地震災害に対する国際救急医療援助活動のグレードアップ

     (太田宗夫.救急医学 15: 1815-8,担当:三世)
 JMTDR(Japan Medical Team for Disaster Relief)は海外に発生した大災害に出動し、救急医療活動する組織であり、湾岸戦争を契機に、この種の活動の意義が再認識され\ている。しかし、他国の援助活動と比較すると、まだ中身についての落差は大きい。今\回、その参照として、1990年7月16日にフィリピン・ルソン島に発生したマグニチュード7.7の直下型地震被災地に緊急出動したJMTDRの活動を通して、地震災害における国際救\急医療のグレードアップを考える。

出動経過

1.日程
1990.7.16 16:26 地震発生
1990.7.17 10:30 各自に第1報
      11:00 フランス政府より要請あり。出動決定との第2報
      17:30 成田空港にて結団式
      19:00 成田発
      23:00 マニラ着
1990.7.18 07:05 比国空軍出発
      10:50 バギオ空港着。被災地に入る。
      16:00 医療活動開始
 7.18〜21 医療活動
1990.7.22 被災地撤収。マニラへ
1990.7.24 成田帰着

2.医療活動および関連活動
 医療活動は、BGH(ハギオジェネラルホスピタル)の外来診療部門の援助が主体で、外傷を含む約100名の診療を行った。

3.その他の活動
 一日遅れで現地入りしたJDR(Japan Disaster Relief)とともに総合チームとして、\組織的な災害援助活動を行った。

4.隊員の現地生活
 全隊員は、日本人経営のホテルに宿泊した。出発まで時間が少なかった大阪からの隊\員は、身の回りの準備が乏しく、医療活動にも支障を来した。

5.活動全般について
 今回の出動は例がないほど迅速であった。しかし、現地での調達された部分に負うと\ころが大であった。特に、現地日本人企業の強力な援助で、移動、連絡、通訳などを依\存した。

地震災害の特徴

1.医療対象:地震災害で外傷を想定していたが、比国医療施設の機能的ダウンのため、\通常診療を求める患者が来る。そのほか、家族の死、住居の倒壊による激しい精神反応\を示した例もある。外傷は、四肢骨折から火災による熱傷まで多彩であるが整形外科的\要素が大きい。

2.医療器材:薬品名は日本名を使わず、原薬名を添付した。

3.環境と安全:夜盗と直下型地震の余震が恐ろしい。アルコールは慎む。

4.情報:情報がオーバーであるために、浪費を食う場面もしばしば合った。正確な情報\が望まれる。

5.撤収のタイミング:外来患者数の減少と倒壊ビル生存者の救出断念が目安。

改良を要する諸事項

1.一回り大きな規模のチームに:少なくとも医師2名と看護婦4名を1単位とすべきである。(医師一人では何かの支障が生じた場合、活動が大幅に制限される)。

2.機動性についての注文 器材が二分されて到着したため、本格的な診療開始がおくれ\た。マニラであらかじめ飛行機などのチャーターしておくべきである。

3.医療拠点の設営について:中型テントが、小回りがきき役立つ。

4.気軽な緊急出動を可能にする。JMTDR登録者による、普段からの準備が迅速な現地到着が必要条件である。

5.まとめ:現地到着に時間を費やすと、援助の意義が半減してしまう。そのため、機動性の開発がポイントであり、諸外国のノウハウをもっと、調査する必要がある。



  

モルジブ共和国における赤痢、コレラの流行

     (今川八束.救急医学 15:1809-14,担当:新谷)
 モルジブ共和国は、インド洋上の中央北部にあり、19の環礁を形成する約1200のサンゴ礁の島々からなり、環礁単位で1つの行政区(アトール)を構成している。面積は298 km2、人口は、約21万人(1990)であり、首都はマレである。著者らは、JMTDRの活動の一貫として、1983年1月には赤痢の流行、1987年4月にはコレラの流行を調査するためモルジブを訪れている。

赤痢の流行(1982年)

 1982年4月中旬、マレ島に入港した漁船の一船員が初発となり、赤痢が全アトールに広がった。当初、病気自体が何なのかわからず、赤痢(S.dysenteriae)と確認できたのは6月に入ってからであった。
 政府は、7月に非常委員会を設置し、1.マレ病院の24時間勤務体制、2.全島に強制患者隔離所の設置医師団7チームを編成し全島に派遣、3.ラジオ、テレビによる予防措置の呼びかけ などからなる緊急対策を行った。
 しかし、9月の時点で、患者数12529名、死者200名に及び、最終的な患者数は約31000名であった。
 著者は、この流行の原因を次のように分析している。
1)患者の輸入季節が雨期であったこと
2)島の土質が、透過性はよいが溢水しやすいこと
3)屎尿処理及び安全飲料水供給が困難であったこと
4)所得の貧しさに伴い、住民の衛生観念が欠如していること
5)流行菌が毒性の強い志賀菌(S.dysenteriae)で、TC、ST合剤に対する耐性株であり、ABPCに対する耐性株もあったこと
6)感受性を示したKM、NAは高価であり、救援薬品にも含まれていなかったこと
7)細菌培養の用意がなかったこと
8)居住島が散在し、かつ医療機関がきわめて貧困であったこと

