(担当:田中)
1982年(昭和5了年)2月8日未明におこったホテルニュージャパン火災は、死者32人(のちにさらに一人死亡)をだし、東京の中心街のホテル火災としては史上最悪の記録として多くの間題を残した。この火災をもとにして、ビル火災の問題点と対策をまとめた。
多数の人々がパニック伏態になることによって生じる事故にも注意が必要である。恐怖におちいった人々は出口や階段に殺到し、「びとなだれ」をおこし、下敷きとなった人が死亡する例は数多い。
また、エレベーターはビル建築に特有な内部構造だが、火災の際には、火点階のエレべーターボタンが焼け、常時押したままの伏態となるともいわれ、エレベーターを使用して脱出をはかった場合、火点階でドアが開いて停止したままとなる可能性があり、災害時の使用は厳禁である。。また、パニックをおこした群衆がエレベーターに群がった場合には、扉周囲に人がいることで、扉が閉まらなかったり、過剰乗員のため作動しない場合もある。
事故現場への最先着の救急車は空港消防隊(航空自衛隊)の救急車である。事故を確認した管制塔から報告を受けた空港管制情報官は、空港消防隊、西春日井東部消防と空港警察に出動要請をしているが、空港消防隊はそれよりも先に化学消防車3台が第一次出動し、続いて救急車1号が20時19分、2号が20時23分に現場に到着している。
墜落した事故機は飛散・炎上し火災は3階建ビルほどに上がり、幅100m以上にわたって一面火の海であった。救出活動はすぐに行える状態ではなく消防車の周辺では死者しか発見できなかった。
一方、各消防隊における初動状況は、現場から700mはなれた春日井西出張所の職員2名が航空機の墜落、爆発炎上を目撃「ただちに出動」を指示している。20時17分、科学者、水槽車各1対、20時18分、指揮車、救助車各l隊、化学車、水槽車、救急車2隊が出動し、救急車の現場到着は20時29分である。また、西春日井東部消防署は管制情報官からの違絡により、20時27分に救急車が到着した。
各消防本部からの総出動隊は118隊で、うち27隊が救急隊である。
事故直後に現場に駆けつけた2名の医師は、出動要請によってではなかった。春日井医師会の医師はテレビのテロッブを見て自家用車で出動し、空港の自衛隊門からは自衛隊の車で現場に急行した。空港の西側1kmのところに開業している医師は、病院前を通りかかった救急車に便乗し、20時30分頃現場に到着し、重症患者をその救急車に収容して病院に搬送した。この2名の医師のほか、西名古屋医師会の5名の医師が20時45分から21時頃までに現場に駆けつけ、トリアージや点滴などの医療活動を行った。その後続々と医師(47名)、看護婦(17名)が出動した。
(1) 事故機が大型旅客機であったために死傷者が271人と多数になった。
(2) 事故が激しかったため、救出救護を要するものが少なく、かえって搬送先の病院での混乱はなかった。
(3) 事故発生時刻が夜間であり、医師の出動しやすい時間帯であった。
・ 航空機墜落などの災害では、一度に多数の重症患者が発生するために、現場トリアージや気管内挿管、胸腔ドレナージなどの救命処置には救急医療に熟練した医師がなるべく多く必要である。
・ 予想される災害を想定した救助訓練の重要性
・ このような大事故では、見物入などの影響でしばしば渋滞が起こるために、現場からの負傷者の搬送に支障をきたさないように交通規制を早目にする。
この論文では、デ−タの収集と分析により、地震による負傷者の発生状況
を明らかにし、負傷者の発生に関する予測法を構築をすることにより、震災
時における医療体制構築の目標設定に応用することを目的としている。
負傷者の発生を予測するには、まず負傷者発生に影響を与える要因を明ら
かにする必要がある。地震による負傷者発生との関連が見込まれる要因には
次のようなものがある。
当然震度が大きければ大きいほど建物などの被害も大きくなり、負傷者が
増加することが予想される。また高齢者では運動能力の低下により、危険の
回避が困難になることが考えられ、実際に負傷者に占める老人の比率は高い。
また、季節・時刻によっても負傷者の発生は左右される。例えば、冬であ
れば暖房器具の使用が多いため火災などがより発生しやすく、熱傷患者が多
くなるであろう。このように震災時における負傷者の発生には様々な要因が
関与している。
ここでは特に震度と負傷者発生率の関係に注目し、考察している。1964
年から1984年以前に発生した新潟地震、十勝沖地震、宮城県沖地震、日本
