BC1550年頃 | 古代エジプトの古文書 Evers Papyrusにも頭痛の記載が遺されている。 |
| 古代エジプトの女神イシスは太陽神ラーの頭痛を治すためアヘン↑を用いたといわれる。 |
BC5C | Hippocrates(P ヒポクラテス BC460〜BC377、「古代ギリシアの医聖」、エ−ゲ海コス島生まれ)は、「患者には目の前に何か光のようなものが見えてくる。それが終わる頃に同側のこめかみに激しい痛みが出現し、頭全体そして首のつけ根に拡がっていく」と書いていた。これは片頭痛に先行する視覚性前兆であると考えられる。 |
BC1C | Gaius Julius Caesar(BC100〜BC40)の時代には、痛風や頭痛に対する鎮痛法としてシビレエイ(電気)が利用されていた。 |
AD46年 | Scribonius Largus(1〜50, ローマの医師,Emperor Claudiusの軍医)が著した「Compositiones Medicae」に、慢性の耐え難い頭痛があるときには、痛みを感じる場所に生きた黒シビレエイ(電気魚)をおき、痛みが消えるのを待つと書いている。 |
AD2C | Aretaeus (Aretaios)(P AD130〜200, カッパドキア Cappadocia)は、頭痛をcephalalgia(軽度の頭痛), cephalaea(重度の慢性頭痛), and migraineに分類していた。片頭痛を「heterocrania」と名づけた。破傷風の痛みについても記載している。てんかん発作に伴われる「aura」には、「目の前に紫色や黒色の閃光が走ったり、なにもかもが入り交じって、空いっぱいに広がる虹のように見える」と記載した。 |
AD2C | Claudius Galen (Galenus)(P 131-201、ローマ時代の名医)は、片頭痛を、他の頭痛から区別し、頭の半分が痛むので "hemicrania(→migraine)" と呼んだ。Galenは、頭痛、痛風や他の病気の鎮痛のために、電気魚のショックを利用していた。Galenは、生きた電気魚と死んだ電気魚を比較し、死んだシビレエイでは頭痛に効かないことを確かめた。 |
AD2C | 華陀 Hua Tuo↑(P 110〜207, 後漢末の医師)は、「三国志」の中の「華佗伝」では、魏の曹操の持病の頭痛を治療したが、曹操の侍医になるのを断り、母の病気のためと偽って故郷に帰った華陀は、曹操の怒りを買い、火あぶりの刑に処せられた。(あるいは、敵将関羽を治したと、曹操の怒りをかって殺された。) |
1560年 | Jean Nicot(1530〜1600, リスボン駐在のフランス大使)は、ポルトガル大使時代にアメリカからきた多くの新しい植物に興味を持っていた。Damião de Goes(Nicotの友人の植物学者)からあらゆる病気に効くというタバコ種の植物を貰い受け、大使館の庭に植えて栽培し、研究した。研究の中から、タバコの葉には片頭痛に効く成分が含まれていると確信し、当時片頭痛に悩んでいたQueen Catherine de Medici(フランス王妃カトリーヌ・ド・メディチ 1519/4/13〜1589/1/5)にタバコの葉の粉末を献上し、嗅ぎタバコ(snuff)を勧めた。嗅ぎたばこは痛みを和らげるくしゃみを誘発し、家来たちを驚かせ、これが流行となった。ニコの栄誉を称え、Catherineからこの草に「nicotiana:ニコの草」と名づけることを許された。有効成分のnicotineの名は、このnicotianaに由来するものである。 |
1672年 | Thomas Willis↑(P 1621〜1675, ロンドンの開業医でチャールズ2世の侍医、解剖学者)は血管拡張が片頭痛を引き起こすと考えていた。その後多くの学者も血管拡張説を指示したが、実験的に証明されたのは20世紀になってからでである。 片頭痛の治療法としてナツシロギクやコーヒー(17世紀の中ごろにオックスフォードに伝えられる)を紹介している。 |
1778- 1780年 | Samuel Auguste André David Tissot(1728〜1797, スイスの内科医、神経科医)は3巻からなる神経学の教科書「Traité des nerfs et de leurs maladies (Treatise on the nerves and nervous disorders」を書いていて、片頭痛に関する章は83ページにも及ぶ。コーヒーやカラメル、薄い紅茶を片頭痛の治療薬として薦めている。参考1 |
