NOTICE: IF YOU DON'T READ JAPANESE, you can read the same thing in English. Go and see Who was Jeremy Bentham?, in the Bentham Project Home Page. I translated it into Japanese with their permission.
哲学者でもあり法学者でもあるジェレミー・ベンタム(1748-1832)は、1748 年2月15日にロンドンはハウンズディッチHoundsditchというところで産まれま した。彼がちょっとした神童であることが、育つにつれ明らかになりました。 彼はまだよちよち歩きの幼児だったころに、父の机に向かって座り、何巻もあ る英国史を読んでいたんだそうです。また彼がラテン語の勉強を始めたのは、 実に三才のときです。そして十二歳になったとき、ベンタムはオックスフォー ド大学のクイーンズカレッジに行くことになりました。なぜなら、裕福な事務 弁護士である彼の父が、ジェレミーに自分の後を継がせて法律家の道に進ませ ようと決心したからであり、彼は自分の頭の冴えている息子ならば、いつかきっ とイングランドの大法官になるであろうと確信していたのです。
しかしベンタムは、まもなく法学に幻滅を抱くようになります。とりわけ、 当時の一流の権威であるウィリアム・ブラックストーン(1723-80)の講義を聴 いて、彼は幻滅したのです。そこでベンタムは法の実務の仕事ではなく、法に ついて本を書こうと決めました。それから彼は一生の間、当時用いられていた 法律を批判しつづけ、それを改善するためのさまざまな提案をし続けたのです。 またベンタムの父は1792年に亡くなりましたが、生活していくに十分なだけの 財産をベンタムに残しました。だからベンタムはほぼ40年もの間ウェストミン スターで静かに暮らすことができたのです。彼はそこで毎日10枚から20枚の原 稿を書き、しかもそれは彼が80代に入っても続きました。
「ベンタムの著作なんか一行も読んだことのない」という人たちにとって も、ベンタムの名はいつまでも功利主義という学説と「最大多数の最大幸福」 の原理と結び付けられて思い出されることでしょう。この原理は、当時用いら れていた制度や慣習や信念の有用性(功利性)を、客観的な評価基準に照らし て検査するために使われました。この原理こそが、彼が社会の根本的な批判を 行うための出発点であったと言えます。彼は法制度の改革をなんら遠慮するこ となく主張し、自然法や社会契約説といった確立された政治的学説に対してけ んか腰で批判しました。また、彼が一番初めに民主主義を功利主義の立場から 正当化しました。さらにベンタムは、刑務所の改革・宗教・貧民の救済・国際 法・同性愛・動物の幸福などといった、さまざまなテーマについても特筆すべ きことを書いています。
1820年代頃までには、ベンタムは英国でもほかの国々でも広く尊敬されて いる人物になっていました。また、彼の考えは19世紀になされた行政改革に大 きく影響することになりました。それに、彼の書いた事柄は、――とりわけ社 会政策や費用効果分析cost benefit analysisや福祉経済の分野においては―― 現在もなお学問的な議論の中心にあります。彼の業績に関する研究が、UCL (ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)のベンタム・プロジェクトにおいて 続けられています。ベンタム・プロジェクトとは1960年代の前半に設置された 委員会であり、ベンタムの著作と往復書簡を編集し、学術的に用いることので きるような、これまでにない全集を出版することを目標としています。全集は 見積もりでは70巻にもなる予定です!
University Collage London (UCL)のホームページ('Who was Jeremy Bentham?' http://www.ucl.ac.uk/Bentham-Project/jb.htm )から引用、訳してみた。この大学が現在『ベンサム全集』を作成中。なお、 この訳をホームページに載せるに当たって、Bentham Projectの J. Harris氏から快諾をいただいた(本当)。Thank you so much!!