災害事例から学ぶ(上)

鵜飼 卓、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 143-153(担当:高田)


A、進化する災害

 災害は自然現象に伴う災害(Natural disaster)と人為災害(Man-made disaster)が存在する。近代都市の生活はライフライン、情報網、交通網などに大きく依存しているためこれらが機能しなくなった場合に大きな損害となる。このように災害は時代とともに変化している。従って、災害対策は時代のニーズに応じたものが必要であり、そのためにも最近の災害事例を検証してみることが必要となってくる。

B、災害予測と防災、警報

 災害はある程度予想可能であり、それによって被害を減少する事が可能である。気象情報によって台風や集中豪雨の被害を未然に防ぐことができる。地震は直下型は予測がほとんど不可能であるが、津波に関しては、北海道南西沖地震奥尻島対岸の桧山地区では津波警報が人々の避難行動を促し、多くの命を救ったと考えられる。このように予測結果を広く公表していけば災害予防に大きく役立つと思われる。

 またハザードマップというものがある。これは予測される火山噴火や集中豪雨に際して、降灰や噴石の被害、火砕流や土石流、地滑りによる被害などによる被害を被りやすい地域を予測するものである。雲仙普賢岳の火砕流発生時以前にハザードマップは作られていたらしいが、公表はされなかった。ハザードマップを公表しようとすると、住民や政治家たちからクレームが付くかららしい。これは自分たちの住んでいる場所に災害が起こる可能性があるという声に耳を傾けたがらないからである。阪神大震災の時も大地震発生の可能性の声は無視されていた。

C、災害と医療情報

1.通信連絡路の途絶、不能

 信楽高原鉄道事故、雲仙普賢岳火砕流災害、北海道南西沖地震、釧路沖地震のいずれにおいても災害発生直後より電話が輻輳し、ほとんど使えなくなってしまった。阪神大震災では、さらにその規模が大きくなった。被災地内の病院では、目の前に負傷者が殺到しており、被害の状況や、どの病院がまともな治療をできるかなどはまったくわからなかった。病院の被災情報をどのように伝えたかというアンケートでは、職員が自転車、自動車などで直接伝えたという回答が多かった。今後は通信衛星を用いるなどして電話に頼らないシステムを確保することが重要な課題であろう。

2.正確な初期情報の伝達

 東京地下鉄サリン事件では、当初病院にもたらされた情報は「地下鉄構内の爆発事故」であり、有毒ガス中毒らしいとわかった後もアセトニトリル中毒として情報が流された。このため救助にあたった救急隊員や警察官、医師、看護婦などにも中毒症状を示したものが少なくなかった。当初から有毒ガスによる集団ガス中毒であり、縮瞳と気道分泌物の増加があるとの情報(有機リン系の中毒であるという情報)があれば二次災害は予防できたに違いない。病院によっては、患者の状態から有機リン中毒としての治療が行われたところもあった。

3.医療センターの活用

 危険物を大量に扱っている企業は中毒情報センターを積極的に利用すべきである。また、災害時には救急医療情報センターを有効に活用することが望ましい。

D、災害の疫学

1.災害に共通する疾病傾向

 火砕流災害における被災者には、全身の熱傷、気道熱傷などの多く共通事項が見られる。地震の被災者の傷病パターンも似通ったところが見られる。

2.個々の災害に特徴的な疾病構造

 北海道南西沖地震では津波による溺死者が多かったが、通常の溺死とは異なり気管内に多量の砂を飲み込んでいたのが特徴であった。阪神大震災においては倒壊した家屋の下敷きによる圧死が大半であった。このように同じ地震でも全く異なった様相を呈することもある。

3.人為災害の疫学

 人為災害は自然災害よりも多様であり、疫学を論じることはできないとされている。しかし航空機事故、ガス爆発などのようにグループ同士での検証を行えば、法則性が見いだせ、それらに対する対策も考えられるだろう。

 列車事故で見た場合、正面衝突、追突、オーバーラン、脱線のみ、転覆脱線の5グループに分類できる。それぞれのグループ別に負傷者や死亡者の割合を見てみると一定の傾向が見られる。したがって、正面衝突が発生した場合などは重傷者が多いであろうなどのことが予想できるのである。

