災害医療抄読会 971009


航空機事故

高橋有二、災害医療ハンドブック、医学書院、東京、1996年、p.65-72(担当:藤原)


1、航空機事故とは

 「何人かが飛行の意図を持って航空機に搭乗した時から降りるまでの間に発生した航空機の運用に関連した事件」(国際民間航空機構)離着陸前後の10数分〜20分が航空機事故の65%を占め、魔の15分などといわれている。

 原因としては、1)人為的過失(パイロットエラー)、2)航空機自体の故障、欠陥、3)飛行場、航空路の航行保安施設の欠陥、4)飛行場の立地条件、5)気象状況、などが挙げられている。

2、航空機事故と応急医療救護

a、 航空機事故の発生場所と救護体制

  1. 空港あるいは空港周辺

     発生場所としては最も多い。発見が早く、救護体制も整っており、整備関係職員が多数常駐するなど、条件は良い。

  2. 空港外あるいは遠隔地

     巡航中または着陸準備降下中の事故で、目撃されていないことが多い。ヘリコプターが患者搬送の中心手段となる。

  3. 飛行中

     機体の空中分解、他機との衝突、操縦不能などによる事故。ヘリコプターが救護の中心となる。

b、 航空機事故と外傷

 航空機事故では患者の多発と、1人がいくつもの外傷を受けへる重複外傷患者の存在を考慮しておく必要がある。また、重度外傷対策としては、一連の無駄のない検診から適切な救命処置へと進むのが望ましく、病院施設などへの収容後は、CTやエコーなどが手術決断に役立つ。特にエコーは、緊急性、簡便性、非侵襲性などの点から、優れた手段である。

c、 トリアージ

 限られた医療スタッフで、1人でも多くの人に最菩の医療を施すため、治療の順位、搬送の順位などを決定していく。

〇即治療群:

 重症。寸刻を争って手当てすべきグループ。第一順位。大出血、呼吸(心)停止、意識障害、中毒、重傷熱傷など。

〇軽治療群:

 ガーゼー枚でも与え止血させ、集団で後方に送る。小外傷、打撲、捻挫、小骨折など。

〇後治療群:

 中等症。多少、治療や搬送が遅れても生命に支障のないグループ。また、かなりの重症で救命の可能性の少ないもの、死亡例、さらに核汚染、特殊感染症などの隔離治療群も含まれる。

3、最後に

 最近の航空機は、高度のハイテク装置によって支配されており、人間の能力を超えた航行や離着陸さえ自動化されているらしい。それゆえ人間側の要因が、航空機の安全円滑な運行に大きく影響すると思われる。この先、航空機の飛行回数、利用人口は増えていくと思われるし、航空機の大型化も死傷者を増やす一因となるであろう。事故がなくなってしまえば良いのだが、それも難しいので、現在の段階では事故の防止に全力を尽くし、事故が起こった場合に傭え、救急医療体制のさらなる充実を目指すしかないであろう。

(レポート発表者の感想)
 災害医療において救急医の役割は大きく、特に患者の多発する航空機事故では優れた判断力や注意力が要求されるだろう。また、現場ではトリアージにより、命を救う立場にありながら瀕死の状態の人を後回しにしなければならないというのも難しいことだと思った。


疫病

杉本勝彦、災害医療ハンドブック、医学書院、東京、1996年、p.36-43(担当:飯本)


 疫病の本体が感染症であり、その治療法あるいは予防法が明らかにされ確立される以前は、疫病は人類の存在を脅かす最も大きな脅威で、戦争や地震・火山などの人為的あるいは自然災害によるものをはるかに上回っていた。しかし、今日では疫病自体が社会の中で大きな問題となり、集団災害の一つとして取り扱われる機会は多くない。

 これまでの歴史の中で著明な疫病を列挙してみると、まず14世紀前半に猛威をふるった癩は1873年ノルウェーのハンセンによって発見された癩菌(mycobacterium leprae)によってもたらされる慢性感染症である。潜伏期間が長いため感染経路が不明のまま、遺伝病と誤解され、その特異的な皮膚軟部組織の症状から悪疫として恐れられていた。

