ひろさん、9日のシンポジウムの成功をお祈りいたします。
遅まきながら、当方のサイトにてご紹介させて頂きました。
「※転載を歓迎します。」より上の記述部分。
あと、ナウシカの件も一部抜粋して転載させて頂きました。
申し訳ないです、事後報告となりまして(^^;
私も遅ればせながらですが、お礼を申しあげます。
シンポジウムは無事終わりました。そこそこ、好評だったようです。いくつかのメディアから取材がありましたので、記事になっているところもあるようです。
本投稿の副題「アメリカは鬼畜という教えは正しかった?」
11月30日に、NGOのアジア太平洋資料センター主催の、反戦に関する集会に参加してきました。国会議員(社会民主党)や新聞記者の方々がゲストで来ていて、皆でアメリカの行き過ぎた報復攻撃を非難し、反戦の気持ちを多くの人に広めていこうということになりました。関連ホームページは以下です。
http://www.jca.apc.org/parc/press/event011130.html
以下、私の記憶をもとに、様々な方が発言された内容から一部を紹介してみます。
・アメリカは今回のテロに対する報復の範囲の攻撃は既に済んでいるのに、さらに必要以上の攻撃を続けている。これは単に自国に得になるかという基準だけで行動していて、目的は報復ではなくアフガニスタンが欲しいからだ。
・特に今回のアフガン問題については、報道機関の人間は非常に肩身が狭い、というか周囲から罵声を浴びるような思いをしている。それは「貴方達のような報道機関がアメリカ偏重の嘘の報道をしてきたから、日本にもタリバン攻撃や自衛隊派遣を肯定する人が多くなってしまったのだ。」と言われるから。(朝日新聞の女性記者より)
・「テロを無くす為にタリバン攻撃はやむを得ない」と少しでも思うこと自体、マスコミに騙されているということだ。
・攻撃する側の米軍の映像はよく報道されるが、攻撃されている地表の様子は殆ど報道されない。地表では本当に悲惨な状況が起きているというのに。
・タリバンが去ったカブールで市民が喜んでいる様子が散々報道されたが、あれは本当に喜んでいるのではなく、そうしないと殺されるから“ふり”をしているだけだ。
・「テロ」という考えは、かつて植民地化された国々で出てきたもので、それは不当に支配された側が反抗する唯一の手段であったのだ。
・ 小泉首相に「アメリカの報復攻撃は国際法に違反しているのでないか」と尋ねたら、「そんなこと考えてなかったなぁ。法律の事は他の専門家に任せて、自分達は政治中心の行動をとるのみ」と言われた。こういう人がイメージのみで国民から高い支持率を得ているのは危険だ。(社会民主党の某議員より)
・「今、世界の多くの国が日本化している。」と外国の人が言っていた。どういうことかというと、アメリカに馬鹿みたいにトコトコついていってる。
・ちなみに、国会で○島陽子参議院議員は、テロ対策特別措置法のことを「ポチ法案」と皮肉った(日本を犬のポチに喩えて)。
・地球では環境が悪化していて人類自体の存続が危ないという状態に、人間同士で爆弾を落とし合ってどうするんだ。(環境保護活動家より)
・琉球では、かつて武器を全く持たないで何百年も国を維持してきた。それが今、米軍にあのような形で使われているのは先祖に大変申し訳ないと思っている。(沖縄から来ていた音楽家より)
・ 戦前の「鬼畜米英」という教えは本当に正しかったと感じている。
・ 世界を変えるにはアメリカを変えなければいけないが、ブッシュに直接何言っても聞かないだろうから、まずはアメリカ国民に理解して行動を起こしてもらうよう、働きかけるのが大切なのではいか。
思い出せばまだあるかもしれませんが……アメリカ在住の方々、是非しっかり読んで下さい。やはりNYのテロ事件は、裏に何が絡んでいるのか知りませんが、やられる方に原因があったと思う。それを不当な権力で正当化している、と感じます。
ところで今日の日本では、皇太子妃雅子さまの女児出産のニュースで沸いているようで、テレビ画面で様々なタレントなどが気やすく「おめでとうございます」などと祝福の言葉を言っているのを見ると、なんか国民がメディアに騙されて右寄り化していくのでは、という不安を持ちます。これも愛国心からなんでしょうかねぇ?
どなたからもレスをいただけなかったところを見ると、この書き込みも不評だったのでしょうか。一応、空爆批判の為に何かお役に立てれば、ということで書き込んだのですが。
すみません、忙しかったので、書き込めませんでした。
鬼畜米英が正しかったというのは、ちょっと、、、戦中の日本もかなり鬼畜日本だったのでは、ほかのアジアにたいして。
アメリカは金のためならなんでもするというのは、結構アメリカ人の中の常識にもなってきていると思う。だけど、まあ、プライドがあるから、悪い部分には目を向けたくない、、という感じがします。しかし、この空爆は、ロシア、中国も実は賛成なんじゃ?そんな感じです。みんなきっと、狙いがある。この後にくる報酬をのがさないように 、しっかり待機している。日本もぽちでもいい、えささえ、ちゃんともらえれば、、って感じなんじゃないでしょうか?
今までの人類の歴史も強かった者、勝ち残った者が、正義の味方として、全てを正当化して歴史をつくってきた。日本史にでてくる私達には正義の味方の偉人だって、実はとんでもない悪玉だったなんてことあると思う。
私も戦争は反対だけど、人間って基本的に戦う事好きなんではないのか?日本のアニメ、テレビゲーム、アメリカの映画、相手は宇宙人でも、なんでもいい、戦って勝つのって、人間にとってかなり快感なんじゃ?
命は尊い、でも、地雷で足を失っても生きようとしているアフガンの人達、会社がつぶれたくらいで、自殺をする日本人、崩壊した家庭で育ち、アルコールや、薬づけになって、自分で自分の人生をめちゃくちゃにし、死にいたるアメリカ人。、、、、そりゃ、価値観が違うからでしょう。日本やアメリカは豊かだけと一生懸命働いていきている人達は沢山いるじゃないですか?
お腹の子がぐるぐる回っているのと同時に、私の脳みそまでぐるぐる回っているような気分になったりする事と、あんまり悲しいニュースは最近は避けている事もあり、今回の戦争には私はクリアな意見をもっていません。善と悪の区別もなんだかわけがわからなくなっているような気がする。これはとても東洋的な思想らしいが、因果応報というか、悪玉はいつか裁かれるものだと思っています。そして裁くのは人間じゃなくて、天、、、というかなんというか、運命というか、私はやっぱり、神様のようなものがいるんじゃないかと思うんだよね、だって人間ってほんと愚かな生き物なんだもの。
だた、これからのアフガン、たとえ、アメリカのポチになったとしても、一般国民の生活が前より良くなって欲しいと心から思っています。
そして、もし、人間が本当に輪廻転生するなら、アフガンで爆死した人は、今度は、アメリカかどっかの豊かな国のとても裕福で恵まれた家庭に新しく生まれて欲しい、そして、傲慢なアメリカ人は次回は、貧しい国に生まれて悲惨な人生を体験して欲しい。
今回はなんか宗教的になってしまいました。でも、人間には宗教というにはかなり影響をおよぼしますよね。名は忘れたが、ある日本人の心理学者が今の日本に強い宗教があったら、現在日本の社会のひずみはかなり救われるといっていた方がいたなあ。
私も人間があまり愚かな生き物だと思って、落ちこんでどうしようもない時に、やっぱり神様のようなものはいるだろう、と思うだけで、かなり楽になりました。
そうそう、もうひとつ、ある知り合いのアメリカ人が私に言った事”俺の国(アメリカ)は国というより、どちっかっていうと利益を生み出す会社のようなもんだ、文化もなにもなんにも無い、金をつくるしか脳が無い。確かに何千人も俺の国の人間を殺したのは許せないけど、俺はどっかで、イスラム人がうらやましいとも思っている、あれだけ、宗教を、国を自分の文化を誇って、そのために戦っている。俺は彼らの生き方が好きだ”って言ってました。確かに、金や物は沢山あるがなんか中身の薄っぺらい典型的なアメリカ人のこの人の生活にくらべれば、短くても、ものすごく懸命に、自分の宗教、国、そして自分自身を誇って生きた、イスラム人の人生の方が、濃い、中身があるかもね。でも、それを判断するのは同じ人間の私では無いと、思う。
小川さんのカキコを読んで考えていました。アメリカ人個人がどうこうという気持ちは、私自身持っていません。戦争は、殺人を合法化し、大量殺戮者を英雄とする所から言っても、平常時の人間から見るとどいともこいつも鬼畜に見えます。
民族の歴史は、遺伝子にまで組み込まれ、その習慣や文化とあいまって、自分という個と民族という共有部分を構成しているんだと思います。
アメリカは、その建国当時から、侵略・略奪を繰り返しながらも、自己の正当性を作り上げるという行為も繰り返してきています。ですから、多分、『強い=正義』という点を信じ込まずには、精神のバランスが取れないのだろうと、ももさんのカキコを読みながら、納得しておりました。
しかし、ニューヨークテロは、この強いアメリカを正面から打ち砕くような事件でした。アメリカが大好きなアメリカ在住の方が、何人か取り乱し、モスリムの夫を持つ私たちのような人のHPに、ひどい中傷のカキコなどを繰り返していました。
ただ、その時、そうしたイスラム攻撃のカキコを繰り返す日本人の女性の発言に、根を感じることが出来ませんでした。『私は、アメリカ人よ』と叫んでいるだけにしかみえませんでした。何故、アメリカと同化したがるのか?今も疑問が残ります。
私も、パキスタンで暮すようになってから日本人である側面を意識するようになりました。ここの文化との衝突も、妥協点をみつけるというしんどい作業は伴いますが、自分が揺らぐということはありません。それは、私個人の精神の遍歴もさる事ながら、やはり、民族として有形無形に培われた精神が大きいようなきがします。
と、だんだん本題からずれて行きますね。戦争に反対していながら、時々、ふっと思うんです。戦争も無くなり、飢えや病気で死んでいく人々が激減するという喜ばしい事態が実現された時、人類はその先に何を見るんでしょうね。
途中から失礼します。potrestiと言います。
アメリカにとっては、「アメリカのルールを世界に普及させる事」と「アメリカの利益追求」とは表裏一体の関係にあるような気がします。
今回のアフガン空爆にしても、単なるテロ撲滅に名を借りた親米政権づくりではなく、今後アフガンをアメリカのルールのもとに組み込むことによりアメリカの利益を実現していく意図(世界戦略)があるように思います。
アメリカ政府の広めようとしているルールとは極端な言い方をすれば、「アメリカを中心とした市場経済・資本主義」とそれを支える法治システムなのだと思います。場合によっては民主主義も入るのでしょう。そして、アメリカはそのルールに沿ってアメリカ資本を進出させ、そのルール(体制)を守るために軍隊を駐留させテロ撲滅を図るのではないでしょうか。
アメリカは、アメリカのルールのもとで活動している国や人々に対しては、原則として人種や民族を問わずフェアで人権を語るのだと思います。しかし、アメリカのルールを受け入れない人々をそのルールに組み込む過程においては、容赦のない攻撃や殺戮を行うのだと思います。それは彼らにとってはジャスティスの行使であり、良心の呵責などはないように思います。
アメリカ政府にとっては、かつて日本に原爆を落とし日本をアメリカンルールに組み込んだのと同じ思考方法で、今回はアフガンを空爆しているのではないでしょうか。どちらもアメリカにとってはジャスティスであり、アメリカの利益追求なのだと思います。
以上のことを書いたのは事の善悪を論じたかったからではなく、アフガン作戦を立案遂行しているラムズフェルド国防長官らアメリカ上層部の思考方法や世界の捉え方を客観的に考えてみたかったからです。
ちなみに今でも私は自衛隊の後方支援には賛成できません。
小川さんの投稿は面白いですよ。「鬼畜米英」で少し引いたのと、読むだけで腹が一杯になっただけです。
potrestiさんのご意見ですが、メーリングリストにいらっしゃる江川さんというかたの意見を思い出しました。彼はこのジャスティスをキリスト教の精神と強く結びつけて考えていらっしゃいました。多分お二人は細部では意見が食い違うでしょうから、一度ぶつかるところを見てみたいですねえ。
宗教なのですが、私は若い頃は宗教なんて弱い人間が信じていればいいものだとしか思っていなかったのですが、いまはその力が分かります。日本にも何か根付いたものがあれば今より良かったと思います。いえ、私自身は入信しませんけど。
結局アメリカが一番原理主義ってことで。
戦いはなくならないでしょう。なくなったかな? と思った時が既に戦いの始まりでもあります。
初めてこのホームページに来て,勿論投稿もはじめてですがすごいな−,とビックリしています。記事の内容なんですが,ご自分で全部調べられて,自分で考えられた事なのですか?それとも何処かで大系的に勉強されたことがあるんですか?特に気になったのが,ルワンダの内戦のあたりの記事でしょうか。戦争は宗教やイデオロギーの対立だけでは起こらない,人口の増加,資源の不足,,,,が関与する,,,といった内容。すごく感心のある分野なんですけれど。
是非,教えてください,今までどういう経緯で,ボランティア等始められて,これからどういう道へ進もうとお考えなのか。自分も本当にこれからどう言う方へ進めばいいのかすごく迷っています。是非お願いします.
北村さん はじめまして!
サイエンスとしての情報収集の方法については、次の4つの方法があると思います。
まず、私の記事の力点となっている『フィールドワーク』ですね。これは端的に言って「観察者が対象に交わり体験を通して理解する」というもの。次に『サーベイ』。これは「アンケートによるデータ収集で傾向をみる」もので、個人では難しいですね、国や大手メディアが得意とする分野でしょうか。そして3つ目には『実験』。これは、まあよく知られた言葉ですね。つまり「理想化されたシミュレーションで因果関係を明確にする」という方法です。手短な実験検証なら、誰でもやってることですが、精密なものとなると企業や大学などの研究部門の専業分野でしょう。最後に、『非干渉的技法』。表現は硬いですが、要は「統計資料や文献資料を収集し分析する」ってことです。個人のジャーナリストが本腰を入れるなら、やっぱりここなんでしょうね。立花隆をイメージしてください。そうそう、田中宇さんもこの技術に秀でた方だと思います。
情報収集の方法については、よく質問されます。そういうとき、「私はフィールドワーカーもどきです」とお答えしています。私が文章を書くとき、一番頼りにしているのは、自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じた体験をもとにした資料(一次資料)です。こう書くと、なんだかカッコよいですが、つまり、彷徨える旅行者としてカルチャーショックを経験し、異文化を説明する作業をしているわけです。自分自身のまごつき、不安、ヘマなどをきっかけにして、文章を書きはじめます。
この方法は、他人の考えに振り回されたり、騙されにくい、という利点がありますが、一般化しにくいという欠点があるようです。たとえば、カンボジアの娼婦との出会いを私がいかに克明に描いたとしても、それはカンボジアの娼婦全員をのことを代弁しえるのかどうかは、不明なままです。そして独り善がりに陥りがちなんです。「僕はとにかくこの目で見てきたんだ。本当のことはね、結局のところ見たものにしかわからないよ」という傲慢が透けてしまうんですね。こうなってしまっては、記事から議論を呼び、互いに理解を深め合うせっかくの機会を失ってしまうことになりかねません。
私がこれを防ぐために大切にしているのが、『マルチメソッド』というものです。これは人類学の方面でよく使われる言葉のようですが、『フィールドワーク』での体験を検証するために、『サーベイ』『実験』『非干渉的技法』というものを巻き込んでゆく、つまり、『フィールドワーク』だけに終わらせないということです。
たとえば、私は1994年の夏、カンボジアの農村で赤痢で倒れたことがありました。これだけでも記事にはなるんです。「こんな酷い目にあって、伝統医療を受けたらこんな治療だったよ」と。でも、単なる体験記ですね。応用が利きません。そこで、私は村の人たちに聞いてまわりました。「どこの水を飲んでいるのか? 下痢はしていないか?」とですね。そうすると村の全体像が浮き上がってきます(サーベイ)。次いで、その州の役所で資料をみせてもらったり、それに関する書籍を当たったりしました(非干渉的技法)。最後に、サーベイでほぼ明らかになっていた赤痢の原因となる水を培地にて培養し、赤痢菌の同定をしました。これで、私の赤痢の原因は究明され、その個人的体験がその地域のどのような現象の一部であったのかを記述することが可能になったのです。
まあ、長々と小難しいことを書きましたが、私はこういう方法をとっています。
そうそう、私がどういう経緯で・・・? という点ですが、バックナンバーのシリーズ『カンボジアレポート』にて紹介させていただいています。ぜひ御笑覧ください。
日本から離れている日本人程、自分が日本人って感じるってよく聞きます。日本の歌とか食べ物に外国でふと出会ったりすると、ものすごく感動したりしますよね。そして、なせが自分が日本人である事を日本にいた時より意識したりする。私もそうです。日本の山、川、四季、子供の時に聞いたおとぎ話、日本の食べ物、神社、寺、学校でならった日本史、お城、日本の芸術品、伝統、そんなものが私の中にしっかりあって、日本の長い歴史と伝統が私を支えていてくれるから、こんなふうに外国に長くいても、私がいったい何なのかしっかりわかって、その上て安定していられます。
そんでもって、悲しいかなこれが無いのがアメリカ人だと私は思う。私に比べて、なんて安定していない、いつも不安で、なにかにしがみついて、自分たちがなになのかを無理やり思いこんでいる人達、これがアメリカ人なのかも。
歴史が浅く、人種と文化のよせ集まりのこの国は自分がなんであるのかっていうよりどころに欠ける。今回のテロの後、アメリカ人は異常に結集して、愛国心をもった。この国は自由で、平等だ、私達はそれをアメリカ人をして誇りに思い、それを守る、、、こんな概念のもとに自分のidentity を確立しないといられない、、というか私には時々、しがみついているようにも感じます。
大統領の演説は時には理想主義すぎたり、現実味がなかったり、おおげさだったり、、、、、悪く言えば、馬鹿のひとつ覚えみたいに、自由のための戦争とか言ってたけど、ここで言葉をそのまま日本の感覚で理解するとすこしずれる。基本的に大統領はアメリカ人が聞きたい事を言う、おおげさに、アメリカ人として結集できるように、アメリカ人として誇れるように。
人によるが、私なんぞは、日本の事悪くいわれても、自分で日本のことけなす事があるけど、そんな事をしても、私も日本人としての誇り、愛国心はまったくゆらがない、とても安定しているから、日本の歴史、文化、伝統がいつも私を支えていてくれるから。アメリカだって日本と同じように悪い部分は沢山あるが、アメリカをたたくと、感情的になって反抗するアメリカ人が多いを私は思う、私のように余裕が無いから。多くのアメリカ人が、悪い部分には盲目になり、アメリカは世界で一番豊かですばらしい国だと思っている、思いこんでいるような気がする。たしかにアメリカは力と金があるから、傲慢な国に写ったりするが、私は時々、この文化の浅い、、というかほとんど無い、アメリカにとっても悲哀を感じたりもする。金で物は買えるが、、そんなことでほんとうに人間は幸せを感じるのか???ある面からみれば、もしかしてアメリカは最貧国なのかもしれない。
でも日本にいると日本人だというアイデンティティはほとんど感じませんよね。音楽の趣味やファッションに自分のアイデンティティを求める人が多いと思います。好きな音楽は?と訊かれて洋楽のアーティストを挙げる人もいます。外国に行くと自分の出身国の伝統がアイデンティティになるのでしょうか。
私はアメリカの悪口をアメリカ人の前で言うのが趣味の一つで、色々なサイトでつまみ食いした情報や主張を切って張ってアメリカの BBS に張り付けては、アメリカ人の反応を見て楽しんでいます。その限りでは、アメリカ人というのは確かにむきになりやすいし、自分の国をよく考えすぎだと思います。
アメリカ人は単に優越感を植えつけられているだけのような気がします。
ところで、アメリカ国籍をとってアメリカ人になりたいと思ったことはありますか?
アメリカ人になろうと思った事は無いです。そういえば、こちらの友人の中には私がもう、アメリカ国民になっていると思いこんでいたなあ。自分がアメリカ人になるというのは、すごく違和感があります。
それより、あんまり感動したんで書き込みしちゃうけど、イチローはすごい快挙を成し遂げましたねえ。実は私も現在シアトル在住なんです。こちらの新聞には大きなイチローの写真が載っていました。このところ嫌な話題が多かっただけに、とても嬉しいですねえええ。こちらにいる、日系アメリカ人のの方々もさぞかし誇りに思っているでしょう。差別などでさんざん苦労したこのあたりに移民してきた日系の方々の話をいくつか読ませていただきました。私も頑張らねばね。
このまえ何か(小林よしのりの戦争論2?)を読んだら、こんなことが書いてありました。アメリカ移民は、二世はアメリカ国民としてアメリカに溶け込もうとして自分のルーツについては無視するそうですが、三世になると自分のルーツが気になってしょうがないそうです。そんなものなのでしょうか。って一世でもないももさんに聞いてもしょうがないんですけど(笑)。
イチローやりましたねえ。安打は多いけど出塁率は特に傑出していないっていう説明を読んでから、まあ無理じゃないかなと思っていたところでした。マリナーズは確かに強かったですからねえ。MVP という意味では、マリナーズのイチローってことで受賞したのかもしれないなあ。
ぜひ、本当のワールドシリーズを、キューバとか韓国や台湾もまじえて、日米のチームが対決してほしいです。
小川さん、ご紹介ありがとうございます。田中宇さんのものは、何篇か読んでいましたが、「虐げられたイスラム女性たちという虚像」は、初めてです。
確かに、イスラムは、その国ごとの独自のものがミックスされています。冠婚葬祭などに顕著に表れていると思います。原型に一番近いのは、やはりサウジアラビアなのでしょうね。
今、アフガニスタンで悪役を押し付けられているタリバンも、アフガンを良く知る人々(日本人など)の話しでは、北部同盟の殺戮などの中で、民衆を助ける形で登場し、民衆の支持に支えられていたとい話です。ただ、昔からあるアフガンの田舎の習慣を押し付けている所が、先進国と言われる国から『非民主的』と映るのでしょう。しかし、アメリカ側からすれば、タリバンは、極悪非道の組織でないと困るので、先進国の基準で、女性を迫害しているとか言っているのでしょう。日本は、アジアの国。アメリカのように、西洋基準でアジアを見ないで欲しいです。
パキスタンもカラチなどでは、頭を覆うことも少ないですし、ジーンズ姿の女性も結構いますが、田舎に行けば違いますからね。女性の教育は必要ないという傾向も、別にタリバンに限った事ではないですよね。日本の明治や大正あたりの時代設定のドラマにもそういうセリフありますしね。
小川さん、ペシャワール会というのがあります。もう、20年近くアフガンなどで井戸を作り、救援活動をしている中村医師が中心で活動しているボランティア団体です。『生きていろ!病気は後から治してやる』というほど酷い状況のなかでの活動を続けてきた、今もしています。
多分、中村医師は、今日本に一時帰国して講演会などして、資金を集めているのだと思います。機会があれば、是非、講演をおききになってください。本も出したそうです。
このペシャワール会は、寄付の90%以上が現地に使われます。組織維持費などで、募金の大半が無くなってしまう大所帯とは、少し違います。
その中村医師が、その活動で、何度もタリバンに助けられたことを話していました。この先生の話、聞く価値ありますよ。
ルビィさん、レス有り難うございます。ただ、ちょっと、私の方がまともなレスを返せません。
前にも書きました通り、パキスタンはアメリカとタリバンに挟まれて国じゅうが暴動で混乱していると聞いていまして、カラチの状況も分からない中、アメリカの恩恵を受けて平和な日本にいる人間が平然とBBSで「そちらの様子はいかがですか」とお聞きするのは、場合によっては失礼どころの話ではないのではという懸念がありました(苦情があれば削除しますと書いたのはその為)。ルビィさんと、ももさんが、イスラム対アメリカで仲違いしてしまうのではという心配もありました。
最近東南アジアに行った人が「日本は情報過疎だ」と言っていましたが、「日本の報道陣がデモ隊ばかり追いかけているそうです。」とのお言葉通り、NYテロ事件以来、各機関の情報操作が盛んというか、私も善悪の区別とか分からなくなっています。タリバンの実態についてもメディアの情報をどこまで信じて良いものか。何故悪者扱いされなければならないのでしょう。
しかし、日本は自国の国益を優先すべきで、その為にはアメリカに協力すべきという意見もあります。NYテロ事件後、何かしたいと思う人は日本にも多いと思いますが、ならどうあるべきで、どうすべきか、という答えを出せない人が多いのではないかと思います。
昨日、北部同盟が(意外と簡単に)カブールを制圧しましたが、北部同盟の実態もよく分からなく、単純に喜べるのか分かりません。しばらく国連監視下に置いた方が良いという意見も分かる気がします。
ルビィさんには、パキスタンやアフガンでの、日本が報道しないような情報を“支障のない範囲で”期待しています。(別に、ビンラディン氏の情報とかは、間違っても聞いたりしませんので。)日本の自衛隊はパキスタンで何しているんでしょう。
ペシャワール会というNGOは聞いた事があります。参考にさせていただきます。
ももさん、そちらの様子はいかがですか。
小川さん、ペシャワール会のHPです。関心があれば、覗いてみてください。
そんなに気を使わなくていいですよ。ももさんとだって、喧嘩になんかなりませんよ。私だって、アメリカがパキスタンをテロリストを支援する国家と名指しされずに良かったと正直思っています。アフガンを心配しつつも、ムシャラフ大統領を含め、パキスタンの政治家は、真意は別にして、アメリカ側に着いたことは、生き延びるための正しい選択だと思っています。
人間、生きてなんぼのもんだと思います。
www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/index.html
がペシャワール会のHPです。間違ってURLに貼ってしまいました。
また、飛行機事故がありましたが、今回はテロで無いようですが、、、ほんとかな??。とにかく、テロ後の混乱は落ち着いてきたようです。、、というか私自身もそうだか結構毎日の生活に追われている人達がほとんどでしょう。まあ、変わった事と言えば、気のせいか、テロ以前より、アメリカ人全体的にやさしくなったかも、以前より忍耐力が彼らにはついたかもね。
今回京都議定書がアメリカ抜きで調印されたけど、この件に関しては、大量消費が常識で前提のアメリカの豊かさだからなあ。でも、あくまで、官僚政治が外交で好き勝手な事をやっていて、実際のアメリカ一般国民の意思をまったく反映していないと思っているアメリカ人もたくさんいます。しかし、この人達に消費を控える、犠牲にするという行動は、日本人が行うより、大変な努力を必要とするでしょう。
しかし、このアメリカの国としての勝手な行動、アメリカ国内における毎日のように広がる貧富の差。アメリカは外からも、中からもそのうち、、、まあ、何が起こるかはわからないが、このまま長く続いたら、何かおきるんじゃないかな???
