災害時の医療とトリア−ジの概念

鳥取大学医学部附属病院麻酔科 和藤幸弘

(SELECTED ARTICLES 1996、pp.1393-1398、Medic Media)


目次

はじめに
災害の種類
医療における災害の定義
災害の分類
治療、搬送優先順位の決定因子
トリア−ジ実施時の鉄則
診断基準
トリア−ジタグ
実施に際する問題点
日本におけるトリア−ジの普及
文献


はじめに

 1995年1月の阪神大震災では6,000人余りの死者が発生し、わが国でも災害時の医療の重要性が認識された。また、同年3月に地下鉄サリン事件が発生した。このような人為的災害であるテロリズムによる多数の傷病者の管理も『Disaster Medicine』の領域である


災害の種類

1. 自然災害(Natural Disasters)

地震、津波、台風、洪水、火山爆発、山火事、竜巻、地滑り、雪崩、伝染病、干ばつ、飢饉など。

2.人為的災害(Manmade Disasters)

戦争、難民、テロリズム、原子力発電所事故、大規模火災、航空機事故、列車事故など。


医療における災害の定義

 わが国の医学界で地震や津波などの『Disaster』が認識されたのは、ごく最近である。それまでは、おもに工場での事故などいわゆる労働災害の意味で、『災害』ということばが使用されてきた。『災害医学』も、その意味で既に学会や雑誌に使われている。わが国では、漠然と多数の傷病者が発生した場合すべてを『集団災害』と総称している。世界的にはWHOによる『Disaster』の定義が用いられ、それによると、地域の救急医療の許容量を超えて傷病者が発生した場合を『Disaster』という1)。日常の医療で処理できる規模のものは、Multicasualties Incident(MCI)といい、『Disaster』とはいわない。


災害の分類

1.MCI(Multicasualties Insident)

発生した地域の医療能力ですべての傷病者を処理可能な場合。列車事故、工場爆発など。地下鉄サリン事件などもこれにあたる。医療機関の機能は温存されている場合が多い。

2.Disaster

地域の医療能力を圧倒する傷病者が発生した場合。日常の医療システムが破壊されて機能が低下したために、日常レベルの診療ができなくなった場合もこれにあたる。また、国内の他の地域から救援が必要である。阪神大震災もこの範疇である。

3.Major  Disaster

 戦争、難民、発展途上国における飢饉、伝染病など国際的な救援や、政治的あるいは経済的援助を必要とするものがこれにあたる。

 『Disaster Medicine』ではこの分類が用いられる。地域、国家の医療能力、許容量、また、経済力などによって、この分類の範疇は異なる。実用的な分類である。

◆『Disaster Medicine』の概念

 一般的に現代のわが国の日常の医療に制限はない。健康保険制度や、高額療養費還付制度など恩恵で、すべての国民に保険レベルの医療が提供される。また、あまり生存の見込みのない場合にも手術、大量輸血、集中治療など、全力投球の医療を行っているのが現状である。しかし、その日常医療の許容量を圧倒する、傷病者が発生した場合、医療資材、人的資源、時間、患者搬送など、極度の不足に直面する。そこで、限られたさまざまな人的・物的資源を効率的、効果的に活用し、多くの傷病者に最大限の医療を提供する方法が必要となる。方法としては、従来から、軍隊における大量負傷者の管理方法が、すでに発達していた。表1に米軍における負傷者の治療開始時間と死亡率を示す。死亡率の歴史的な低下は、抗生物資、全身麻酔下の外科手術など医学の発展も少なからず影響しているが、治療開始までの時間の著しい短縮など多数の負傷者に対する管理方法や搬送方法の進歩が大きく寄与していると考えられる。しかし、1980年代に、防災を意識する社会的余裕が生まれ、また、発展途上国における災害に対する人道的救済や世界経済への影響などへの認識、学問的研究対象としての関心などが高まり、民間における『Disaster Medicine』が確立された。過去の災害を科学的に分析し、管理方法の改善や、有効な災害対策を検討するものである。

