災害医学・抄読会(5/23/1997)

大災害に対する各種マニュアル

木村祐介、臨床外科 51 (13): 1561-5, 1996(担当:寺下)


 1995年1月7日に起こった阪神・淡路大震災から2年になる。医療救護活動に出動 したりあるいは復興援助に参加した行政,日本医師会,兵庫県他各県の医師会や大学の援 助チーム等より,あらゆる角度から,この大震災の問題点,反省点が検討され,今後の対 策が述べられている。これらの多くは,当時の現場の状況報告あるいは災害に対する現在 の各県の備えの状態,またはその両者を比較しそのギャップから問題提起するなど,今後 のとるべき対策を示唆または少し具体的に述べられているタイプのものであった。そして これらの報告書の出版は震災後約1年たった頃が最も多かった。震災から2年目を迎える 時に,以下に示すマニュアルが作成された。

 マニュアル作成の経緯は平成7年度に東京都災害医療運営連絡会が,幹事会とトリアージタッグ関係機関会議を含め計11回開催され,そこでの合意を得て1196年3月に「 東京都統一トリアージタッグ」が作成され,ほぼ時を同じくして「災害時医療救護活動マ ニュアル」が作成された。さらに平成8年度には,同議会と「トリアージ研修テキスト作 成会議」「検視・検案活動などに関する検討会」を含め計10回が現在まで〔1996年 9月まで)に,この種の会議としては精力的にかつ異例のスピードで開催され,これらを 通して1996年8月に「病院における防災訓練マニュアル」と「病院の施設・設備自己 点検チェックリスト」および都民向けの「災害時の応急手当」を作成し,1996年9月 には,「災害時医療救護活動とトリアージ」を医療救護班用と医療機関用にわけて作成し た。さらに1996年11月には「医療救護マニュアル繼謗s町村縺v,1997年3月 には「検視・検案活動に関する共通の指針」の他「避難所衛生管理マニュアル」,「歯科 医療救護活動マニュアル」が出来る予定で(1996年12月現在),またこれらに伴っ て事務の面では災害時の備蓄医薬品の見直しや,災害時後方医療設備の追加指定などが予 定されており,一層の災害医療対策の充実がはかられることになる。今まで述べた各マニ ュアルについて個々に少し説明する。

 災害時医療救護活動マニュアルは,概ね震度6以上の地震などによる大規模災害が発生 した場合の標準的な医療救護活動を示したもので,地域事情等により個別にあったものを 造る基準となるものであり,この後出された各マニュアルの基本となるものである。災害 時の医療救護活動の流れに始まり,医療救護班の編成,救護所の設置,医薬品等の備蓄状 況,各機関の役割分担等の説明さらに被災地内と被災地外に分けてそれぞれの医療救護班 と後方医療機関の活動の指針を示し,最終章でトリア−ジについて述べてある。さらに資 料として災害時の関係機関等の情報を掲載した2次医療圏ごとの地図もついている。

 病院における防災訓練マニュアルは,都内の病院の防災訓練に関わる現状を踏まえ,病 院の取るべき処置,留意点について述べ,標準的な訓練事項を示してある。特に病院には 災害時に2つの役割,すなわち,在院患者の安全確保と新たな負傷者を受け入れるための 病院機能の継続とスペ繝Xの確保といったことを主眼に書いてある。

 病院の施設・設備自己点検チェックリストは,概ね200床規模の病院を想定して作成 した標準的なチェック事項を示したもので,現在行われている法定点検を補完する立場で 病院の職員が自ら点検する際のポイント等を示している。

 災害時の応急手当は都民向けとして作成した地震への心構え編として,”意識がなかっ たら”等の具体的な状況から,それぞれに対応した応急手当をイラストで示したもので, 今までと違うのは,クラッシュ・シンドロームやトリアージについての説明をのせ,理解 を深めてもらうよう配慮がなされている。

 災害時医療救護活動とトリアージは,初めに書いた東京が全国に先駆けて統一し作成し たトリアージタッグの使用に関して使う側の考え方の統一を目的に,原則,実施要領,注 意事項等を示したもので,それぞれ「災害時医療救護活動マニュアル」の被災地内・外の 医療救護班活動マニュアルの部分を抜粋し,これにトリアージの部分をさらに細かく解説 してあり,研修用テキストとして作ったものである。


医薬品の備蓄・供給システム

渡辺 徹、臨床外科 51 (13): 1551-5, 1996(担当:福富)


