島田隆司先生 - 年譜 -
(宮川浩也、二〇〇〇年八月二十日原案作成、十一月一日改訂)
- 昭和七年(一九三二)
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三月十一日、東京市日本橋区浜町に生まれる。父貞治、母静枝の次男。
- 昭和二十七年(一九五二)
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十二月、急性肝炎。
- 昭和三十年(一九五五)
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九月、慢性肝炎罹患。
- 昭和三十六年(一九六一)
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十一月、慢性肝炎再罹患。翌年六月退院。鍼灸学校入学を決意する。
- 昭和三十八年(一九六三)三十一歳
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東京高等鍼灸学校本科第二部入学
- 昭和三十九年(一九六四)三十二歳
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八月、第六回経絡治療夏期大学に初参加
十月、鍼灸学校のグループ「東風」(田原、中島、中村、福本ら)を結成。
- 昭和四十年(一九六五)三十三歳
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一月、丸山昌朗先生に師事
四月、経絡治療誌創刊(編集主幹:竹山晋一郎)
八月、第七回夏期大学受講
- 昭和四十一年(一九六六)三十四歳
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東京高等鍼灸学校卒業
鍼灸臨床に従事
八月、第八回夏期大学受講
十二月、新医協鍼灸部会会長
- 昭和四十二年(一九六七)三十五歳
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第九回夏期大学
- 昭和四十三年(一九六八)三十六歳
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三月、経絡治療誌編集手伝い(十二号)
四月、鍼灸治療所設置届け(自宅)
八月、第十回夏期大学参加
十月、「第十回夏期大学に参加して次の十年の課題を考える」(経絡治療誌十五号)
- 昭和四十四年(一九六九)三十七歳
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東京高等鍼灸学校漢方概論講師(昭和四十八年まで)
民族医学研究所講師
六月、鍼灸院開院(自宅)
九月二十六日、竹山晋一郎没(六十九歳)
- 昭和四十五年(一九七〇)三十八歳
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一月、竹山晋一郎に代わり経絡治療誌編集主幹(二〇号~四十八号)
四月、経絡治療誌に初めて巻頭言を書く「流れを変えるもの」(二十一号)
七月、「高橋晄正著『漢方の認識』批判」(経絡治療誌二十二号)
八月、経絡治療夏期大学講師(第十二回~第十七回)
- 昭和四十六年(一九七一)三十九歳
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一月、「合谷穴考」(経絡治療誌二十四号)
九月、肛門周囲膿瘍で鬼子母神病院に入院手術
『漢方概論』(藤木俊朗と共著)
- 昭和四十七年(一九七二)四十歳
- 昭和四十八年(一九七三)四十一歳
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一月、「三焦と手少陽三焦経」(経絡治療誌三十二号)
六月、日本経絡学会発足(理事)
十月、巻頭言(経絡治療誌三十五号)
十二月、第二次インド伝統医学視察団(団長長沢元夫、副団長島田隆司)
- 昭和四十九年(一九七四)四十二歳
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一月、「臨床の中から穴を考える:百会穴の場合」(経絡治療誌三十六号)
四月、巻頭言・「臨床の中から穴を考える:中かん穴の場合」(経絡治療誌三十七号)
四月、丸山昌朗先生『素問』講義(第三回目)「素問を読む会」主宰(於新宿花園神社)
六月、痔瘻で入院手術
十一月、「経脈走行の三型式について」(日本経絡学会誌第二号)
- 昭和五十年(一九七五)四十三歳
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三月三十日、丸山昌朗没(五十八歳)
四月、巻頭言(経絡治療誌四十一号)
五月、『素問の栞』刊
九月、「素問の会」発足(豊田、石野ら)
十月、巻頭言(経絡治療誌四十三号)
- 昭和五十一年(一九七六)四十四歳
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一月、「脈状診の変遷-前漢から後漢へ(一)」(経絡治療誌四十四号)
