大島三原山噴火―1万人の避難作戦

高橋有二、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 71-7 (担当:藤井)


経過

1986.7月〜   火山性微動
 11月14日   火口壁より噴気が立ちのぼる
   15日17:20〜  山頂火口より噴火始まる
   21日16:15 火口原より噴火始まり、噴火口の行列ができ、熔岩流 出が起こる
       17過ぎ 火山性地震(震度5)が2回起こる。熔岩が町に迫って くる
      17:47   噴火割れ目が外輪山を越える
     ☆17:57   避難命令
      19: 02   避難第1陣が発港
     ☆22:50   全島民の島外避難命令
  22日☆正午ごろ  全島避難終了

医療救護体制

1 大島噴火救護本部(港区、赤十字本社内)
 全島避難命令とともに日本赤十字社が設置。医療救護班2個が招集待機した。 2 臨時救護所(竹芝桟橋)

 救護班を前進させ、医師1名、看護婦2名、調整員1名、救急車ドライバー1名を1個班として2個班、計10名が2台の救急車で出勤した。毛布や機材、照明用具なども運んだ。

Triage

 桟橋に、警察、消防、救急隊の車両が勢揃いした。打ち合わせた結果、入港した避難船の中でtriageを行えばすぐ搬送できるので、着岸とともに医療班と救急隊員と搬出専門の消防官とが真っ先に乗り込んでそうすることになった。

 着岸して乗り込み、「老人、患者はいないか」と呼びかけると、船員や避難民からどこにどんな人がいるといった答えが返ってきた。避難民が上陸している間にtriageを行い、救急車で病院に送るのか、臨時救護所で処置をするのか決定した。

 海上自衛隊の艦は既に接岸前にtriageがほぼできており、救護班が乗り込んだ時には病人についての申し送りがされ、担架での搬送準備もできていた。

 東京港における受け入れ時の扱い患者は72人(うち搬送34人)いた。

避難生活をめぐる問題

 避難は1カ月間に及び、最大約6400人が主に東京都の用意した避難所で暮らした。彼らの3食は各施設によってばらばらだったが、一部を除いて弁当生活が1週間ほど続いた。そしてさまざまな行政の間を縫う形のボランティアの活動や、各避難所での診療室、行政相談室なども行われた。就学問題については、緊急編入や高校ごと臨時開校したりしてしのいだ。帰島は火山活動の一応の休止が確認された後、12月19〜22日にかけて行われた。

医療救護活動としては、都や赤十字からの派遣による診療室が各避難所に設けられた。帰島までの各施設への日赤救護班は25個班(医師28名、看護婦58名、調整員39名)計125名で、患者取り扱い数は775名、最後の3個班は大島帰島船への添乗看護であった。症状としては、不眠や風邪の流行、ストレスでの胃腸障害も多かった。大島老人ホームの寝たきり老人等68人は多摩医療センターなどに行っていたが、避難生活の間に4人が亡くなっている。またこれはどちらかと言えば行政の問題だが、患者発生の有無、入院患者の転送、老人、付き添いなどの情報伝達において大きな課題が残された。

島外避難の過程(図)

最後に

 大島1万人避難計画は恵まれた条件下で行われたものと言ってよい。しかし後の阪 神淡路大震災で見られた避難に伴う種種の問題は、ほぼ全てあらわになっていた。よっ てこの大島避難計画は特殊な一部の例としてしまうのではなく、数万人規模の大災害 に備える、非常に価値のあるテストケースとして記憶に残しておくべきであろう。


鹿児島風水害

高橋有二、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 77-83

(担当:豊田)


災害の概要

 1993年7月から9月初旬にかけての集中豪雨と台風7号、13号によって、死亡者119人(9月7日時点)の大災害があった。

災害発生の背景と災害状況

7月 総雨量は1,054.5mmで観測史上第1位、例年降水量の約3倍であった。

  8月1日 鹿児島県中部に1時間100mmを超す集中豪雨、崖崩れが各地に多発し、死者23人、多くの道路が交通不能となった。

8月6日 鹿児島市を中心とした集中豪雨(16〜20時までの4時間で170mm以上、1日雨量259mm)により、吉野町崖崩れ、土石流の発生、鹿児島市内3河川氾濫、市街中心部水没、死者40人、行方不明者25人、国道3号線、10号線その他多くの交通路が寸断された。

8月9日 台風7号襲来、崖崩れで死者7人

9月3日 台風13号、薩摩半島南部に上陸、崖崩れで死者29人

本災害の教訓

1.情報不足(全体像の不明、どこへどのような患者が到着するか不明)

