!!!ツィピ先生とともに                            (室月 淳 2014年2月10日,2月21日加筆) イスラエルから日本に来られた医療人類学者のツィピ先生を,福島の浜通りにご案内いたしました.ツィピ先生は日本の女性の妊娠出産にかんする心理,文化などを研究されており,今回は特に東日本大震災がどのような心理的影響をおよぼしたのかを調査にこられました. わたしが南相馬にきたのは去年の4月以来となります.国道6号線を南下して,一年前まで検問があった小高と浪江の境を通過して浪江町にはいったのはわたし自身はじめての経験です.数日前にふった大雪が道の両脇の田んぼとおもわれるところ一面につもっていて,津波によってながされて横転している車がまだかたづけられずにところどころに残っていました.国道の両側にはコンビニがあったり,牛丼屋の看板がでていて,どこにでもある光景でしたが,肝心の店はガラスが破れ窓に板が張ってあったりして,もちろん営業しているわけではありません. {{ref_image 車.jpg}} 浪江町の中心部にはいると,6号線を車はひっきりなしに往来しているのに,ひとはだれも歩いてはいません.交差点には警察官が立っていて,道を曲がって町中にはいってくるのをチェックしています.無断侵入する空き巣などを見張っているのでしょう.福島第一原子力発電所までおよそ7キロの地点にあたらしい検問所があって,特別通行証のない車はここでUターンということになります.今週は富山県警の担当でした.検問所周辺は線量計で0.15マイクロシーベルト/時程度でした.これはイタリアのローマの空間線量とほぼおなじレベルです. {{ref_image 検問.jpg}} 三年になります.震災と津波,それにひきつづいておきた原発事故も,全国的には風化しつつあるのでしょうか.忘れていくのがひとの常とはいえ,あれほどの犠牲,あれほどのひとびとの思いがすでに過去のものとしてかたづけられ,それをかえりみられることなく国の政策決定がなされ,社会が前にうごいていくのをみるのは,わたしにとってはつらいものがあります. いまほんとうにおそろしいのは,原発事故のあとの低線量被曝の影響とか,いまもなお福島のひとびとをくるしめている風評被害とかいったもの以上に,たった三年前の信じがたい大惨事すらも過去の一エピソードとしてしまい,原発再稼働とか原発輸出推進,東京五輪誘致などにいそしむわたしたちの「震災後」というときのありようではないでしょうか. 浪江の田園の雪景色はうつくしかった.うつくしいこの景色に,しかしわたしは,みえるものしかみえない目の不幸といったものを感じました.このひろい平原は休耕によってあれはてた田畑なのであり,それはもちろん放射性降下物に汚染されたためです.この風景の真の意味をあきらかにするのはわたしたちの記憶のみです. 過去はおのずから語ることはない,ただのこされた光景の記憶のなかのことばをとおしてしか語ることをしない.自分のことばにより現実の光景を自分のものとしないかぎり,この光景はついに歴史のアリバイにしかすぎないだろうとわたしは思いました. それから津波の被災のあとを確認するために海沿いをまわろうとしましたが,除雪がされていないために海岸までいくことができず断念しました.夕方,南相馬市立総合病院を訪問いたしました.病院の玄関で空間線量を測定したところ,ニューヨークとほぼおなじ0.09マイクロシーベルト/時でした. {{ref_image 23km.jpg}} 南相馬市立病院産婦人科の安部先生,ツィピ先生,わたしです.安部先生をはじめ何人かのかたがたにインタビューをさせていただきました.いまここで住んでいるひとたち,働いているひとたちも,原発事故後に南相馬に戻ってきた当初は,だれもが妊娠出産や子育てにそれなりの不安をかかえていました.しかし南相馬市立病院で何人ものひとが元気な赤ちゃんを産んでいくのをみて,まわりの多くのひとたちは徐々に不安を解消していったようです.市立病院での取り組みがすこしずつ地域のひとたちに浸透しているのです.困難のなかで分娩とりあつかいを再開した安部先生をはじめ産婦人科のスタッフの功績はすばらしいと思います. {{ref_image 安部先生.jpg}} 南相馬では,若い人間がさまざまな葛藤をのりこえて,未来に向けて生き生きと生きようとしています.その姿にツィピ先生は強い印象を受けたようでした.帰りの車のなかで,「これまで聞いてきた話とはまったくちがった.国際メディアの報道はまちがっている」と何度も繰り返していました.そのことをぜひ世界のみなに伝えていただければと思います. 震災と原発事故によるくるしみを経験し,わたしたちが得たあたらしい価値観や生きかたはなんだったのでしょうか.日本のひとびとはさらなる経済的ゆたかさをもとめてあらたな開発をすすめ,いまよりおおくの資源とエネルギーを注入して経済成長をめざそうとしているようです.オリンピックがそんなにおもしろいのかな? もうすぐ3年をむかえるにあたり、一度みなですこしだけ立ちどまってかんがえていただければと思います. -------------------------------------------------------------------- [アルバムにもどる|http://plaza.umin.ac.jp/~fskel/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%A2%A5%EB%A5%D0%A5%E0] [東日本大震災後のわれわれの活動 にもどる|http://plaza.umin.ac.jp/~fskel/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C5%EC%C6%FC%CB%DC%C2%E7%BF%CC%BA%D2%B8%E5%A4%CE%A4%EF%A4%EC%A4%EF%A4%EC%A4%CE%B3%E8%C6%B0] [フロントページにもどる|http://plaza.umin.ac.jp/~fskel/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=FrontPage] カウンタ {{counter ツィピ先生}}(2014年2月17日より)