一月二十二日、藤木俊郎没(四十四歳)
四月、「臨床の中から穴を考える:手と足の三里穴の場合」「故藤木俊郎学兄を偲ぶ」(経絡治療誌四十五号)
九月、「素問を読む会」発足(長尾、水口、東海林ら)
十二月、「霊枢経脈篇の所生病についての若干の考察」(日本経絡学会誌第四号)
- 昭和五十二年(一九七七)四十五歳
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一月、巻頭言(経絡治療誌四十八号)
経絡治療誌編集から降板(第四十八号)
二月、『鍼灸医学と古典の研究』(創元社)上梓、「編者あとがき」
六月、池袋治療院開設
七月、「鍼灸医学において古典研究は如何にあるべきか」(医道の日本誌七月号)
- 昭和五十三年(一九七八)四十六歳
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十月、「足底の穴について-厥との関連を考えながら」(日本経絡学会誌第六号)
- 昭和五十四年(一九七九)四十七歳
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十二月、「経脈病証についての若干の考察-霊枢経脈篇の成立をめぐって」(日本経絡学会誌第七号)
- 昭和五十五年(一九八〇)四十八歳
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四月、「『黄帝内経の成立』をめぐって-山田慶児氏の論を批判しながら」(東洋医学誌第二十九号~三十一号)
十一月、「鬲について」(日本経絡学会誌第八号)
- 昭和五十六年(一九八一)四十九歳
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二月、「中国古代医学の特徴」(蓬誌六・七合併号)
- 昭和五十七年(一九八二)五十歳
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日本経絡学会学術部長
四月、東洋鍼灸専門学校漢方概論講師(昭和六十四年まで)
五月、はりきゅう祭講演「丸山先生のこと」
十月、第十回日本経絡学会学術大会運営委員長
- 昭和五十八年(一九八三)五十一歳
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二月、日本経絡学会学術部長・学会誌編集長を兼任(第十一号~平成六年・第二十二号まで)
三月、「素問を読む会」解散
十一月、「原塾創設主旨」(原塾リーフレット)
十二月、改築のため旧宅取り壊し
- 昭和五十九年(一九八四)五十二歳
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三月、新築完了
四月、原塾発足(塾長)
- 昭和六十年(一九八五)五十三歳
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四月、中国鍼灸教育事情視察団(団長後藤修司)
四月、巻頭言・「経脈篇と経筋篇の成立をめぐって」(原塾塾報第一号)
十一月、巻頭言「日中の交流に当たって」(原塾塾報第二号)
十一月、第一回日中内経学術交流団団長(於天津)
- 昭和六十一年(一九八六)五十四歳
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四月、「黄帝鍼経(霊枢)の成立をめぐって」(日本経絡学会誌十三号)
十二月、「鍼灸臨床における古典の意義について」(中医臨床誌七巻四号)
- 昭和六十二年(一九八七)五十五歳
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五月、第二回日中内経学術交流団団長(於天津)
八月十八日、石野信安没(七十九歳)
- 昭和六十三年(一九八八)五十六歳
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四月、日本内経医学会発足(会長)総二十七名
四月、巻頭言「日本内経医学会の発足に当たって」(内経誌第一号)
四月、「難経『経言』考」(日本経絡学会誌十五号)
四月、「難経と内経との関連について(一)」(経絡治療誌九十三号)
六月、巻頭言「みる」(内経誌第三号)
七月、「難経と内経との関連について(二)」(経絡治療誌九十四号)
九月、巻頭言「起死回生」(内経誌第四号)
十月、「難経と内経との関連について(三)」(経絡治療誌九十五号)
十一月、第十六回日本経絡学会学術大会運営委員長
- 平成元年(一九八九)五十七歳
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二月四日、工藤訓正没(七十一歳)
二月、「工藤訓正先生を悼む」(内経第九号)
四月、「日本の内経研究概観」(日本経絡学会誌十六号)
四月、巻頭言「日中のこと」(内経誌第十一号)
五月、「訪中記(一)」(内経誌第十二号)
六月、「訪中記(二)」(内経誌第十三号)
九月、「訪中記(三)」(内経誌第十五号)