2.連絡網、交通網の麻痺

3.崖崩れ、孤立した人々の救出

4.崖崩れなどで孤立した病院からの全患者の避難

5.船による患者の搬送、揺れる船からの上陸搬送、避難による混乱、どこの桟橋につくか不明

6.病院関係者が必ずしも患者とともに避難してきていないため混乱

7.トリアージタッグが切れた。スピーディーな見分けがつかなかった。

8.群衆整理の必要性

などがあげられている。

 また病院が引っ越す形の救護が提示された災害でもあった。
この場合

1.持続治療を要する患者や、中断できない薬剤使用者への対応(降圧剤、ステロイド剤など)

2.血液透析や在宅治療患者への対応

3.治療先医療機関への確実な申し送り

など、問題点は非常に多い。

洪水

 災害の中でもっとも多く、またもっとも被害を被るのは水害である。

 「水見舞いには水を」と言い伝えられているように、水害の人々のもっとも困るものは飲料水である。

 現代の医療機関も、ライフライン(特に水)の中断は機能を麻痺させるに十分である。浸水や水没など、特に建物の地下への浸水は自家発電装置の使用不能、トイレの問題、医療資器材の使用不能に直接結びつく。

 電気、水道、ガス、特に上・下水道の破壊は都市ばかりでなく、地方型水害としても致命的である。一方水害では交通路も断たれ孤立する。

 鹿児島水害では二つの病院が巻き込まれ、入院患者の避難、鹿児島市の混乱、天文館通りの水没、その中で災害医療救護が行われたのである。

 水害は、我々の身近でまた頻度の高い災害として考えておく必要があると思われる。

鹿児島市内の医療機関の被害状(8月8日現在)

 ┌───────┬────┬─────┐
 │              │  病院 │ 診療所  │
 ├───────┼────┼─────┤
 │ 浸水         │  18 │  29   │
 ├───────┼────┼─────┤
 │ 診療不能     │    7 │   10   │
 ├───────┼────┼─────┤
 │ 器具使用不能 │  13 │   12   │
 ├───────┼────┼─────┤
 │ 電話不通     │    2 │  119  │
 ├───────┼────┼─────┤
 │ 断水         │  多数 │   多数   │
 └───────┴────┴─────┘


高速道路での化学災害(クロルピクリンによる)

大橋教良、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 84-91

(担当:河原)


化学災害の特徴

1、 患者が同時にかつ広範囲に発生する。
2、 それらの患者がほぼ同一の症状を呈する。
3、 原因となった状況を解除しない限り二次災害が必発(拡大)する。

クロルピクリンについて

クロルピクリンCCl3NO2―トリクロロニトロメタンの別名。窒素性の毒ガスとして用いられていた。現在は殺菌、殺虫、薫蒸剤など農薬としての使用、あるいは化学物質の合成材料として広く使用されている。

分子量は164で空気より重く、常温でガス化する。火災時には熱により分解して、塩素や塩化水素を発生する恐れがある。

クロルピクリンはヘモグロビンのSH基と反応して赤血球の酸素運搬能を低下させたり、また局所への刺激作用がある。

クロルピクリンの毒性

ヒト最小中毒濃度(TCLo) 0.1 ppm(流涙出現)
ヒト致死濃度(LC) 119ppm、30分

クロルピクリンの主な症状

1) 循環器症状:頻脈、低血圧
2) 呼吸器症状:咳、喉頭痙攣、喘息様発作、肺水種
3) 神経症状: 頭痛、めまい、振戦、運動失調、痙攣、せん妄、傾眠状態
4) 消化器症状:悪心、嘔吐、肝障害
5) その他:  皮膚の刺激、化学熱傷、流涙、結膜充血、角膜損傷、眼痛、くしゃみ
        メトヘモグロビン血症

クロルピクリン中毒時の治療

  • 吸入による中毒時にはただちに新鮮な空気の下に移動させて、呼吸困難の発現に注意する。
  • 眼に付着した場合には、大量の水で洗浄する。
  • 皮膚の場合には、石鹸で十分に洗浄する。
  • 特異的な治療薬はなく、重症の呼吸困難も含めて対症療法を行う。

    化学災害の対処法

    化学災害発生時に人的被害及び二次災害を最小限にとどめるためには、医療機関における適切かつ迅速な治療に加えて、以下のような処置が必要である。

    1) 災害発生場所から風下にかけて汚染区域を指定して、被災者をこの区域から速やかに待避させること。
    2) 原因物質の特定
    3) 中和
    4) 汚染区域外へ救出された被災者に対して、救命処置などと平行して除染処置を行うこと。
    5) これらの作業に携わる救助者は、自らの安全性の確保をすること。
    6)原因となっている毒物に関する情報が速やかに伝達されること