 1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災の経験を踏まえて、厚生省薬務局は、1995年7月、「大規模災害時の医薬品等配給システム検討会」を設置した。検討会では、今回の阪神・淡路大震災において、行政、製薬、卸業界、薬剤師会などが実際に医薬品供給活動に参加して得た実体験を踏まえて報告書を制作することにした。したがって報告書は主としてこれらの関係者の役割の明確化と連携、ネットワークづくりを中心としたものになっている・なお報告書の性格は、今回の地震時の体験報告であると同時に大震災に備えた医薬品供給マニュアルとしての性格も持たせることとした。

『大規模災害時の医薬品等供給システム検討会報告書』の内容

A、 災害時の医薬品等供給システムの間題点

外部から送られて来る医薬品等は量的には十分であったが、その医薬品等を仮設診療施設にいかに配送するか。

B、 災害に備えた事前対策

1) 大震災時には情報、通信及び交通の混乱が予想されるので、平時から行政、医療機関、医薬品卸売業者、関係団体等次の関係者の役割分担を明確にしておく。

機関、部署主な役割
ア、都道府県薬務担当課関係者間の連絡調整網の確立と事前及び災害発生時の医薬品の確保
イ、厚生省薬務局 事前の関係者間の連絡調整と災害発生時の医薬品確保等
ウ、医薬品卸売業者災害発生時の被災地の医薬品ニーズの把握と医療品供給等
エ、薬剤師会集積所、避難所、仮設医療施設等における医療品の仕分け管理、配送、調剤、指導等そのための人員確保
オ、医療機関災害発生時の医薬品受給状況の情報提供
カ、医薬品製造業者災害発生時の医薬品供給等

2) 災害時に備えて、関係者が直ちに相互の連携がとれるよう、平時よりネットワークを築いておくこと。

3) 大規模震災時を想定した医薬品等の供給、保管、管理等に関する計画立案を 行うこと。その際、次の点に留意する。

  • 災害発生直後から3日目位までとそれ以降では、需要が異なって来ることが予想される。
  • 避難生活が長期化する場合についても考慮しておく必要がある。
  • 災害発生時の季節的な要因、地域的な要因も考慮しておく必要がある。
  • 人工透析やインシュリン等の特定の医薬品についても考慮が必要である。
  • 震災発生時から3日程度以内の医薬品の確保の方法としては、都道府県自ら備蓄、行政と卸の契約によるランニングストック、災害医療担当医療機関における備蓄等を検討する。
  • 災害発生後長期にわたって医薬品を適切に保管し得る集積所を確保しておく必要がある。
  • その他、マンパワー、搬送方法の確保等の検討。

C、大規模震災発生後の対応

 災害発生後の医薬品供給については2つの側面がある。第一に行政が緊急に仮設する医療施設への医薬品供給、第二に被災地内の医薬品卸の機能が停止することを想定した、被災地内医療機関への医薬品供給である。

1) 災害発生後の医療供給の初動対応を迅速に行うため都道府県薬務担当課、厚生省薬務局、医薬品卸売業者、都道府県薬剤師会が事前に定めた役割にしたがって活動する。

2) 初動期の医薬品供給ルートを想定しておく。留意事項は次の通り

  • 医療機関への医薬品供給:災害時に重要なことは、仮設医療施設の設置等もあるが被災地内の医療機関の機能を早期に回復することである。このため地域の医薬品卸売業者が連携し、被災地内の医療機関の医薬品等の需要の把握及び供給に努める。その際、厚生省が別途検討中の「広域災害・救急医療情報システム」の活用も考慮する。

  • 仮設医療施設への医薬品供給:医療チームが持参する医薬品の他、行政の事前備蓄する医薬品、外部からの救援医薬品を活用する。外部からの救援医薬品の集積所としては第一次的な大規模集積所、より被災現場に近い第二次集積所を設けることが適当である。なお集積所等の医薬品の仕分け、配送、在庫管理、品質管理に薬剤師が必要であり、一定数の人員確保を図ること。

3) 被災地内の災害用備蓄医薬品等の不足が予想される場合、厚生省は日本製薬団体連合会を通じて医薬品製造業者等の協力を得て、必要な医薬晶の確保を図る。


被災地での救急医療

―芦屋市における早期の医療活動―

上塚 弘ほか、救急医学19 (12): 1666-73, 1995(担当:盛実)