1859年 | Emil Heinrich du Bois-Reymond(P 1818/11/7〜1896/12/26, 父はスイスの時計屋、Johannes Petrus Mullerの弟子, ベルリン大解剖生理学教授)は3月1日にライプチヒで開かれた博物・医学会で自分自身の片頭痛の症状について講演した。参考1 Reymondが示した症状に「顔面蒼白」が含まれ、片頭痛は血管収縮を含む交感神経の過活動によって生じ、これらは「white migraine」と呼ばれる概念である。←→red migraine 参考2 |
1867年 | Wilhelm van Möllendorfが「red migraine」について記載した。片頭痛の原因は血管拡張を含む交感神経の遮断によると考え、交感神経の過活動によってwhite migraineが起こるというEmil Heinrich du Bois-Reymond↑の説にMöllendorfは異論を唱えた。red migraineはしばしば群発頭痛の最初の記述と誤解されるが、群発頭痛にこのような自律神経のサインは必ずしも必要ではない。 |
1868年 | Edward Woakes(1837〜1912, 英国の耳鼻科医)がBritish Meclical Journalに「神経痛(片頭痛も含まれる)の治療におけるライ麦のエルゴット(麦角)について」という論文を発表。血管拡張に関連する片頭痛と他の神経疾患に血管収縮剤剤として麦角を推薦した。 |
1870年 | Hubert Airy(1801〜1892, イギリスの内科医)が片頭痛の前兆として現れる閃輝性暗点 scintillating scotomaのスケッチをした。 |
1875年 (1883) | Albert Eulenburg (オイレンブルグP 1840〜1917, ドイツの神経学者)が麦角を片頭痛の治療薬として使用した。
Eulenburgはergotineに反応する片頭痛の発作には「redness of the face, sweating, ipsilateral miosi」が伴われると記述した。Wilhelm van Möllendorf↑のred migraineの説を指示した。このような「red migraineはしばしば群発頭痛の最初の記述と誤解された。←→white migraine |
1889年 | Sir William Richard Gowers↓(P 1845〜1915, イギリスの神経学者)が書いた教科書の中で片頭痛の治療法としては、強いお茶、コーヒー↑やエルゴタミン↑が有効と書いている。 |
1898年 | Karl Gustav August Bier(P 1861〜1949, キール大学の外科医)は、彼自身を被検者として、コカインによる、腰椎脊椎麻酔の臨床実験を行った。はじめての「脊椎麻酔」の臨床応用である。腰椎を穿刺し、コカイン溶液を注入して、麻酔をした。James Leonard Corning↑(P 1855〜1923)の時とは違い、CSFが噴き出すことが確認されている。注射器は使わず、標準化された針と Luer locksを使用した。Bierは脊椎麻酔後の頭痛(硬膜穿刺後頭痛)に悩まされ、CSFの減少のために起因すると考え、細いゲージの針を使うことを推奨した。 |
1904年 | Sir William Richard Gowers↑(P 1845〜1915, イギリスの神経学者)は片頭痛に伴われる輝性暗点について記載している。 |
1925年 | Ernst Rothlin(Sandozの薬理学教授)が酒石酸エルゴタミンの皮下注射が片頭痛発作に有効であることを発見した。 |
1928年 | Tzanck Aはエルゴタミンを片頭痛の治療に応用して、その成績を「酒石酸エルゴタミンによる片頭痛の治療 Le traitement des migraines par le tartrate d'ergotamine, Bull. et mdm. Soc. mdd. ci hOp. de Paris 1928;52:1057-1061.」という論文に発表した。 |