 ヨーロッパで大流行したペストは別名「黒死病」とよばれ有効な治療手段が開発される以前は、腺ペストは50〜70%、肺ペストは100%の死亡率であった。

 15世紀以降のヨーロッパに爆発的に広がった梅毒は1500年前後には感染の主な介在役となる売春婦が隔離の対象となり、ヨーロッパの各都市から追放され、梅毒感染者は梅毒病院に隔離入院されるようになった。 結核の蔓延は19世紀にヨーロッパから始まり、産業革命が起こり工業を中心とした社会生活の変化に伴い爆発的に広がっていった。

 本来は局地的な疾病であったコレラは、19世紀になって有効な防疫体制が組まれないまま 地球規模で交通手段が発達したために世界各国に蔓延した。20世紀以降になってからは局地的なコレラの流行をみることはあったが病原菌の確定や防疫体制の整備、治療法の確立などにより、世界的なコレラの大流行は見られなくなった。

 第一次世界大戦末期に初めて流行したインフルエンザは、細菌学の進歩や化学療法の開発、防疫検疫体制の整備が行われるようになった現在では、初めのような大量の犠牲者は出なくなったが、いまだに流行が起こり問題になっている。

 ウイルスによる出血と発熱を特徴とするウイルス性出血熱は、黄熱やラッサ熱・デング熱のようにウイルスの同定が行われているものもあるが、 マールブルグ熱やエボラ出血熱のように、ウイルスの同定も不完全で予後が不良であり今後の治療と予防対策に大きな課題をのこしているものもある。

 HIVによって起こるAIDSは、進行性に全身の免疫系の制御機構と中枢神経系などの臓器機能を破壊し、最終的に腫瘍や日和見感染を合併して死にいたる病気である。AIDSは、発病した後の転帰の致命的なことと感染経路が性行為という点で問題となっている。

 このような様々な疫病の歴史がある中、緊急医療援助活動のためにJMTDRという組織が発足された。しかし、その大半が自然災害のための緊急医療援助が目的で派遣された短期型の出動であり、伝染病の流行あるいはその可能性は問題にされていない。このようにJMTDRの過去の活動の中で、伝染病の流行や疫病が大きな問題となってこなかった理由としては、20世紀以降、防疫・予防対策が効果を示し、伝染病自体が大きな問題とはならなくなっていることや、JMTDRの活動の中で大きな伝染病をモニターできる機構が存在しないこと、JMTDRの体制が短期型の緊急医療援助指向であること、治療患者の具体的な評価方法が確立されていないことなどが挙げられる。

 現在、医療の発達や生活の向上により、話題にならなくなった伝染病だが、災害などがきっかけとなり局地的な感染症の流行の危険は常にあり、そのための対策を考えておくべきである。まず災害などの救援活動の準備に際して最も優先することは、生活排水の処理方法と安全な生活用水の確保と供給である。また、栄養管理も感染症対策として大変重要である。生活環境の整備を行ったら次に疾病内容の情報収集をして、医療活動チームで定期的に確認することも重要である。そして、情報が得られた場合は、直ちに確定診断のための方法を検討し、感染症を証明する標本を確保する必要がある。他に、必ずしも必要ではないが、集団予防接種も伝染病の流行を防ぐ意味では大事であるといえる。

 これから先、疫病が流行するような事態が起こった時、このような対策が迅速に行える体制が整っていれば過去にあった疫病による大量の犠牲者を出すことなく最善の対処ができると思う。


震災後の保健活動

谷口昌子、看護管理 1996: vol.6 (3): 166-9(担当:谷本)


 神戸市を中心とした阪神間及び淡路島に大きな被害をもたらした大震災が、1995年1月17日早朝におこった。交通、通信、ガス、水道などのラインが破壊され、約31万人の被災者の方が避難生活を余儀なくされた。神戸市の災害状況は以下のとうりである。

  1. 犠牲者(1995年7月14日現在)

    • 死亡者 4319人(不明1人)
    • 負傷者 1万4679人

  2. 避難状況(ピーク時)