 平成7年1月17日未明に起こった阪神・淡路大震災は、芦屋市でも甚大な被害をもたらし、多数の死傷者が出た。

 芦屋市は神戸市と西筥市に隣接した典型的な住宅都市である。面積は東西2.5Km、南北8.7Kmと細長い小さな町である。人口86,805人、世帯数33,906。医師会は、医療機関数87、会員137名。特色として、開業後10年以上になる医院が全体の80%を占め、目宅と診療所が同一である医院が多く、それだけ地域社会に密着し地域医療活動が行われている。また住宅地であるゆえ市内在住の医師は619名を数える。

 被害状況としては、不運にも活断層の上に位置した当市では、死者397名、負傷者3,175名と未曾有の被害となった。建物の損壊状況としては、全壊の家屋は4,717戸で全市の31%である。医療機関の被害状況は全壊14、半壊17、自宅と診療所ともに全壊であったものは10である。

 多くの医師会委員は震災発生直後から倒壊した建物からの救出作業、自宅での応急処置などを行っていた。往診にいったり、避難所に様子を見に行ったものもいる。震災当日に何とか診療ができた医療機関は17であった。

 市内で唯一の救急告知病院である伊藤病院での活動記録によると、既にDOA状態で運ばれてきた人に対しては気管内挿管、心マッサージなどの蘇生術を試みるも、周囲の状況から本格的な救命処置は不可能であると考えられた。約半数は打撲、裂創などの軽症であり、出血している場合のみ縫合し、圧迫止血されている症例にはテープ固定がおこなわれた。X線が使用できないため、骨折の疑いがある場合はシーネ固定がおこなわれた。

 あらかじめの防災対策訓練もなく、しかも交通通信手段が途絶え、医療機関も被災にあっている中で、災害医療の原則が貫かれたことは次のようなことに起因すると考えられる。


サリンおよびVXガス

小林靖奈ほか、救急医学19: 1793-1802, 1995(担当:狩野)


はじめに

 松本サリン事件と東京地下鉄サリン事件によって、有機リン系神経毒の存在が注目された。これらの中にはサリン(Gガス、略称GB。ドイツで開発)、VXガス(Vガス、略称VG。英米で開発)、タブン(GA。1936年ドイツで発見された最初の神経ガス)、ソマン(Gガス、ドイツで開発)などがある。今回、サリンやVXガスを中心にこれらの神経ガスによる中毒の作用機序や中毒症状、治療法などについて解説する。

T. 化学兵器の一般的性質

化学剤青酸塩化シアノーゲンホスゲンマスタードガス
分類血液ガス血液ガス肺刺激剤びらん剤
揮発度 873 g/m33300 g/m36370 mg/m30.63 g/m3
溶解度100 %6-7 %加水分解0.05 %
物理的状態液体気体気体液体
経気道半数致死量5.0 g・min/m311.0 g・min/m33.2 g・min/m31.5 g・min/m3

 上記のうちではマスタードガスが最も毒性が高い(低用量できわめて高い毒性)。ホスゲンは常温で気体であり、揮発性は非常に高い。水に対する溶解度は青酸で高く、マスタードガスでは低い。ホスゲンは加水分解を受ける。これらを総合すると、雨天の場合を除き、ホスゲンが最も致死的効果を与える化学兵器となる。

II. 合成法、化学的性質、中毒症状、治療法

 サリンの合成にはいくつかの方法があり、最終生成物を出発物質とすれば一工程での合成も可能である。しかし設備は非常に高度なものを用いなければならず、合成を担当する技術者の安全も確保しなければならない。

 サリンはDFPに類似した揮発性の高い無色無臭の神経ガスであり、局所を刺激することなく肺、眼、皮膚および腸管から速やかに吸収される。また水やアルカリ溶液によって加水分解を受け無毒化されるため、サリンの汚染を除去するためには大量のアルカリ溶液または水を用いて患者の除染を行うことができる。

 またヒトに対する致死量は約0.01mg/kgと微量であり、効果の現れる時間は被爆後数秒である。発現機序は神経組織に存在するアセチルコリンエステラーゼの阻害であり、内因性のアセチルコリンが分解を受けず過剰蓄積を起こすことによって様々な中毒症状が発現する。

