平成4年3月17日火曜日午前8時45分頃、札幌市と千歳空港を結ぶ高速道路上で、車両186台が巻き込まれ、死亡2名、重軽傷者106名という、わが国最大の玉突多重衝突事故が発生した。
この時の覚知時間は、北海道警察が事故発生から7分後、道路公団が10分後、恵庭(えにわ)消防署が19分後であるのに対し、札幌医大は71分後、千歳医師会が73分後であった。
10時31分(事故発生後106分)、千歳市立総合病院の医師1人と看護婦2人が現場に到着。
10時20分(事故発生後95分)、恵庭第一病院の医師1人が現場に向かう(到着時刻不明)。
10時52分(事故発生後127分)、札幌医大の医師2人が、ヘリコプターで現場に到着。
これはいわゆる「ドクターヘリ」で、事故現場付近の高速道路上に着陸し救急医療を行\った。最後に残った患者に心マッサージを施しながら札幌医大へはこんだが患者は40\分後に死亡した。
医療サイドからの問題点として、
などがあげられる。
対策として、
などがあげられる。
災害医療現場では、“triage《選別》"“treatment《処置》"“transportation《搬走》"の3つが重要である。今後、救急医療の人的・質的充実を図り、各地域での医師側の連絡及び協力体制を確立する必要がある。
1982年(昭和57年)2月9日午前8時45分頃、乗客166人乗員8人、計174人を乗せた日本航空DC−8型機が、東京羽田空港に着陸しょうとした時、機長の精神異常による操縦ミス(逆噴射)から、空港沖合の誘導灯に、激突・墜落した。
この事故には、蒲田医師会を始め、大森医師会、日赤医療班など、合計5団体が医療救護活動に加わった。乗客・乗員の受傷状況は、死亡24人・重篤1人・重症12人・中等傷72人・軽症46人・無傷12人であった。
(反省点と課題)
(その後の動向)
羽田沖航空機事故で医療救護活動を行った蒲田医師会は、1983年、多くの反省点を指摘した冊子「航空機事故と医療活動」、並びに1986年、空港救急医療計画作成指針を示した「PART 」を刊行し、多くの反響を呼んだ。
1990年には、東京国際空港における、医療救護活動に関する協定が空港長と大田区三医師会の各会長との間で締結された。
1992年12月には、東京国際空港の救急医療緊急計画実施細則が完成した。
今回の阪神淡路大震災では、筆者は自身の医院の建物の応急手当を行い、入院患者・来院患者の対応に追われながら、所属する地区などの避難所10カ所程度を訪問したが、既に他からの医療班により巡回診療が行われている場面に出会っている。神戸市医師会は、職員が罹災したり交通途絶・渋滞により出勤不能ということもあり災害復興対策本部を1月19日(震災後4日目)組織し、罹災状況・診療可能な会員数の把握などの現状報告が行われた。その中で、筆者は規模の大小はあれ、個々の医療機関独自の救急活動の状況をそこで初めて知ったのである。
このように災害に対する備蓄や連絡体制は皆無に等しいといっても良いほどの状態であった。今回は医療関係者も保健行政職員の人々と同様救援活動をしながらも被害者である側面もあり、たとえ準備態勢が整っていたとしても問題点は多く存在していたのではなかろうか。300万人の罹災者を出した都市部直下型地震については今後立案される全ての計画についても、被害状況調査結果を念頭に置くべき基礎知識として活用されなければならない。
今後、是非検討すべき点としては
阪神・淡路大震災後、神戸市立中央病院救命救急センターはそれ自体が被災者であった。震災があってから5時間は電気が遮断しており、酸素については震災当日が補給の日にあたっていた。電気については、震災が早朝であり手術室での使用がなかったことと、酸素については補給用のタンクローリーが交通渋滞に巻き込まれたが結果的に間に合い、入院患者は何とか無事に全員生存し得ている。
病院へのアクセスが断たれていたこともあって入院患者(≒救急車)が増え始めたのは震災後6日目からであった。集計してみると震災直後3日間で外来患者844件、入院68件、手術4件、1週間で外来1627件、入院137件、手術6件、1ヶ月間で外来3004件、入院533件、手術88件であった。これらの数値は災害現場に近い医療機関の患者受け入れと比較しても非常に少ない数であり、実際に病院へのアクセスが機能していたら、救急外来は何倍もの患者・救急車であふれていたことが想像される。
