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第4章 最新のバイオフィルム研究

1. バイオフィルムを“見る”技術

図4-1a 納豆菌のなかまがつくるバイオフィルム
バイオフィルムは、全てが平らな「フィルム」構造をしているわけではなく、色々な構造が観察されている。納豆菌のなかまがつくるバイオフィルムの辺縁部を拡大観察すると、立体的な3次元構造になっているのがわかる。

 バイオフィルムは細菌と細菌がつくっているネトネト(細胞外マトリクス)からできています(前の項でも紹介しました)。バイオフィルムは「フィルム」という名前がついていますが、すべてが平らな「フィルム」のような形をしているわけではなく、色々な立体的な3次元構造をもっています(図4-1a)。しかもバイオフィルムの形は変幻自在で、まわりの環境が変わると、生き残りやすいように細菌はダイナミックにバイオフィルムの形を変えています。バイオフィルムを知るためにはバイオフィルムの形を見ることはとても大切です。
 最近、微生物はバイオフィルムの中では多細胞生物のように、色々な役割を持った細胞になることもわかってきました。つまり単細胞生物である微生物も、均一ではなくそれぞれ個性を持っているということです。実は細菌にとって、個性を持つ、というのはきびしい環境を生き延びるために大切なことです。

 たとえば、人間が細菌に感染してしまったとき、病気を治すために、細菌を身体から取り除くための薬(抗生物質)を使います。ところが、患者さんに効果があるはずの量の抗生物質を与えても、細菌を完全に排除できないことがあります。この原因はバイオフィルムや、細菌の個性が関係していることがわかってきました。バイオフィルムは細胞外マトリクスに覆われていて抗生物質が効きにくくなっています。さらに、バイオフィルム中では一部の細胞の性質が変化して、抗生物質が効きにくくなっているのです。

図4-1b 虫歯菌のバイオフィルムの電子顕微鏡像
虫歯菌のバイオフィルムを電子顕微鏡で観察すると、菌の周りに砂糖から産生された不溶性グルカンが存在しているのがわかる。
 
図4-1c 細菌バイオフィルム内における特性の異なる細胞群の蛍光顕微鏡像
バイオフィルム内の細胞群を蛍光顕微鏡で観察すると、ある一種類の細菌が形成したバイオフィルムにおいても、色々な特性をもった細胞が存在していることがわかる。

 バイオフィルムの中の細菌の個性を調べるためには、1つ1つの細胞を詳しく見る必要があります。電子顕微鏡という特殊な顕微鏡を使うと、細胞一つ一つの形や細胞外マトリクスを詳しくみることができます(図4-1b)。しかし、電子顕微鏡の場合、見る前に細菌を殺してしまうので、細菌を生きたまま観察することができず、また細胞の特性(遺伝子のON/OFF)を観察するには適していません。現在、生きたままバイオフィルムの中身の細胞の特性を調べる方法として、よく使用されているのは、細菌を光らせる方法です。細菌に蛍光タンパク質の遺伝子を持たせて、特殊な顕微鏡で観察するとバイオフィルムの中の細菌を詳しく観察することができます。この方法を使うと、生きたまま細菌の一細胞一細胞の特性を観察することができます(図4-1c)。さらにバイオフィルムの形とその中身まで観察できるので、バイオフィルム中の細菌の3次元的な位置も調べることもできますし(図4-1d)、色の違いで細胞の特性を見分けることができます(図4-1e)。このような技術をつかうことによって、バイオフィルム中の細胞は全てが同じではなく、バイオフィルムの内部での位置や個性が色々あることがわかってきました。単細胞の細菌も単純ではなく、役割分担していろいろな環境で生き延びているのです。

図4-1d 細菌バイオフィルム3次元構造の蛍光顕微鏡像
バイオフイルムの3次元構造を、特殊な蛍光顕微鏡で観察することができる。左図は斜め上からバイオフィルムを見た図で、右図はバイオフィルムの断面を見た図である。断面図を拡大すると、バイオフィルム中に多くの細菌が埋まっていることがわかる。

図4-1e 細菌バイオフィルム3次元構造の局所に位置する細胞群の蛍光顕微鏡像
バイオフィルム3次元構造内に存在する特定の細胞群の局在を、特殊な蛍光顕微鏡で観察することができる。上の図はバイオフィルムを上から見た図で、下の図はバイオフィルムを横から見た図である。緑色の細胞は細胞外マトリクスをつくっている細胞で、その細胞群がバイオフィルムの上部に位置しているのがわかる。

 バイオフィルムの内部の個性がどのようにして生まれるのか、バイオフィルムの立体的な形はどのようにして出来上がるのか、についてはまだまだわかっていないことがたくさんあります。細菌は目ではみえない生き物ですが、顕微鏡をつかってその生活を覗いてみると、複雑に、そして賢く生きていて、いつも驚かされます。(私を含めた)多くの研究者を魅了して離さない細菌の営みを、将来みなさんも一緒に研究してみませんか?