人間生きてなんぼですか!! そうですね、そうなんでしょうね。
ルビイさん、3月が予定です。小川さん気をつかってもらってどうもすみません。でも、喧嘩は無いと思います。それより、個人的には小川さんのストレートな意見のほうが読みたいです。
ももさん、遅くなりすみません。ストレートな意見といっても、このBBSを含めてこれまで他の方々が主張してたような(或いはそれ以下の)ことしか書けそうにありませんが…
やはり、アメリカという国は身勝手です。最近の大統領は何かあると、自分の支持率を増やす為に適当な国へ戦争をしかけ、巧みな情報操作で自分達が正義だと世界に示します。日本のメディアでも、NY貿易センタービルに飛行機が突っ込みビルが崩れていくシーンは繰り返し伝えられましたが、アフガンの一般市民が爆撃を受けて苦しんでいる様子などほとんど伝えられません。私がよく見る「ニュースステーション」や「朝日新聞」の報道でも(全てがとは言いませんが)アフガンの市民はこれまでタリバン政権下で散々苦しめられ、それが北部同盟により開放され歓喜に満ちていることが強調されています。もう情報合戦です。アメリカは初め「攻撃対象はテロのみで、一般市民は助ける」と言っていましたが、案の定、誤爆(?)により多数の市民が死傷しました。嘘はつくなと言いたい。向こうが一般の市民を殺したから、自分達も市民を殺しても構わないとおっしゃるのか。冷戦時代が過ぎた今、今度はキリスト教圏VSイスラム教圏という構図になるのでしょうか。歴史の中で西洋諸国やアメリカが植民地を作るなど世界を征服してきたのは、キリスト教の「神を信じない者は悪魔だから殺しても罪にならない。」が根底にあるのではないか。アメリカはもともと白人が先住民を追い出して建国され、アフリカの奴隷を使って発展し、その後も大国として異常な振る舞いをしています。これでイスラムの「ジハード」を非難できるのでしょうか。(神など所詮は人間の都合のよいように作られたものとも思えてしまう。)
今、日本で小林よしのり著「戦争論2」が発売されました。(冒頭でいきなりNYのビルに飛行機が突っ込む場面から始まる。)まだ4分の1くらいしか読んでいませんが、個人的には、物議をかもした前作とは一味違い、特に今回のテロ事件については共感できる考えもあり、興味深いと感じています。ももさんにも、一応何かの機会に読んでみる価値はあるとお勧めしておきます。
ルビィさん、ペシャワール会のHP、ざっとですが見ました。アフガンでの写真も多く、現地の生の情報を知るのに貴重だと思いました。有り難うございました。
あの〜ももさん、私が上記のこと書いてから、BBSがしらけてしまったみたいです。やはりまずいこと書いてしまったかしら。
ところで、「戦争論2」は、やはり読んでいくうち、前作と同じような内容と感じるようになりました。それなりに読み応えはありますが。
米国、ロサンゼルスからの書き込みです。インターネットでイラン・イラク戦争の事を調べていたら、いつの間にかこの掲示板にたどり着いていました。私はこちらの大学・大学院で社会福祉を専攻し、現在、ソーシャルワーカーとして、精神障害及び薬物依存症に悩むホームレスの人達のお世話をさせて頂いています。その中には旧米国軍人の患者さんも多く、戦争はアメリカの人々にも深い傷痕を残すことを日々目撃しています。9月11日のテロ事件後の米国・日本政府の対応にショックを受けて、海外に住む一日本人として世界平和の為に何ができるかを模索中ですので、みなさんにいろいろ教えていただければ嬉しいです。
私も一時は医者になってアジアの無医村で働きたいなどと考えていたのですが、いろいろ悩んだ結果、私は人々の心というか魂を癒す医者になりたいと思い、福祉の仕事の合間こちらで禅の勉強をしています。将来は日本に帰って、何らかの形で若い世代の人々の教育にあたりたいと思っています。
ところで、山口充さん、私はICCのことは何もしりませんので、もしよかったら情報を下記のメールアドレスまで送っていただけませんか?
kazumi3@earthlink.net
どうもありがとうございます。
山口@国際刑事裁判所です。
核軍縮決議案に関するニュースと、それに対するICC利用と
いう私見です。
ご検討ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<国連委員会>米、核軍縮決議案に反対 日本提案を採択
【ニューヨーク上村幸治】国連総会の第1委員会(軍縮)は5
日、日本政府の提出した「核兵器の全面的廃絶への道程」と題
する核軍縮決議案を賛成124、反対2(米国、インド)、棄
権20(中国、ロシア、パキスタンなど)で採択した。日本の
核軍縮決議案の採択は8年連続だが、米国が日本の提出した核
軍縮決議案に反対したのは初めてで、核実験全面禁止条約(C
TBT)批判の立場を鮮明に打ち出したものといえる。
採択された核軍縮決議は、CTBTの早期発効と発効まで
の核実験停止を求めているほか、2002年会期内のできるだ
け早い時期に、核軍縮を取り扱う適切な下部機関を、ジュネー
ブ軍縮会議に設置するよう促している。
第1委員会には、CTBTの問題を来年の国連総会の議題
にし、本格的な議論を行なうべきだという決定案も提出され、
賛成140、反対1(米国)で採択された。
米国は、ブッシュ新政権発足後、CTBT批判を繰り返し
ており、今回も日本の核軍縮決議案にCTBTの早期発効を促
す条項が入っていることに反発していた。今回の反対の意思表
示も、同じ理由とみられる。
今回、採択された今年の核軍縮決議案には、米同時多発テ
ロを受けて大量破壊兵器(核・生物化学兵器など)の管理につ
いて「テロリストの手にわたるのを防止するため」という文章
を初めて入れた点が注目される。日本は過去にも「大量破壊兵
器の拡散につながりうるすべての物質の保管・管理・防護」を
求めていた。
第1委員会が採択した決議・決定は、近く開かれる国連総
会の本会議で採択される見通しだ。(毎日新聞)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ひとりごと)
1.アメリカの単独行動主義が現れた典型です。
ICCの批准および実効化を目指すためには、このような米国
対策を真剣に考えねばならないと再認識させられます。
2.戦争中におけるNBC兵器(核、生物化学兵器)の使用規制を
実効化する方法として、ICCにできることは?
もちろん、文民および一般住民の保護、軍事目標主義を定め
た他の規定を援用することで、現行規程上も対処は可能だと考
えます。
しかし、目指すべきはNBC兵器の使用そのものを、犯罪とす
ることではないでしょうか?
具体的には、規程8条2項(b)(xx)にいう無差別兵器として、
改正時に付属書で禁止することを求めるべきです。
「テロを人道に対する罪としても裁けるが、テロそのものを犯
罪として裁く方が理想的だ」という理屈と、同じ論法です。
3.専門用語等が多くてわかりづらいという方へ。
できる範囲で解説します。
ご連絡ください。
山口充
mmiittssrruu@yahoo.co.jp
まで。
平和のための努力を続けましょう。
この書き込みは、書き込んでよいものか、自分でも自信が無いところがあります。もし苦情などありましたら、削除も考えますので。
アメリカ在住のももさんへ。テロ事件〜アフガン空爆〜炭素菌事件と起き、アメリカ国内も混乱したりしているかと思いますが、アメリカの人々の様子とか興味ある内容とかありましたら、ささいな事でも随時レポートしていただけたらと思います。ももさんに限らず、アメリカ在住の方、よろしくお願いします。
ブッシュさんは初めはアフガンへの攻撃はテロに絞ると発言しながら、誤爆があったりと実際は一般市民にも多数の犠牲者が出たりして、言動に疑問を感じています。自分の面目を保とうとしている為か、何かムキになり過ぎている気がします。
炭素菌騒ぎも、どうもアメリカ国内だけの問題のようです。
ルビィさん、御無沙汰しています。日本には詳しい情報が入りにくくなっています。無理にお願いしたりは致しませんが、よろしければ、“お差し支えない範囲で”そちらの様子とか知らせていただきますか。また、おそらく私などお力になどなれないと思いますが、日本に対し、お願いしたいこととかありましたら、お伝え下さい。
日本の報道は、あまり信用できない気がします。パキスタンでは、反米の嵐が吹き荒れているように報道されているようですね。でも、カラチは、平穏。イスラマバ−ド方面も反米行動は、少なくなり反戦が多くなっているそうです。
日本の報道陣がデモ隊ばかり追いかけているそうです。ここカラチも9月末から危険度4で、日本企業人は、0.私たちのような国際結婚をした日本人妻が、帰る気もなく同じ日々を送っています。
アフガン難民は、増える一方です。
なんて謙虚な小川さん。私の書き込みも何をいってやがるなんて思う人沢山いると思います。でも、いいんじゃないんでしょうか?思想、表現の自由って事で。ルビイさんお元気でなによりです。
私もどちらかというと、日本の報道のほうがアメリカより、かなり狭くかたよって報道されているように見えます。アメリカはインターネットのせいだとは思うが、最近は特に、わりと多くの情報に出会えます。
最近はお腹の子はぐるぐる一日中忙しく動きまわっているのと、私自身の生活も今週末まで、どたどたしているので、金曜にでも、もも的見解を書き込んでみたいと思います。
小川さん、お久しぶりです。昨晩、3日ぶりくらいに覗いたら、小川さんのカキコがあったので、オン状態で簡単にカキコしました。
日本の政治家がパキスタンに来たそうです。日パ旅行社のオバハンが、政府から派遣された3人の政治家に会ったそうです。『予想してたとはいえ、見識のなさに驚いた。』と書いてあるので、この見識のなさの中身に感心があります。
しかし、確かに、PTVにアップで映し出された3政治家の顔は、ボーとしており日本人をかなり理解している夫も『なんだぁ?何考えてるんだか、ボ〜とした顔だなぁ。』と言っていましたが、同感。もっと言わせてもらえば、何がなんだか分らない所に来てしまって、早く帰りたいと思っている顔だと思います。
今回のニューヨークテロとその『テロとの戦い』と言う名の報復攻撃の経過を見て、つくづく人間の命の重みの雲泥の差を感じました。先進国の国民の命が、途上国の国民の命よりずっと思い現実は知っていましたが、実は、先進国国民の認識も『我々の命の重みは、途上国民の比ではない!!』と確信している様を見ました。国家の力、経済の力がそれを決めます。
(*日パ旅行社は、パキスタンのイスラマバードにある日本人女性の経営する会社です。長年、パキスタンに住み、アフガン戦争(対ソビエト)の頃から報道陣の取材などを手伝ったりしている自称オバハンは、個人的にもムジャヒディンの戦士やタリバンの兵士を知っています。そのアフガン人の義を重んじる国民性をも理解しているようで、それが、時々、日本からアクセスしている人の価値観?道徳観?に触れ、激論をも巻き起こしています。)
あ、ももさん、お久しぶり。出産いつですか?
ルビィさん、パキスタン国内が暴動で混乱していると日本のメディアから聞いていましたので気がかりでしたが、ご無事で安心いたしました。また改めてレスをするつもりですが、MSNジャーナルで面白そうな記事がありましたので紹介します。ご覧になってみてはいかがですか。
「虐げられたイスラム女性たちという虚像」
http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=82259
他に、田中宇さんのHPにパキスタン関連の記事がいくつか掲載されています(「パキスタンの不遇と野心」など)。
http://tanakanews.com/
山口充です。
連続投稿すみません。
国際刑事裁判所に関する日本語HPがリニューアルしました。
http://member.nifty.ne.jp/uwfj/icc/ICC01.htm
です。
とても見やすくなっていると思います。
ぜひ一度お訪ねください。
では。
こんにちは、山口充です。
国際刑事裁判所に関連して、皆さんのご意見をお聞きしたいことがあります。
突然ですが、以下のニュースについて、皆さんはどう思われますか?
ご意見等をお聞かせください。
ものすごく簡単に申しますと、僕の意見としては、このような「テロ」こそ国際刑事裁判所の管轄にすべきことだと思います。なぜなら、「当事者」である国家に、適正な裁判は望めないと思うからです。
どうでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月2日付公明党HPより
爆弾テロ防止条約を可決
衆院テロ対策特委
毒性物質、生物剤使用を犯罪に規定
加盟国に犯人引き渡し義務
衆院テロ対策特別委員会は1日、国連の「爆弾テロ防止条約
」の承認案と、同条約の批准に必要な生物兵器禁止法など関係
法整備法案を全会一致で可決した。きょう2日の衆院本会議に
上程され、可決する見通し。
公明党は、国際テロの防止・根絶のため同条約を早急に批准
するよう強く主張。10月1日の衆院本会議代表質問では、太
田昭宏幹事長代行が早期批准を訴えたのに対し、小泉純一郎首
相が批准への決意を表明していた。
◇
衆院テロ対策特別委員会で可決された「爆弾テロ防止条約」
(承認案)は、爆弾や人工的に合成された毒性物質、生物剤な
どの発散装置(兵器)を公共の場所に設置したり、使用する行
為を国内法上の犯罪に定め、加盟国に犯人の処罰、または関係
国への引き渡しのいずれかを義務づけるもの。処罰対象となる
毒性物質、生物剤は、神経ガス(サリンなど)や、びらんガス
、炭疽菌、ボツリヌス菌など多種にわたる。
日本は1998年4月に同条約に署名(条約文の作成に参加
した国の代表者が証拠のため記名すること)したが、国内法の
整備の遅れにより、批准(国家が最終的、確定的に同意を表明
すること。日本では国会の承認を経て内閣が行う)には至って
いない。しかし、米同時多発テロを受け、政府は年内批准に向
けた国内法の改正などの整備を急ピッチで進めていた。
同条約の締結に伴い法改正が必要なのは、「爆発物取締罰則
」「化学兵器禁止法」「サリン法」「生物兵器禁止法」「原子
炉等規制法」など7法。7法を一括した改正案のうち、6法に
国外犯処罰規定(日本国外で外国人が犯した犯罪でも日本の国
内法で処罰するか、関係国に引き渡す)を新たに盛り込んだ。
一括改正案には、生物剤・毒素や毒性物質を「発散」(未遂を
含む)させ、人や財産に危険を生じさせた行為に対する罰則規
定も新設。このうち、生物剤・毒素などを充てんした噴霧機や
ロケット弾などの発散装置(兵器)を使用した場合は、最高で
無期懲役、または1000万円以下の罰金が科される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕が調べた中では、このHPが一番詳しく情報提供していたので、掲載しました。
公明党HPは
http://www.komei.or.jp/komei_news/contents/2001/11/02/002.htm
です。
また、公明党メルマガは、まぐまぐで登録できます。
http://www.komei.or.jp/i/mag/mag.htm
mag2 ID 0000049376
です。
では。
はじめまして。山口充と申します。
現在、国際刑事裁判所設置のための運動をしています。
将来は弁護士資格を取って、そこで働きたいと考えています。
さて、僕がここに投稿した理由を説明するために、まずその前提として、みなさんに国際刑事裁判所に関する基礎的な情報提供をしたいと思います。
たとえば、
1.国際刑事裁判所とは何か?
2.ハーグにある裁判所とはどこが違うのか?
3.9月11日のアメリカの「テロ事件」について、どのようなことができるのか?
などなど。
事柄の性質上、多少のスペースと時間を要します。その際、掲示板を独占してしまうのは、他の投稿者および読者の方々に大変ご迷惑になると思います。
そこで、まず、この投稿を読んで「ピーン」と来た方、山口の方に資料請求のためのご連絡をください。
山口個人のメールアドレスは、
mmiittssrruu@yahoo.co.jp
です。
お話したい事がたくさんあります。
それをより意義のあるものにするためにも、みなさん、ぜひ資料をご請求ください(もちろん無料です)。
事務的な話ばかりで申し訳ありません。
ですが、これからよろしくお願いします。
p.s.実は医師資格取得を狙っています。
法と医と平和の、かけはしになりたいので。
その辺も含めて、お話していけたらうれしいです。
「米国がアフガンを欲しがるわけ」を読んでなるほどと思いました。
もうひとつ、米国の対中国政策も背景にあるのではないでしょうか。
すなわち、米国似とってのこれからの仮想敵国は中国であり、それを有利に進めるキーワードはインドだと思います。
インドが中国寄りになってしまっては、米国として困ったことになってしまう。
それを防ぐためには、なんとしてもインドを米国寄りにしなければならない。
そのためには、アフガンの民主化の監視の名目で、インドにとって目の上のたんこぶともいえるパキスタンを米国の管理下に押さえ込み、カシミールでインド寄りの解決策を導き出し、インドに貸しを作る。
こうすることで、インドは米国への借りができることとなり、中国寄りの姿勢はとりにくくなる。
もしかして、カシミールでパキスタンの原爆の事故でもあれば、この作戦は一気に進むのかもしれない。
いずれにしても、真珠湾、ベトナム、湾岸と今回のアフガンといい、米国の常套手段「仕掛けて・・やらせて・・やり返す」のパターンは変わっていないようです。
このことに気がつけば、日本のとりうる政策ももう少し冷静に論議されると思いますが。
ではでは
私は、インドは既に、かなりアメリカ寄りだと思います。ITで経済を延ばそうとしているインドにとって、アメリカの技術、資本、そしなんらかの経済的な提携は必要不可欠だからです。そして、コストの安いインドはアメリカにとってもこの先いい経済効果ともたらすはず。
中国だって、アメリカの経済力にかなり依存しているし、、
私は今回のテロはアメリカが仕掛けたとは思えないんです。アメリカも間抜けな事たくさんしでかしますしね。 私はアメリカの頭脳をそんなに評価してません。それに、アメリカと一つに言っても、中身は色々な利益集団が競っているとも見えるし。今回のテロも仕掛け人がいるんだろうか? わからないですね。でも、もしいたとしたら、今回は私はヨーロッパの方かなとも思います。アメリカはたしかに力はあるが、時にアメリカは工場、または会社、実際に動かしているには他にいるんじゃとも私は思うんですよね。うーーーーん、なんか陰謀チックになってきました。もし、本当だったら恐いですよね、人間は。
はじめまして。
国際保険通信、いつもはMSNジャーナルの方で読ませていただいているのですが、MSNの方のページはリニューアルに伴いデータが削除されてしまったようなのでこちらに伺いました。
MSNジャーナル、記事に対する読者の意見などが掲載されていて、興味深かったのですが、そういったものも軒並み削除。
リニューアルに伴うデータの整理ならいいのですが、これが米同時多発テロに関連してのご時世によるものだとすると寒いものを感じます。
はじめまして。僕も同感です。
インターネットの世界でも、テレビの自主規制のようなことがあるんでしょうか。
私も削除されたと思っていたら場所が変わって一応ありました。
バックナンバーにあります。これならネスケでみれるのよね。
http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=71556
しかし、msnもIEでないと見れないようにするなんて、さすが米国を
代表する企業ですわな。やり方が一緒や。
独占してもうけてんだからもちょっとましなものを作れよな。
少しほっとしました.
>今の日本の閉ざされたシステムをすぐに変える事なんてできない。だから私達大人の意識を変えていけばいいのだと思う。今はネットという素晴らしい情報源があります。限られた情報しか流さない日本のマスコミの他にのなるべく時間をとってより多くの情報を吸収し、自分の判断で消化していく。そして、情報の他にも、宗教にしろ、芸術にしろ、国際情勢にしろなんにしろ、できるだけもっと多くの事を学ぶようにする。そして、吸収した事、学んだ事を友人、親、子供に伝えていく、情報交換をする。
ももさんの素晴らしい書き込みの一部なのですが、
日本は今「個人情報保護法」という、とんでもない悪法が国会を通過しつつあります。これは実質、主にネットをねらった言論統制になるものです。
個人情報保護法の基本的な認識資料
http://www6.plala.or.jp/X-MATRIX/hogohou/matui.html
VIDEONEWS.COM
http://www.videonews.com/
の「神保哲生と宮台真司のトーク・オン・デマンド」(10/5収録分)で
アメリカの『アフガン政策』について、ブッシュとその周辺の
多くの人間たちの「石油人脈」のことが少し出ました。
MSNジャーナルの[アメリカがアフガニスタンを「欲しがる」わけ]と関連して
とても興味深かったです。
僕は今回の「戦争」が、どうも「湾岸戦争」とだぶってしまいます。
また日本においては、小泉政治が中曽根政治とだぶってしまいます。
「市民」による検証が必要のような気がします。
home page からメールマガジンを登録しようとしたのですが、
まぐまぐのほうの「登録」ボタンを押すと kaijo.com に
つながってしまうようです。
調べてみて下さい。
御指摘ありがとうございます。
修正いたしました。
小泉首相が国会演説で「国際社会から孤立しないこと、国際協調が重要だ」という趣旨の発言をしていました。
私は国際協調については賛成です。
しかし問題は何をもって「国際社会の意向、つまり国際世論」と判断するのかだと思います。
私は、国際世論とは極端な言い方をすれば「世界の主要国の意向」のことだと思います。
そして、政府は疑いも無く「アメリカの意向=国際世論」だと考えているからこそ自衛隊の派遣を焦っているのでしょうが、私はその点が心配です。
湾岸戦争時の「中東の石油確保」の様な、主要国に共通する利益目標が今度のアフガン作戦にもしあるのなら、「アメリカの行動=国際社会の動き」と政府が思い込むのも理解できます。
しかし、もしもMSMジャーナルの高山氏の記事にある通り、今回の作戦の真の目的の一つが「カスピ海の天然資源の輸送経路の確保」にあるとしたら、それは英国やフランスなどにとっても共通の利益目標になりうるのでしょうか。
欧州の国々がカスピ海方面からパイプラインを引く場合、アフガンを通す必要があるのか、それともトルコを通して引けるのかについては知識不足で私には分かりませんが、それによってアフガン作戦にたいする他の主要国の協力度合いが変わり、国際社会が今までどおりアメリカ中心に動くのか否かが決まる可能性はあると思います。
NATOが集団的自衛権を発動したとの情報もありますが、実際に欧州がどう動くかを、自衛隊が後方支援に深入りする前に十分見極める必要が政府にはあるんじゃないでしょうか。
もしもアメリカが国際世論から孤立した状態で日本だけが作戦に深入りしていたら、中東世論の反発やテロ攻撃の矛先が日本人にも向けられる恐れがあると思います。
やはり小泉首相には「他国に送れずにアフガン作戦に馳せ参じて、国際社会から評価されたい」という潔癖さだけでなく、もっと狡猾でずるくあって欲しいと思います。
そうでなければ、欧米やロシア・中国の政治家を相手に対等に渡り合っていけないと思います。
少なくともアメリカが今回のアフガン作戦において、ゲリラの討伐を口実に新米政権をつくろうとしているのは、元国王をかつぎ出していることからも確かだと思います。
問題は英国やフランスなどの他の主要国がどこまで裏でアメリカと通じているかだと思います。
そうですね。
イギリスはアメリカと歩調をそろえましたね、イギリスはきっと、アメリカに歩調をあわせたほうが自国の安全、利益につながると思ったのでしょう。じゃあ日本の安全、利益はどこにあるんでしょう?
私も、日本にもっと賢くなって、日本の最大の利益になる行動をとってもらいたいと願っています。世界の為にというよりも、こんな生きるか死ぬかの状態に追い込まれると、なんとか自分の国が生きのびる方法だけを探ってしまう。too little, too late と嫌味を言われるだけならまだいい。横須賀あたりに、biological weaponが落とされて、何千もの日本人が死ぬなんて考えただけでも、耐えられない。大国の御機嫌をそこねて、経済制裁でもくらって、沢山の失業者がでても困る。
そんな事が起きないとも限らない。もう、テロは遠い世界の事では無い。私も愚かな人間で、他の国の国民の前にどうしても日本人の安全、利益を第一に考慮してしまいます。
アメリカはやはり報復攻撃をしたいのでしょう。大国としての誇り、、、大国をなめたらいかんぜよ、、みたいな報復を、そしてそれがアメリカ国民の安全につながる。国民にもう一度、大国に守られているから安全だというイメージを与えるために。アメリカ国民に手出しをしたらイタイ目にあうぞって。
今回のテロでまた一部の人達が特をしたみたいですが、私は単なる一般
国民なので、やはり国単位で物を考えでいる次第です。
もし、アフガンに親米政権ができたとしても、もしかしたら、アフガンの一国民にとっては生活が今よりずっと安定してよくなるかもしれない。私はタリバン政権の国を統治する政治能力に疑問を持っていたので、親米政権がかならずしも悪いとは言い切れないと思っています。とにかく、西洋(日本もだが)経済力があるので、援助のほかにも、パイプラインでもなんでもなんらかの経済面で取り引きができたら、それはアフガンの国益につながるかもしれない。日本経済だって今でも、経済大国アメリカの購買力にかなり依存している。だた、どこかの国のように一部の上層階級が富をひとりじめしたらまた第二、第三のタリバンがでてくるかもしれませんが。
日本の事にもどりますが、昔、アラブ人に言われた事があります。こういわれたのです。”日本人は本当に賢い。日本は資源などなにも無い小国にもかかわらず、ここまで大国、戦争をうまく利用して、経済をのばした。そして絶対に一番にならない。表にあまりでない、常に大国に従属している。これは賢明は方法だ。一番になったり表にでたりすれば、かならず、目の敵になったり、責任をとらされたり、やっかいなだけだ。二番、三番で後ろにかくれていれば、それそうとうの富が手に入るし、責任はとらなくていい。やっかみもそんなにもたれないだろう。”
私は、日本は大国に従属する態度でいてももいいと思っています。それが日本の最大の国益になるなら。だだし、こんどは嫌味をいわれないように、従属するのであれはさっさと従属するべきだと思う。だだ、中国の態度はどうなんでしょう?アメリカからではまったくと言っていいほどみえません。小国日本は、アメリカ、中国の間をすいすいと、うまく、どちらの御機嫌もとりながら、おいしいことろをもっていってほしいと思っています。悲しいかな’これが私の本音です。
みなさんはどう思いますか?
