放射線治療40年の経験と日本の医学物理の歴史

開 催 日 :2009年12月8日
司会:馬屋原 博 先生(国立がんセンター中央病院 放射線治療部)
  1. 放射線治療40年の経験
  2.  癌研有明病院 顧問 山下 孝 先生
    卒業した1970年4月から1009年8月まで、約40年間がんの放射線治療を行ってきた。その経過を顧みる。 まず、1970年から2年間東京女子医大の田崎瑛生教授の下で、放射線治療を始めた。コバルト治療が広がる中で、リニアックの治療が始まりつつあった。東京女子医大に高崎国立病院から非常勤講師で来ていた群馬大学卒業の佐藤一英先生の影響を受けて、リンパ球移入の免疫療法の研究を始めた。 1972年から高崎国立病院に移籍して、免疫療法の研究(動物と臨床)を約1年行った。長野県の上田市の東信病院に移籍して、1人でコバルト遠隔照射装置とラジウム線源を使った放射線治療を10床程度の病室を管理しながら行い、その後、1974年に慈恵医大望月幸夫教授の下で、米国留学を行いながら、免疫療法、温熱療法、通電療法などの研究を行った。いずれもそれほどの効果が得られなかった。また、望月教授のご指導の下、放射線治療の線量―時間関係の生物学的実験を豚の皮膚を用いたり、マウス移植腫瘍を用いたりして行った。 1986年癌研病院に移ってからは、何度か基礎的研究を試みたが、臨床が忙しく臨床研究が主になった。温熱療法が主であったが、乳房の温存療法の臨床研究や前立腺がんの外部照射の普及、小線源治療認可に向けて政府当局への働きかけなどを行った。癌研有明病院に移転してからは病院管理職としての仕事が主となった。 退任した現在は、がんの検診とセカンドオピニオン外来などを中心に行っている。
     
  3. 日本の医学物理 過去、現在、未来
  4.  癌研究会 物理部RI・情報担当部長 伊藤 彬 先生
    東大の学生時代(9年)、東大医科研(17年)と癌研(21年)の通算47年間(18歳~65歳)を通じて、放射線への強い関心に基づいて幅広い勉強と研究の推進を、電気・電子技術とソフトウェア、つまりコンピュータを道具として活用した活動を続けてきた。やはり、放射線物理の原理とそれを医療・放射線治療の推進に努力を続けてきた。 このところ、ようやく、がん治療における放射線治療の役割と同時に医学物理士の役割の期待が高まってきた。医学物理の素養と物理工学技術をもって、新しい高度な治療システムの開発研究と現場の診療においても質の高い医学物理サービスを展開して患者さんために活躍していただきたい。このような私の経験を通じて、「医学物理の過去、現在、未来」を語る。