4.災害後の時相と疾病構造

 災害発生直後の超急性期(12〜24時間)には、外傷患者が主体であり緊急処置のニーズが高い。しかし、24時間後以降は、感冒、ストレスによる潰瘍や精神症状、心筋梗塞、高血圧などが主体となってくる。

5.探査と救助

 災害の被災者に対する第一のケアは探査と救助であるが、二次災害が起こらぬように注意する必要もある。また、生き埋めなどにおいて、すぐに大型重機が使用できるとを限らない。素手に等しい救助活動を余儀なくされるため、救助犬育成やファイバースコープによる探査の訓練なども必要である。さらに、被災地のみでの救助活動には限界があるため、近隣の地方自治体との相互協力関係を平時から作っておかねばならない。


災害事例から学ぶ(下)

鵜飼 卓、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 153-160(担当:大沢)


E.トリアージと選別搬送

 多数の傷病者が同時に発生した場合には、その重症度と緊急度から治療優先順位を決定し、救命がほとんど不可能な最重症者1人のために医療資源が使い果たされることのないようにしなければならない。トリアージは阪神・淡路大震災を契機に新聞にも大きくとりあげられ、その概念はかなり普及したように思われるが、実際に災害の現場でそれを実行することは決して容易な仕事ではない。一般にトリアージは、まず災害現場で、さらに応急救護所で、さらに搬送途中で、病院の救急玄関で、病院内のそれぞれの部所で、繰り返しその努力がなされるべきである。1995年5月にエルサレムで開催された第9回世界災害救急医学会で行われた災害救護訓練では、災害現場での初回トリアージは赤、緑、黒の三段階に分類し、救急車に乗せる前の負傷者集積所で第二段階のトリアージ作業を行って、赤、黄、緑のタッグをつけていた。当然、ここには黒タッグは運ばれてこない。本邦では、トリアージタッグを消防や自衛隊、赤十字、空港、地域医師会などがもっている場合があるが、病院にはほとんど備えていない。地域の基幹病院ではトリアージタッグを準備しておくべきだと考える。当然、個々の病院や個々の組織が独自に違う形式のものをつくるのではなく、統一したタイプのものを使用するのが望ましい。日本救急医学会災害医療検討委員会では標準的なトリアージタッグの雛形を提案した。

F.患者搬送と交通事情

 集団災害時の傷病者搬送には交通渋滞あるいは交通路の遮断という障害がつきまとい、人の生命をそれだけ危険にさらしている。阪神・淡路大震災においても大交通渋滞が救援活動の大きな支障となった。陸路は大渋滞であるから、空路あるいは海路の利用を考えなければならない。災害時にヘリコプターで多数の負傷者を搬送したという事例は、国内では北海道南西沖地震の奥尻島と阪神・淡路大震災とがあるだけである。奥尻島では、平常時でも患者を自衛隊のヘリコプターで函館や札幌に搬送していたという実績があるため災害時にも適切な処置がとられた。一方、阪神・淡路大震災では、初日と2日目に重症の外傷患者がヘリコプターで搬送されたのはわずか1例ずつだった。ヘリコプターが利用可能であるとわかってくると多くの傷病者がヘリで運ばれるようになったが、必ずしもそのすべてが緊急を要したものではなかった。また、ヘリ搬送の支障となったのはヘリの利用手続きが煩雑であること、ヘリポートへの着陸許可や着陸場所の確保に手間どることなどであった。

G.医師の現場出勤と役割分担

 災害救助法によって日本赤十字社は災害時の被災者救護にあたることとされており、日赤チームはあらゆる災害の場面で応急救護を行っている。しかし、時と場所次第で必ずしも日赤医療班が最先着になるわけではなく、常に医療救護のリーダーシップをとるというわけにはいかない。また、赤十字病院群の準備体制としていつでも即座に災害現場へ救出救助のための支援医療チームを派遣するというところまではきていない。

