転院・転送の方法と課題―六甲アイランド病院の経験―

切田 学ほか、救急医学 19: 1692-7, 1995(担当:岡本)


 阪神・淡路大震災後の1月17日から31日の約2週間に、六甲アイランド病院ではどのように患者を転院・転送したのかを、振り返り、今後の課題を考えてみる。

I、六甲アイランド病院の被災/診療状況

 当院は、地震による被害の大きかった神戸市東灘区の南に位置する約4km四方の人工島にある。建物の致命的な損傷は免れたものの、交通路は3つのうちの1つがかろうじて残ったのみであった。

 震災当日(1月17日)には約220例が入院していた。震災当日には、153例が外来を受診し、24例が入院となった。震災当日夜の電気復旧、人工池の水利用により、ある程度の血液検査、画像検査が翌日より可能となったが、水道、ガスが完全復旧する2月下旬まで、高度医療、大手術ができる状態ではなかった。そのような状況下、震災当日から1月31日までに182例が入院し、152例が退院した。

II、転送患者の搬送手段

 1月17日から31日までの転院は29例で、これは手術や高度医療・検査などの機能が低下していたからであった。搬送は陸路、空路、海路により行われた。

III、転院、後方搬送(転送)はなぜ遅れたのか

 今回の阪神・淡路大震災でもっとも課題を残したのが、入院患者の転院も含めた後方搬送であった。それでは、なぜ後方搬送は遅れたのだろうか。

1)被災地内医療現場の混乱

 医療現場は、突然野戦病院化し、医療を提供する側も、受ける側も災害医療の経験がなく、混乱した。

2)情報網の混乱

 被災地内では、ラジオからの情報入手のみで、電話回線はパンク状態となり、情報伝達は不可能に近かった。また、医療情報もどこどこの病院は機能できないといった情報ばかりで、どの地域の病院が受け入れ可能かといった情報は得られなかった。

3)転院・転送は被災地内に依存

 非常事態時の医療救援協定や広域ネットワークがなかったためと、情報が混乱していたため、被災地内の医師個人レベルの人脈により、患者の転院・転送を依頼し、さらにその搬送手段も確保しなければならなかった。患者診療、水・食糧の確保に疲れはてた医師が、これらのことをできる状況ではなかった。

4)ヘリコプター搬送の不慣れ

 日本でもっともシステム的に運用されている地方自治体救急車による患者搬送は、超交通渋滞のため、利用できなくなった。震災当日、自治省消防庁では10数機のヘリを神戸市北区の神戸市市民防災総合センターに待機させていたが、震災後3日間の搬送運用は9例と少なかった。非常事態時のヘリ要請法は全く浸透していなかった。

5)要請主義、認可主義による実行

 要請や認可がない限り実行に移せない現行システムがあったため、神戸市消防機動隊によるヘリの搬送が遅れた。これは自衛隊ヘリ、地域外自治体救急車の救援についても同じであった。

 民間ヘリの使用も地方自治体の許可が必要であり、手続きが煩雑であった。

 上記以外にも多くの要因があり、これらが複雑に絡み合って転院・転送が遅れたと思われる。

IV、今後の課題

 日本では各病院は独立し、広域ネットワークを持たなかったため、本震災時には病院間の協力、協調で災害医療に当たることができず、転院・転送の遅れにつながる最大の原因となったと、考えている。非常事態時、各病院がどの病院に患者の転院・転送や医療スタッフ・物資の救援を要請するのかといった広域ネットワークを医学会レベルで構築し、それらを職員に徹底させることも必要である。

 大災害では、被災者である医療スタッフの肉体的、精神的疲労も避けられない。したがって、被災地外からあらゆる情報伝達手段を用いて、有効な医療情報を提供することは重要と思われる。

