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医学生生理学クイズ2017(PQJ2017) 開催報告

日本生理学会雑誌第79巻4号 P.78-80

医学生生理学クイズ2017(PQJ2017) 開催報告
医学生生理学クイズ2017共同代表 井上鐘哲(大阪医科大学医学部4年)
2017年8月3日

1 強烈な学習体験としてのクイズ

図1 PQJ2017参加者

“Here is the moment of truth. Are you ready for the final question?”

 講堂に響く司会者(僕)の声。最後のクイズの答が発表されると100人以上の観衆から歓声が湧き、優勝チームが決定した。
今年4月、大阪医科大学では医学生生理学クイズ2017(PQJ2017)が行われた。日本全国、そして海外から16大学21チームが出場し、100人を越える医学生達が生理学の知識を競った。
僕達が日本で2回目となるこのクイズ大会を開こうと思ったのは、医学生に忘れられないくらい強烈な学習体験をしてもらう為である。人間の記憶力は、緊張状況で高まることが知られている。クイズ大会のプレッシャーの元で取り組む難解な生理学の問題は、参加者の脳裏に深く刻まれる。その記憶は今後の医学部での学習、医師国家試験受験において彼らを助け、ひいては将来の診療で患者さんを救うことに繋がっていくだろう。
意外に思われるかも知れないが、全国の医学生が集まる機会は非常に少ない。僕たちは、全国から医学生が集まり交流し、人脈を築いていけるような大会を作ろうと考えた。既に海外にはIMSPQ(マレーシア等)やSIMPIC(タイ)のような医学生の為のクイズ大会が存在し、アジア全域から多くの参加者を集め、医学生が国際的な人脈を築く機会になっている。PQJもそれらを模範とし、海外の医学生も参加してもらえるように全て英語でクイズ、大会運営を行うこととした。

2 クイズショーを作り上げる
PQJ2017の準備は、ほぼ1年前の昨年5月から始まった。僕には密かな勝算があった。関西には大阪医大を含めて12校も医学部がある。これらを呼ぶことができれば、大会の成功は約束されたような物である。まずは大会ポスターを作り、近隣の医学部から貼ってまわった。医学生が集まるイベントには必ず大会チラシを持っていき、大量に配った。ホームページを立ち上げ、大会の準備の模様を報告した。ありがたかったのは、大学側の全面的な支持である。特に大槻学長は大会の趣旨を聞くと二つ返事で金銭的物的支援を行うことを約束してくれた。スポンサーとなってくれるそうな医療系企業、医療機関へは、片っ端から企画書を持ち込んだ。最終的にスポンサーは10社1医療機関を数え、賞品総額30万円以上が集まった。日本生理学会にもホームページでご紹介してもらい、いよいよ大会の知名度は高まり、出場登録するチームは徐々に増えていった。
クイズ問題は、本学生理学教室小野教授の指導の元に作っていった。解剖学、生化学、免疫学、薬理学など基礎医学科目は生理学と関連が深く、教育的観点から出題範囲は生理学を含む基礎医学全般とした。クイズは早押しクイズと、チーム全員で答えるフリップクイズの2種類とした。出題は全て英語で行うことで、外国からの参加者にも公平な条件とし、日本人参加者の英語教育の効果も狙った。


図2 クイズの模様

 クイズの演出には徹底的にこだわった。エンターテインメントに徹したクイズショーを作り上げてこそ、参加者に緊張感を与え、落胆や歓喜を引き出し、強烈な学習体験を与えることができる。チームの入退場時のテーマ、効果音の選定、問題読み上げ係への海外帰国学生の起用など、細部にこだわった。実に10回に及ぶ模擬クイズを行い、司会とスライド係等との連携を高度な次元まで磨き上げた。飾り付けには、研究発表用のプリンターを特別に使わせてもらい、長さ5mに及ぶ巨大な垂れ幕を印刷し、いよいよ会場の準備は整った。

