災害医学・抄読会 981030, 981106

集団災害と救急医療 (1)

杉本 侃、救急医療と市民生活、東京、へるす出版、1996、p.10-16

(担当:松本)


集団災害の実態とトリアージ

 集団災害と一口に言っても、その中には多くの種類があり、中には救急医療の対象とならないものも少なくない。救急医療がその意味をもつ例として戦地における野戦病院や都市部での災害がある。今、日本では都市部での災害時に現在の救急医療のもつ問題点が浮き彫りになってきている。最近起こった阪神大震災では大阪などの神戸周辺都市の医療機能も自衛隊も完全な状態にあったにもかかわらず、実際にはそのごく一部しか救援に生かされなかった。その問題点はどこにあるのだろうか。

 一方、諸外国の野戦病院で採用されているシステムとして治療の優先順位を決めるトリアージがある。このシステムを日本にも導入しようとの声がある。

 そのトリアージとは、野戦病院という独特の現場において限られた医療資源を最大限生かすため、また、治療の効率を上げるために本当に助けることのできる患者だけを選別するシステムである。野戦病院では、最も経験の深い医師がトリアージを行う。その結果あまりに重症すぎる患者は、その治療のために多くの人手と物資が使われ、その結果治療を受けられず死ぬ人がほかに何人もでるようであれば、治療の対象外となってしまう。

 トリアージを日本に導入する場合、この点がどう受け止められるかが問題となるであろうが、筆者はさほど問題にはならないであろうとしている。なぜならば日本の災害時においてそのような重症患者は周辺の医療機関へ搬送すればよいからである。しかし日本は、その点での情報伝達と搬送システムに問題がある。その原因は集団災害訓練において今だにテント村を建てて、その場で治療するという前時代的な発想によるところが大きいと思われる。

報告者(学生)の考察

 阪神大震災においての処置の手際の悪さは一部のマスコミで大々的に報じられたこともあり、何度となく耳にした。筆者は特に搬送システムの不備をとりあげているが、都市災害と戦地を比較しているためその点の有効な解決には至っていない。トリアージの有用性はあると思われるが、阪神大震災での陸系路の壊滅的打撃を考えると、搬送系路は空に頼るしかないと思われる。しかし、神戸周辺でエアポートのある医療機関、もしくはエアポート近辺に医療機関といってもそう数があるとは思えない。また、ヘリコプターで搬送可能な人数も状況を好転させるに十分とはとても思えない。数キロ先の、もしくは数百メートル先の病院まで、かろうじてスクーターが走れる程度の残された道で重症患者を多く運ぶ手段は今のところ思いつかない。結局そういったところへ行けるのはトリアージによって最重症患者と同じく、治療対象外とされた非常に軽傷な患者ばかりで、最重症の患者の治療の目的は達成できない。これは神戸に限らず、日本国内であればどこでも似た状況になりうると思われる。故に、搬送システムのみを見直すだけでなくそもそもの道路整備(災害時にも障害を受けにくい作り、ルートの確保等)と併せての見直しも必要と思われる。


地震に対して器械はこうあるべきだ

田中千鶴見ほか、医器学 67: 62-7, 1997(担当:西岡)


 この論文は、地震に対して医療機器はどうあるべきかを看護婦の立場から考察したものである。筆者は看護部長とICU・手術室婦長。

 建築の被害としては構造枢体の直接被害はなかったが、外壁損傷が著しく、余震のたびにコンクリートのかけらが落ち、建物自体がもつのかという恐怖のなかで看護を続けることにとまどいを感じた。後に最近の高層建築は壁などに衝撃を逃がすことで構造枢体を守るということを知る。責任者として広く病院の設備、構造、機能までも把握しておくことが必要である。

 電気に関しては、非常灯が弱く転倒する程度にしか自家発電が立ち上がらず、これは訓練の予測の域を超えていた。作動しなかった主なものとその対策は次のとうり。

 心電図モニタ−。人工呼吸器 → アンビューバッグ。吸引 → 足踏み式吸引器が役立ったとの報告。保育器の保温装置 → タオルと毛布で保温。

 医療ガスについては、酸素残量モニタ−回線が機能せず、深夜になって酸素残量がほとんど無いことが判明し、日頃は取引のない 90 km離れた業者からパトカーの先導により配達された。計器類の頼り切って、自分の目で確かめるという基本を忘れていたことを痛感。機器類が作動しないときこそ、看護婦の基本的な観察力や看護技術が問われる。