コレラの流行(1987年)

 1987年4月10日夜から14日まで、ほぼモルジブ全域が、原因不明の高潮に見舞われ、とくにマレ島では約50%が浸水した。二次災害として、マレ島では、4月18日から4月29日までに47名のコレラ真性患者が発生した。菌型はエルトール小川型で、薬剤感受性であった。
 マレ中央病院では、24時間オープンの下痢患者受け付けを設ける、下痢患者用ベッド数を8床から56床に増やす、などの対策を行った。検査体制は、5年前に比べ、器材・人員ともに充実していた。治療はTC投与で行った。
 防疫体制として、
1)コレラの集団予防接種
2)井水のクロール消毒
3)コレラ菌陽性患者の隔離
4)4月27日から全島の小学校閉鎖
5)他島への医師・看護婦の派遣(予定)
などを行っている。
 コレラについては、WHOに対して報告の義務があるが、モルジブ政府は、観光に対する影響を恐れてか、WHOには一切報告しなかった。
 コレラの感染経路には、水系感染と魚介類生食による感染とがあるが、モルジブ国民には魚介類生食の習慣はなく、異常高潮による下水道の逆流や、雨期の始まりで水たまりを作ったこと、井水の汚染などより水系感染と考えられる。

むすび

 コレラ感染は、熱帯地方の途上国では各地で流行を繰り返し、WHOへの報告では、患者数は4万〜7万を数えるが、実際はその数百倍に及ぶと推定される。
 わが国では、赤痢・コレラなど法定伝染病に対する治療は、細菌学的完治を目的とする。これに比して途上国では、医療経済上、症状の消失ないし、軽快をもって治癒としている。まして治療を求めない、まして求め得ない患者も多数存在し、細菌学的根治療法を行うことはナンセンスかもしれない。
 もしJMTDRが出動していたとしたら、診断・治療・疫学調査にあたるとともに、衛生教育をあわせて行うことで、大いに成果をあげられたと考えられる。



災害被害者トリアージ方法論の進歩

     (Burcle FM Jr.救急医学 15: 1767-72,担当:杉山)
 災害医学は、被害者数が通常の救援能力を超えるほど多数となったときの救護にかかわる科学であり、1980年代にその技術と科学は急速に進展していった。その原則には『避難』、『標準的手順』および『トリアージ』という3つの基本的原則がある。『標準的手順』には被害者に対する手順が、患者の状態によって3つの時相(災害直後、安定化の時期、避難前および避難中)に分けて記述される。これは日頃この種の被害者を診察し慣れていない臨床医にとって、災害対応のガイドラインとなる。『トリアージ』とは患者を選び分ける作業のことをいうが、この目的は「最大多数の人に最善を尽くす」ことにある。実際にトリアージを行う場合、主訴・バイタルサインの評価・考えられる最悪の診断・そして救護体制などの情報に基づいて被災者を緊急治療、非緊急治療、最小限の治療、待機(無処置)の4群に分ける。このように4群に分けることが災害医学に特徴的な方法であるが、このような方法では正確にトリアージを行うことは難しい。そこでトリアージというものは1回だけでなく2回3回おこなう1つのプロセスと認識する必要がある。最初のトリアージ(災害の現場)では限られた人的・物的資源を能率的に利用すること、後送する患者の優先順位を決めることを目的とする。次のトリアージ(病院で行う)では初期のトリアージを確認することと、緊急治療、非緊急治療、軽処置あるいは待機処置というグループにトリアージし直すプロセスであり、これによって被災者が適切に、しかも効率的に取り扱われるようにする。しかし非常に大きな災害の場合には負傷者の大多数は初期のトリアージで非緊急治療群に分けられる。この際、さらにその群のなかでランクづけをしなくてはならない。この目的は、すべての負傷者が必要とする処理を正しく受けことができ、また、処理の遅れによって患者の予後が悪化しないことにある。また被災者の数が多い場合、上級トリアージ担当者がいなければならない。担当者がシステムの全体像を把握し、それがどのように機能しているかを知っていることでトリアージを効率よく行うことができる。

