(05/06/97発表予定)
M1 児玉 聡
(今見ると、いろいろ変なレジメだが、まあこれはこれで、 修士一回生になりたての頃の若さというか青さを知ることができ、 けっこうおもしろいんじゃないだろうか 06/12/98)
「非常に多くの人が休むことなく自然法について語り続けている。自然法につ いて述べた後、彼らは次に何が正しくて何が正しくないかについての彼らの意 見を述べる。そしてこれらの意見は、――あなたはこう理解すべきらしい――、 自然法の一章であり一項目であるのだ。」1
打倒自然法・自然権
問題 以下の文章の出典を述べよ。
1. 「人間は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれ ている。(Man is born free, and everywhere he is in chains.)」 2
2. 「人類の発展過程に、一国民が、従来、他国民の下に存した結合の政治的
紐帯を断ち、自然の法と自然の神の法とにより賦与される自立平等の地位を、
世界の諸強国のあいだに占めることが必要となる場合に、その国民が分立を余
儀なくさせられた理由を声明することは、人類一般の意見に対して抱く当然の
尊重の結果である。
われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によっ
て、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸
福の追求の含まれることを信ずる。また、これらの権利を確保するために人類
のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者の同意に由
来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形体といえども、もし
これらの目的を毀損するものとなった場合には、人民はそれを改廃し、かれら
の安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし、また権限の機
構をもつ、新たな政府を組織する権利を有することを信ずる。」
3
3. 「第一条 人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存
する。社会的差別は、共同の利益の上にのみ設けることができる。
第二条 あらゆる政治的団結の目的は、人の消滅することのない自然権を保全
することである。これらの権利は、自由・所有権、安全および圧制への抵抗で
ある。」4
4. 「第一条 すべての人間は、生まれながら自由で、尊厳と権利について平等 である。人間は、理性と良心を授けられており、同胞の精神をもって互に行動 しなくてはならない」5
Bentham:「(フランス人権宣言第一条を批判して)人間は生まれながらに自由 でなく、権利においても平等でない。政府の設立によって、法の存在によって 初めて、自由、平等である。政府のない状態は未開状態であり、安全、所有権 もなく、実力の支配する獣の生活、幸福の欠如した生活である。法のない状態 は不自由、不平等で、悲惨である。(『無政府主義的誤謬論』)」 6
Bentham:「非常に多くの人が休むことなく自然法について語り続けている。自 然法について述べた後、彼らは次に何が正しくて何が正しくないかについての 彼らの意見を述べる。そしてこれらの意見は、――あなたはこう理解すべきら しい――、自然法の一章であり一項目であるのだ。[K1]」 7
功利主義はそもそも、近代自然法思想の枠組みに取って代わるものとして現れ た思想である。そこで修士論文では、(1)ベンタムの自然法・自然権批判を考 察し、(2)功利主義が自然法思想に取って代わりうるものであるかを考えたい。 主な参考文献は以下に挙げるとおりである。
「例えば、功利主義が一定の諸自由を保障しようとする場合、それは最高の原 理である功利の原理から導き出されたものである。つまりそれらの自由は功利 の原理に従属しているのであり、したがってそれらは最大幸福のためにいつで も制限される可能性をもつ自由である。したがって少数者の自由が全体の利益、 多数者の利益のために制約をうける可能性がつねに残されていることになる。」 8
「(功利主義の)致命的な難点とされるのは、個々人の多様性や独自性を無視 し、個人ないし少数者を社会全体ないし多数者の利益のために犠牲にすること を正当化し、社会全体を効率的管理システムに転化させることによって個人の 自由を損なうのではないかということである。」9
Bentham:「人間は自然によって、苦痛painと快楽pleasureという二人の王の支 配の下に置かれてきた。彼ら苦痛と快楽だけが、われわれのすべきことを指示 し(b)、かつわれわれのすることを決定するのである(a)。彼らの玉座には、一 方には正right・不正wrongの基準が結わえられ(b)、もう一方には原因と結果 の鎖が結わえられている(a)。」(IPML 1110)
(a) 人間本性の理論――快楽と苦痛とが、われわれの行動の唯一の原因(ある いは行動を生み出す動機)である。(事実命題)→「各人は自分の幸福を最大化 しようと行動する」(事実命題)
反論:われわれは現に他人の幸福のために自分の幸福を犠牲にしているではな いか(ボランティアなど)
(b) 規範の理論――快楽と苦痛とが、われわれの行動の正・不正を評価するた めの唯一の基準である。(事実命題)→「各人は利害関係者全員の幸福を最大化 するように行動すべきである」(規範命題)
Bentham:「功利原理とは、利害関係のある人(々)の幸福を増進させるように見 えるか減少させるように見えるかの傾向に従って、ありとあらゆる行動を是認 または否認する原理である。」(IPML 12)
Bentham:「社会集団の利益というのはその集団を構成する各成員の利益の総和 に他ならない。」(IPML 12)
