■痛みとは | │説│Descartes→特殊説→パターン説→感情説→悪循環説→ゲート・コントロール説→多層モデル→biopsychosocial medical model→neuromatrix theory→fear-avoidance model(→ソマティック・マーカー仮説) |
17C | Rene Descartes'↑P Boyの図を、Melzack↓は「特殊説」の原型であると考えた。反射の概念と侵害受容器の存在をほのめかした。 |
1826年 | Johannes Peter Müller(P 1801〜1858、1810年に創設されたベルリン大学の解剖生理学教授)は「特殊エネルギーの法則 (Müller's doctrine of specific nerve energies, Code of specific nerve energies)」を提唱した。形態学的に特徴的な受容器が特定のエネルギーを伝導し、その情報をこのモダリティに特化した神経線維を通じて脳に伝える。Müllerは、感覚器官から感覚に応じる脳中枢への直通の系を考えた。当時各々の感覚神経自体に固有な特殊エネルギーによるのか、神経の終末の脳領域のある特殊な性質によるのか、確実にわかっていなかったが、感覚の質は脳の神経終末によって決定されると結論した。 (Müllerは古典的な五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)しか認めず、体性感覚を、単一の感覚系であると考えた。体性感覚の質の多様性は、視覚における、形態、奥行き、色覚など、質的に異なった知覚を単一の統合系統とみなすのと同一であると考えた。) |
Weber: weak stimulation excites nerve endings, leading to awareness of body; intense stimulation excites nerve trunks leading to pain | |
1846年 | Charles Edouard Brown-Sequard(P 1817〜1894)は、痛覚の伝導路と触覚の伝導路とは独立して存在することを確認した。 →ブラウン・セカール症候群 |
1858年 | Moritz Schiff(P 1823〜1896、ドイツの生理学者、MagendiePの弟子)は温痛覚を伝える神経線維は脊髄に入ってすぐ交叉するのに対し、触圧覚はを伝える神経線維は同側の後索を上行すると記載し、痛覚は触覚とは独立した感覚であることを示した。 |
1889年 | Ludwig Edinger(P 1855〜1918, フランクフルト)が脊髄視床路が視床まで到達することを発見した。 |
1882年 | Magnus Blix(P 1832〜1904, ウプサラ)が感覚特異性スポット(感覚点)のモザイク様構造を発見し、感覚種のそれぞれに関与する特異的な構造があるということが受け入れられるようになった。 |
1895年 | Maximilian Ruppert Franz von Frey(P 1852/11/16〜1932/1/25, ビュルツブルグ)は以下の3種類の事実から、痛覚系には特殊な痛み受容器があると主張した。
これらの事例から、von Freyは感覚受容器と感覚との関連を推論した。痛覚はどこにでも見いだされることから、皮膚の表層に広く分布している自由終末を痛覚の受容器だと考えた。触覚の閾値が低く、触点が最も多くみられる指先と手掌に多く見られるMeissner小体を、触覚の受容器と考えた。結膜は温刺激に対する感受性を持たず、陰茎は圧刺激に対する感受性を持たないが、両者は冷刺激に感受性があり、end bulb of Krause(クラウゼ終棍)が両者に存在するので、冷感に関与すると推論した。温覚の受容器が決められなかったので、残ったRuffini ending(ルフィニ終末)を温感の受容器だとしたが、これに関しては現代の知識によって異論が挟まれるものである。しかし自由終末が痛覚に関与するという指摘は、今日でも受け入れられるものである。 |
「Headの2元論」:「触」と「痛」とが違うシステムによるという仮説。 | |
1906年 | Sir Charies Scott Sherrington(P 1857〜1952, イギリスの生理学者)が侵害受容の概念を記述した。受容器の特殊性を、特定の刺激に対する最低閾値という用語で定義し、適当刺激という概念を記述した。Sherringtonは「noci-ceptor」という用語を使った。 |
1926年 | Edgar Douglas Adrian(1st Baron Adrian of Cambridge )(P 1889〜1977, ロンドンの電気生理学者)とYngve Zotterman(1898〜1982/3/13, Adrianの門下生、スウェーデンの神経科学者)が初めて筋紡錘を神経支配する単一神経線維から活動電位を初めて記録した。活動電位は感覚神経の終末で発生し、受容器が修飾された情報は、インパルスの頻度を変えることによって伝えられることを発見した。Zottermanらはその後の研究により、Müller↑によって理論立てられた「特殊エネルギーの法則」の概念を明確に示した。痛みは全身に存在する皮膚の受容器に過剰な刺激が加えられた結果ではなく、特殊な受容器に生じた電気活動の結果であることを実証した。 |
1929年 | Herbert Spencer Gasser(P 1888〜1963, アメリカの生理学者)とJoseph Erlanger(P 1874〜1965)による加圧とコカイン麻酔による神経線維の伝導ブロック実験によって、末梢神経軸索の各々に対する特異的適合刺激を決めることができるとするSherrington学派の信条は新たな指示を受けた。 |
1948年 | John R Baker(オックスフォード大学の生物学者、細胞学者)は、脊椎動物のすべてに特殊疼痛感覚があることを示した。 |