おっしゃる通り、主要国の間をうまく立ち回ることで日本の安全と利益は守られると思います。
その結果として大国に従属することになっても悲しくはないと思います。
本当に悲しいのは半世紀前のように何の見通しも無い決断をして、安全も利益も失うことだと思います。
資源の無い日本が選択を誤るとどうなるかをいやと言うほど思い知らされた訳ですから。
アラブ人に言われたお話を興味深く読ませてもらいました。
私は今度のテロ事件以降、日本のことをあらためて見つめ直すと「この国は不思議な国だなぁ」とつくづく思います。
確かにそのアラブ人の方の言うと通りなんですが、はたしてどこまで政府は意図してやったんでしょうか。
政府に長期的な戦略があった訳ではなく、アメリカがつくった憲法9条に縛られ、アメリカがつくったルールのもとで経済活動に専念した結果がたまたま今の日本になったんではないでしょうか。
そのことは、外交能力が低いにもかかわらず戦後一貫して憲法9条を改訂したがってきた政府与党の姿勢からも分かる気がします。
思えばイラン・キューバなど親米政権がつくられた国では、アメリカに資本や資源を牛耳られ一部の特権階級を除き大部分の国民は貧しくなったのに対して、GHQによって親米政権がつくられた日本が世界第二の経済大国として存在しているのは、あらためて客観的に見つめ直すと特異な例だと思うのです。
やはり、日本に資源がなかったのが良かったのでしょうか。
また、湾岸戦争においてもキャッシュディスペンサーなどと揶揄されながらも、結果としては自ら手を汚すことなく「安定的な石油供給源の確保」という果実だけを日本は手に入れています。
湾岸戦争において、中東から石油を輸入している主要国は中東の石油をサダムフセインの支配から守るために戦争をし血を流しています。
アメリカにいたっては、その後もイラクを監視するためにサウジアラビアに軍を駐留させ、そのことがイスラム原理主義テロの一因にもなっているぐらいです。
それに対して日本政府は石油輸入国としての自覚も薄く、ぎりぎりになって資金を出しました。
にもかかわらず、アラブ人の恨みを買って原理主義テロの恐怖に怯えることもなく石油という果実だけを手に入れています。
これだけの成果をお金だけで手に入れられるなら、例えそれが何兆もの金額であっても、安いものだと私は思います。
だからこそ欧米に「too little,too late」と言われたのでしょう。
しかも日本政府はそれを戦略もなしに意図せずにやり、その上その成果の価値を十分認識していないのだから、本当に不思議な国だと思います。
私は、今度のアフガン作戦に関して政府関係者が「湾岸戦争の時の轍は踏まない」と意気込んでいるのが理解できません。
幸か不幸かこの重要な時期に、日本は小泉さんという「自衛隊の後方支援」の決断ができる首相を持ってしまいました。
このことがかえって、今まで日本が手にしてきた幸運を手放すことにならなければ良いと思っています。
なるほど、そうなのでしょうね。どうなるんでしょうか?
なんだか、ゲームみたいですよね。チェス、将棋、碁、、世界の国々とのゲーム。でも、このゲームは生死がかかわってくる。一体日本はどうでたらいいんでしょうか?
アメリカ自身も内部ではかなり混乱しているように見えます。インターネットのおかげで、ひと昔前みたいに、プロパガンダでアメリカ国民を引っ張っていくわけにはいかなくなっているのがなんとなくわかります。政治家は今までにないくらい言葉を選んで話している。しかもあいまいな表現が多いし、毎日どんどん情勢が変わる。アメリカといっても、様々な意見が対立しているんでしょうね。ただそんな事は国民には見せません。特にこんな非常時には、大統領を筆頭として皆一丸となってアメリカを守ろうとしている事だけを国民に見せる。私はこれは大変いいことなんじゃと思いましたね。国民はこれでとても安心する。
日本はよく、なにがなんでも反対する野党らが、非常時でさえも、うだうだ文句言って決断すべき事がきまらない事が多い。特に非常時は、一応日本だってデモクラシーなんだから、首相を中心に多数決で物事をどんどん決めて、一度決まったら、うだうだいわずに、日本の国の方針として一丸となって堂々と責任をとってもらいたいものです。野党は野党の責任もあるけど、もっと効率よくやってもらいたいものです。私達は国会で居眠りをしてもらうために税金はらっているのではない、、、、とにかく、私達国民を守る為に日本には最善な方針をとってもらいたいものです。そしてできれば世界の為にもなる決断を、、、難しいですね。ほんと、どうなるんでしょう?毎日変わる状況、、目が離せないという感じです。
結局人間も他の動物と同じで、生き残り競争をする生き物なんでしょうか?
その国、人の運にしろ、力にしろ、負けたらそれでおしまいなんでしょうかね?
私のような最終的には日本のことだけ考えてしまう人間が、ボランテイアだとほざいても、偽善に聞こえるのかも。だけど、日本人の命を犠牲にしてもアフガンの難民を助けようなんて残念ながら思えないが、自分たちだけ利益を得て、他が犠牲になった時はやはり手放しでは喜べない。私が犠牲者の立場だったら、かなりの怒りを覚えるかもしれない。私自身はいつも自分勝手な感情と優しい感情と、二つの感情がジレンマになっています。だけど、自分の中に優しい感情が芽生えた時にはそれを大切にそして行動に移していく事が大切なんでしょうね。それが人間でもあると思う。
私は日本の安全や利益を考えることと、ボランティアやアフガン難民について考えることは矛盾しないと思います。
なぜなら国家レベルの外交(国際政治)と、民間・個人・NGOレベルの交流とを分けて考えるべきだと思うからです。
私はアメリカ人のボランティア精神やフランス人の「国境なき医師団」などの活動をすばらしいと思います。
そして個人・民間としての外国との交流には、平和・博愛・友情といった損得なしの理念に基づく行動が当然あり得ると思います。
その一方で国家レベルの外交(国際政治)では、自国の安全と利益を守るための戦略や駆引きが中心になるのではないでしょうか。
政府の途上国援助にしても、貧困や難民を減らして国際的安定をもたらす事を目的としていて、自国の安全・利益と無関係ではないと思います。
その点、日本政府の外交がどうなのかがやはり気になります。
冷戦が終わるまでは、アメリカに追従していれば日本の安全と利益は守られたのであり、政府が外交戦略上の重要な意思決定をする機会は無かったのではないでしょうか。
そして湾岸戦争においては、政治の効率が悪く外交上の決断ができなかったことが結果として幸いし、日本に安全と石油をもたらしたのだと思います。
この点、日本の政治についての前レスでのご批判は、その通りだと思います。
では今度のアフガン作戦において、政府はどうすべきなのでしょうか。
実際のところ、専門家でない私には分かりません。
しかし、重要な外交上の意思決定をする前に考えるべきことがあると思います。
それは、今まで政府が戦略や意図も無く手に入れてきた「日本の安全と利益を支える前提」についてもう一度見つめ直し、それをこれからも維持するためにはどうすべきかを考えることです。
「日本が石油を安定的に輸入できている前提とはなんなのか」「欧米諸国と異なり、なぜ日本はイスラム原理主義テロにあわずに済んでいるのか」と言うように。
そうすれば、「日本は何を欧米のシステムに負っているのか」「欧米には無い日本の利点とは何か」について認識が深まり、今度の作戦で何をどこまで協力すべきかが分かってくるのではないでしょうか。
これからは、「日本の安全と利益を支える前提」を維持するために長期的な戦略と明確な意図が日本外交に必要になって来ると思います。
我々がこれまで空気のように当たり前に思ってきた「その前提」が、失われることがないように政府与野党の方々にがんばってもらいたいです。
その意味で、湾岸戦争に直接参加しなかった反動から「主要国に評価されること」を意識して、長期的な戦略も無いまま果断に外交上の決断をしようとしている現在の日本政府の姿勢に不安を感じます。
場合によっては、「何の決断も出来なかった湾岸戦争の時の方が良かった」ということになる可能性もあると思います。
もちろん、私のような心配性は少数派だと分かったうえで、あえて書かせて頂きました。
MSNジャーナル読んで、いてもたってもいられずここを探りあててきました。
ここまで深い考察ができる人がいることに驚きをもちました。
自分もこれだけの考察ができるように、そして自分の意見をいえるように勉強しなければと思ったしだいです。
話は変わりますが、アメリカは昔タリバンを支援してたと聞きました。
今回のテロはアメリカが自ら招いたことのように思うのですが皆さんはどう思いますか?
自業自得というのは、どんなもんでっしょ?じゃあ、オクラホマのテロ事件も、コロンバイン高校の乱射事件もアメリカの自業自得って事になるのかな。全てアメリカという国は産みだしたひずみの結果だから、そしたら、東京のオウムのガスによるテロも日本の社会が生み出したひずみからによるから日本の自業自得?自業自得というのはあまるに短絡すぎると思う。
一部の日本人はオウムを狂気だ、悪魔だと一方的に避難している時、ふと、オウムはある意味では日本の社会の歪みが産んだある意味の犠牲者なのかなとも思った。だから、一部のアメリカ人は一方的にオサマを悪魔だなんだと避難しても、私はアメリカが生み出した歪みの犠牲者なのかなあとも思ってしまう。
だからって、6000人も殺していいのか?地下鉄に有毒ガスをまきちらしてもいいのか?どんな理由が、罪の無い人達を殺す事を正当化するのか?
今の世界は渾沌としているので、自業自得とか、自分でまいた種というのは、かなり短絡的な考え方になるかも、、と私は思う。つまりまかれた種は必ずしも一つではないと思うのです。アメリカと南米の関係だってそう。たしかにアメリカの砂糖、バナナの値段を安定させたいが為にアメリカがやりたい放題しているけど、南米の弱い国々は、それでも、アメリカの経済に頼って生きていく国は多い。よく、LOVE * HATEの関係というが、そんな感じなんでしょう。しかも多くの南米の国は、アメリカの横暴の他に、自分の国の政府の横暴のおかげで苦しんでいる国民が多い。
アフガンの難民達だって、とにかく彼等はまともな生活を手にいれたいだけでなんじゃないんだろうか?タリバンだろうが、アメリカだろうが、自分達の生活をまともにしてくれる指導者を必要、、、というより今はだた食べ物が必要なんですよね。アメリカはいつものように、アフガンに運ばれていく、食料にわざわざアメリカの国旗をプリントして、アメリカはこんなに慈悲深いいい国だってテレビで流しています。難民にとっては国旗なんてどうでもいでしょう、関係ないでしょう、とにかく食べて生き延びたいだけなんですから。
話はそれたが、ニュースで報道されるストーり−の裏には沢山の事実が隠されていると私は思う。沢山の事実が重なって現実があるんだと思う。だだ、その現実だって価値観が変われば180度変わってしまう。オサマはある場所ではひーろーだけど、あろ場所ではどんでもない悪魔。
アメリカは世界の中では情報網はかなり発達していて(CNNとかね)教育も受けているから、ほとんどのアメリカ人は自分達の価値観、常識が世界のスタンダードだと思っています。だけど、世界からみると傲慢で世間知らずにみえたりしますね。という事は私達日本人の価値観、常識も他からみたらかなり非常識にみえるかもしれません。だからってなにがスタンダードなのかって。私はそれも渾沌としているのかなと思っています。だから、どちらが正義で何が悪でなにが自業自得なんて、簡単に決断をくだすのは難しい。
だけど、人間は決段をくださなければ。生きて行くために。自分を、家族を、国を守る為に。
結局、欲のある人間は、分かち合って、助け合って生きる事だけなんてできないんだろうと思う。人間は競争と、自由もなければ窒息してしまう。だって、人間も他の動物と同じように強い者が、勝つんですもの。強いものがおいしい所をもっていってしまって、弱い者はそののこりをもらうんですもの。一体なにが平等なんでしょう?みんな同じようにわかちあう事が平等?私はかならずしもそうではないと思った。日本の年功序列がそう。私は能力の無い人は年令に関わらず収入は低く、能力のある人は年令に関係なく出世していくほうが平等で公平だと思った。私に反する意見もあると思う。これも価値観の違いね。
しかしこの世界はまさに弱肉強食だと思いませんか? 国単位でみるとアメリカ日本は勝ち組だけど、貧しいアメリカ人は沢山、日本人だって大変な思いをしている人は沢山いるはず。貧しい国だって日本人の平均よりずっといい暮らしをしているひとは沢山いるはず。世界でいろんな事件があるけど、宗教的な理由にしろ、経済的な理由にしろ本当に特をしている人をたどっていけばどんな人達にあたるかなんて想像もつきません。
ところで、アメリカはタリバンは支援しなかったでしょう。後にタリバンになった兵士達を旧ソ連との戦争の中で支援したはず。MSNのジャーナルをさかのぼって探すと沢山の情報が得られると思います。
ヒロさん、皆さん今晩はーアニムスです。
ヒロさん、大変遅くなりましたが、私達のサイトのBBSにてヒロさんのサイトを
ご紹介させて頂きました。いやータイミングを見ていたのですが、今回、ヒロ
さんのMSNジャーナル&国際保健通信22号がとてもタイムリーなものとなり
ました。どうも有り難うございました〜(^^)/
一連の石油を巡る覇権などなど、とても勉強になります。国家といえど、企業
なのですねぇ〜やれやれ。日本は愛知万博どころではないぞーこりゃぁ・・・
#アフガンなど中近東って、日本なら愛知近辺なんだよね〜世界の縮図として
#考えるなら・・・
ところで、誠に勝手な申し出なのですが、私どものサイトにもリンクお願いでき
ませんでしょうか?
田口ランディ女史のファンサイトではちょっと毛色が違いますか?(笑)
MSNニュースの高山氏の記事から、こちらを知りました。
氏のご意見を拝読して、いままでモヤモヤとしていたものの
一部がすっきりといたしました。
悲しいかな、この世のことのほとんどは「経済」で説明できます。
小さな個人のもめごとから、国家間の戦略に至るまで・・・・
実は以前、氏にやはりMSNニュースの記事で感想をお送りいたし
ご丁寧なお返事を頂戴したことがあります。
アメリカは「テロ」といいますが、まさにアメリカこそ
テロと謀略の国です、というより この平和ボケ我が日本こそ
あまりにも そういうことに無縁過ぎるので、いつも金だけ出して
云々と 貧乏籤を引くのではないでしょうか。
はっきりといえば、残念ながら我が祖国は、先進国というのであれば
まさに国家としての体をなしておりません。
私はいわゆる右翼でもなければ国粋主義者でもないと
自分では思いますが、いまだに「一国」を運営するという
勉強ができていない国なのです。
周りの国が見えないから世界が見えず、結果として
いつもとんちんかんなことばかりになります。
世界における自分の国の位置付けをどこに置くかがいまだに
わかっていないのでしょうか。
たとえ金だけ出すと非難されても、それは大変な貢献ですから
大金を出しながらそれがアピールできない、しない
という愚かなことになるのでしょう。
アメリカにしても、やはり一般の国民・市民は、自分達の政府が
行っている世界謀略にまったく無関心で、戦争状態にあることを
知らないから、また政府も知らせないから、平和ボケであることに
変わりがありません。
アメリカ本国における原理主義者の爆弾テロは、実際いつおきても
不思議ではない状態でしたのに。
その同じ状態が、他の国の首脳部も警戒しすぐの対策を準備
しているからこそ、ロシア、中国までが 表面上の歩調をそろえる
ような按配になるのでしょう。
現実問題として、「自分の国は自分で守るしかない」という
一番基本的な事実を、忘れたフリをしていつまで通せるもので
しょうか。
それが、最初の問題です。
どうも、実は私は今アメリカにいます。先月こちらに引っ越ししました。だからアメリカの様子はよくみえます。事件当時はみんな怒りが先にいって、報復だのなんだので凄かったのですが、最近になって、みな落ち着いて考えるようになってきたみたいです。私が新聞テレビ、ネット、友人との会話などで、聞いた意見などを書いてみます。
1。今回は多くの人は死んだが、アメリカが国として起こす行動の中で犠牲になった、アメリカ以外の国の人一般人の数の方が多いだろう。
2。アメリカは報復をしなければならない、テロは絶対に悪だ。アメリカは間違ってもこんな卑怯な事はしない。
3。アメリカは世界で憎まれているのは知っている。だって、アメリカは、世界で一番強い国だからだ。一番強い物は昔から妬まれたる、きらわれるもんだ。
4。アメリカはここでもういちど、アメリカの外交政策を考えなおさなければいけない、主に、イスラエル、パレスチナ問題、次に、サウジにあるアメリカ軍隊の問題。
5。イスラムは完全に狂っている、彼等同士でも問題は山程あるのに、それをアメリカに全部かすけようとしている、なんでもアメリカが悪いと。
6。アメリカは今ここで、アメリカの価値観でイスラムを計ってはいけない。どうしてここまで、アメリカは嫌われるのか?そこを理解しない前に報復などしてはいけない。
7。一般市民は殺してはいけない、テロリストだけを皆殺しにしろ。
8。戦争だけは絶対にいけない。
それと、国際情勢については?????というアメリカ人は多いので、ほとんどはなにがなんだか分からないけど、とにかく自分の、家族の身が危ない。だからなんとか安全策をみつけたいと、ガスマスクを買ったり、いろんな事に敏感になったりと、(水道の水は臭いをかいでから飲むとかね)かなり変わってきています。
それにしても、日本は一体なんなんだと思ってしまう私です。みなさんはどう??日本という国は世界においてかなり重要な役割ができるハズの国だと私は思うからです。世界でだたひとつ原爆をおとされた国(しかもアメリカに)世界第二の経済大国(アメリカの次)西洋以外でたったひとつ先進国とよばれる国、、、、なのになんでここまで政治力がないんだろう?アメリカの暴走をくいとめられる力が日本にあっても不思議ではないはずなのに。日本は世界から見て相変わらずのぼけぼけちゃんなんですよね。
今の日本がなにをしてもなんの説得力も無いと思う。日本は世界に対してもっと責任を感じなければいけないはずなのに。
アメリカはアメリカという国をもういちど見つめなおす機会をもった。あとはアメリカの国民次第。でも、私がもっと望むのは、日本人がこれを機会に世界の中の日本はもう一度見つめなおしてほしいと思う。私自身も含めて。
私が考えるの二つの重要な点は、教育を情報です。しかし、今の日本の閉ざされたシステムをすぐに変える事なんてできない。だから私達大人の意識を変えていけばいいのだと思う。今はネットという素晴らしい情報源があります。限られた情報しか流さない日本のマスコミの他にのなるべく時間をとってより多くの情報を吸収し、自分の判断で消化していく。そして、情報の他にも、宗教にしろ、芸術にしろ、国際情勢にしろなんにしろ、できるだけもっと多くの事を学ぶようにする。そして、吸収した事、学んだ事を友人、親、子供に伝えていく、情報交換をする。
臭いものにはフタをしなで、問題とはまっすぐに向き合う、物事をうやむやにして楽なほうに逃げない、何ごとにもすすんで責任をとる。私もそうだったけど、”しかたがない”ではもうにげてはいけない。日本は平和ぼけなんてかなり昔からある言葉だけど、多くの場合は、日本は平和ぼけだからねえええええ、日本は島国だかなねええええ、なんとかなればいいねええええええ。と他人事でおわらせてしまった、そういう話でおわってしまった事は多くないですか?変に熱弁するとけむたがられて、話をやめてしまった経験は無いですか?
そういう日本では傲慢はアメリカを同じように世界からみて罪を犯しているんでしょうね。情けない。
そういえば、ひろさん、ビルが崩れる時、灰の中を必死で人々をたすけようとして、ビルの近くに臨時の診療所を建てた医師が、全く病人が運ばれて来ないので、愕然としたと言っていました。ほとんど下敷きになったからです。生き残った人なんてほとんどいなかった。どんな悲惨な気持ちだったんでしょうね。
とか言っても、今も先進国の豊かさの犠牲になってしんでいっているひとがきっとこの世界のどこかにいると思う。直接的にも間接的にも。日本だって、だれかがコンビニで弁当をかっている間に、日本のせいで死んでいく人達がいるんじゃないかな。
実は私今妊娠しているのです。男にはわからない、なんともいえない生命の喜びと神秘を感じています(えへへ)。旦那は、今私と子供は爆弾で吹き飛ばされたら、吹き飛ばした奴には絶対に報復してやる、と言ってます。私は旦那がふきとばされたら、、、、どうだろう?/子供がふきとばされたら??? 私だっていつまでいきられるかわからないし、、、だた、このこはこの世に送りだしてあげたい。そしてこの子はいつまでいきるかわからないけど、死ぬ前に人間の良心に触れて、ああ、人間にうまれてきて良かったって思ってくれさえすればいいなと思っています。色々な理由でこの世に赤ちゃんをおくりだせないおかあさん達がいる中、私は自分を幸運だと思っています。
いやあ、妊娠とか、引っ越しとか、最近生活の変化があまりに激しくて、ついていけなくて、しかもこのテロ事件、ここの掲示板に自分で質問しておいて、返信しなかったり、いろいろ抜けていて大変失礼しました。
ももさん お久しぶりです。
実に濃い内容の投稿でした。リアルで、センチメンタルで、ぞくぞくしました。
私の方は、某省庁採用の応募を昨日終えたところです。小論だとか、なんだかんだと大変でした。面接まですすめて、そこで止めます。続きはいずれってことですね。
今回の多発テロについても、ほとんどニュースソースに触れる時間がなくて、病棟回診のときに、入院患者さんがつけっぱなしにしているTVを、教授の肩越しに食い入るように見ていました。いまだ何があったのか、よく知りません ^^;
この週末、ようやく時間がとれるので、何があったのか勉強して、できればMSNジャーナルに記事を書きたいと思っています。その前にももさんのアメリカからのリアルな情報に触れられて、ほんとに良かったです。
それにしても、今度はアフガンですか。アメリカはほんと定期的に「ならず者国家」を指名しますよね。大変ですねぇ。日本からは、アメリカもイスラームも単純に戦争が好きなように見えますよ。「戦争がすきなんだぁ!」と叫んでくれれば、分かりよいのにな。いずれにせよ、多くの国々にとって、いまやアメリカこそが「ならず者の超大国」になってます。
小和田恒さんが国連大使時代にこんなこと言ってました。
「アメリカは、他国の利益などほとんど配慮せずに自国に特有な利益を促進する『グローバルな単独主義』を模索している。アメリカが世界から手を引く孤立国家になるとは考えにくいが、世界の大半とは調子が違う、孤立した国家になる可能性はある」
-- Samuel Huntington. The Lonely Superpower. Foreign affairs March/April. 1999 より --
今回のことでも、世界がどう見ているのか、アメリカは気が付いていないんだろうなぁ まあちょっと、今夜から勉強をはじめます。たぶん、MSNジャーナルより国際保健通信の方が早く配信されるでしょう。お楽しみに・・・
アメリカは、大きくて強いから憎まれているのではありません。
そんな嫉妬じみた下品な感情を、諸外国の人々に投影するなど、
あまりに失礼です。
アメリカが憎まれている理由は、大きくて強くて逆らえないのをいいことに
世界のあちこちで、弱者に対して理不尽な暴力をふるっているからです。
そこのところ、間違えないようにね。
福ぽん さん、こんにちは!
なろほど、そうかと思いました。「そうか」というのはアメリカと中東との関係は、もしかしたら日本と東アジアの関係に似ているのかもしれませんね。福ぽんさんの言葉は、「アメリカ」を「日本」と置き換えると、そのまま韓国からの日本批判になるような気がしました。
ご無沙汰です、茶通改めアニムスです。
ひろさんのサイトこれまたクールになりましたねぇ〜(^^)
こりゃぁ、早速紹介しなくちゃ・・・
アニムスさん どうも!
チェック早いですねぇ
『アジアスケッチ』はお陰様で初版本は完売しまして、まもなく第二版が出ます。それをくぎりにHPの方もリニューアルしました。まだ作成途上ですが、バラエティーに富んだ内容にしようと考えています。お気づきの点などありましたら、よろしくお願いします。
遊佐たいら(ハンドルネーム:ハリマオ)といいます。
こういう興味深いサイト、掲示板があることを知りませんでした。
私もアジアについてはいろいろ勉強しているところです。もし差支えがなかったらいろいろ情報交換いたしませんか?また機会がありましたら、私のHP
にもお立ち寄りください。
URL: http://www5d.biglobe.ne.jp/~harimau/
みなさんはどう思われたでしょうか?私自身は、自分の中での賛否両論があって、なかなか自分の中で解決ができません。いろいろ意見など聞かせてもらえないでしょうか?私の自分の意見がまとまったら、書いてみたいなと思っています。
あくまで個人的な意見を述べます。
あそこって、普通の墓地と同じなのでしょうか?