 トリアージを行う際の重症度診断の手段としてスコア化が長年試みられてきた。確かに損傷のスコア化は個々の重傷度評価においては有用であるが大災害など多数の負傷者を扱うための評価としてはあまり役に立たない。それはトリアージを行う際に種々の因子の影響を受けるからである。その為、スコアに記載されたバイタルサインの数値はトリアージに必要な情報を十分には含んでいない。バイタルサインをトリアージに有用なパラメーターとするには通常のバイタルサインとは異なる評価をしなくてはならない。つまり血圧については、数値だけにとらわれず、様々な生理学的なパラメーターを重要視する。脈拍については多くの被災者は頻脈となりあまり重要ではないが、脈の幅や緊張を触診してデータを加えることにより意味を持つようになる。また脈拍数についてはさまざまなので、あまり気をとられると判断を誤る危険がある。呼吸については、重大な損傷やショックの初期の患者以外には呼吸困難は生じず、ほぼ健康な人と同じように平静である。逆に言えば患者の呼吸を視認できる場合には代償性ショックのもっとも早期のサインとしてとらえることができる。これらに加えて災害の際のバイタルサインとして精神状態も重要となる。不安、不穏は微妙な脳の低酸素を表し、心臓、脳、肺への循環血液がぎりぎり保てるだけの拍動量しかない場合には重要な意味をもつことになる。

 以上述べてきた『トリアージ』について養われた経験により近年災害医学の方法論は進歩してきた。しかし、これまでの方法論では精神神経系の被災者についてはあまり注目されてなかった。そのため従来のトリアージ分類においては精神神経系の被災者が含まれてなかった。これは外傷患者は時間単位でみることができたのだが、精神衛生の問題は月、年単位かかるためである。しかし実際には多くの精神神経系の被災者がいるので、そういう人たちをも認識するトリアージ・カテゴリーが必要となってきており、実際従来のトリアージ・カテゴリーを補う精神神経面でのアルゴリズムも作られている。また重傷者、小児、老人などハイリスクグループについても、トリアージカテゴリーのためのアルゴリズムも作られている。



危機対応と人間

     (安部北夫.救急医学 15:1761-6,担当:清村)
 人は「まさか」、「自分は大丈夫」という無意識の心理、フロイトのいう「平常化」の心理が働き、悲劇が何度くり返されても、そこから教訓を学ぶということは難しい。そこで、法律的にスプリンクラ−の設置やシ−トベルト着装を強制してみたりする。しかし、人の災害と危機に備える基本的な姿勢は、「まさか」ではなく「もしかして」から発想し行動するように努めなければならない。たとえば、あらかじめ震度6の地震を起こすことを伝えておき、起こったときには手元のガスコンロや石油スト−ブ、瞬間湯沸かし器のコックを締めるという実験を行ったところ、1割強の人が瞬間湯沸かし器の存在すら忘れてしまい(フ−ルといわれる状態)、また、全員が手をつけてはいたが過半数の人が石油スト−ブのコック操作が不備(フェイルといわれる状態)であるという結果になった。「火事場」力と俗にいわれているくらい、非常のときには思いもかけない力を発揮できた例が報告されているが、往々にして、的外れの、役に立たない、見当外れのことをしでかしてしまうことがあり、ここでこの力に頼ろうとすることは筋違いである。そこで、フ−ル・プル−フ(頭がばかになって働かなくなっても安全なようにしておく)、フェイル・セ−フ(そのときには失敗することもあると覚悟して、それでも大丈夫なように何をしておくべきかを考える)と呼ばれる2つの防災心理学の鉄則が重要になってくる。これは、いざという場合の人間の対応を信頼していないとか努力がむなしいとか言っているのではなく、対応に際して真になすべきことは何なのか、知恵を動員し力を尽くすべきことは何なのかをしっかり見定めておくということである。それが落ち着きをうみ、非常時にあわてふためき、あるいは時によると金縛りに遭ったように動けなくなり、あたまも体もゴチャゴチャになってしまい、それこそ「フ−ル」や「フェイル」になってしまうのを防ぐことにもつながるのである。

 人が危機対応を落ち着いて行うために大事な条件は、次の4つである。
・経験を積んでおり、心理的見通しがしっかりしていること。それが、たとえ単なる知識や形式的訓練だとしても重要である。
・非常事態になすべきこと、やらねばならないことを持っているということである。そうすれば、恐怖や不安、そしてあわてふためくことから自由になれる。
・機先を制しての「落ち着け」という掛け声である。一度暴走した人々を止めることは困難だからである。そして、その次に出てこなければならないのが「見通し」であり、「何をなすべきなのか」の具体的指 示である。そうでなければ、「落ち着いてどうしろというのか。落ち着いて死ねとでもいうのか」と思う人が出てきてしまい、「落ち着け」という掛け声が何の意味も持たなくなってしまうからである。
・信頼のおけるリ−ダ−の存在、果たすべき役割である。人々は動揺する状況のなかにあって、荒波のなかでも岩にしっかりアンカ−を打ち込んでいる船のように、アンカ−を打ち込むべきところを求めているのである。