災害医学抄読会 (7/11/96)

過去30年間の主な列車事故の疫学

鵜飼 卓、日本医師会雑誌110: 740, 1993(担当:加藤)


 過去30年間(1963.1.1〜1992.12.31)に発生した主だった列車事故(死者2名以上、負傷者30名以上)94件について、その救急医療活動に関連したさまざまな記録を調査し、事故を主原因別と事故の形態別に分類した後、事故形態別の乗客数に対する死者・負傷者の割合、負傷者における重傷者の割合を算出している。その結果、グループ別の疫学的な特徴を見いだしている。

【調査結果】

 主たる原因としては、運転手の信号無視など、いわゆる人的因子が43件と最も多く、次いで線路上の妨害物(トラックなど)が36件となっている。この妨害物もいわば人的因子であり、このデータは列車事故がひとえに「人災」であることを物語っている。

 事故の形態別では、正面衝突17件(死傷者数/乗客数:65.4±22.9%、重傷者/死傷者:21.7%)、追突16件(21.1±15.2%、9.6%)、終着駅オーバーラン9件(14.8±7.0%、0.6%)、脱線21件(21.6±19.7%、6.2%)、脱線転覆(41.6±21.5%、13.8%)であった。

【考察】

 過去の列車事故に際しての救急救助、救急医療活動の問題点として、事故発生当初の全体像が把握できず、消防本部も医療機関も対応が後手に回って混乱を増幅させているきらいが指摘されている。

 衝突事故による被害者数や個々の負傷者の重傷度は、衝突事故発生時のエネルギーの変化率(衝突の大きさ)と混雑度、損傷部位によって規定され、同じ形態の事故であってもそれは千差万別であろうと考えられる。すなわち事故直前の列車のスピードや事故警告の有無などにより、これらに相当な差があってしかるべきである。しかし、例外的な事例があるにせよ、事故の形態によって負傷者の発生率や負傷者に占める重傷者の比率が予測できる可能性があることは、災害対策上重要である。

 正面衝突ではおおよそ乗客の65%が死傷して、その約20%が重症であろうと予測し、終着駅でのオーバーランでは負傷者数は乗客数の15%で、重傷者はほとんどいないであろうと予測できるのである。このことは、災害発生初期段階での救急車の手配や応急救護所の必要性の判断、医師出勤の要否の判断、医療機関の受け入れ体制の準備などの災害対応策の策定に大いに参考になるはずである。


釧路沖地震における救急医療体制の反省と
今後の問題点

藤田こう介、日本医師会雑誌110: 738-, 1993(担当:加藤)


 平成5年1月15日午後8時6分、北海道釧路沖14kmを震源地とするマグニチュード7.8規模(釧路市内で震度6)の広域地震が発生した。この釧路沖地震における人的被害状況および、それに対する当日の救急医療体制について検討がなされており、いくつかの特徴と反省点が見いだされ、今後の問題点とともに報告されている。

【地震の状況】

 今回の地震は、厳寒期における休日の夕食時という条件が重なって、発生時多くの市民が在宅中であった。また、発生と同時に約9300世帯が停電し、市民の混乱に拍車をかけた。釧路市内の死傷者は2月15日現在で計480人(死亡2、重症52、軽傷426)であった。火気使用による熱傷や破損したガラスなどによる切創が人的被害の上位を占めた。また、ガス中毒患者の多くは発生翌日以降に搬入されており、地震によって亀裂が生じたガス配管から漏れたガスを、知らずに吸引していたと思われる。二次災害に関する市民への情報 提供と医療機関の迅速な対応が必要と思われた。

 さらに今回の地震では、発生と同時に市民および市外、道外からの電話利用が殺到し、電話回線が飽和状態となった。そのため各医療機関相互の連絡が一時的に不可能となり、患者が救急指定病因の一カ所に集中する結果となった。また、市内の多くの病院で地震直後から患者の受け入れ体制を取っていたにも関わらす、消防本部が現状を把握していなかったため、結果的に患者搬送に不手際を生じてしまったケースもみられた。重症患者を最も適切な病因に迅速に搬送するための情報収集および指示形態が、全く不十分であったといわざるをえない。