1967年 | Burgess とPerlは、Aδレンジの伝導速度を持つ有髄線維が侵害性機械刺激にのみ反応することを報告した。Sherrington P ↑が使った用語「noci-ceptor」を「nociceptor」に変更した*。 |
1969年 | Bessou とPerlは、無髄線維に、ポリモーダル受容器と侵害刺激にのみ反応する侵害受容器があることを報告した。Sherrington P ↑の定義を発展させて、侵害受容器は侵害刺激と非侵害刺激を識別することができるものとした*。 |
1970年 | Christensen and Perlは、侵害刺激に特異的に反応するニューロンが脊髄表層に存在することを報告した。(Christensen BN, Perl ER. Spinal neurons specifically excited by noxious or thermal stimuli: marginal zone of the dorsal horn. J Neurophysiol. 1970 Mar;33(2):293–307. [PubMed]) |
痛覚特有の伝導路がある。←→ 痛みの特殊説に基づき、1911年にEdward Martin(P 1859〜1938, Spillerの同僚の脳外科医)は、コルドトミーを行った。外側脊髄視床路が走っている脊髄の前側索を外科的に切断し、切断部位の鎮痛に成功した。一時期、下半身の激痛を救う最後の手段として隆盛を極めたが、症例数が集まるにつれ、その効果が疑問視されるようになった。手術の危険が高い割に鎮痛効果がはっきりしない場合も多く、効果が得られても痛みが再発する例が多くなり、現在ではほとんど行われなくなった。 |
痛覚に特異的な受容器を刺激するような組織損傷があれば痛みを引き起こされる?←→ Henry Knowles Beecher(P 1904〜1976, ハーバード大学麻酔学教授)は、第二次世界大戦中にイタリア戦線で、戦場における痛みの研究をした。激戦地から送り返されてくる兵士は重傷を負っているにもかかわらず、ほとんど痛みを訴えなかった。人によってはむしろ、外傷の痛みを完全に否定し、鎮痛薬の投薬を必要ないと断り、喜々としていた。疼痛に対する反応の仕方は心理社会的要因によって大きく変化する。 Beecherの観察は施行(認知)や情緒(気分)が痛みの認知を大きく作用することを物語っている。瀕死の重傷は負っていても、最前線で戦わなくても良いという安心感、喜び、生きているという実感ーそうした認知や情緒が痛みの認知機序に抑制をかけていたのかもしれない。病院に運ばれて医療を受け始めると、その戦士達も筋肉注射のようなわずかな痛みにも反応したようだ。 |
←→ 前頭葉ロボトミーは、重傷な精神科症状の軽減を目的として、施行された。ロボトミーを受けた患者の多くは、明らかに痛いはずの時でも、「痛みは感じても気にならない」と痛みに対して無反応であり、鎮痛薬の投薬の要求もしなかった。 ---感覚情報を皮質に送る視床と前頭葉との結合線維を外科的に切断すれば、痛み刺激に無頓着になれる。 |
パブロフのイヌ←→ 電気ショック、熱傷、切り傷などによる痛み刺激を加えた直後にえさを与える実験を繰り返すと、はじめは激しい痛みを訴えていたイヌが、次第に痛み刺激があたかもえさを与える合図であるかのように反応するようになり、いつの間にか痛みを感じていると思わせるような反応を一切しなくなる。 ---痛いはずの痛み刺激が快感の始まりの合図になりうる。痛覚の伝導路を伝わって中枢に達した信号は、いかにして痛覚となるのか??? |
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BC4C頃 | Aristotle P 以来、「痛みを快感に相対する情動」と主張し続けられてきて、すべての感覚が過度に強まると痛みになるという、19世紀の「強度説」と同じ様な考え方がすでにあった。 | ||||||||||||||||
AD2C | Claudius Galen(P 131-201)は、病気による痛みは末梢神経によって伝えられ、末梢神経が中等度に刺激されると快い感覚を生じ、それが強く刺激されると痛みが起こると説明した。皮膚では末梢神経に中等度の刺激が加わると触覚、強い刺激が加わると痛みをひき起こすと考えた。 | ||||||||||||||||
1794年 | Erasmus Darwin(P 1731年〜1802年 Charles Darwinの祖父)は、生物進化について考えをまとめ「ゾーノミア Zoonomia」の中で、過度の刺激によって温覚、触覚、視覚、味覚あるいは嗅覚が誇張されると痛みが起こるという考えを発表した。 | ||||||||||||||||
Wilhelm Max Wundt(P 1832年〜1920年、ドイツの生理学者、心理学者、実験心理学の父)は、「強度説」の立場をとり、痛みの受容器は、熱、寒冷、触刺激などの受容器と同じであると主張した。これらの受容器からきたインパルスの強さが中等度のときには、温度感覚や触覚をおこす脊髄内上行性伝導路が興奮し、末梢受容器からのインパルスが過度に増強すると、痛みをおこす脊髄内上行性伝導路が興奮すると考えた。したがって、感覚の分化は、末梢ではなく脊髄以後で起こるということになる。 | |||||||||||||||||
1874年 | Wilhelm Heinrich Erb(1820〜1921, ドイツの神経学者*)は、あらゆる感覚刺激の強さが充分であれば痛みが生じ、これらの感覚は脳で加重が起こり痛みと認知されるとした。 | ||||||||||||||||
1894年 | Alfred Goldscheider(P 1858〜1935, von Frey↑の弟子、ベルリンの生理学者)は、はじめはvon Freyの説の庇護者↑であったが、痛み刺激に対する特殊受容器の存在に疑問を投げかけ、皮膚の過度の刺激と、中枢における加重によって生じるとと主張した最初の人である。
