鳥取大学医学部付属病院麻酔科(ピッツバ−グ大学災害蘇生学研究グル−プ)
和藤 幸弘
『災害医学』1995,vol.43(9),661-665
キ−ワ−ド:地震、遷延死、トルコ
目次
はじめに
今回の地震の一般情報および被害の概略は表1に示す。なお、震源地はエルジンジャン市役所より5kmであった。
国立病院、陸軍病院、社会保険病院の3つの主要な病院は国立病院が倒壊は免れたものの使用不能となり、残りの病院は倒壊して医療機能を失った。
また、電気、水道などのライフラインも途絶した3)。
これらの情報はEpi-Infoで解析し、uncorrected, Mantel-Haenszel, Yates corrected,χ2乗検定を行った。
死者653名のうち526名はエルジンジャン市で発生し、127名は周辺町村で発生した。また、負傷者の97%の市民は建物のなかで被災した。
被災の瞬間の所在は家庭(49%)、モスク(23%)、病院(5%)、事務所(3%)、市場(3%)、工場(1%)、学校(1%)、その他(11%)であった。
PIにおける軽症の負傷者は圧倒的に窓ガラスによる切創(83%)で、そのほか熱傷(9%)、骨折(5%)、塵芥吸入(3%)であった。
被調査者の84%が負傷者を目撃し、VSQで明らかになった94例の負傷者のうち32例の生存と、54例の死亡を確認した。死者の内26例は地震後の生存が確認されておらず即死したが、28例は生存が確認されたのちに死亡した、即ち、死者の内55%が、被災直後には生存したが、救援を待つ間あるいは病院に搬送されてから死亡した、つまり、遷延死4)と同定した(図2)。また、遷延死例の75%は瓦礫に閉じ込められていた。即死の81%は男性で、84%は瓦礫の下敷となったものであった。
救出された時間での予後の比較は、生存群では76%が12時間以内に救出されたのに対して、遷延死群では78%が12時間以降に救出された(表5)。
その他の結果は表2から表4に示す。
地震の救援から救命手術までは24時間がゴ−ルデンタイム5)といわれている。今回の調査で、瓦礫の下敷になったり閉じ込められたりした負傷者の救助は12時間を境に予後が大きく異なることが示唆された。
負傷者の救助は被災から約24時間後まですべて市民を中心としたLight Rescue(シャベルや鉄の棒などを使用した簡単な救助)で行われたが、約24時間でしつくされ、3日目以降にHeavy Rescue(クレ−ンなどの重機を使用した大がかりな救助)の救助隊が到着するまで、救助作業は空白となった。
また、今回、気道閉塞症状と循環不全の兆候が遷延死の危険因子として有意であった。今後さらに、デ−タを積み重ね、救出時間や救出時の状態から予後を予測可能とすれば、被災現場でのトリア−ジに有用である。
この地震全体の被害を増悪した因子は、冬期(低温)、夜間、医療施設の倒壊、耐震建築の不備、遠隔地であったことなどがあげられる。
生存者の14%は負傷者の救助や応急処置に参加したが(写真2)、86%の生存者は負傷者に遭遇しても何もしなかった。その理由は55%が、外傷の応急処置や救助法に関するトレ−ニングを受けたことがなく、何をしてよいか分からなかったと答えた(写真3)。
また、地震のような急性型の災害では、被災から数時間は救援が到着しないのが普通で、その間は地域の生存者で対処せねばならず、市民に応急処置やクレ−ンなどの重機を使用せずに行うLight Rescueの訓練を行うことが重要でまた、経済的であると考えられる。
2) Ricci, E.M., Pretto, E.A., Safar, P.,:Disaster Reanimatology Potentials: A Structured Interview Study in Armenia. Methodology and Preliminary Results . Prehosp and Disaster Med, 6(2):159-166, 1991
3) 和藤幸弘:エルジンジャン地震の被災状況と医療管理に関する報告. 日本医事新報, 3623:48-51, 1994
4) 和藤幸弘,エルネスト・プレット:災害医学における遷延死の重要性. 日本医事新報, 3599:43-46, 1994
5) Noji, E.K.:The 1998 Earthquake in Soviet Armenia:A Case Study. Ann Emerg M ed, 19:891-897, 1990
背景および被災経過
対象および方法
結 果
考 察
結 語
参考文献
著者(allstar@kanazawa-med.ac.jp)
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