 地区医師会は地方自治体の長と災害時医師派遣契約を締結している場合が多い。その契約に従って、自治体の長が必要と認めたときに医師会会員に災害現場への出動を要請することになっているが、出動要請を待っていては間に合わないので、医師会長の判断、あるいは医師本人の判断で災害現場に出動することがある。その場合、初期には役割分担が明確でなく、調整機能がほとんど働かず、混乱が少なくないようである。また、深夜の事故の連絡体制や通常の診療時間内に災害が発生した場合にも問題は残されている。

 大学病院や地域の基幹病院には比較的医師や看護婦の人材も多く、災害時にそこからチームを組んで現場に派遣されれば、ある程度の活躍が期待できる。欧米の災害救護チームはほとんど病院単位で組織して災害派遣される体制になっている。しかし、従来、本邦では大学病院や救命救急センターなどの災害医療体制の中の位置づけは無に等しい。今日の平常時の救命救急医療の重責を大きく担っているこれらの地域の基幹病院の災害時の役割について、真剣に再考がなされなければならない。いずれにせよ、現場での応急処置、トリアージ、軽傷患者の受け入れ、重症者の転送・受け入れ、死体検案などについて、地域ごとに大災害を想定して、医療関係者の実質的な役割分担を考慮した災害対応計画の策定を急ぐ必要がある。

H.病院の体制と混乱

 集団災害が発生すれば多数の傷病者が出て、医療需要が急激に高まるのは当然であるが、これをいかに分散収容するかで、集団災害が医療機関をも災害の中に巻き込むか、あるいは少し忙しい救急医療でおさめられるかの分かれ道となる。最近、本邦で発生した自然災害や事故は大半が病院をもパニックに近い状態に追い込んだ。

 阪神・淡路大震災などでは、医療機関自体や医療従事者もやはり被災して、地域の医療サービス機能が大幅に低下するという現実をみせつけられた。

I.超急性期の救援医療

 大災害の時、外部から応援に駆けつける救援医療チームは、平時からよほど組織されていないと、生命を左右する救急医療の時期(超急性期)に被災地に飛び込むことはむずかしい。が、完全な「自己完結型」でなくとも、数日分の食糧や医薬品などを携えて、かつ、移動用の適切な車両をもって救援に入るならば、十分役立つものと思われる。被災地にはドクターカーなどの救急車をもって入った場合はきわめて有用であった。また、もし超急性期に救急医が被災地内に入ることができる場合には、消防機関と協力し救出現場で救急処置をしたり、消防署での応急処置とトリアージをするように心掛ければ、生命を救うという意味で少しは役に立つかもしれない。

J.集団災害と伝染病

 集団災害があると伝染性の強い感染症が蔓延すると考えられがちであるが、自然災害の後に伝染性疾患が大流行することはきわめてまれである。しかし、夏季であれば集団食中毒の発生の危険性も高くなるので、被災者の給食提供業務に携わる人々は厳重に注意する必要があるし、避難所では手洗いやうがいの励行を指導していく必要がある。断水時の屎尿処理をどうするかも深刻な問題である。

K.マスメデイアの功罪

災害の実状を広く市民に伝え、救助の必要性をもアピールするマスメデイアの役割は大きい。しかし、取材合戦があまりに激しく、それゆえに医療を含む救援活動に支障をきたしがちである。マスコミ各社の協議によって災害時の取材の役割分担や代表取材を考えるなど、マスコミの課題を真剣に考えていただきたいものである。


阪神・淡路大震災における救援活動

(大阪府千里救急救命センター)

―ドクターカーによる救援活動―

塩野 茂、太田宗夫、救急医学 19: 1703, 1995(担当 長谷川)


I、平時におけるドクターカーの運用

1)運用体制

 高規格ドクターカーを有し、平時には表1に示す医療機材、医薬品を搭載して活動 している。医師、看護婦、ドクターカー専属運転手と近隣の消防署から研修に来てい る救急救命士がそれぞれ1名ずつ常時待機しており、消防本部からの出動要請に備え る。

