災害医学・抄読会 (2/23/96)

中華航空機事故のとき、救命救急活動はいかに行われたか

−救命救急センター側からの記録−

     野口宏 救急医療ジャーナル 2 (5) : 14-7, 1994(担当:安田)

はじめに

 1994年4月26日20時16分頃に発生した名古屋空港における中華航空機墜落事故に際して、愛知医科大学救命救急センターの医師3名が、地区消防職員の運転による当センターのドクターカーで現場に出動した。そこで、今回の事故における救護活動について、知り得た範囲において報告する。

名古屋空港医療活動に関する協定書および訓練による問題点の指摘

 愛知県医師会は、航空機事故による集団災害に対応すべく、独自に1989年6月、名古屋空港及び周辺航空機事故に関する医療救護体制を確立した。その後、1991年12月に、運輸省大阪航空局名古屋空港医療救護活動に関する協定書の締結がなされた。これに関連して1989年12月、1993年5月に救護訓練が行われた。その結果、以下の問題点が指摘された。

・従来の防災服を、判別可能な新しい色に変えること
・空港進入口に明確な標識をつけること
・各種車両の現場への誘導指示を、訓練においても行うべきである
・医療救護班の車両には明確なステッカーを表示すること
・空港職員責任者を服装で明確化する
・国際線事故の場合の事故関係者の入国手続きの簡略化方法、通訳確保の必要性

中華航空機事故の救命救急活動の概要

 事故発生は、その火災認知をもって20時16分とされている。救助、消火等のため、敷地内駐屯の自衛隊、消防隊、救急車が1分から3分後に現場に到着したようである。

 医師が最初に到着したのは、20時30分頃とされ、それは名古屋空港医療救護活動に関する協定書に基づいたマニュアルに従い、春日井市医師会からの連絡指示を受けた稲垣博一氏であった。またほぼ同じ時期に、空港の西1kmにある杉山病院の院長が、ちょうど通りかかった救急車からの要請で車に同乗し、現場に出動された。

 トリアージ、搬送の多くは自衛隊員、救急隊員により行われ、先の2人以外の医師が到着できたのは最後の搬送が行われた後であった。

愛知医科大学救命救急センターにおける対応

 救命救急センター当直医は、マスコミ報道により事故発生を知った後、直ちにセンター部長、事務部長に連絡して職員の来院を要請し、これにより当直以外の医師14名、看護婦11名、臨床工学技師3名、その他事務系職員11名が来院した。

 また、愛知県医師会へ、20名の救急患者が収容可能であること、救急医の現場への出動が可能であることを申告した。実際、大災害時のトリアージチームとして県医師会の要請により、22時6分、愛知県医科大学救命救急センターのドクターカーに救急医3名が同乗し、現場に出動した。

 現場に到着してからの生存者の救出例はなく、死亡確認の業務を行った後、県医師会の救急委員会委員長の栗田高三氏によって、4名の生存者が収容された杉山病院へ応援に行くよう要請された。杉山病院に到着した後は、その時点での生存者2名に対して救命処置を行った。

救急活動・集中治療に参加しての考察

 271名の乗客、乗員のうち救命できたのはわずか7名であったとはいえ、関係者は皆それぞれの可能な限りの能力をもとにそれぞれの任務を果たすことができたと考える。しかし、今後に改善を図るべきこともきわめて多く、かつ重要なこともあるため、以下の点を指摘する。

・1989年に提案作成された医療救護体制をもとに、訓練、さらには空港事務局との正式な協定まで交わし、その後再び訓練が行われ、改善すべき点が多くあげられたが、それが改善されることなく、そのまま放置されていたことはやはり非難されることであろう。

・現場へ急行するための進入口の明示がなく、混乱し、指示員の配置も遅れた。

・指示員であるということが明確になるような服装でなく、はなはだ判別困難で、指示などがもらいにくかった。

・通訳の必要性の問題。国際線の事故であったため、言葉の不都合を生じ、身元確認等にかなりの障害になった。

・トリアージタッグが統一されておらず、3種類のタッグが使用されたため、現場出動医師の戸惑いが見られた。

・各収容先への応援、二次転送の指導、相談、転送時の搭乗医師に当たる救急医の現場出動制度の確立

・愛知県医師会館内に対策本部が設置されたが、連絡のための電話回線等の問題で、現場との連絡が十分に取れなかった。救急情報センター内に本部を設置すべきではないか。


航空機事故における救命救急活動

     大場清 救急医療ジャーナル 2 (5) : 8-12, 1994(担当:富井)

最近の国内航空機事故

・1982.2.9 日航 DC-8 羽田沖墜落 死者24名 重軽傷者147名
・1985.8.12 日航 B747 御巣鷹山墜落 死者520名 生存者4名
・1994.4.26 中華航空 A300 名古屋空港墜落 死者264名 生存者7名

空港救急医療体制の整備経緯

 羽田沖日航機墜落事故を契機として、1984年6月に運輸省の空港救急医療体制調査委員会が発足。1985年10月には、空港救急医療対策推進議員連盟から要請を受けた日本医師会が、空港所在の都道府県医師会長に対して、各空港長と協議し、空港当局、自治体、空港周辺医師会、その他の関係機関と協力し、「空港救急医療体制の整備ならびに空港医療救護活動に関する協定書」を締結するようにとの指示を出した。