3 医学生の交流の場
大会当日、北は東北大学、南は長崎大学、そして海外は台湾大学まで、16大学21チームが大阪医科大学に集まった。午前中から2会場に分かれて予選が行われ、我々の作成した難問の数々に、参加者は一喜一憂しながら挑んでくれた。僕は蝶ネクタイとスーツに身を包み、司会の大役をこなした。真剣勝負の合間の英語での出場者との冗談のやり取りには、たびたび観衆から笑い声が上がった。全てのクイズ問題は正解の発表直後に司会が解説し、参加者、観衆の理解を助けるようにした。日本生理学会からは群馬大の鯉淵先生、西九州大学の石松先生、そしてマレーシアから特別顧問の国際医学生クイズ創始者Cheng Hwee-Ming先生がご来場され、本学の小野先生と共に審判を務めていただいた。
予選グループ6試合の結果、接戦を勝ち抜いた10チームが準決勝に進んだ。準決勝からはクイズの難易度はさらに上がり、ハイレベルな争いとなった。決勝に進んだチームは、大阪大学、滋賀医科大学、自治医科大学、国立台湾大学、藤田保健衛生大学の5チームであった。決勝は、司会の僕が圧倒されるくらいの緊張感漂う一戦となり、最終的に大阪大学チームがわずか2点の差で国立台湾大学チームに競り勝ち、栄えあるチャンピオンの座に就いた。
優勝チームには、優勝カップ「Otsuki Cup」が与えられ、スポンサーから両手に抱えきれないほどの医学書や電子辞書が贈呈された。「この大会を用意してくださった大阪医大の皆様や、一緒に戦ってくれたライバルの皆様に感謝の念でいっぱいです。プレッシャーがかかる中で問題を解くのは刺激的で、もっと勉強したいという気持ちになりました」優勝した大阪大学チーム代表、田上陽菜さんの言葉である。
クイズの合間や終了後のパーティーでは、参加者の輪が会場のあちらこちらに自然にでき、活発な交流が行われていた。参加者アンケートの結果を見ると、「医学の勉強になりましたか」という質問に5段階で5をつけた人が89.7%、同様に「PQJ2017は楽しかったか」という質問に対しては81.4%が5をつけ、参加者を十分に楽しませながら、高い学習効果を達成するという目標に合致する感想が得られた。また、「自分に足りなかったものは?」という質問に対する回答(図3)は、英語のリスニング力(21.4%)、生理学の英単語の知識(21.4%)、生理学の勉強(21.9%)が上位を占め、参加者が大会を通じて自身の学習課題を認識したことをうかがわせた。

図3 アンケート結果の一例

僕の予想を裏切ったのは、関西のチームが3校しか参加しなかった代わりに、東北大、金沢医科大、徳島大、長崎大など、比較的地方にある大学が多数参加してくれたことである。実際、アンケート結果からは首都圏や関西圏以外の医学生の方が、医学生同士の交流の場を強く求めていることがうかがえ、彼らに全国的な交流の場を提供する本大会の存在意義は高いと意を強くした。
2018年5月19、20日に鳥取大学医学部で行われるPQJ2018が、今から楽しみである。

参加大学

東北大学 東京慈恵会医科大学 自治医科大学 藤田保健衛生大学 三重大学 金沢医科大学 金沢大学 滋賀医科大学 大阪大学 近畿大学 大阪医科大学(4チーム) 徳島大学 岡山大学 鳥取大学(2チーム) 長崎大学(2チーム) 国立台湾大学

参加者数


クイズ出場者 78人 オブザーバー(見学者) 17人 招待客 5人
合計 100人

後援
大阪医科大学、日本生理学会

PQJ2017公式ホームページ
http://bit.ly/pqj2017

小野富三人教授(大阪医科大学生理学教室) インタビュー

今日は、大阪医科大学生理学教室の小野富三人(Ono Fumihito)教授のインタビューをご紹介します。
東京大学医学部での学生時代のお話、アメリカでの研究生活のお話、現在の研究、医学生が生理学を学ぶ意義、などなど様々な貴重なお話を伺いました。

◯小野富三人先生 略歴
平成3年 東京大学医学部卒業
平成8年 東京大学大学院医学研究科修了
平成10年 ニューヨーク州立大学(SUNY at Stony Brook)助教授
平成15年 フロリダ大学(University of Florida)助教授
平成19年 米国国立衛生研究所(National Institute of Health)室長
平成26年 大阪医科大学生理学教室教授