2)出動の基準と実績

 出動基準を表2に示す。活動実績としては、1994年4月から1995年3月まで の1年間の出動件数は731件(2.0件/日)であり、内訳は現場出動531件、 病院間搬送200件であった。また、災害現場への出動を迅速に立ち上がらせるため に、従来からセンターの近隣の名神高速道路や大阪国際空港の防災訓練にはドクター カーを積極的に参加させ、ドクターカーは地域災害医療対策の一角に位置づけられて いる。

II、震災直後の対応

 地震発生時、当センターでも非常に大きな揺れがあったものの、被害は軽微で診療 に差し支えることはなかった。発生30分後から近隣の軽傷患者が続々来院し、1時 間後には、電話回線が非常に混乱し119番通報が通じないため、前もって連絡無く 患者が救急車で搬送されてきた。最も被害の大きかった神戸、阪神地区の情報は2時 間全く入ってこなかった。9時過ぎからまず、近隣の消防本部にドクターカーによる 医師の出動が必要かどうか問いあわせたが必要がないとの回答であった。10時過ぎ になってセンターから20kmの距離の阪神地区で大きな被害が出ていることをテレ ビで知り、大阪府に対して被災地への出動について兵庫県への打診を求めたが、正午 の時点でも応答がなかったため、自分たちの判断でドクターカーによる医師、看護婦 の出動を決めた。出動場所は救急救命センターを持たない芦屋市とした。

III、震災当日の現地での救援活動

 現地での当日の救援活動の具体内容は表3に示す。午後4時に芦屋市消防本部に到 着し、その指示に従い消防本部に設けられた救護所で応急処置を行うチームと芦屋市 民病院でトリアージを行うチームに分かれ活動した。トリアージチームは特に挫滅症 候群(意識も清明で外見上明らかな外傷もなく、災害時以外にはほとんど発生するこ とがない)の患者の発見に努めた。午後8時45分には挫滅症候群の患者を一人セン ターに搬送し、医薬品(表4)を搭載して再度芦屋市市民病院へ向かった。もう一度 同じように大阪−芦屋間を往復し、午前3時36分救援活動を終了した。

IV、震災翌日以降の活動

 1月19日から3日間は、東京からの日本救急医学会救急医療チームとともに、芦 屋市内の避難所を、見逃されている重症患者が残っていないかを見極めることを主な 目的として巡回した。22日以後はセンター単独で、医師1人、看護婦2人、救急救 命士1人の構成で芦屋市を巡回診療した。この巡回診療については最初の日こそ、芦 屋市消防本部の救急隊員に道案内してもらったが、2日目以降は単独で行動し消防本 部の手を煩わせないよう配慮した。また医薬品はもちろん、昼食、飲料水を用意し、 発生したゴミは持ち帰り自己完結型の医療チームとして貢献出来るよう努めた。巡回 診療は、全国からの多くのボランティア医療団が被災地に入り、また被災地の診療所 も再開しだした2月1日をもって終了した。

V、災害時ドクターカーの役割

 災害発生から48時間までの救急医療期には“3T”と呼ばれるtriage(ト リアージ)、treatment(応急処置)、transportation(搬 送)が災害現場での医療活動の中心となる。今回ドクターカーは、トリアージ、応急 処置には有用であったが、搬送には当然ながら数的、時間的に効率が良いとは言えな かった。効率的な患者搬送には大型ヘリコプターが欠かせないと思われる。小回りの 効くドクターカーで医師が現地に入り、情報収集とトリアージをおこない大型ヘリコ プターで患者を搬送するという形が望ましいと考える。またドクターカーは、救命可 能な重症例を治療しながら搬送出来るという特長に焦点を絞るべきである。

 慢性期の救援活動にも、ドクターカーは大きな力となった。被災地の足手まといに ならない自己完結型であることが要求される救急医療を行う上で、必要なものをすべ て積んで自分で移動できる“足”を持つことは必須である。また、ドクターカーは車 両そのものを診療所として使用できることや情報発信の利点もあった。