 被災地外医療スタッフの応援は診療を手伝うより、被災地内医療状況を把握し、転院・転送が必要な患者をどこへ、どのように搬送するかを決定、実行するべきである。

 ヘリ搬送は交通渋滞に巻き込まれない、搬送時間がきわめて短いなど、災害時にきわめて有用な搬送法である。ヘリコプター搬送を普及させるとともにヘリコプター搬送に関する不備な点を改善する。

 空のまま帰還する救急車などをスムーズに利用できるシステムを作る。

 病院船、海路搬送を前向きに考える。

 旅客バスの救急バスへの、大型客船の病院船への転用、運用も考える。


東京地下鉄サリン事件

千種弘章、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 98-102

(担当:日野)


概 要

発生年月日:1995年3月20日(月)8時すぎ
場   所:地下鉄日比谷線、丸ノ内線、千代田線の車内および各駅構内
被 災 者:東京地下鉄電車の利用者および駅員など、死亡者12人、
      重軽症者5500人以上

経 過

8:09 最初の119番通報は「日比谷線、茅場町駅に急病人」であった。その後地下鉄各駅から次々と通報が相次ぎ、医療機関からの転送依頼や被災者の自宅など、10数カ所から救急車の依頼があった。

11:00 警視庁から死者5人、東京消防庁から負傷者は約500人と発表

11:00すぎ 警視庁捜査1課長が毒物はサリンの可能性が高いと発表。それまで現場活動はアセトニトリルという情報のみによっていた。

14:00 警視庁、病院搬送者944人、死者6人と発表。

14:50 陸上自衛隊が毒物除去作業を開始。

15:00 警視庁、病院搬送患者3200人以上、うち死者6人と発表

3月22日現在、死者10人(その後12人に)、重体・重症53人、治療を受けた人は5500人を越えた。

災害の特徴

1) Disasterとしての側面

今回の事件は同時多発という極悪テロによる人為災害の最たるものであった。

2) 災害現場の特殊性

災害分類上、都市型の人為災害であるが、都市の中でも東京都の、しかもその中心に起こったものであり、地下鉄の列車や構内に限定されていたものの(局所災害)、その範囲は地下鉄3線15駅にひろがっている。また、この事件はまさにラッシュアワーを狙ったものであった。

3) 災害発生の原因が不明

事件発生現場では原因が不明であり、直接毒物に触れた駅職員や救命救護にあたった利用客の中にも死者が出た。また、救急隊員や警察官、さらに病院で対応した看護婦やボランティアの人たちに、二次災害が発生した。

疾病構造の特徴

 サリンは気体、液体いずれも、口鼻ばかりでなく皮膚や眼からも吸収され、短時間で神経系に作用する。今回軽症者にみられた症候は縮瞳と鼻汁であり、重症者では呼吸困難である。治療は、対症療法としての呼吸循環管理と抗コリン薬としての硫酸アトロピン、再活性化薬としてんおPAM(pralidoxime iodide)の投与である。硫酸アトロピンは神経週末のアセチルコリンレセプターでアセチルコリンと拮抗し、ムスカリン作用を軽減させる。PAMはコリンエステラーゼと結合したサリンを切り離し、コリンエステラーゼの作用を賦活化させる。

医療対策

1) 情報伝達と情報交換

今回の事件はまさかの出来事であり、情報不足から治療法の決定までに時間がかかっている。誰がどのような方法で情報を流すかが問題となる。災害医療に対するコーデネーター病院の選定、積極的に情報を発信できるシステムの検討の必要がある。

2) 現場における救護とトリアージ

コーデネーター病院間のネットワーク作り、現場トリアージに対応できる災害救急医の育成が急務である。

3) 救出救護と二次災害の防止

 今回亡くなられた人の半数は即死に近い状態であったが、delayed deathの方や現在なお意識不明の方の多くは、無酸素または低酸素脳症が原因と思われ、現場での確実な救命処置処置が行われていたらと悔やまれる。また、救助や診療に携わった人達や医療従事者が、少なからず二次災害としての中毒症状を呈したことも反省しなければならない。