お国の為に(???)死なされた戦没者に敬意を示すことは当然なのかもしれませんが、あそこに英霊が祭られているなどと本気で信じる人などいるのでしょうか(証拠あります?)。靖国神社の件は、韓国や中国の人への配慮が欠けていますし、実際は戦没者や御遺族の方々へも逆なでしているのではないでしょうか。今の時代に残っていること自体が疑問ですし、公式参拝を肯定するという思想には何か裏の思惑を感じます。
僕は首相の公式参拝に賛成です。
国の為に命を捧げた人に対して、国の首相が、礼をとるのは、当然のことであると思います。事実は調べてませんが、例えば、アメリカ人がベトナムで戦って死んだ兵士に対して、あるいは、イスラエル国民が中東戦争で死んだ自国の兵士に対して、敬意を示さないなどということはないのではないでしょうか。
また、A級戦犯と、ほかの戦没者を分ける、あるいは、「よい」戦争、「悪い」戦争を分け、「よい」戦争の戦没者のみ、礼をとる、というのも、なんだかご都合主義的のようで賛成できません。日本人は、そういう善悪というのをはっきり分けて、今の価値観から判断して、そぐわないものは完全否定するという発想はあわないのではと思います。
さて、それなりのスタンスを表すのですから、中国、韓国等近隣諸国に対しては、日本の考え方を説明しなければならないし、この部分に対しては近隣諸国に対して誠実さを欠いているように思います。(ちなみにちょうど台湾におり、台湾人とそういった話をする機会があったので、特にそんな思いに駆られました。とりあえず、軍国主義を賛美している、という解釈は誤解ですし。)
この部分については今も考え中ですが、ただ、(少し論議がずれますが)、この問題と、例えば、李登輝さんのビザ発行にごたついた事や、アジアの経済危機に対して、地域の経済大国である日本が責任ある対応を取れなかったり、ということは同じような原因=「とにかく周りの国に睨まれない様に対応する主義」があるのではと思います。僕は、世界の問題に対して、それなりに価値観を持って、毅然とした対応をとって、責任を果たしていくべきではないかと考えます。もちろん反発もあるかと思いますが、なんでも、とりあえず頭を下げてばかり、という対応のほうが余計に誠実さを欠いているのではと思います。
ちょっとここからはヒステリックなことを書きます。韓国・中国等近隣諸国に対して、当時の状況があったにせよ、迷惑をかけたのだから、「すべて正しかった」と、言い張るのは恥さらしだと思いますし、一方、中国・韓国などの「反日教育」もはっきり言っていい加減にしてほしいと思っています。「それならフビライ・ハンはどうなんだ」、「朝鮮は自国でロシアの脅威に対抗してくれたのか」なんていってみたくもなります。先祖に敬意を表することについての判断は、自分で下すべきでしょう。ついでに言えば、イギリス、フランスなどが何かしら言うのに対しては、他国のことを言う前に自分の国のやってきたことについてもっと見つめてほしいといいたいです。
と、いうのが僕の意見です。
久しぶりに来ました。278のスレッドについてですが、削除の必要は無い気がします。削除する時は、自分の真意と異なった表現になってしまった時っしかないと思います。
議論は、時として感情的にもなります。そのことで、言わない方が良い事を言ってしまうこともあります。でも、削除するこてで『何も無かった』かのようにすることには、個人的に賛成できません。
ルビィさん、お久しぶりです。ご意見有り難うございました。この件については、BBSをご覧になる他の方々への配慮を考え、削除いたしました。何か有意義な内容でも含まれていれば残す意味が有りますが、あれは他の方々には関係はありませんでした。
BBSとは“掲示板”であり、用件が済んだら各人の判断で削除するのは自由、ということで基本的に問題ないかと思います。削除しても「初めから無かった」を意味するわけでもありませんし。
こんばんは、ルビィさん、お久しぶりです。
今日、台湾から戻ってきました。
>削除するこてで『何も無かった』かのようにすることには、
個人的に賛成できません。
実は、僕も基本的には、そういう考えです。
ただ、うーーん、なんとなくなのですが…。
実はこれは元々ちょっとしたら削除しようと思っていました。
「ちょっといきすぎなのでは?」と、言いたかったのですが、
その逆の行き過ぎになってしまったとしたら、それは僕の本意に反する…
という感じです。
みなさま、お久しぶりです。
削除の件ですが、ぼくは自分の投稿は自由に削除しても良いんじゃないか、と思っています。しかし、スレッドの先頭の方は、削除を自粛してもらいたいと思います・・・そのスレッドについたレスが全て消えてしまうので。
(今、過去ログを検索したところ、自分の投稿が消えているのに気づきました)
それでは。
ひろさん、覚えてなくて当然かもしれないですね。でも、そうです。声をかけたうちの一人ですよ。結局迎えに来なくて、夜ゴハンを3人で食べたんです。あの時、ひろさんからイラクについて色々話を聞いて、それまで私はイラク、イコール危ない国という漠然とした考えしか持ってなかったけど、それからは、いつかイラクに行きたいなぁと思うようになっていたんです。イラクビザが取れる国なんかを旅行者から情報仕入れていたことがありました。今でもやっぱり行きたいと思う!
ももさん、私が旅行をするときに気をつけていることは旅行をする上でみんながしていることと同じです。ただ、やはり女ですので知らない街に移動するときはバスが夜に到着しないように気をつけたりはしています。でも、事故はもうホント運が悪かったとしか言いようがない事だったし、それ以外に危なかったことや怖かったこととかって、私は何も今までなかったんですよ。でも、私はアメリカやヨーロッパに行くよりもアジアや中東の方が安心、安全だなって思っています。見たい気持ちと不安な気持ち、やっぱり見たい気持ちの方が勝っちゃう。親はもうあきれ果ててますけど・・・。私も空手できたらなぁ、とは思いましたよ。今でも思うけど。
事故は、今まで自分が生きてきた中で一番衝撃的な事でした。でも、エジプトでちゃんと入院して手術したんですけど、全然悲しくなかったです。つらくなかった。私は英語はろくに話せないんですけど、それでも外人旅行者の人やなんかが色々お世話してくれて、日本大使館の方々もほとんど毎日お見舞いに来てくれて、なんて幸せなんだろうってそれで涙流したくらい。私にとっては一生大事にしたいくらいの思い出になりました。生きてて良かったとほんとうに感謝しました。あれから2年、今でもよくあの時のことは思い出しているんですよ。
こんにちは、のびたさんのところからリンクをたどってきました。
ML参加させていただきます。よろしくおねがいします。
国際保健というか、難民とか、そっちのほうに興味があります。
最近SCORPの方にも登録しました。
国際医学生連盟という団体の難民対策科みたいなところです。
僕も入ったばかりでよくわからないのですが、とりあえず、国際保健をやっている方々はどんな活動をやっていらっしゃるか、知りたかったので書き込みをしました。
どんな団体があるのでしょうか?AMSAとか関連の方はいらっしゃいますか?
誰かレス頂けるとありがたいです。
ひろさん、(勝手に呼ばせてもらいます、すみません。)あなたはもしかして2年前の今ごろアンマンでイラクビザの申請をしていた人ではないですか?アンマンで私たち2人が現地通貨をまだ持ってなくて困ってて、5ディナール貸して下さって、そんでもってサッカーの試合を(イラク対サウジ)見にいこうと誘って下さった人ではないでしょうか?(結局見れなかったけど。)きっとたくさん旅行してらっしゃるかと思うので覚えてないかもしれませんが、私はたまたまここに迷い込んで名前を見て「あれっ!?」って思った者です。本なんて出しちゃったりしてすごいですね。
私はあの後、アンマンでもう一人の友達とバイバイして、アカバに着いて街から港へ行く途中にタクシーで大事故にあっちゃったんですよ。そして旅行はやむなく中断され、くやしい気持ちをずっとひきずっててやっとこないだの年末年始に旅行の続きをしてきました。今度は秋に休みが取れそうなので、ウズベキに行こうと思ってます。(10日ですが・・・(^.^))インビについて調べていたらここに来たんですよ。何だかとっても懐かしくなって、載せることにしました。覚えてます?またときどき来ますね。
ここにいるみなさん、勝手に入って自分のことばっか話してすみませんでした。
私もいきなりの質問ですみません。この方はあさこさん?という事は女性の方なんでしょうか?一人旅をよくするのですか?危険じゃありませんか?何か特別に気つけている事とかありますか?私にはイラクへ一人でいく勇気はいまいち持てない。空手かなんかの達人だったらよかったのにと思う今日この頃です。
あさこさん、こんにちは!
う〜 覚えてない・・・(嘘はつきたくないので)
でも、イラク・サウジ戦を観にいこうと女の子を誘った記憶はあります。確かあのときはパレスチナ人の友人と2人で、イラクを応援しにサッカー観戦に行く直前でした。友人が「日本人の女の子とお近づきになりたい」と言うので、「じゃ そうしましょう」と声をおかけした次第です ^^;
あのとき、結局、イラクは負けたんですよ。
そのあとナショナルチームの戦勝記念パーティー(勝つつもりで会場のセッティングはされていた・・・ アラブらしい勇み足)に招かれて行ったんですが、大使以下、み〜んなしょげかえっていて、水を打ったように静かでした。羊の頭の丸焼きなど、ごちそうが並んでいるのに誰も手をつけようとしないので、僕とパレスチナの友人2人でムシャムシャと食べまくっていたのを覚えています。あさこさんも来られればよかったのにですね〜
ともあれ、こんな形でまたお話できて光栄です。アカバにて大事故に会われたとのこと、もう昔話になっておられるなら、ぜひ聞かせてください。
では!
マレーシアはすごいですねえ。戦前戦中の日本を評価してくれるマハティールさんの国だけあります。
http://channel.goo.ne.jp/news/mainichi/kokusai/20010617/0618m050.html
<マレーシア外相>人道支援でイラク大統領から謝意受ける
イラク訪問をしていたマレーシアのサイド・ハミド外相は17日、イラク向けの人道支援に対しフセイン大統領から謝意があったことを明らかにし、「マレーシアは国民の犠牲の上に成り立つ経済制裁に反対する」と語った。帰国する機中で記者団に語った。外相は民間企業から集めた約32万米ドル相当の医薬品などを贈った。http://channel.goo.ne.jp/news/mainichi/kokusai/20010617/0618m050.html
先日4月9日にハングル文字の投稿がありましたけど、気になっていたので翻訳サイトを使って直訳してみました。一部意味不明ですが。恐らく殆どの方が「ああやっぱり教科書問題がらみか」と思われるでしょうね。
文面についてのコメントは控えますが、こういう投稿があったということは、教科書問題がこじれた時に、この掲示板のあるサーバーがサイバー攻撃の対象あるいは中継に使われる可能性があるということを意識しておいた方がよろしいでしょう。私が調査したところでは、こちらのサーバー(大学?)は不正な第三者の中継に対して無防備ということが判っています。
一度こちらのサーバーを使った不正中継によるメールが大手プロバイダに届くと、その後***@umin.ac.jpのメールは一切はねられてしまうので、ご注意下さい。
以下翻訳−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
韓半島で向こうがジョモンググァヤヨイムンファ(投稿者イヒョックさん)
日本列島に手広く広がっていた彌生文化が韓半島から向こう間人々によって成り立ったということは多くの遺跡,遺物たちが立証しているのに,一つ付け加えて興味ある研究が出た。
日本九州の土着住民と新たに向こう間開拓のため(日本では到来である(渡来人)と言う。)の割合を東京大学の人類学教授が1987年'人類学雑誌'に発表した。教授は日本人骨の形態と顔姿などを土台で当時開拓者の数字をコンピューターで計算したが,原住民と開拓者の割合は1対9。6もなった。したがって九州地方は殆ど開拓者たちによって占領された状態のようだったというのだ。
この調査によれば彌生時代から国時代に至る古代1千年の間西日本には1百万名以上がゴンノガッダで言う。これは原住民1人に開拓者10人がいたということを見せてくれたら当時日本の西の方地域は韓国人の地だったと言っても過言ではないのだ。
彌生文化の特徴は急に現われたということと出土地域がお互いに違って遺物の種類も違うというのだ。彌生文化は繩文文化後に急に現われたので日本地で創造されたのではなくどの所で急に伝わった文化というのだ。遺物の分布を見ればブックキュシュを中心に青銅刀とチォングドングチァングが出土されて,本州(本州)の近畿(近畿)地方を中心では青銅滴が出土されるのにこの二つの種類の遺物はそれぞれ範囲を広げて行って瀬戸内海(瀬戸内海)沿岸と四国(四国)等地で実用性が少ない心意気で発見される。
すなわち二つの種類の人々が日本に定着して正服地域を広げて行ったということを見せてくれる。特にブックキュシュの刀と窓は韓半島の青銅製品と非常にそっくりだ。これは石斧を使った新石器時代の繩文文化に青銅武器を持った韓半島人が正服をして行ったということに解釈される。
文献的や遺物なしに言った中国人大挙渡来して日本のジョモングと彌生文化が形成されたのではなく韓半島で大挙渡来した三国時代の高句麗,百済,新羅,伽揶の人によって成り立った。
特に伽揶について日本人たちは分からないのに日本のミリタリズム時代時朝鮮を侵略するために中国満洲地方にある高句麗費を日本歴史学者と軍人は石刷りを汲んで来たがそれがこの頃考課で波動で中国と韓国で興奮して狂奔しているのにそれを詳らかに分かれば林ナイル本部が伽揶にあると言ってそれを韓半島で二つ程の植民地をしたと言うのに結局国際歴史学会で日本の蛮行がドルオナッオッダ。それは高句麗費を一部削除して言葉を変えたのだ。それもセメントで言葉だ。
今は日本歴史の本に消えたが結局教科書波動でまた出始めたのだ。またある。打つかもそれは百済(百済)王がウェワング(倭王)地(旨)に下賜した鉄製(鉄製)刀。
所長/所在地:日本奈良県天理の時イソノ?カミシングング
《日本書紀(日本書紀)》神工期(神功記)に"百済が日本に下賜した"と言う記録がある。武寧王陵の支石(誌石)で見るように独自の年号を使った百済王が中国の年号や使う諸侯のような存在だったらウェワングを'フワング(侯王)'と言うことができないというのだ。特に早さだ(旨)のウェワングは中国四書(史書)に登場する満ちた(讃)・ジン(珍)・私の(済)・興趣(興)・大根(武)の'ウェオワング(倭五王)'のような身分のなぜの支配層として百済王室と姻戚関係にある貴族で見た。
こんなに解釈する時斧域(斧鉞)及び刀剣(刀剣)の下賜(下賜)が目下に対する上役の信標(信標)という性格とも符合して,下賜動機もウェワングに対する日本列島内での代表圏を承認する,宗主・迅速関係を設定することだと言える。
日本は歴史をまともに分かってそれを土台で隣国と善隣友好をしなければならないじゃないでしょうか。
両国間の歴史認識のずれが、
ずいぶんと有るように思います。
両国ともとても近い人種だと思うのですが、
「日本の西の方地域は韓国人の地だったと言っても過言ではないのだ」
と、言われては気分のいいものでは有りません。
そこで、新しく両国が認める歴史認識を
作ることは出来ないものでしょうか?
両国の見解が一致している歴史認識を
まずは集めていくという形で。
みなさん、いかがでしょうか?。
p、s正しい歴史を認識する過程で、
埋もれている歴史があらわになる気がしてなりません。
インターネット上にある翻訳サービスのことをすっかり忘れていました。ハングルって読めるんですね。ひょっとして、もうアラビア語とか、世界の主要な言語も、おおざっぱになら読めてしまう時代になっていたのでしょうか。驚きました。
日本で教えられている歴史も彼らに伝えるべきなのかなと思います。というのは、私は上の文章を読んで非常に興味深く思ったからです。で、韓国で教えられている歴史と、日本で教えられている歴史と、どちらが正しいのか、この人はどこで判断しているんだろうと疑問に思います。
日本は歴史を隠しているのでしょうか。天皇家の墓とか物品とかを調べさせないのは、本当の歴史が分かってしまうからではないか、と考えることはごく自然なことです。ひょっとして、朝鮮半島で使われていた紋章とか、ダビデの星(!)とかが見つかってしまうから、だったりするかもしれませんよ。
扶桑社の新しい歴史教科書、読みましたか。私は途中まで読みました。問題となっているのは近代以降ですから、まだそこまでは来ていません。少なくとも昔に関しては、中国の文化に大きく影響されたこととか、朝鮮半島を経由してきたこと、朝鮮の亡命者たちが技術発達に貢献したこととかが書かれています。
ところで、両国の人同士で対話が必要、みたいなことが言われます。しかし、ナショナリズムの強い朝鮮と、大方の人はどうでもいいやと思っている日本とでは、話にならないと思います。
え〜と、渡来人という言葉が出てくるのは教科書の39ページですね。
邪馬台国論争もあまり燃焼しない日本人にとって、上の説が特に史観を変えるほどの情報では無い様に思えますが。何だか最後の一行に厭らしさを感じてしまうのは私だけかなぁ?
・暗に半島の方が偉いということを言いたいのかなぁ?
仮にそうだとすると、アメリカ合衆国なんていつまで経ってもイギリス・フランス・スペインなどからネチネチ指を指されなくてはいけないわけだ。
・同じ血縁だということを言いたいのかなぁ?
仮にそうだとすると、私なんか顔が南方系(縄文系)で同系ではないから、侵略者に対する敵意を持ってもおかしくないわけだ。
・人も文化も半島経由で伝わったと言いたいのかなぁ?
仮にそうだとすると、人類全てがタンザニア人になっちまうよね。
ごみさん>
試しにカバーも着けずに電車の中で読んでいます。やはり多少の視線は感じますね。今日の帰りには斜め前の背広を着た35歳位の男性が私を睨み付けていました。
私の使った翻訳エンジンのURLは
http://www.amikai.com/
双方向OKです。
渡来人について、初めから日本に文化を伝えてあげる目的で来たというより、亡命という要素もあったとも思えます。日本は難民を受け入れた、という言い方は変でしょうか。
新しい歴史教科書、筆者の右翼的思想には賛同しませんが、個人的には(不謹慎ながら)読んで面白い構成に一種の新鮮さも感じています。ただ、今後、教材として採用する学校があるのだろうか。生徒の父母が反発するかもしれませんし、学校のイメージにも影響が出ることも考えられます。
>やはり多少の視線は感じますね。
それって、単に興味本位による視線ではないでしょうか。
小川さんに素朴な疑問です。
・何が不謹慎なのでしょうか?きちんと明らかにされた方がよろしいのでは?
・筆者は右翼なんですか?小川さんが判断された文献やサイトをご紹介頂けませんか?
率直な感想ですが、小川さんの考え方(姿勢)って社会を硬直させるだけで、何一つ前進に貢献しないと思いますよ。
こんにちは。数ヶ月ぶりの書きこみになります。
訳文には、稲作うんぬん、石斧うんぬんと読めますが、「伝播した」だけでは済まさない韓国・朝鮮の方の思いが怖いですね(笑)。
>小川さん、皆さん
>渡来人について、初めから日本に文化を伝えてあげる目的で来たというより、亡命という要素もあったとも思えます。日本は難民を受け入れた、という言い方は変でしょうか。
変ではないと思います。
奈良の地は、百済の風景だ、と言う話もありますが、百済は半島で滅ぼされ、百済人は難民として日本に
来たのですから、文化を伝えあげたなどと言われる筋合いはない(笑)。
渡来人の技術を花開かせたのは、彼らが優秀だったのではなく、彼らを使った者の力だと思います。
また、もし明確な侵略目的(文化を伝える目的)で来たのであれば、古代ローマのように、
それ相応の痕跡があって当然ですが、そのようなモノは無い。
あれば、とっくの昔に、そういう話になっているでしょう。
韓国・朝鮮の方々の視点は、自国が文化の発信地でありたい、という願望があるような気がします。
気がしますではなく、断定しても良いでしょう。
しかし、日本以外に、どこにも出す場所が無いということから、「日本へ○○をしてやった」と言う
ような思いが出てくるのだと思います。
確かに、日本はもらったのかもしれない、が、それが全てでもないのは理解していただけると思います。
漢字を伝えたのは百済人かもしれないが、百済字にはならなかった。
漢音・呉音であって百済音ではない。
もし征服されたのであれば、または半島主導であれば、もっと別の表現になっています。
当時の日本人は、広いユーラシア大陸を知らなかったでしょうが、全くの無知ではなかった。
目先ではなく遠くを見る見識は充分持ち、必要なものを必要なだけ能動的に取り入れていた、と言うことだと思います。
地図の上で朝鮮半島に目を近づけると、とても大きく見えますが、離すとただ大陸の出っ張りでしかない、
と言ったらお叱りを受けるでしょうか?
しかし、そうなのです。日本にとって文化の伝播の一経路、渡り廊下程度でしかない。
あまり、韓国・朝鮮に気を使いすぎる必要はないと思います。
ハッサン24さんへのレスです。
私が不謹慎と発言した理由ですが、 新しい歴史教科書は、国内外で反発感を抱いている人の方が多いのは事実です。私がこの教科書を「面白かった」と誉める表現をする際に、読んだ人が反発しないよう、やや冗談的に前置きをしたつもりでした。
私の「右翼的」発言について、確かにこの教科書の筆者は、アジアへの侵略行為を美化したり、「公としての日本国を大切にしよう」というような右寄りの思想を持っていると感じています。ただ、決して“右翼”の人ではなく、私の言葉が適切でありませんでした。表現力の下手さによるもので、失礼しました。
私は主に普段購読している朝日新聞の記事から情報を得ていますが、その記事が記載されているHPが見つかりません。代わりに、MSNジャーナルに掲載された関連記事を示します。
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=010306imai&vf=1
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=010314imai&vf=1
他に、以下の(教科書肯定側の)HPも紹介します。
つくる会のHP
http://www.tsukurukai.com/
国際派日本人養成講座「新しい歴史教科書を読む」
http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=0367&FN=20010617003000
……
銀屋さん、解説ありがとうございました。
あらためて小川さんはじめまして。
ご回答ありがとうと言いたいところなのですが、
>新しい歴史教科書は、国内外で反発感を抱いている人の方が多いのは事実です。
これは本当なのですか?朝まで生テレビの視聴者アンケートは、圧倒的に肯定派が多かったのですよ。教科書を採択した自治体の方が圧倒的に多いのですよ。国内で反発感を抱く人が多いという情報源を開示して下さい。
僕は右翼でも左翼でもありませんし中立と思っていますが、小川さんは浅い情報や思い込みでご判断されるか、あるいは意図的に民意を捻じ曲げる方のように思えます。まだ断定はしませんが。
さっつんさん翻訳のご紹介ありがとうございます。韓国の新聞記事が面白いように読めるようになりました。
今日は職場の休み時間を利用して書いていますので、推敲しないで投稿します。
MSNの読者の意見を読みましたが、どこを読んで反対意見が多いと読み取ったのでしょうか?
(それにしても、いつの間にか言葉を「多くの反対意見」にすり替えてますね。卑怯な人だ。)
もう一度澄んだ目でお読みになって下さい。それでも事実かのごとく主張されるのであれば、来週の水曜日にあなたを徹底的に粉砕しますので待っていて下さい。
僕が読み取ったのは、最初から曇った目で読み、歪んだ気持ちで投稿した小川さんの心理です。事実ではないことを事実と言い切ることの思い上がりと怖さです。
別に中立でいる必要は感じませんが、中立を装うのはやめて欲しいのです。貴方のような人が他人にレッテルを貼って差別化を助長するのでは?そして善人の顔で都合の悪い意見を封殺する。
>ところで、ハッサン24さん自身の教科書へのご感想、ご意見が記されてないようですが。
これ、どういう意味ですか?まるで意見や感想を述べないことが誤った姿勢であるかのごとく高圧的ですね。とても不快です。
例の教科書は買いました。執筆者は日本の将来を考えて真剣に取り組んだと聞いていますから、まずは受け止めてみたいとは思います。感想ですか?私の学生時代に使った教科書に比べたら頭に入り易い工夫もあって、面白く読めると思いますよ。でも他の教科書を読む機会がありませんので、これ以上の意見は言えません。個々におかしいなと思える箇所は、これから発見できるかもしれませんが、それは次のステップの為に読者から指摘してやればいいのではないでしょうか?
あなたはどうなの?ということは反撃を考えているんでしょうか。
これ以上、素直になれない人の欠点を暴露するのは趣味に合いませんので、怖いです。
小川さんがご自分で掘った穴に更に落ち込まないよう、大げさに粉砕と書いて牽制してみました。
小川さんが一度書いて消した書き込みは僕も見ましたよ。コピーも取ってあります。やっと素直になってくれたかと思ったら、最後に一言こちらをまた怒らせる事を書いていましたね。というか、呆れてしまって脱力感に襲われました。今はそれさえ引っ込めて反撃の文を考えているのはミエミエです。
時々しか見ないこの掲示板に毎日見に来なければならないのは時間の無駄ですし、もう十分に嘘と偏向した目に対する指摘もできたと思いますので、離脱したいと思います。
最後に一言=>ウソを言うヒトに情報を発信する資格はありません。
早い段階でご自分の発言に気をつければよかったのです。
データの出典など知りたければ、素直に「どこ?どれ?」と訊ねればよかったのです。
教科書に対する見解は既に書いてあります。
中立の顔をしながら偏った考えを述べるのは止めよ、が主張です。浮ついた「建設」的意見の前に土台をしっかりすることが、より大事と心得ています。
僕は損得で掲示板に参加していません。
友達は多くないですけどいます。異性には3歳から不自由していません。上司やお客様からの評価も恥ずかしいくらい信頼して貰っています。ご心配ありがとうございます。
削除はしません。
久しぶりです。まあくんです。
余計なお世話なんですけど、一言です。
僕は小川さんと意見が異なることも実際結構あります。
しかし、ハッサン24さんの、
>小川さんに素朴な疑問です。
・何が不謹慎なのでしょうか?きちんと明らかにされた方がよろしいのでは?
・筆者は右翼なんですか?
小川さんが判断された文献やサイトをご紹介頂けませんか?
率直な感想ですが、小川さんの考え方(姿勢)って社会を硬直させるだけで、
何一つ前進に貢献しないと思いますよ。
>小川さんは浅い情報や思い込みでご判断されるか、
あるいは意図的に民意を捻じ曲げる方のように思えます。
まだ断定はしませんが。
という発言以下、ネチケットという観点で、よくないと僕は思います。
小川さんは歴史観の方面から論じようとしているのに、
こういった発言ってあからさまに個人攻撃のように見えます。
多分はじめの(上記の)発言を読んだだけで、
小川さんもムカっときてたんじゃないかな、と僕は思うのですが
(小川さん違っていたらごめんなさい)その辺を押さえて、
あえてわびるところはわびてるのにもかかわらず、
さらに個人について意見を言っているのですから、
小川さんが怒るのも当然だと思います。
小川さんが、ハッサン24さんの見解を問うのは、
もし、目的が「真実の探求」なら当然だと思いますし、
そういった部分で論じ合うことが「社会を硬直させ」ずに「前進に貢献」
することになるのではと思います。
最近思うのですが、掲示板など「文」での表現だと、ちょっとしたことが
大げさに伝わるので、個人について書く場合には特に気をつけた方が、
よいように思います。
以上が僕の考えです。
かましてしまった手前、蛇足ながら僕の見解も書いておきます。
僕は「つくる会」の考え方には基本的に「賛成」です。
私個人は「学術的に」という立場でいるつもりなんですが、
「道徳的」には、それなりに昔他国に迷惑をかけたのだから
居直っているだけでは確かに「不謹慎」かも知れませんし、
少なくとも、そういったスタンスの方がいるのは、わかります。
また、「つくる会」の一連の動きは、単に「学術的」というだけではなくて、
「日本という国を愛そう!!」という「道徳的?」主張も
あるように思います。
こういうのは少なくとも「右寄り」では、と思います。
ちなみに僕は右寄りです。
(サッカーの日本代表なんてムキになって応援しますし。)
ところで、僕が中学生のときは、どちらかというと、
「日本はこんなに悪いことをしたんだ」というような教育を受けてきました。
というわけで、学校教育上では基本的にそういったスタンスを
とっているものと、すっかり思い込んでいました。
ところが、最近、高校の教師をやっている友人に話を聞いたところ、
最近の教育現場は「つくる会」的なスタンスが主流になっている、
という話を聞いたのですが、どうなんでしょう?