おわりに

 この度の震災が契機となりさらに全国の救急救命センターにドクターカーの整備が 進むことが期待されるが、重要なのはドクターカーを保有するだけでなく普段からの 活発な出動や防災訓練への参加を活発に行うことである。災害時の救急医療も、極め て日常の救急医療のもとに築かれるものではないだろうか。その意味で阪神地区では 普段全く利用されないヘリコプター搬送が、今回の震災においても限られた利用しか なかったことは教訓的である。


救援活動〜日本赤十字社の活動〜

石塚善行、救急医学19: 1708, 1995(担当:水谷)


日本赤十字社の救護活動

 日本赤十字社では、阪神大震災が発生した1月17日中に、被災地周辺の10府県支部から20個班の救護班が現地入りし、救護活動を開始した。その後、3月31日の活動終了時までに981班、5,960人(医師913人、看護婦2,637人、その他2,410人)の救護班要員を派遣し、延べ38,349人の患者を取り扱った。

 同社では、災害発生直後から後療法までを4段階に分け、期間の経過に伴う救護活動内容の移行の目安としている。

 Phase0:生存被災者相互による救助、脱出、応急手当て。医療救護は実施不能。
 (〜?時間)
 Phase1:系統的救出医療。災害現場および救護所での医療が行われる。
 (〜48時間)
 Phase2:初期集中治療。各科専門医による緊急治療が行われる。
 (〜14日間)
 Phase3:後療法および更生医療。リハビリおよび職業指導が行われる。
 (〜数カ月から数年)

日本赤十字社の救護体制

 日本赤十字社は、平時から各支部に医師1名、看護婦3名、事務職2名からなる救護班を5個班以上常備することとしており、その登録数は全国で458班、9,304人を数える。装備としても救急車を含む救護用車両1,953台、医薬品・治療用機材をパッケージした医療セット235セット、携帯型医療セット225セットをはじめ、屋外救護所設営用天幕、簡易ベッド、患者搬送用担架等々を整備している。

 また、危機管理体制の整備や、救護班の要員に対する救護訓練・研修を通じ、迅速かつ円滑な活動の実施に備えている。

「Phase0」短縮の重要性

 日本赤十字社では、前述した「Phase0」の期間をできるかぎり短縮するための初動活動に重点をおいている。

 発災直後の被災地では、多数の負傷者が被災地域内の医療機関に殺到し、特に重症者に対する処置が遅れることが予想される。また、医療施設が直接被災するなどして診療機能を失っているような場合は、より大きな混乱を招くこととなる。

 このような状況をいち早く緩和するためには、災害対策本部の早急な設置と運営、また外部からの迅速な人員と資材の投入が必要である。

問題点

1.情報伝達手段の不備

 従来、日本赤十字社では非常時における情報伝達手段として電話ならびに業務用無線を活用することとしてきたが、どちらも地震により通信困難あるいは不能となった。また、現在日本赤十字社の業務用無線は、全国共通波として1周波数を使用しているが、複数の救護班の連絡調整を行うためには、これの増波をも考慮する必要がある。

2.防災関係機関との協力体制の確立

 発災直後の被災地情報をはじめ、患者搬送・後送など、関係機関との協力により円 滑になると思われる活動が少なくない。今後は、どのような事項について、どこの機 関とどのような協力ができるか等について検討をしておく必要がある。

3.震災ストレスへの対応

 今回の災害では被災者中心のケアを行ったが、救援に出向いた防災関係機関の職員やボランティアにも、災害に起因すると思われるストレス症状がみられることから、今後は、こうした支援者をも含む総合的な対応についての取り組みが期待される。

4.日本赤十字社の救護用装備

 日本赤十字社の医療救護活動は、医師や看護婦が被災地に出向き、被災者への応急医療を行うとともに、重症患者については後送の必要性について判断を行おうとするものである。しかし、このような医師および看護婦等の搬送手段が確保されておらず、現在、救護班の搬送には救急車を使用しているのが実態である。当該救護業務用緊急車両の整備が急がれる。

 また、患者取り扱い優先順位を示すトリアージタッグについても日本赤十字社以外 に自衛隊・消防などが使用するが、様式が異なるため取り扱いに不都合が生じている。

 日本赤十字社は、これらの問題点を改善するべく、作業を始めているところである。


災害死のケーススタディー

−阪神淡路大震災−

松阪正訓、甲斐達朗、太田宗夫、日本集団災害医療研究会誌 1: 31, 1996(担当:吉井)