 その他の機器では、シーリングコラムのアームが患者の上を大きく左右に揺れたが、機器が固定されていたため被害はなかった。また、ストッパーを固定していないキャスターが免震機能を果たしたとされるが、日常の安全のためにはストッパーの固定は必要であるため、結論を出すのは早計である。

 建造物の被害に較べ医療機器はさほど被害を受けていない。余震の状況から、震度4〜6程度では多くの医療機器は損傷されないと体験的に知る。医療機器本体の耐震設計の研究は今後更に深められるであろうが、むしろ機器の設置場所や保管方法、付帯設備との接続方法などについての対策が立てられることが急務であろうと思われる。


インドネシア森林火災における国際緊急援助隊(JDR)医療専門家チームの役割

國井 修、日本集団災害医療研究会誌 3: 68-74, 1998(担当:菅)


 インドネシアで発生した森林火災に対し、日本政府は1997年9月26日に国際緊急援助隊専門家チームを派遣した。このチームが調査した結果、環境測定では粒径0.3〜0.5ミクロンの微細なPM(particulate matters: 浮遊粒子状物質)濃度はジャカルタから煙害の強い地域に近づくに従って漸増したが、5.0ミクロン以上の粗大な粒径ではほとんど変化がみられなかった。COおよびCO2濃度は大気汚染の強いジャカルタはやや高値を示したが、PMと同様に被災地に近づくにつれ上昇していた。ジャンビ市内の3地点におけるCO濃度とPM10は大気汚染指数(PSI)に換算すると、CO濃度とPM10が安全域の基準となる100を越え、PM10はさらに危険域といわれる300を遙かに越える1584を示した。

 施設調査では肺炎、喘息による外来、入院患者数が増加しており、健康影響調査では99%が煙害発生後に何らかの症状を示し、91%が呼吸器症状を示した。比較的軽症が多いが、複数の症状を併せ持つものも多かった。また感染症の存在を疑わせる発熱を訴える者が3割以上を占めた。60歳以上では他の年齢層より中等度、重度の占める割合が高く、全体的な健康状態も悪化しているものの割合が高かった。基礎疾患を有するものは有病率が高かった。外出時マスクを常時着用しているものは14%に満たなかった。理学的所見では視診にて結膜炎が確認されたものが33%、聴診にて喘鳴、ラ音が聴取されたものがそれぞれ9%、3%であった。

 大気汚染のこれまでの疫学調査から換算すると、今回の煙害による被災地域での粗死亡率は約3倍、死亡数約10万人の増加が見込まれるが、化石燃料とバイオマスの燃焼ではPM10の内容、汚染物質の相互作用などが異なると考えられ、さらなる調査が必要である。

 JDRチームがインドネシア政府に提出した提言書の要約は表に示す通り。

表.提言


  1. 現在の大気汚染の定点観測では対策上不十分であり、多地点での大気モニタリング、およその測定値の公表と危険域での警告システムを確立すべきである。大気モニタリングには測定器・人材が必要であり、長期的にはその整備・教育に取り組まなければならないが、現在の対象療法として、各地域の建造物・自然物を標識として、有視界距離など、各地で実現可能な汚染度評価を確立し、対策に役立てることも考えられる。

  2. 被災者に対し、煙害で起こりうる健康影響とその予防と対処方法に関するガイドラインを作成し、マスメデイアや地域のネットワークを通じて広く伝達することが必要である。

  3. 防塵マスクに関する知識と実際の着用に乖離があるため、十分にその必要性を伝達し、被災者全員が入手、着用できるような方策を考える必要がある。

  4. 乳幼児、妊婦、高齢者、心肺系の基礎疾患のある者には特別の配慮が必要であり、症状が発現した場合、早急に医療機関を受診できるシステムを確立すべきである。

  5. 被災地の医療従事者に対し、煙害による起こりうる健康影響とその治療方針に関するガイドラインを作成し、そのトレーニングなどを行うことが必要である。

  6. 現存のサーベイランスのみでは、煙害による健康影響の動向を正確かつ迅速に把握することは困難であり、より積極的かつ正確な疫学調査サーベイランスを実施する必要がある。また長期的な健康障害を明らかにするため、今後の追跡調査が必要である。


国際救護搬送2

吉田正志ほか、救急医療ジャーナル 4巻 6号、36-39、1995(担当:井上)