 中毒症状は骨格筋の運動神経や副交感神経の節前および節後線維、交感神経の節前線維などが過剰に刺激されて生じる。副交感神経刺激症状(ムスカリン様作用)としては呼気喘鳴、呼吸困難、発汗、縮瞳、気道分泌亢進、消化管の蠕動運動亢進による嘔吐・下痢・便失禁・尿失禁など。交感神経節刺激症状(ニコチン様作用)としては、筋麻痺、血圧上昇、頻脈、蒼白、高血糖、尿糖など。中枢神経刺激症状としては、不安、興奮、不眠、痙攣、痙縮、頭痛、めまい、意識混濁、言語障害、昏睡などを引き起こす。これらの中毒症状は可逆的であり、徐々にではあるが回復に向かう。特徴的な検査所見は血清コリンエステラーゼ値の著しい低下であり、当事件の患者の多くは、血清中のコリンエステラーゼが正常人(100〜250IU/l)の約1/10であった。

 サリン中毒の治療は他の有機リン系化合物の場合と同じであり、呼吸麻痺に対する呼吸補助、ムスカリン様作用に対するアトロピンの使用、アセチルコリンエステラーゼ活性の回復の3項目がポイントである。

おわりに

 今回の事件では、患者の治療のために必要な医薬品の供給体制や救急医療のあり方などが問われた。病院毎に独立した医療供給体制は、時として救急医療活動を遅延させる結果に繋がることを念頭に置かなければならない。


東京地下鉄サリン事件:

2)災害医療とサリン中毒の治療

野崎博之、堀進悟、篠沢洋太郎、藤島清太郎、相川直樹
救急医学19: 1789-92(担当:伊賀)


 1995年3月20日事件当日、地下鉄日比谷線築地駅でガス爆発事故が発生し多数の死傷者があるとの報告があり熱傷や一酸化炭素中毒を念頭に置き、受け入れの準備を行った。最初の患者は、呼吸停止、血圧150/80mmHg、脈拍155/分で意識は昏睡状態であった。また、発汗が著明で口腔より唾液を多量に認め、縮瞳があり、全身の繊維束性収縮を認めた。直ちに気管内挿管を行い、静脈路を確保した。上記の所見から有機リン系薬剤またはカルバメート系薬剤による中毒症と診断し、直ちに硫酸アトロピン、ジアゼパム、PAMの併用両方を開始した。この第一例の中毒症状とガス被爆という経過から、原因物質としてサリンなどの神経ガスを強く疑った。最もこれは松本サリン事件があったことも大きな一因である。また、血清コリンエステラーゼの以上低値が判明し、ますます神経ガスによる集団災害を疑った。これより以下のような基本方針を決定した。

1)ムスカリン様症状に対しては硫酸アトロピンを投与する。
2)中枢神経症状あるいは筋力低下を認める例では入院とする。
3) 血清コリンエステラーゼが異常に低い症例では症状が軽くても入院とする。

 本来有機リン系の中毒では赤血球アセチルコリンエステラーゼが指標とされているが、血清コリンエステラーゼが赤血球アセチルコリンエステラーゼと良好な相関関係を持つこと(図2)、検査が迅速であることから血清コリンエステラーゼが有用と考えられる。  サリンは有機リン系の神経ガスの一つでアセチルコリンエステララーゼと結合しアセチルコリンエステラーゼの働きを阻害し、神経伝達物質のアセチルコリンが蓄積することで症状を発現する。今回みられた症状の多くはムスカリン作用によるものであったが、明らかな徐脈を呈した症例は認められず循環器系への影響はニコチン作用が優位であると考えられる。

 治療薬としては抗ムスカリン作用のある硫酸アトロピン、アセチルコリンエステラーゼの再賦活薬であるPAM、神経ガスの中枢神経作用に対して有効であるとされているジアゼパムを併用した。最重症であった第一例もこれらの投与で後遺症なく退院することができた。しかし、PAMに関してはサリンとアセチルコリンエステラーゼの結合したリン酸化アセチルコリンエステラーゼが老化すると効果がなくなること、ムスカリン作用にはあまり効果がないと言われていることから最初の症例に投与したのみであった。

 今回の症状の特徴として、サリンはきわめて揮発性が高くガス状であるため、角膜を通して局所から吸収され縮瞳をきたすが、その他の所見が全くないという症例が多数みられた。また、縮瞳がないにもかかわらず視力障害を訴えた症例も散見され、瞳孔や毛様体筋によるものではない可能性も指摘されており、今後の眼科的な検討が重要と考えられる。

 サリンの人体への被爆の報告は一部の事故による被爆や少数の人体実験による被爆を除くと少ない。実際に先進医療を受けられる状態での多数の被爆症例は、松本サリン事件以外には認められない。今後、松本サリン事件の症例とともに併せて検討を続けていくことが重要と考えられる。


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