したがって、ある行動が功利原理によって「正しい」あるいは「なされるべき だ」と評価されるのは――すなわちある行動が社会集団全体に関する功利性に 一致するのは――、その行動が社会集団の幸福を増やす傾向の方が減らす傾向 よりも大きいときであり(IPML 12-13)、それはすなわち、その行動によって社 会集団の各人に対して生み出される快楽の総和の方が苦痛の総和よりも大きい と判断されるときである。
(→ここにおいて、自然法・自然権思想からの別離がはっきりと宣言される。 ベンタムの主眼点は個人の行動の規範でなく、政府の立法・行政の新たな指針 の確立にある。)
反論: 功利原理が唯一の正しい原理である、という証明はあるのか。
Bentham:「広義の倫理ethics at largeとは、利害関係が考慮される人々に関 して可能な限り最大量の幸福を生み出すように、人々の行動を指導directする 術art、と定義されるであろう。」(IPML 282)
広義の倫理→「利害関係者全員の幸福を最大化するように――すなわち功利原 理にしたがって――人々の行動を指導する術」(自然法やモラルセンスに従っ て、と言っていないところがポイント)
分類1[図1] 誰が各人の行動を指導するか(こだまを一般人と考えて読むこと)
s. こだまがこだま(自分)の行動を指導する場合→自己支配の術(個人の倫理)
g. 先生がこだまの行動を指導する場合→支配の術(立法・行政・教育)
分類2[図2]指導される各人の行動の三領域(奥田君や深谷君も一般人と考えて
読むこと)
a. こだましか利害を持たないような行動領域(奥田君や深谷君には無関係な行動領域)
b. こだまの利害以外にも、奥田君や深谷君の利害にも影響を与えるような行動領域
b1. 奥田君や深谷君を不幸にする行動領域
b2. 奥田君や深谷君を幸福にする行動領域
「個人の行動を法によって規制することがどこまで正当化出来るか」という問 題は、ベンタムにおいてはこの広義の倫理の二つ目の分類により区別された、 「個人の行動の三つの領域(a, b1, b2)に対して、支配の術(g)の一部である立 法術がどれだけ介入することが功利的に正当化されるか」という問題になる。
図1広義の倫理の分類――(1)誰がこだまの行動を指導するか(省略)
図2広義の倫理の分類――(2)こだまの行動の三領域(省略)
それぞれの領域に対応する義務を果たすことによって示される性質
(1)分別prudence (2)誠実probity (3)善行beneficence
法の規制すべき個人の行動
問: なぜ、法の限界が定められなければならないのか。
答の前提: 法は本質的に害悪である。というのも、法はある行動を強制する働 きを持ち、強制は苦痛を与えるものであるから。(反論. 民法や憲法はどうな んだっ)
答: 『「功利的に正しい行為」をこだまが自分ですること(s)』は常に功利的 に正しいが、『「功利的に正しい行為」を先生がこだまにさせること(g)』は 常には功利的に正しくないから。つまり、「功利的に正しい行為」を法によっ て強制した際、法の持つ害悪のほうが行為の功利性(有益さ)を上回ってしまう 場合があるから。
(1) 自分の幸福のみに関わる行動(a)は、こだまの行動の三領域の中でも、功 利原理からいってもっとも法の干渉を必要としない領域である。
理由:健全な精神を持った成人の場合、「自分にとって何が快楽であり、苦痛 であるのかについて自分以上に良き判断者であるものはいない(IPML 159)」の であり、立法家からすれば有害な行為と考えられても、本人が自分の意志から その行為をなす場合、立法家より正しい判断者である本人はその行為を有害な 行為とは考えていないからである。
→こだまは、自分自身の利害しか関係しないようなことに関しては、不正なこ と(快楽を減らし、苦痛を増やす行為)をすることはない。つまりほっておいて も功利原理に一致する行動をとる。むしろ法が干渉することで幸福が損なわれ る可能性のほうが大きい。→裏返せば、功利原理からいってこの領域に関して は、こだまは「自由」であるべきである、ということ。
(2) 自分の幸福に関わり、かつ自分の周りの人の幸福を減らす行動は、ベンタ ムによると(1)とは逆に、もっとも法の干渉を必要とする領域であり、実際に 法の干渉が最も多くなされてきた領域である(IPML 292)。
理由1: たとえば他人の所有物に対する犯罪を行なわないというのは隣人に対 する義務(誠実)であるが、まず立法によって各人の所有物とはなにかが決めら れなければ、われわれはこの義務を果たすために何をすべきでないのかが分か らない、ということが述べられている(たとえば知的所有権を考えてもらいた い)。(IPML 292)
理由2:
Bentham:「ある人が自分の隣人を傷つけるということに対して刑罰を科さない
ことは、功利的に正当化されることはないか、あるとしてもほとんどない。」
(IPML 292)
(3) 自分の幸福に関わり、かつ自分の周りの人の幸福を増やす行動は、ほとん どの場合、法は干渉せず個人の自発的意志に任しておかなくてはならない、と ベンタムは考えている(IPML 292)。
理由: こだまが先生に強制されて奥田君や深谷君に善行をなしたとしたらあり がたみがなくなるから。
結論: 功利原理からすると、法が個人の行動を規制するのが認められるのは、 個人の行動の中でも他人を不幸にするような行動の領域だけである。しかも、 その領域においてたとえ功利的に不正な行為であったとしても、必ずしも法の 規制は認められない。すなわち法が規制してよいのは刑罰が有効であり、不利 益にならず、かつ必要な場合に限る。
ベンタムの議論の意義→非犯罪化、刑罰の軽減、量刑の根拠づけに貢献、自然 法思想ではなく功利主義からの自由の定義
(省略)
(省略)
突然だが、ぼくは自然権が嫌いである。自然法というのも大嫌いである。社会 契約説などというのは全く馬鹿げた考えだと思っている。
