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そうした中で、注目を浴びたのは、パソコン通信やインターネットに代表されるネットワークコミニケーションである。特にインターネットに関しては神戸市が、94年10月よりWWW(画像、音声、文字を同時に扱えるシステム。以下「WWW」という。)にホームページを開設、それまでは広報主体であった情報を、地震の概要、火災消失地域の概観図、市職員が自転車で走り回り撮影した街の被災状況に差し替え発信した。
この情報はテレビや新聞などの、どのメディアよりも早く、世界を駆け巡り、事の重大さを知らしめたことにより、インターネットの持つ即時性、情報蓄積による不特定多数の伝達など、本災害により有効性が証明された。
このシステムは国政デ−タなどの重要な情報が核攻撃などにより壊滅的な被害を受けた場合、最小限の被害でいかに迅速にデ−タ、システムを復旧させる事を目的にしているものである。
〜利点〜
〜欠点〜
(1)災害によって寸断されたインターネットを復旧する
基本的にインターネットは専用線で結ばれている。災害時にはインターネットの回線を復旧するよりも緊急度の高い回線はたくさんあるという考えから、切断された地上のネットワークを日本サテライトシステムのJCSAT-1という衛星で通信衛星回線に置き換えて行われた。
(2)生存情報を収集し、検索できる状態で提供する
生存情報はパソコンを使ってオンラインで登録、検索する。方法は二通り用意され、一つはWWWでもう一つは電子メールによるものである。
〜災害対策本部〜
〜消防本部〜
〜関係機関(警察、電力、NTT)〜
〜各避難所〜
〜一般市民〜
新聞報道では今回の地震によりインタ−ネット、イコール災害に強いメディアの図式が立てられているが本当にそうだったのだろうか?
インターネットのWWWは災害直後から被災地の映像を新聞報道よりも早く全国、全世界に被害の大きさをセンセーショナルに伝えたが、その情報で人の命が助かったのか、また、そのことが住民の生活に役立ったか疑問である。
震災時の神戸市のインタ−ネットについて問題点を考察してみる。
(1) 今回の震災で一躍有名になったインタ−ネットのWWWのホ−ムペ−ジを神戸市が市民サ−ビスとして本格的に開始したのが震災の前年の10月で導入から日が浅く活用能力が十分でなかった。
(2) インタ−ネットの利用目的が広報や観光情報を中心にしていたために停電や災害による不測の事態に備えてデ−タの分散配置、回線の多元化(専用線、携帯電話、PHS、衛星通信)など万全の体制でなかった。
(3)災害発生地区以外からの接続でサ−バ−(情報を置いてあるコンピュ−タ−)の通常の許容量を超えてしまいダウン寸前であった。
(4)受け手も災害により停電や回線の切断等により情報源のサ−バ−に接続できなかった。
(5)各避難所に兵庫県から日本電子機械工業会を通じて、パソコンが配置され、操作に習熟したインタ−ネットボランティアネットワ−クの学生やCSK(株)が運用したが、絶対数の不足から避難所で有効に機能した場所は少なかった。
(6)情報を蓄積しても組織的な運用(活用)ができなかった。1、はじめに
2、インターネットの歴史
3、インターネットのしくみ
4、インターネットを防災に利用する
5、インターネット防災訓練
6、防災に生かすインターネットの可能性
7、なぜ阪神・淡路大震災では市民のためにインタ−ネットが満足に機能しなかったのか?