営衛周環 経脈は循環しない
日本内経医学会研究発表 1995/02/05 林 孝信
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はじめに
 今回の研究発表の題を、最初は「経脈周環」とするつもりであったが、途中で考えが変わり「営衛周環」にしてみた。その理由は「循環するのは経脈ではなく営衛であり、経脈は循環する営衛が流れる場を提供している。」というしごく当たり前のことを再認識したからである。またこのテーマに取り組んだのは、『霊枢・経脈篇』の流注が何故循環しているのか?というのが以前から疑問だったのと、昨年夏合宿の講義で松木きか先生が經脉篇成立の条件を示されたことがきっかけであった。

1.『霊枢・経脈篇』成立の最大要因
 その松木先生の表現を借りてみよう。
「経脈篇の第一段落の成立については、以下の大きくは二つ、詳細には四点がまとまってゆく過程が必要であると考えております。
  ⅰ経脈のあり方については
(1)馬王堆医書と方向性が逆であることなどの差異
  ⅱ穀の気については
(1)腸胃の容量が決定され、胃の気が肺へと巡ること
(2)営気・衛気が成立すること
(3)“人気”の時間的な運行が人体を周回すること」①
 このうちのⅰ(1)「方向性が逆であること」と、ⅱ(3)「周回すること」は同じ事象に起因すると見てよいだろう。
 そこで『馬王堆・十一脈経』(以下馬王堆と略)と経脈篇第一段(以下経脈篇と略)との相違点を三つ挙げ、他篇と比較して検討してみた。
1.蔵府配当
2.十一経と十二経
3.一方向と循環
 1.馬王堆には腎や胃、心などの一部の蔵府が関わっているだけであるが、経脈篇には十二経すべてに蔵府が配当されている。これは馬王堆から経脈篇への時間の経過にしたがえば当然の成り行きだったのだろうと思われる。そしてそれは経別篇や経水篇の十二蔵府の配当についても同様に引き継がれているとみてよい。
 2.馬王堆、本輸篇は十一経であり、経脈篇は経別篇、経水篇、経筋篇と同様十二経である。
 3.馬王堆、経別篇、経筋篇、本輸篇など、ほとんどの流注は一方向性であり、循環する考え方は経脈篇以外には営気篇だけに見られる。営気篇は経脈篇の循環する流注の体系化以前の考え方を残していると考えられる。
 2の「十二経」と3の「循環」は密接に関係しているが、響き現象の新発見などにより十二経が循環より先に考え出されたとは考えにくい。経脈を循環させる必要性があったので、十一を十二経という割り切れる数に増やしたのではないだろうか。
 こうしてみると循環の考え方は経脈篇成立にとってはかなり大きな要因だったことがわかる。ではなぜ経脈篇で循環させようとしたのか?

2.循環の考え方
 まず医書以外の循環の考え方を眺めてみよう。赤塚忠は「道家の哲学」で老子の特質を三つ挙げ、その二つめに「『老子』は、道の運行には必ず循環して本に帰る作用があると考えた。」と復帰の観念を明示している。②
萬物竝作、吾以觀復。夫物芸芸、各復歸其根。 『老子』十六
常德不離、復歸於嬰兒。 『老子』二十八
 そこで他に「周」「環」「終始」などの語で循環の考え方を調査してみた。
萬物之所成終、而所成始也。 『易』説掛
終而復始。日月是也。死而復生。四時是也。 『孫子』勢篇
淸明象天、廣大象地。終始象四時、周還象風雨。 『禮記』樂記
聖人觀其玄虚、用其周行、強字之曰道。 『韓非子』解老
還周復歸、至於主所、圜道也。 『呂子春秋』圜道
輪轉而無窮、象日月之運行。若春秋有代謝、若日月有晝夜。
終而復始、明而復晦。 『淮南子』兵略訓
三王之道若循環、終而復始。 『史記』高祖本紀
投降三統之首、周還五行之道也。 『漢書』律暦志上
 「日月」「四時」など天体運行や自然現象のほか、「易」「道」「五行」などの語が循環の考え方に関係することがわかる。
 また『素問』『霊枢』でも同じように調査したので、その一部を提示する。
八風四時之勝.終而復始. 『素問』15玉版論要篇
經脉流行不止.環周不休. 『素問』39擧痛論
經絡之相貫.如環無端. 『靈樞』04邪氣藏府病形
營周不休.五十而復大會.陰陽相貫.如環無端. 『靈樞』18營衛生會
‥‥衛氣.‥‥營氣.陰陽相隨.外内相貫.如環之無端. 『靈樞』25衛氣
營衛之行也.上下相貫.如環之無端. 『靈樞』62動輸
夫血脉營衛.周流不休.上應星宿.下應經數. 『靈樞』81癰疽
 この『素問』『霊枢』では、他と同様に「日月」「四時」に関する事項もあるが、「経脈」や「営衛」に関するものが多いことがわかる。そこでこの「経脈」と「営衛」について循環の考え方を探してみよう。

