機関誌「ともしび」平成18年11月号「ホワイトボード」掲載記事

 平成109月に念願のマイホームへ移り住んでから授かった次男は生後10ヶ月で歩き始め、1歳で長男を名前で呼ぶなど比較的成長の早い子供でした。そんな次男に異変が生じたのは12ヶ月頃でした。突然うなずくような仕草をしたり、斜め方向に歩いたり…。 このような症状を「家庭の医学書」で調べると「点頭てんかん」という聞き慣れない病名に行き着き、症状の中に「知的障害」という言葉を見つけました。翌日病院へ行き、入院後の精密検査の結果、「WEST症候群」という正式な病名が告げられました。

 その後は入退院を繰り返し、ビタミンB6の大量投与、様々な抗てんかん剤の併用、ACTHによるホルモン療法等が試みられましたが、いつしか「うなずき」から「崩れ落ちる」ような形に変わった発作をコントロールすることはできませんでした。「崩れ落ちる」場所が階段や2階のベランダなら大怪我、ストーブの前なら大火傷という具合で救急車に何度もお世話になるようになり、次男の世話を任せていた長男、長女も責任を感じて、いつしか次男を避けるようになっていました。

 次男が4歳を過ぎた頃、主治医から「ケトン食」という食事療法を勧められました。発作と抗てんかん剤の影響か夢遊病者のようになっていた次男にとって唯一の楽しみだった「食べること」を奪うことはつらい選択でしたが、最後の望みを託し、家族全員で取り組むことにしました。今風のLDKL(リビング)とDK(ダイニング・キッチン)に分離する工事をしたり、計量器を買ったり…。運良く「ケトン食」をよく知る栄養士と出会うことができ、入院による絶食をすることなく、平成158月から自宅でケトン指数1:1から開始し、最終的にはケトン指数2.5:1で3年以上経った今も「ケトン食」を続けています。

 「ケトン食」の効果で発作が治まり、知的レベルも徐々に上がってきており、今ではトイレへ自分で行ったり、テレビで「ボーケンジャー」を見て変身ポーズを決められるくらいになりました。言葉も少しずつ出るようになり、歌を歌ったりするようになってきています。未だ、一方通行の意思表示ですが、こちらの言葉を徐々に理解するようになってきており、近い将来に普通の会話ができるようになればと夢を抱いています。