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最近みた映画・フィルム

最近みた動画・フィルム

 映画「サヨナラ COLOR」(監督 竹中直人、主演 原田知世、竹中直人) - 2016年5月12日(木)

独身中年のさえない医者・佐々木正平(竹中直人).病棟で看護師のお尻をさわるは,女子高生と援交するは,飲み屋のママが愛人だはで,メチャクチャな私生活をおくっていますが,心の中には実は20年以上も一途に思い続けている高校の同級生・笈川未知子(原田知世)がいました.3年間同じクラスであったのに,高校時代はひとことも言葉をかけられなかった正平でした.

そんな正平のところに未知子が子宮ガンで入院してきます. 正平にとっては信じられない奇跡のようなできごとでした.毎日の回診のたびに未知子にこう問いかけます. 「僕のこと、思い出してくれましたか…?」

20数年思い続けた未知子は,しかし,正平のことをまったく覚えていなかったのです.くりかえし何度も思い出させようとする正平のしつこさに,はじめのうちこそ不機嫌になって口もきかなかった未知子でしたが,次第に心を開きそして惹かれるようになっていきます.

未知子の子宮ガンはかなり進行しており,すでにきびしい状態にありました.「絶対僕が治して見せます」と言った正平は,未知子の治療にかかりっきりになり、周囲ともいろいろなトラブルをおこします.しかしそんな正平の思いが通じたのか,抗がん剤によってダウンステージングに成功し,手術による根治の可能性もわずかにでてきました.そのとき正平が執刀をお願いする子宮ガンの権威の巖岳先生を,あの中島みゆきが演じています.

正平の真摯な気持ちが通じ,すべてをまかせる気持ちになった未知子は,手術の当日に,最悪のことも覚悟して,自分から正平へプロポーズをしたのでした.もし子宮癌が完治したら,残りの人生をわたしと一緒に過ごしてくださいと.

ここから映画はどんでん返しが続き,涙なくしては見ることができなくなります.はたして手術は成功するでしょうか? 手術が成功して正平は未知子とむすばれるでしょうか? 正平の最初で最後の恋はハッピーエンにおわるのでしょうか?

全国のすべてのさえない中年医師に,そして,すべての永遠の原田知世ファンに贈る映画「サヨナラ COLOR」.ハナレグミの音楽も最高です.

 

 東京バロック合唱団創立30周年記念 マタイ受難曲演奏会−2015年11月21日(土)

四ツ谷•紀尾井ホールのマタイ受難曲の全曲演奏会に行ってきました.

人類がもつ芸術の至宝のひとつであろうマタイ受難曲について,なにかを論じようなどあまりにおこがましい行為であり,もとよりわたしごときにいえることなどなにもありません.ただひとことだけ.........全曲演奏して三時間はいかにも長すぎる(笑)

いや,長いのは聴く前からわかっていたことですが,しかしなんと予想に反して,聴いていてまったく眠くならなかった.前日は深夜の0時ちかくにチェックインして,演奏会まえの学会の特別講演では一時間ですでに爆睡していたのに(むしろそこで睡眠をじゅうぶんにとったからかも) .最後までずっと意識をたもって聴きつづけることができました.途中でトイレには行きたくなったけど.

マタイ受難曲の構成は緊密で,聴衆を飽きさせないのはバッハの腕のすばらしさによるというのは,素人のわたしにもあきらかに感じとれました.また今回の演奏会では,舞台袖に歌詞の日本語訳を電光掲示板の字幕で流していました.この種の演出はわたしにとっては初めての経験でしたが,とてもいい試みだと思います.朗読や解説に相当するだろうレチタティーヴォは,ドイツ語がわからない人間にとってはややもすれば退屈に感じられるのですが,字幕があることで意味とストーリーが明確になり,いまなにが表現されようとしているのかがはっきりわかるようになります.

バッハの音楽の普遍性は,ことばの意味ぬきでもなお聴衆の感動を呼ぶところにあるのだと思いますが,しかし歌詞の意味が理解できることで,マタイ受難曲の聴きかたが少しかわってくることが自分でもよくわかります.それはドイツ人が聴くように,というよりはキリスト教の信者が聴くように,とでもいったら大げさすぎるでしょうか.

この曲は,マタイ福音書のなかのキリストの受難を語った部分を,音楽で朗読しているものです.年に一度,復活祭のまえに教会で信者をあつめて上演される音楽です.バッハのマタイ受難曲を聴いて感じる強い心の反応,すなわち感動ともいえるものですが,それは信仰と表裏一体のものにならざるを得ないでしょう.西欧では小さいころからなんどもくりかえし聞かされているキリスト受難のお話だからこそ,そこに音楽の情動に働きかける力がくわわって,宗教的なつよい感動にいたるのだと思います.

