島田隆司先生 - 業績 -
作成年月 | 項目 | 講演または掲載誌 |
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1970年4月 | 流れを変えるもの | 『経絡治療』 |
1970年7月 | 高橋晄正著「漢方の認識」についての批判 | 『経絡治療』 |
1971年1月 | 臨床の中から穴を考える「合谷穴」の場合 | 『経絡治療』 |
1973年1月 | 三焦と手少陽三焦経 | 『経絡治療』 |
1973年10月 | 無題 | 『経絡治療』 |
1974年1月 | 臨床の中から穴を考える「百会穴」の場合 | 『経絡治療』 |
1974年4月 | 無題 | 『経絡治療』 |
1974年4月 | 臨床の中から穴を考える「中□穴」の場合 | 『経絡治療』 |
1974年11月 | 経脈走向の三型式について | 『日本経絡学会誌』 |
1975年4月 | 無題 | 『経絡治療』 |
1975年10月 | 無題 | 『経絡治療』 |
1976年 | 『霊枢』「経脉篇」所生病についての若干の考察 | 『日本経絡学会誌』 |
1976年4月 | 故藤木俊郎学兄を偲ぶ | 『経絡治療』 |
1976年4月 | 臨床の中から穴を考える手と足の「三里穴」の場合 | 『経絡治療』 |
1976年4月 | 手と足の「三里穴」の場合 | 『経絡治療』 |
1977年1月 | 無題 | 『経絡治療』 |
1977年2月 | 丸山昌朗先生のこと | 『鍼灸医学と古典の研究』 |
1977年7月 | 鍼灸医学において古典研究は如何にあるべきか | 『医道の日本』 |
1978年 | 足底の穴について(厥との関連を考えながら) | 『日本経絡学会誌』 |
1978年 | 足底の穴について | 『日本経絡学会誌』 |
1979年 | 経脈病証についての若干の考察(霊枢経脈篇の成立をめぐって) | 『日本経絡学会誌』 |
1980年 | 鬲について | 『日本経絡学会誌』 |
1980年4月 | 「黄帝内経の成立」をめぐって(上) | 『東洋医学』 |
1980年6月 | 「黄帝内経の成立」をめぐって(中) | 『東洋医学』 |
1980年8月 | 「黄帝内経の成立」をめぐって(下) | 『東洋医学』 |
1980年11月 | 「鬲」について | 『日本経絡学会誌』 |
1981年9月 | 陰陽五行学説と鍼灸医学 | 中医臨床 |
1982年 | 鍼灸術の発展と日本経絡学会の使命 | 『日本経絡学会誌』 |
1982年 | 第10回日本経絡学会学術総会報告 | 『日本経絡学会誌』 |
1985年 | 「九鍼十二原」の研究 | 『日本経絡学会誌』 |
1985年3月 | 『内経』を展望する概説書「黄帝内経概論」 | 中医臨床 |
1985年7月 | 『九鍼十二原』の研究 | 『日本経絡学会誌』 |
1985年11月 | 日中の交流に当たって | 『塾報』 |
1985年11月 | 今月の随想「百年前と百年後のこと」 | 『医道の日本』 |
1986年 | 学術部長講演/黄帝針経(霊枢)の成立をめぐって | 『日本経絡学会誌』 |
1986年4月 | 『霊枢』の成立を巡って | 『日本経絡学会誌』 |
1987年 | 本治法と標治法 | 『日本経絡学会誌』 |
1988年?月 | 書評『鍼灸医学序説』 | 『日本医史学会誌』 |
1988年 | 難経「経言」考 | 『日本経絡学会誌』 |
1988年 | 難経と内経との関連について(1) | 『経絡治療』 |
1988年 | 難経と内経との関連について(2) | 『経絡治療』 |
1988年 | 難経と内経との関連について(3) | 『経絡治療』 |
1988年4月 | 日本内経医学会の発足に当たって | 『内経』 |
1988年4月 | 『難経』經言考 | 『日本経絡学会誌』 |
1988年6月 | 「みる」 | 『内経』 |
1988年9月 | 起死回生 | 『内経』 |
1988年10月 | 刺血療法の源流について | 『内経』 |
1988年12月 | 黄龍祥『黄帝内経明堂輯校』 | 『内経』 |
1989年 | 難経と内経との関連について(4) | 『経絡治療』 |
1989年 | 日本における内経研究概観 | 『日本経絡学会誌』 |
1989年 | 古典の解釈、九鍼十二原の補瀉(司会兼シンポジスト) | 『日本経絡学会誌』 |
1989年2月 | 工藤訓正先生を悼む | 『内経』 |
1989年2月 | 工藤訓正先生を悼む | 『内経』 |
1989年4月 | 日中のこと | 『内経』 |
1989年5月 | 訪中記(1、2、3) | 『内経』 |