    • 避難人数 23万6899人
    • 避難箇所 599カ所

  3. 建物被害(1995年4月14日現在)

    • 全壊 5万4949棟 半壊 3万1783棟

  4. 仮設住宅建設状況(1995年10月31日現在)

    • 建設戸数 2万9178戸

     それから一年の間で、地元の人の熱意によって神戸の街は着実に復興へ向かっていった。しかし、震災で自宅を失った多くの住民は、住み慣れた地域を離れ、見知らぬ土地で、そのうえ見知らぬ人々との仮設住宅での生活が始まっている。神戸市は緊急仮設住宅や、介護が必要な高齢者や、重度の障害者を対象にした地域型仮設住宅を市内に多数建設し、1日でも早く多くの人たちが入居できるように対応してきた。

     神戸市における保健活動の経過として、震災直後の混乱〜避難者の定着期には、家屋の倒壊・火災による死者や負傷者への対応が求められた時期であり、保健婦はその状況判断を「看護職」として行い、行動に移して行った。が、被災状況が 全く把握できない中で、救護と並行して保健活動を展開することは、極めて困難であったようだ。通信が遮断された中での状況把握やどのように行動するかが、今後の防災システムに大きな教訓となった。

     2月下旬から3月下旬にかけての、避難所からの自立期になると、仮設住宅への入居が開始されたが、慣れない環境への移動のため、精神的ストレスや身体状況の変化などの問題が予測され、全戸個別訪問が実施された。結果として慢性疾患で通院していた人が、医療機関へのアクセスの問題などで仮設入居後治療中断しているなどの問題が明らかになった。このような地域の情報は地区担当の保健婦に集中し、それに基づいたさまざまな接点をつくる役割を担っていた。つまり、多種多様なニーズ等を災害対策本部や福祉事務所等の生活支援と結び付ける、保健・福祉・医療の連携そのものの中継点としての役割を担っていたのである。

     4〜7月にかけて仮設住宅への移住が本格的になり、その対策が重要な課題となっていた。仮設住宅に占める高齢者や障害者の割合が高い地域が生じたり、避難生活の精神的疲労などが原因となって健康低下が起こって行った。独居老人の孤独死などは、マスコミで取り上げられ、全国的に非常に関心の高いものとなっていた。しかし、仮設住宅という連帯意識の薄い環境の中で「自分の健康は自分で守る」という意識付をするために国からの援助で建設された会場で、保健婦を中心に健康イベント等が開かれるようになり、また「心のケアセンター」の開設により、精神面のケアーも実施されているのである。けれどマンパワーの不足は、大きな課題である。

     この震災により被災者の方は肉体的なダメージに加えて、多種の精神的ストレスを受けてきた。このような中で地域保健活動は、疾病や障害をもつ人達への対応だけでなく、健康問題に何らかの不安をもつ人々へ重点をおいて展開されて来た。住民の生活の場をみつめ、耳を傾け、住民のニーズに答えることを目的としている。けれど、これからも長く続くであろう震災関連の保健活動は住民の立場にたって展開されるべきであり、高齢者、障害者への配慮はもちろん、それ以外の人々の立場も十分考慮されなければならない。自分の今までの状況とは全く異なる環境がある日突然目の前に現れたとき、冷静に判断し適切な行動を取ることがはたしてできるだろうかと考えたときに、自信をもってYESと答えられるかどうかは、実際に起こってみなければ分からない。しかし、実際に震災が起こったときに冷静に判断できた人がいたお陰で、神戸のここまでの復興があったのではないだろうか。しかし、街が復興したとしても保健・福祉・医療の連携の課題が浮き彫りになったこの災害をこれから先も絶対に忘れてはならないだろう。


    大災害時における建築・設備からみた病院の脆弱性

    河口 豊:日本集団災害医療研究会誌 1997: 2: 57-63(担当:小笠原)