しかしキリスト教の教義にいかにシンパシーを感じようと,キリストの死後の復活を事実として信じていないわたしは,キリスト教信者ではありえません.マタイ福音書の記述だって客観的な目で見直すと,いかにも荒唐無稽,後づけの理屈ばかりでとても信じがたいものです.そういった信仰心が欠如している人間にとって,マタイ受難曲が与える強い感動とはいったい何なのか? それを考えれば考えるほどわからなくなってくるのです.ここにおいても芸術と信仰のいつもの難問につきあたります.

今回の演奏会に聴きにいったそもそものきっかけは,東京バロック合唱団に所属するわたしの古い友人からの誘いでした.こんなすばらしい体験をあたえてくれた森中君に心より感謝.おつかれさまでした.合唱すばらしかったよ.

ところで,マタイ受難曲ってキリストの復活で終わるのかと思っていたら違っていた.安らかにお休みください,安らかに,苦しみぬいたお体よ,と歌われながら,ピラトの兵士が墓を封印するところで終わるなんていかにも中途半端ですね.それにしてもエヴァンゲリストに「十字架の甘き死よ」なんて歌われると,新世紀エヴァンゲリオンを連想してしまうのはけっしてわたしだけではないと思う(笑).いやもちろんエヴァのほうがパクったんだけどね.

 

 映画「ブレイブハート」−2014年8月23日(土)

1296年,イングランド王エドワード1世はスコットランドに攻め込み,スコットランド王を捕虜とし,あまつさえ国王が即位式で用いる「スクーンの石」と王冠までうばってしまいました.

ここに「スコットランド独立戦争」がはじまります.エドワード1世の過酷なスコットランド支配に対して,騎士ウィリアム・ウォレスがたちあがって抵抗運動をおこし,スコットランド民衆の愛国感情を高めます.1297年のスターリング・ブリッジの戦いでは,圧倒的多数のイングランド軍に大勝利をおさめたのです.

しかし,1298年のフォルカークの戦いでイングランド軍に敗れ,その後も反エドワード活動を継続しましたが,スコットランド貴族の裏切りにあってエドワードに捕らえられ,最後は残虐刑で処刑されました.

メル・ギブスンの映画「ブレイブハート」はこの経過をスコットランド人の側から描いたものです.主人公ウィリアム・ウォレスにひそかに心をよせるイザベル王妃を演じたソフィー・マルソーの美しさがひときわきわだっていました.

 

 映画「秒速5センチメートル」 - 2013年2月22日(土)

新海誠監督のアニメーション映画.「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3本の短編から構成されています.そこに描かれている貴樹と明里の愛はあまりにうつくしく,あまりにせつないものです.

13歳のふたりはおさなく,しかし完璧で永遠の愛を成就する第一話は感動的です.完璧で永遠だからこそ,貴樹はそのときからぬけだすことができなくなります.そのときからそのままときがとまった,いわば氷づけの生をおくることになる,それがおそらく第二話と第三話のモチーフです.第三話のラストはひとによって解釈がわかれるようですが,わたしはとてもつらくくるしくなります.

第三話をつうじてながれる山崎まさよしの"One more time, one more chance"の歌と,光と風の繊細な変化を描写するアニメーションの絵はおどろくほどのうつくしさです.「秒速5センチメートル」はさくらのはなびらがおちるスピードとのことです.

 

 みえないばくだん(YouTube?動画) - 2012年8月1日(水)

http://www.youtube.com/watch?v=7k8DtTzna5c

「みえないばくだん」という絵本の存在を知りました.YouTube?で動画化もされていましたのでリンクします.原発事故で被曝した女の子が20年後に結婚し,「おててのかたちがかわっているあかちゃん」をうむお話です.ひらがなだけの絵本ですから,作者はこどもに読ませるつもりで書いたのでしょう.偏見にみちたおそろしい内容だと思いました.

胎児期に100ミリシーベルト以上の被曝をうけた場合は神経学的発達にリスクが発生しますが,そもそも今回の事故でそれだけの被曝をうけた妊産婦はいません.ましてや20年後のことになると,放射線被曝による遺伝的影響は医学的に明瞭に否定されています.こうした無知による偏見はいわれなき差別を生みます.避難したこどもたちが放射能といわれていじめられたり,婚約していた女性が破談になったり,そういった偏見と差別をうみだす悪質なデマといってもいいすぎではないでしょう.

なにより問題と思えるのは,プロパガンダの対象が判断力のないこどもであることです.福島のこどもたちに絶望しか与えないメッセージをあたえようとするのは,いったいどういった気持からなのだろう.それも医学的に根拠のない自分だけの思いこみというのに.............

> こどもだったひとが

> 20ねんごにこどもをうみました.

> うまれてきたのは

> ちょっとだけ おててのかたちが

> かわっているあかちゃんでした.

> ・・・・・・・・・・

> ほかには もっとたいへんな

> びょうきのあかちゃんが

> たくだんうまれるようになりました

> ・・・・・・・・・・

> 「きょうね がいこくのおともだちに

> 『あなたのおててのかたちが

> わたしたちとちがうのは

> あなたのくにが

> みえないばくだんをまいたからなんだよ』

> っていわれたの.

> どうして?