大火災(デパート・ホテル)

A.スーパー長崎屋尼崎店火災

鵜飼 卓、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 103-109

(担当:塚本)


発生年月日:1990年(平成2年)3月18日
発生場所 :尼崎市神田中通4丁目116番地、長崎屋尼崎店4階
被災者  :死者15人、負傷者6人
気象条件 :晴れ、気温11.9℃、湿度50%、南南西の風9m/s

災害の概要

 日曜日の正午過ぎ、兵庫県尼崎市の商店街中央部にあるスーパーマーケットの 4階のインテリア売り場付近から突如出火し、鉄筋コンクリート造り地下1階, 地上5階建ての同店舗の4階部分約814uをほぼ全焼した。当時、店内には12 0〜130人の客がいたと推定されている。出火階である4階にいた店員5人と 客10数人は階段を使って階下に避難し、3階以下の客や店員も非常ベルを聞い たり、店員の誘導に従って無事に避難したが、延焼はしなかった上層階の5階店 員食堂で食事をしていた12人の店員と、ゲームコーナーで遊んでいた少年が3 人脱出できずに煙に巻かれて死亡し、5階から飛び降りたり、煙に巻かれながら かろうじて救出された6人が負傷したものである。

 現場は尼崎市南部の阪神尼崎駅の西方約600mの商店街の中に位置し、周囲 は商店で囲まれ、北側は6.6m幅の道路に、南側は5.1m幅のアーケードが ある道路に面している。国道2号線からも近く、尼崎消防局からも約700mと 近い。出火の原因に関しては、放火という見方が強いが、犯人は検挙されておら ず、迷宮入りのようである。

経 過 12:30頃

5階事務室に設置された自動火災報知器が作動、4階南側の売り 場付近での火災を表示。4階でも火災報知器のベルが鳴った。事務室から4階売 場と1階警備室に確認の電話。

数分後

4階売場の従業員がベル鳴動後インテリア売り場付近が燃えているのを 目撃し、消火器を持って現場に駆けつけたが、火が燃え広がって炎が天井まで達 していたので消火器での消火を断念。他の従業員が1階から駆けつけた警備員と ともに屋内消火栓を用いて消火しようと試みたが、火勢と煙のため放水できず避 難した。

12時37分

5階の事務室より119番通報。館内放送により避難の誘導。尼 崎消防局指令台より第1出動命令。消防車両、救急車など10台。

12時41分

第2出動指令(8台)、第1陣現場到着。すでに5階から煙が噴 出、窓から救助を求める人があり、男性が5階から飛び降りて脱出したのを目撃 した。

12時44分

特命第1次出動。隣のビル屋上から5階の窓に梯子を渡して4人 救出。

12時48分

特命第2次出動。このころ窓際で救助を求めていた人が倒れた。

12時51分

第3出動指令(5台)

15時31分:延焼阻止

災害の特徴

1. 初期消火に失敗した

 従業員が消火器で火を消そうとしたが、うまく操作できず、また、屋内消火 栓を使おうとしたが放水にはいたらず避難した。

2. 通報が遅れた

 従業員が誤作動と思い火災報知器を一度止めた。事務所の従業員が4階の従 業員や1階警備室の警備員に確認を求め、その確認結果から37分に119番通 報した。

3. 避難行動が遅れた

 5階にいた人の中には、火災報知器の鳴動を聞いたり、他の従業員から火災 の発生を知らされてもすぐには避難行動をとらなかった人々がいた。

4. 防火扉が閉まらなかった

 南北の階段室には防火扉が設置されていた。したがって火災の時には自動的 に閉鎖して煙を遮断するはずであった。ところが、一つは扉の前に商品が山と積 まれていて閉鎖の障害となり、一つは崩れた商品によって押し開けられたのでは ないかとされている。いずれにせよ、設置されていた安全装備である防火扉がき ちんと閉鎖せず、煙が上層階に上がった。