3.経脈篇の循環の考え方
 一般に「経脈」とは経脈篇第一段の肺手太陰之脉から肝足厥陰之脉のことを指す場合が多い。そこで肺手太陰之脉の例を点検してみよう。
肺手太陰之脉.
 最初は経脈の名称で、蔵府、手足、三陰三陽分類の脈、と名付けられている。
起于中焦.下絡大腸.還循胃口.上膈.屬肺.‥‥
 次は流注で、支脈があり、所属する蔵府を伴なう。終点が次の経脈の始点になる。
是動則病.肺脹滿膨膨.而喘咳.‥‥是主肺所生病者.上氣喘渇.‥‥
 そして、是動病と所生病の病証が続く。
爲此諸病.盛則寫之.虚則補之.熱則疾之.寒則留之.‥‥
 最後に、虚盛寒熱などの定型的治療原則と、人迎寸口診の個別の診断法に終わる。これが一経脈の基本の形式である。経脈の順序は肺手太陰之脉から始まり、肝足厥陰之脉に終わる。肺から始まるのは、気は呼吸の気息に源を発すると考えればうなづけよう。あとは三陰三陽の表裏関係に従い規則的に配列されている。それぞれの経脈の終点が次の経脈の始点につながり、最後の肝足厥陰之脉で「上注肺.」として循環させている。
 しかし循環の必要を生じさせるような「日月」「四時」「五行」や「道」などの語は、見当たらない。

4.営衛の循環
 では営衛を調べてみよう。『素問』『霊枢』における「営」「衛」の語は多くあるので、それらの類似語の使用頻度と③、使い方の違いを示して見た。
營 78例:営衛や営気の「營」
滎 30例:井、滎、兪、経、合の「滎」
榮 101例:「栄える」の意味など。
他に「營」32例、「滎」5例の意味にも使われる。
衛 137例:『素問』で「衛」、『霊枢』で「衞」に作る。④
 『素問』『霊枢』での「營」の意味の使用頻度110例(=78+32)は「衛」の137例に近い。また「営」と「衛」の語を含む文章も「営衛」か「営気」「衛気」などとして使われており、内容についてもあまり偏りがない。ということは「営衛」の語とその概念は、ある時期に医学関係以外から熟語として入って来た、と考えてもよさそうである。
 そこで医書以外の「営衛」の語を調べてみると、外襲にそなえ警備を巡回させることの意味で使われている。
以師兵爲營衛。(正義曰:環繞軍兵、爲營以自衛。) 『史記』五帝本紀
 つまり生理学用語としての「営衛」は、軍事用語から導入されたように思われ、そのときにはすでに語そのものに循環の意を含んでいたと考えられる。

5.営衛以前の生理学
 では「営衛」の語が導入される以前はどうだったのか。経脈別論の第三段前半にその内容が残されている。藤木俊郎先生が指摘しているように、ここには『素問』『霊枢』の基礎となる気の生理学をまとめてある。⑤
食氣入胃.濁氣歸心.淫精於脉.
脉氣流經.經氣歸於肺.肺朝百脉.輸精於皮毛. 『素問』21經脉別論
 後の営衛生会篇では、この「濁・精」を「営・衛」に置き換えたことを示している。
其淸者爲營.濁者爲衛.營在脉中.衛在脉外. 『靈樞』18營衛生會
 そして営衛循環の考え方も、その萌芽を経脈別論にみることができる。「帰」の語がそれで陰陽応象大論でも「濁陰歸六府」などと表現している。これは先の『老子』の「復帰」にあるように、「帰」の本来の意味はもとにもどることであるが、循環の意味も含まれていたと考えてもよい。

6.結語
 以上を順に整理してみると、「濁や精の気がもどる」と表現されていた初期の生理学は、軍事用語の「営衛」の語を導入することによって循環の考え方を定着させた。そして営気の循環を流注上にのせ、手も足と同じように三陰三陽分類するため、十二経の脈が必要となり、経脈篇が形成された。言い換えれば、経脈篇は循環する営衛の概念を、十二経の流注として取り込むことによって成立できたと言えよう。循環の概念こそが經脉篇成立の最大要因と言えるのではないか。

 そうすると経脈が循環するのではなく、循環する性質を持った営気が経脈を通るということが理解できると思う。また当然のことながら、循環しない馬王堆、経別篇、経筋篇、本輸篇などには、営衛の語が見当たらない。

注 ───────────────────────────────────────
①自分のメモが不正確ではないかと思い、松木先生に問い合わせたところ、丁寧な返事を頂きました。
②赤塚忠『道家の哲学』(阿部吉雄編著『中国の哲学』1964 明徳出版所収)P112
③小林健二「内経親字頻度」による。
④『霊枢』明刊無名氏本による。趙府居敬堂本では「衛」に作る。
⑤藤木俊郎『鍼灸医学源流考』積文堂P182