ホテルニュージャパン火災

高橋有二、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 109-113

(担当:田中)


 1982年(昭和5了年)2月8日未明におこったホテルニュージャパン火災は、死者32人(のちにさらに一人死亡)をだし、東京の中心街のホテル火災としては史上最悪の記録として多くの間題を残した。この火災をもとにして、ビル火災の問題点と対策をまとめた。

ホテル側の安全管理での問題点について

 火災発見通報が外部者(タクシー運転手)によっておこなわれたことから、当日の同ホテルでは非常ベル等の電源が切ってあった疑いもあるとされており、また、当時の報道でもホテル側のずさんな安全管理がつよく報道されている。炎のあとのない廊下に倒れた人々もあり、旅客への安全誘導が適切であったかも間題とされている。

ビル火災としての問題点について

 もっとも問題となるのは、火災によって発生した煙による災害である。燃焼物によっては一酸化炭素や炭酸ガスのほかに硝酸、青酸、亜硫酸、アルデヒドなどの有毒ガスを発生することがある。火煙の速度は通常、水平方向に0.5−1m/秒、垂直方向に3−5m/秒で上昇するとされており、人の前行速度が階段上下方向で0.3−0.5m/秒であることから迅速な避難が必要であることがわかる。火点と同様火煙も水平方向、上方向へ拡大する。火煙の拡がり方はビルの構造によって異なるが、エレベーター、内階段、ダストシュート、換気ダクト、電気給排水パイプシャフトなど、わずかな縦穴、横穴から上昇するし、加点階層が最も危険で、ついで最上階が危険とされている。また、防火扉などが正常に作動するかも大きな問題となる。扉周囲におかれた荷物の為に防火扉が閉まらず、被害が広がる例もある。

 多数の人々がパニック伏態になることによって生じる事故にも注意が必要である。恐怖におちいった人々は出口や階段に殺到し、「びとなだれ」をおこし、下敷きとなった人が死亡する例は数多い。

 また、エレベーターはビル建築に特有な内部構造だが、火災の際には、火点階のエレべーターボタンが焼け、常時押したままの伏態となるともいわれ、エレベーターを使用して脱出をはかった場合、火点階でドアが開いて停止したままとなる可能性があり、災害時の使用は厳禁である。。また、パニックをおこした群衆がエレベーターに群がった場合には、扉周囲に人がいることで、扉が閉まらなかったり、過剰乗員のため作動しない場合もある。

対 策

 これらの対策として、火災時の煙の拡がり方を想定した避難経路の表示・訓練、防火・防煙扉の設置、扉周囲の整頓、火災時の煙の走行の特性に対する知識の普及、適切な避難誘導、建物の設計時点からの行動心理学にもとづいたパニック予防を考えた建築、災害時エレベーター不使用の徹底、回転ドアなどパニック状態で脱出しにくい出入口にはそれ以外の出入口を付近に設置することなどが考えられる。


航空機事故:

名古屋空港中華航空機エアバス墜落炎上事故

(千種弘章、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 114-121)


災害の概要

 1994年(平成6年)4月26日(下)20時15分45秒、名古屋空港で着陸しようとした中華航空の台北発名古屋行140便が墜落・悲惨・炎上した。搭乗者271入のうち、生存者16人が病院に搬送されたが9入が死亡し、7入が奇跡的に救命された。

救護活動の経過

・ 初動の状況

 事故現場への最先着の救急車は空港消防隊(航空自衛隊)の救急車である。事故を確認した管制塔から報告を受けた空港管制情報官は、空港消防隊、西春日井東部消防と空港警察に出動要請をしているが、空港消防隊はそれよりも先に化学消防車3台が第一次出動し、続いて救急車1号が20時19分、2号が20時23分に現場に到着している。

 墜落した事故機は飛散・炎上し火災は3階建ビルほどに上がり、幅100m以上にわたって一面火の海であった。救出活動はすぐに行える状態ではなく消防車の周辺では死者しか発見できなかった。