5. フラッシュオーバー現象が生じた可能性が高い

 気密性の比較的よい室内で火災が発生すると、酸素が消費されて室内が高温 状態のまま燻焼状態になり、可燃性のガスが室内に充満する。そのような状態で 窓が割られたり、ドアを開けたりして空気が流入すると酸素が供給されるので、 一気に可燃性ガスが燃焼し、急激に火災が拡大するとともに、高温の有毒ガスを 多量に含む煙が建物に拡がる。そのようにして急に有毒ガスが発生した。

6. 数呼吸で死にいたるほどの毒性の高いガスが発生した

 火災発生後1〜2分で室内空気中の青酸や二酸化炭素、一酸化炭素が致死的 レベルまで上昇し、酸素濃度も半分程度に低下することが実証されている。

疾病構造の特徴

 死者15人中14人の心室内血液の一酸化炭素ヘモグロビンと青酸の濃度が、兵 庫医科大学法医学教室において測定されている。遺体は煤で汚れ、下になってい た部分の死斑は鮮やかなピンク色で、一酸化中毒の特徴を備えていたが、14人 中10人の青酸濃度も致死的といわれる量を超えていたことは注目に値する。

本災害の教訓

1. ビル火災で被害を大きくするのは煙(有毒ガス)である

 火災で負傷するのは、必ずしも熱傷(気道熱傷を含む)であるとはかぎらな い。むしろ中毒ガスの吸入による中毒が問題である。食堂で多くの人が亡くなっ たが、食堂の扉は開いたままだったので、階下からの煙が容易に侵入した。食堂 の隣の事務所にいた3人の女性は梯子を伝って隣のビルの屋上に脱出できたが、 事務所の扉は閉まっていたので、煙の侵入が少なかった。これが助かった人と亡 くなった人の明暗を分けた。

 いわゆる新建材や合成繊維が燃焼すると、一酸化炭素や炭酸ガスのほかに、 硝酸、青酸、塩酸、亜硝酸、アルデヒド、その他の有毒ガスが発生するとされて いる。火災に伴う有毒ガス中毒はもっぱら一酸化炭素が注目されてきたが、空気 中の酸素濃度の低下による酸欠と青酸ガスによる中毒は、きわめて急速に意識障 害を起こさせるので、屋内火災に巻き込まれた被災者の重症化の原因あるいは死 因として重要である。十分な酸素化が必要なことは、一酸化炭素中毒も青酸中毒 も同様であるが、青酸中毒の特異的な解毒療法である亜硝酸・チオ硫酸療法は、 一酸化炭素中毒と合併している場合には最良の選択ではない可能性がある。

2. 安全設備が不十分であった−human error

 防火扉が設置されていたにもかかわらず、商品の山などにとって邪魔され閉 じなかった。また、スプリンクラーが設置されていなかったので、火災の拡がり を防ぐことができなかった。典型的なhuman errorといえよう。

 スプリンクラーは大型小売店の場合、総床面積が6,000u以上の場合 に、法律的にその設置が義務づけられていたそうであるが、この設置基準をわず かに下回る床面積だったので、法律違反ではなかったという。

 多くの百貨店やスーパーマーケットなどがそうであるように、窓が少なく、 避難経路が必ずしも明確ではなく、バルコニーのような安全な退避場所がなかっ たことも問題とされている。


病院災害計画と災害訓練

金田正樹、日本集団災害医療研究会誌 1: 15-9, 1996


1 病院災害計画

 集団災害が発生し、何の準備もないところに不特定多数の負傷者が短時間のうちに来院してきたら病院内が大混乱になる事は目に見えている。特に地震のような大規模な災害では、医療施設そのものが被害を受け、ライフラインの途絶などによって押し掛ける患者への医療対処は困難を極める。このような地震災害の時に医療施設が混乱を招かないためには、医療関係者が災害医療の知識を身につけておくこと、病院の災害企画をきちんと立てておくこと、そしてこれを訓練しておくことが重要である。ここでは地震災害時の医療マニュアルとその訓練の概要について当院(聖マリアンナ医科大学東横病院:病床350)の場合を例に挙げて述べる。

