爆発の後−オクラホマ市の連邦ビル爆破事件で救助にあたった人々がその経験を語る

近藤泰雄・訳 救急医療ジャーナル 4 (1) 38-46, 1996 (担当:田村)

 1995年4月19日に起きた連邦ビル爆破事件における救助活動を報告するにあたって,現地で実際に患者を搬送し,犠牲者を捜索した人々に,その経験を語ってもらった。

マーク・ロビンソン:パラメディック,オクラホマ市救急局能力向上委員

現地ではトリアージおよび治療担当官として働いた。
 現場に到着するとただちに患者を重症度別に,赤・黄・緑に振り分けられるよう,処置とトリアージを開始しました。緑の患者には通りを渡って反対側へ行くよう指示しました。赤と黄の患者の振り分けは簡単でしたが,黄の患者はあまりいませんでした。ほとんどがもうすで に死んでいるか,重症か,あるいは切り傷の患者でした。

 私は集まってきた医師や看護婦に,メリッサの所へいくように伝え,彼女は彼らに何をすべきかを指示しました。われわれは,すべての医師と看護婦を管理しました。だから,多くの患者をこんなに早く搬送できたのです。医師や看護婦は,非常に協力的にパラメディックからの指示を受けていました。

 今回の仕事が順調にすすめられたキーポイントは,自分が何をすべきなのかを計画性を持って指示してくれる人を,誰もが望んでいて,私がそのように行動できたからだと考えています。

 この2カ月の間、私たちは、危機的な状況下におけるストレスから立ち直るためのCISD(critical incident stress debriefing)チーム作りをしてきました。心理学者が3-4人来てくれて,CISDを行うに当たって,われわれに話をしてくれたので非常に助かりました

ウィリアム・リンゼイ:オクラホマ市救急局パラメディック

 わたしの隊が到着すると,救急車の周りに集まっていた血だらけの人々に囲まれてしまいましたが,それを制して,重症者がいないかどうかを見渡しました。歩ける患者に時間をさいている余裕はなかったのです。

 現場では,医師であろうと,看護婦であろうと,パラメディックであろうと,できることは一次救命処置だけでした。ダウンタウンの開業医の所から,血圧計を持って駆けつけてくれた看護婦がいましたが,バイタルをとる余裕などありません。脈が触れるかと気道を確保するのが精一杯でした。

匿名希望:救急局パラメディック

 仕事を続けるために,人は心の中に壁を作ります。いま私たちは,その壁を取り払おうとしていますが,なかには心がずたずたになりかけている人がいます。

 私たちはこの事件によって,心理的な問題を引き起こされたのです。外傷後のストレスによる心身の不調と言われました。私はいま,身 体的な問題−胸痛や息切れ,睡眠障害と闘っているたくさんの友人を助けています。

匿名希望:救急医

 救急外来入口がトリアージの場所になりました。軽傷者はカフェテリアに運ばれました。重症者は急患室に運ばれ,6つある初療室に入れられました。そこで状態が安定した患者や手術が必要な患者は,上の階へと運ばれました。

 私たちの病院では,73人の外傷患者を受け入れ,50人以上が入院しました。多くが刺創やガラスによる切傷でした。爆風だけが原因の鈍的外傷によって,心肺挫創を負っている患者もいました。頸動脈を損傷している患者が2人いましたが,どちらも助かりました。


マグニチュード7級の地震を想定した災害対策

山本保博. 救急医療ジャーナル 1 (3) 34-7, 1993(担当:福原)

●我が国のある海岸に面した人口約20万のA市で、マグニチュード7級の直下型地震が発生した。この地震の影響は、概ね震源地から30Km程度である。被害はA市とその近郊に限定されるものとして、各種応急対策を検討する。

