礁で死んだりするのと同じようなもの)

When one observes the courage or brutal insensibility, when in the very act of being turned off, of the greater part of the malefactors that are executed at Newgate, it is impossible not to feel persuaded that they have been accustomed to consider this mode of ending their days as being to them a natural death---as an accident or misfortunes by which they ought no more to be deterred from their profession than soldiers or sailors are from theirs, by the apprehension of bullets or of shipwreck. (id., 447n)

死刑の長所の批判と、他の刑罰との比較 (id., 449-50)

1. 犯罪と刑罰が類似していることは、 その刑罰を勧める理由にはなるがそれだけでは正当化できない。 死刑以外にも殺人と類似した刑罰を考案することが可能。

2. 死刑より効率的な刑罰が民衆の支持を得る可能性は常にある。

3. 殺人の場合は再犯を防ぐために死刑が絶対に必要だと言われるが、 凶悪な犯罪者でも狂人に比べれば行為は予測可能である。 しかし、狂人は閉じこめられるだけで、死刑にされることはない。 したがって、犯罪者も閉じこめるだけで十分。

ただし、ベッカリーアも認めているように、 内乱の主謀者を死刑にしなければならない場合はある。 もっとも、主謀者を殺すと事態がさらに悪化する可能性もある。

4. (死刑の抑止力はもっとも強力な論点) たしかに死刑は民衆に非常に強い印象を与える。 しかし、死を怖れない凶悪な人間にとっては、 むしろ長くて骨の折れる懲役刑の方が抑止力があると思われる。 (この点を上層階級の立法者や裁判官は理解していない)
→パノプティコン構想
(cf. トスカナの死刑廃止の事例 id., 531)

結論: 死刑は廃止し、終身刑に変えるべき。 全面的な廃止が困難ならば、 民衆に大きな恐怖を引き起こすような凶悪な殺人の場合に限定すべき。

It appears however to me that the contemplation of perpetual imprisonment, accompanied with hard labour and occasional solitary confinement, would produce a deeper impression on the minds of persons in whom it is more eminently desirable that that impression should be produced, than even death itself. (id., 450)

If, in spite of these reasons, which appear to be conclusive, it be determined to preserve the punishment of death, in consideration of the effects it produces in terrorum, it ought to be confined to offenses which, in the highest degree, shock the public feeling---for murders, accompanied with circumstances of aggravation, and particularly when their effect may be the destruction of numbers; (id., 450)

ベンタムの死刑論の評価

ベンタムの死刑論の問題点

ベンタムの死刑論の優れた点

賛成派も反対派も共通の土台で議論できる (→子ミルは殺人罪に対する死刑に賛成)。 社会契約説では実証的な議論はできない。 (一貫した)応報論は死刑賛成派しか認められない。

[U]tilitarian arguments could in principle (even if they did not always in fact) proceed to focus upon details and subsidiary matters, because the general form of the argument had been settled once for all and in a way neutral to the outcome. That is, Bentham's analysis enables a utilitarian to defend or attack the death penalty in a way that any other utilitarian could immediately grasp and either reinforce or undermine, depending upon further empirical considerations independent of the form of the argument itself. (Bedau 1983, 1007)


現代の標準的な死刑存置論、廃止論の論点

(団藤 2000、三原 1999などを主に参考にした)

死刑存置論の論点

死刑廃止論の論点


引用文献


その他の参考文献


ウェブサイト


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Tue May 30 14:13:41 2000