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→関連→ |
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1363年 | Guy de Chauliac(P 1300〜1368、フランスの外科医、内科医)は、神経幹圧迫↓1による麻痺効果を利用して、手術を行っていた。「Chirurgia magna」は、16世紀までもっとも権威あるテキストとなった。 |
18C末 | Charles Bell(P 1744〜1842)が著した外科学教科書に、下肢切断に用いた、末梢神経圧迫による伝達麻酔法が記載されていた。 |
1851年 | Claude Bernard(P 1813〜1878, フランスの生理学者)がウサギの頸部交感神経を切断すると、耳が温かくなり、血管網が拡張するのを、1851〜1853年の生物学会で詳細な報告を行った。 |
1852年 Charles Gabriel Pravaz(P 1791〜1853, リヨンの外科医)による注射器の発明 1853年 Alexander Wood(P 1817〜1884, エジンバラの開業医)がPravaz注射器を臨床使用 ←→注射器の歴史 | |
1872年 | Theodor von Billroth(P 1829〜1894、ウイーンの外科医)が坐骨神経痛を牽引で治療(Archiv fur Klin Chir von Langebeck)、Silas Weir Mitchell(1829〜1914)も著書で神経牽引法を論じ、以後この治療法が普及した。 |
1884年にCarl Koller(P 1857〜1944, ウィーンの眼科医師)による最初の局麻薬としてコカインの発見 ←→局麻の歴史 | |
1884年 | William Stewart Halsted (P 1852〜1922, ボルチモアの外科医)はコカインが神経幹での伝導を止めることを実証し、外科学における伝達麻酔法の土台を作った。腕神経叢ブロックも行っている。 ⇒詳細 |
1885年 | James Leonard Corning(P 1855〜1923, ニューヨークの脳外科医)が、脊髄腔にコカインを注入して、下半身を麻酔(脊椎麻酔)した。この方法によって、虫垂炎や婦人科疾患の無痛手術が可能となった。Corningは脊椎麻酔について記載したが、脳脊髄液の流出について書かれていないので、硬膜外麻酔を行ったと考えられる。その後「局所麻酔法」を出版した。 |
1889年 | Maximilian Oberst of Halle(P 11849〜1925, ドイツ)が、指に低濃度のコカインを投与し、伝達麻酔法を一般に広く応用した。(Oberst麻酔 Oberst's method) |
1889年 | Alexander(リバプール、エディンバラ)がてんかん治療に、初めて頸部交感神経の部分切除を行った。 |
1896年 | Thomas Jonnesco(=Thoma Ionescu P 1860/9/13〜1926/3/28, パリ→ブカレスト Bucharestの外科医)が眼球突出性甲状腺腫(exophthalmic goiter)の治療に星状神経節ブロックを行った。1899年には緑内障の治療のため頸部交感神経切除術を行い、1902年には三叉神経痛、1905年には視神経萎縮症(optical nerve atrophy)、1917年には外頸動脈の血管腫(angioma of the external carotid artery)1921年には同様の手術で狭心症の治療に成功した。その成績を1920年に発表した。1900年にはlumbar sympathectomy、1901年にはsacral sympathectomy、1922年にはperi-arterial sympathectomyを行った。 |
1898年 | Karl Gustav August Bier(P 1861〜1949, キール大学の外科医)は、彼自身を被検者として、コカインによる、腰椎麻酔の臨床実験を行った。はじめての「脊椎麻酔」の臨床応用である。腰椎を穿刺し、コカイン溶液を注入して、麻酔をした。Corning↑(P 1855〜1923)の時とは違い、CSFが噴き出すことが確認されている。注射器は使わず、標準化された針と Luer locksを使用した。Bierは、脊椎麻酔後の頭痛に悩まされ、CSFの減少のために起因すると考え、細いゲージの針を使うことを推奨した。 |
1899年 | Mathieu Jaboulay(P 1860/7/3〜1913/11/4 パリの外科医、Lericheの師匠)が下腹部の痛みに仙骨神経幹を通る求心性神経が関与すると考え、動脈周囲交感神経切除術を行った。高血圧の治療にも、交感神経切除術やや動脈周囲交感神経切除術を行った。 |