1938年 | John Ruskin Graham(P1909〜1990 )とHarold G Wolff(1898〜1962, USA)は浅側頭動脈を含む頭蓋血管の拡張が拍動性片頭痛の主な原因であることを証明した。血管拡張薬である亜硝酸アミルの投与で前兆が消失し、血管収縮薬である酒石酸エルゴタミンの投与で拍動性の発作は軽くなるという事実から、脳血管が収縮して前兆が起こり、拡張して頭痛が生じるという説が提唱されました。 →頭痛の血管説 |
1938年 | Georges Schaltenbrand(1897/11/26〜1979/10/24, ドイツヴルツブルク大の神経学者)が特発性低髄液圧性頭痛を初めて報告した。 |
1939年 1952年 | Bayard Taylor Horton(P 1895〜1980, メイヨークリニック)は1939年に群発頭痛をerythromelalgia of the head(頭部の肢端紅痛症?) として発表した。この疾患とヒスタミンの関係に着目し、1952年Histaminic cephalgiaの名づけた。ヒスタミン の皮内注射で半数の患者に発作が誘発できたと発表したが、その後の追試ではその結果は再現できなかった。フェイスマスクで純酸素を吸入する治療法を提唱した(Horton BT:Histaminic cephalalgia. Lancet 2:92-98,1952)。 |
1941年 | Karl Spencer Lashley(P 1890〜1958, Harvard の心理学者、神経心理学の創始者)が、自分自身の片頭痛の前兆として現れる閃輝暗転を調べた。 ⇒詳細 |
1943年 | Arthur Stoll↑(P 1887〜1971, スイス・サンドSandoz製薬の化学者)とAlbert Hofmann↑(P 1906/1/11〜2008/4/29 スイスバーゼルのSandoz研究所、現 Novartis研究所)はDihydroergotamine(DHE-45, Sandoz): DHEを合成し、Horon, Peters and Blumnthal(Mayo Clinic)が片頭痛の治療に使った。 |
1944年 | Aristide Leão(P 1914/8/3〜1993/12/14, ブラジルの神経科学者)が、拡延性抑圧を発見した。感応コイルを使って、ウサギの大脳皮質にてんかん発作閾値以下の反復電気刺激を加えると、脳波が平坦になることを観察した(Leão, J. Neurophysiol. 1944)。 ⇒詳細 |
1958年 | Peter M. Milner (Lashleyの弟子)は、閃輝暗点と拡延性抑制との間の病像および進行の類似性を報告した。閃輝暗点の進行速度と、Leãoの拡延性抑圧が拡がる速さと一致することから、大脳皮質の視覚野を拡延性抑圧が拡がるのに伴って、片頭痛の前兆の暗転が拡大するという仮説を発表した。 |
1960年 | Robert W Kimball(ニューヨークのモンテフィオーレ病院)らは、片頭痛にセロトニンの静注が有効であると報告した。しかしセロトニンは全身に作用するため、副作用で臨床には使えなかった。 |
1962年 | Arnold P. Friedman(1909〜1990, ニューヨークの内科医)を中心としたAd Hoc委員会が頭痛を分類した。 |
1970年代 | Patrick PA Humphrey↓(英国の製薬会社Glaxo)は頭痛薬として血管収縮物質を探索した。インドール核を有する化合物のうち、セロトニン受容体に作用する化合物の合成、スクリーニングが行ない、GR43175(スマトリプタン)を発見し、パテントをとった。 |
1981年 | Jes Olesen(Copenhagen)らは片頭痛の神経説を唱えた。 ⇒詳細 |
1984年 | Michael A. Moskowitzらが三叉神経血管説を唱えた。 |
1983年 1988年 | Patrick PA Humphrey↑(英国の製薬会社Glaxo)はスマトリプタンの5-HT1受容体への選択作用性を確認した。 |
1988年 | Alfred Doenicke(ルードビッヒ-マクシミリアン大)がスマトリプタンの頭痛への有効性を証明示した。34人の片頭痛患者に投与したところ、23人の患者の発作の頻度と程度を劇的に抑えた。 |
1988年 | 国際頭痛学会 International Headache Society:IHSが国際頭痛分類第1版発表を発表した。 |