 一方、各消防隊における初動状況は、現場から700mはなれた春日井西出張所の職員2名が航空機の墜落、爆発炎上を目撃「ただちに出動」を指示している。20時17分、科学者、水槽車各1対、20時18分、指揮車、救助車各l隊、化学車、水槽車、救急車2隊が出動し、救急車の現場到着は20時29分である。また、西春日井東部消防署は管制情報官からの違絡により、20時27分に救急車が到着した。

 各消防本部からの総出動隊は118隊で、うち27隊が救急隊である。

 事故直後に現場に駆けつけた2名の医師は、出動要請によってではなかった。春日井医師会の医師はテレビのテロッブを見て自家用車で出動し、空港の自衛隊門からは自衛隊の車で現場に急行した。空港の西側1kmのところに開業している医師は、病院前を通りかかった救急車に便乗し、20時30分頃現場に到着し、重症患者をその救急車に収容して病院に搬送した。この2名の医師のほか、西名古屋医師会の5名の医師が20時45分から21時頃までに現場に駆けつけ、トリアージや点滴などの医療活動を行った。その後続々と医師(47名)、看護婦(17名)が出動した。

本災害の特徴

 本災害の特徴としては参考文献の中に様々なものがあげられているが、その中でも医療活動の面から見て注目できるものを挙げると、

(1) 事故機が大型旅客機であったために死傷者が271人と多数になった。

(2) 事故が激しかったため、救出救護を要するものが少なく、かえって搬送先の病院での混乱はなかった。

(3) 事故発生時刻が夜間であり、医師の出動しやすい時間帯であった。

類似災害への教訓

・ 本災害において最先着の医師は直接事故を目撃するか、またはTVのテロップを見て出動した方たちであり、マニュアルにしたがって参集しようとした医師や出動要請を待って出動した医師の多くは交通渋滞に巻き込まれたため、この点について災害時のマニュアルの見直しが望まれる。

・ 航空機墜落などの災害では、一度に多数の重症患者が発生するために、現場トリアージや気管内挿管、胸腔ドレナージなどの救命処置には救急医療に熟練した医師がなるべく多く必要である。

・ 予想される災害を想定した救助訓練の重要性

・ このような大事故では、見物入などの影響でしばしば渋滞が起こるために、現場からの負傷者の搬送に支障をきたさないように交通規制を早目にする。


地震時の負傷者発生率

塩野計司、日本集団災害医療研究会誌 1: 20-6, 1996(担当:太田)


 この論文では、デ−タの収集と分析により、地震による負傷者の発生状況 を明らかにし、負傷者の発生に関する予測法を構築をすることにより、震災 時における医療体制構築の目標設定に応用することを目的としている。

 負傷者の発生を予測するには、まず負傷者発生に影響を与える要因を明ら かにする必要がある。地震による負傷者発生との関連が見込まれる要因には 次のようなものがある。

  1. 震度
  2. 建物被害率(住宅被害率)
  3. 建物密度
  4. 高齢者人口
  5. 季節・時刻

 当然震度が大きければ大きいほど建物などの被害も大きくなり、負傷者が 増加することが予想される。また高齢者では運動能力の低下により、危険の 回避が困難になることが考えられ、実際に負傷者に占める老人の比率は高い。

 また、季節・時刻によっても負傷者の発生は左右される。例えば、冬であ れば暖房器具の使用が多いため火災などがより発生しやすく、熱傷患者が多 くなるであろう。このように震災時における負傷者の発生には様々な要因が 関与している。

