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トリブバン大学医学部に併設して、教育病院としての機能も有するカンティ小児病院という国立病院があります。ここで1週間だけですが、実習を受けることができました。
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毎朝、9時より病棟回診があります。回診の様子は日本とよく似ていますが、ただ担当医による経過報告などはなく、漫然と進んでいる印象はぬぐえませんでした。
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10時過ぎから外来がはじまります。正直期待していた熱帯特有の疾患は、あまりみられませんでした。つまり寄生虫疾患であるとか、マラリア、狂犬病などですね。どうやら、こうした疾患は市中の個人病院や、薬局で対応しているようです。大学病院の役割は、小児であれば奇形や外傷などが数多くみられました。
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薬屋さんの製品紹介。プレゼングッズが異なるだけで、日本の大学病院でも見られる風景ですね。
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医薬分業が完璧でした。完璧すぎるぐらいです。この写真は、病院スタッフが薬局で心カテを買って帰ってきて、途中立ち話しているところ。こんなものでも、患者ごとに医師は、外から調達しなければならないのです。病院に在庫を抱える資金がないのも一因でしょう。それにしても、清潔を保持できているのでしょうか・・・ それが一番心配。
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こちらはER。ここではやはり、途上国らしくARIや細菌性下痢症が多くみられました。あとは交通事故も珍しくありません。
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患者の切れ目に医師とのスナップ。貫禄を感じさせる医師ですが、1年目の研修医師なんだそうです。
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とある庭園で勉学に励むわたし。国家試験が半年後・・・ う〜ん
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さて、今日はオペに入ります。ここは更衣室です。
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最初に入った症例は、先天性胆道拡張症 congenial diatation でした。あまり異文化に注文をつけるのは良くありませんが、でも「医師の手洗いが甘い!」ような気がするんです。ほんとにそれで始めちゃうの?
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胆管に嚢腫がありました。これから嚢腫を切除し、肝管空腸吻合を施行します。
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ふと隣のオペ室のほうを見ると、子供が座っています。どうしたのかな?
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数分後、手術台に抱えあげられて、麻酔導入されていました。なんと、オペ待ちの子供だったんですねぇ
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そちらのオペ室は、南側のためか暑いです。で、扇風機を回しています。雑菌が吹きすさぶ部屋で、開腹手術がはじまろうとしているようですね。いいんかい!?
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オペ室から見渡す窓外の風景は、最貧国と呼ばれるネパールの街並み。まあ、いいんだろうなぁ これで・・・
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この研修のセッティングをしてくださったのは、このカンティ小児病院の事務をされている、ビショップさんでした。とても親切な方です。本当にありがとうございました。
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ここはネパールとチベットの国境です。私にとっては2度目となるヒマラヤ越えがはじまろうとしています。ところで、彼女はなんでこんなに軽装なのでしょうかね? それは荷物を私が持っているからです。
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チベットの雄大な自然と人々の生活。
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海抜5220メートル。空気が薄い。すでに彼女は高山病の症状を呈していました。
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延々とつづく高原の大地をランドクルーザーは突き進みます。
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とうとう私も高山病に... 前回大丈夫だったんで、楽観していたんですが... 大きな深呼吸を続けていても、酸素不足ですぐに傾眠状態に陥りそうになるのです。意識を失うと呼吸が小さくなるので、血中酸素濃度は極度に低下し、意識を取り戻したあと、ひどい頭痛と嘔吐にみまわれます。「高山病ってこんなに苦しかったんだ...」。
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4日後、高度が3800メートルまで下がってきました。芥子の花が咲き乱れています。それで、私たちもようやく体調が戻ってきました。
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チベットの中心都市ラサに到着。これはダライ・ラマの居城であったポタラ宮殿です。奴隷制度で栄華を誇り、莫大な富を蓄積してきたダライ・ラマの象徴ですね。なんで、彼が人権主義者でノーベル平和賞なんでしょう? 宗教文化としての彼の存在は尊重しますが、政治活動家としての彼については、自ら過去の清算をするまで私は評価しません。
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現代のラサっ子たち
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チベットは全般に食事に期待できませんが、でもラサの屋台は美味いですよ。
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帰りは空路にしました。「さらばチベット! ほんとにもう来ないからね」
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カトマンズへの帰路、エベレストが間近に見えました。奥のピラミッド型をしている山です。
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