(1)地震災害時の行動

1)震度3(弱震:家屋の揺れがわかる)

 各フロアの責任者は入院および外来患者の安否を確認し、これを災害対策本部長(院長)に報告する義務がある。

2)震度4(中震:家屋の揺れが激しく、器物が倒れる)

a、通常勤務時

 院内を準非常勤務体制とする。外来診療は一時停止し、院内のすべての患者の安否を確認しライフラインの状況を災害対策本部長に報告する。

b、夜間休日時

 主任当直医は対策本部長を代行し、直ちに入院患者の安否を確認する。ライフラインの停止がある場合は応援を求める。

3)震度5(強震:壁に亀裂が入り、立っていられない)

a 、通常勤務時

院内を非常勤務体制とする。この震度では必ず人的被害が生じ、いくつかのライフラインは確実に停止する。外来診療は直ちに停止し、患者の安否、施設の破損度をチェックする。災害対策本部を設置し、災害医療マニュアルに沿った負傷者受け入れ体制をしく。

b 、夜間休日時

停電になる可能性が高く、院内のすべての対処が困難になる。非常勤務体制とし、病院より2キロ以内の全職員は直ちに出勤すること。

4)震度6(烈震:家屋の倒壊、道路に亀裂が入る)

a 、通常勤務時

 震度5に準じた体制を取るが、かなりの混乱が予想される。手術は簡単な縫合以外不可能と思われる。当院の災害時の最大入院可能患者数は約200名が限度であり、それ以上の収容が必要となる場合は他の病院に後方搬送する事を早期から考慮する。

b 、夜間休日時

医療活動はかなりの困難が予想される。徒歩、自転車で出勤できる職員は出勤する。

5)震度7(家屋の30%以上が倒壊する)

内外に著しい物的、人的被害が予想される。負傷者の受け入れが不可能な場合はそのアピールを院外に出し、院内の負傷者に全力を注ぐ。

(2)非常勤務体制

 震度5以上の地震の場合は多数の負傷者の来院が予想される。直ちに通常の外来診療を中止し、医療チームを結成し、救護所を設置する非常勤務体制とする。

 災害医療を展開するにあたっては医師1名、看護婦2名、事務員1名の計4名を1チームとして行動する。それぞれのチームはトリアージ班、重傷班、中等症班、軽症班に別れ、所定の場所で責任をもって行動する。

 災害時夜間は約50名のスタッフしかいないので病院周辺に住む職員は応援のため来院する。

(3)負傷者受け入れ体制

当院の周囲状況から震度5以上では発災からT時間以内に100名以上の負傷者の来院が予想される。

a、対策本部の設置と任務

 本部は一階玄関を受付とし、災害用品を常備する。その任務は、緊急医療体制の支援と助言、情報収集、伝達、施設の復旧と資材の調達、保安体制の確立などである。

b、人員構成

命令系統を一本化する。
本部長:院長
医療支援班:事務長、看護部長、庶務課長
復旧班:工務要員
調達班:用度要員
記録班:医事要員
通信班:庶務要員

c、救護所の設置

 玄関でトリアージされた患者は重傷度によって所定の救護所に搬送される。

  • 重傷:救急室、外科外来、泌尿器外来、回復室
  • 中等症:内科外来、職員食堂、理学療法室
  • 軽症:この患者数も多い、整形、耳鼻科、婦人科、廊下で処置を行う。

d、備蓄

地震災害における疾病構造は80%以上が外科、整形外科的疾患である。緊急に開頭、開胸、開腹を要する重傷例は10%前後である。しかしライフラインの止まった状況でこれらの緊急手術は不可能であり、後方病院に転送するべきである。外傷が多いことから最も使用頻度の高い衛生材料、消毒薬などが備蓄の対象となる。