1989年5月 | 訪中記/上海・北京・天津 | 『内経』 |
1989年6月 | 訪中記/上海・北京・天津 | 『内経』 |
1989年9月 | 訪中記/上海・北京・天津 | 『内経』 |
1989年10月 | 現代日本鍼灸の特徴 | 『日本経絡学会誌・別冊』 |
1989年11月 | 日中鍼灸の異と同 | 『日本経絡学会誌・別冊』 |
1990年?月 | 穴「中、合谷穴」 | ?? |
1990年 | 『素問』音釈の検討 | 『日本経絡学会誌』 |
1990年1月 | 枠内思考と枠外思考 | 『内経』 |
1990年2月 | 日中鍼灸の異と同/第17回日本経絡学会学術大会 | 医道の日本 |
1990年2月 | 『霊枢・本神』篇の研究 | ?? |
1990年3月 | 研究発表大会について | 『内経』 |
1990年3月 | 『難経』の成立 | 『内経』 |
1990年4月 | 『刺絡』発刊に際して | 『刺絡』 |
1990年4月 | 巻頭言 | 『内経』 |
1990年4月 | 刺絡治療の復権を目指して | 『内経』 |
1990年8月 | 臨床にとって古典とは | 『内経』シンポジウム |
1990年9月 | 日本経絡学会第18回学術大会について | 『内経』 |
1990年9月 | 秦漢期における灸療学の成果について | 『内経』 |
1990年10月 | 経絡説の形成 | 弦躋塾での講演 |
1991年 | 診断から治療へ | 『日本経絡学会誌』 |
1991年 | 顔面刺絡と末端刺絡(耳聾、歯痛を考察しながら) | 『日本経絡学会誌』 |
1991年1月 | どこまで見えるのか | 『内経』 |
1991年1月 | シンポ『難経』脈論 | 明鍼会講演 |
1991年1月 | 臨床と古典 | ?? |
1991年2月 | 『陰陽十一脈灸経』の研究 | 『内経』 |
1991年3月 | 研究発表大会について | 『内経』 |
1991年3月 | シンポ「腰痛」 | 『伝統医学協会誌』 |
1991年5月 | 『内経』の補瀉について | 神戸にて講演 |
1991年6月 | 張家山漢簡『脈書』中の5種の古医籍 | 『内経』 |
1991年8月 | 豊田白詩追悼文 | 『医道の日本』 |
1991年9月 | 古代医学での気の展開 | 『気へのアプローチ』 |
1991年11月 | 繆刺と巨刺 | ???? |
1991年12月 | 顔面刺絡について | 『刺絡』 |
1992年 | 鍼灸における症について(診断編)(抄) | 『日本経絡学会誌』 |
1992年1月 | 巻頭言「日本内経医学会5年目」 | 『内経』 |
1992年1月 | 「長夏」考(完) | 『内経』 |
1992年2月 | 日本内経医学会の五年目を迎えて | 『内経』 |
1992年2月 | 顔面刺絡と末端刺絡 | 『日本経絡学会誌』 |
1992年2月 | 「長夏」考 | 『内経』 |
1992年2月 | 『内経』の補瀉(完) | 福岡にて講演 |
1992年3月 | 黄帝内経素問 現代語訳(上巻)南京中医学院医経教研組(編)(訳) | 東洋学術出版社 |
1992年3月 | 研究発表大会について | 『内経』 |
1992年6月 | 北里東医研『小品方・黄帝内経明堂』 | 『内経』 |
1992年6月 | 新刊紹介『小品方』 | 『内経』 |
1992年7月 | 刺絡治療の知識と実際 | 『刺絡』 |
1992年11月 | 新刊紹介『易と中医学』 | 『医道の日本』 |
1992年12月 | 日本経絡学会「証」をめぐる5年間の討論 | 中医臨床 |
1993年 | 鍼灸における症について(診断編)診断の上での問題点 | 『日本経絡学会誌』 |
1993年 | 特別報告/鍼灸における“証”についての学術大会五年間の経過報告 | 『日本経絡学会誌』 |
1993年 | 鍼灸病証学の確立をめざして(抄) | 『日本経絡学会誌』 |
1993年1月 | 巻頭言「往来と迎隨」 | 『内経』 |
1993年1月 | 往來と迎随 | 『内経』 |
1993年2月 | 巻頭言『友筆』の発刊を祝す | 『友筆』 |
1993年3月 | 井穴刺絡について(完) | ?? |
1993年3月 | 井穴刺絡について | 『鍼灸OSAKA』 |
1993年4月 | 『五蔵生成論』と倉公 | ?? |
1993年4月 | 『内経』と陰陽五行説 | 漢方鍼医会での講演 |
1993年4月 | 『内経』の治療(その1) | 『素問』講座にて |
1993年5月 | 『素問・五蔵生成論』と『史記・倉公列傳』 | 『内経』 |
1993年5月 | 『内経』研究概観 | |
