金古英毅先生 - 年譜 -
(小林健二、宮川浩也作成)
- 昭和19年(一九四四)
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中国の開封で生まれる
群馬県前橋高校卒業
日本大学卒業 - 昭和43年(一九六八)
- 7月 北区神谷病院に鍼灸科開設、豊田白詩先生着任。助手に金古先生。
- 昭和45年(一九七〇)26歳
- 東洋鍼灸専門学校入学
- 昭和46年(一九七一)27歳
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鍼灸学校の二年生
新医協入会
島田先生を通じて丸山昌朗先生に出会う(麻布) - 昭和47年(一九七二)28歳
- 第14回夏期大学参加。『経絡治療』31号に「普通科受講感想」
- 昭和48年(一九七三)29歳
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3月 東洋鍼灸専門学校卒。
第1回日本経絡学会設立。その模様を『経絡治療』34号に執筆。所属は「編集部」となっている。昭和45年(一九七〇)から『経絡治療』の編集主幹をなさっている島田先生の編集手伝いと入ったものと思われる。
4月 新医協のハイキングに参加。
日本経絡学会発足
12月の印度視察旅行に参加。新医協二十名。 - 昭和50年(一九七五)31歳
- 3月 丸山先生没(58歳)
- 昭和51年(一九七六)32歳
- 1月 藤木先生没(44歳)
- 昭和52年(一九七七)33歳
- 島田先生が『経絡治療』の編集から降りる。
- 昭和59年(一九八四)40歳
- 島田先生が『日本経絡学会誌』の編集長。平成6年まで。
- 昭和61年(一九八六)42歳
- 原塾の医古文基礎講座受講(中国語をはじめて独学)
- 昭和61年(一九八六)42歳
- 池袋・島田治療院で難経研究会を発足
- 平成3年(一九九一)47歳
- 7月 豊田白詩先生没(66歳)
- 平成6年(一九九四)50歳
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日本経絡学会(日本伝統鍼灸学会)・編集部長を島田先生から引き継ぐ(~平成18年)
伝統鍼灸学会では、「病証学」についてシンポジウム司会、シンポジスト、報告書まとめなどを行う。個人の発表としては、『千金方』、『千金翼方』の灸の研究、『内経』の刺絡について、『甲乙経』などの経穴位置の研究など - 平成12年(二〇〇〇)56歳
- 島田先生没。
- 平成13年(二〇〇一)57歳
- 呉竹学園教員養成科講師
- 平成16年(二〇〇四)60歳
- 東洋鍼灸専門学校講師になる。
- 平成17年(二〇〇五)61歳
- この頃から精力的に丸山、藤木、島田先生などの業績を逐次、後進の若い研究者たちに紹介し始める
- 平成18年(二〇〇六)62歳
- 東鍼校で実技を教え始める。
- 平成20年(二〇〇八)64歳
- 実技としての手の作り方、取穴、脉診などを精力的に各雑誌や講演会で発表(日本伝統鍼灸学会、鍼灸ジャーナル、東洋医療臨床技術大学校アカデミー、東京都はり・きゅう・あん摩・マッサージ指圧師会、了徳寺学園)
- 平成23年(二〇一一)67歳
- 8月北京・開封の旅行(黄河へ父親の散骨)
- 平成25年(二〇一三)69歳
- 9月7日逝去