!!!胎児心拍変動のdetrended fluctuation analysisによる胎児well-beingの評価                                  (室月 淳 2017年7月10日) この論文は2003年に書かれたものです.胎児心拍数変動のDFA解析をおこなったものです. !!1. はじめに !1.1. 従来からの胎児心拍数モニタリングの限界 胎児心拍数モニタリングが分娩中の胎児のスクリーニングに有用であることは広く認められており,その臨床導入の前後を比較すると周産期死亡率は大きな改善を示した(1).胎児asphyxiaの状態では90%以上の確率で何らかの異常心拍パターンが出現してくるとされる.しかし異常心拍パターンは胎児asphyxiaの予知という点では価値は低く,異常パターンを示しながらもasphyxiaでない,いわゆるfalse positiveが多くの例で認められる.したがって胎児心拍数モニタリングのみでは不必要な産科的介入の誘因となることがあり,結果として帝王切開率の上昇が起きている.にもかかわらず,出生児の中枢神経系障害,特に脳性麻揮の頻度はあまり減少していないことが明らかにされた(2)(3). 分娩開始以前にすでに脳損傷をもつ胎児があることはよく知られている.Bejarら(4)は127例の未熟児に頭部超音波検査を行い,29例(23%)に神経学的障害を認め,特に13例(10%)は胎児期にすでに損傷が起こっていたと推定した.胎児期にすでに神経学的障害が成立していたとすると,陣痛というストレスに曝された胎児は容易に異常な心拍パターンを呈することが予想される.その段階で帝王切開の介入を行っても児の神経学的予後を改善することはできないだろう. 出生前にすでに神経学的障害をもつこのような胎児を,陣痛開始前の胎児心拍数モニタリングで判別することは現在のところきわめて難しい.Non-stress test(NST)単独で胎児well-beingの評価を行うことは,その感度の低さのため限界がある.すなわち人工的なス トレスを胎児に加えるcontraction stress test(CST)やvibroacoustic stimulation testが試みられたり,biophysical profileや超音波ドプラ計測が併用されることになるが,それでも充分とは言い難い.本研究は胎児心拍数モニタリングにおいて,心拍細変動,一過性頻脈,一過性徐脈といった従来の評価基準とはまったく視点の異なった,数学的に新しい評価 法の噂入を目的としたものである.特に陣痛開始以前のchronicな状態における胎児のwell-being評価を目標として検討を加えた. !1.2. 胎児心拍変動の「自己相似性」 ある図形の一部分を取り出して適当な倍率で拡大したとき,もとの図形とまったく同じ形が得られることを「自己相似」という.すなわち「自己相似性」とは部分と全体が同じ構造をもつことを意味し,川や雲,樹木など自然界に一般に現れる形としてなじみ深いものである.地図でみる海岸線なども自己相似性曲線として有名であり,その一部を拡大するともとの曲線に近い形になっている.もちろんもとの曲線に完全に一致するわけではなく,厳密に規則的な同一性をもつとはいえないが,同じようなパターンを示しているときには「統計的に」自己相似であると表現する.この自己相似性,すなわち尺度や大きさの変化といったスケーリングに対する不変性は,生物における基本的属性でもあることが確認されており,生体現象を理解するひとつの鍵として近年注目されている. 胎児心拍数は主に自律神経の影響により一拍ごとに複雑な変動を示す.この拍動間隔の変動には緩やか変化する成分もあれば,細かにすばやく変化する成分もある.自己相似性の概念は上に述べた生体における形だけではなく,心拍変動のような複雑な時系列データにも認めることができる.心拍変動をcardiotachogramの形で表してみた場合,一見複雑なその変化にもいくつかのスケーリングで自己相似をみてとることが可能である.Goldberger(5)が成人の心拍変動の自己相似性を説明するために使ったシェーマに倣って,胎児心拍間隔変動を3つの異なったスケールの時間で図示したものが図lである.300分,30分,3分の時間尺度で並べられた正常胎児の心拍間隔変動は,いずれも海岸線や山稜を連想させる不規則で変化の多いパターンを示し,一見みただけでは区別することが離しい.