<要約>

 国際化社会の今日、日本人が海外で事故や発病により医療を受ける機会が増加し、日本での治療を希望し、日本への搬送が必要となるケースや、また外国人が日本から外国へ搬送を希望するケースが発生している。搬送手段として、通常定期便旅客機でのストレッチャー搬送が主であるが、重症例では医療専用機をチャーターし、呼吸循環管理下に集中治療を継続しつつ搬送する必要がある。

 今回具体的に筆者が同乗等を経験した5例の症例の中で、日本人3例は外国で受ける治療上の問題点(高額医療費の問題、言葉の問題、等)により重症例では多額の搬送費用発生という問題点に直面し苦渋の決断の後に、専用機で集中治療を継続し日本への搬送を行ったケースであった。これらの経験より今後の課題として以下の点が挙げられる。

1) 緊急的に専用機の医療設備に精通した医療スタッフの乗務、特に、患者の訴えや精神面の理解のために日本人医師さらに、外国人医師、看護婦などとの意志疎通のために会話能力のある医師の同乗が求められる。

2) 搬送専用機のチャーター費用だけでも千数百万円に達し、傷害治療費、疾病治療費、救援費、などの高額費用が問題となるため、対策(渡航前に十分な補償額の保険に加入する)が必要である。

3) 日本として小型ジェット機を用意し、日本人が他国で医療トラブルに遭遇したとき、日本へ搬送できる体制作りが強く望まれる。

<感想>

 極めて高額な国際搬送費用、及び海外での高額医療費(特に米国での保険非加入時)の支払い、支払い不可能な場合の強制的退院、等厳しい現実を見せられた。中でも、率直に国際搬送費用の高額さが特に印象に残った。確かに、発生する頻度として低いものの国際化の現在、筆者が主張する様に不幸にも該当してしまった場合の患者本人、家族の苦悩を考えると有効な対策を講じる必要性を感じた。では具体的に如何なる手段を検討し進めるかは、本テーマの問題点が多岐にわたるため(国際搬送費用、日本人医療従事者の質、迅速な搬送体制)、有効な対策が早急にできることを期待することは難しいものと考えられた。それゆえに、高額な費用発生にも対処できるように、発生する可能性が比較的高い人達(高齢者、等)が個人レベルで旅行前に適切な保険に加入することを一層啓蒙することが現実的な対策と考えた。また国際救護搬送のノウハウを日本国内で一元化し(専用スタッフの設置、等)、海外の現場からも容易に相談できる窓口を開設することで患者家族の負担も大いに軽減するものと考えた。


看護婦に寄せられる "信頼"
―避難所、そして訪問看護ステーションで

宮崎和加子、看護学雑誌 59: 479-81, 1995(担当:瀬川)


1.課題: 「看護婦に寄せられる”信頼”− 避難所,そして訪問看護ステーションで」

論文要約

(1)阪神淡路大震災10日後の1月下旬、看護婦である課題文筆者は、被災地で3日間ボランティア活動をおこなった。出発にあたり、家族および職場の同僚の同意と協力を得た。

(2)1日目、オムツを使用し、70歳代の娘に介護されながら避難所生活をおくる90歳の老人に出会い、翌日の日中、なるべく暖かい時間帯に清拭のため再訪することを約束した。

(3)これから要介護老人を引き取らねばならない家族に相談されたのをはじめ、白衣の筆者に多くの問題や相談が寄せられた。

(4)2日目、前日の老人に清拭と散髪を行い、同時に主婦ボランティアに方法を指導した。

(5)課題文筆者が被災地を離れた後も、ボランティアの人が清拭と散髪を継続している。

(6)震災後に結成された主婦ボランティアの会のメンバー10数人に、課題文筆者が講師となって、清拭・体位交換・少ない湯での洗髪方法などについての講習会を実施した。

(7)3日目、神戸市内に5ヶ所ある訪問看護ステーションのうち、3ヶ所を訪れた。そのうち2ヶ所は、建物自体の倒壊あるいは内部や備品の損壊のため機能しておらず、残る1ヶ所も電話が不通の状態であった。患者の安否確認は、職員が患者の自宅を徒歩で訪問する方法により行われていた。

(8)各訪問看護ステーションとも、職員自身も被災したにもかかわらず、患者のために奮闘していた。

(9)課題文筆者は被災地での3日間、空腹や便意を感じないほど救援活動に没頭した。

感想・考察

 前項(7)から想像すると、阪神淡路大震災のような大規模災害の救援活動においては、日常 利用される設備・機材等の稼働率が大きく低下し、人海戦術が最も有効である場面が多いと考え られる。