◆トリア−ジ Triage

 トリア−ジとは、元来、フランス語で選別するという意味である。第一次世界対戦中に英語圏でも、負傷者を選別する際に用いられ、現在では世界中でそのまま使われている。戦時におけるトリア−ジは帰還した負傷者に効率よく処置し、より多くの兵士を戦列に復帰させることを目的とする。しかし、民間における災害時のトリア−ジは、より多くの救命と予後の改善、具体的には四肢の温存や、脊椎損傷後遺症の軽減などを目的とする2)

 負傷者を重症度、緊急度などによって、分類し、治療や搬送の優先順位を決めることである。救助、応急処置、搬送、病院での治療の際に行う。

◇概念

 トリア−ジの基本概念は、必ずしも災害時に限らず、日常の医療のなかにも存在する。例えば、人工呼吸器が一台しかないとする。そして人工呼吸が必要な重症患者が2名いたとする。その場合、どちらの患者に人工呼吸器を使用するか、もう一人を終日用手的に人工呼吸するかなどという選択を迫られ、医師は、患者の重症度、予後、スタッフの疲労などあらゆる状況を考慮して、方針を決定しなければならない。

 日常の医療では、時間、資材、マンパワ−などの制約があまりなく、たとえばひとりの重症患者にいろいろな意味で全力投球することができる。しかし、救急医療では、少なくとも時間的制約が加わり、時間のかかる検査など患者の充分な評価を待たずに手術に踏み切らざるをえないこともある。そして、さらに多数の負傷者に対して、資材、マンパワ−の不足などの悪条件が加わったのが、災害時の医療である。その状況下で、医療従事者は負傷者全体に対する効果的な治療方針を決定しなければならない。

 また、銘記すべき重要なことは、トリア−ジとはその状況下におけるもので、絶対のものではないということである。つまり、状況がかわれば、トリア−ジカテゴリ−がかわる。患者の状態も変化するし、医療資源や搬送条件も変化する。よって、繰り返し行わなければならない。


治療、搬送優先順位の決定因子

 トリア−ジとはその状況下での負傷者に対する総合的な判断である。可能な限り多くの情報をもとにそれらを包括的に把握して行わなければならない。通常、以下の因子を考慮して行う。

1、被害全体のおおまかな評価。負傷者数、怪我の種類など。

2、負傷者の重症度。必要な治療(応急処置)に要する技術、人員、資材(備品)、時間など。

3、応急処置にあたる人員、技術レベル、装備。

4、搬送手段(ヘリコプタ−、救急車)の搬送 能力。

5、搬送中の看護人員。

6、搬送先の病院の状態や能力、搬送所用時間、交通状況。

7、患者が有する合併症(虚血性心疾患、糖尿 病など)の予後に対する影響など。


トリア−ジ実施時の鉄則

1、患者の流れ、回診の方向を統一する。

2、回診は時間の許す限り、繰り返し行う。治療や搬送を待つ間に患者の状態や回りの状況(患者数、搬送状況など)が変わりうるからである。

3、トリア−ジ指揮者は治療に参加しない。

4、トリア−ジ以前に患者を搬送しない。

 多数の負傷者が散らばるフィ−ルドではトリア−ジチ−ムに複数の応急処置チ−ム数チ−ムがついてまわり、処置を終えたら、直ちにトリア−ジチ−ムに追いつくことを繰り返すシステムが望ましい。

 トリア−ジをおこなう者は、救急医、外傷外科医、経験を積んだ麻酔科医または救急隊員(救急救命士)などが適している。


診断基準

 診断基準はない。重症度の判定の背景には、比較的少ない情報で採点できるグラスゴ−コ−マスケ−ル(Glasgo Coma Scale)や外傷スコアの応用で、スコア化やアルゴリズム化も考案されている。簡単に採点できる緊急性、予後などを考慮したトリア−ジスコアを開発することが望ましい。しかし、実際には患者の所見のみならず、繰り返し述べたように搬送、資材、人員その他の状況などから総合的に判断してタグを付けなければならない。現実にはその場で点数をつける余裕はなく、実施者の経験や総合的な印象で判断することが多い。

