1953年 | スイスの製薬会社のチバがCibaサリドマイドが合成したが、薬効を認めなかった。 |
1954年 | 旧西ドイツのグのChemie Grunenthal(後にトラマドールなどを開発した製薬会社)が開発した。 |
1957年 | Chemie Grunenthalはてんかん患者の抗痙攣剤として売り出そうとしていたが、1957年10月1日に催眠剤として、「contergan®」という名称で発売した。 |
- 当時のサリドマイドの売り文句としては、早く深い眠りにつけるうえに、副作用が少ないため大量使用しても死亡することはなく、睡眠薬の服用による自殺も防止できるといったもので、当時の一般的な睡眠薬となり、病院や精神科施設などで広く使われるようになった。特に、妊娠中のつわりの苦痛を除くのに用いられた。
- 夜泣きの子供の「揺りかご薬」として、また親たちが夜、映画を見に行く前に液剤を子供に飲ませたことから「シネマ・ジュース」とも呼ばれていたらしい。
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1961年 | 11月15日にライン・ウェストファーレン小児科医師会会議(西ドイツ)で、Widukind Lenz博士(ハンブルグ大学小児科医)が、四肢欠損症である「アザラシ肢症(amelia or phocomelia)」は、妊娠初期に服用したconterganが原因であると警告した。 |
1961年 | 11月26日にChemie Grunenthalは回収を決定した。 |
アメリカは許可申請中の段階で、治験段階に発生した数名の犠牲者だけで食い止められた。Frances Oldham Kelsey女史(1914/7/24〜 FDAの審査官)がサリドマイドの毒性・副作用に疑問を抱き、継続審査していたためで、彼女は資料の不備を指摘し、医薬品として承認しなかったことに対して、ケネディー大統領から特別金賞が授与されている。 |
1958年 | サリドマイドは薬物そのものの特許ではなく、製法の特許のみが認められていたので、日本でも、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)が独自の製法で開発し、1958年1月20日に「イソミン®」の名称で販売を開始した。 |
1958年 | 大日本製薬が胃腸薬は8月22日に胃腸薬「プロバンM®」に配合して市販し、妊婦のつわり防止に使用された。 |
1959年から1961年までの間に、日本でもフォコメリア児の出産が報告された。 |
1961年 | 12月5日に、Chemie Grunenthalの勧告が大日本製薬に届いたが、厚生省と大日本製薬がLenz報告について協議し、販売続行した。 |
1962年 | 1962年2月21日に、厚生省は亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル®」に製造許可を出した。 |
1962年 | 5月17日に大日本製薬がイソミンとプロバンMの出荷停止を、24日にはサリドマイド剤メーカー5社がそれぞれの製品の出荷停止を厚生省に申し入れた。 |
1962年 | 9月13日に大日本製薬などが販売停止・回収に踏み切ったが、その後も回収されないサリドマイド剤が市中で販売されてい。 |
サリドマイドの薬害は全世界に及び、死産も含めると約5800例、日本でも309例の被害者が発生した。
患者は、西ドイツ3049、日本309、英国201、カナダ115、スウェーデン107、ブラジル99、イタリア86、全世界で3900例と報告され、30%の死産があったので総数は5800と推定されている。(LENZ,W.:TERATOLOGY.38:203,1988) |
1965年 | イスラエルの皮膚科医シェスキンは、ハンセン病患者の掻痒感を抑える目的でサリドマイドを投与したところ、ハンセン病特有のらい性結節性紅斑 erythema nodosum leprosum: ENLの改善がみられた。 |
1998年 | アメリカFDAはサリドマイドをハンセン病に伴う皮膚炎の治療薬として、認可した。 |