> 僕は損得で掲示板に参加していません。
ならせめてメールアドレスを公開して言いなさい。
匿名で個人攻撃するのは2ちゃんねるに参加している人ぐらいですよ。
貴方の態度は社会的に受け入れられないのでは?
メールアドレスを入れるのが義務なんですかねえ??
本当に2チャンネルの連中がここに来たらヤバイんじゃないですか。
ハッサン24と言う人はアラシでもなさそうだし。
カキコの日付を見てると話題が沈静化しそうになると、他のヒトが我慢できなくなって感情的な返事を書いてる感じがします。このカキコもそうかな。
匿名で文句を書いても意味ないですよ〜♪
皆が迷惑するから、メールください.相手してあげます.
自分の言った事に責任をもてないから、匿名にするんでしょ?
言い放つだけならならず者でも出来る事ですよ.
特に相手を非難するならば、自分の言葉に責任を持って、
メールアドレスを公開してやったほうがいいのでは?
(お互いにメールのやり取りして解決する事だし)
ハッサン24氏が使った、見苦しい、”粉砕する”などというしょうもない言葉で脅して何様のつもりなんでしょうかねぇ?
自分を特定されたくないのなら、はじめっから黙っているべきですよ.
繰り返しますが、非難して逃げるだけならならず者です。
管理人(←あんまり自覚していない^^;)として発言いたします。
仮に議論が泥沼になったとしても、スレッド全体の削除はいたしません。だからこそ、参加者の皆さんは責任をもって発言するようにしてください。ただし、個々の発言者が自分自身の投稿を削除することを制限することはありません。
次に、匿名での発言(メールアドレスをふせることも含む)についてです。ネットでは、匿名であるが故に、建設的な議論や情報交換が可能であると私は考えています。ただし、自分の名前を名乗らないのは結構ですが、別の名前(ハンドル名・筆名・バーチャルネーム)を名乗ってください。つまり、不特定個人の参加は認めないということです。また、1人の方が複数名を名乗って議論を操作するようなことは、厳しく禁止させていただきます。管理人として解析しましたが、「ハッサン24」と「通り掛かり」は同一人物である可能性が高いようですね。匿名で構いませんから、かならず同一スレッド内では統一した名前を名乗ってください。
以上が管理人として提示させていただきますルールです。それ以外は、いつも申していることですが、ネット社会人としての常識を保っていただければよろしいのではないでしょうか? いくらルールを設けても、罰則を設けることができませんからね。結局、参加者個々の常識を信じるしかないのです。むしろ、私自身はこうしたネットの性質が好きなんです。
さて、最後に提案ですが、このスレッドも議論が膠着しているようですし。これで終わりとしませんか? おそらく、ハッサン24さんも小川隆司さんも、ネチケットについては十分御理解されていると思います。必要なら、新たなスレッドを立ち上げ、ハングル投稿についての議論を開始されれば良いでしょう。このスレッドの反省を踏まえれば、次こそは建設的な議論になるものと信じます。
遅くなりましたが、本スレッド内の私の書き込み分について、初めの一部を除き、削除いたしました。親記事のさっつん様、管理人のひろ様、その他、ご覧になった方々に不快な思いをさせてしまったことをお詫びいたします。ハッサン24殿へも、もう恨んだりなどしていませんので。
このBBS、最近は書き込みが滞っているみたいですが、また楽しく盛り上がることを期待しています。
僕も小川さんに続いてサクッと自分のメッセージを削除しようかと思うのですが、書くときに削除キーをつけなかったのです。何とか削除したいのですが、どうすればいいのでしょうか。管理人さん、お手間かけて恐縮ですが、このメッセージとともに前の僕のメッセージも削除していただけないでしょうか。
最近の子供って礼儀ただしいと思いませんか。一昔前と比べると。
そうなんですか?どんな風に礼儀正しいんでしょうか?
ごみさんが何を伝えたいのか私も分からないのですが…よろしければ具体的にお聞かせ下さい。
礼儀正しく見えるのは「良い子、良い子」と管理化された結果かもしれません。以前、アジア(スリランカ)での仕事から戻ってきたあるNGO職員(女性)が「現地の子供と比べて、日本の子供は能面を付けたように表情が無い」と発言してました。一方で良い子の反動が思春期に出てしまうのは問題で、不良少年(少女)とは日本くらいのものかと思っていましたけど。違ってたらすみません。ルーズソックスなんて、他の国でもあるのでしょうか?
ルビィさん、気が向いたらで構いませんが、パキスタンの子供と日本の子供を比較してみて、何か感じることはございますか?
こちらの子供と日本の子供の違いは、年齢層によっても違いますが、感じることは、沢山あります。
幼児期では、日本の子供の方がお行儀がいいですね。日本のお母さんが子供にいろいろ教えているからでしょう。
こちらのお母さんは、子供に特殊な関心が無いように見えます。大家族なので、いろんな人の世話になつてる子供たちは、おっぱいと病気の時以外は、母親がいないからといって探しまわったりしてません。母親も水やミルクをぶちまけようが、食べ物を食い散らかしながら人の家の中を移動しても、注意もしません。
親や周囲の大人達が、子供に言い聞かせるように繰り返し言うことは、挨拶をすること(握手を含む)、小さい子供に物を譲ることと殴らないことです。
家の中で、親戚知人の子供に散らかされ、汚されてるのに、その家の家族も何の嫌悪も示しません。無関心に近いのかと思うくらいです。時には、オムツ無しの子がおもらしまでしてくれますが、『あら、おしっこしたの。問題無いよ。きれいにしてあげようね。』などと言われます。もちろん、親の方は、あやまる訳でもありません。日本人的には、『えっ〜??』てなもんですが。
小さな子供を遊ばせ、危なくないように注意をはらい、小さい子同士の喧嘩を仲裁するのは、10歳ぐらい以上の子供たちです。
10歳以上の子供達は、驚くほどに大人の手伝いをします。お客さんの子供の世話、食器などのかたずけ。お使いもちやんとするだけでなく、値段の交渉をする子もいます。特に男の子は、良くお使いなどします。親に向かって悪い言葉を使う子は、見たことがありません。これは、宗教的な教えと関連していると思います。
さて、今の日本の子供たちは、どうなんでしょうね。
ルビィさん、どうも有り難うございました。また、気を遣ったつもりでしたが「気がむいたら…」という表現が多少失礼でしたようでお詫びします。文面より、そちらの子供たちの方が結果的にストレスも溜まらず伸び伸び育っていくようで、やはり日本の(特に都会の)子供たちは過保護的な感じを受けました。今日の日本社会が歪んでいく原因の一部を伺えたと思います。(宗教的な教えとの関連までは分かりませんが、おそらく何らかの信仰心を持つ方が子供も精神的に変わってくるのでしょう。)
これまでいろいろ、このBBSに付き合っていただけたことに私も感謝しています。今後ともよろしくお願いします。
以前あるテレビ番組で社会適応率とかの調査をしてて、その結果、自分が社会に適応してると思っている人の割合は十数パーセントでした。当時私は自分なんてぜんぜん社会に適応できない、と思っていましたが、十年近くたってその考えは大きく変わりました。いちばんの理由は家庭を持ち母親になったことだと思っています。家庭が社会の最小単位といわれていますが、結婚前の私は、その最小単位である家庭に属することさえできていなかったのです。(家を出ることばかり考え高校を卒業してようやく勤労学生として東京に出ました。)
DERAさんのおっしゃっているのは非常識な母親のことだと思います。ただ普通の人でも子育て真っ只中、家庭内でいつも子供の相手をしているのでときとして常識がずれてしまうことがあります。うちも先日1歳と3歳の子が銀行での待ち時間に隅っこで遊んでいたら、ウルッサイナァと小声で聞こえるように言われました。(注意されるまで私は仲良く遊んでていいなぁという感覚でした。)その人の言い方にはカチンときましたが、確かにうるさかったという気はしました。そういう人しか注意してくれないのも問題だと思いますが。
あとさっつんさん、子供の年齢は5才以上くらいで考えていただけたらと思います。それまでの子供のなかにはねむくなったら手がつけられなくなる子が結構います。あとうちの幼稚園にも先生を困らせているやんちゃな子がいます。その子のお母さんもがんばっているのですが、どうもお父さんに似たということだそうです。それはお義母さんからもいわれているそうなので、やっぱりその子の性質もあると思います。
私だけなのかもしれませんが、5歳の誕生日からの記憶は絵巻物の様に連続しているのですが、それ以前は断片的にしか頭に残っていません。ですから、私の感覚でも5歳というのはとても納得です。
それにしても子育ての話題になると、男は沈黙ですね。私も下のスレッドで言いたい放題書きましたが、その実嫁さんに任せっきりですし。
社会への適合・不適合というアンケートですか。どういうサンプリングをしたのか分かりませんが、私が漠然と思っている事と一致する部分が多いですね。現代の日本では30歳位を成人と呼ぶのが相応しいほど、精神的には未成熟だという説を聞きます。私なんか18歳から全く進歩してないので、これも納得。少年法の限界を低くすることよりも逆に高くして、その代わり親とか目上の人とか教師に対する絶対服従を義務付けるというのもテかもしれませんよ。
それとこれは考え過ぎかもしれませんが、日本人の受身思想というのも不適合が多い原因の一つではないかと。何事につけ「・・・させて頂きます」という過剰な謙遜のおかげで、いつまで経っても満点から程遠い自分を見出してしまってるのかもしれません。
しかし何といっても日本人の持つバランス感覚の源を探ってみると不適合者が多い理由が分かるような気がします。日本人は自分自身や自分に近しい他人に一定の枠を踏み外さないよう抑制(要求)しているところがあります。自己顕示欲の強い者や突飛な存在を自然排除しています。その一方で心の何処かでは必要に応じて両極端な存在や意思の存在を気にとめているのです。つまりニュートラルな自分を保つ為に、三角測量をしている。
かれこれ20年ほど、日本は臆病風が吹いて極端な意見や存在を封殺してきた感があります。社会人としての規格の幅が狭くなり、閉塞感が。人生の指針として幅の広い価値観が必要なのに、狭い幅の中に多くの価値観がひしめき合っているこの現状。そろそろ日本人の持つ絶妙のバランス感覚を呼び起すような存在が出てこないかな?と思っていたら、石原慎太郎や小泉純一郎という歯切れよくスマートな右翼が出現してきた。ってとこですかね。一部の政治家が日本人は付和雷同と言ってますが、それほど阿呆ではないですよ。
躾のできてない悪ガキでさえも、その点はクールな目を持っているのはまだ救いがあるように思えます。
今の日本の色々な問題、沢山ありますね。なんか久しぶりに日本に住んでみて、、、もう完全についていってない自分に対して複雑な感情を持っている今日このごろです。
でも、日本って、ほんとコンビニに行けば茶が150円で買えるんですよね。豊かですよね、日本はそれでも、色々問題はあっても。
今の日本じゃだめだああああと感じてもコンビニに行って、茶と買うともう、めんどくさいからいいやって、そのまま家に帰ってテレビのお笑い番組を観て、それで満足している人が沢山いると思う。
私もその茶を飲んで、面白いテレビで笑っている自分に出会う事もあるし、色々な問題と考えて、色々準備したり努力したり、、、自分は無力なのか、いやそうでは無いとか、、しかし、コンビニの茶の力は大きいです、私にとって、
日本の問題に、押しつぶされそうになったときは、癒しの役割を、
調子に乗っている時は、ああ日本は豊かな国なんだなあありがたいと思わせてくれるのが、私にできる事をして頑張ろうと思わせてくれるコンビニの茶。、、、、、、話えらくそれました、、、、
DERAさん
>幼児虐待のニュースが3件報道され、その中には亡くなった子供もいたはず。また、我が子は可愛いけれど、育児に疲れて心の余裕を失い、切れてヒステリックに子供を叱ってしまうというケースもあると思います。<
まず、常習的虐待や死に至らしめるようなものは、その母親自体が幼児期に虐待を受けているという連鎖の関係がすでに定説となっています。この解決には、早期の発見、母子の切り離し、そして母親の心理指導などが行われる必要があるようです。
心の余裕の問題が今回の中心なのかもしれません。日本では、その住宅事情なども含め核家族化により、育児の責任の全てが母親に担わされています。夫の家事育児の負担は、未だに手伝いの域を出ていないだけではなく、出産後のホルモンバランスによる精神不安などを理解出来ない夫の非協力により、育児ノイローゼや育児放棄・虐待に近いケースも増えているようです。
上記の情報は、育児雑誌や専門書にこれでもかというくらい、生の声を入れて数年前以上から変らぬ問題として扱われていると思います。
昔の母親たちと今の母親たちを比較するのは、酷というものです。地域的援助もなく、資格や時間で決まられた保育所などが働く母親の手助けにはなっても、専業の母親の追い詰められた状況の手助けにはなりません。育児の下手な母親を責めるのは、誤りです。昔だって、若く未熟な母親はたくさんいたと思います。でも、それは、大家族が支え、地域が当たり前のこととして支えていたのだと思います。
>子供を注意しない母親を迷惑と感じるのは、子供に、病院という病める人の集う場所での思いやりや優しい心遣いを、子供に教えないからです。でも、赤ちゃんの場合は、この限りじゃないですが。<
では、それでも騒ぐのをやめない子供の母親は、どうしたらいいのでしょうか?注意さえすれば、騒ぐのをやめなくても良いですか?病気であるのが自分の場合、医者に見てもらうのを諦めるしかありませんね。実は、これは、案外多いパターンなんじゃないでしょうか。
そして、パキスタン人ならどう対応するかわかります。『お母さん、あなたも病気でしょう。気にしなくていいんですよ。今は、どんなに言っても怒っても分らないけれど、大きくなれば病院で騒いではいけないことぐらい、皆わかるんですから。』そして、騒ぐ子供の遊んでくれる少し大きな子供や付き添いで来た何処かのお父さんなどが見てくれるんです。
母親自身の幼児期の体験が、我が子への虐待に繋がるケースが大きいというのは、確かに定説ですが、心の余裕を失って、ヒステリックに子供を叱る母親の全てが、自身の幼児期に虐待を受けていたとは、限らないでしょう。
論点が噛み合わないのは、多分、私の言葉が足りないのですね。騒ぐ子供をたしなめずに、母親同士がおしゃべりに興じ、子供をほっぽっているのが、嫌なのです。ルビィさんは、日本で見た事がありませんか?病院だけじゃなく、例えばホテルのロビーやレストランで、子供そっちのけでおしゃべりに興じている母親。デパートで買い物に夢中になり、その母親の気を引くために大声を張り上げたり泣き出す子供。側に自分の子供だけじゃなく、一緒にいる友人の子供もいるのに、タバコを吸う親。私が言っているのはそっちで、育児ノイローゼや病気の母親を非難しているのではありません。「思いやり・気遣い」といった優しさを子供に伝えない母親が全て、病気で心の余裕が無いという訳じゃないと思うからです。
昔の母親達と今の母親達を比較とありましたが、それは私が母の例を出した事ですか?もしそうなら、待合室にバッグに入る程度の小さなぬいぐるみを持ち込むのって、そんなに難しい事じゃないですよ。大学時代の先輩は、絵本を持っていくそうですし。
DERAさん
>心の余裕を失って、ヒステリックに子供を叱る母親の全てが、自身の幼児期に虐待を受けていたとは、限らないでしょう。<
そうです。心の余裕の問題だと言ったつもりだったのですが。ここでは、取りあえず、虐待については除外しましょう。
>子供そっちのけでおしゃべりに興じている母親。
見かけたことはありますが、ほとんどの母親たちは、子供中心で話もままならないように見えます。小さな子供って、母親が他の人と話してると用もなにのに割って入って、母親の顔を自分に向けさせようとするんです。核家族で、子供が生まれてから、まともな会話の出来ない日々を送っている母親たち。ですから、大人とまともな会話をすることに飢えている母親にとって、子供そっちのけでおしゃべりしたい気持ちはわかります。子供が危険なことをしないということであれば、大目に見ることはできませんかね?
>「思いやり・気遣い」といった優しさを子供に伝えない母親が全て、病気で心の余裕が無いという訳じゃないと思うからです。<
はい、その通りです。しかし、優しさや思いやりを教えるのは、全て母親の役目ですか?ここでは、大多数の母親の置かれている状況に注目する事なしに、母親像からかけ離れていると思われる人の行状を問題にしても、話が分らなくなると思います。
群れから引き離されたメス猿は、出産は出来ても育児は出来ないそうです。猿は、若いうちに群れのベテランの母親たちの子供をお守したりして、母親の役割を学ぶようです。100%とはいいませんが、人間もそうだと思います。育児は、個別ではなく、有形無形に社会的なものだと、私は思っています。従って、母親達のそうした行動も含め、地域社会が共に育てる(冶自体が行う施設や制度ではない)意識を共有し無い限り母親たちは、益々育児を出来なくなると思います。
>待合室にバッグに入る程度の小さなぬいぐるみを持ち込むのって、そんなに難しい事じゃないですよ。大学時代の先輩は、絵本を持っていくそうですし。<
母親のバッグは、子供のもので一杯です。もちろん、オモチャもみんな持っています。その他に、タオルや着替え、お茶や水、お菓子などです。手を変え品を変えても、そう簡単におとなしくなってくれないのが常です。他の子供がジュースを飲んでれば、自分も欲しいと泣いたり、他の子の持ってるオモチャを欲しがったり…。複数も子供が寄り合うと、そうしたケンカで騒々しさが増します。
私は、自分が医者に行かねばならないほどひどい時は、夫に会社を休んでもらいました。子供を連れて、医者にかかる気力も体力もありません。妻子の病気で半休を取った職場の男性が、よく上司が文句言ってました。妻子の方を大事にしてくれる人でなかったら、子供を抱えた妻は、多分病院に行かず、家で横になっているのがせいぜいでしょう。それでも、子供の食事やトイレには、立たねばならず、複数の子供がいたら、死ぬ思いでしょうね。
迷惑の規定にもよりますが、今の日本の『迷惑』と目くじらを立てて言われている事柄は、見方を変えれば許容できることではないでしょうか?『迷惑』が全面に出され、身動きできない状態にも見えます。そのことが、人間関係を悪化させているようにも見えますし。
とは言え、これは、データをとった研究論文でもない単なる私見です。MICHIさん、DERAさん、不快な思いをさせたかもしれません。長々付き合ってくださってありがとうございます。
特にDERAさん、私の言いまわしで、不快にさせたことをお詫びします。でも、DERAさんもムッとした文章書くんだぁ、と新鮮な発見したりして。あ、すいません、こうした書き方が、人をからかってるようで悪いのかな…。
ルビィさんは、結局、現代の日本社会における人間関係の希薄さを憂いているわけですね。でもそれを昔のように戻すというのはちょっと無理なんじゃないでしょうか。地域コミュニティの活性化などはまあ、可能だとしても、昔のような大家族になど戻れるわけがありませんし。それよりも新しい人間関係のカタチを考えた方が現実的だと思います。
例えば子供を巡る問題が例として上げられていますが、ルビィさんがおっしゃっている現象も、DERAさんがおっしゃっている現象も両方あるのが日本社会で、それぞれに問題意識を持つ人達が、DERAさんが先に提案されたように、例えばインターネット上でコミュニティを作って相互解決を目指す、という方が現代的のような気がします。もちろん、単にインターネット上だけの話だけではなくて、実際に顔を突き合わせて会合を開いても良いですし。
昔と比べると今は確かに、例えば商店街で買い物してもお互いの素性を知らないなどといった、実生活での人間関係は希薄になっているかもしれませんが、一方でメディアの発達によって昔では考えられなかったような、同じ悩みを持つ遠くの人と関係を持つことが可能になっています。それにメディアの力によって、例えば幼児虐待の問題であれば、医師や心理カウンセラー、必要であれば弁護士といったような問題解決のために必要な専門知識を持った人に参加を要請することが割合簡単に出来るでしょう。こういったことは昔の地域・血縁中心のコミュニティではなかなか難しかったでしょうし。
しかしこうしたことは、やや対症療法的で、ルビィさんが憂いているような人間関係の希薄さを根本的に解決するものではないでしょう。でも、「迷惑をかけてはいけない」と親が子供に当たったり、あるいは自責の念に苦しめられてノイローゼになったり、反対に子供を甘やかしすぎて学級崩壊の一助となるような子供を作り出したり、といった重大な結果を引き起こす問題には対処できるはずです。
人間関係が希薄になっているとはいっても、わたしたちには通常、家族も友人も恋人もいて、彼らに悩みを打ち明け、相談に乗ってもらい、時には迷惑を掛け合いながら生活をしていますし、更に個を強めることで精神のバランスを取っているのだと思います。確かに昔のような人間関係には戻れませんが、それは色々な社会状況の変化に原因があるだけでなく、わたしたち自身もそれを選択してきた面があると思います。ルビィさんのご主人のみならず、「家族親族の濃厚な干渉とお世話から開放されて」生活したい、家を建てるにしても2世帯住宅なんかで親子間の「適当な」距離を保ちたいと考えてきたわけですから。その上で上記のような現代的なコミュニティが、社会問題につながるような現象をフォローできれば、それでいいんじゃないかなと思うのですが。
ルビィさん、論点がイマイチ噛み合あわないままでしたね。私が「他者への気遣い」という点を述べたいのに対し、ルビィさんは「迷惑」を起点に意見を展開し、互いの言いたい事が違うので、噛み合わないのだと思いました。
>大目に見る事はできませんかね?
大目に見るも何も、ホテルのロビーで、子供が母親の気をひこうと泣き出したので、友人を待つ間、隣りのソファからあやしていたら、母親が気付いて「済みませんねえ、ご面倒をおかけして。」と頭を下げられました。が、次にその子に向かって「よかったね、お姉さんが遊んでくれて」と言い、友人らしい女性とのおしゃべりに戻ってしまいました。子供は、私にあやしてもらいたくて泣いたのではなく、母親の気を引きたかったのですから、自分のひざに抱くか、せめて子供の手を握ってやりながら、しゃべれば良いのにと思いました。でも”おばさん”じゃなく”お姉さん”と私を呼んだので、大目に見ました。あれ、だからお姉さんと呼んだのかな。
オヤジからも発言させて下さい。
皆さんが話題にされている子供の年齢は何歳くらいを思い浮かべればよろしいのでしょうか?自分の子供であれば、その付き合いは誕生からずっと連続しているので区別はつけ難いでしょう。しかし他人の目から見た場合は、その外見から判断して「お〜お〜元気に泣いてるねぇ」と、目を細めて見られる赤子の場合はともかく、3歳以上の子供が迷惑行為をしている場合は、「躾」を放棄した親に対して冷たい目を向けられる一面もあるのではないでしょうか?
子を見れば親が分かるとよく言われるように、その親子つまり今まで我がまま放題に育ってきた親とこれから我がままに育っていくであろう2世代が、セットになって他人(世の中)に迷惑を掛け続けることへの嫌悪感でもあります。
私は毎日使う電車の中でそれを感じています。例えば親の言葉が十分理解できる年齢にも関わらず大声を出し続ける幼児、靴を履いたまま車窓を見るので隣の人の腿を汚す幼児、混みあった車内を駆け回る幼児など。
そして目を転じればその何年か後の育ちの悪さの見本として、シルバーシートを占領し、老人が目の前に立っていても席を譲らず化粧をし携帯をかけまくるガキ共。
幼児性マル出しの迷惑を放置すれば、あらゆる場面に於いて社会を脅かす寄生虫を世に放つことになります。
さて、私は一連のスレッドを拝見していまして、DERAさんの書かれていることがとてもよく理解できました。それは思い浮かべる場面設定や対象がよく似ているからでしょう。時と場所を使い分けることのできない「賢くない親」。共に社会を支え合って行く能力を授けられない、哀れな子供。
子供が生まれ育ちまた産んで育っていく、基本的な営みの能力を欠くことへの危機感でもあります。
あ、忘れてならないのは、電車での心地好い眠りを妨げられることのムカツキという私的な恨みももちろんあります。
福祉の事について一言。
「設備に頼る事でやさしさがおざなりになる」という問題なのですが。
わたしは福祉に関して言うなら今一番に改善すべき問題はやはり設備だと思うのですよ。
もちろん「やさしさ」のない社会なんて嫌ですけど、それ以前の問題で多くの日本人にとって今の日本社会は障害を持つ人達にたいして「やさしさ」を発揮する事が難しい社会だと思うのです。
みんな意地悪して助けないとか、わざと無視しているとかそう言うんじゃないと思います。
それよりも非日常的な場面に出会い、「とっさに」日常的な行動を取ろうとしたのではないでしょうかね。
ほとんど出会う機会の無い人達に出会っていざと言う時に戸惑ってしまう、そういう人のが多いと思うのですが。
設備が充実していないから障害を持つ人達は街に出る事が難しく、彼らが街に出られないからわたしたちは彼らに向き合う機会が減る。
向き合う機会がないからいざというときにとっさに行動が取れない。
「やさしさ」を発揮する為には彼らに接する事が「非日常」ではなく「日常」になることが必要なんだと思います。
阪神大震災の時は一般人にとっても素通りできないぐらいの大きな出来事だったから行動できたのでは。
少しの罪悪感と引き換えに素通りできてしまうような場面の方がよけい「やさしさ」を発揮するのは難しいと思います。
考えるよりもとっさに行動できる人というのは行動を起こす事に慣れているから色々な事にすぐ対処できるのであって、多くの人は慣れない事をする時には躊躇が伴うものです。
その一瞬の躊躇が手助けをするか素通りをするかを分けるもので、それを克服するには「障害を持つ人が街に出ている」という風景に慣れる事が必要なのだと思います。
ですから、その為にもやっぱりスロープ、リフト、エレベーター等々の設備、身体障害、知的障害、を持つ人達が「特別な人々として」ではなく学ぶ場所、働く場所、は必要最低限のものだと思います。
Azusaさん
>多くの人は慣れない事をする時には躊躇が伴うものです
そのとうりですね。私も設備面の充実に反対している訳では無いのです。そして、確かに昔の日本人が行えた行為を、何故、今は出来ないのか?何故、Azusaさんの言うように心の余裕がなく、人を手助け出来ないのか?全の責任を個人や親に背負わせるのか?