 患者の評価に際して、いまひとつ注意をはらうべきことは、その患者が有する合併症である。とくに虚血性心疾患の有無は重要である。地震に際して心筋梗塞が多発することが報告されている3,4)


トリア−ジタグ

 トリア−ジタグの例を表2と写真1、2に示す。

タグの世界共通化が理想的である。現在、世界的には黒、赤、黄、緑の4つのカテゴリ−に分けるものと、それに灰のカテゴリ−を加えた5つのカテゴリ−のタグが普及している。灰カテゴリ−は死亡していないが、その状況下で救命できないと判断されたことを意味する。4カテゴリ−式の黒には死亡の他に治療を断念した重症患者が含まれるが、状況によってはこれらの中から赤タグに変わることもある。また、それらの患者は死亡していないので人権を有する。著者は日本で使用する場合、訓練を受けていなくても容易に使用できることや黒(死亡)を次の回診からはずせることなどから、5カテゴリ−式を推奨している。

 1996年、日本の厚生省は4カテゴリ−式を標準トリア−ジタグとして採用した。さらに、この標準タグは災害現場用、搬送機関用、収容医療機関用の複写部分がとりはずし、保存できるようになっている。


実施に際する問題点

1、必要な情報が不十分ななかで行わなければならない。

2、目の前に患者が並んでいるわけではなく、つぎつぎと運ばれて来る。

3、普段なら助けられるのに治療を断念するという心理的ジレンマに陥る。

4、家族の懇願や承諾が障害となる。


日本におけるトリア−ジの普及

 日本でもトリア−ジタグを病院、救急隊、その他の団体が独自に開発している。しかし、わが国で実際にトリア−ジタグが使われた事例は極めて少なく、有効に活用された報告はない。大阪のニュ−トラム事故でも、救急隊員さえ使用法が分からず、負傷者に配って回ったという逸話が残っている5)。今後は、厚生省の発表したトリア−ジタグが普及することが望まれる。

 トリア−ジタグがなくても、また、トレ−ニングを受けたり、トリア−ジの概念を学んでいなくても、冷静であればこの概念に行き着く。第二次世界大戦中、日本国内で空襲によって負傷した重症者には『赤札』がつけられていた。阪神大震災においても、それ以前にトリア−ジの訓練を受けたり、『Disaster Medicine』を学んだ医療従事者はほとんどいなかったと推察するが、多くの医療従事者が多数の負傷者を前にして、この概念にたどり着いたと思われる。しかし、そういった場合、短時間に試行錯誤を行ったり、日常の医療環境との落差で、精神的葛藤に陥ったり、精神的外傷を受けたことであろう。今後、より多くの医療従事者が心得として『Disaster Medicine』を学び、トリア−ジの訓練を受けること、または、訓練を受けた者を有効に活用することが必要である。さらに、市民にも災害時の医療を啓蒙することが重要である。


【文献】

1. Safar P.,: Resuscitation potential in mass disasters. Prehosp amd Disaster Med. 12:34-47 (1986)

2. 和藤幸弘: 災害種と特徴的病像. 災害看護. メディカ出版. 22-58 (1996)

3. Katsouyanni K., et al.: Earthquake -related stress and cardiac Mortality. Int J of Epidemiology. 15:326-330 (1986)

4. 和藤幸弘、エルネスト・プレット: 災害医学における遷延死の重要性. 日本医事新報. 3599:43-46 (1993)

5. 鵜飼卓: トリア−ジと選別搬送. 事例から学ぶ災害医療. 南光堂. p153 (1995)


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