 一方、空港自体の救急医療体制に対する整備として、1985年度から東京、大阪国際空港、1987年度から第二種空港など28空港に対して、就航機種に対応した救急医療資器材等の整備を行うこととなった。

 名古屋空港では、1989年度に125名分の医療資器材を整備し、1991年度には災害現場に医療資器材を運ぶ空港用搬送車が購入された。また、空港及び周辺航空機事故の医療救護体制救急委員会でまとめた基本構想は、地域的に空港を中心とした半径2km地域内をX地区、滑走路南端より南東2km地点を中心とする半径約2km地域内をY地区、滑走路北端から北北西約2km地点を中心に半径約2km地域内をZ地区として、各地区での災害を想定した出動体制を定めた。

名古屋空港周辺航空機事故医療救護出動体制(抜粋)

Z地区

1次出動
 小牧市医師会  2班 B1(浅野 英博) B2(塚原 龍児)
 岩倉市医師会  1班 D1(長谷川義夫)
 西名古屋医師会 2班 A1(稲垣 泰介) A2(中村 恵之)
2次出動
 名古屋市北区  2班 E1(山田 靖幸) E2(金子  洋)
トリアージチーム
 春日井市民病院 T1
 厚生連昭和・愛北病院 T6・T7
大災害時のトリアージチーム
 愛知医科大学附属病院 T8

航空事故災害時の職務

 所定場所に地区災害対策本部を設置し、地区災害対策本部長または副本部長が指揮をとる。

1.地区災害本部の職務
 1.災害時の通信状況の把握
 2.医療救護班、トリアージチームの出動要請
 3.後方医療機関への待機要請、患者受け入れ体制の指示
 4.出動医療救護班より情報収集
 5.医薬品、診療資器材の補充輸送の連絡
 6.県医師会対策本部に災害状況及び負傷者数、重傷者・死者数の報告
 7.医療救護班の2次出動、トリアージチームの応援出動要請
 8.2日以上に及ぶ場合、翌日からの出動態勢の指示

2.災害現場での医療救護班

  1. 出動要請を受けた班長または副班長は原則として、少なくとも2-3名の医師、看護婦2-3名の救護班を編成し急行する
  2. 2班以上の医療救護班が出動した場合、初出場の班長または副班長が指揮をとる
  3. 複数の医療救護班の出動時は、副本部長が災害現場で指揮に当たる
  4. 災害状況、負傷者数、重傷者・死者等を地区医師会災害本部に報告する
  5. 現場での応急処置
  6. トリアージによる重傷度の判定、搬送順位の決定
  7. 負傷者が多い場合、二次出動の要請
  8. 死亡確認、死体検案
  9. 医療救護終了後、班長または副班長は出動した医師及び看護婦の氏名、職種等を記録。使用した医薬品、診療資器材、破損資器材等の報告をする。処置患者・搬送患者数、死体検案数を地区医師会災害対策本部に報告する。

中華航空機事故における医療救護状況

 医師会員及び医療救護出動状況は以下の通りである

西名古屋医師会   医師9名 看護婦4名
小牧医師会       10名    4名
春日井医師会      2名
岩倉医師会       4名
北区医師会       3名
県医師会救急委員会   3名
小牧市民病院      9名    9名
春日井市民病院     4名
愛知医科大学      3名

 このほか、第一、第二日赤救護班として、医師、看護婦に参加協力していただいた。

まとめ

 1994年7月に今回の航空機事故について合同懇談会を開催し、反省を込めて協議した。

組織化:災害対策本部の設置と責任者の明示、現場における指揮者の再確認。ある期間出務が予想される場合は、県医師会本部が中心となり、関係者と打ち合わせて、出務日程表をつくる。当然、各病院、大学、日赤等の協力を得て、何時に、誰が、何人出務するか、分かるようにする。

情報システム:情報伝達の再検討が必要。(ホットラインの設置など)現場からの情報連絡方法として、自動車電話、携帯電話等の使用も、地域によっては回線数の都合上、ふつうの場合がある。緊急用無線については今まで幾度となく提案がなされたが、電波規則で実現できなかった。今後も協議したいと考えている。

現場での反省点:トリアージタッグの統一化、水の確保、補給が必要で、創洗浄、手洗い等水がなければ処置、点滴もできない。現場では、医師、看護婦とすぐ分かる防災服の着用と緊急車通行証が有効であった。

緊急車両通行道路の早期確保:道路交通規制が遅れると交通渋滞が始まる。

グリーンマップ:空港略図、周辺医療機関と消防署の配置図を作成配布する。

災害はいつも 同一パターンで起きるとは限らない。いかなる災害にも対応できる体制を整えることこそが、一人でも多くの命を救うことになる。今後とも救命救急体制の整備には、努力と協力を惜しまない。

今回の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、ご冥福を祈る。


救急・災害医療ホ−ムペ−ジへ

GHDNet Homepage(英語情報)へ

担当者の紹介
gochi@hypnos.m.ehime-u.ac.jp までご意見や情報をお寄せ下さい。