 ここでは特に震度と負傷者発生率の関係に注目し、考察している。1964 年から1984年以前に発生した新潟地震、十勝沖地震、宮城県沖地震、日本 海中部地震のデ−タを対象にし、医療機関での診療を要したものを負傷者とみ なし地域ごとの負傷者発生状況を負傷者発生率(負傷者数/夜間人口)を用い て評価している。その結果、震度と負傷者発生率との間には、全体として正の 相関があり、特に負傷者発生率の上限は震度とともに上昇する傾向が認められ た。震度5の範囲では負傷者発生率の上限は、0.1%のオ−ダ−にあり、震 度6の範囲では負傷者発生率の上限は1%のオ−ダ−に達し、神戸市の負傷者 発生率もこの傾向から説明できる範囲にあった。

 さらに、医療機関への負荷の評価に応用することを目的に入院患者と入院を 必要としない患者の発生状況についても整理している。ここでは震度に代わる 指標として住宅被害率が用いられており、その住宅被害率と負傷者発生率の関 係は次の式で表された。

  R1 =0.029×(H)0.676  R1 :入院患者の発生率(%)
  R2 =0.34×(H)0.676   R2 :入院を要さない患者の発生率(%)
                   H:住宅被害率(%)

 震災時の負傷者および入院患者の発生率を予測し医療体制の構築に応用する ことを目的としてデ−タの分析および考察を行なってきたわけであるが、結果 から導かれる数値または式は大まかな指標とはなるであろうが、震度のみを指 標として検討しているため、あまり精度の高いものとは言えないであろう。よ り精度の高い指標を作成するには他の負傷者誘発要因による影響も考慮するこ とが必要であると思われる。

 いずれにしても過去のデ−タや経験を参考とし、今回得られた数値を指標と しながら、予測外の被害にも対応しうる柔軟かつ合理的な災害医療体制の構築 が重要であると思われる。


病院の脆弱性

河野正賢、日本集団災害医療研究会誌 1: 27-30, 1996(担当:向井)


 平成7年3月施行の兵庫県保健環境部の実態調査で、被災10市10町の180病院を対象として全壊4(2.2%)、半壊12(6.7%)、を含む何等かの補修を要するもの120病院(66.1%)の存在が明らかになった。

 病院構造の破壊により使用不可能になった神戸市立西市民病院と、ライフラインの破壊により病院の機能を失った神戸市立中央市民病院を例に挙げて病院の脆弱性について検討した。

I、病院構造の破壊―西市民病院の例

 病院の旧館5階部分の崩壊により、44名の患者と3名の看護婦が閉じ込められた他、患者に1人の犠牲者を出し残りの人達は救出された。入院患者133名を転送、入院患者より他の病院に移し基本的に病院の機能を停止した。

 病棟崩壊の原因は、増設部分をもつ建物の脆さである。さらに、昭和56年以前の耐震基準による建造物でもあった。建造物の破壊はライフラインのそれとは異なり再建に長い年月を必要とする。西市民病院が再び地域の中核病院として活動を再開するのは平成11年の予定である。

II、ライフラインの破壊―神戸中央市民病院の場合

 病院の基本的構造には大きな被害は認められなかった。建築は昭和56年3月に完成したが、重要度の高い基幹病院であることを考慮に入れ、建物の基礎として千本を超える銅管杭を40mの深さの海底岩盤にまで打ち込み、通常の建物の150%設計荷重を見込んだ。昭和56年の新耐震基準を先取りした設計であり、このことが被害を少なくさせた理由であった。しかし、設計当時の耐震基準震度5を残しており、主としてそれらの点からライフラインを破壊され、病院機能に大きな影響を与えた。(表1)

III、医療機器の損壊―一般的に

 建物が健在で、ライフラインが復旧しても、個々の医療機器の破壊は病院機能の回復の上に長く影響を残した。

 MRI、CT、血管造影装置など大型医療機器の破壊が多くみられた。その大きな原因は機器の固定の不完全さである。また、地下に設置することの多いRI機器の安全性に関することなども今後の課題である。

まとめ

 1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災は、死者約6千人、倒壊、焼失家屋約17万戸にのぼる未曾有の超大規模震災であった。今回の地震で救助・医療体制、建築構造などの見直しがはかられている。特に病院はその機能を保てるよういろいろな見直しをしなくてはいけないと思う。