【はじめに】

 1995年1月17日午前5時46分に突然我が国を襲った阪神淡路大震災は、死者約6千人、倒壊・焼失家屋約17万戸にのぼる近代未曾有の大規模震災であった。著者たちは、この地震で受傷し死亡に至った一症例を示し、地震後の遷延死のリスクファクターについて検討した。

【方法】

 阪神淡路大震災で受傷し、当院に入院し死亡に至った一症例について、被災地で当症例に関わった当時の関係者に聞き取り調査を行い、また当院入院後の経過は入院記録から情報収集した。

【結果】

 症例は20歳の女性、地震により布団の上で寝たままの姿勢で、天井や壁などが倒れてきて、瓦礫の下敷きになった。地震発生から約6時間後に隣人らにより救出され、近隣の応急救護所に運ばれた。意識は清明だったがショック状態のため被災地の市民病院に搬送された。腎不全が進行し、腹腔内出血が存在したため、震災4日目に3次治療をうけるため片道15kmの道のりを2時間かけて千里救命救急センターに転送された。両親に、血液浄化療法の導入と、臀部と両下肢の筋群が完全に壊死しており救命のために両下肢の離断術の必要性を説明したが、あまりにも哀れな娘の運命に耐えられない様子であり、全ての積極的治療を拒否された。本人にも手術受諾を求めたが、震災に直面した彼女には、精神的ストレスのため自己で判断することができなかった。震災により、彼女、両親とも大きな精神的ダメージを受けていた。彼女は1月22日午前1時に死亡した。

【考察】

 地震災害における大多数の死亡はinstant deathであり、そこを生き延びた負傷者らをいかにして救命し、いかにして遷延死を防ぐかが、救助と医療における最大の課題である。地震災害における最大の特殊性は、災害直後から発生する極めて広範で劣悪な環境要因であり、それが全て密接に死亡に関与していると言える。地震災害死の重要なリスクファクターと考えられる様々な要因がこの症例に見いだせ、救助と医療の立場から以下の4つの面に分けてまとめてみた。

 この地震災害では、Search & Rescueの面で、急性期の被災地消防機関の救助能力が、極悪な環境と限られたマンパワーのため、極めて低下していた。また地震発生後早期の外部からの救助チームの参入はなく、地域の救済は住民自身の救助活動に依存していた。Triageの面では、多くの救護所や避難所でトリアージスタッフが存在しなかった。また救出後トリアージを受け病院へ搬送されても、混乱の被災地病院では点滴をして寝かせておくだけが精一杯であることが多く、二次や三次のトリアージがなされずにいた。Transportationの面では、道路の寸断や渋滞のため陸路搬送は極めて長時間を要し、患者や物資の有効な移送手段が欠如していた。Treatmentの面では、急性期の被災地病院で、マンパワーの不足、医療物資の備蓄不足、ライフライン途絶による検査機器や治療機器の停止のため、医療の質と量の低下が避けられなかった。また、挫滅症候群など平時の診療では見られない傷病が多発し、医療者の知識不足も存在した。また、震災でうけた精神的ダメージのため、積極的な医療の受容ができないケースも存在した。

【結論】

 今後、災害直後における地域の救助能力を向上させるため、消防機関は防災計画を再検討し、また地域の住民教育も必要である。また、救助チームやトリアージチーム、医療チームなどを被災地外部から早期に参入させる体制が必要である。陸路にたよらない輸送搬送システムの樹立が必要で、特にヘリを利用した空輸の検討が望まれる。また、病院では防災計画を再検討し、物資の備蓄や通信の確保が必要である。また、災害医療の特殊性として、患者にも医療者にも莫大な精神的打撃が存在していることを忘れてはならず、心のケアが必要である。


救急・災害医療ホ−ムペ−ジへ
災害医学・抄読会 目次へ
gochi@hypnos.m.ehime-u.ac.jp までご意見や情報をお寄せ下さい。