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柳澤文徳(やなぎさわ ふみよし)先生 71年のあゆみ
1918 (大正7年)誕生8月1日長野県上田市北大手にて出生。 父・文三郎(医師)母・いし三男。兄弟姉妹は男4人、 女5人で、その5番目。 1938年 千葉医科大学に入学 1941年 23歳12月千葉医科大学を卒業、副手となる (第二内科・堂野前内科) 1942年 24歳1月医師免許下付 1946年 2月千葉医科大学衛生学教室勤務 9月文部教官(腐敗研究所勤務) 1949年 31歳1月医学博士号授与「放線状菌抗生物質のグラム 陰性腸内病原菌に対する作用」 3月千葉医科大学助教授(腐敗研究所勤務) 1950年 32歳3月国立公衆衛生院医学科終了 1951年 33歳4月千葉大学腐敗研究所助教授に配置換、 千葉大学薬学部非常勤講師を兼任(公衆衛生講座) 1952年 34歳4月千葉大学助教授(腐敗研究所) 1955年 37歳1月千葉大学教授(腐敗研究所) 1957年 39歳2月東京医科歯科大学教授(農村厚生医学研究施設) 4月東京医科歯科大学大学院医学研究科公衆衛生学の 講義を担当 7月厚生省衛生検査指針審議会委員(〜34年12月) 1959年 41歳8月厚生省食品衛生調査会委員(〜37年6月) 1962年 44歳1月お茶の水医学会および第18回日本公衆衛生学会にて 柳澤文正氏(東京都立衛生研究所部長)らと合成洗剤有害説を発表 4月4日衆議院科学技術振興対策特別委員会に参考人として出席 7月農村厚生医学研究施設長併任 著書:合成洗剤の科学(共著、学風書院) 1967年 49歳東京医科歯科大学永年勤続者として表彰を受ける 1969年 51歳著書:食品衛生の考え方一添加物の安全性 (日本放送出版協会) 1972年 54歳10月日本農村医学会理事 1973年 9月東京医科歯科大学難治疾患研究所疫学部門に配置換 著書:食品・薬品公害(共著、有斐閣) 1974年 56歳特別講演:日本民族衛生学会第1回沖縄地方会 「日本民族衛生学会の歩み」 1975年 57歳4月第2回アジア農村医学会(イラン)に出席 8月難治疾患研究所が駿河台に落成、移転 著書:食品衛生とは何か(共著、医歯薬出版) 公衆栄養十五講(医歯薬出版) 1976年 58歳特別講演:新潟歯学会 「公衆衛生から考察したフッ素の毒性」 1977年 59歳特別講演:第4回青森県農村医学会「出稼ぎ者の健康」 1978年 60歳4月難治疾患研究所長、大学評議員を併任(〜56年4月) 1979年 61歳9月日本歴史家友女子訪中団に参加 著書:集団給食と洗浄間題一合成洗剤から石けんへ (共編、績文堂) 1981年 63歳4月難治疾患研究所長、大学評議員に再任(〜59年4月) 9月国際農村医学会(フランス)に出席 会長講演:第5回合成洗剤間題研究会 「界面活性剤による化学物質の吸収促進について」 著書:石けんのすすめ・学校給食編 (共編、績文堂) 1982年 64歳特別講演:第2回フッ素研究会「弗素の毒性研究」 1983年 65歳8月台湾に旅行 9月訪中、中国フッ素研究者の集会で「宝塚市斑状菌間題」 を3日間連続講義(貴陽医学院) 会長講演:第7回合成洗剤間題研究会 「無リン洗剤の毒性の再検討」 1984年 66歳4月定年退官、東京医科歯科大学名誉教授の称号を受ける 7月日本民族衛生学会名誉会員 10月訪中、フッ素と健康研究会で「フッ素の変異原性について」を講 演(貴陽医学院) 1985年 9月訪中、中国フッ素研究会で「フッ素にたよらないむし歯予防」を 講演(包頭市) 1986年 68歳10月バナナボートに参加、船中で講演 11月「日中文化交流の旅の会」団長として22名で中国 フッ素研究会に参加、「食物中のフッ素の許容量」 などを講演(広州市化) 中国フッ素研究会から名誉会員の称号を受ける 会長講演:第10回合成洗剤間題研究会「 合成洗剤の害毒と追放運動の 変遷」 1988年 70歳7〜8月アメリカ・メキシコに旅行 10月訪中、内蒙古、雲南、新彊などで「フッ素の毒性」 などを講演 8月5日「柳澤文徳を囲む会」(古希の祝)を開催 9月武蔵野赤十字病院に入院 11月日本農村医学会名誉会員 特別講演:1989年夏期学校給食学習会 「学校給食100年を迎えて」 1990年 1月9日死去 正四位勲三等に叙せられ、旭日中綬章を授与された。
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