I. 被害想定

 国土庁や各自治体の想定に準じ最も被害が大きい場合を考えて、『晩秋の平日午後5時、晴れ、風速毎秒5m』の前提条件とした。

(1)建物等の被害想定(揺れ、液状化現象による被害が対象)
・建物被害
・ブロック塀等被害:ブロック塀や石塀の倒壊による人的被害。
・落下物被害:ビルのガラス破損(飛散物)、袖看板(非飛散物)の落下。
・屋内収容物被害 :家具の転倒、収納物の落下。

II. 地震の人的被害と対応

 罹災者の発生とその行動について考える。*罹災者とは地震による直接的被害(火災を含む)により自宅に住めなくなった住民をさす。

(1)罹災者数
 A市の罹災者数は2万人であり、近隣市町村では合計3千人であった。
 応急対応上問題となるのは避難所収容者数である。また、家に残留する者にとっても、食料など生活必需品やライフラインの供給に被害が及んでいる。

(2)負傷者数
 死亡者30人、重症者100人、軽傷者1500人となり、その医療機関での処理能力をうわまわる数のため、かなりの困難が予想される。

(3)医薬品
 1時間程で特定品目が不足しはじめ、市や卸業者は備蓄を放出するが、渋滞によりその配達に難航した。また一夜あけると病院の混雑はピークに達した。

(4)救護活動
 重症者に対する施療が十分に行われず病院に移送されても手遅れになるケースが続出。ヘリによる被災地外への後方搬送。3日後には外来患者の症状は内科・精神科的なものに移行した。

(5)災害弱者について
  65歳以上3万2千人のうち、寝たきり老人、重症心身障害者等を対象とする。介護が必要なため、健常者に比べ被災する率は高く、特に病院にいる者よりも家族介護を受けている者のほうがその率は高い。

III. 災害対策

(1)消火
 自主防の消火班編成、市消防による消火活動、津浪監視。道路の被害、車両、転倒・落下物等のため現場到着に時間を要する。消火栓は使用不可能、無線の混雑で活動環境は悪い。したがって、避難者の安全確保を目的とした消火活動に切り替える。

(2)避難誘導
 発災直後はビルや地下街の出入口に人が殺到。火災から避難するも、車両、落下物、転倒物が障害となり、道路が渋滞する。災害弱者の中には逃げ遅れる者もでる。時間の経過とともに大量の避難者を誘導する必要になった。避難場所では、正確な情報も得難く、水や食料の提供も困難であった。

(3)救出活動
 消防団員はあまり集まらず、火災消火を優先するため主力を投入できない。電話不通等のため、被害状況が判明するのに時間を要する。

(4)活動と調整
 大規模な箇所は余震による2次災害の恐れと日没のため救出活動はできず。当日深夜から翌日未明にかけて活動拠点を設置。救出現場の分散により活動調整に時間を要する。救出作業は2次災害を警戒しながら自衛隊により行われた。生存可能性の高いところに重点的に要員、資機材の投入が行われた。応急復旧期には生存者救出から遺体検索へ方針が変更され、検死作業が多くなった。

IV. ライフラインの被害対策

 電力送電線の断線、ガス管などのガス漏れに至る損傷、上水道送配管の漏水に至る損傷、下水管の流水機能損傷、電話回線切断が被害想定である。電力復旧は病院等の急を要する箇所から着手し、必要があれば電源車が出動した。ガスはガスホルダーの自動遮断弁が作動し供給は停止する。元栓の閉止を呼びかけることも重要。上水道の被害により、海岸地域は液状化現象を起こしやすく、漏水は数百カ所にのぼる。電話は防災機関の通信確保、緊急を要する回線の復旧を優先する。避難場所、主要駅へ特設公衆電話を設置する。また、復旧要員を増員するとともに非常用電話局装置を出動。


水害における救命救急活動のポイント

新村健. 救急医療ジャーナル 2 (5): 25-9, 1994(担当:持田)

 1993年7月、鹿児島県において観測史上第一位、例年の3倍という降雨量を記録し、8月にはいってからの集中豪雨により8月6日、死者119名という大規模な豪雨災害(「8・6水害」)が発生した。豪雨災害の特徴は、市街地周辺に起こる崖崩れと土石流、市街中心部の河川氾濫による道路や家屋の水没に集約される。