Q. 生理学は、小野先生にとってどんな学問でしょうか?
A. ノーベル賞で医学生理学賞ってあるでしょう?なぜそう言うかというと、医学と生理学は互いに対応する学問だからです。医学は病気を扱う学問、生理学は病気ではない正常な状態で身体がどう動いているかを扱う学問なのです。
東大では、4年生から臨床医学の勉強が始まりました。病気が入ってくると、やっと勉強が楽しくなるのが普通の医学生ですが、私の場合は、人体の正常の仕組みを理解する科目が終わってしまったのが寂しかったです。
病気のメカニズムを知るためには、正常なメカニズムを理解している必要があるので、臨床にとって生理学は必要です。また一方で、生理学それ自体がとても面白い、というのが生理学の良いところなのです。

Q. 小野先生が、生理学の研究の道に進んだ理由はどんなものだったのですか?
A. そんなに劇的な理由ではなかったですよ。医学部3年生の生理学の講義が面白くて興味を持ったのです。そのあとの基礎研究室配属で、脳の研究室に入って神経生理学を深く勉強したことがきっかけで、特に神経に興味を持ちました。大学卒業後は臨床研修をしましたが、やはり生理学が面白いと思い、研究の道に進むことにしました。

Q. 小野先生が学生の頃から興味を持たれたという、神経生理学について詳しく聞かせていただけますか?
A. 神経生理学は、脳、記憶、学習といった、興味深いテーマが多いです。神経が面白いと思ったきっかけは、ヒューベルとウィーゼルという、ノーベル賞を受賞した研究者の研究について、実際に見てきた東大の高橋國太郎先生から聞いたことでした。物体を見たときに網膜のどの神経細胞が発火するか、物体が上方に動くとその動きに反応してどのように発火するか、というように、物体が見えることと神経細胞の発火との関連を発見した研究でした。当時の私には、物が見えるということが神経細胞の発火で表せるということが衝撃的でした。
基礎研究室に配属された時から、脳というのは面白いな、と思っていました。神経内科で失語症専門の先生が、学生を集めて抄読会をやっていて、私も参加しました。そこでの、失語症の話、脳の左右のつながりを切った人の話、右脳と左脳には全く別の人格があるといった話に興興味をそそられました。
いろんなところに顔を出せるのは学生の特権です。そうやっているうちにこの道に入っていましたね。

Q. 生理学クイズ大会を2017年の春に大阪医科大学で開催しますが、小野先生は、生理学クイズ大会に対してどんな期待を寄せていますか?
A. 生理学クイズ大会は、クイズをやるということ自体に意味があると思います。生理学を勉強するモチベーションになりますし、自分でいろいろ考えますから。また、英語でやるとなると、英語が身につくので将来のためにもなります。
大学の生理学の授業で扱う内容には限りがあります。クイズ大会を通してより深く生理学を学べるというのは魅力ですね。生理学は、臨床の全ての科目において基礎になるので、深く理解しておけば必ず役に立ちますよ。
同じ生理学をテーマにして、クイズ大会に参加している他大学の医学生、他の国の医学生と交流することができるのもまた魅力です。発展途上国の大学でも学生がこんなに優秀なのか、と感じることもあり、良い刺激になるでしょう。

(取材・構成 安原千晴・井上鐘哲)
(公式Facebookに以前連載したものを編集・再録しました)

【医学生理学豆知識 第3回】女性は男性より色彩感覚が鋭い?

みなさんは、女性が男性より色彩感覚が鋭いと感じたことがないだろうか?

例えば男性が女性と一緒にデパートに行って、彼女がスカーフを買おうと売り場に立ち寄ったとしよう。
売り場には紫からピンクにかけて、様々なスカーフがグラデーション状に展示されているとする。
女性はそれら全ての色がそれぞれ異なっているのが認識出来るが、男性は隣合うスカーフの色がほとんど識別出来ない。
これは、男性と女性のファッションに対する関心の違いから起こるのだろうか?それとも他に理由があるのだろうか?