II、訓練

 訓練に参加するすべての人たちに災害状況の設定、訓練の目的そしてそれぞれの役割分担について説明しておかなければならない。

 訓練のポイントは、災害時のトリアージとは何か、非常時の勤務体制とはどのようなものかを体得することである。当院においては約3ヶ月前から訓練計画を防災委員会で作成している。訓練日には2時間診療をストップし全員参加で行う。

1、災害設定

 神奈川県沖を震源とするm7.0の地震発生。川崎市震度6

2、模擬患者

 模擬患者は40名以上とする。

 重症:3〜5名
 中等症:20〜25名
 軽症:15〜20名

3、トリアージ班

 トリアージ担当は外科系医師3名、看護婦6名、職員3名で3つの医療チームを結成する。

4、搬送班

 患者の搬送はすべて人力で行う。担架、ストレッチャー、車椅子などを用いる。

5、救護班

医師20名、看護婦40名、職員20名で医療チームを結成し、各救護所に配する。

6、訓練の流れ

 玄関に対策本部を設置し、トリアージ班、搬送班は玄関に待機させて模擬患者を入れる。トリアージを開始し、看護婦はバイタルサインを取り、職員は住所氏名などを聞き出す。医師はタッグに必要事項を記入し、診断し、救護所への搬送を指示する。各救護所は振り分けられた患者を治療する。模擬患者を全員収容し終えたら訓練を終了する。


日本赤十字の組織と機能

河野正賢、日本集団災害医療研究会誌 1: 78-81, 1996

(担当:梁)


I、日本赤十字社の機構

 日本赤十字社(以下、日赤)は,国際赤十字の一員で,東京に「本社」があり,全国都道府県に知事を長とする「支部」を置いている。「日赤各支部」は,医療事業のほか,救護福祉事業,血液事業,赤十字看護婦養成,救急法,安全法,家庭看護法等の普及,青少年赤十字活動の推進,ボランティアの育成等の事業を行っており,「本社」はこれ等支部事業を統括支援する。「各支部」は全国91日赤病院を擁し,平常時は地域医療に携わり,それぞれの日赤病院は独立採算で運営されている。

II、日赤救護の法的根拠

 災害発生時の救援救護事業は日赤の根幹事業で,被災県支部が救護実務を指揮調整し,本社及び他支部がこれに援助・協力することになっている。日赤は災害救助法,災害対策基本法等により指定公共機関に指定されており,国の災害救護事業に協力する責務を負っている。

III、災害救護の内容

 災害救護活動は社会的援護と医療救護の二者に大別される(
表1)。日赤の救護活動は,災害発生時,被災現地支援不能の時間を可能な限り短縮して人命救助を開始するため,救護班が緊急出動し,負傷被害者の医療救護を迅速に開始することを当初の目標としている。

 現地に緊急出動した医療救護班の業務は多彩で、状況によっては被災県日赤支部(日赤災害対策本部)の機能を補完するため,災害医療の調整を担当する場合もある。

 日赤の救護活動は,現地主導を原則とし,被災地支部の指示により病院から救護班が出動することとなるが,災害の状況に応じて近隣の支部が応援救護班を派遣したり,災害の規模が広域にわたる場合には,本社が全国的な応援体制の調整を行うこととされている。また緊急時には,病院長独自の判断で災害医療を開始し,事後に報告することが認許されている。

IV、阪神震災時の反省

 阪神大震災時,発生当日中に近隣県支部や日赤病院から23救護班等約150名が出動し,日頃の訓練通り日赤兵庫県支部に集結したが,日赤兵庫県支部は職員全員が被災したため少数職員が緊急参集したに過ぎず,災害救護を主導すべき「災害対策本部」としての機能はー時麻痺状態であった。結果的に支部に集結した救護班の配置調整が混乱し,日赤医療救護の開始が遅滞した。