     兵庫県南部地震では6000人に及ぶ死者が出た。このうち約90%が建物崩壊での圧迫死、つまり木造住宅の崩壊や、倒れた家具などの下敷きによるものである。病院には地震直後から受傷者が殺到し、その後3日目までが初期の災害医療の山であったが、この間、建築・設備の面で病院の機能が大きく損なわれるという事態が目立った。

    《建築面での病院の脆弱性》

     建物崩壊に関連するものとして建築基準法(1950年制定)がある。制定時、建造物に対する耐震性の基準があったが、その後の鉄筋コンクリートや鉄骨の建築物の増加、また高層化に対応できず、大地震による被害を受け2度にわたる改正がなされた。71年の鉄筋コンクリートのせん断補強強化を盛り込んだ改正(68年十勝沖地震後)、 81年の新耐震設計法(78年宮城沖地震後)である。 地震災害に対し、建物は被害を受けても人命に被害をださないよう定められている。

     兵庫県南部地震をみると、71年以前に建設された建物では大破・倒壊が多いが、 72〜81年、82年以降と少なくなっており、 耐震基準の向上が著しいといえる(Fig.1)。 問題は既存建物であり、これらに対する早急な耐震診断の実施と構造的補強が望まれている。

     病院には地震直後からの災害医療が期待される。しかし地域医療の中心である診療所の建築は住宅併用の木造建築からビルの一角まで様々であり、兵庫県南部地震においても倒壊し医療機関として機能できなかったケースも多い。医師自身の身の安全確保とともに診療の場としての施設強化が望まれる。

    《設備面での病院の脆弱性》

     病院外部からの供給:ライフラインの寸断によって水・電気・ガス等が供給停止となり多くの機能が損なわれた。多くの病院では最も水を必要とする初期の3日間は断水状態であり、混乱を招いた。断水が復帰するまでの間給水車による配水を受けているが、井戸、海水淡水化装置を利用した病院もあった。特に水浄化装置は井戸水や湧き水、河川の水を有効利用できることが証明された。冷却水の補給ができず水冷式自家発電機が停止し、最低限の電気を得ることができなかった病院も多い。非常用電気設備は水冷式から空冷式に変更し、止むをえず水冷式を使用するなら水の確保を考える必要がある。ガスの供給の停止については復旧までプロパンガスと電気で臨時対応していた病院が多い。

     病院内部の設備・機器:問題となったのは医療機器の設置である。大震災によってX線撮影機器の移動、転倒やMRI、CTといった重量物の移動などが起こった。このため地震による建物の変形に柔軟に対応できる設備、床・壁・天井にしっかり機器が固定される工法の見直しがされている。その他、家具特に棚類の転倒が激しく、診療の場の確保や散乱した医療材料・薬剤の整理のために、直後の初期災害医療の対応が遅れる原因となった。家具類の壁固定、天井固定といった対処が必要である。

     物品の保管・備蓄:医薬品など災害時に必要な物資の一時的な不足がみられた。緊急時医療のための物品は約1週間分を確保し、回転させながら使用するのが望ましい。

     施設マネージメント:災害時、施設の点検・運用ができる職員の存在は非常に重要である。限られた人・もの・施設でいかに最大の効果を発揮させるかがまさに危機管理であり、管理者のみでなく看護職・事務員なども施設の動かし方を身につけておくべきで、教育訓練が必要である。また、施設の運用マニュアルを備えておくのがよい。

     地震を受けた後、いかに早く機能を復帰させ震災後3日間の初期医療を確保するか、その後できるだけ早く本格的医療体制を復帰させるかということも地震対策である。病院と職員・家族が大きな被害を受けている場合、外科系を中心とする初期災害医療に全力であたった後、峠を越えた段階で患者を被災地外の病院に搬送すべきである。

     病院の機能低下により、 医療の必要な負傷者が被害を受けるということは絶対に回避すべきことである。災害を十分に想定した建築・設備の改善や最低限の準備・訓練をしておけば、実際の場面でも病院としての機能は早急に復帰し、 職員の混乱も抑えられるであろう。

     しかし、もっとも望ましいのは地域の防災性能の向上である。病院の機能のみでなく街全体を視野に入れた災害対策により、 被害の拡大が防げるはずである。


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