【考察】

 今後は広域災害時における各医療機関相互および市災害本部、消防本部間の緊急連絡網(専用電話回線、無線電話など)の整備とともに、マスメディアを中心に、混乱している市民に対して、迅速に救急医療体制の情報を提供することができるような緊急情報網を確立することが急務と思われた。

 今回の地震では、幸いにも大きな火災が発生せず、被害は最小限であった感があるが、これらの教訓を生かし、一刻も早く広域災害時の緊急医療体制を整備、確立することが行政および医師会の大きな課題となっているように思われる。


時系列別医療期―災害医療サイクル―:
精神的援助

広常秀人、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊, 119-29, 1996
(担当:清水)


 1987年、『国連総会決議42/162』は1990年からの10年間を「国際防災の10年」とする決議を採択、自然災害による世界中の被害を軽減する取り組みの採択を宣言した。その採択を受けて国連では、災害下の精神保健管理をも災害保険計画の中での重要な課題の一つとして位置づけている。

 この約20年間、災害精神医学は重要な領域として諸外国においてさまざまな研究がなされてきた。しかしながら日本では災害に関する精神保健管理の実践的なプログラムはまだ未整備の領域であり、今後の早急な実現が望まれる所である。

 災害はあらゆるレベルで社会の構造を破壊し、機能不能に陥らせる。したがって災害は個人の破局としてのみ体験されるのではなく、社会全体に破局的体験をもたらすものである。また災害という複雑多岐にわたるストレスを考えるとき、それが与える継時的な心理的影響を簡潔にまとめるのは非常に難しい。現在の災害に関する精神医学的な診断概念としては、急性ストレス障害、心的外傷後ストレス障害、適応障害、死別反応、死別もしくは破局体験後の持続的人格変化などがあげられよう。

 そのほかに発災後中~長期にわたって生じてくる災害に関連する精神医学的な問題として、アルコールなどの中毒性障害、パニック障害、進退表現性障害、鬱病などが上げられている。また離婚、非行の増加なども指摘されているが、これらの社会現象も心理的に密接に関連するところである。災害の精神におよぼす影響は病的もしくはマイナスの側面だけでなく、災害の体験を元に、より強靭さを得るグループ(個人レベルでも集団レベルでも)も存在することを追記しておきたい。

 WHOは、災害精神保健領域においても備蓄、予防、緩和を最重要課題項目としてあげている。この3項目を災害サイクルから考えることは、災害精神保健領域に有力な指針を寄与するものと考える。備蓄、予防、緩和は、発災後相互が密接に関与しあいながら次に起こるであろう災害に向け時間が経過していく。つまり復興期に真理的問題の緩和策に努めることそのものが以後の災害に対する予防と備蓄につながって行く、といったようにである。

 発災~急性期に精神的援助がどれだけ有効に機能するかは、発災前の備蓄と予防にかかっている。例えば、発災後いかに早く組織的な精神的援助チームが被災地域内外で編成でき、いかに効率的に被災地域に入ることができるか、精神的援助の提供者がどれだけ災害時の訓練を受けているか、被災者が自分の精神的問題を抵抗なく語れる雰囲気が平時の精神保健の中で社会にどれだけ育まれているか、などといったことである。しかしながら災害という厳然とした事実を前にしたとき、この時期の最重要課題は緩和である。具体的には、メディア、地域内での広報活動を通じて災害時の心理的反応を啓蒙し、自分だけが特殊な体験をしているのではないことを知らせ、精神的苦痛の軽減と重症化を防ぎ得る可能性など。

 中~長期の精神保健活動は政策レベルでの体制作りが求められる。専門的治療機関への紹介網の整備充実、支援者や支援体制の充実・保証、福祉政策の整備、などである。

 これまで述べて来たことは、WHOなどの超国家的組織が提唱する援助計画を大まかに紹介したものである。ここで日本でも比較的容易に実践可能と思われる災害精神保健に関するものをあげる。

 災害後に関する提言

1)精神的援助チームの一般病院への派遣
2)精神的援助チームの遺体安置所への派遣
3)身体治療救援チームとの連携
比較文化精神医学的に、東洋人は精神的問題を身体化して表現する傾向 が強いとも言われる
4)精神的援助提供者の専門性による役割分担