1993年5月 | 『内経』表と図 | |
1993年6月 | 日中医学史年表 | ?? |
1993年7月 | 『素問』玉版論要篇第15 | 『内経』 |
1993年8月 | 刺絡鍼法の歴史 | 『刺絡』 |
1993年10月 | 書評『鍼灸学』臨床篇 | 『中医臨床』 |
1993年10月 | 鍼灸の「証」5年間の総括 | 『日本経絡学会誌』 |
1993年11月 | 日本の灸療法 | 世界鍼灸学会、実技発表 |
1993年12月 | 巻頭言「鬼手仏心」 | 『内経』 |
1994年 | Q&A/「脈診をしないと日本経絡学会には入れないのですか。」 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年 | 名は体を現しているだろうか“日本経絡学会”の名称を替えることを論議しよう | 『日本経絡学会誌』 |
1994年 | 「鍼灸病証学の確立をめざして」 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年 | 奇経八脈の形成による幾つかの問題について(抄) | 『日本経絡学会誌』 |
1994年 | 書評/凌耀星主編『難経校注』 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年 | 書評/藤田恒夫著『腸は考える』 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年1月 | 鬼手佛心の医学を | 『内経』 |
1994年1月 | 背部輸穴と『本神』篇 | ?? |
1994年3月 | 心と体の交信 | 『ドイツ語学研究』 |
1994年3月 | 意釈『類経』推薦文 | 谷口書店へ |
1994年4月 | 「刺絡篇」訓釈(1、2、3) | 『刺絡』 |
1994年4月 | 『三部九候論』と敦煌医書 | 『内経』 |
1994年4月 | 「素問」三部九候論と『敦煌医書』について | 『内経』 |
1994年4月 | 奇経八脈説について | 『日本経絡学会誌』 |
1994年5月 | 書評『難経校注』 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年6月 | 『難経』と『内経』について | 漢方鍼医会にて講演 |
1994年6月 | 『難経』(経文校勘) | 漢方鍼医会にて講演 |
1994年6月 | 『難経』と他書との関係 | 漢方鍼医会にて講演 |
1994年7月 | 書評『腸は考える』 | 『日本経絡学会誌』 |
1994年8月 | 敦煌医書について(1、3、4) | 『内経』 |
1994年8月 | 丸山昌朗先生のこと | |
1994年10月 | 丸山昌朗先生のこと(1) | 『内経』 |
1994年10月 | 『九鍼十二原』と『鍼解』篇など | 『内経』 |
1994年11月 | 丸山昌朗先生のこと(2) | 『内経』 |
1994年12月 | 丸山昌朗先生のこと(3) | 『内経』 |
1994年12月 | 素問・陰陽応象大論篇第5(全) | 『漢方鍼医』 |
1995年 | Q&A/「蔵府経絡説とは何を言うのですか」 | 『日本経絡学会誌』 |
1995年 | 奇経八脈の形成についての初歩的な問題 | 『日本経絡学会誌』 |
1995年 | 刺絡学会報告 | 『日本経絡学会誌』 |
1995年 | 第8回「全国中医薬文化、中医文献及び医古文学術討論会」 | 『日本経絡学会誌』 |
1995年1月 | 丸山昌朗先生遺徳顕彰会のこと | 『内経』 |
1995年4月 | 敦煌古医籍考釋(1) | 『内経』 |
1995年5月 | 西安から敦煌へ | 『内経』 |
1995年5月 | 敦煌古医籍考釋(2) | 『内経』 |
1995年5月 | 手術の可否判定 | 『医道の日本』 |
1995年6月 | 西安から敦煌へ | 『内経』 |
1995年6月 | 敦煌古医籍考釋(3) | 『内経』 |
1995年7月 | 西安から敦煌へ | 『内経』 |
1995年7月 | 敦煌古医籍考釋(4) | 『内経』 |
1995年12月 | 『啓廸集』書評 | 『医道の日本』 |
1995年12月 | 素問・五蔵生成篇第10(全) | 『漢方鍼医』 |
1995年12月 | 糖尿病患者の相談に | 『医道の日本』 |
1996年1月 | 日本経絡学会会長就任挨拶 | 『日本伝統鍼灸学会誌』 |
1996年1月 | 30年前と30年後 | 『内経』 |
1996年1月 | 三十年前と三十年後 | 『内経』 |
1996年1月 | 刺絡の歴史年表 | ?? |