ライフラインと病院機能は時間単位で回復していく。しかしそれすら、大災害医療の初期3日間のニードという面から無力であった。しかし、もしいくつかの”if”を想定したとしても、十分に、有効に、働きえたであろうか。ライフラインが健全であったら、病院機能はライフラインのみに制約されるものではない。橋が残っていても橋にいたる道路が自由に通れるわけではない。通信網が働いたとしてもそれに応じる組織が存在し、いかに働くかが問題となる。
震災のあと病院は5日以降、患者の受け入れに、20日以後救護所よりの患者受け入れのサポート病院として、その後(2月以後)には各救護所からのボランティア団体の引き上げをスムーズにし、地方医師会の立ち上がりを助ける意味で多くの院外外出務者を送りよく働いたといえる。しかし初期3日間の空白はどうすることもできない負い目として残る。この負い目は修羅場となった医療機関としても内容を点検すれば同様に感じられるものであろう。災害医療の具体的点検と心構えを持たなかったことによるものであり、日本の災害医療全体の負い目であると考える。
a.災害間期
役割(1)リスク・マッピング…災害発生地域とその被害の予測
b.災害前期/切迫期
c.災害発生期/緊急期
d.復興期
《病院災害計画》
a)内部災害対策;病院自体が損壊を受けた場合の対策
1)無理のない計画
2)病院災害対策委員会
任務 (1)病院災害計画の立案
3)備蓄や代替ライフライン
4)警報
5)災害マニュアル
6)トリアージ
7)情報管理
トリアージとは患者の重症度と治療優先度を決めることであり、現存医療能力で最大多数の犠牲者を救出することを目的とする。救出不能な被災者や、治療の不必要な軽症患者を除外し、限られた医療資材、少数のスタッフで救出可能な患者を重症度に準じて選定する。被災者の数が多いほど短時間のうちに判定しなければならない。
患者の状態は常に一定ではないので、トリアージは1度行えばそれで終了とはならず、救出現場から医療機関で確定治療に至る過程で行われる。ニューヨーク州の災害対策マニュアルを例にとると、まず第1回トリアージを救出現場で行い、トリアージタッグをつけるだけで治療は行わない。ついで後続の救急隊が優先順位に従って安全な応急野外診療所に搬送し、1次、2次救命処置を行って状態の安定化を図る。改めてトリアージを行い、IDカードとトリアージタッグを追加、再び優先順位に従って、ヘリコプタ−、救急車、バスなどで医療機関に送る。ここでは定められた配分表に記入する。以後も病院入り口から確定治療が行われるまで、トリアージと治療が繰り返される。
トリアージは最初に到着した救急隊長が行い、わが国では救急救命士がこの任に当たるべきである。理想的には、医師、看護婦(士)、救急救命士のトリアージチームが現場に急行し、医師がトリアージ責任者(triage officer; TO)となることであるが、欧米のこれまでの経験では、医師は第2次以降のTOとなることが多い。TOの資格として、病院内でよく知られていて、判断力、指導能力、決断力があって、外科の経験があり、病院の近くに住んでいる医師がよい。経験の深い麻酔科医も適任である。第1、第2次TOはその地域の病院数、所在地、病床数、外科的能力、各病院の特殊性、災害現場の地理・地形、各病院までの距離などを熟知し、各病院の能力に相応した疾病と人数の搬送を指示する必要がある。また病院入口部のTOは自己の施設の空床数、治療能力、医療資材ストックを随時確認して、能力以上の患者を受入れてはならない。
災害時の被災者の識別には、国際的に決まっているトリアージタッグを用いる。これは治療優先度の順から色別に、赤(最優先)、黄(待機的)、緑(保留)、黒(死亡)が用いられる。優先度を客観的に決めることは難しいので、いくつかのスコア制が提唱されているが、混乱した災害現場では役に立たないことが多く、今後の改良が望まれる。ここではニューヨーク州で使われているものを紹介する。
【赤色タッグ】
【黄色タッグ】
【緑色タッグ】
【黒色タッグ】
