(『イギリス哲学研究』第27号に掲載予定の原稿です)
永井義雄『ベンサム』(研究社出版 イギリス思想叢書7 2003年 xii+292頁)
児玉聡
日本のベンサム研究の第一人者である永井氏による待望の新著である。氏が約 20年前に講談社「人類の知的遺産」シリーズで書いた『ベンサム』は、それま での国内外のベンサム研究の動向を押さえた白眉の研究書かつ格好のベンサム 入門書であり、日本のベンサム研究者にとっては今日でも最も重要な邦語文献 である。
今回のイギリス思想叢書の『ベンサム』では、ベンサムの人と思想を伝記的な 形式で解説している。知的遺産の方でもベンサムの人と思想の解説を行なって いたが、氏が今回の『ベンサム』の「はしがき」で述べているように、今回の 伝記は「まったく新しい材料だけでベンサムを、その生きた時代の中に蘇らせ る」(p. v)ことを意図しており、前回のものとほとんど重なるところがない。 これは、氏の20年間の研究成果の現われと言えよう。実際、前回と比べると、 当時の時代状況の説明が非常に詳しいものとなっており、その説明の中には、 氏が一次資料の綿密な調査から発掘した事実に基づくものもある。その好例が、 ウィルクス事件についての説明である。ウィルクスは自身の出版物をめぐって 一般逮捕状が出され、王座裁判所に出頭を命じられていた。実際には彼は出頭 しなかったのだが、実はそこで彼を待ち受けていたのが実習生の若きベンサム であった。このことは「どのベンサム研究書にも出ていない」(33頁)と氏は記 している。
もっとも、前回のものとの重なりが少ないということは、前回のものと合わせ て読む必要があると言うことでもある。たとえば、今回はベンサムとプリース トリとの関係が詳細に論じられているが、ベンサムの思想形成に大きな影響を 与えたエルヴェシウスについてはほとんど言及がないため、読者は知的遺産の 方を読む必要があるといった具合である。だが、本書評では伝記の内容にはこ れ以上立ち入らず、本書から読みとれる氏のベンサム解釈を二点に絞って批判 的に検討したい。
(1)近年のベンサム解釈の潮流をサーベイしたクリミンズの論文によれば、ベ ンサム解釈は大きく分けて権威主義的なものと個人主義的なものに分かれる。 前者はベンサムの刑法思想や刑務所改革思想に見られる、自由よりも安全を優 先するベンサム像を強調し、後者は彼の民法思想や憲法思想に見られる、個人 の社会的・経済的活動の安全を最大限保障することにより、最大多数の最大幸 福を実現するというベンサムの見解を強調する。「こよなく自由を大切にした ベンサム」(181頁)と述べる氏は、明らかに後者の個人主義的解釈の陣営に入 ると思われる。特にそれが顕著なのが、フーコーのパノプティコン理解に対す る氏の批判である。氏はパノプティコンの建築原理と運営原理を峻別した上で、 フーコーのように建築原理である中央観察の原理を「ベンサムの社会観の骨格」 と捉えるビッグブラザー的理解を批判し、むしろ民営化による効率化と経費削 減、および経営者の不正を最小化するための情報公開を軸とする運営原理こそ が彼の社会運営の原理だとしている(112-6頁)。以上の氏の主張には全面的に 賛成するが、ただ知的遺産の『ベンサム』における氏の議論との整合性が気に なる。知的遺産の方では建築原理と運営原理の区別がなされていなかったため、 「ここ(=パノプティコン)での管理システムは、そのまま、ベンサムの構想す る近代国家のそれであったと言って良い」(知的遺産、18頁)という一文は、フー コー的な理解を踏襲したもののように読むことが可能であった(少なくともわ たしはこれまでそう理解していた)。氏の弁明を待ちたいところだが、いずれ にせよ、フーコー的解釈の明快な批判が今回氏によって打ち出されたことは、 とくにフーコー的解釈が少なからぬ数の研究者によって無批判に受け入れられ ている日本では、歓迎すべきことであるように思われる。
(2)もう一つは、マルクスのベンサム理解に対する氏の批判についてである。 氏によれば、マルクスやエンゲルスがベンサムに見たのは、「市場だけでなく あらゆる局面で個人的利益を行動原理とする人間」(195頁)であり、彼らによ ればベンサムは「市場原理を超えて自由に羽ばたこうとする人間を見ていない」 (198頁)。氏はこのような利己主義的なベンサム理解を誤解だとして、ベンサ ムが「有益性の原理」(功利性原理)を利害の調停原理として提出していたこと を指摘し、「ベンサムにおける利己心が他人に対する配慮を伴っている」(200 頁)点を強調している。氏があえてこれまでの「功利主義」という訳を放棄し て、「公益主義」と訳すのもこの種の誤解を解くためである。たしかに規範理 論としての功利主義が利己主義ではないという氏の主張は正しいが、ベンサム が政治や法において想定する人間観が利己的なものであったことは、後年ベン サム自身がこの人間観を「自己優先原理」と呼んで功利主義の一要素と見なし ている点からも明らかである。この意味では「市場だけでなくあらゆる局面で 個人的利益を行動原理とする人間」というマルクスらの指摘は正しい。重要な のはベンサムの人間観(自己優先原理)と規範理論(最大多数の最大幸福)を区別 して論じることであろう。
最後に、読んでいて何点か気づいたことを記しておく。(1)19世紀に入ってか らの記述が少ない。とくに『憲法典』を中心とする後期の著作の解説が少ない のは残念である。(2)ここ20年の国内外のベンサム研究については言及が少な い。とくに、日本のベンサム研究を明治憲法制定期、大正デモクラシー期、戦後 と三期に分ける氏が、第三期の日本の研究状況についてどのような評価をして いるのか知りたく思う。(3)入門書という性格による制限もあると思われるが、 引用の典拠の表示が少なく、研究者にとっては不便である。
とはいえ、本書はベンサムに関心のある一般者向けの読み物としてもベンサム 研究者向けの参考書としても大いに役立つであろう。氏の功利主義観をより深 く理解するためには、氏の『自由と調和を求めて』(ミネルヴァ書房)、『イギ リス近代社会思想史研究』(未來社)なども合わせて読む必要があるだろう。
(19/Nov/2003)