1899年 | Charles Emile François-Franck(1849〜1907, フランスの生理学者)が頸部および胸部の交感神経幹の切除によって、心臓からの求心性線維を遮断すると、狭心痛が取り除かれるであろうと予言した。 |
1901年 | Jean-Anthanase Sicard(P 1872〜1929、フランスの放射線科医)とFernand Cathélin(1873〜1945、フランスの泌尿器科医)がそれぞれ仙骨裂孔にコカインを注入して硬膜外麻酔を臨床応用した。 |
1901年 | Rudolf Schlosser が三叉神経痛に対するアルコールブロックを行った。 |
1905年にAlfred Einhorn(P 1856〜1917, ドイツの化学者)によるProcaine (Novocaine)の合成 ←→局麻の歴史 | |
1905年 | Hugo Sellheim(P 1871〜1936, ライプツィッヒの産婦人科教授)が傍脊椎麻酔を実施した。 |
1910年 | Arthur Läwen(P 1876〜1958, ドイツケーニヒスベルグ大外科)が、仙椎麻酔を行った。 |
1911年 | George Hirschel(1875〜1963, ドイツ)が、腕神経叢ブロック(腋窩法)を行った。(brachial plexus block Hirschel's axillary) |
1911年 | Diedrich Kulenkampff(1880〜1963, ドイツ)が、腕神経叢ブロック(鎖骨上法)を行った。(brachial plexus block Kulenkampff's supraclavicular) |
1911年 | William Gibson Spiller↑(P 1863〜1940, フィラデルフィアの神経病理学者)は脊髄腫瘍による下肢の痛みに苦しんでいる患者を診断して、Edward Martin(Spillerの同僚の脳外科医)を説得して、脊髄前側索(腹外側)を両側性に切除すると、痛みが消失した。直視化に脊髄の前側索の切截術を行ったコルドトミーの始まりである。 |
1913年 | Danis(ベルギー)が、経仙骨孔神経ブロック(transsacral anesthesia)を行った。 |
1914年 | Charles Harrison Frazier(P 1870〜1936, フィラデルフィアの脳外科医)は1914年に前側索切截術を改良し、1920年には、上位胸髄が最適部位であると報告した。 |
1915年 | René Leriche(P 1879/10/12〜1955/12/28, フランスの外科医)とFontaineは、カウザルギーの治療にsympathectomyを推奨した。1次世界大戦の負傷兵の神経損傷後の激しい疼痛の原因は交感神経の過剰活動によるものと考え、動脈周囲交感神経切除術(periarterial sympathectomy)を行った。Lericheは、痛みの外科治療に関する最初の教科書を著した。 |
1920年 | Kotzareff Aが多汗症の治療に初めて開胸による胸部交感神経遮断術を行わった。術後、片側性の顔面の多汗が消失した。 |
1921年 | Fidel Pages Mirave(P 1886/1/26〜1923, スペインの内科医)が、腰椎硬膜外麻酔の43の症例を報告した。 |
1922年 | Louis Gaston Labat(P 1876〜1934, アメリカ)が「Text Regional Anesthesia 区域麻酔学」を著した頃には、ほとんどの局所麻酔法は確立されていた。局所麻酔、伝達麻酔、脊椎麻酔について記載した。 |
1923年 9月1日 | Norman Dawson Royle(1888/12/24〜1944, シドニーの整形外科医)とJohn Irvine Hunter(P 1898/1/24〜1924/12/10, シドニーの解剖学者) はガンショットによる頭部外傷後の下肢の痙縮性麻痺に苦しむ30歳の第一次世界大戦での退役軍人に、後外側アプローチで交感神経遮断を行ったところ、結果は良好であった。彼らは1924年にニューヨークで開催された外科学会で、42 人の痙縮性麻痺患者に対する「lumbar ramisection」の報告をした。1924年には内臓神経叢(splanchnic plexus)の切断によって高血圧の治療を行った。 |
1924年 7月24日 | Jules Diez(ブエノスアイレス)は閉塞性血栓血管炎の患者に腰部交感神経切除を行ったところ、ドラマチックに血流が改善した。 |
1925年 3月19日 | William MayoはシドニーのRoyle↑らの病院を訪問し、腰部交感神経切除術の手技の詳細や術後の皮膚血流の変化を聞き、Arthur AdsonとGeorge Brown(Mayoクリニック)に伝えた。MayoとAdsonは下肢の血管攣縮性疾患の治療に、後方アプローチ(posterior approach)で第2胸部交感神経節を切断すると、痛みと循環が改善された。 |