 災害前に関する提言

1)救急医療関係者への災害における心的反応や精神的援助に関する研修

2)防災訓練への追加
平時のトレーニングは危機時の対処能力を大幅に向上させるものである
3)市民への普及
救急法、蘇生法を事前の知識として知っておく(消防署や日赤が市民に行うもの、自動車教習所の講習で行うもの、メディアを通じての知識の普及など)


時系列別医療期―災害医療サイクル―:
PHC期

上原鳴夫、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊, 108-18, 1996
(担当:豊崎)


はじめに

 災害時の保健医療上の問題は、
1)災害に直接起因する傷病と死
2)災害による医療システムの破壊と診察機能の低下
3)災害によってもたらされる疾病要因
の3つに要約できる。

 災害サイクルは、災害が発生して被災地域が孤立する時期、救命救助活動が行われる時 期、外部から救助活動が行われる時期を経て、次第に復旧期に移行し、これに伴って保健 医療の役割も、災害による傷病に対する救命救急医療から被災者の健康管理、地域医療シ ステムの復旧へと移行していく。

災害発生時の医療ニ−ズ

 医療ニ−ズは災害の直後が最大である。「災害死亡」の大半は災害直後の死亡であり、 救命救急医療の成否は1〜2日のうちにほとんど勝負がついてしまう。しかし、実際に阪 神淡路大震災の時に見られたように、我が国では医療チ−ムが到着するのが遅れ、災害直 後の医療ニ−ズに対応することが出来ないのが現状であり救命救急医療の役割を果たしえ ていない。派遣した医療チ−ムが到着した頃には救命救急医療は終わっており、派遣医療 の役割は「災害を生き延びた人々の生命と健康を守る」ことに移行しつつある。阪神大震 災の時も、仮に地震発生後の対応がしっかりしておれば、助かった命もあったと考える。

被災者の医療ニ−ズ

 病院に収容され急性期を生き延びた挫滅症候群や火傷などの重症患者は、感染や腎不全 などの続発症に備えて集中治療を継続しなければならない状態にあり、病状が安定し次第 できるだけ早く設備の整った被災地の外の病院へ後送する必要がある。施設の損壊や医薬 品の不足などで十分な治療が継続できない場合には設備の整った病院へ転送しなければな らない。また、災害前からの有病者に対する治療も維持しなければならないうえ、災害発 生後の医療ニ−ズは災害前と同じように存在しており、かぜや腰痛などのプライマリ−ケ アだけでなく、一般救急疾患や産科診療にも対応しなければならない。

被災者の保健衛生管理

 被災者に対する診療の他に、避難生活者の健康管理(診療と保健衛生管理)も必要とさ れる。これはさまざまな救助活動や復旧への取り組みの基本単位となるものなので、医療 チ−ムは他の支援活動とうまく連携、協調しながら活動することが重要である。まず、水 食料、衣料、寝起きする場所を確保し、水道水も必要があれば消毒する必要がある。また 被災者は災害による心身のストレスに加えて、集団生活によるプライバシ−の喪失が精神 的な負荷になる他、冬や寒冷地では気道感染の機会の増加によって、かぜやインフルエン ザが多発することがあり、これらへの対応も必要になる。

被災者の診察

 災害発生後では施設の被害やライフラインの停止のために災害前の診療体制が機能しな くなるので、もしも被災地に近く診療機能が維持されている病院があれば、患者が集中す るので、病院診察は専門診療や検査、救急、入院治療が必要な患者に限定し、プライマリ −ケアはできるだけ診療所や救護所で対応するようになる。外部からの医療チ−ムは、救 護所でのプライマリ−ケアを担当することになる場合が多い。診察を継続していくために は、医薬品や医療機材が十分整っていなければならず、病院や情報センタ−との連絡、患 者搬送の手段、医療チ−ムのための水、食料、寝起きをする場所や生活用品を確保するな ど、ロジステックスの体制が必要となる。また、災害地に送られてくる医療救援物資の確 認と仕分作業も医療関係者でないと行えない。被災によって通信やアクセスが寸断される と情報の収集、管理の体制が確立できない可能性がある。災害に備えて、災害時の医療情 報センタ−の設置場所、代替通信手段、収集、記録すべき情報、アセスメントやサ−ベラ ンスの手順など、普段から検討しておく必要がある。