トリアージが終わったら、同じ色のグループに分けて災害の及ばない、搬送の便利な地点に集め、応急処置、症状などをタッグに記入する。TOは赤色はヘリコプタ−、救急車、黄色は救急車、緑色はバス、徒歩で搬送を指示し、同時にこの状況を基幹病院に通報する。このとき、小児はできるだけ両親と一緒にする。負傷した救助者は他の救出の妨げにならないように、すみやかに退去する、被災者がパニックに陥らないよう可能な限りの情報を与えて落ち着かせる、パニック状態の患者は早期に隔離する、といったことに注意する。
トリアージを成功させるためには、羽田沖日航機事故
稲葉博満、日本医師会雑誌 110: 746, 1993
当日出動した医療団体は5団体だったが、相互の指揮系統はないに等しく、また救急隊との間も同様で、このため同一死者や負傷者を、繰り返し別の医者が診るというような混乱があった。大震災時の医療活動 診療所医師の立場から
森本裕二郎、公衆衛生 59: 473-6, 1995大震災時の医療活動―神戸市立中央病院―
立道清、公衆衛生 59: 470-2, 1995災害に対する予防と準備
上原鳴夫、日本医師会雑誌110: 701, 1993はじめに
1.災害のサイクル
・地域→災害対策計画の策定・災害対策組織の設置
・病院→病院災害計画の策定・病院災害対策委員会の設置
→予防と対処法の立案
(2)リソース・マッピング…災害発生時に利用可能な医療資源の所在確認
(3)災害発生時の対処マニュアルの作成・改訂と実地訓練
災害予知や警報・避難時期などの的確な判断が必要
→意思決定者への適正な情報集中が必要
被災地域の住民による適切な捜索・救助・救護活動が必要
→(1)捜索・救助・救護活動
(2)トリアージ(患者の選別)と重症者の病院搬送
(3)病院における集団外傷対処と後方病院への転送
地域住民や被災者の保健衛生の確保が必要
b) 外部災害対策;同時的に多数の傷病者が発生した場合に備えて、
病院がこれに対応できる体制と運営プランを詰めておくもの2.病院災害計画の留意点
(2)病院計画にかかわる各部門の災害計画の立案
(3)各職員の役割分担の明確化
(4)教育・訓練計画の策定と実施
(5)病院計画の見直しと改訂 …など
・緊急体制の宣言者を明確化…情報の混乱を避けるため
・患者の再分配…集団外傷に備えて病院の受け入れ能力を高めるため
・患者の避難に関する計画の再確認
・通常の救急医療とはやや異なる実用的なガイドラインの策定・教育
・各職種の任務の明瞭化
・トリアージの担当者の設定
・最大許容数の算定(手術実施可能数に基づく)
・ 受付での患者の同定 ・適正な診療記録の書きとめ
・地域災害対策本部や情報センターへの診療状況の定期報告
・停電状況でも使用可能な通信手段の設置
・受付及び患者家族などとの対応担当者の設定おわりに
・災害時に最も被害を受けやすい人々
=2800万人の災害的弱者(特に患者)
→災害対策に関して、行政に任せるのではなく、医療者として運営
面と技術面の双方から災害への備えを具体的に検討すべきである。災害被災者のトリアージ
青野允、日本医師会雑誌110: 709-14, 1993
低血圧や低酸素血症を呈しているような生命の危機に瀕している患者に相当し、ヘリコプタ−や救急車で早期に搬送、確定治療を受けると生存する確率が高い患者に用いられる。ここには止血容易な大出血、または止血困難な出血、複雑骨折、呼吸器系外傷、心タンポナ−デ、開放性胸部外傷、脳外傷などが含まれる。
これは2〜3時間以内に手術を要するような、生命に機器のある患者であうが、全身のショック状態を呈しないものに用いられる。熱傷、大骨折、多発骨折、脊髄損傷、合併症のない頭部外傷、内蔵露出などが含まれる。歩行不能の者にも用いられることがあるが、この場合の搬送は、本来の黄色タッグよりも後になる。
生命に危険がなく、外来治療で十分対処可能な場合に用い、災害現場からは徒歩で移動させる。相当する疾患として、小骨折、小範囲熱傷(10%以内)、ヒステリ−などがある。必要時には重症患者の運搬に協力してもらうことも可能であるが、たとえ外傷がなくとも、内出血など内部損傷の有無には注意しなければならない。
生命徴候のない者や明らかに生存の可能性のない致命傷を負っている者である。死者が多数で救助者が生存者に近づけないような状況下では、どける必要がある。時として、赤色と黒色の区別が非常に難しいことがある。
以上のことが必要となる。