Azusaさん、こんばんは。
おっしゃるとうりだと思います。先日、近所のコンビニエンスストアで初めて電動の車椅子に乗った人が買い物をしているのを見かけたんですね。わたしはレジで並んでおり、その方は精算を済ませて店を出ようとしていたのですが、ドアが自動扉ではなく観音開きに自分の手で押さなければならないのですが、「大丈夫かな」とい思いながら出口の方へ目をやると、出口付近で雑誌を立ち読みしていた客が当たり前のようにドアを開けて、その車椅子の方が出るのを見届けて、車椅子の方のお礼に軽く会釈を返して、何事もなかったかのように雑誌コーナーに戻っていったんですね。それを見て、「あ、みんなそれとなく気にしてるんだなあ」と思ったのと、自分も今度ああ言う風に扉を開けてあげればいいんだな、と具体的な行動イメージを持てたんですね。それにコンビニの店内の通路幅は車椅子の人にとってはたいへん狭いということもそのとき初めて気が付きました。
迷惑って、迷惑をかける側だけの問題なんでしょうか。
他者の行動が迷惑であるか迷惑でないかって受け止める側の心の余裕が有るか無いかでだいぶ違ってくると私は思うのですが。
人の行動を迷惑だと思ってイライラするのって自分に精神的余裕が無い証拠でもあるんだと思うのですが…。
自分が機嫌の良い時って些細な事は気にならないじゃないですか。
わたしアメリカに来る前に東京に一年だけ住んでたんですよ、実家は愛知なんですけど。
正月に東京から愛知に帰った時、自分は都会で暮して気がつか無いうちに心がすさんでしまっていたんだなぁと実感しました。
人に対して意地悪になっていたんです。
些細な事でイライラして、人の行動に変に反応して。
電車を待っていて列を割り込まれる、そう言う事は愛知にいた時にはあまり気にならなかったんですよね。まあ別にいいかって感じで。
東京では電車待ちで割り込みされるたびにすごく腹が立って、それに対抗する為に他の人を押しのけて、自分も醜い行動を取っていることにすら気づかなかった。
心に余裕が無かったのです。
今度はアメリカに来て、愛知にいた時も自分は心の余裕が無かったんだと感じました。
ちょっとしたことでイライラしていました。
愛知では電車でお年寄りに席を譲りながらも心の中では「さっさと降りろ!そしたらあたしがまた座れる」と思うこともよくありました。
割り込みされるたびに友達や家族に醜い愚痴をこぼしておりました。
それでも、自分は正しい事をしていると信じ、迷惑を掛けられた時には悪い事をしているのは相手の方だと被害者意識を持ち…。
自分が感じる「迷惑」に敏感になりすぎていました。
今はどうでしょう。
やっぱり自分がイライラしている時は些細な事を迷惑だと思ってしまいます。
でもほとんどの場合はあまり気になら無くなりました。
今は、バスの運転手さんが停留所のあたしに気が付かずに通りすぎてしまっても、急いでいる時で無ければ「しょうがない」で済んでしまいます。
知らない人に何か嫌なことを言われた時も「しょうがない」で済みますし、もしかしたらその人はたまたま機嫌が悪かったのかもしれないと思うようになりました。
バス待ちの時には人に先を譲る事もありますし、譲られる事もあります。
わたしが感じたアメリカと日本との差の一つ。
日本人はイライラしてる人が多いのではないでしょうか。
もちろん現代の日本人の若者(だけではないけど)のマナーの低下は現実問題ですし、受け止める側の心の余裕よりも迷惑を掛ける側の問題の方が大きいとも思います。
しかしですね。
マナーの低下ももちろんそうですが、いじめ、ひきこもり等々、今の日本の社会問題の多くはとても複雑で、何が原因でどうすれば解決できるのかなんて簡単にまとめられるものではないですよね。
ですので、どうすれば「迷惑」を解決できるのかはわかりませんが、私の意見として、「人々の心の余裕が無いから色々な事を迷惑と感じてしまう」という一面も無視してはいけないと思うのです。
それに付け足しなんですが、迷惑を掛ける側も余裕が無いから迷惑を掛けるような行動を取るのでしょうね。
では、どうすれば精神的余裕を持てるのか?
それはわかりません。
さっきも書いたように、一言でまとめられる問題ではありませんし。
個人個人の生活状況にもよります。
別問題になるのかもしれませんが。
あたしがアメリカ(カリフォルニア)に来て良かったと思うこと。
人と目が合えば微笑む、道ですれ違ったら挨拶をする、バスを降りる時には運転手さんにThank Youと言い、人の前を通る時にはExcuse Meと言う。
そう言う事を躊躇なくできる国。
自分がして、されて気分の良い事(知らない人と目が合って微笑む等)をして変な目で見られる事がない国である事。
こういう事って精神的にゆとりを持つのにはとても大事だと思うんです。
少なくともわたしにとってはとても大切なことです。
また付けたしです。
DERAさんの「深夜の騒音」で思い出したんですが、最近面白かった事。
昨日ホームステイ先の自分の部屋でテレビを見ていたところ外をブンブンとスゴイ音でバイクが走ってきました。
それが何度も何度も家の前を通るのですよ。
いいかげん頭に来て外をのぞいてみたら、あたしと同い年ぐらいの男の子がちっこいおもちゃみたいなバイク(子供の三輪車の大きさ)で近所を何週もしていたんですね。
その姿があまりにもかわいらしいというかばかばかしいというか…とたんに怒りが収まりました。
ばかばかしさとおかしさで一見迷惑な行動がとても面白い行動に変わってしまう所もアメリカの良い点です。
下のスレッドが長くなりましたので、移動します。
私にとっての迷惑とは、深夜の騒音、並んでいる列に横入り、車内の携帯電話、病院の待合室等で騒ぐ子供を注意しない母親、給料日前に借金を申し込まれるのも迷惑かな(^^;トイレの並び方も、国際標準(っていうのかしら?)に慣れると、入り口で並んでいる人の列を無視して、トイレのドアが開いた途端、すっと入ってしまう人も迷惑。
私は、ロンドンに留学中の友人から、急いでいる人に道を譲る(エスカレーターは道じゃないけど)のは、イギリスじゃもう常識だよ、と教えてもらうまで、左側に寄って立つというのは知りませんでした。だから日本では、一度も左側に立った事がないです。日本でも、左に立つんですか。
MICHIさん、タイ人と日本人のモラルの衝突ですか?うちの会社もタイ人を数名、6ヶ月単位で本社に研修に出しますが、日本に行く前の研修内容は、結構おもしろいですよ。モラルというより、生活習慣の違いですが、
シングルルームは一人で使いましょう、となりの部屋にマットレスを移動させてはいけません、とか。タイ人は一人暮らしに慣れていないので、一人じゃ寂しくて寝られない。だから、ホテルの小さい部屋に他の部屋からマットレスを持ち込み、そこに3,4人が一緒に寝るんです。会社所有の宿泊施設なら、問題ないですが。
友人の会社では、ホテルのベッドの使い方を教えるそうです。どういう事かというと、ある研修生が、日本のホテルは寒くて眠られない、と訴えた。ホテルに聞くと、毛布があると言う。で、研修生の部屋に行ってみると、彼はきっちりと四隅をベッドの端に折り込んである毛布を、毛布と気付かず、1週間もその上に何も掛けない状態で震えながら寝ていたとか。兵庫県の11月。北海道なら、一晩で風邪引くでしょうね。
雨が降ったら傘をさす、濡れたらすぐに着替える、という指導も大切です。タイは、スコールでずぶぬれになっても、20分か30分で乾いてしまうので、日本でも雨に濡れて宿泊所に帰った研修生が、濡れた服を着替えず肺炎になったケースが何件かあり、上記の指導をする企業が増えました。
洋式トイレの使い方を、絵で説明する企業もあります。冗談じゃなく、本当の話。便座に上がって、しゃがむんです。うちも、田舎から来たばかりのワーカーを採用すると、しばらく便座に靴のあとがくっきり、という事があります。これは、日本も昔はぼっとん式だったので、なんとなく理解できます。
社員の家庭で研修生を受け入れる場合は、お風呂の入り方も教えます。タイは水風呂なので、お湯に慣れるまで、相当時間がかかるようです。
うちのアシスタントマネージャーは、行く前は日本が大好きで、喜んでいたのに、3ヶ月の予定で一人で本社に送ったら、重度のホームシックで3週間でタイに送り返されました。それ以来、研修生を送る場合は、必ず2人一組にしています。
ちょっと質問の内容と違ってしまいましたが、モラルの衝突だけじゃなく、生活習慣の違いを知らない事によって生じる軋轢も、多いかなと思ったんで。
MICHIさん
>困っている人を助けることを平気で拒絶する人だって、その行為自体が社会に迷惑をかけています。<
教育上の問題はありますが、拒絶する人がいてもそれをホローできる人々がいれば、問題ないと思います。モラルは、強制すべき物ではなく、自然に習慣のように出来るのが望ましいですよね。ですから、断固拒否する人を非難する気はないのです。そうではなく、不特定多数が、無関心・無関係を決め込んでいる状況が、怖いんです。特定の誰かではなく、そういった状況が何故作られてしまったのか?
神戸の震災の時、日本人であることを誇りに思える行動を、一般市民が当たり前のように繰り広げました。そうしたものが、日常のなかで埋もれ、子育て中の母親、1人暮しの老人、身体に障害のある人、そうした人々を何故、孤立化させ追い詰めているのか?子育てサークルや地域のボランティアで、こうした問題の解決になるのだろうか…。なるのなら、もっと、人を巻き込む理論や運動を多角的に行う必要があるのではないでしょうか。…などと考えています。
私の言ってきたことと矛盾してますか?
>問題にすべきなのはむしろ、周りのことを考えずに自分勝手な振る舞いをし、たしなめられても開き直るような人ではないでしょうか。これこそ他者との交わりを拒否しているとわたしは思います。<
もう、私は若くはないですが、一般に若い人にみられるこの傾向は、社会への恨みだと思います。私も多分そういう時期がありました。そうした時、『人の迷惑になる』とか『規則に違反している』とかの注意になります。その注意の内容もですが、たった1人の大人のたしなめだからという問題もあります。複数の人が、色んな側面からたしなめれば、ずいぶん違うと思います。たしなめる人々の多様化も重要かと思います。
問題は、人にも迷惑をかけないが、人の迷惑を受けるのもたしなめるのも真っ平という人々が多いことです。そう言えば、日本に戻った時、バスに乗り合わせた年配の男性が、女性に文句をつけ大声でどなりだしました。それをかばった隣の老婦人にも文句をつけました。その時、その男性に対抗して口を開いたのは、子連れの私と、文句をつけられた当事者の乳飲み子を抱えたヤンママ、それにその老婦人だけで、バスの運転手も他の男性客も黙っていました。
>パキスタンの人やタイの人がたくさん日本に居住することになれば、日本人とのモラルの衝突はあるのか、日本人のモラルは彼らの影響を受けてどのように変容していくのか、ルビィさんやDERAさんに話を聞いてみたいですね。<
衝突はあるでしょが、多分パキスタン人は、急速に日本人のペースに合わせるのが普通です。何故なら、民族的な常識で動けば、会社を首になる、アパートは貸してもらえない、或は追い出されるといった制裁があることを知っていますから。夫も会社で、よく新しいパキスタン人などに日本人の考え方などを含む習慣を教えて、たしなめてました。
でも、どう変るか分りませんが、夫を含め、日本で働いていた人の多くは、日本も日本人も好きな人が多いです。強制送還され、入管で怖い思いした人たちもです。
●DERAさん
タイ人の研修の話、ずいぶん笑わせてもらいました。なんだかユーモラスというか、ほのぼのとしているというか、タイの人の純朴さや人柄が伝わってくるようで、とてもあたたかい気持ちになりました。特に印象に残ったのはタイ人が寂しがり屋だという話。一人で寝られなかったり、ホームシックに掛かったり。この辺りはずいぶん日本人と違いますよね。情が深いというか、タイ人の性格がとてもよく表れているように感じました。逆に日本人がタイに住む場合も、さぞ面白い話があるんでしょうねえ。
わたしが住む町でもタイの人を時々見かけます。今のところ接点はないですけど、日本人とタイ人てすごく仲良くやっていけるんじゃないかなあ、という気がしています。
●ルビィさん
うーん。ちょっと論点が掴みにくいですが。。。
わたしが率直に感じるのは危機感の違いですね。日本に住むわたしの感覚が麻痺しているのか、ルビィさんがパキスタンの感覚で日本社会を捉えているために異常に感じてしまうのか。。。例えば、「無関心・無関係を決め込んでいる状況が、怖いんです」というのは、一体どんな状況を想定して怖いと思っていらっしゃるんですか?帰国されたときのバスの車内のことを例に挙げていらっしゃいますが、こういった状況で無関心でいることが、いずれどういう悲劇を生むとお考えですか?例えば独裁者が現れて恐怖政治が敷かれるとか、そういったことですか?
日本とパキスタンでは社会状況が違うというのは前にも言いましたよね。何らかの問題やトラブルが発生したときに、日本では警察にしろ司法にしろそれらを処理するシステムが比較的信頼できるカタチで市民にサービスが提供されている。福祉なんかでも介護保険とか、今は介助犬法案なんていうのが提案されているそうですが、個別の問題を社会全体でフォローしていこうとしています。社会システムの発展というのはつまりそういうことなんですよね。個人が抱える問題をほとんど全て個人で解決しなければならず、家族や友人などがフォローして何とか解決していくパキスタン社会と、個人が抱える問題の一部を社会で負担してくれる日本社会。これは結局負担をどこが負うかの違いはあっても、スムーズに処理されれば、どっちがいいとか悪いという問題ではないように思いますが。
もちろん日本の場合、個人で解決する領域と社会で対処する領域との区別が時には分からず、「自分がしなくても誰かがやってくれるだろう」と甘えて通りすぎてしまうことも多々有るわけで、それは社会システムの高度化に伴う弊害かもしれません。でもそれが仮に大きな問題につながらず、社会としてフォローする仕組みを作り上げることが出来たら、それでいいのではないでしょうか。
再度バザールの違法駐車の例を取り上げますが、ルビィさんが毎日車で買い物に出かけるとして、1ヶ月の間に5回後ろに違法駐車されて自分の車を動かせないといったトラブルがあるかもしれません。そしてその都度周りの人が車を持ち上げるなどして助けてくれる。
一方日本ではどうかというと、1ヶ月の間にそういったトラブルが1回か2回しかないかもしれません。なぜなら、わたしたちの税金で公共の駐車場が十分に整備されているとか、道幅が広めに作られているとか、警察が頻繁に違法駐車の取り締まりに回ってきて、それをドライバーたちが熟知しているとか、「ここに車を停めたら、前の人が車を出せないだろうなあ」と気を利かせてくれる人が多いとか。。。
でも1回か2回のトラブルの際には周りの人に「助けてくれ」と言いにくい雰囲気があったり、周りの人も積極的に車を持ち上げて動かそうとはしてくれない。それで仕方なく警察を呼んだら、すぐにやってきて駐車禁止の切符を切ってくれてレッカー移動してくれた。
どちらが良い社会か一概に言えないかもしれませんが、ルビィさんはトラブルがあったときの周りの人の対応だけを比較しているような気がします。日本ではトラブルに至るまでの様々な予防努力が色んな人によって為されていると言えるかもしれません。
それと、迷惑をかけないことが誤りだ→迷惑を掛け合うことが人間関係だとしていますが、まるで人は積極的に迷惑をかけるべきだ、と論理展開されているように感じるのはわたしだけでしょうか?すでに明らかなように「迷惑」というのはとても幅広い意味を含んでいます。先日テレビで見たのですが、死刑が確定した殺人犯が、獄中から被害者遺族にあてた手紙にも「大変ご迷惑をおかけしました」という文句がありましたよ。
>衝突はあるでしょが、多分パキスタン人は、急速に日本人のペースに合わせるのが普通です。
>何故なら、民族的な常識で動けば、会社を首になる、アパートは貸してもらえない、
>或は追い出されるといった制裁があることを知っていますから。
うーん、日本社会は結構、外国人に対して有形無形の圧力がありそうですね。まずかれらの法的立場や権利などが保証されることが先決のようですね。
>夫を含め、日本で働いていた人の多くは、日本も日本人も好きな人が多いです。
>強制送還され、入管で怖い思いした人たちもです。
パキスタンの人が、日本や日本人のどういうところを好ましく思っているか聞いてみたいですね。好ましく思っている点は、かれらが変容しても良いと感じる部分かもしれませんし。まさか困っている人を見かけても無関心で済ますことができる社会だから、ではないでしょうね(^^;。
MICHIさん
毎回、丁寧な回答ありがとうございます。もう少し付き合ってくださいね。
>例えば、「無関心・無関係を決め込んでいる状況が、怖いんです」というのは、一体どんな状況を想定して怖いと思っていらっしゃるんですか?<
これは、私自身が子供を持ってから強く感じるようになったことです。同じ子持ちのお母さんたちとの交流などでも、一様に子連れのお出かけで邪魔者扱いになる、或は、誰も手伝ってくれないとの話になりました。アパートを借りるのに、子供不可なんてのもごろごろあります。(東京)また、子供がうるさいと下の部屋の人に怒鳴り込まれ、どうしていいか分らないと困っているお母さんも多かったです。
ある病院で騒ぐ子供を注意し続けたお母さんが、途中で席をたち子供を外へ連れだしました。そして、自分の車に子供をのせると、バシバシ殴ったのを見た友人(子供なし)が驚いて、私に話ました。しかし、私には、その母親の気持ちが痛いほどわかります。周囲に迷惑をかけまいとする気持ちと、子供が長い時間おとなしくしていられないことは分っているが、痛いような周囲の迷惑だの視線に子供にあたる以外収拾がつかないのです。
迷惑をかけないのが人の道という思いが母親自身にもある為、どうしょうもない気持ちになり、それが子供に向かってしまうのです。『子供にあたってはいけない』と分っていても、もう、押さえられないんです。その追い詰められた感情は、『迷惑かけてどこが悪い』くらいの開き直りでもない限り、無事抜けるのは、かなりシンドイものだと思います。
DERAさんも迷惑の例にあげていた、病院で騒ぐ子供を注意する母親の気持ちです。幼児をおとなしくさせるなんて、遊ぶ施設を別に作らない限る無理なんです。しかし、母親の注意をフォローしてくれる人は、まずいません。
私も騒ぐ子供は迷惑だと思ってましたから、こちらに来てからも子供を注意し、それでも駄目なら叱責しました。すると、半べそ状態の息子に、通りがかりや隣の人たちが『どうしたの?ママを困らせないで。良い子だね。ママに怒らないように言ってあげるからね。』と言い、私に『問題ないよ、子供を怒らないで。子供は、全てこういうもんなんだからね。騒いだって、どうってことないよ。』と言ってくれました。
>個人が抱える問題をほとんど全て個人で解決しなければならず、家族や友人などがフォローして何とか解決していくパキスタン社会と、個人が抱える問題の一部を社会で負担してくれる日本社会。<
そうですね。しかし、上記の犯罪などとは無縁に日常生活では、社会はフォロー出来ません。母親自身が持っている迷惑の概念=社会の迷惑の概念を変えない限り、追い詰めれるでしょう。
>社会としてフォローする仕組みを作り上げることが出来たら、それでいいのではないでしょうか。<
現実の人間が手を出さずに、システムだけで人々の心をフォローすることが可能なんでしょうか?
>それと、迷惑をかけないことが誤りだ→迷惑を掛け合うことが人間関係だとしていますが、まるで人は積極的に迷惑をかけるべきだ、と論理展開されているように感じるのはわたしだけでしょうか?<
いいえ、いいえ。敢えて、言いきったのです。人に危害を加える等の凶悪犯罪に対しては、良いなどと思ってません。それは、別の側面から観るべきことです。私が言った迷惑は、日本の一般社会で言われている犯罪にならないたぐいのことです。
>パキスタンの人が、日本や日本人のどういうところを好ましく思っているか聞いてみたいですね。好ましく思っている点は、かれらが変容しても良いと感じる部分かもしれませんし。まさか困っている人を見かけても無関心で済ますことができる社会だから、ではないでしょうね(^^;。<
これは、面白いことかもしれません。パキスタン人は、日本の若者たちに比べ、ずっと人とコミニュケーションをとるのがうまいですね。それに、年配者に敬意を表する。ですから、日本語が出来る人たちは、会社では、パートのおばさん、退職寸前の窓際のおじさん、住まい付近では、やはり年寄りに好かれますね。
その人たちから受ける親切などがとても日本の印象を良くしてるようです。でも、私からみると、親切にしてくれる年寄りの方は、毎朝きちっと『おはようございます。今日は、暑いですね。身体は大丈夫ですか』などと話かけてくる夫たちが、周囲の日本人青年の無愛想に比べ、嬉しがってるように見えます。
夫が商店街に買物に行くと、一杯おまけしてもらって帰ってくるけれど、私は、殆どなし。通り過ぎる人が挨拶するのは、夫の方。『誰?』と私が訊くと『知らないの?商店街の八百屋さんのおじさんとおばさんじゃない』と言われ、何か自分の事務的人間関係について考えてしまいました。
夫がよく言うのは、日本人は時間などの約束を守る。ルールを決めるとちゃんと守るなどでしょうか。後は、貧民がいないとかも言ってます。私から見ると、自由な生活、テレビ、映画、恋愛の満喫。家族親族の濃厚な干渉とお世話から開放されて、静かな生活、そして、高給を仕送り家まで建てれば、親族の羨望の的、などじゃないかと思いますが…。
>迷惑をかけないのが人の道という思いが母親自身にもある為、
本当にそうでしょうか?今の日本には、産みたくないのに母親になってしまった人や、精神的にまだ子供なのに、子供を産んでしまった女性も多くなっています。1月に帰国した時、たった4日程の滞在で、幼児虐待のニュースが3件報道され、その中には亡くなった子供もいたはず。また、我が子は可愛いけれど、育児に疲れて心の余裕を失い、切れてヒステリックに子供を叱ってしまうというケースもあると思います。
ルビィさんの友人が目撃されたのも、いう事を聞かない子供に、カッとなった挙句の虐待に近いような気がします。小さい頃、病院に限らず公の場に行く時は、母はよく絵本やぬいぐるみを持参しました。私が絵本に飽きると、ぬいぐるみと即興の会話をさせたりし、私から目を離さないようにしていました。母曰く、私が子供の頃はかなりのきかん坊だったので、公の場で騒がないようにする為だったそうです。
病院の待合室には、具合の悪い人や、当たり前ですが、病気の人たちがいます。私が、病院の待合室で騒ぐ子供を注意しない母親を迷惑と感じるのは、子供に、病院という病める人の集う場所での思いやりや優しい心遣いを、子供に教えないからです。でも、赤ちゃんの場合は、この限りじゃないですが。
育児に疲れ、言う事を聞かない子供についかっとなって、手を挙げてしまう母親は、古今東西、いつの時代にも存在したと思います。それを、誰がフォローし受け止めるのか。パキスタンは、家族や親戚等、周囲の人たちが暖かいフォローをするのでしょう。タイは、自分の手で子供を育てる母親が少ないので、子供は祖父母や親戚、またはメイドに育てられます。日本の場合は、現状では託児所や保育園、ベビーシッターサービスになるんでしょうね。以前は、子供はせめて小学校にあがる迄は、母親が側にいるべきだと思っていましたが、タイの現状を見た今は、何とも言えません。
スレッドを変えました。下の方になると、つい、見落とすもんで。
DERAさん
介護者の為のスロープ…。な〜るほど。でも、若き乙女が駅員さんと苦労してるのに、他の体力ありそうな奴らは、何してたんでしょう?
以前、バザールで車を止めて置いたら、後ろに違駐車されて、出られなくなりました。こういう場合、カラチでは、サイドブレーキを引かないで置くんです。動かせるようにね。ですが、そいつは、しっかりサイドブレーキ引いてある。義妹と『どうしょう…、この車のドライバー何処だ?』と騒いでいたら、その付近で物を売ってる男たちや通りがかりの人など数人が、何と私の車の後ろを持ち上げ、ずらし出られるようにしてくれました。
この他にも、交差点で故障した車を物売り、物乞い、そして横断者が押して道の脇に持っていくのは、日常的に見ます。
MICHIさん
>自治体がやってくれたら人間は優しさを発揮できないものだと決めつけてしまったら、それまでだと思います。<
決めつけてる訳じゃないんですが、そう見えるということなんです。MICHIさんには、そう見えないんですか?じゃあ、どう見えているんですか?その違いの方に興味あります。
私は、自分が小学生や中学生の時は、もっといろんな人が、お年よりの荷物を持つのを手伝ったり、赤ちゃんを連れたお母さんに席を譲ったりを見かけました。今は、時々日本に戻っても、そんなの見ませんし。
でも、だからと言って、原因が整備にあると主張してるのではありません。これは、『優しい社会』という言葉に対応して、問題は、整備じゃないだろうというのが、私の考えで、整備をするなと言ってるわけではありません。
>それとルビィさんの言う「団体」が任意の市民団体を指しているのでしたら、<
いえ、特定してません。何処の団体が言っていたかも覚えていませんが、あちこちの人が言ってた気がします。
>不満があるのなら、自分が思うように行動を起こせばいいんですから。<
どんな行動でしょうか?皮肉でなく訊きたいのは、自分がボランティアのような事をすることですか?それとも個人的な小さな親切運動とか、或は、政治的団体を作るか入るかということでしょうかね。
MICHIさんが分りやすく説明してくれるので、甘えて、説明を求めちゃいます。『不満でなく、行動をする』というのは、心情的には、私もそう思いますし、多分、私は、一般的な人より、ずっとそういうタイプです。でも、こうした状態は、全体的な問題で、何をすべきかわかりません。個人的に困った人に手を差し伸べれば良いという問題では無い気もするんです。
>コンプレックスは自分で克服するしか他に術はないですから。他を恨むだけでは、ずっと苦しんでいくしか仕方ありません。<
その通り。MICHIさんが、切り捨てるとか否定しているなんて、これっぽっちも思ってません。分らない事をグチャグチャ言ってると、MICHIさんが、かなり簡潔に言い表してくれるので、つい、言ってしまうんです。
他の体力ありそうな奴らですか?急いでる人や手助けが面倒な人は、もちろんシカトしてぱぱぱ〜っと脇を通り過ぎていきましたが、心配そうに立ち止まる人もいて、学生風(か浪人?)の兄ちゃんが、交替してくれました。ただ、階段の途中で交替するのは、すごく不安定で危険なので、確か、階段の幅が広くなった踊り場みたいなところで、学生風の男性2人と交替したように記憶してます。それが何か?