地域医療システムの再開

 受診患者数がピ−クを過ぎ避難所の事故管理体制が整い次第、妊婦検診や予防接種など 所定の地域医療や、PHC(予防接種や下痢症対策、母子保健、栄養、清潔な水と衛生の 普及などの基本的な保健センタ−やヘルス・ポストが中心になって住民参加を促しながら 実施するもの)の活動を徐々に再開する。


阪神・淡路大震災の概要

寺島 敦、救急医学119: 1620-8, 1995(担当:山内)


 1995年1月17日5時46分ころ、淡路島北部の北緯34.6゜、東経135.0゜、深さ14kmを震源とする、マグニチュード7.2 の地震が発生した。有感地域は神戸と洲本での震度6を含み、北陸から九州にかけての広い範囲に及んだ。この地震による被害は極めて甚大で、2月17日現在の兵庫県対策本部の調べによると、死者5359名、行方不明者2名、負傷者32898名、被害家屋151488棟と、今世紀の日本の地震災害としては1923年の関東大農災に次ぐものとなった。

 古来より近畿地方には多くの地震災害の記録が残されている。これらの古文書によると、1994年末までに兵庫県に濃度5以上を与えたと推定される地震は31回に及び、その中の8回は震度6を与えたと推定される。計算によると阪神・淡路地区は100年から160年に1度、震度5以上の地震にに見舞われることになる。阪神地域には7本の主な活断層よりなる六甲断層系が走っているにもかかわらず、有史以来地震の記録がない。今回の地震はこの空白を埋めるように発生した。

 「地震」とは「活断層が動くこと」であり、「活断層」とは「過去 100万年以降に動いた断層」のことである。したがって、活断層が存在することは、かつてそこを震源とした地震が発生したことを意味する。京阪神地区は日本でも有数の活断層密集地区である。今回の地震の震源となった野島断層は淡路島北部の西海岸ぞいにあり、走行はほぼ北東一南西である。

 地盤や地形と震害の関係は過去の震害調査においても言及されてきた。今回の震害についても両者の関係が調査され、地盤の強弱と震害との相関が高いという結果が出だ。今回の地震による被害調査で特に印象に残ったのは、三宮フラワーロード周辺のビル群の被害であった。フラワーロードは旧生田側河川道である。このことから昭和13年の阪神大水害の被害地域と今回の震害域との相関を調査した。水害の地域と震害の地域を重ね合わせた結果、両被害地域はほぼ一致した。これは水害を受けた地域は谷地形であり、堆積層すなわち軟弱地盤がであるからで、そこに甚大な溝害が発生するのは至極当然である。

 阪神地区は六甲山地の南に東西に広がる扇状地・理立地に形成された近代都市である。巨視的にみた災害状況は山麓部で少なく、南に下がるに従って甚大な被害を発生している。各種報道機関によると、市街地中心部の幅1〜2kmの東西方向の帯状地域で最も被害が大きく、多数の犠牲者を出した、と報告されている。しかし、客観的に考えれば、その地域はより南側の地域に比べて住宅密集地域であり、かつ人口密度の高い地域でもあった。よって被害が際だって見えるのは当然である。被害甚大地域(気象庁によって震度7とされた地域の南側でも、地盤の液状化、地割れなど被害の種類は異なるが、震度7の地域とほぼ同規模の被害を被ったと考えられる。ただ住宅密集地域でなく工場地帯であったことから犠牲者が少なく、多くの注目を集めなかったと思われる。

 これらの被害状況を一見して、ある研究者は市街地直下に存在した「知られざる活齢層が動いた」と説明しているが、筆者は今回の震災状況は堆積層の厚さに起因することを主張したい。その根拠として地麓動周期に注目すると、神戸海洋気象台の卓越周期は0.24〜0.35秒、神戸港工事事務所構内では1.42秒、第八突堤では1.75秒であった。神戸市域の基盤への地震入力が同じならば、地表での卓越周期の長短は堆積層の厚さに関係する(軟らかい堆積層中では短周期の地震波は吸収され、長周期の地震波が地表に到達する)。この1秒以上の卓越周期に構造物が共振して被害を引き起こし、さらに埋め立て地・軟弱地盤に液状化現象を起こしたと考えられる。