1996年2月 | 福島弘道氏追悼文 | 『経絡鍼療』 |
1996年2月 | 全元起本について | ?? |
1996年4月 | 九箴会/臨床経穴学「飛陽、大鍾、内関」 | 『内経』 |
1996年4月 | 全元起注『素問』について(1) | 『内経』 |
1996年4月 | 全元起本について(1) | 『内経』 |
1996年4月 | 全元起本について(2) | 『内経』 |
1996年4月 | 「がん」について | 『医道の日本』 |
1996年5月 | 『漢方治療百話 八』書評 | 『医道の日本』 |
1996年5月 | 全元起注『素問』について(2) | 『内経』 |
1996年5月 | 全元起本について(3) | 『内経』 |
1996年6月 | 九箴会/臨床経穴学「飛陽、大鍾、内関」 | 『内経』 |
1996年6月 | 全元起注『素問』について(3) | 『内経』 |
1996年6月 | 素問・上古天真論第1(全) | 『漢方鍼医』 |
1996年6月 | 「未病治」 | 『全日本鍼灸学会誌』 |
1996年7月 | 九箴会/臨床経穴学「飛陽、大鍾、内関」 | 『内経』 |
1996年7月 | 全元起注『素問』について(4) | 『内経』 |
1996年7月 | 全元起本について(4) | 『内経』 |
1996年8月 | 日本の刺絡治療家の業績 | 中国での講演 |
1996年8月 | 刺絡鍼法の理論的問題 | 日本刺絡学会合宿にて |
1996年8月 | 全元起本について(5) | 『内経』 |
1996年8月 | 不眠症 | 『医道の日本』 |
1996年10月 | 全元起注『素問』について(5) | 『内経』 |
1996年10月 | 『難経』の功罪 | 『日本経絡学会誌』 |
1996年11月 | 中国医学への招待(治療) | ?? |
1996年12月 | 巻頭言( ) | 『内経』 |
1996年12月 | 内経に於ける病因、病理、病機、病症〈がんを考えながら〉 | 『漢方鍼医』 |
1997年?月 | 『黄帝内経』の成立を巡って | 『東洋医学』 |
1997年 | 『難経』の功罪について(抄) | 『日本伝統鍼灸学会誌』 |
1997年1月 | 第1回国際『内経』学術研究シンポジウム | 『内経』 |
1997年1月 | 奇経八脈説について | 『日本経絡学会誌』 |
1997年1月 | 百会穴治験 | 『医道の日本』 |
1997年2月 | 『内経』の刺絡(1)(2) | ?? |
1997年2月 | これからの医学、治未病 | ?? |
1997年2月 | 東西医学の接点 | 札幌での講演 |
1997年3月 | 古典と鍼灸 | 『内経』 |
1997年4月 | 小泉文雄氏の追悼文 | 『漢方鍼医』 |
1997年4月 | 百号記念巻頭言 | 『内経』 |
1997年4月 | 『玉機真蔵論』での問題点 | 『内経』 |
1997年4月 | 奇経八脈説の諸問題 | ?? |
1997年4月 | ガン字の由来について | ?? |
1997年4月 | ガンは何故出来るのか | 『鍼灸OSAKA』 |
1997年5月 | 『鍼灸療法』発刊祝辞 | 『鍼灸療法』 |
1997年6月 | 小泉治雄先生を悼む | 『漢方鍼医』 |
1997年6月 | 経脈篇と経筋篇の成立をめぐって | 『漢方鍼医』 |
1997年7月 | 鍼灸界を望んで | 『TAO鍼灸療法』 |
1997年7月 | シンポ伝統と科学 | 『日本経絡学会誌』 |
1997年7月 | 治す悩みの克服体験 | 『医道の日本』 |
1997年8月 | 古典から癌の成因考察 | 『鍼灸OSAKA』 |
1997年8月 | 漢方入門小辞典へ | 月刊『しにか』 |
1997年10月 | 竹村正先生への告別の辞 | 『伝統鍼灸』 |
1998年 | 「日本経絡学会」から「日本伝統鍼灸学会」へ-Ⅰ | 『日本伝統鍼灸学会誌』 |
1998年 | 関連学会報告「第1回海峡両岸中医薬文献、医古文及中医薬文化学術研討会」 | 『日本伝統鍼灸学会誌』 |
1998年6月 | 私の学生時代 | 『医道の日本』 |
1998年6月 | 『調経論』について | 『内経』 |
1998年6月 | 全本1/2巻と『調経論』 | 『内経』 |
1998年6月 | 全本1/2巻資料 | 『内経』 |
1999年6月 | 「素問」「霊枢」の治療について | 『漢方鍼医』 |
? | 岡部素道先生 | |
? | 岡部素道先生を偲んで | 『医道の日本』 |
? | 瀉血と刺絡の歴史について | ?? |
? | 百会、関元 | ?? |
? | 蓬 | ?? |