DERAさん
>それが、何か?
あら、反感かっちゃいました?これ以上の行き違いをしないために、私の考えをまとめます。
建物などの公共的設備の改善など、基本的に反対ではありません。でも、そこばかりが強調されており、実際に不特定多数の通り掛かりの手助けする人たちを育成できるのかという点について、あまり話や問題視されていないのは、おかしいと思っています。
人に親切にする、或は、手助けを申し出るというのは、慣れていないと出来ないし、子供の頃から親兄弟を含め周囲の人間がやっていることを真似するという、子供の頃からの学習がないと容易ではありません。そこを社会的に強制とかではなく、どう取り組むかが重要で、設備が改善されるほどに力を入れて取り組まねば、益々、人助けの仕方が分らない人々を増やすという結果を招くのではないかと考えています。
そして、そうした時間が長くなればなるほど、人の助けを必要とする人たちを邪魔者扱いする人達を多く作り出すのではないかと思うのです。要するに、これが言いたかったわけです。
別に反感ではありません。ルビィさんのおっしゃりたい事が、今ひとつ伝わってこないだけです。
手助けする人たちの育成に関して、問題視されていないと思われるなら、例えばHPを立ち上げて問題提起するなり、実家の回覧版(うちの田舎はまだあるけど、ルビィさんとこはあるかな?)に何か意見を書くなり、市町村の議会に陳情するなり、新聞の家庭欄や読者の声の欄に投稿するなり、地域のミニコミ誌に意見を発表して、同士を募るとか、地元の小学校のPTAに特別参加させてもらうとか(入間市では、ブラジル滞在のお母さんが、色々と意見を言っていました)MICHIさんにどんな行動ですかと聞くまでもなく、いくらでも行動の機会はあると思いますよ。
私は、日本はまだまだ捨てたもんじゃない、と思っています。
BBSの話題が福祉関係になってきましたね。昨年スウェーデンに旅行して感じたことを踏まえ、思うことを書き込んでみます。以前、旅行から帰ってきた時に書き込んだ内容と一部重複しますが。また幼稚な内容でしたら失礼します。
ガイドブックには、資本主義と社会主義の良いところを融合したような政策との記載がありました。さて、特にストックホルムとか周辺の都市内の主要な個所は、確かに車椅子でも動きやすく作られています。また、私は現地で詳しく調べなかったのですが、公共の施設では様々な障害者に対する配慮がされています。国として障害者対策に取り組んでいることは評価できます。
しかし、一方で私がこの国で触れ合った人々は、他の西洋の国の時と比べても、無表情的というか温かさをあまり感じませんでした。この国の物価は高く、約3分の1は税金とか。働いても税金で引かれる額が多く、働くほど損をするとかで、その分、障害者、失業者が楽するわけです。真面目に働く意欲を無くすという人もいるとの声もありました。確かに市民が助け合うという姿勢を感じ取る機会はありませんでした。人類にとり理想の社会システムを追求したところで、この結果でしょうか。初めは憧れていましたが、私はこういう国に生まれたいという考えをやめました。人間、公平でなくてもいいじゃないか。
文明・産業の発達とは、人間性を疎外していくものかもしれません。ルビィさんの「『優しい社会』という言葉に対応して、問題は、整備じゃないだろう…」ですが、今の社会はコミュニケーションの機会が減り、他人の気持ちを理解することの出来ない人が増えてきたみたいと感じます。そんな中でDERAさんが提案するようにいろいろなメディアに主張しても、真剣に理解してくれる人がどれだけいるのでしょう。初めから無駄だと言う気はありませんけど。でも、今の社会、自分のことで精一杯という人の方が多いような。
ルビィさん
>>自治体がやってくれたら人間は優しさを発揮できないものだと
>>決めつけてしまったら、それまでだと思います。
>決めつけてる訳じゃないんですが、そう見えるということなんです。
>MICHIさんには、そう見えないんですか?じゃあ、どう見えているんですか?
>その違いの方に興味あります。
もちろん、そう見えますよ。でもそれは現象であって人間はそれを克服できないことではない、という意味です。
>>不満があるのなら、自分が思うように行動を起こせばいいんですから。
>どんな行動でしょうか?皮肉でなく訊きたいのは、
>自分がボランティアのような事をすることですか?
>それとも個人的な小さな親切運動とか、或は、政治的団体を
>作るか入るかということでしょうかね。
日本人のモラルとか、親切のような問題については、正直言ってわたしはルビィさんよりも楽観視しています。ですので、
>設備が改善されるほどに力を入れて取り組まねば、益々、
>人助けの仕方が分らない人々を増やすという結果を招く
>のではないかと考えています。
というのはその通りだと思いますが、「人の助けを必要とする人たちを邪魔者扱いする人達を多く作り出す」とまでいくと、わたしにはルビィさんの杞憂に思えますね。でも具体的にどのように行動するか?と聞かれてよく考えてみました。
日本社会では、啓蒙活動というのがますます難しくなっていると思います。それはわたしたちが「自由」とか「権利」とか「義務」といった概念を手にしたからではないでしょうか。例えば階段で立ち往生している車椅子の人を見かけて、助けてあげようと思い、別の通り掛かりの人に声をかけるとします。「わたしがこっちを持ち上げるから、そっち側を持ってくれない?」と。心無い人ならそっけなくこう答えるでしょう。「おまえがその人を助けるのはおまえの『自由』だが、おれが助ける『義務』はない。」
さらにちょっと回り道をします。お付き合いください。
確か下のスレッドのほうで、「自立」と「自律」をごちゃまぜにして発言されている方がいましたが、わたしは「自立」と「自律」では意味が違うと思っています。「自立」は自分の足で立って歩くこと。転じて自分の責任において行動すること。でもこれは人によっては拡大解釈されがちですね。「自分で責任を負うんだから、何をしようと俺の勝手だろ」とうそぶく。こういう人は、法律を犯さなくても周りには迷惑をかけるものです。その程度では刑法に問われないことを知っていて、道端にごみを捨て、電車内で携帯電話を使い、禁煙場所でも平気で煙草を吸う。一人一人が「自由」や「自立」の意味を自分に都合よく拡大解釈して、社会として巨大な不協和音を奏でていく。その不協和音が限界を超えたとき、社会に網を張るべきだ、という意見も出てくるかもしれません。戦前の「修身」のような教育を徹底させようとか、駅に警察のような監視官を置いて、高齢者に席を譲らない若者には首に縄をかけてでも強制的に譲らせるとか。
確かずいぶん前にもこのBBSに書いた記憶がありますが、周りの迷惑を考えない「自由」/「自立」主義にも、社会全体に網を張って「正しい行い」を強制しようという発想にも、わたしは野蛮なものを感じます。わたしたちは理性を持つ人間です。わたしはこういった日本社会が抱えるジレンマを打破するのは、「自律性」だと思っています。
自律性というのは、自立がもう少し進歩したもの。自分の足で立って歩くのはもちろん、自分を律する(制御する)ということ。自分の足で立ちあがったときに隣の人の足を踏みそうだったら、立ちあがるのを控えたり、自由に歩き回るときに人の肩にぶつかるようだったら、立ち止まって道を譲る事が出来ることを言います。ちょっと想像力を働かせば、人間誰だって自分の行動が周りに迷惑を及ぼさないか、社会に悪影響を及ぼさないか、想像できるはずです。そういった想像力を働かせながら自分の責任において、自由に行動できる人が自律性のある人です。みんな普通にやってることで、ちっとも難しいことではないですよね。でも「自立」と「自律性」を分けて考えることが、とても重要なことだとわたしは思います。
わたしは、日本の社会というのは、まだ「自由」とか「個人主義」を手にしたばかりで、「自立」から「自律性」への過渡期の段階ではないかと思っています。いずれそのうち、拡大する自分勝手な「自立」志向は節度ある「自律性」へと収斂していくのだと思いますし、それしか道はないはずです。社会の安定という名の下に首に縄をかけられそうになる前に、日本人は個々が自律性に目覚め、それへの転換という賢明な選択をするだろうとわたしは信じています。
以上を背景にして考えるとき、小さな親切は自然と生まれるはずです。何も皆が一様に行動に移すと言うのではなく、少し相手の立場に立って考えられるような想像力を働かすことが出来れば、ずいぶんと社会は変わってくるはずだとわたしは思います。その意味で、Azusaさんがおっしゃった「個人主義を叫ぶ者は他者をおろそかにしてはいけない」という意見が大切なのではないでしょうか。
ではそのためにどのように行動するかというと、まさしくルビィさんがおっしゃっているように、子供に範を示す、というもので良いと思います。子供だけでなく、大人にも伝染していくと思いますよ。
わたしたちは「自由」とか「自分の生き方」というような概念を手にしてしまったわけですから、誰か一人が大声で叫んだところで、言うことを聞かない人のほうが多いもんだと思います。ルビィさんがおっしゃるように「社会的な強制」にはわたしも反対ですし、効力が薄いと思います。だから、地道に行動で示すしかないし、時間が掛かって当たり前だと思います。1000回の行動が一人に伝われば、その人がまた別の人に行動で伝えていくでしょう。ウルトラCのような手は思いつきません。
と、なんだか偉そうに言ったかもしれませんが、私自身の素行はというと、決して優等生ではないです。でも、以前にタバコのぽい捨ての話をしましたが、わたしは自分のどんなに小さな行動でも水面に波紋が広がるように、社会に影響を及ぼしているのだという事は、常に意識しているつもりです。席を譲ることも、目の不自由な人を誘導することも、ごみを道端に捨てることも、急いでいるときに信号を無視して渡ることも。
それとわたしは性善説に立つ人間です。おまけに生来楽観的でクヨクヨ考えない性格ですので(^^;、そういった背景もこういった考えを助長しているのだと思います。
それと一つひっかかったのですが、パキスタンの例を出されていますが、日本人はパキスタンの人の親切さを大いに学ぶべきだと思いますが、同じレベルにまでなるべきとおっしゃるのなら、ちょっと違うような気がします。日本とは社会背景が違うと思いますし。。。つまり、市場での違法駐車の話で言えば、日本なら携帯電話で警察を呼べば、5分以内に来てくれてレッカーを呼んでくれるかもしれません。パキスタンだったら、「警察なんか当てにならない、もし来ても賄賂を要求されるだけだ。」と市民に思われているのでは?それもあって余計にみんな協力的なのではないでしょうか(違ってたら失礼)。つまり、社会制度の成熟度合いと市民個々の親切とのトータルで判断すべきではないかという気がするんですよね。
ずいぶん長くなりました。せっかく書いたので、とばして読んだ人はもう一度きちんと読みなおしてください(^^;。
DERAさん
提案の行動は、否定しませんし、やっている方もいるでしょうし、草の根的運動も無意味だと思っていません。しかし、それだけで足りると思っていません。ですから、MICHさんが違った視点でものを見て、違った行動を考えているなら訊きたいと思ったのです。
考えうる行動を片っ端からやってみるというのは、十代の若い頃の私のやり方でした。その結果、少なくとも私は、こうしたやりかたでは、駄目だと思いました。いえ、この程度で満足できません。根本的問題は、何か?何処を解いていけば、つながるのか?そうした視点、或は、反論をこの場に求めています。
ですから、言い過ぎも多くなりがちです。『日本も捨てたもんじゃない』とDERAさんは、思っています。私は、かなりヤバイと思っています。これは、感じ方の違いです。ですから、ここから生じる違いについては、論議として噛合わないのでしょう。
小川さん
>人間、公平でなくてもいいじゃないか。
私もそう思います。と言うより、もともと公平でも平等でもないと思います。理想を現実化する過程は、人を惹きつけますが、ある程度の達成は、人間の個々の意欲や生きがいを削ぐ結果をもたらすのではないでしょうか。では、どんな社会を模索すべきなんでしょうね。
MICHIさん
ありがとうございます。MICHIさんの見方を伺いたかったのです。
>それと一つひっかかったのですが、パキスタンの例を出されていますが、日本人はパキスタンの人の親切さを大いに学ぶべきだと思いますが、同じレベルにまでなるべきとおっしゃるのなら、ちょっと違うような気がします。日本とは社会背景が違うと思いますし。。。<
やっぱりそう受け取られましたか。そう思ったんですが、日本の例を出すと長くなるので、パキスタンの例をだしました。
日本の例で言うと、神戸の震災の時の報道で、私は、随分感動していました。あの時ほど、日本人の高潔さを感じたことはありません。で、一気に飛び、結果MICHIさんと正反対のことを言うかもしれませんが、『人に迷惑をかけない』というのが、誤りです。あえて、言いきらせていただきます。
パキスタンは、いつでも非常事態みたいなもんです。もちろん、ご指摘の通り、警察は強盗と大差ないと一般人は思っている節があります。お互いの助け合いがなければ暮らしていけない人々は、助けることを考えもせずにやります。迷惑をかけずに生きていける人間なんていないでしょう。迷惑を受けてやるのが、親族友人知人というもんです。そして、迷惑を受けてあげれば、いずれは、自分の困難を命がけで助けに来る人もいるのです。
迷惑の掛合いは、人間関係そのものです。そして、迷惑の掛合いの究極は、助け合いであると思います。人間は1人で生きられない。では、迷惑をかけるなというのは、どだい無理な話です。
話がそれました?
小川さんへ、
別に私は、メディアに主張しろと提案した訳じゃありません。あくまで、個人レベルで行動可能な事の例を挙げただけです。
ルビィさんの意見にひっかかったのは、批判や意見は言う、MICHIさんにどうしたら良いのか聞く、でも本当に行動を起こす気があって、聞いているようには思えなかったからです。ルビィさんは、結局ただ議論がしたかっただけなのですね。だから、見解の相違が生じたのでしょう。
パキスタンは素晴らしい社会のようですね。でも、私は子供の頃、他人に迷惑をかけてはいけない、自分の事は自分で出来るようにしなさい、と躾られて、育ちました。そして、困っている人がいたら、助けなさい、とも教えられました。私は、私をそのように育てた両親に感謝しています。
ルビィさん
>では、どんな社会を模索すべきなんでしょうね。
私には分かりませんし、誰にも答えを出せない問題とも思えます。文明社会の発展とは、ついていけない人を置いてきぼりにする非情さを伴うものです。まあ、精神的には健全な社会が理想です。(答えになってますか?)
DERAさん
了解しました。メディアという表現が適切でなかったようでした。ただ、個人や市民団体レベルだけでの活動は何にしても限界があると思いますし、結局は何らかの公な媒体を通すことが必要かと思います。あと、議論だけの目的で掲示板に書き込むのは私は悪いこととは思いません。今後の活動の方針を模索していく上で議論は必要ですし、この掲示板を見ている他の人にも有意義な情報を与えることにつながることにもなります。私もずっと、これまで話題になった援助問題や環境問題でも、行動しないでここで議論、でした。
小川さんは、とても真面目な方ですね。皮肉ではなく、レスの付け方を読むと、そう思います。
掲示板で議論するのが悪いとは、私も思ってはいませんが?私自身、出来る事と出来ない事がありますし、もし、行動出来る人しか意見を言ってはいけない、なんて言わてたら、ふざけるんじゃねえ、と反発するでしょうし(笑)。小川さんは、私がルビィさんを責めている、と思われたのですね?以前、誰かも書いていたと思いますが、画面の向こうで、ムッとしながら書いているのか、微笑んで書いているのか、へへへっと思いながら書いているのか、画面上の文字から判断するのって、難しいですね。ちなみに私は今、会社が休みで暇を持て余し、わ〜い、レスだ、やったねと思いながら書いています。わくわく感が少しはにじみ出ていませんか?
>とても真面目な方ですね。レスの付け方を読むと、そう思います。
その言葉はMICHIさんに言ってください。
>わくわく感が少しはにじみ出ていませんか?
その逆で、貴方に何かあったのか、昨夜から気になっていました。
>会社が休みで暇を持て余し、わ〜い、レスだ、やったねと
>思いながら書いています。
お暇な時、そんな事を楽しんでないで、貴方も何か社会の役に立つ事でも考えてみたらどうです?
尚、こちらも今、わくわくしながらレスしてますので、あまり真に受けないで下さい。(不快でしたら削除しますので)
DERAさん
文面からにじみ出る私の不真面目さにムッときているという解釈で良いのでしょょうか?
真面目=本気ということであるならば、私は、かなりいつも真面目です。しかし、もの言いや、書き方がどなたかの不快感をかうというのは、残念ながら若き十代からの傾向でして、そこにDERAさんが反応しているのなら、半分は、私の責任です。
もし、DERAさんが特定の私の言いまわしに、何らかの悪意を感じているなら、そこを指摘していただいていいんですよ。
ここは、自分の考えを述べたり、人の意見を訊いたりし、時には、激しい激論をかわす場と思っています。そのことが、有形無形に、人の考えを創って行き、影響を与えます。
私自信としては、DERAさんが今回、何故、私の書き方について反感を持っているのか知りたいです。それが私の書き方や、どこかに散りばめられている悪意とかでしたら、指摘いただければ、訂正可能かもしれません。
小川さん
>まあ、精神的には健全な社会が理想です。(答えになってますか?)
資本主義の矛盾を解決するつもりの社会主義が、結局失敗したこと。高度な福祉社会を目指した国には、勤労意欲も生きる力も衰えるということになり、私も、この精神の健全な社会が良いと思います。それは、経済の発達と逆行する傾向があるような気がしています。
小川さん、いえいえ、削除しないで下さい。昨夜から気にして下さってたなんて、光栄です。って書くと、また皮肉って思われちゃうかしら?ところで、MICHIさんは「まじめな人」っていう以上に、「他者の感情を気遣う優しい人」というのが、私の認識です。ルビィさんは、どう思います?
私には、パキスタンを例に出して、だから日本はヤバイと思うといわれても、イマイチ理解できないです。パキスタンには、そういう社会にならざるを得なかった歴史的背景、地理的条件および周辺諸国との関係がある訳で、日本とは社会的背景も国民性も、気候風土も違いますよね。おっしゃる通り、パキスタンは人に迷惑をかけなければ生きていけない社会なのでしょう。でも、どうして日本の社会についても「人に迷惑をかけない」のは誤りだ、と言い切れるのか、そこをもう少し詳しく知りたいです。
それと、私は迷惑と手助けって、別のものだと思います。それとも、サイドブレーキを引いた車をどかせてくれたパキスタンの人達は、迷惑と思いながら、車を動かしたのでしょうか?多分、ルビィさんとは「人に迷惑をかけない」と言う場合の「迷惑」の概念が、違うだけなのかも知れないですね。
DERAさん
>ところで、MICHIさんは「まじめな人」っていう以上に、「他者の感情を気遣う優しい人」というのが、私の認識です。ルビィさんは、どう思います?<
そうですね。でも、私がMICHIさんに訊きたくなるのは、もつれかけた問題を解いてみせるのが上手いという点です。この場合、優しい人かどうかは、問題にしていません。
>私には、パキスタンを例に出して、だから日本はヤバイと思うといわれても、イマイチ理解できない
でも、これは、DERAさんも『日本は捨てたもんじゃない』と論証抜きで言ってますよね。そして、私は、ヤバイと思ったことを対応させて書いたわけです。
>でも、どうして日本の社会についても「人に迷惑をかけない」のは誤りだ、と言い切れるのか、そこをもう少し詳しく知りたいです。<
『迷惑をかけるな』のフレーズで、全てのことをとどこうりなく運ぼうとする社会が今の日本だと認識しています。
・年老いた両親が、子供に迷惑をかけまいと医療ケアー付きの老人ホームに入る。
・迷惑だと言って、飼っているペットを捨てさせようとする。
・糞が迷惑だからと、公園の鳩や猫などに餌をあげるなと言う。
・他のお客様の迷惑だからと携帯を使うなと言う。
・迷惑だから乗り物などで子供を騒がせるなという。
・時間がかかるから、小銭を用意してレジに並べという。
・急いでる人の迷惑だから、エスカレーターの左側に寄れという。
・通勤ラッシュ時間帯は、迷惑だから年より子供は乗るな的な対応をされる。
>それとも、サイドブレーキを引いた車をどかせてくれたパキスタンの人達は、迷惑と思いながら、車を動かしたのでしょうか?<
いいえ、当たり前の日常茶飯事の出来事に対処したにすぎません。良いことをしたという考えもないと思います。ただ、ありがとうと私が言うと、すごく嬉しそうに『ありがとうだって』と言っていました。こちらの人は、あまりありがとうを言いませんから、逆に嬉しがられたりしました。
>多分、ルビィさんとは「人に迷惑をかけない」と言う場合の「迷惑」の概念が、違うだけなのかも知れないですね。<
私の認識では、日本での迷惑というのは、上記で羅列したものが、その一部です。もっと大きな問題もありますが、取りあえずは、一般的に言われているものを書きました。DERAさんのいう迷惑というのは、どういうものですか?
後、感想になりますが、DERAさんは、私がパキスタンの社会が良くて、日本は駄目だといっていると受け取ったのでしょうか。私としては、そう言いたかったのではなく、全く違う社会から日本を見た時、今までそうだと思っていた事柄が、全く違って見えるということでした。
私は、パキスタンが好きです。でも、日本人的感覚で理解出来ないことは、山ほどありました。今もまだ、腹立つことは、たくさんあります。ですから、そこで、自分の感じ方自体も振り返るのです。さもなければ、パキスタン人のなかでノイローゼになるしかないからです。
日系企業などは、現地の人に日本的なやりかたを教育していきますよね。でも、私たちのように国際結婚をし、夫の親族民族と暮らすには、相手全員を日本的に教育するなんてことは、傲慢というより不可能です。ですから、自分が変りうるのか?どこまで、これを受け入れ、かつ、譲れないのは何かと確定していかねばならないのです。失敗した人達は、帰国するか病気になるか、夫の親族や民族の悪口を言いつづけるしかないのです。
ルビィさん
わたしの言葉が足りませんでした。「自律的に行動する」とは「人に迷惑をかけないように行動する」意味は含まれていますが、「人や社会には絶対に迷惑をかけない」の意味は含まれていません。どんなに想像力を働かせても、注意していても、結果的に迷惑をかけることはあるでしょうし、それに対してヒステリックに、もしくは冷酷に反応する社会は殺伐とした社会でしょう。しかし、『人に迷惑をかけない』というのが誤りとするのはかなりおおざっぱで、自己矛盾をはらんでいると思いますよ。困っている人を助けることを平気で拒絶する人だって、その行為自体が社会に迷惑をかけています。子供を連れた親がその現場に居合わせたら、子供の教育上好ましくないと考えるでしょう。これはルビィさんがそもそも問題提起されたことではないですか?
結局、モラルなき行動がもたらす迷惑と、モラルある行動が結果的にもたらす過失性の高い迷惑は分けて考えるべきではないでしょうか。その意味で人間の行動には誠実さが求められるのだと思います。「迷惑の掛合い」と同様に、「迷惑をかけないようにお互い注意して行動する」こと」も、他者の対する配慮を各人が持っているという意味では、人間関係そのものといえます。日本人は元々後者の方が得意でしょうね。人の眼を気にして行動したり、様々な機微を働かせて行動したり。そして問題が顕在化する前に各人が行動によってその芽を摘む行動が出来る社会はやっぱり、すばらしいとわたしは思います。ルビィさんが人間関係の喪失を懸念されているのでしたら、問題にすべきなのはむしろ、周りのことを考えずに自分勝手な振る舞いをし、たしなめられても開き直るような人ではないでしょうか。これこそ他者との交わりを拒否しているとわたしは思います。だからわたしはやっぱり「自分に厳しく、人に優しく」というのが基本なんじゃないかなあと思います。
それと神戸の震災の話が出ていますが、あの時は被害が大きすぎて警察・消防・自衛隊などを当てにして待っていられなかったんです。つまりパキスタンの日常である非常事態があのときは神戸にもあったのでしょう。わたしが日本人のモラルについてある程度楽観的なのは、あの時神戸でわたしもボランティア活動に参加していた経験もあると思います。
それと昨晩のわたしの投稿でも触れなかったんですが、今回の議論には日本社会の国際化という視点が抜けています。日本社会の国際化が今後更に進んで外国人居住者が増加すれば、同質的な国民性が継続維持されることを前提にしているわたしの楽観論は、全くの虚構と認めざるを得ません。パキスタンの人やタイの人がたくさん日本に居住することになれば、日本人とのモラルの衝突はあるのか、日本人のモラルは彼らの影響を受けてどのように変容していくのか、ルビィさんやDERAさんに話を聞いてみたいですね。
あれ?あたしって、いまいち上手く掲示板使えてないや。
すみません、なれないもので…。
気を取りなおして。みなさん、こんにちは〜。
なんか、最近忙しくって〜。
久々に書き込みしますね。
正直言うと、皆さんの反応が怖くて掲示板見るのが嫌だったってのもあるんですけどね。
でも、忙しかったのは本当です。
感情的になりすぎたと自分でも思いました。
やっぱり、きちんとした事を書くには何度も考えるのって大切ですね。
別にエッセイを書いているわけでは無いので良いかな〜、と思ったんですけどね。
それでも、この前の文章を書いている時の気持は一時的な気持ではなかったんですよ。
ただ、わたしは皮肉と言いますか、暗に批判をされるのが嫌だったのです。
言いたい事があるならはっきりと言って欲しいと思いまして。
ごみさんが暗にあたしを批判しているんだなぁ、と思った時嫌な気分になりましてた。
なんか、こう日本で学校に通っている時の事を思い出しました。
言いたい事をはっきりと言わずに、陰でこそこそと…とか、なんとな〜く皮肉を込めるとか、そう言う態度をとられる事が多かったので。
そういうのが嫌いなんです。
ごみさんの文章を読んだ時、わたしの気のせいかと思ったんですけど。
何回か読み返しました。
それでもやっぱりあたしのことだと思って、それで批判された事自体よりも、暗に批判された事に腹が立ったのです。
暗に人を批判すると言う事は、相手を批判した事自体よりも、相手に反論の余地を与えないと言う事で人を傷つけます。
それに、皮肉のように言われた事は素直に受け入れるのも難しいです。
正面から言ってもらえればこちらも素直に受け止められますし、反論のしようもあります。
ごみさんのなんとな〜くAZUSA批判をわたしはただ黙って聞き流すのが嫌だったので、どう反撃すればいいのかと考えて、ここは言いたいこと何でも言った方がいいと思ったのです。
ただ、やっぱりここって公共の場というか、個人の争いの場ではないので、やっぱちょっとまずかったですよね。
それに、ごみさんのみに宛てて書いていたので、確かに何を書いているのかよくわからない文章になってしまいました。
個人的に争うつもりはあまり無かったんですけど、結果的にただのごみさん攻撃になってしまいました。
すみません。
ごみさん批判をしてはいますけど、個人的にはあたしはごみさんの物言いは好きです。
ただ、あたしもそうなんですが、引き際がうまくつかないと言うか…。
あたしとごみさんとだと、この前MICHIさんにまとめていただたみたいに誰か纏め役がいないといつまでも議論が続いて、なんか子供のけんかみたいになってしまう…。
どうしたものか…。
みなさんにはもっとなんかめちゃくちゃ言われちゃうかと思って、もう掲示板来るのやめようかと思ったんですけど。
それでも皆さんフォローしてくださって、ありがとうございます。
また書き込みできます。
ごみさんはどうして私に対して悪意を持たれるのですか?