「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」とい うのがフランス人権宣言の第一条の冒頭部分である。しかし、「われわれは自 由と平等の権利を持って生まれてきた」というのは、「アイドル歌手は決して トイレに行かない」というのと同じぐらいの真理しか有していない。
また、このような自然権の思想と、「フランス国王は、フランスの国王として 人民と国土を統治するべく出生し、かつ生存する」といった考え、つまり王権 神授説とどこが違うのか。ぼくは「王としての権利を持って生まれて」来たの でないと同様、「自由と平等の権利を持って生まれて」来てはいない。全く馬 鹿げている。そこでこのような愚かしい自由権思想を今日から「人権神授説 theory of the divine theory of human rights」と呼ぶことにする。
とにかく少なくとも今年と来年は全精力を傾けて自然法思想打倒を目指す。目 標はフランス人権宣言の書き換え。あと、国連の人権宣言(「第一条 すべての 人間は、生まれながら自由で、尊厳と権利について平等である」)も書き換え させる。以上、修士一回生の抱負。
ドゥオーキン――「平等な配慮と尊重を求める権利」という、立法に先立って 存在する抽象的な道徳的権利を基礎にすえる。
ノズィック――ロック流の自然権論を継承して、各人は、生命・身体、自由、 財産を侵害されず、侵害に対して処罰し賠償を求めたり自分や他人を守ったり する絶対的な基本的権利を持っており…
William Twining, 'The Contemporary Significance of Bentham's Anarchical Fallacies', Archiv fur Recht- und Socialphilosophie XLI (1975) 325. Melvin Dalgarno, 'The Contemporary Significance of Bentham's Anarchical Fallacies: A reply to William Twining', Archiv fur Recht- und Socialphilosophie XII 357.
'the determinate commands of an identifiable sovereign backed up by the threat of sanctions of one kind or another'
快楽と苦痛、その物の価値: intensity, duration, certainty or uncertainty, propinquity or remoteness
行為の傾向を計る際には: fecundity, purity
複数の人間を考慮に入れる際は: extent
****-- 実定法の根拠(正当性)-- 権利とは-- 法とは何か
自然法思想-- 自然法(自然法に反する実定法は正当性を持たない)-- 生まれながらに持っているもの-- 理性によって見出すもの(実定法は自然法の似姿)「悪法は法にあらず」
法実証主義-- 主権者の意志-- 法によって初めて生み出されるもの-- 主権者の意志によって作り出すもの「悪法も法なり」
****-- 道徳と立法の規範原理-- 政府の目的
自然法思想-- 自然法-- 自然権の保護
功利主義-- 最大幸福原理-- 最大幸福
Thomas Hobbes 1588-1679
John Locke 1632-1704
Issac Newton 1643-1727
David Hume 1711-1776
Jean-Jacques Rousseau 1712-78
Claude Adrien Helvetius 1715-71
William Blackstone 1723-1780
Adam Smith 1723-1790
Immanuel Kant 1724-1804
Edmund Burke 1729-97
Joseph Priestley 1733-1804
Marchese di Cesare Bonesana Beccaria 1738-94
G. W. F. Hegel 1770-1831
John Austin 1790-1859
John Stuart Mill 1804-1873
Henry Sidgwick 1838-1900
Hans Kelsen 1881-1973
"Quantity of pleasure being equal, pushpin is as good as poetry."
自然法の長所-- 1. 現実の実定法に対する、そしてさらにはその実定法を定立した権力に対す る批判的帰納・革命の理論
法実証主義の自然法批判
1. 自然法・自然権の内容は論者によって不確定である。共通の識別基準がない。
2. 法の道徳性moralityと、有効性validityがごっちゃになっている。
基本的人権…人が生まれながらにして持つ、絶対不可譲・不可侵の本質的権利。 この権利は国家によって与えられたものではなく、天賦のものなる故、国家と いえども侵すことは許されない。24
日本国憲法
第11条――国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民 に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将 来の国民に与へられる。
第12条――この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によっ て、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならない のであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。