 特に医療従事者に関しては、直接の需要が増大するだけでなく、前項(2)の赤字および(3)(4)(6)のような些細なコツを一般の人々に伝授することで、前項(5)のように、被災地全体の救援効率を飛躍的に向上させうる点からも、できるだけ多くの人数が被災地 へ集結することが重要である。

 しかし、日常の業務で多忙をきわめる医療従事者の現状が、前 項(1)の下線部から読みとれる。

 その結果、前項(8)(9)のように一部の人間に過大な 負担がかかり、個人の献身の割には被災地全体としての救援効率が思うように向上しないのでは ないかと推測する。

 この問題の根本的解決法は、医療現場の人員に平時から余裕をもたせるこ とであり、同時に平時における医療サービスの質的向上も期待できる。

 反面、医療コストの増 大は避けられないが、本質的には、平時と災害時の区別なく、「高くても質の良い医療」を望む か「安くてそれなり」の医療を選ぶかという、日本人全体の価値観の問題であろう。


集団災害と救急医療 (2)

杉本 侃、救急医療と市民生活、東京、へるす出版、1996、p.16-21

(担当:杉本)


過去の集団災害の分析


 これらの集団災害の際に共通して見られた現象。

  1. 患者は救急現場から驚くべき迅速さでいなくなっている。30分以上も現場に患者が残っていることはほとんどない。

  2. 消防救急車が運び出したのは、19〜45%と以外に少ない。事故が集団的な人身事故であることを確認するのに10〜15分程度が必要であり、周辺から救急車を集めるのにさらに時間を要するためである。その間に被災者は自力や通りがかりの人によって救出されどんどん現場を離れていく。

  3. 自力や一般の人によって救出された患者は現場近くの救急病院に殺到する。

  4. 大都会の消防救急隊は、一カ所の医療機関へあまり集中しないように配慮しながら運んでいた。しかし、小規模な市町村消防署では、その町の救急病院へひたすら患者を運んでおり、隣接市町村の医療機関へは、運ぼうとしていなかった。警察のパトロール隊による民間車の誘導も同様であった。

  5. 医療機関は患者の殺到によって集団災害が起こった事を知るのが普通で、その全貌をつかむことはできず、救援をどう求めてよいかわからなかった。その反対に、数キロメートルはなれた医療機関は普段と何も変わらない状態だった。

  6. 事故の全貌を最も正確迅速に伝えたのは、テレビの臨時ニュースであった。


 以上のことから今後に残された課題として


集団災害と救急医療 (3)

杉本 侃、救急医療と市民生活、東京、へるす出版、1996、p.22-27

(担当:杉本)


集団災害と消防救急隊

 集団災害において消防救急隊の任務として以下の2つがある。

1)被災者の現場からの迅速な救出

 この任務について、救急隊員は十分に心得てはいるが、どこへ運ぶかについては、まだ十分な知識を持っていない。最も大切なことは、時間ではなく、少しでも遠くに患者を運ぶことであり、また、重症の患者は普段から外傷を扱いなれている病院へ送るべきである。1カ所の病院に患者を集中させてもいけない。

2)現場周辺の医療機関への正確な情報の伝達

 集団災害の発生場所や規模、さらには患者の集中している状態、どのくらいの医療機関が受け入れ可能な状態なのかを病院の指導者に伝達しなければならない。しかし、ひとたび患者を病院に運べば、それから先は自分たちとは無関係であるという建前は、現在でも変わっていないようである。

 特殊な事例であるが、1982に羽田沖に日航機が墜落し162人の死傷者が発生した事故がある。この事故は、大多数の被災者が自力で病院に向かうことが不可能であったため、消防救急隊のみによって救急搬送されたという点と、医師団が現地に出動して活躍できた珍しい事故であったという点で重要である。

集団災害の現場における医師の役割

 集団災害の訓練において、医師や、看護婦によってテント村がつくられ、救援活動を行わう光景が見られる。しかし、集団災害においては患者の動きはきわめて速く、消防救急隊のような組織や機動力を持たない医師たちがこのような活動を行えるとは思われない。 しかし、偶然事故現場に居合わせたり、出動する機会のあった場合に、医師のなすべき事には以下の2つがあるが、それぞれに問題を含んでいる。