 今回、鹿児島日赤が関与した「8・6水害」における救急救援活動の特徴は、JRの列車2両が崖崩れに遭ったのと、国道が寸断されて約800台におよぶ自動車が土砂や流水により立往生したこと、医療機関2施設(障害をもった高齢者の多い病院と精神病院)と特別養護老人ホーム1施設からの避難があったこと、陸路の交通手段が絶たれ、緊急避難は海上からであったことなどである。

1. 全般的な状況

 花倉地区の精神病院(多くは老人で寝たきりなど自活できない入院患者)は、まともに崖崩れに遭い、死者も出たが、消防関係者が現場に近づけず避難退避命令も伝わらず、救援も翌日になった。一方三船病院では、一部被害を受けたが安全な病棟に避難した後だったので人的被害は免れた。また、当病院は地区の避難場所に指定されていた。そのため、JR列車や立ち往生した自動車からの避難者が集まり、偶然その中に県知事や各機関の責任者、医師もいたようでいっせいに非常事態という情報が伝わり救援が集中した。

 このように同時多発の災害では、どの場所が最も被害が大きくかつ緊急の救援を必要とするかという情報が的確につかめない。そのためそれぞれの孤立した地区における情報の偏りが生じて、必要かつ効果的な救急救援活動が不均一になる。

2. 医療機関の対応

 自院が被害を受けながらも献身的な医療活動を展開した医師たちも多くいたが、医師会の中枢が被害を受けたため協力態勢が万全でなく、被災しなかった医療機関からの援護体制に問題が残った。日赤では常備救護班が編成されていたが、足止めされた職員が多数院内に残っていたため幸いにもすぐ対応できた。その夜は、列車や自動車からの人々と地区住民を桜島桟橋に設置した救護所で応急手当をした。

3. 翌朝からの救護活動

 夜明けからは、あらゆる種類の船舶が活動し、避難が始まった。埠頭での処置はバイタルサインをみて、外傷の点検をすることしかできず、後方施設に搬送するのが精一杯であった。さらに、船舶の種類によって接岸できる場所が限定され、広範囲での活動を余儀なくされた。そして、どこにどのような状態の人が到着したかという情報が入らないので、優先順位や必要機材の投入場所が判断できず混乱した。

4. 収容場所の確保と後方輸送の問題

 フェリーボートの発着待合室を解放してもらったが、約200名を越す歩行困難で、かつ要介護の人々のため、すぐに屋内からあふれてしまった。また、狭い部屋に押し込んだ状態だったので、先に収容した人のほうの転送が後になった。これは後方輸送がスムーズに行かなかったことにつきる。医療機関への輸送は日赤の救急車2台しか確保されておらず、一回の輸送は2人が限度で、交通混乱の中では往復にかなりの時間を要する。これだけの患者輸送が必要な事情が災害対策本部なり消防本部に的確に伝わらなかったのは、やはり情報伝達の不備と思われる。情報を的確に捕らえコントロールできるセンターを設置し、各機関の患者輸送車の実態を把握しておき、緊急招集をかけられる体制を整えておくことが必要である。

5. 災害現場におけるトリアージの問題

 患者のほとんどが要介護老人で、心身共に障害者(いわゆる「災害弱者」)であったため身分や病態の確認ができなかった。避難先の医療機関での混乱を回避するためにも簡単な認識票と病状のポイントを付しておくとよい。中には結核や疥癬、MRSA感染などの伝染性疾患に罹患している人もあり、明確に区別しておく必要がある。混雑がひどくなるとトリアージタッグに印をするだけでは間に合わず、痴呆老人はちぎり捨ててしまったりしたので、別の方法を考えておくべきだ。