 本社事務職員緊急派遣による被災県支部(現地災害対策本部)機能補完で,日赤救護班の系統的配置調整が円滑となる3日目頃まで,日赤救護班は「神戸市災害対策本部」の調整下に行動し,一部の班は独自に医療救護を展開する等災害医療に日赤独自の一貫性を欠いたことは止むを得ぬ状況下であったとはいえ,日頃の訓練が充分活用できぬ結果となった。

V、検討すべき問題点

 A.日赤本社は発災当日,交信の途絶えた日赤兵庫県支部の状況を把握するため救護福祉部職員を兵庫県支部に急行させ,収集した被害状況に基づいて更に本社及び全国各支部から事務職員を計画的に現地派遣して兵庫県支部機能を支援した。

 日赤は災害時,国の災害救護事業に協力するため,行政側の「災害対策本部」の協力要請すべてに応じて行動しなければならない。被災現地での協力要請に即応するためには,「現地日赤災害対策本部」が発災直後から機能していなければならない。外部支援が得られるPhase-1に現地到着する先陣は「医療救護班」のみでなく,「現地日赤災害対策本部」機能を補佐する「事務職支援班」を,緊急出動させる方策を早急に検討すべきである。

 B.被災した神戸赤十字病院は,発災当日に,被災職員も含めて60% をこえる職員が緊急参集したが,病院損壊やライフライン途絶による診療機能低減の状況下で,各職員は集っまってくる膨大な数の患者治療に奔走し,患者収容スペースの確保や使い果たした医薬品の調達に苦慮する等,参集職員は交替者もなく,不眠不休の活動のため発災3 日目には極限状態となった。被災病院支援は,「被災現地災害対策本部」による集結救護班配置調整により初期の人力提供は可能であるものの,患者給食や水の供給,医薬品の補充や調達,参集職員の支援は初期から長期間に及ぶ対応を必要とする。

 日赤本社では,兵庫県支部と協議し,4週間に亘り,全国日赤病院から拠点救護所への救護班計画的派遣と平行して,医療職,技師,薬剤師及び事務職員等を被災病院支援のため別途計画的派遣して病院機能の回復と維持に協力した。又,近傍の日赤病院からは2ケ月に及ぶ神戸赤十字病院全患者の給食と日用品提供が行われた。

 C.今震災では,2 日目には200%近い入院数となった神戸赤十字病院からの後送患者は発災当日から開始されているが旧知の院長間の個人的話し合いで後送応否が合意されたことが多く,搬送には受入れ病院の救急車が使用された。

 本来患者後送に際しては,報告された入院数や患者の症状により,受入れ病院の選定,患者配分や搬送手段確保等の配備を「現地災害対策本部」が担当すべきである。「災害対策本部」特に「災害医療調整担当者」の発災早期から機能発揮が強く望まれる。

 他方後方病院では,多数の後送患者緊急収容による院内混乱が日常の計画診療維持の妨げとなることを懸念したためか,後送患者の早期収容タイミングが遅れたり,地域により,病院により,収客患者数に偏りがみられている。  後送患者緊急収容可能の病院にあっては,日頃より,災害時,現地医療の円滑進行に関する後方病院の意義を理解し,日常診療から災害医療への迅速な切り替えに関する計画の確定と,緊急収容訓練が反復実施されていることが望ましい。


表1、災害救護の内容


時間経過    	社会的援護       医療援護    留意点

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Phase-0		実施不能		実施不能	総合災害対策本部の

  (〜  ?時間)						迅速な対応が必要

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Phase-1		被災者の救助と避難	系統的救出医療	強大な機動力と

  (〜 48時間)						人材の投入が必要

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Phase-2		被災者の援助(衣、食、住)		    被災者の移送

  (〜 14日間)	保険と防疫		初期集中治療	救護物資の輸送

		被災地の保全と復旧			ライフラインの確保

							復旧作業の推進

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Phase-3		被災者の福祉		後療法及び	適確な復興計画に基く