2. バイオフィルムを活かした水処理技術

図4-2a 水処理における砂粒バイオフィルムの活用
水処理用タンクには、砂粒のような粒子が投入されることがある。これにより、異なる代謝活性をもった細菌が住み分けされたバイオフィルムが形成され、水処理活性が向上する。
図4-2b 砂粒バイオフィルムにおける細菌の住み分け
砂粒に形成されたバイオフィルムを蛍光顕微鏡で観察すると、異なる細菌A(赤色)とB(黄色)が砂粒(中央の黒色部分)の周囲にバイオフィルムを形成し、内外で住み分けていることがわかる。細菌Aは繁殖力が高く、Bは低い。白い線は200ミクロンの長さを示す。

 私たちは日々の暮らしの中で1人1日当たり250リットルの水道水を使うと言われています。私たちが自宅の台所・風呂場・洗面所・洗濯機・トイレで使い終わった水は、「生活排水」あるいは「下水」とよばれ、下水管を通じて下水処理場に運ばれます。一方、工場でもたくさんの水を使います。たとえば、紙1キログラム(A4用紙250枚)を製造するのに約150リットルの水が使われます。工場で使い終わった水は「産業廃水」とよばれ、工場敷地内の水処理施設に運ばれます。下水処理場に運ばれた生活排水や工場敷地内の水処理施設に運ばれた産業廃水は、汚れの成分が取り除かれ、消毒された後に川や海へ流されます。汚れた水が川や海に流されると、そこに住んでいる生物が生きていけなくなります。また、川や海が汚れると、私たち人間の口に入る魚貝類や飲み水が汚染されることもあります。生活排水や産業廃水に含まれる汚れの成分には、油や界面活性剤などの有機物、およびアンモニア・リン酸・重金属などの無機物をはじめ、様々なものがあります。

 では、下水処理場や工場敷地内の水処理施設ではどのような方法で生活排水や産業廃水中の汚れの成分を取り除いているのでしょうか。大きく分けて2つの方法があります。一つは化学的手法というやり方で、薬品を加えてリン酸や重金属を沈めて取り除きます。もう一つは生物学的手法というやり方で、微生物のはたらきで有機物やアンモニアを分解して取り除きます。生物学的手法の代表格として、ほとんどの下水処理場では「活性汚泥法」という処理方式を採用しています。活性汚泥とは、細菌・原生生物・微小後生動物などの様々な微生物で構成される泥の“かたまり”のことです。下水管を通ってきた生活排水は、大きなゴミが取り除かれた後、活性汚泥の入ったタンクに運ばれます。このタンクには、ちょうど魚を飼うときの水槽のように空気の泡がボコボコと吹き込まれています。微生物が汚れの成分を分解するときに酸素が必要だからです。

 活性汚泥法は100年前に開発され、現在最も一般的に使われている生物学的水処理技術ですが、活性汚泥法だけでは除去できない汚れの成分もあります。たとえば、アンモニアを水中から除去するときは硝化細菌と脱窒細菌という2種類の微生物を使って窒素ガスに変えることが必要です。硝化細菌の生育には酸素が必要ですが、逆に脱窒細菌は酸素の無い環境を好みます。そのため、空気を吹き込む活性汚泥タンクで硝化細菌を生育させることはできても脱窒細菌をはたらかせることはできません。そこで、活性汚泥の代わりにバイオフィルムを使う方法が提案されました。砂粒のような粒子やプラスティック担体を水処理用タンクに投入し、それらの材料表面にバイオフィルムを自然に形成させる方法が用いられています。バイオフィルムは厚みがあるので、深部に酸素が到達しない領域が生まれます。このような無酸素領域であれば脱窒細菌も生息できます。

 バイオフィルムを有効利用できるもう一つの例として、繁殖力の低い微生物も保持できるということが知られています。産業廃水に含まれる化学物質を分解できる特殊な微生物は増えるスピードが遅い、すなわち繁殖力が低いことがあり、酸素をめぐる競合で繁殖力の高い他の微生物に敗れてしまうことがあります。活性汚泥法の場合、競合に敗れた微生物は時間の経過とともにタンクから漏れ出ていってしまいます。一方、バイオフィルムの中であればこのような微生物もバイオフィルムの表層から少し内側に入ったところで住み続けることができます。このような住み分け現象は、川の上流にイワナが住み、川の下流にヤマメが住むことと似ているかもしれません。自然界では、いろいろな生物が住み分けをしながら暮らしています。自然界と同様に、性質の異なる様々な微生物を住まわせることができる点がバイオフィルムの一つの特長と言えます。そのようなバイオフィルムの特長をうまく活かすことで新しい水処理技術が開発できるのです。