    災害地施設の看護計画(日本赤十字社医療センター)

    金田和子、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊210-219、1996

    (担当:石岡)


    〔病院の災害対策について〕

    救護班の編成
     救護班は毎年職員全体から選び,年13〜14班を編成しておき,毎月1日に交代と同 時に医療セットの内容点検と個人装備の整備を行っている。救護班は出動すると原則と して2〜3日で交代させることとしている。医療セットは年2回点検交換する。

    自衛消防隊の編成

    自衛消防隊の編成は毎年4〜5月に見直しを行い,職員の自覚を促す。この編成は,全職種から編成される。隊員はその役割を熟知しておくため,各上司は初めて選ばれた隊員には説明し,その役割を認識させておく責任がある。

    災害時の病院敷地でのトリアージを考慮

     救出救護活動をスムーズに行うためには,如何に病院構内への出入りなどをトリアージするかで作業がしやすくなる。特に外部からの救急車以外の車両,被災負傷者の入口救護所,出口,収容場所など,院外の患者とは出来るだけ隔離することが望ましい。混乱した状況で理想どうりに運営するのは難しいと考えられるが,次のように分離する。
    1、院内被災負傷者の救護所(外来患者を含む)
    2、入院患者の家族に対応する場所
    3、 入院患者及びその家族の出入口
    4、 院外負傷者の出入口及び救護所
    5、 遺体の安置所
    6、 被災者の休憩所
    7、 報道関係者の控え所

     このように病院内を風通しよくしておかないと、災害対策本部からの指示など全ての救護救出活動が能率良く行われず,混乱が増えるのではないかと考えられる。

    〔看護部の災害対策について〕

    看護部内の災害時計画
    1、看護部内の災害対策本部組織
     指揮命令の中心となるのは,看護部長(夜間は夜勤婦長,休祭日は日直婦長)とし、副部長と各婦長は定められた係としての責任をはたす。夜間は一番最初に駆けつけるであろう寮在住の婦長が夜勤婦長を援助,協力して患者の安全と救出活動にあたることにする。

    2、看護部の各役割
     役割を以下のように設定して各婦長に責任者としてあたらせて,病院の入院患者の安全をはかるとともに,被災負傷者および出動救護班の支援に努力させる。役割は当着順に決めておき,その任にあたらせることとする。

    1.各病棟の情報収集
    2.職員課と協力し看護要因の安否を調査
    3.看護職員の配置を考慮(応援,ボランティアなどの配置も)
    4.資材等の補充,搬送
    5.看護要因の食事,休息
    6.巡視が可能であれば状況把握を速やかに行い,本部に報告する。
    7.他部署との連絡要因として,病院内外の状況を看護部長に報告する。
    8.外来救護所の現状を把握し,各所と連絡をとり対応する。
    9.出動した救護班と連絡をとり,資材,人材の手配,患者の状況などを知る。

    院外より来院する患者に対する計画

     外来に搬送,来院する負傷者に対する救護計画としては,原則として

    1.センターの負傷者や患者とは一緒にしない。
    2.軽傷患者は出来るだけ救護所より離す。
    3.遺体は別の場所に隔離し,安全を図る。
    4.精神症状のみられる患者は救護所より離れた場所で対応する。
    5. 他施設と協力して重症者の収容に対処する。

    排泄物の処理とその対策

    水分と固形物を分ける。便,汚物などを捨てるときにザルのようなものの中に,水分を濾す紙を入れておき,そこに流して固形物のみ最終的にビニール袋に入れて,土の中に埋める。


    アメリカにおける災害医療システム

    高橋宏子、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊222-228、1996

    (担当:森野)


    はじめに

    米国の災害医療システムは大きく3部門に分けられる。

    1、 施設内災害医療システム

    施設内における災害発生時にどのような対応をするか、また施設に一度に多数の負傷者が運び込まれるような災害発生時にどう対応するかを、指揮体制、コミュニケーション、人員・物品の確保、各人員の責任・行動範囲を明確にして医療計画をたて、教育・訓練を行う。

    2、地域別または行政区域単位での災害医療システム

    災害発生時に現場へ赴き救助活動を始めるとともに、人的被害のレベルの予測をたて、近隣のpre-hospital careの人的・物的応援を素早く求め、しかも混乱なく被害者が適切な施設へ搬送されるようにするためのシステム、指揮体制、コミュニケーション、各救急隊共通のtriage方法、各人員の責任・行動範囲を明確にし、教育と訓練を行う。