1925年 | Davis and Kanavelは前方アプローチ(anterior approach)で上胸部交感神経幹を切断した。 |
1925年 | Felix Mandl↓(P 1892/7/8〜1957, ウィーン→イスラエルの外科医 )が腰部交感神経ブロックの最初の記載をした。狭心痛に対して、傍脊椎交感神経節に1%塩酸プロカインの浸潤ブロックを行った。(ウィーン) |
1925年 | Doppler(ドイツ)はウサギの子宮の血管に6%のフェモールを注入し、下流の血管拡張を確認した。下肢の末梢神経疾患(peripheral vascular disease:PVD)の治療ために、腰部交感神経ブロック(lumbar chemical sympathectomy :LCS )の効果を、7%のフェモールによる大腿動脈の彩色で確認した。 |
1926年 | George Swetlow(ニューヨークの外科医)は狭心痛に対しては肋間神経に、喉頭痛には喉頭神経に、頭痛には後頭神経への80%アルコールブロックを行った。 |
1927年 | Nelse F. Ockerblad(アメリカKansas大学泌尿器科医)とTG Dillonが、脊椎麻酔時の低血圧にエフェドリンを使用した。 |
1928年 | Spurlingは、ガンショットによる腋下動脈の部分切断によって生じた上肢のカウザルギーの治療に、星状神経節と第一頸髄神経節の切除術を行った。 |
1931年 | Achille Mario Dogliotti (P 1897/9/25〜1966/6/2, Turin, Italy Universita Di Torinoの外科医) がepidural segmental anesthesiaを確立した。 |
1935年 | Telford EDらが鎖骨上窩アプローチ(supraclavical approach, supraclavicular approach)の交感神経遮断術を行った。鎖骨上窩アプローチは後方アプローチよりも痛みが少ないが、神経や血管を損傷するリスクがある。 |
1936年 | Emery Andrew Rovenstine(P 1895〜1960 Ralph M. Watersの最初のレジデントであり、Emmanuel Papper、Virginia Apgar、Stuart Cullenなどアメリカの代表的な麻酔科医を多く育てた。)がNew York UniversityのBellevue Hospitalに最初のnerve block clinic for painを設立した。 |
1935年 | James Clarke White↓(P 1885〜1981, マサチューセッツ総合病院 MGHの脳外科医)は四肢の多汗症患者の交感神経幹を95%アルコールで破壊した。 |
1938年 | Olof Sjöqvist(P 1901〜1954, スウェーデンの脳外科医)が、三叉神経痛の治療に三叉神経脊髄路切断術を行った。 |
1940年 | William T. Lemmon(P 1896〜1974、フィラデルフィア)が、持続脊髄くも膜下麻酔(Continuous spinal anesthesia:CSA)を行った。 |
1942年 | Hughes J(ロンドンの外科医)が胸腔鏡下交感神経遮断術(endoscopic thoracic sympathectomy:ETSを初めて行った。 |
1944年 | James White P ↑は腰部交感神経ブロック法を改良した。ブロック針の位置をX線で確認しながら、ブロックを行った。 |
1944年 | Goetz RHとMarr JAS(ケープタウン)が前胸壁からの経胸壁アプローチ(transthoracic approach)で切除術を行った。 |
1947年 | Felix Mandl↑は6%のフェノールで、他の組織には損傷を与えずに、ネコの頸部交感神経節を破壊し、交感神経のフェノール永久ブロックについて示唆した。(イスラエル) |
1947年 | Duncan Alexander (テキサスの麻酔科医)は神経破壊薬注入前に針の位置を確認するためにcontrast media を使用した。 |
1949年 | Herbert A. Haxton(英国の外科医)は閉塞性動脈疾患の患者の腰部交感神経幹に10%のフェノールを注入した。交感神経ブロックが虚血性の休息期の痛みや跛行に有効であることが示された。 |
1948年 | Keegan & Garrettは、ヘルニアによって脊髄根の圧迫されている患者に、神経根をブロックして、デルマトームを調べた。 参考 |
1951年 | Lars Leksell(スエーデンのカロリンスカ大学脳神経外科)がGamma knife radiosurgery を考案した。 |
1954年 | Kux Eが最初に胸腔鏡下交感神経遮断術を行った。 |