  (〜 数ヶ月)	被災者の生活指導 	更生医療	中長期的支援が必要

		被災地の復興	

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


津波災害による負傷者のストレス分析

―心理学的ストレス評価と対処行動―

今泉 均ほか、日本救急医学会誌5: 655-62, 1994)


対象と方法

 北海道南西沖地震の負傷者5人を対象とした。身体的損傷の程度は、全例軽傷から中等傷であった。受傷約1週間後に心理的 ストレス反応尺度(psychological stress response scale =PSRS)を用いて、ストレスの評価と対処行動について検討した。

PSRSの質問項目は、情緒的反応と認知・行動的反応の2つに大きく分類される。159点満点で得点が高いほど心理的ストレスが強いことを示す。

結 果

〇ストレスの評価

 合計得点の平均は94点ときわめて高い値を示した。情緒的反応の点数は63点と高値であったが、認知・行動的反応の点数は31点と若干高い程度であった。

 情緒的反応の中では、抑鬱気分や不安、怒りの得点が高く、感情が圧迫され、憂鬱、悲観的な気分が強く、情緒的な不適応感 や不安定感が目立った。

 認知・行動的反応の中では、心配、無気力、引きこもり、焦燥の得点が高く、焦りや心配があってやる気が起こらずに引きこもる傾向が強かった。しかし、自信喪失や不信の得点は低く、対人的なストレスや自分の能力についての悩みの関与は低いと思われた。

〇対処行動

 PSRSの得点と対処行動の関係をみると、ストレス得点の高い方が情緒的な混乱が強く、行動も消極的であった。また、具体的な対処行動を持たない人やその実行において困難が伴う人では、対処行動の適応度は極めて低かった。

考 察

 災害時には、救命、救助など身体的医療が最優先され、心理状態や精神状態の把握まで十分に手が回らないのが現状である。しかし、災害で引き起こされる精神的影響は、急性期のみならず長期にわたって、場合によっては一生患者に苦痛を強いるものであるといわれている。

 自然災害後の心的危機をTyhurstは以下のように3段階に分け、時間(時期)と心理的現象を論じている。

  1. impact phase(衝撃期):生命の危機を感じて衝撃や恐怖が強く、興奮や動揺の反応が現れるが、ほとんどが一過性で、まもなく消退する。

  2. recoil phase(反動期):直接の恐怖はなくなるが、災害と結う現実を認識して、悲しみや怒り、罪悪感を感じて表出するようになる時期。

  3. post-traumatic phase(心的外傷期):急性の反応が終息後の、被災者の全人生を覆うようになる時期で、不安や疲労感、悪夢、抑鬱反応が起こり、post traumatic stress disorder(PTSD)といわれる。

 今回の事例では病院搬入時は、1、の衝撃期であったが、心理検査をした受傷一週間後は2、の反動期に相当した。 身体治療後の退院時でも依然ストレス因子が解消されたわけでわなく、したがって高度のストレスから開放されたとは言い難く、今後3、のPTSDを引き起こさないように精神面でのフォローの必要性を痛切に感じる。

 災害時の精神障害に対する治療に関しては、まず災害現場での簡単な支持的精神療法が効果的である。病院での治療は種々の身体愁訴に対する対症療法が第一であり、耐え難い疼痛や不眠、不安、悪夢にたいして鎮痛剤、睡眠導入薬などを投与することが必要である。さらに受傷後のできるだけ早い時期に、その苦しい思いを言語化させることが大切で、あわせて精神療法として、行動療法、集団療法の有効性が指摘されている。

 災害時のストレスによる精神障害に関する報告は、欧米を中心に進められているが、わが国の精神面における災害研究は始まったばかりである。今後、救急災害医は心理学者や精神科医とともに精神面における検討を行い、災害時のcareとcureに生かしていく必要がある。


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