海中部地震のデ−タを対象にし、医療機関での診療を要したものを負傷者とみ
なし地域ごとの負傷者発生状況を負傷者発生率(負傷者数/夜間人口)を用い
て評価している。その結果、震度と負傷者発生率との間には、全体として正の
相関があり、特に負傷者発生率の上限は震度とともに上昇する傾向が認められ
た。震度5の範囲では負傷者発生率の上限は、0.1%のオ−ダ−にあり、震
度6の範囲では負傷者発生率の上限は1%のオ−ダ−に達し、神戸市の負傷者
発生率もこの傾向から説明できる範囲にあった。
さらに、医療機関への負荷の評価に応用することを目的に入院患者と入院を
必要としない患者の発生状況についても整理している。ここでは震度に代わる
指標として住宅被害率が用いられており、その住宅被害率と負傷者発生率の関
係は次の式で表された。
R1 =0.029×(H)0.676 R1 :入院患者の発生率(%)
震災時の負傷者および入院患者の発生率を予測し医療体制の構築に応用する
ことを目的としてデ−タの分析および考察を行なってきたわけであるが、結果
から導かれる数値または式は大まかな指標とはなるであろうが、震度のみを指
標として検討しているため、あまり精度の高いものとは言えないであろう。よ
り精度の高い指標を作成するには他の負傷者誘発要因による影響も考慮するこ
とが必要であると思われる。
いずれにしても過去のデ−タや経験を参考とし、今回得られた数値を指標と
しながら、予測外の被害にも対応しうる柔軟かつ合理的な災害医療体制の構築
が重要であると思われる。
平成7年3月施行の兵庫県保健環境部の実態調査で、被災10市10町の180病院を対象として全壊4(2.2%)、半壊12(6.7%)、を含む何等かの補修を要するもの120病院(66.1%)の存在が明らかになった。
病院構造の破壊により使用不可能になった神戸市立西市民病院と、ライフラインの破壊により病院の機能を失った神戸市立中央市民病院を例に挙げて病院の脆弱性について検討した。
病棟崩壊の原因は、増設部分をもつ建物の脆さである。さらに、昭和56年以前の耐震基準による建造物でもあった。建造物の破壊はライフラインのそれとは異なり再建に長い年月を必要とする。西市民病院が再び地域の中核病院として活動を再開するのは平成11年の予定である。
MRI、CT、血管造影装置など大型医療機器の破壊が多くみられた。その大きな原因は機器の固定の不完全さである。また、地下に設置することの多いRI機器の安全性に関することなども今後の課題である。
今回の阪神淡路大震災における地震発生早期の医療救護については、多くの課題が指摘されている。救命可能な重症患者を被災地区から被災地以外の医療機関へ系統的に搬出できたのだろうかとの疑問が残る。災害時の実態がどのようであったかを検証し今後の災害時の患者搬送を考えてみる。
b. 地元消防機関に情報発信、収集の機能を持たせ、識別所機能を申し出た医療機関に現場調整所を設置する。
c. 被災地以外にある救命救急センターなどは連絡がなくても搬送患者を受け取り、医療活動と並行して各医療機関への再転送を図る。
ヘリ搬送では、被災地医療機関と消防機関が一体化して、転送の意思表示、ヘリ運行者への要請を掛けることがまず必要である。一方、被災地以外の医療機関は消防機関と協力して受け入れ準備を整える。ヘリ運行者が被災地域と被災地以外の地域を結ぶ情報伝達者になるべきであろう。
航空機事故:
名古屋空港中華航空機エアバス墜落炎上事故
(千種弘章、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 114-121)災害の概要
救護活動の経過
本災害の特徴
類似災害への教訓
地震時の負傷者発生率
塩野計司、日本集団災害医療研究会誌 1: 20-6, 1996(担当:太田)
R2 =0.34×(H)0.676 R2 :入院を要さない患者の発生率(%)
H:住宅被害率(%)病院の脆弱性
河野正賢、日本集団災害医療研究会誌 1: 27-30, 1996(担当:向井)
I、病院構造の破壊―西市民病院の例
II、ライフラインの破壊―神戸中央市民病院の場合
III、医療機器の損壊―一般的に
まとめ
大阪府立泉州救命救急センターの経験
横田順一朗、救急医学 19: 1697-1702, 1995(担当:原田)1、医療機関の意思表示
2、管外へ出動することの困難
3、救急車搬送の限界
4、ヘリ搬送の実態
問題点に対する提言
災害医学・抄読会 目次へ
gochi@hypnos.m.ehime-u.ac.jp
までご意見や情報をお寄せ下さい。