十一月、第十七回日本経絡学会学術大会運営委員長
- 平成二年(一九九〇)五十八歳
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一月、巻頭言「枠内思考と枠外思考」(内経誌第十九号)
四月、巻頭言「刺絡治療の復権を目指して」(内経誌第二十二号)
四月、「現代日本鍼灸の特徴」(日本経絡学会誌別冊)
- 平成三年(一九九一)五十九歳
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一月、巻頭言「どこまで見えるのか」(内経誌第三十号)
七月十二日、豊田白詩没(六十六歳)
九月、「畏兄豊田白詩先生を悼む」(医道の日本誌五六五号)
九月、「古代医学での気の展開」(『気へのアプローチ』)
十一月、第十九回日本経絡学会学術大会運営委員長
- 平成四年(一九九二)六十歳
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一月、巻頭言「日本内経医学会の五年目を迎えて」(内経誌第四十一号)
二月、「長夏考」(内経誌第四十二号)
日本刺絡学会副会長
五月、第三回日中内経学術交流団団長(於上海)
十一月、第二十回日本経絡学会学術大会運営委員長
十一月、『素問・霊枢』あとがき(日本経絡学会創立二十周年記念出版)
- 平成五年(一九九三)六十一歳
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日本経絡学会副会長
一月、巻頭言「往来と迎隨」(内経誌第五十二号)
五月、「『素問』五蔵生成篇と『史記』倉公伝」(内経誌第五十六号)
五月、『素問・霊枢総索引』監修(日本内経医学会刊)
- 平成六年(一九九四)六十二歳
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一月、巻頭言「鬼手仏心の医学を」(内経誌第六十三号)
十月、「丸山昌朗先生のこと」(内経誌第七十一号)
十一月、「丸山昌朗先生のこと(二)」(内経誌第七十二号)
十二月、「丸山昌朗先生のこと(三)」(内経誌第七十三号)
- 平成七年(一九九五)六十三歳
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一月、巻頭言「丸山昌朗遺徳顕彰会のこと」(内経誌第七十四号)
日本伝統鍼灸学会会長
三月、『素問・鍼経の栞/黄帝鍼経講』刊行(丸山昌朗先生遺徳顕彰会編集委員会発行)
三月、丸山昌朗先生没後二十年遺徳顕彰会(於鎌倉浄智寺)
四月、第八回全国中医薬文化中医文献及び医古文学術討論会参加「日本の内経研究概観」を発表
五月、「奇経八脈の形成による幾つかの問題について」(日本経絡学会誌二十七号)
六月、「西安から敦煌へ(一)」(内経誌第七十九号)
七月、「西安から敦煌へ(二)」(内経誌第八十号)
- 平成八年(一九九六)六十四歳
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一月、巻頭言「三十年前と三十年後」(内経誌第八十五号)
三月、「刺絡と瀉血療法の歴史(三)」(日本刺絡学会誌第五号)
四月、「全元起本について(一)」(内経誌第八十八号)
五月、「全元起本について(二)」(内経誌第八十九号)
六月、「全元起本について(三)」(内経誌第九十号)
七月、「全元起本について(四)」(内経誌第九十一号)
八月、第三回中華医薬学会・医古文学会副会頭(於黄山)
九月、「全元起本について(五)」(内経誌第九十二号)
- 平成九年(一九九七)六十五歳
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一月、巻頭言「第一回国際内経学術研究シンポジウムについて」(内経誌第九十六号)
三月、全日本鍼灸学会評議員
五月、第一回国際及第五回中国内経学術研討会副会頭(於北京)「『内経』の鍼刺放血部位」を発表
五月、第四六回全日本鍼灸学会/第二五回日本経絡学会共催学術大会副会頭(於東京)
十二月、「『難経』の功罪」(伝統鍼灸三十四号)
- 平成十年(一九九八)六十六歳
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一月、巻頭言「中国の内経研究、新たな段階へ」(内経誌第一〇七号)
二月、『翻字本素問攷注』序文(日本内経医学会刊)
七月、「素問調経論篇について」(内経誌第一一三号)
- 平成十一年(一九九九)六十七歳
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一月、巻頭言「日本内経医学会の仕事」(内経誌第一一八号)
五月、「古典鍼灸医学の立場から『ガン』を考える」(伝統鍼灸三十九号)
十月、「全元起第一巻・第二巻の特徴について」(内経誌第一二六号)
- 平成十二年(二〇〇〇)六十八歳
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三月、「関元穴への施灸方法と効能考察」(伝統鍼灸四十一号)
八月十日没(六十八歳)