 今回の地震は、今まで大地震の洗礼を受けなかった地下鉄・地下街、高速道路、超高層ビル、新幹線などに対する巨大な実験であったともいえる。これら近代的構造物で、かろうじて合格点を得たものは超高層ビルだけであった。この超高層ビルも短周期の地震波には何とかとか耐えられたが、まだ長周期地震波に対する試練が残されていることを忘れてはならない。


巻頭言
集団災害救急1995;阪神・淡路大震災とサリン事件

小濱啓次、救急医学19: 1617, 1995(担当:古川)


 今回の阪神・淡路大震災や東京地下鉄サリン事件においても、国や自治体の対応のまずさ、また集団災害時の救急医療体制の不備が指摘されている。

 平成5年7月21日には奥尻島地震、平成6年6月27日には松本サリン事件が発生している。これらの地震や事件においても、災害時の医療対応の不備、不足、遅れが指摘されて、多くの意見が出された。しかし、我が国では死傷者が多数で社会問題になったり、東京で起こらない限り、具体的には対策は出て来ない。南海大地震(昭和21年)の後には、災害救助法(昭和22年)が、伊勢湾台風(昭和34年)の後には災害対策基本法ができている。松本サリン事件では何の対策の出されなかったが、東京地下鉄サリン事件では直ちに国会でその対策が検討され、サリン防止法ができた。阪神・淡路大震災よりも大きな規模の地震であった奥尻島地震では、救急体勢の遅れ、ヘリコプターの有効性が言われたが、救急ヘリコプターの配備や関係省庁のヘリコプターをもっと救急医療に使いやすいようにするなどの討議はなされなかった。

 多くの死者、負傷者が発生した阪神・淡路大震災の後には何かよい対策法ができると期待するが、体験者の貴重な意見を十分反映できるように努力していくべきである。

 阪神・淡路大震災においては、負傷者が初日に集中し、医療機関が大混乱に陥った。情報が途絶し、孤立した医療機関が建物の崩壊、電気、ガス、水道等のライフラインの供給停止、職員や医療品などの不足から、殺到する負傷者に十分な医療行為ができなかった。消防も負傷者を市内及び災害地以外のの医療機関に搬送しようとしたが、通信の混乱、交通渋滞、道路の崩壊で、平時の救急活動もできなかった。また奥尻島地震で有効性が実証されていたヘリコプターも、利用されていなかった。

地下鉄サリンでも、阪神・淡路大震災と同様な状況が発生した。一医療機関に多くの患者が殺到して、サリン中毒であるという情報も医療機関相互、医療機関と消防間の情報も遅れた。

 集団災害が起こった際には、国としての対応は国土庁所轄の中央防災会議がその中心となるが、その会議には日本赤十字社のみで日本医師会は参加していない。実際は集団災害では医師は災害現場での救助、救命を行わなければならず、平時から国、地方、自治体、医師会の合同の会を持つべきだ。また化学物質などに関する情報なども、全国レベルの応用できる医療情報連絡網の整備が必要である。

 今回の大きな二つの事件を教訓に、集団災害の際の医療体制の整備、敏速に利用できるヘリコプターのシステムの確立、さらには災害に強い情報網の開発及び充実が早急に行われる必要がある。


産業事故による化学災害

後藤京子、日本医師会雑誌110: 735, 1995(担当:古川)


 化学技術の発展に伴い我々は多くの恩恵を受けているが、反面有害物質の漏えいなど人災による被害も増大している。化学災害発生時には、化学物質の毒性や処理方法、人体に与える影響やその治療方法などの情報が必要とされている。その情報の伝達が重要である。和歌山市の化学コンビナートで起こった事件からも、同様なことが提言されている。同市では、化学物質や動植物の毒によって起こされた急性中毒についての情報を収集整備し、提供している、日本中毒情報センター(JPIC)と協力して、情報の整理がされている。


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