1954年 | Atkinsは経腋下アプローチ(transaxillary approach) |
1954年 | Kux M (インスブルック)が内視鏡手術により1400以上の交感神経および内臓神経切除を行い、胸腔鏡外科のパイオニアとなった。 |
1963年 | Sean Francis Mullanが経皮的前側索切断術を開始した。局所麻酔下、定位脳手術でStrontium90電極を使って、外側脊髄視床路のコルドトミーを行った。 |
1967年 | Peter J. Jannetta(ピッツバーグの脳外科医)は、三叉神経痛に対して微小血管減圧術 Microvascular decompression: MVDを精力的に行い、Dandyの説を復活させた。 |
1969年 | Clowardは背側正中アプローチ(dorsal midline approach)で両側交感神経幹を切除した。 |
1970年 | Reid W, Watt JK, Gray はX線透過下で交感神経ブロックを行った。 |
1972年 | Marc Sindou(フランスLyon大学脳外科)らが、顕微鏡的後根進入帯切載術 microsurgical DREZ0tomy:MDTを最初に行った。 |
1976年 | Robert Boas(ニュージーランドの麻酔科医)は腰部交感神経ブロックのために、radiopaque(X線非透過性、放射線不透性)の神経破壊薬を蛍光透視法でモニタリング(fluoroscopic monitoring )して、神経破壊薬の広がりを確認した。 |
1984年 | Wilkinson HAが経皮的にfluoroscopicを使って、経皮的胸部高周波熱凝固術(percutaneous thoracic radiofrequency sympathectomy)を始めて行った。 |
1990年 | Adler OBとEngel AらはCTガイド下胸部交感神経ブロックを行った(CT-guided chemical thoracic sympathectomy)を行った。 |
1992年 | Göran ClaesとChrister Drott (スウェーデン Borås hospital)ら胸腔鏡下交感神経遮断術の1ポート法を考案した。 |
1995年 | Lloyd R. SaberskiとLuke M. Kitahataがエピドラスコピーを診断だけではなく、慢性疼痛の治療に応用した。 |
2002年 | King-Shun Chuangらは多汗症の治療に経皮的定位的胸部神経節切除術を行った(percutaneous stereotactic thermocoagulation of upper thoracic ganglionectomy and sympathectomy)。 |
古代エジプトでは、注射器↓1を想像させるような中空の針で、死んだ人が永遠の生命を得られるように、血管に様々な薬物を注入していた。 | |
AD2C | Claudius Galen (Galenus)↑(P 131〜201、ローマ時代の名医)は、どのような注射器↑2を使っていたか不明であるが、脳血管に薬物を注入していた。 |
1656年 | 静脈内麻酔↓ intravenous anesthesiaは、Robert Boyle(1627〜1691)によって試みられ、Christopher Wren(P 1632〜1723、St. Paul's Cathedralを設計した英国の建築家)によって、立案された。Wrenは、ブタの膀胱にガチョウの羽軸を中空にして付けた自作の注射器↑で、自分の犬にアヘン↑などの薬物を注入しようとしていた。召使いにもアヘンを注入しようとしたが、気を失ったので、実験を中止した。 参考1/2 |
1665年 1667年 | Johann Sigmund Elsholtz(P 1623〜1688, ドイツの医師)とJohann Daniel Major(1634〜1693, ドイツの外科医、Padua大学で学位)は、人の静脈注射↓と点滴療法に成功した。イヌでアヘン↑の静脈内注射による全身麻酔手術を行った。 |
1845年 | Francis Rynd(1802〜1845, アイルランドDublin's Meath Hospitalの内科医)は、Pravazよりも早く、皮下注射↑5で患者に薬液を注入する方法を記録し、"Dublin Medical Press."に投稿した。The word "syringe" is derived from "syrinx" and "syringos," Greek words for "pipe" and "tube."1/2 |