    3、全国レベルでの災害医療システム

    被災地での救助活動や被災地近辺の施設での医療活動が限界に達しそうなとき、これらの活動をバックアップするためのシステム

    I. National Disaster Medical System (NDMS) 誕生まで

    ◯1981年、Department of Defense (DoD)、Department of Health and Human Services、Federal Emergency Management Agency、Veterans Administrationなどの連邦政府レベルの機関が一緒になり協議を開始。
     当時USAの軍隊の医療施設には総計18,000床の入院ベットしかなく、そのうち海外には2,000床のみであった。
     戦闘状態に入り、負傷者が多数出た場合、軍隊の総ベットに加えて退役軍人病院のベットをすべて提供してもらっても、まだ不足になるのは免れない。
     そこで、DoDはアメリカ全土で政府に関連しない病院に目を付け、これらの病院の110万のベット数のうちいつも15%が空床になっているのを利用できないかと協力を求めた。
    結果として、10%までを軍人の負傷者受け入れにあてることになった。

    ◯1981年までに48大都市に770病院、民間病院の参加ベット数が63,000床となった。
     一方、民間においても全国レベルでの医療システムの必要性を認識しており、災害現場へ医療チームを派遣することのできる機関も兼ねあわせた災害医療システムの検討がはじまり、政府の関係機関を代表する医療プランナーの間で話し合いが行われ、最終的に全国災害医療システム(NDMS)の概念が誕生した。

    ◯1984年、現存するresourceを最大限活用することにより、経済的側面からも効率がいいと考えられたシステムが数年かけて作られ、これがNDMSの誕生をもたらした。

    II. NDMSの目的

    1、 災害医療チーム(Disaster Medical Assistance Team: DMAT)の派遣と医療物資・装置搬入のかたちで、被災地へ即座に医療面での援助、対応をすること。

    2、 被災地から負傷者を救出し、負傷者がケアを受けられるように目的地に搬送すること

    3、 被災地から離れたところで、根本的治療・ケアが受けられるようにすること。

    III. NDMSの最大活動能力

    最悪事態で10万人の負傷者がでるであろうといううシナリオのもとで設定されている。

    1、 150人の Clearing Stage Unit(CSU)の出動可能
    2、 アメリカ全土にわたり10万床のベットの確保可能

    IV. NDMSのチーム構成

    NDMSの活動は前もって組織され、教育・訓練を受け、医療物資・器具を保有する可動性のあるチームによって構成される。
    基本となるチームはDMATと呼ばれ、表のような構成である。
    管理部門は3つのDMATの医療物品の供給、コミュニケーション、職員・患者の食事を担当する。

    表、DMATの構成

    医師2、婦長(clinician)1、スタッフ看護婦(RN)2、準看護婦4、外科技師2、検査技師1、薬局技師1、救急技師(basic)3、薬局事務1、材料事務1、医事記録事務2、病棟付雑務係9

    V. NDMSの出動要請

    災害地の州知事、州の保健局長などの要請による場合や、大統領が被災地の状況を判断し緊急事態として指定する場合がある。
    大統領が被災地として宣言すると、NDMSだけでなくFEMAにより他の一連の連邦政府災害対策が活動開始となる。

    VI. NDMSの活動

    1、 出動要請があると、直ちにDMATが現地へ行く。

    2、 DMATは現地の空港で患者受け入れ地域をつくるか、災害現場から少し離れれたところでDMAT駐在場所を設定。

    3、 各地区または州の救急隊により救出され、first aidを受けて搬送されてきた負傷者をDMATがtriageし、負傷者受け入れ地区へ搬送する。

    4、 負傷者受け入れ地区のDMATがもう1度これらの負傷者のtriageを行い、その上で参加病院へ患者を送る。

    〇搬送:NDMSが長距離陸上輸送、または航空輸送をコーデイネイトする。

    〇患者の状態についてはNDMSが定期的に報告を行い、退院・帰宅の方法は各病院のsocial serviceまたは指定の患者福祉機関により手配される。

    考察

     阪神大震災の時、日本の災害対策の力のなさを感じると同時に、もっとどうかしてやれないのかとはがゆい気持ちでいっぱいでした。アメリカのジャーナリストは一斉に被災者の精神力に驚きを示す一方で、日本の災害対策全般を否定していましたが、全くその通りだと思います。書面上でいくら完璧な災害対策をとっていても、実際の行動レベルでそれが機能しなければ存在しないのと同じです。災害はいつでも起こり得るのですから、そのときにどう対応するか、NDMSのシステムのように一つ一つのステップを詰めをし、そのプランが実際に役に立つと証明できるまで検討をかさね、これを十分に機能させるための指揮体制を明確にすべきだと思います。


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