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1943年 | William K. Livingston(P 1892〜1966, 外科医)は、カウザルギーなどの痛みの症候群における著しい中枢での加重現象を説明する特殊な中枢神経機構、を示唆した最初の人である。*
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1949年 | Donald Olding Hebb(1904〜1985, McGillの心理学)は、末梢から中枢までのどのレベルで体性感覚経路が損傷されても、しばしば痛みが生じることを指摘して、痛みは中枢の加重機構によって生じると考えたが、脊髄の活動に集中して注意が向けることを避けていた。
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1955年 | Graham Weddell(P 1908〜1990, Oxfordの解剖学者)もD.C. Sinclairも、Nafe(1934年)がそれ以前に行った示唆に基づいて末梢パターン説を支持した。
---感覚受容器は一様であるが、感覚受容器が発生する特別な神経インパルスの空間的・時間的パターンによって痛み知覚が生じると示唆した。
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1959年 | Ainsley Iggoらが皮膚のC侵害受容線維から記録を行った。 | ||||||||||||||||
1959年 | William Noordenbos(P 1910〜1992、アムステルダムの脳外科医)は、特殊化された入力制御系が通常は加重の発生を防止しているが、これが傷害されると病的な痛み状態をもたらすという説を提唱した。
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1962年 | On the nature of cutaneous sesory mechanisms (Brain 85:301-356) ---Melzack & Wall :皮膚の感覚受容は種(modality)特異的ではない。 多くの受容器が、少なくとも2種類以上のエネルギーの狭い強さの範囲、たとえば機械的エネルギーと熱エネルギーに反応し、しかも侵害刺激に特異的に反応するものがあるとは考えられない。 そして、種の異なる皮膚感覚は、末梢神経のインパルスのユニークなパターンを中枢神経系が読み取ることによって引き起こされる。 ---痛覚は触覚などの感覚とは異なるという意味では特殊説であるが、種の違うエネルギーに反応する特殊な受容器や感覚線維はなく、異なる種の痛みはパターン説で説明できる。gate control theoryはこの説の延長線上にある。 | ||||||||||||||||
1996年 | Arthur D. (Bud) Craigらの「thermal grill illusion」[PubMed1/2] 本来痛みを感じさせない暖かいバーと冷たいバーを交互に並べているグリルに手を入れると痛みが引き起こされるメカニズムを説明した。 「中枢性の脱抑制やアンマスキング処理を基礎とした大脳皮質レベルでの痛み知覚の統合」 ←Thunberg' illusion |
BC4C頃 | 痛みが感覚の種類 modalityであるという説は、比較的最近のことで、Aristotle Pの時代に遡ると、痛みは感覚と言うよりもむしろ情動ー感覚と正反対ーと考えられていた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1894年 |
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1900年 |
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20世紀初め |
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感↓ 覚↓ 神↓ 経↓ | 痛みの悪循環 サイクル | ↑交 ↑感 ↑神 ↑経 | ||||||||
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感↑ 覚↑ 神↑ 経↑ | 痛みの悪循環 サイクル | ↓運 ↓動 ↓神 ↓経 | ||||||||
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侵害受容 nociception | 侵害刺激により神経自由終末にある侵害受容器に電気的インパルスが生じること ←病理への治療 |
疼痛の知覚 perception of pain | 侵害受容によって、複数のニューロンを経由して大脳皮質に到達したときに様々な程度の痛みとして認識される。 ←神経ブロック(ペインクリニック) |
苦悩 suffering | 痛み知覚により引き起こされる、人間が感じる様々な苦しみのすべてであり、痛みに伴う不安や恐怖、抑うつなどに伴う苦しみ陰性感情 ←認知療法(教育、自律訓練法) |
疼痛行動 pain behavior | 苦悩により引き起こされる、言語的・非言語的表現、および痛みを回避するための行動。 ex)「痛い」と叫ぶ。顔をこわばらす。痛い箇所を手で押さえたり、仕事を休み、病院に行く、ドクターショッピングをする、労災申請をする。 ←行動療法(オペラント条件付け) |
対峙 confrontation
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回避 avoidance
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Pain Relief |