1852年 | Charles Gabriel Pravaz(P 1791〜1853, リヨンの外科医)が金属製の実用的な注射器↑4(プラバーズ注射器)を作成した。動脈瘤に塩化鉄の水溶液を 注入するために、浣腸器を改造して、はじめて注射器を作成した。製作第一号機は、今でもリヨンのオテル・ディユ病院附属博物館に所蔵されている。金属製で、内筒にはねじ山が刻まれていて、ハンドルを回しながら薬液を注入する。注射器の先に、チューブではなく、中空の針をつけたことも画期的な発明。注射針の内腔を通すために、マンドリンも使われていた。この方法は追試の結果、無効であると学会で批判され、彼は翌年失意のうちに世を去った。 |
1853年 | Alexander Wood(P 1817〜1884, エジンバラの開業医)は、Daniel Ferguson(ロンドン出身の機具製造業者)が作ったピストン型注射器の先端に装着する中空の針を発明した。注射器↑と針を用いて、にモルヒネ↑を局所に注入し、神経痛を治療した。Wood はこれらの鎮痛効果は局所効果だと考えていた、これらの報告の後、注射器と針のセットは一般的な危惧となり、多くの臨床医がこれを使って鎮痛のためにモルヒネの皮下注射を行った。 |
1860年 | Charles Hunter(ロンドンの外科医、St George's Hospitalの家庭医)は患者の腫瘍にモルヒネを注射した。Hunterは、モルヒネは身体のどこに注射してもよく、その鎮痛効果は疼痛部位へ注射した場合と同じであると主張して、Wood↑と論争になった。「皮下注射 hypodermic injection」という言葉は、Hunterによって作られた。 |
1865年 | Constant George van Mansvelt(P 1832〜1912 オランダの医師)が注射器を長崎に持ってきた。 |
1896年 | Hermann Wülfing Luer(パリで活躍し、1883年頃に亡くなったドイツ人)は全ガラス製の注射器を紹介し、1898年にその特許をBecton, Dickinson an Companyに売却し、$2.50で販売された。 (ルアーロック式注射筒とは、ルアーの溝に注射針をねじ込むように回転させながら装着するタイプのシリンジ。針がシリンジにしっかりと固定され、注入時に圧がかかっても針がぬけないようになっている。 ) |
1900年 | 生地仙之助と盛林堂(東京神田)が、国産のガラス製注射器↑開発した。 |
1906年 | DewittとHerz(ベルリン)が目盛り付きの注射器を作成した。金属製のplunger と精密に研磨されたガラス筒からできていた 。筒とプランジャーのはめ込みが性格でかつ頑丈であった。 |
1921年 | 中川小四郎(東北帝国大学杉村外科)が、「アルコールによる経静脈的点滴麻酔法」(独文)を発表した。 |
1949年 | 米国で、全プラスチック製のディスポーザブルシリンジ↑が完成した。Arthur E. Smithは、ディスポーザブルシリンジに、8つのパテント(U.S.A)を取得した。(1949-50) |
1954年 | Becton, Dickinson and Company がガラス製のディスポシリンジ↑と針を大量生産し、Dr. Jonas Salk(米)は、全米1万人の子どもにポリオのワクチンを注射した。 |
1955年 | Roehr Productsは、初のプラスチック製のディスポの皮下注射用シリンジ↑12(5セント)を製作し、Monojectと呼んだ。 |
1962年 | 日本でテルモ社が、プラスティック製のディスポーサブル注射器↑を製品化した。 |
1964年 | ディスポーザブル注射針が発売された。 |
1976年 | Evans JMらによって,最初のPCA専用機器が開発・市販された。 |
ローマ軍の遠征 | Pedanius Dioscorides AD40〜90 ネロ皇帝の軍医 |
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宗教戦争 | Ambroise Pare 1510〜1590 |
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スペイン王位継承戦争 1701〜1713 | François Pourfour du Petit 1664〜1741 フランスの外科医 |
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Seven Years' War 七年戦争 1756〜1763 | John Hunter 1728〜1793 英国の外科医、解剖学者 |
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スペイン戦争 1808年 ボロディノ戦争 1812年 | Dominique Jean Larrey 1766〜1842 ナポレオン軍の軍医 |
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南北戦争 U.S. Civil War 1861〜1865 | Silas Weir Mitchell 1829〜1914 | ||