なにか意図してされている事なのか、ただたんになんかムカツクって感じなのでしょうか?
なんとなくはわかりますけどね。
言いたい事があればバシバシ言ってくださってけっこうです。
あたしにとってはごみさんの辛口は、こちらも言いたい事バシバシ言えてかえってやりやすいです。
普段だと悪者扱いされてしまうのですが、ここではどっちもどっちでやりやすいです。
なんとな〜く嫌だなぁと思われてて、それでもしかたなく付き合われるよりは正面きって批判されるほうがやりやすいし、その方が相手との距離が縮まって結果的には良いと思いますし。
あたしは毒にも薬にもならない人と事務的、表面的に付き合うよりは、毒でしかない人でも正々堂々渡り合う方が好きです。
ただ、皮肉的な言い方はやめてほしいです。
こちらの言いたい事が言えなくなります。
でも、ごみ、AZUSA対決(と言うか、なんだろう)は他のみなさんにはとばっちりですよね〜。
すみません。ひかえます。
もういっこ言いたい事があるのですが、長くなるので分けますね。
AZUSAさん、おかえりなさい。
削除キー、設定してる?私は最初、削除キーを入れていなかったので、後で自分の投稿が削除できなくて困ったことがありました。イメージと文字色を選ぶ真中に削除キーの欄があるので、そこで好きな英数字を入れておくと、2重投稿しちゃったときに削除できますよ。
書き込みした後、他人の反応が怖くて、掲示板にくるのが嫌ってのは、よく判ります。私も同じです。
露骨な個人攻撃に繋がらなければ、自分がどう感じているか、どう思ったか、自分の気持ちを述べるのは別に良いんじゃないですか?私はべつに、とばっちりとは思いません。
Azusaさん、批判されることは、否定されることと違いますよ。とはいえ、批判されることに慣れるのには、時間がかかるし、良き批判者に巡りあえることも重要だと思います。
又、議論は何の為にするのかと言えば、問題点を明らかにする、問題の是非を明確にする、自分の考えを深める、人を説得し賛同者を増やすなど、様々な側面があります。
批判を受けた時、それを自分に対する否定と考えるのは、誤りだと分りますよね。批判された側面から自分の考え方や行動を検証してみてください。それが重要だと思います。相手の批判を『的外れ』だとか『さまつな問題』とか言ってかたずけないで下さいね。
論議をしていて一番がっかりするのは、批判や疑問にたいして正面から回答せずに、物の例えなどですり抜けられる場合です。これをされると、もはやこの人は、賛同者以外の話を聞く耳を持たない人なんだと思わざる得ません。つまり、実質的な論議の放棄をされるわけです。
ですから、今回のように、ごみさんに意見に反応した自分の気持ちを書いた方が、ずっと分りやすいです。Azusaさんのような若い女性の元気な意見は、突つかれやすいのも事実です。それは、荒削りで、ある程度真面目に人生に向かい、Azusaさんより数年以上生きていれば、幾つもの穴や欠落を見つけうるのです。
それをMICHIさんのように、分りやすく、しかも、批判というより解釈のように話してくれる人は、そうそういないのです。私もMICHIさんのカキコによく触発されるし、自分が充分説明できないことを簡潔な表現で言ってくれるので、すごく助けられています。
男であれ女であれ、若かろうが年いってようが、物事に真摯に向かうことは、なかなか難しいものです。
そうそう、ちなみに、このカキコは、大体、40分くらいかかって書いています。文章その物よりも、言いたい事を充分に言えているか、矛盾は無いか、これで読み手に伝わるかなどに多くの時間をさきます。
私が Azusa さんにちょっかいを掛けるのは、Azusa さんの中に大きな矛盾を感じるからです。だから、どうやったら本音を聞けるのだろう、と思いながら色々と悪意まじりで話をしているのです。
Azusa さんは本当はデリケートで、日本的な考え方を根に持っている人のように思えます。それなのに、あたかも個人主義とかアメリカ的な考えを持っているように振る舞っていることが、どうにも私をそそらせます。
だから私は、表層の話し合いに何の意義も感じません。Azusa さんからすれば、いかに自分が個人主義などの考え方を深く取り入れているのかを議論で示したかったのでしょうが、私は全く興味がありません。
ついでですが、私も BBS とかで、他人の反応が恐かったという経験があります。このあたりを自ら吐露するのはさすがだと言っておきましょう。男は大抵強がるものですから。
矛盾ねぇ。
いっぱいありますよ。
>Azusa さんは本当はデリケートで、日本的な考え方を根に持っている人のように思えます。それなのに、あたかも個人主義とかアメリカ的な考えを持っているように振る舞っている<
「あたかも振舞っている」ではなくてそういう考え方を持っていますよ。
そして、「日本的な考え方を根に持って」います。
(これって「ネにもっている」じゃなくて「根底に持っている」って言うことですよね?)
あたしは物事を一面的に見たくないだけです。
日本的考え方を持っているからと言ってアメリカ的考え方を持てないと言う事は無いはずですし、その逆も同じです。
この世に矛盾の無い事なんてありますか?
どんな考え方でも突き詰めて行けばいつかは矛盾に突き当たるはずです。
わたしはいつも本音です。
自分の考えをひけらかすつもりはありません。
自分の思った事をそのまま書いているだけです。
でもあたしの本音はいっぱいあるんです。
それも似たような本音ばかりじゃなくて相反するものもあります。
だから矛盾を抱えることになるのです。
みなさん、書きこみする時ってどれぐらい時間を掛けて文章書かれるんですか?
特にMICHIさんの文章なんていつもすばらしくて。
方や、自分の文章はご指摘の通り何を言いたいのかよくわからない文章で…。
やっぱり、何回も書き直しとかされてるんですか?
あたしのような物言いにはやっぱり英語の方が向いているみたいです。
言いたい事を単刀直入に言うのが英語ですから。
日本語は読むのは好きですけど、文章を書くのは難しい…。
英語でEssayを書く事を習った時に初めて説得力のある文章の書き方を習いました。それが、上手く日本語の文章に反映できないのはあたしの能力の問題なんですけどね。
そういえば、義務教育で作文の授業が無いのってずっとあたりまえだと思ってたんですけど、先進国ではほとんど日本だけのようですね。
スピーチとか、作文とか自分を主張する方法をもっとちゃんと教育すれば良いのに。
集団を重んじる日本的価値観がそうさせるのでしょうね。
それを悪いとは言いませんけど、日本と言う国が経済的に強くなっても、実態が強くならない(うだつのあがらない国とでも言うんでしょうかね)のは意見の強さに欠けることと、主張するのが上手くないというのが大きな原因なんだと思います。
MICHI さんの文章ってそんなに素晴らしいですか。確かに言いたいことがはっきりしていて非常に分かりやすいのですが、内容が単純で私は特に面白味を感じません。私が素晴らしいと思うのは、つい思わず返信を付けたくなるような文章です。
文体を変えるというのはどうですか。だである調の直訳体にするのはどうでしょう。Azusa さんは語調が弱いので、こうしろああしろと注文を付けられるのだと思います。アドバイスを聞いた方がいいと思っているのでしょうが、私はむしろ開き直った方がいいと思います。
それから思ったのですが、日本語で書くのは難しいけど英語だとまだ書ける、というのは間違っていると思います。日本語で丁寧な文章を書くのは難しいのですが、ぶっきらぼうな文章なら簡単に書けます。
営業マンは、意見や主張するのがうまくなくては勤まらないものです。日本は世界にモノを売って経済的に強くなりました。いくら製品がいいとしても、売ることなくして強くはなりません。
Azusaさん、こんばんは。文章の書き方に付いてはそんなに神経質になることもないと思いますよ。もう、きっとお分かりだと思いますが、ここはそんなに敷居が高いところでもないですし(^^;。読み手のほうも理解しようと努めています。
自分の発言に対する他の人のレスなんかを読んでみて、自分の意図した論点に反応していなかったり、間違って解釈されていたり、というようなことがあると、「こういう書き方はまずかったかなー」と反省するうちに、文章自体も自然とこなれてくるんじゃないでしょうか。特にここのように込み入った話が多くなると、誤解は日常茶飯ですので、気楽にいきましょう。それにわたしは個人的に、Azusaさんの話し言葉をそのまま文章化したようなスタイルは、新鮮に感じていますよ。
それと、掲示板のようなメディアでは、詰め将棋のような議論の仕方はなかなか難しいですね。みんなそれほど根気があるわけじゃないですし(^^;。ある程度指したい手を指してみて、どちらが優勢かは読んでる人が判断するだろうくらいのスタンスの方が楽だと思います。
ところで、英語で文章をまとめるのと日本語で文章をまとめるのってどのように違うのでしょう?
ごみさん
>ところで意地悪とか悪意って個人主義ではどのように位置づけられるんでしょう。
感情のひとつなので、故意に相手に危害(精神的なものも含む)を与えなければ、どうってことないのだと思います。それに、意地悪とか悪意って相手との関係から生じるもので、それそのものは、関係の一種じゃないでしょうか。ですから、関係から生じる自然な、しかし、一般的には、悪いものとされる気持ち。辞書のような回答になってしまった。
私個人としては、どうでもいいと無視されるより、悪意を持たれる方を好みます。
>冷酷な現実は人を引き付ける魅力にあふれています。
う〜ん、何か、誰か有名な人のお言葉のような感じがしますね。つい、そうかもしれないと思ってしまいそう。
ごみさんがそう思う具体的な例を、是非、1例でいいですから知りたいですね。『冷酷な現実』のどん底にいる人は、きっとそんな事も思わないでしょう。まあ、冷酷という表現自体、有る意味ではごみさんのい主観でしかないでしょう。ごみさんの言う冷酷は、別の人の日常でしかないかもしれないし。
あれ、MICHIさんの書き込みがあったんですね。
>美は限られた人にしか与えられない不条理なものです
そうでしょうか?美の基準は、時代で大きく変りますし、基本的に個人的なものじゃないでしょうか。もちろん、端正な顔立ちの美しさはありますが、それを必ずしも美しいと思うかというとそうではないでしょう。しかも、現代に至っては、美容整形もありますので、案外、個性を獲得するより、美の獲得の方が簡単だったりして。お金は、かかるでしょうけどね。(-.-)
>強い個性に傷つけられるのは、強い個性の存在そのものが罪作りなためではなく、きっと受け止める側の自我が未発達なのでしょう。<
罪という問題で言えば、どちらにも罪は無いですよね。自我の未発達は、個人の責任じゃないと思います。そして、傷つけられるということが、必ずしも悪いことだと言えないと私は思います。だからと言って、良いことだなんて言う気もありません。
自我の発達過程には、傷つけあうことは避けられない。これなくしては、発達も個性も無いといいきっちゃいましょうかね。
ごみさんの意見に関しては、かなり分らないことが多いんですけれど、ご本人が議論するつもりがないので、あんまし説明してくれないからですが、今回の件では、私なりに分りやすいと思っています。あ?違う場合は、何か言いますよね。
ルビィさん、おはようございます。日本とパキスタンの時差は7〜8時間でしたっけ?
>罪という問題で言えば、どちらにも罪は無いですよね。
>自我の未発達は、個人の責任じゃないと思います。
>そして、傷つけられるということが、必ずしも悪いことだと
>言えないと私は思います。
そうですね。でも、傷つく原因が人の個性にあり、かといってその人にはないというような妙な理屈で、わざわざ自省する機会から逃れるのももったいない話だと思うんですよね。
通常は思春期に友達や親、社会との距離感を測り損ね、反発し、相克を繰り返しながら自我を育てて行く。そして個人主義のような「個人」を肯定するような考え方に出会う、というストーリーを辿るのだと思います。まあ、皆同じような道を辿ると言う時点ですでに没個性的なんですけど。
でも「自立」なんて言葉にナイーヴな反応を見せる人を見ると、今の若い人は大事に育てられすぎているのかなあ、と感じることがありますね。だからといって、学校教育に体罰を導入すべきとか、子供の人権なんて認めるな、なんて言う気はありませんけど。優しい社会は良い社会だと思いますが、新たなひずみも生むでしょうし、積極的に考えるようにしたいですね。
いまどきの子供のだらしなさについて話すとき、「子供たちはもっと自立しなければならない」で話を終わらせることができます。でも私はそれで終わりにしたくないので、込み入った言い方をしなければなりません。
私の好きな冷酷な現実とは、たとえば自分がどんなに愛しても相手が自分を愛してくれない、という分かりやすいものから、ギロチンとか飢餓とか拷問器具とかレイプから逃れられない人たちのことなんかを言います。一言で言えば「悲劇」が好きというだけです。
人は傷つき傷つけあうもので、だから現実世界に魅力を感じるのでしょう。子供が傷つかないように大人が配慮するのは、現実の魅力をなくしてしまうことです。
周りに目を向けていれば明らかなことですが、世の中には全く魅力のない人もいます。たぶんどんなにその人の中で努力をしてもどうにもならない、あるいはよっぽど努力してようやく小さな個性を獲得できるにすぎないのです。また、どんなに自省しても、あるいは自省するほど、まともに成長することができない人は沢山います。世の中はこの現実を覆い隠しています。
勝者だけが、さも当然のように自分の個性や自我を見せつけ、こうするべきだと誇ります。すると私は、そんなくだらない世界に生きている、という現実に酔いしれたくなります。
MICHIさん
パキスタンと日本の時差は、4時間です。日本で夜中の12時の時、パキスタンは8時です。そして、夕食は、どうしょうと相談する頃でしょうか。カラチ市民の夕食タイムは、夜の9時過ぎです。10時頃が、レストランが一番混んでる気がします。
>優しい社会は良い社会だと思いますが、新たなひずみも生むでしょうし、積極的に考えるようにしたいですね。<
今回は、ここに反応してみます。優しい社会という言葉を日本で何度か聞きましたが、これってどんな社会なんでしょうね?例えば、駅では、子連れの母親が、お年寄りが体に障害の有る人が、常に使えるリフト
などが有るとか、道などに段差が無いとか…。
近頃、この日本で言われている(主に、団体などが)優しさって、社会整備と個として生きろという、有る意味で周囲に対して無関心になるようにしむけられてる気がします。
ごみさん
>私の好きな冷酷な現実とは、たとえば自分がどんなに愛しても相手が自分を愛してくれない、という分かりやすいものから〜<
>一言で言えば「悲劇」が好きというだけです。<
悲劇は好きじゃありませんが、このへん、分ってしまう私って何?って感じです。
>人は傷つき傷つけあうもので、だから現実世界に魅力を感じるのでしょう。子供が傷つかないように大人が配慮するのは、現実の魅力をなくしてしまうことです。<
これは、まったく賛成です。但し、故意に傷つけるという点を排除したい気持ちはあります。苛めなどの問題で、苛める側にもちろん非があるのですが、その苛める側も傷つけられており、それが、他者に対する攻撃となっているという点。でも、この点を認めたくないなぁと思っているのです。、
>また、どんなに自省しても、あるいは自省するほど、まともに成長することができない人は沢山います。<
MICHIさん、この部分は、ごみさんが、MICHIさんの自省という点について、反論しているのだと思いますが、私もこの部分は、そうだと思います。
私も何人も自省的な友人知人を見てきました。でも、自省しすぎるというか、そういう人は、はまった問題から抜け出せないのです。前に進めない。別に進まなくても良いのですが、本人は苦しいでしょうし、私のような周囲は、付き合いきれない。
>勝者だけが、さも当然のように自分の個性や自我を見せつけ、こうするべきだと誇ります。すると私は、そんなくだらない世界に生きている、という現実に酔いしれたくなります。<
これをごみさんの本心として受け取らせてもらいます。今回は、へそ曲がりのごみさんという表現を撤回します。自分の中で、今までのごみさんの発言や態度?がつながりました。感じたことを書きたい気がしますが、やめておきます。そういう世界を持った人がいるのも、また、楽しいかもしれない。
私がこの世を美しいと思うのは、善と悪のコントラストがあるからです。まるで、絵画のように綺麗です。悪を感じる事はできるのもどこかで善を感じた経験がないと、悪は感じられないと思う。
私はこの世には勝者ないないと思う。敗者もいないと思う。だって、価値観を変えればどんどん判断も変わる。たとえば、金持ち、物事を主張できる人、自分のしたい事をしている人、美人、、、とかが勝者なんだろうか? 戦争や、病気で若くして死ぬひとと、長生きする人のどちらが勝者なんだろうか?
個性もひとはみんな持っているはず。私は物事をはっきり言う、積極的な性格で、日本語の表現をつかうと”派手”かも。その反対で、消極的で物事をもじもじしかいわない人は、”地味”かも? その派手な個性は地味な個性に翻弄されます。ほんといらいらするからです。しまいには地味な個性にまけて、その場をたちさる事もあります。逆に派手は地味を圧倒する事もある。どちらの個性が強いか?私はどちらでも無いと思う。
どんな人もすべての人に個性は生まれた時からあるんだと思う。
誰がなんと言おうと自分のすきなもの、嫌なものを自覚する事は個性なんじゃないのかなあ?
でも、日本は長いものにまかれるということばが
あるように、”世間の常識”に個性は翻弄されて、破壊される事はあるかも。どうでっしょね?
●ルビィさん
・優しい社会
>有る意味で周囲に対して無関心に
>なるようにしむけられてる気がします。
それはそれで新たな問題として取り組めば良いのではないでしょうか。まさか今あるリフトを全て取り外してスロープも段差に変えるべき、とはいいませんよね?
・自省
自省についての一般論を述べているわけではありません。個性の捉え方について述べているのです。別の卑近な例を出すと、「自分は美人ではない」と思い悩む女性が、美人と思える女性に向かって「あなたが悪いわけではないけど、あなたの美貌はわたしを傷つけている。」と言い放つとき、ルビィさんならきっとこう答えるでしょう。
>美の基準は、時代で大きく変りますし、
>基本的に個人的なものじゃないでしょうか。
人それぞれ内面に持つ美の基準は違うものだし、傷つくのはむしろ自分の内面にあるコンプレックスが大きく影響していると自覚することも大切ではないでしょうか。そういった自省なしに「美貌というのは人を傷つける性質を持っているものだ」という捉え方で、思考をストップさせて良いのでしょうか。
ちなみに誰でもコンプレックスの一つや二つ有りますよね。
学歴が低いことに思い悩む人は、高学歴の人に向かって「あなたが悪いわけではないけど、あなたの高学歴はわたしを傷つけている」
運動神経が鈍いことに思い悩む人は、運動神経が良い人に向かって「あなたが悪いわけではないけど、あなたの運動神経の良さはわたしを傷つけている」
貧乏なことに思い悩む人は、裕福な人に向かって「あなたが悪いわけではないけど、あなたの裕福さはわたしを傷つけている」
ちょっとくどいですが(^^;、世間の人はみんなそうやって自分の周りを恨みながら生きているでしょうか。個性も同じだと思います。というか自分の個性は獲得するものではなく、自分を肯定するところから見い出されるものだと思いますが。その意味で自我の健全な発達が欠かせないのだと思います。
>感じたことを書きたい気がしますが、やめておきます。
ルビィさんが感じたことと、わたしが気づいたことは同じかもしれませんね。わたしは前回ちょっと書き過ぎました。
ももさん
私もそう思います。個性は、誰にでもある。無自覚な人と自覚した人の差は、大きいですが。
しかし、勝者と敗者は、厳然として存在します。ももさんが言うように、観点を変えれば、無いとも言えますが、ほとんどの人々が社会の価値基準に縛られているので、やはり、あるという判断を私はします。
>でも、日本は長いものにまかれるということばがあるように、”世間の常識”に個性は翻弄されて、破壊される事はあるかも。どうでっしょね?<
う〜ん、破壊されてゆがめられても、個性は個性でしょうね。社会常識と無縁な個性なんてありませんから、多かれ少なかれ影響を受けゆがめられたりしているものでしょう。
MICHIさん
>まさか今あるリフトを全て取り外してスロープも段差に変えるべき、とはいいませんよね?<
もちろんです。でも、もっとスロープを多くするより、リフトを増やすより、周囲の人間が手伝えば済むことです。そして、そのことの方が、実は、難しいのかもしれません。
昨年、我が家にホームスティした大学院の彼女は、足が悪くて杖を使っていたんです。彼女が言ってたのは、大学の学食でご飯を食べられないということでした。片手で杖をつくとラーメンなどの乗ったトレイが持てないそうです。そして、誰も手伝ってくれないし、自分も手伝ってもらおうと思わなかったと。でも、カラチに来ての2週間で『他人に甘えても良いんだ、それってすごく楽しくて気分がよかった』そうです。
何故、彼女は、必死で自立と言う名の孤軍奮闘を強いられるのか?精神の自立と肉体の自立とは、まったく別ものです。
スロープやリフトは、誰もが自分の好きな時に1人で出かけられる為のものでしょうか?それとも、手助けしてくれる人がいない、或は、手助けさせるという『迷惑』を他者にかけさせないためでしょうか?
私は、今は、後者に比重が移っていると思います。それを『優しい社会』の例にされると、その団体の描いている薄ら寒い社会が見えてしまい、へっ!とか言いたくなっちゃうんですよ。ですが、MICHIさんの言っていることがそうだと思ってる訳ではありません。
>ちなみに誰でもコンプレックスの一つや二つ有りますよね。<
もちろんです。コンプレックスの無い人間、或は、かつて1度も持った事が無い人間が、もし存在したら、実につまらない人間でしょうね。コンプレックスは、原動力ですから。人の気持ちを理解できるようになるのも、自分のコンプレックスへの掘り下げ如何によるのだと思います。
>自分の個性は獲得するものではなく、自分を肯定するところから見い出されるものだと思いますが。その意味で自我の健全な発達が欠かせないのだと思います。<
基本的には、まったく賛成です。ただ、『健全な自我』というものが、いえ、『不健全な自我』がどういうものなのかは、漠然としています。ももさんの言うように、観点を変えていくと、善も悪も、健全も不健全も実際両方あって良いのではなかろうかと思います。
私が一番注意したいのは、善の名の元に悪と言われるものを切り捨てれば良いという考え、或は、不健全という烙印を押すことでそれらの人々をあたかも存在自体を否定するような考えです。
>スロープやリフトは、誰もが自分の好きな時に1人で出かけられる為のものでしょうか?
いえいえ、スロープやリフトがあれば、介護する側にとっても、とても助かります。重い車椅子を担いで、駅の階段の登り降りをするのは、しんどいですよ。私は、駅員さんと一緒に、手伝った事があります。20代の頃でしたが、息が切れました。スロープが増えて、あのお母様も、ほっとされたんじゃないでしょうか。スロープやリフトって、付き添いや介護の人たちの負担を軽くするという側面があると思っていました。だから、ルビィさんの意見を読んで、そんな風に考える人もいたんだなあ、と。同じ事象でも受け止め方は人それぞれなんだ、と改めて思いました。
●ルビィさん
>もちろんです。でも、もっとスロープを多くするより、
>リフトを増やすより、周囲の人間が手伝えば済むことです。
>そして、そのことの方が、実は、難しいのかもしれません。
うーん、ここはちょっと意見が違いそうなので、わたしの意見を述べてみたいと思います。
バリアフリー社会の実現を目指して、国や自治体が様々な取り組みをすると、市民は「国や自治体がやってくれるんだから、自分達は何もしなくていいんだろう」と考える。これは情けない話ですが、結局、市民感覚がまだ成熟していないんだと思います。国や自治体による施策は最大公約数的なもので、実際細かな対応は出来ないでしょうし、その辺は個々人が常識ある行動をすべきなんですが。。。例えば入念に設計されたはずのスロープでも、たまたまその日体調が悪ければ、車椅子利用者にとっても勾配がきつくて登りにくいときもあるでしょう。それは、その場に居合わせた周りの人がちょっと手を貸してあげればいいのですが、それができていないからといって、スロープそのものや、それらの充実を訴える人達を批判するのは、ちょっと後ろ向きの姿勢だと思います。自治体の施策が万能ではないことをわたしたちは自覚すべきだし、個々人がそれを補完すべく行動できるよう意識を高めるべきであって、それは絶対に不可能なことではないと思いますよ。自治体がやってくれたら人間は優しさを発揮できないものだと決めつけてしまったら、それまでだと思います。
ちなみにわたしがよく利用する私鉄では、数年前に大半の駅にリフトやスロープを設置するとともに、シルバーシートを廃止しました。高齢化社会に突入するとともに、ハンディキャップのある人、身重な人などが電車を利用しやすい環境を整えようと考えれば、場所を区切ったシルバーシートだけでは現実的に対応できないと判断したのでしょう。以前のシルバーシートは廃止されましたが、反対に言えば電車内のシートは基本的に全てシルバーシートとも言えるわけで、乗客個々に「人間として当たり前の判断と行動」を求めているんですね。
それとルビィさんの言う「団体」が任意の市民団体を指しているのでしたら、彼らがよほど「日本社会を駄目にしてやろう」という邪な目的で活動しているのでない限り、少なくともわたしには彼らの不備を批判する資格はないと思っています。不満があるのなら、自分が思うように行動を起こせばいいんですから。
>私が一番注意したいのは、善の名の元に悪と言われるものを
>切り捨てれば良いという考え、或は、不健全という烙印を押すことで
>それらの人々をあたかも存在自体を否定するような考えです。
わたしはそのようには言っていません。でもそういった他律的な人が、例えばティーンエイジャーなら心配はしませんが、立派な成人であれば、同情しますね。コンプレックスは自分で克服するしか他に術はないですから。他を恨むだけでは、ずっと苦しんでいくしか仕方ありません。