マーモセットというサルの色覚を見てみよう。
新世界ザルの1種であるマーモセットはオスは2色の色覚を、メスは2色または3色の色覚を持っている。オスよりメスの方が色彩を識別する能力が生まれつき高いのである[1]。

マーモセットは常染色体にロドプシンをコードする遺伝子と、423nmの光を吸収する青色オプシンをコードする遺伝子を持っている。またこれら以外にもX染色体上に423nmより長い波長の光を吸収するオプシンをコードする遺伝子座が1つ存在する。
面白いことにマーモセットでは、このX染色体上の遺伝子座がコードしているオプシンは543nm(緑色)を吸収するもの、556nm(黄色)を吸収するもの、563nm(赤色)を吸収するものといったように、個体によってまちまちである。遺伝子多型が存在するのである。
マーモセットの性決定型はXY型であり、また1つの視細胞ではX染色体を2つ持つ場合、どちらか一方のみ活性化されるが、それぞれの視細胞で活性化されるX染色体はまちまちである。よって、X染色体をヘテロ(黄色と赤色に対応する)で持つマーモセットは、網膜全体としては3色の色覚を持つのである。

実は、このような遺伝子多型による色覚の違いは我々ヒトにも存在するのである。
ヒトは青色オプシン緑色オプシン赤色オプシンをレセプターとして持っている。しかしこの赤色オプシンに実は多型が認められていて、180番目のアミノ酸がセリンであるヒトは557nm(赤色)の光を吸収し、アラニンであるヒトは552nm(橙色寄りの赤色)を吸収する。さらにこの赤色オプシン遺伝子はX染色体上に乗っているので、男性の場合は3色の色覚を駆使して物体を見ているが、女性の場合この赤色オプシン遺伝子をヘテロに持っていると4色の色覚を駆使して物体を見ることが出来るのである。
言わば、男性はの3つの色覚を持つのに対し、一部の女性はオレンジの4色の色覚を持つのである。4色色覚者の正確な比率はまだ明らかになっておらず、女性の2~3%は4色型色覚を持つという説や[2]、50%もの女性が4色色覚を持つという説がある[3]。

よって、女性が男性より色彩感覚が鋭いという予想には、ちゃんと生理学的な裏付けがあるのである。

ヒトがなぜ進化の過程でこのような色覚の男女差を持つに至ったかについては、さらなる解明が待たれる。しかし、女性の鋭敏な色覚が、赤ちゃんの肌色から健康状態を推し量るのに有利だったことは想像に難くない。

(文責 中居薫花 構成 井上鐘哲 初投稿 2017/3/26)
【参考文献】
[1] 眼で進化を視る -その2- https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2006/post_000004.html

[2] Some women may see 100 million colors, thanks to their genes
September 13, 2006, Pittsburgh Post-gazette, http://www.post-gazette.com/news/health/2006/09/13/Some-women-may-see-100-million-colors-thanks-to-their-genes/stories/200609130255

[3] Jameson, K. A., Highnote, S. M., & Wasserman, L. M. (2001). “Richer color experience in observers with multiple photopigment opsin genes.” (PDF). Psychonomic Bulletin and Review 8 (2): 244–261. PMID 11495112.

【医学生理学豆知識 第2回】 ネコは甘いものが嫌い?

(このコラムは、PQJ2017公式facebookに以前投稿されたコラムの再録です)

ネコちゃんに甘そうなどら焼きをあげてみたら…

https://m.youtube.com/watch?v=JjMFwPltjHc

なぜネコは甘いものに興味がないのでしょう?

動物は味覚を主に舌で感じます。味覚には、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味があり、それぞれを感じるセンサーである味覚受容体が舌に存在します。

このうち、甘味、苦味、うま味は、Gタンパク質共役型受容体(GPCR)で知覚され、特にうま味と甘みは、3種類あるT1Rファミリー受容体により感知されます。
T1R1とT1R3がペアを組んだときはうま味を感知し、T1R2とT1R3がペアを組んだときは甘みを感知するのです。
https://goo.gl/cDpGna
(参考画像 百珈園 コーヒー科学研究室様)

ところがイエネコ、チーター、トラなどのネコ科の動物では、甘み感知に必要なT1R2受容体遺伝子が機能していません。
そういう訳でネコは甘いものを知覚することができず、甘い食べ物を好まないのです。
動物の行動は、このようにちょっとした体のつくりの違いにより決まってしまうことが多いのです。この点は我々ヒトも例外ではありえません。

ヒトの味覚障害の多くはT1R、T2Rファミリーの味覚受容体の異常が原因です。さらに、ヒトの味覚受容体は20代ではまだ未成熟であり、壮年期になるまで味覚受容体の数は増え続けます。言い換えれば、あなたの味覚はこれからもドンドン変わって行く可能性が高いのです。
今は味オンチで食事は質より量というあなたも、今後歳をとるとグルメになるかもしれませんね。

『このシリーズではこれからも医学、生理学の面白い話を紹介していきます。ご感想やリクエストがありましたらぜひコメントやメッセージでお寄せください。』

(文責 中居薫花 構成 井上鐘哲 初投稿 2016/6/7)

【参考文献】
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/味覚受容体
https://sites.google.com/…/coffe…/physiology/taste/receptors
http://ci.nii.ac.jp/els/110004999293.pdf

【医学生理学豆知識 第1回】 エイズにならない人がいることを知っていますか?