こういった統計的に自己相似性を示す生体のゆらぎには,心拍変動以外にも血圧(6)や呼吸様運動(7)の変動,歩行の動揺(8)など多くが知られている. あるゆらいでいる信号f(t) が統計的に自己相似であるならば,f(t) をある時間尺度τでみた統計量F(τ)には        F(τ) ∝ τα の関係が成り立つ.この関係をスケーリング則あるいはパワー則という.このとき指数αは自己相似性を特徴づける数である.逆にある時系列データのゆらぎを,自己相似性という性質に着目して指数αで定量的に表現することが可能となる.時系列データにおける指 数αを求める方法を一般にスケーリング解析という. {{ref_image 図1.jpg}} !1.3. フーリエ変換によるスケーリング解析 一般に時系列データの変動を統計的にみるにはフーリエ解析の手法が有用である.フーリエ解析は信号をさまざまな周波数νの波に分解して表現するので,フーリエ解析によって得られたパワースペクトルは,それぞれの周期τ(τ=1/ν)の時間尺度で信号をみた統計量をプロットしたものにほかならない.τの大きさをいろいろと変えて部分と全体を比較できるという意味で,フーリエ解析はスケーリング解析の一種といえる. Kobayashi(9)らは,ヒト成人の心拍変動を長時間測定し,高速フーリエ変換(fast Fourier transformation; FFT )を行ってそのスペクトルを両対数軸に表示したところ,対数パワースペクトルが対数周波数に反比例し,いわゆる「1/f ゆらぎ」であることを明らかにした.こういったベき型のスベクトル構造をもつゆらぎを,一般的にl/fβ ゆらぎと定義される.べきの型でスケールされるということは,周波数構造が自己相似性を有するという意味であり,べき数βは自己相似性を特:徴づける数である.このときβは,FFTにより両対数にプロットされたパワースペクトルの傾きに−lをかけた値として求められる(図2). 成人の心拍変動のl/fβ ゆらぎに関しては,加齢とともにβの値が1より大きくなること(10)や,ストレス下や心臓病でも同じ傾向がみられるという報告(11)があり,近年非常に注目されている.胎児領域でもいくつかの報告(12)(13)(14)があり,胎児心拍変動においてもβがlに近い1/f ゆらぎを示すことが明らかにされているが,胎齢によるβの値の発達や病的状態における変化についての一致した見解はまだ出ていない. そもそも心拍変動をフーリエ解析にするには問題があるとされる.同じような状態にある成人の心拍変動をフーリエ解析しても,1/f ゆらぎが検出されたり検出されなかったりすることがある.しかも1/f ゆらぎが検出されても,それが物理系でみられるような厳密な1/fゆらぎかどうか疑わしいことも多い.これは心拍変動に代表される生理的データが定常的でないことが多いからである.時系列の定常性とは平均値,相関関数などの統計量が測定時刻によらず一定であるという性質を意味する.正弦波は線形系の固有関数であり,フーリエ解析は定常性と線形性を仮定しているため,生体信号のような非定常で非線形なデータの解析には有効でない場合も多い. {{ref_image 図2.jpg}} !1.4. Detrended fluctuation analysis(DFA)について 非定常な信号には非常にゆっくりと変化する成分,いわゆるトレンドが含まれる.このトレンドを除去してスケーリングを調べるdetrended fluctuation analysis (DFA) が最近報告された(15).DFAは心拍数変動などのきわめて非定常的な生理学的データのアーチファクトからくる見かけ上の相関性を除外でき,より安定なスケーリング指数の推定を可能とする方法である. DFAの計算方法は以下のとおりである. (a) 心拍RR間隔データを,B (i) (データ数N)と表す.B (i)を積分し,新しい時系列データ {{ref_image 式1.jpg}} を作成する(ただし,B(i) はRR間隔時系列の平均値である). (b) (1)で作成した時系列y(k) を長さnのboxに分割し,各々のboxにおいて最小2乗法により近似直線(トレンド) yn(k) を求め差引く. (c) 次式で表されるF(n) を計算することにより,boxの大きさnにおけるゆらぎを求める. {{ref_image 式2.jpg}} 一般的に,boxのサイズnを大きくするとともにF(n) は増加する.