デイヴィッド・ロスマン『医療倫理の夜明け』、第一章要約
「被験者の尊厳--第二次世界大戦以前の状況(The Nobility of the Material)」
(注: 序章のまとめは、奥田くんによるものがオンラインで読めます)
導入 (翻訳29-33頁)
- 1966年、ヘンリー・ビーチャーの論文
「臨床研究と倫理(Ethics and clinical research)」
- 人体実験の非倫理性を具体例を挙げて痛烈に批判
(インフォームド・コンセントの原則と責任ある研究態度の重要性を強調)
- →学界だけではなく、一般市民にも大きな注目を浴びた
(「研究者は信用ならん」という世論を作りだすのに貢献)
- →医療上の意思決定プロセスの変革をうながした。
- ビーチャーの論文に対する批判:
ビーチャーは1950年代の臨床研究を60年代後半の倫理基準で批判している。
当時はまだ人体実験の倫理基準が確立しておらず、
インフォームド・コンセントが必要だとも考えられていなかった。
研究倫理(research ethics)が未熟だったのは仕方がない。(32頁)
- ロスマン: 歴史を無視した批判。人体実験も研究倫理も最近の産物ではない。
ただし、第二次世界大戦後の医学研究が特殊性を持つこともたしかである。
そこで医学研究の歴史を以下で追ってみることにする。(33頁)
(* 第一章では戦前の研究が扱われる)
戦前の一般的状況
「第二次世界大戦まで、臨床研究は地域社会の期待にそった価値観にもとづき、
たいてい小規模で少人数を対象にしていた。(中略)。
州立の孤児院や知的障害[者のための学校]の子供たちを対象に研究を行なう者もいた。
それでも、少なくとも第二次世界大戦以前では、そのような研究は比較的まれだった」
(33-4頁)
18世紀以前 (34-5頁)
- ギリシャ、ローマ…実験の記録なし
- 中世アラブ…実験の記録なし
- マイモニデスやロジャー・ベーコンの研究倫理についての格言
- M: 真理ではなく治療を目的にせよ
- B: 物理学などとは違い、医学の場合は研究対象が神聖
(the nobility of the material)だから実験は困難
18世紀 (35-6頁)
- 人体実験がはじめて医学的知識に重大な影響を与える。
- ジェンナーの種痘ワクチンの研究…主に家族や隣人が被験者になった
- 死刑囚を人体実験に使った例もあるが、例外的。
19世紀 (37-41頁)
- 引き続き実験は小規模で、被験者は研究者本人かその家族か隣人
- ヨハン・ヨルグ…自分で薬剤を服用
- ジェームズ・シンプソン…自らクロロフォルムを吸引し床に倒れる
- ウィリアム・ボーモント…被験者から同意書を得る
- ルイ・パスツール…狂犬病の予防接種の人体実験
(狂犬病の恐れがある少年を、二人の医師が診断した上で、最初の被験者にした)
- クロード・ベルナール…「医学ならびに外科学の道徳原則は、
結果が科学にとってきわめて有益、すなわち、
人々の健康に役立つことであっても、
被験者に少しでも害を与える実験は行なわないことである」。
(例外: 死にかけている患者は実験台にしてよい)
→ベルナールのこの考え方はとくにここ20年のあいだによく引用されている
- 判例法…人体実験の重要性と患者の同意の必要性を認めている
20世紀(第二次世界大戦まで) (41-7頁)
- 医学研究や教育の専門化の発展→臨床研究の激増
- 引き続き小規模で治療目的の実験が多いが、
研究者と被験者の関係は疎遠になる
たとえば、特定の病院の患者たちを実験台にするなど
- 被験者の幸福よりも医学の進歩を優先する研究者の出現
ウォルター・リード…黄熱病の実験
- 兵士や労働者を実験台にして研究を行なった
- 被験者との契約書は事実を歪めたもの
- →メディアから「非人道的だ」と非難を受ける
- その他にも、第二次世界大戦前の非倫理的実験がいくつかある。
多くは知的障害者や施設に収容されている者
(精神病患者、孤児、病院の患者など)を実験台にしていた。
野口英世の梅毒感染の実験
- 動物実験で安全性を確かめたあと、400人の被験者でテスト
- 被験者は精神病患者、施設の孤児、病院の患者など
- 被験者に説明もせず、同意も得ずに行なった
- →動物実験反対論者、新聞などから批判
- 結局、非倫理的な実験が例外的だったために
人体実験を規制する法律の制定にはいたらなかったが、
これらの事例は、人体実験に関して一般市民が一定の倫理基準を持っていた
ことを例証している。
KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu May 11 19:08:22 2000