Jacob Mendes Da Costa 1833〜1900 | |||
南北戦争時には、北軍だけで280万オンスのアヘンチンキと500,000万錠のアヘン錠を消費したといわれ、40万人の兵士がアヘン中毒に陥ったという説がある。モルヒネの注射は内服に比べると意識を失わせることなく鎮痛効果を迅速にもたらす。南北戦争帰還兵向けにアヘンの通信販売されていて、多数の帰還兵がこの注射用モルヒネに耽溺となり、このことからモルヒネ中毒は「兵隊病」として広く知られることとなった。 | |||
WWI 1914〜1919 | René Leriche 1879〜1955 フランスの外科医 | ||
Georges Charles Guillain Jean-Alexandre Barré André Strohl |
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兵士の負傷治療、士気高揚、不安解消などのためにコカインが処方された。 | |||
WWII 1939〜1945 | William Livingston 1892〜1966 Oakland Naval Hospital | ||
Henry Knowles Beecher 1904〜1976 U.S. Army 北アフリカとイタリー | |||
Henri Laborit 1914〜1995 海軍軍医 |
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兵士の負傷治療、士気高揚、不安解消などのためにアンフェタミンが処方された。 | |||
Vietnam war 1960〜1975 |
ラオス北東部で戦争を行っていたメオ族を支援するため、アメリカ中央情報局 (CIA) が市場へのアヘン運搬を支援し、1965年から1971年までCIAの秘密の航空会社であったエア・アメリカが空輸した。1965年に、ラオスのアヘン製造所は、高純度90パーセント以上のヘロインを精製するようになっていて、高純度のヘロインが、ベトナム駐留米軍の兵士の手に渡った。 | ||
アメリカは二つの戦争で敗北した。ひとつはベトナム戦争、もうひとつは「麻薬戦争 Drug Wars」である。1971年5月頃、ベトナムを正式訪問したアメリカの国会議員の報告により、15%のアメリカ軍人がヘロインに手を出していることが発覚し、Richard Nixon大統領は1971年に「麻薬戦争」を宣言した。1971年6月に大統領府の下に「薬物乱用取締局(Office of Drug Abuse Law Enforcement:ODALE)」が設立され、麻薬問題担当長官のジェローム・ジャフィJerry Jaffe氏が責任者として任命され、ジャフィ氏は研究を推進するため、精神医学の研究者リー・ロビン氏に支援を求めた。ペンタゴンは南ベトナムの駐留した全陸軍兵士の35%がヘロインを用いていて、20%は勤務中にヘロイン中毒にかかっていたことを認めた。1973年7月の大統領令により関連機関を統合して「麻薬対策局(Drug Enforcement Administration:DEA)」を創設した。 → オピオイドクライシス | ketamineで麻酔された負傷兵に、術中に並外れた幻覚体験をしたという話が広まったという。↑ | ベトナム戦争からの帰還兵に多くみられた症状をPTSDとして報告された。 | |
湾岸戦争 Gulf War 1991 |
湾岸戦争症候群 Gulf War syndrome 湾岸戦争に従軍したアメリカ軍・イギリス軍等の多国籍軍兵士に、集団的に発生したとされる脱毛症・疲労感・痛み・記憶障害・倦怠感や関節痛などの一連の病状の総称 | ||
イラク戦争 Iraq War 対テロ紛争 2003〜2011 |
イラクの戦場ではOxyContinに代表されるオピオイドが兵士たちに処方されていた。 → オピオイドクライシス
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アフガニスタン紛争 War in Afghanistan 対テロ紛争 2001〜2021 |
アフガニスタンの戦場でも、OxyContinに代表されるオピオイドが兵士たちに処方されていた。 → オピオイドクライシス イラクやアフガニスタンから帰還した退役軍人で、メンタルヘルス、特に PTSD に関わる診断歴を有する者は、オピオイドの使用率が高く、また、過剰使用や異なる薬物との同時使用など、諸々のリスクを抱えやすいとの結論を示している。 2012年には、アフガニスタンでは戦死者よりも、自殺を選ぶ兵士の数のほうが多かった。退役軍人には支援体制が必要である。PTSDは、アメリカの戦争の多くの「署名の傷 signature wound」によって呼ばれた。 |
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