もしF(n) を両対数表示することによって線形関係を得ることができれば,時系列B(i) にスケーリング則(自己相似性)が存在することを意味する.すなわち         F( n)〜nα の関係がある.時系列B(i) は,このスケーリング指数αによって特徴づけられる. 近年,DFAはさまざまな生体時系列データの解析に応用され,成功をおさめている解析手法である88)(15)(17).時系列の相関特性を求めるために従来より使われてきたFFTなとにに比べ,DFAはlocal trendを取り去ることができる分だけ,より安定な次元推定が可能な解析手法であるといわれている.DFAを用いた胎児心拍数変動についての報告は過去にひとつだけあり,Yumら(18)はスケーリング指数αが正常胎児と発育遅延胎児で有意に異なることを報告しているが,胎齢によるαの正常値の変化など基本的なことについてはいまだ不明である. 本研究の一つめの目的は,胎児心拍変動の時系列の自己相似性に着目して,DFAにより求められるスケーリング指数αが妊娠の進行とともにどのように変化するかを確かめることである.また子宮内胎児発育遅延(IUGR)は周産期死亡や神経学的後遺症と密接に関係しているが,通常の胎児心拍数モニタリングにおける指標では,こういった異常な状態にある胎児を完全に明らかにするのには成功していない.そこでスケーリング指数αがIUGR児と正常児で異なるか,そして胎児well-being評価に応用できないかを確かめることを二つめの目的とした.   !!2. 対象と方法 !2.1. 対象 2002年11月より2003年4月までの半年間に,妊娠24週以降の合併症をもたない正常妊婦44例と,妊娠36〜40週で子宮内胎児発育遅延が疑われ,出生後にそれが確認された妊婦20例を解析の対象とした.全例単胎妊娠であり,胎児は発育遅延のほかには先天奇形,染色体異常などの異常はなかった.また子宮収縮抑制剤など胎児の循環系に影響を与える可能性のある薬剤を投与されている妊婦は対象より除外した.出生時体重を後から評価して,基準曲線(19)より10パーセンタイル以下をIUGR(intrauterine growth restriction)と定義した.妊娠24〜27週(7例),28〜31週(9例),32〜35週(10例),36〜39週(18例)の正常胎児群と,妊娠36〜39週のIUGR群(20例)に分けて解析を行った. !2.2. データの記録と解析 午前10時から正午までの時間帯に,妊婦を安静仰臥位または軽度のセミファーラー体位の姿勢にして,1時間,胎児心拍として約9000ポイントの記録を行った.分娩監視装置はCorometrics 116 (アトムメデイカル,東京)を用い,A/D変換ボード(ADN-I400,カノープス,神戸)を接続したパーソナルコンピュータ(PC・9801 NS/ A,NEC,東京)を用いて1,000 Hzでサンプリングを行った.記録された心拍時系列データは目視によりノイズを削除し,3%以上にノイズがあった例は対象から除いた.Off-lineにてDFAによる解析を 行った.DFAはモノ・マルチフラクタル解析プログラム(コンビュータコンビニエンス)を用いて計算を行った. ほとんどの胎児心拍間隔時系列データにおいて,両対数表示グラフ上で完全な線形関係ではなく,およそ100心拍のところに屈曲点(crossover point)があり,2つの異なった傾きの相関直線に分かれた(18)(図3左).すなわち胎児心拍の相関には,短期スケーリング指数(100心拍以下,short-range scaling exponent; α1)と長期スケーリング指数(100心拍以上,long-range scaling exponent; α2)の2つが存在した.クロスオーバー指数(crossover index)をα2/α1と定義し,さらにα2/α1.>1のときを逆クロスオーバー現象(inverse crossover phenomenon)と名付けた.IUGR群,コントロール群の心拍間隔の平均,標準備差,スケーリング指数(α),短期スケーリング指数(α1),長期スケーリング指数(α2),クロスオーバー指数(α2/α1)のそれぞれについてunpaired t-testを用いて有意差検定を行い,p