(このコラムは、PQJ2017公式facebookに以前投稿されたコラムの再録です)

みなさん、エイズにならない人がいることを知っていますか?

そんな人いません! エイズの恐ろしさを知らなさ過ぎ!
そう思うでしょう? しかし!世の中には本当にそのような人が存在するのです。
その名を「エリート・コントローラー」と言います。なんか名前からしてかっこよくないですか?

エイズ(後天性免疫不全症候群)の原因ウイルスであるHIVはヒトのリンパ球T細胞(CD4+T細胞)に侵入して増殖し、自分の遺伝子をヒトのDNAに挿入して、定着してしまいます。一度ヒトのDNAに潜り込んだHIVの遺伝子は、その部分だけ後から切り出して消すことはできません。よって、HIVに一度感染した人は、一生、HIVと共に生き続けるしかないのです。HIVに感染したヒトのCD4+T細胞は、何も治療をしないとどんどん減り続け、しまいにはエイズを発症して死亡してしまいます。
ところが、エリート・コントローラーはたとえHIVに感染したとしても、CD4+T細胞の数は減りません。体内のHIVの数も少なく、増えません。よって、何も薬を飲まなくてもエイズを発症することはないのです。

エリート・コントローラーの体は普通の人と何が違うのでしょう?
答は、CD4+T細胞の表面に存在するCCR5という受容体にあります。エリート・コントローラーは、CCR5の遺伝子に異常があり、正常なCCR5受容体を作れない人が多いのです(注1)。実はHIVは、CD4+T細胞表面にあるCCR5受容体を利用してCD4+T細胞に侵入するのです。CCR5受容体に異常があると、HIVはCD4+T細胞に侵入できず、増殖することができません。よってエリート・コントローラーの体内ではHIVは増殖することが困難なのです。

CCR5受容体の遺伝子変異は、北ヨーロッパの白人の16%に見つかります。よってこれらの地域ではHIVに耐性を持つ人達の数が多いのです。実は、今は絶滅した天然痘というウイルスもCCR5受容体を利用してCD4+T細胞に侵入することがわかっています。欧州のように昔、天然痘が大流行した地域にこのような遺伝子変異を持つ人々が多いのです。

さて、現在ではHIVに感染した人も、HIVがT細胞に侵入して自らをコピーする過程を阻害する様々な抗HIV薬を同時に飲む(多剤併用療法)によって、T細胞の減少を抑え、エイズの発症をほぼ防ぐことができるようになっています。その中で重要な薬にマラビロクという薬があります。これは実はCCR5阻害薬なのです。この薬によって、エリート・コントローラーではない普通の人も、HIVのCD4+T細胞への侵入を減らすことができるのですね。
さらに! 最近、T細胞を取り出してCCR5遺伝子をエリート・コントローラーのように改変し体に戻すことにより、T細胞数を増やしHIVのウイルス数を減らせることがマウスを用いた実験でわかりました。近い将来、エイズを完全に克服することができるかもしれませんね。

(注1)エリート・コントローラーの中には他の方法によりHIVの増殖を抑えている人がいるという報告もあり、さらなる研究が待たれる)

(文責 井上鐘哲 2016/6/4 初投稿 2016/6/5 追記)

【参考文献】
http://cid.oxfordjournals.org/content/51/2/239.full
Hütter, G; Nowak, D; Mossner, M; et al. (2009). “Long-Term Control of HIV by CCR5 Delta32/Delta32 Stem-Cell Transplantation”. New England Journal of Medicine 360 (7): 692–8
Elena E Perez et al., “Establishment of HIV-1 resistance in CD4+ T cells by genome editing using zinc-finger nucleases”, Nature Biotechnology 26, 808–816 (1 July 2008)