> どうしてわたしは

> みんなとおててのかたちがちがうの?」

「みえないばくだん(にほんごじまく)」 より

 

 NHKクローズアップ現代 "自分の考えはそこにあるか" 音楽評論家・吉田秀和の遺言−2012年7月23日(月)

去る5月22日に亡くなった吉田秀和氏の追悼番組でした.

氏を語るキーワードとして「そこに自分の考えはあるか」というのは決して間違っているわけではないことばですが,それでも少しまとをはずしているような気がしてしかたありませんでした.

番組では「ホロヴィッツ事件」を大きく取り上げ,ホロヴィッツの過去の権威と名声に眩まされた社会が絶賛一方の中で,氏ひとりが「ひびの入った骨董」という後に有名になったフレーズで批判したことを紹介していました.すなわち「自分の考え」というわけです.

しかし83年のホロヴィッツの演奏は素人のわたしが聞いてもミスが多く(ずっとあとのテレビでしか聞いていませんが),「ひびの入った骨董」どころかガラクタであったのは明らかでした.半分引退した過去の演奏家を,クラシックブームに便乗したイベント屋が金儲けのために引張り出して,評論家たちもレコード売り上げてのおこぼれをあずかろうと雑誌で絶賛した,それだけの社会現象にすぎません.ガラクタをガラクタと新聞で批判したのはあたり前のことであり,それをことごとしく取り上げて評価するのはあまりに氏をばかにしています.氏の真価はそんなところにあるわけではないのです.

番組の後半で氏と「親交のあった」という片山某氏は,たくさんの固有名詞を出してはさまざまなことを論じていましたが,何しろ声が大きすぎました.番組のコンセプトが「自分の考え」,すなわち自立した個人を尊重する立場を貫いたひとであり,3.11に対する発言にでているような文明批評家,社会批評家としての吉田秀和ということなのでしょう.それは確かにまちがってはいませんが,あくまでも氏の一面に過ぎません.

しかし氏の本質を語るためには,たぶんもっと「ひそやかな」声が必要です.大きな声で語っていればいつのまにかわれわれの目の前から消えていく,指のあいだをすりぬけていくような,そんな淡く繊細な,それでいて昔からかわらない一本の木のような精神こそが,われわれの心の中に残された氏のかけがえのない宝なのだろうと思います.

 

 映画「ロレンツォのオイル」(1992年) −2012年2月21日

何ひとつ病気もせず元気に育っていたロレンツォが,問題行動や転倒などの症状を示すようになったのは,1983年5歳のときのことでした.副腎白質ジストロフィー(ALD)を発症したのです.父オーギュストと母ミケラは「治療法がない遺伝性疾患.余命はあと2年」という告知を医師から受けました.

医師が行う食事療法も免疫抑制療法もまったく効果なく,徐々に症状が進行するロレンツォの姿は,「権威とされる医師でさえ実はALDについては何も理解していない」現実を両親に思い知らせました.医学の素養がまったくない両親でしたが,独力で病気の勉強と研究を始め,のちに「ロレンツォのオイル」と名づけられる「特効薬」を生みだしました.植物状態で死を待つだけだったロレンツォは,「オイル」によって血中極長鎖脂肪酸値が正常化していき,両親との意志疎通が可能となる映画のラストが感動的です.

もう10年以上前になりますが,遺伝カウンセリングでALDの子をもつ親御さんからの相談を受けたことがありました.病気に関する通り一遍のやり取りの後に,「ロレンツォのオイル」は効果があるかと聞かれましたが,正直にいうとそのときわたしはまったく聞いたこともありませんでした.民間療法の類かと思いましたが,調べてあとで改めてご説明するとお話しいたしました.

映画が公開されたのが1992年,その年のアカデミー賞を受賞したはずです.1993年のNEJMに「ロレンツォのオイルは無効である」という論文が発表されており,Editorialで「医学は映画のように簡単はいかない」という痛烈な批判がなされていました.それを読んだわたしは,クライアントに「効果なし」という説明をあとで行っています.

映画の中で,両親の性急さをしばしば諌め,全患者に責任ある立場として「オイル」の臨床応用を断る,いわば「悪役」としてのニコラウス教授のモデルとなったのが,あの有名なProf. Mosarです.しかし実は,「オイル」が無効とされ詐欺師とかインチキと批判されたロレンツォの両親を最後まで擁護していたのがそのMosarだったそうです.地道に「オイル」の臨床試験を繰り返し,2005年に「ロレンツォのオイルは,症状が進行した患児には無効だが,血中極長鎖脂肪酸値が高値を示す児の発症予防や症状軽減には有効」という画期的な論文を出しています.そして2009年にはALDの遺伝子治療すら始まりました.

実に15年以上続けた研究の賜物でした.まさに「医学は映画のように簡単はいかない,ゆっくりと確実な取り組みによって,しばしば医学は映画をこえるのである」といったところでしょうか.「ロレンツォのオイル」を安易に否定した自分の不明を恥じるのみです.

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カウンタ 3614(2012年5月8日より)