1)現場での応急処置

 気管内挿管などを行うことはできるが、外傷の場合は、重症であればあるほど現場でできることは限られている。羽田沖事故においても救護所としての活動は行われなかった。一刻も早く、救命救急センターにおいてあらゆるハイテク機器を駆使した先進医療を行うことが先決である。

2)トリアージ

 医師といえども重症外傷を日常的に見ているものでなければ、現場で重傷を的確に判断するのは困難であり、また、命令系統の全く異なる救急隊員がこれを重視するかは疑問である。現実には、集団事故に際しては、医師も救急隊員も、日常の診療や搬送の延長でしか対応できていない。

 ドクターカーや救急救命士の乗った救急車が活躍している欧米などでは、搬送と医療が一体化しており、また、救急車のドクターも救急救命士も事故患者の取り扱いに習熟しており日本とはかなり状況が異なっている。

集団災害の訓練

 集団事故などで、普段行っていない特別な医療行為や搬送が突然にできるものではなく、救急隊員が突然医師を乗せて医療を行い、その指揮のもとで適切な病院を探して走ることなど不可能である。その事実を冷静に受け止めた上で訓練を行うべきである。

 交通の遮断された山間地において大量の人身事故が発生した場合の行動重要な問題であるが、鉄道事故や観光バスの事故では、患者は平行した道路や列車などで速やかに救出されており、一般の集団災害と同様である。しかし、救出されたり、自力で脱出した被災者はやはり最寄の病院へ殺到して大混乱をおこしており、このような事態を想定して訓練を行うべきである。

 日本においては最重症の患者を切り捨てるのはよほど特殊な場合ではあるが、1つの医療機関のみで解決しようとした場合そのようなことは起こり得る問題であり、そのようなことを防ぐためにも、患者を分散させることに努力を払い、一医療機関への集中を防止しなければならない。この事が、集団災害の対策として、最も重要なことである。


震災直後の看護活動
−神鋼病院(神戸市中央区)の場合

小西直美:エマージェンシー・ナーシング 8: 461-5, 1995

(担当:松岡)


震災後起こった状況とその対処

1)病院機能の麻痺(放射線部、手術室が機能しない。非常用電源も作動しない)

2)次々と運び込まれる圧死者

3)入院患者への対応

4)翌朝5時まで続いた混乱

5)消耗品の節約
(翌18日、近隣の医療機関の被害状況と入院の可否を電話で調査。外傷性患者は、数こそ震災当日と同様であるものの、比較的軽症例が多くなった)

6)「薬がきれた・紛失した」という定期通院患者、定期薬の長期投与を希望する慢性疾患患者の増加

7)病棟閉鎖―入院患者の転送
(被災4日目、病棟を一時完全閉鎖するとの病院方針が決定。入院患者および救外受診後ホールで経過をみていた患者の紹介・転院先探しを開始。)

8)長期戦にむけての組織化


国際救護搬送とその問題点

滝口雅博.救急医療ジャーナル 3(6): 8, 1995(担当:一色)


 国際医療帰省・国際患者搬送帰還(international repatriation )とは……

 海外において傷病に罹患した患者を医師,看護婦の付き添いのもと医療を継続しながら 搬送帰国させること。単に患者を航空機などで搬送・帰国させることではない。

国際救護搬送とその問題点(要約)

 近年外国への旅行者数は増加しており、従って国外で派生する傷病者数も増加するこ とが推測される。そうした人々が、医療体制や習慣・言葉の違う外国ではなく、日本での 治療を望むのは当然である。しかし我が国において、航空機による患者搬送を、全国的・ 国際的に組織化したシステムは存在していない。

 現在、邦人患者を国際救護搬送する方法は、1)定期航空便、2)国際的な組織のチャータ ー機を利用する2つの方法しかない。

 定期航空便を利用する場合には、患者の関係者が、外国では病院から空港まで、国内では 空港から医療施設までの搬送手段を手配しなければならず、非常に困難である。また、定 期便では患者のプライバシーの保護が困難であること、周囲の乗客に不快感を及ぼすなど の理由で好まれない場合が多い。更に、医療機器の電源・コンピューターが航空機器に及 ぼす影響・積める酸素ガス容量などの問題があり、患者を搬送する専用機が必要となる。 そこで2)の手段に頼ることになるが、前述のとおり国内にはシステム化された患者搬送機 構がなく、外国の組織に頼る場合は費用が高額となるなど、多くの問題がある。