大阪府立泉州救命救急センターの経験

横田順一朗、救急医学 19: 1697-1702, 1995(担当:原田)


 今回の阪神淡路大震災における地震発生早期の医療救護については、多くの課題が指摘されている。救命可能な重症患者を被災地区から被災地以外の医療機関へ系統的に搬出できたのだろうかとの疑問が残る。災害時の実態がどのようであったかを検証し今後の災害時の患者搬送を考えてみる。

1、医療機関の意思表示

 被災地以外の医療機関に搬送する事例が少なかったのは、救急車の絶対数不足以外に医療機関からの強い要請が無かったことにも原因がある。被災地内の医療従事者は続々と般入される負傷者や死亡者を目のまえにし、破担した医療施設内であっても治療に専念することこそが最善の策と考えるのは当然のことであろう。たとえ医学的見地から転院による集中治療が必要であろうと感じても、周囲に拡がる阿鼻叫喚の世界がこの判断を萎えさせてしまう。しかし、病院間搬送では医療機関側の意思を明確にしないかぎり自治体消防は動けない。

2、管外へ出動することの困難

 西宮市との協定がないために、自治体消防としては単独で活動できないとのことであった。電話回線の不自由な中を大阪府消防防災課を介して地元救急車の出動要請をかけていただいた。折り返し消防本部から救急車を出す旨の連絡を受け、患者依頼後2時間半をへてやっと西宮市に向がうことが山来た。この事実だけでも消防機関の広域活動の困難さをうかがい知ることができる。

3、救急車搬送の限界

 救急車による搬送には当然交通渋滞による限界がある。被災地域にかぎらず被災地区の周辺でも相当の交通渋滞が生じていた。

4、ヘリ搬送の実態

 地震発生後の2日問で、患者搬送のために飛行したヘリ出動の件数は3件であり、わずか7名しか転送されていない。ヘリ運行者はいずれも政令指定都市の所有する消防用航空機であり、自衛隊や海上保安庁などのヘリは活用されていない。消防機関の所有するヘリの広域活動には、救急車と同様の煩雑な手続きを踏まなければならない。なんとかヘリ運 行者の確保ができても、臨時ヘリポートの設営、ヘリ誘導の依頼と救急車待機などクリアすべき問題は多い。また,この情報を先方の医療機関に伝達し、先方からの出発時刻に合わせて実働する時間を関係する全ての機関に伝達せねばならなかったが、公衆電話を使っても数同に一回しかかからない状態であった。震災では電話回線が不通になるばかりか、現在、各機関を結ぶ共通の連絡手段がない。更に、所轄の異なる機関を連携するために、情報伝達の遅れや誤報が生じやすい。今後、緊急連絡手段の統一化と司令室の早期設置が必要であろう。また、酸素ボンベがない、吸引器がないなどのために重症患者を搬送できなかった例もあるという。各機関のヘリは重症患者のタンカ搬送が可能なように医療器材や医療スタッフが早期に確保できるように、日頃より地域の医療機関と連絡を密にして災害時搬送計画を十分に練っておくことも必要である。

問題点に対する提言

a. 被災地域の医療機関が識別所としての機能をいち早く意思表示する。

b. 地元消防機関に情報発信、収集の機能を持たせ、識別所機能を申し出た医療機関に現場調整所を設置する。

c. 被災地以外にある救命救急センターなどは連絡がなくても搬送患者を受け取り、医療活動と並行して各医療機関への再転送を図る。 ヘリ搬送では、被災地医療機関と消防機関が一体化して、転送の意思表示、ヘリ運行者への要請を掛けることがまず必要である。一方、被災地以外の医療機関は消防機関と協力して受け入れ準備を整える。ヘリ運行者が被災地域と被災地以外の地域を結ぶ情報伝達者になるべきであろう。


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