6. 情報の混乱

 これが円滑な救命救急活動を妨げる一番の原因になった。どこの施設からどのような人が何人くらい、どこに何を使って到着するかについて全く正確な情報が入らなかった。避難には、土砂崩れなどの直接災害によるものと、それに伴う危険防止のための2種類があり、状況によって時間的なずれが出て、多くの人が避難してくる事態を予想しておく必要がある。最後に、ごく当然のことのようだが、受け入れ側の人員や機材の準備には万全を期し、臨機応変の対応ができるようにしておく必要性を痛感した。


国立病院東京災害医療センターの構想

岩崎康孝,病院 54: 860-863, 1995(担当:尾畑)

A. センターの機能について

 平成7年7月、東京都立川市に国立病院東京災害医療センターが開院した。このセンターは、立川市にある立川広域防災基地を構成する一施設である。この基地は,震災時の総合的な防災基地として,その中には,厚生省以外にも警視庁,農林水産省,防衛庁など多くの機関の施設がおかれている。その中でこの国立病院東京災害医療センターの機能は,主に臨床,研究,そして教育・研修の三つがある。

 まず臨床の機能は,災害時と平時に大別される。災害時には,被災地および被災地から搬送される患者に対する災害医療を行う。対象となる災害は,東日本における広域災害とされており,特に,高度に人口が密集した南関東地域において、阪神・淡路大震災と同規模以上の災害が生じた場合に発生する被災患者への医療を提供する役割は非常に重要である。また平時には,総合病院として特に第三次救急医療施設である救急救命センターによる高度な救急医療を行っている。

 研究部門としては,これまで我が国で比較的実績の少ない災害医療についての研究が継続的に行われている。その研究テーマとして,以下のものがある。

  1. 災害医療技術の向上をめざした治療技術に関する研究
  2. 重症患者の病態生理に関する研究
  3. 災害対策システムの研究
  4. 災害の状況下で見られる人の行動に関する心理学的,社会学的研究
  5. 代用臓器,臓器保存に関する研究

 教育・研修の機能としては,比較的一般的な臨床研修指定病院の機能の他に,災害医療,救急医療に関する教育研修に力をいれており,特に救急医療については,一定の資格を持つ救急医による教育が行われている。また地域医療研修センターでは,地域の医療従事者に対しての災害医療等に関する教育研修を行っている。

B. 災害システムの中における国立病院東京災害医療センターの役割

 第1に,災害発生時での救護班の派遣でも特に初期の救護班の派遣による初期の医療情報の収集と後方への連絡,および被災地における初期医療である。

 第2に,被災者の受け入れであるが,これにおいても特に比較的遠方で生じた災害については重傷者の受け入れを行い,比較的近接では他の医療機関のバックアップがその役割として重要である。

C. 今後の災害医療と将来の国立病院東京災害医療センターの役割

1. 災害医療施設としての将来
 研究あるいは教育・研修により災害医療全般に貢献する役割は極めて大きく,この国立病院東京災害医療センターの設置による,災害医療の向上への増幅効果が期待される。

2. 研究面での将来

 災害医療についての研究はまだ緒についたばかりである。その意味で研究面での処女地は広く,きわめて大きな成果が期待できる。また,非常に実学的な側面の強い領域であるために,災害が生じた場合に人命救助などへの貢献は大きいと考えられる。

3. 教育・研修機能

 国立病院東京災害医療センターは,その役割が非常に特殊化しており,これまでのところ類似した施設のないことから,将来,災害医療について全国の国立病院・療養所を含めた医療施設における医療従事者を対象とした教育研修を行う可能性が考えられる。これにより,災害医療についての知見が広まることが予想される。

4. 国際災害に果たすべき役割

 これまで、国際災害については、国立国際医療センター,JMTDRなどによって災害医療が行われてきた。国立病院東京災害医療センターでは,主として国内の災害について,その役割を担っている施設であるが,将来は,国立病院東京災害医療センターで蓄積された知見を国際災害に役立てるためにこれらの他の施設と連携をとりながら,なんらかの貢献を行うことができるようになるのではないだろうか。