児玉聡、「新型出生前診断:何が問題か」、『文藝春秋オピニオン2014年の論点100』、 文藝春秋、2014年1月1日、268-269頁 (最終稿とは少し異なる可能性があります)
妊婦の血液検査だけでダウン症(21トリソミー)などの染色体異常がわかる「新型出生前診断」(NIPT)は、2013年4月から国内で実施されるようになり、同年6月末までにすでに1500人以上の妊婦が検査を受けたという。新型出生前診断が従来の出生前診断に比べて新しいのは、妊娠10週目以降という妊娠初期の段階で、母親の血液を採取するだけで、ダウン症を含む三種類の染色体異常の有無を高い確率で診断できるという点である。つまり、早期かつ容易で確実という点が新しい。
ただし、高い確率と言っても、陰性的中率がほぼ100%であるのに対し、陽性的中率は35歳以上で80%〜95%とされる。つまり、染色体異常が「ない」と診断された場合はその診断は間違いないと考えられるが、「ある」と診断された場合には実際には異常がない可能性が残る。そのため、異常ありと診断された場合には確定診断として、羊水検査か絨毛検査を受けるべきである。ただ、羊水検査や絨毛検査は妊婦の子宮から羊水あるいは絨毛をとって検査するため、若干であるが流産のリスクがある。
いずれにせよ、胎児の染色体異常の有無を知るための検査が早期かつ容易にできることは新型出生前診断の大きな利点である。しかしその一方で、障害者団体を中心に、「命の選別」に拍車がかかるのではないかという懸念も生じている。日本産科婦人科学会はこの点を考慮して、当面は実施施設を限定して臨床研究として行うこととし、また対象者を分娩時35歳以上の妊婦および胎児の染色体疾患の可能性が疑われる妊婦に限ることとした。認定を受けた施設では、検査を希望する妊婦およびパートナーは、検査の前後に遺伝カウンセリングを受けることが求められる。これは、検査の意味をよく理解したうえで受け、また検査の結果をよく理解したうえでその後の方針を決めるというインフォームド・コンセントを徹底するということだ。
これまでの実施状況は、次のようになっている。2013年4月から6月末までに全国の22施設で1534人が受診し、陽性は29人、陰性は1502人、3人が判定保留だった。陽性のうち、ダウン症(21トリソミー)が16人、18トリソミーが9人、13トリソミーは4人とされた。陽性のうち少なくとも6人が羊水検査などで異常が確定し、2人が人工妊娠中絶をした。別の2人は確定診断で「異常なし」と分かった。受診した妊婦の平均年齢は38.3歳で、受診理由は高齢妊娠が94.1%と大半を占めたとされる。
新型出生前診断が提起している倫理的問題は「胎児が先天的な障害をもっていると判明した場合に、それを理由に中絶することは許されるか」というものだ。いわゆる選択的妊娠中絶の問題である。現在の日本では年間20万件ほどの人工妊娠中絶が行われている。母体保護法により、身体的または経済的理由により妊娠と出産が母体の健康を著しく害する可能性がある場合には、中絶をすることが認められている。しかし、胎児の先天的障害を理由に中絶することを認める「胎児条項」は日本の法律には存在しない。実際のところは、経済的理由という名目で選択的妊娠中絶が行われていると考えられている。選択的妊娠中絶の問題は、少なくとも羊水検査が普及し始めた1970年代から存在しており、また近年は超音波検査の目覚しい技術進歩により実質上の出生前診断となっていることが問題視されていた。今回の新型出生前診断は、この問題を大きな社会問題として現出させたと言える。
障害者団体等が懸念しているのは、新型出生前診断が超音波検査同様にルーチン化することだ。そうなると、ダウン症等の障害をもった胎児の中絶が当たり前の社会となり、障害者がますます生きづらい社会になってしまう。むしろ、そういう風潮を作るのではなく、どんな障害や病気を持っていても幸せに生きることのできる社会を作るべきだという。
他方、女性あるいは個人の選択を重視する立場からすると、子どもを生むに当たって早めに胎児の障害の有無がわかることは、中絶を選ぶにせよそうでないにせよ、その後の生き方を決めるうえで重要なことだと主張されるだろう。また、子どもを生むか中絶するかは女性の自由だとも考えられる。
新型出生前診断に対する社会的な関心は高い。共同通信社などが加盟している日本世論調査会が9月末に実施した一般人対象の全国調査によれば、新型出生前診断に「関心がある」と答えた人は8割に上った。また、新型出生前診断の容認派は79%で、拒否派の16%を大きく上回ったという。容認する理由としては、「高齢出産が増えており、赤ちゃんの状態を知った方がよい」が31%、「異常が分かれば出産後の準備に役立つから」が37%、「中絶手術という選択もあり得るから」が14%だったという。ここからは、必ずしも障害の有無を知ることが中絶の選択に直結していない可能性が見てとれる。
医療技術の進歩により、今後も出生前診断の技術はより正確で、より安全なものになっていくことが予想される。検査によって得られる知識は必ずしもよいものだけではないだろうが、検査を受けるかどうかは女性の自由に委ねられるべきもののように思われる。社会として考えるべきことは、妊婦が十分な情報を得たうえでこの検査を受けることをしっかり保証することと、仮に胎児に障害があるとわかった場合に、障害をもった子どもを産んでも幸福に暮らせるような社会保障制度を整えることであろう。この問題は高齢出産の増加とも大きく関わっている。出産と育児をめぐる社会政策の一部として真剣に議論することが求められる。