国外の国際患者搬送システム

□ United States Air Force : C-9a Nightingale Project

 戦地で負傷した兵士・軍人・その関係者の搬送に用いられる。最大40床のベットの設置 が可能であり酸素、吸引の配管がなされ、通常はフライトナースが同乗して定期的に患者 搬送業務を行っている。

□ Swiss Air Ambulance Organization : REGA
 (スイス航空救助隊REGA) RE:rescue,GA:guard

 概要:航空機による患者搬送を専門に行う民間団体として1952年に設立された。

会員の年会費約2700円,保険会社からの支払いおよび寄付などで運営されている。国 からの援助は受けていない。95年現在加入率は全国民の30%以上である。会員に対して の航空機搬送は国内外とも無料で,は会員の家畜をも無料で救出にあたる。

 職員は医師(専属は9人),看護婦,パイロット,整備士,技術者,事務職員等あわせて約200名である。

搬送業務

●ヘリコプターによる患者搬送

 国内に13のヘリベースがあり、主に救急コールに対応し、国内どこでも15分以内に到 着できる。ヘリプターには原則としてパイロット・コパイロット・医師が三人一組で搭乗 し,一基地につき2〜3人の契約医師とパイロットが24時間交代制で勤務する。

 ストレッチャー1台、モニター(心電図,観血的動脈圧,パルスオキシメーター),シリ ンジポンプ,人工呼吸器を積んでいる。

●ジェット機による患者搬送

 主に、前もって入念に計画・準備された国際患者搬送をおこなう。基地をチューリヒ空 港内に置き, 3機の患者搬送専用ジェット機を所有している。最大6台のベッドが設置可 能である。intensive care bedにはICUと同レベルのモニター,人工呼吸器,シリンジポ ンプが並び,飛行中でも気道確保,中心静脈確保,胸腔ドレンの挿入などが可能である。


インタビュー
阪神・淡路大震災におけるメンタルケア

堤 邦彦:エマージェンシー・ナーシング 8: 457-50, 1995(担当:鎌田)


 北里大学病院救命救急センター講師で精神科医である堤 邦彦が精神科管理のための医師として1週間、その後引き続き1ヶ月、被災地の六甲アイランド病院に派遣された。六甲アイランド病院を選んだ主な理由は、病院へ渡るためのモノレールが止まっているため、週3回来ていた精神科医の出勤が不可能な状態であったためと、精神科医がこれるようになったらいつでも引き継げるということと、堤がいままでやってきたことを活かせるのは総合病院のような形の所であると考えたからである。六甲アイランド病院では看護婦も被災者という、被災者が被災者をケアするという状態であったので、患者と看護婦、医師も含めてのメンタルケアの目的でケアした。

 派遣された時、病院は電気は通じていたが、ガス、水道はまだ通っていない状態だった。院内は冷え切っており、看護婦は私服の上に予防衣を羽織っていた。しかし、このような状態であっても、看護部長は配慮の行き届いた人で、震災後すぐに食料を確保する行動をとり、交通事情を考慮して勤務体制を2交代制にした。また、看護婦のリフレッシュのため、部長のポケットマネーで温泉に連れて行った。これらの事により、ある程度不足のない看護ができたと思われる。

 堤は、婦長達に部下へのケアと患者へのケアのポイントを説明した。各部署の柱となる婦長達に理解してもらうことにより、円滑に看護を進めることができた。

 災害では、心のケアはカウンセリングだけではなく、食事、睡眠、排泄の場所の整備といった、基本的な生活を満たすことが、そのときのメンタルケアになると考えた。

 災害後のメンタルケアは、早ければ早いほど予後が良い。また、1ヶ月後くらいから精神科医の関わりが特に必要となってくる。これは PTSD (post-traumatic stress disorder)、心的外傷後ストレス障害といい、普段の悲しみ以上の悲しみを受けるとそれが傷になり、様々な精神症状や身体症状を引き起こすためである。実際に、慢性疾患が増悪したり、イライラが亢進したりする人が増えた。また、家族や家を失うというのはストレスの中でも大変大きいもので、その上、建物などの復興のスピードに心がついて行かず、様々な事が一度にきてしまうと、死んでしまった方が楽だと思うようになる人が増え、震災による自殺者が増加した。

 病院機能が回復し、医療が充実した今、残されているのはメンタルケアである。これから精神科医が活躍しなければならない。


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